世相
無言の行
2011-12-07 00:32 更新
スーパーのキャッシャーに並ぶ。そばに札が下げてあり「ポリ袋の不要な方は、この札を籠に乗せてください」と書いてある。この札を乗せると、キャッシャーの係の人は、エコバッグを持っている客だな、と了解してポリ袋を渡さない仕組みである。ポリ袋も節約なら、口を聞くのも節約である。
回転寿しに入った。店に入ったとたんに画面があり、そこに何人の客か、を入れる。二人だったら2と入れる。次にカウンター席か、客席か、どちらでもよいか、の3通りから選ぶ。混んでいる時は待ち時間が表示される。順番の番号が貰える。順番が来ると番号が表示される。かくしてカウンター席に落ち着く。ここでまた画面である。希望の寿司を選択、わさびの有無を選択、個数を選択、注文のところを押す。みそ汁、豚汁、茶碗蒸しも同様に注文画面を指先で押して待つ。いよいよ注文の寿司ができた、となると画面が注意音を発し、ベルトコンベアが運んできている事を報せる。食べ終わったらお会計のボックスを押す。すると店員が来て皿数を数え、会計の紙を渡してくれる。口を動かすのは食べる事と、茶を飲む事のためだけであり、声は必要ない。もっとも私は支払いのときに「ごちそうさま」と言いますけれど節約ぶりは極まっている。
自販機で買う、券売機で乗車券を買う、券売機も使わずカードで用を足す。このような前触れが長く続いてきたから、この現象をヘンとは感じないで、むしろ気が楽で好きなんじゃないだろうか。もっと増えて欲しいと思う人も多いかもしれない。相手の目をしっかり見て話す、という仕草がおっくうというよりも負担になってきている人たちが増えてきたと思う。
回転寿しに入った。店に入ったとたんに画面があり、そこに何人の客か、を入れる。二人だったら2と入れる。次にカウンター席か、客席か、どちらでもよいか、の3通りから選ぶ。混んでいる時は待ち時間が表示される。順番の番号が貰える。順番が来ると番号が表示される。かくしてカウンター席に落ち着く。ここでまた画面である。希望の寿司を選択、わさびの有無を選択、個数を選択、注文のところを押す。みそ汁、豚汁、茶碗蒸しも同様に注文画面を指先で押して待つ。いよいよ注文の寿司ができた、となると画面が注意音を発し、ベルトコンベアが運んできている事を報せる。食べ終わったらお会計のボックスを押す。すると店員が来て皿数を数え、会計の紙を渡してくれる。口を動かすのは食べる事と、茶を飲む事のためだけであり、声は必要ない。もっとも私は支払いのときに「ごちそうさま」と言いますけれど節約ぶりは極まっている。
自販機で買う、券売機で乗車券を買う、券売機も使わずカードで用を足す。このような前触れが長く続いてきたから、この現象をヘンとは感じないで、むしろ気が楽で好きなんじゃないだろうか。もっと増えて欲しいと思う人も多いかもしれない。相手の目をしっかり見て話す、という仕草がおっくうというよりも負担になってきている人たちが増えてきたと思う。
生きている水
2011-11-27 21:45 更新
3.11以来、水道水を飲まず、自然水を汲んで使っている。山地の多い日本列島は、無数に湧き水があるが、都会の人間は、自分だけが知っているという穴場を持たないから、どうしても人の集まる水場へ行くことになる。私は4カ所を、その都度変えながら回って水を汲んでいる。そのうちの2カ所が深層水で、あとの2カ所は表層水だ。水汲みの人たちは、タンクに1個2個とかペットボトル数本というのならかわいいものだが、タンクを10個、20個、などというのはザラである。ペットボトルも、6本入れたダンボール箱を10箱20箱と持ってきて水場を独占するから行列ができる。大家族なのか、レストランか、売るのか。私にはわからない。ともかく私も水を汲んで持ち帰り、流しの脇に置いたタンクに入れて使ってきた。ところが、ふと見て息が止まった。タンクの内側が薄緑色なのだ。洗って入れ替えているのに。苦労して汲んできた水だと思うから大切にして、何日も使うのが問題なんだと思った。自然水をそのままポリタンクやペットボトルに閉じ込めたから、死んでしまったんだと感じた。市販の水は加工されている水だから自然水ではない。湧き水も地下水も、川の流れも常に動いている、生きている。日本の豊かな水は軟水で、美味しい水、生きている水なんだと、あらためて思った。
歩くミイラ
2011-10-10 11:11 更新
千早がいたときは、自宅周辺をくまなく歩き回った。ふたり一緒だから、のびのび散歩ができたし、冒険もできた。千早がいなくなってから、ひとり歩きをしてみたが、虚しいったらない。徘徊とまちがえられる、ことはないにしても、この通りに用があるの? とうさんくさい目で眺められるのは面白くない。ここはなんだろう、と通り抜けできない道に入る私も悪いのだが。
湖畔は、単純一本道だし、散歩人間、ランニングの人、サイクリングの人、あるいは釣人、富士山撮影の人だから気楽である。なるべくこちらから、おはよう、と声をかけることにしている。外国の人の場合は、なおさらである。よくまあ、日本にいらっしゃいました、の気持ちで、おはよう、という。一般の観光客は、都心の通りと同じ感覚で、挨拶など思いつかないらしい。こういう人たちはすぐ分かるから、たがいに知らん顔をしている。土地の人や、住み着いている人たちが、よく挨拶をする。何度か、頭を下げるだけのすれ違いを繰り返してきた犬連れの人が、今朝はいい富士だね、といきなり言うときもある。楽しい。
ミイラ? そう、このなかに時折ミイラが混じっているのだ。歩くミイラである。ほとんど、というより私は女性らしきミイラしか出会ったことがないのだが、まず、目深に帽子をかぶっている。サングラス、巨大マスクをしている。夏だろうと長袖、手袋をしていることもある。足先まで完全に包まれている。これをミイラと言わずしてなんと言うのか。ミイラではないか。おはよう、と声をかけたくても相手の表情は、完全に覆われていてわからない。手振りそぶりもない。無関心派の都会人は、視線を送って来ないことがはっきりわかるので、問題ないのだ。まったく分からないと、対するこちらは、どういう態度に出てしまうか、というと、ミイラに対する視線となってしまうことを発見した。つまり、ためらうことなく眺めてしまう。生きている人間扱いをしなくても許される気がするのだ。
ネットに日常の困ったことなどを提示して、意見を言い合う場がある。そのなかに、近所の人たちとの人間関係が苦痛だ、という相談があった。これに対するアドバイスの一つに、大きなマスクをして、大型のサングラスをかけるといいよ、と言うのがあった。安部公房の小説『箱男』の時代から『ミイラ女』へ時代は変貌する。
湖畔は、単純一本道だし、散歩人間、ランニングの人、サイクリングの人、あるいは釣人、富士山撮影の人だから気楽である。なるべくこちらから、おはよう、と声をかけることにしている。外国の人の場合は、なおさらである。よくまあ、日本にいらっしゃいました、の気持ちで、おはよう、という。一般の観光客は、都心の通りと同じ感覚で、挨拶など思いつかないらしい。こういう人たちはすぐ分かるから、たがいに知らん顔をしている。土地の人や、住み着いている人たちが、よく挨拶をする。何度か、頭を下げるだけのすれ違いを繰り返してきた犬連れの人が、今朝はいい富士だね、といきなり言うときもある。楽しい。
ミイラ? そう、このなかに時折ミイラが混じっているのだ。歩くミイラである。ほとんど、というより私は女性らしきミイラしか出会ったことがないのだが、まず、目深に帽子をかぶっている。サングラス、巨大マスクをしている。夏だろうと長袖、手袋をしていることもある。足先まで完全に包まれている。これをミイラと言わずしてなんと言うのか。ミイラではないか。おはよう、と声をかけたくても相手の表情は、完全に覆われていてわからない。手振りそぶりもない。無関心派の都会人は、視線を送って来ないことがはっきりわかるので、問題ないのだ。まったく分からないと、対するこちらは、どういう態度に出てしまうか、というと、ミイラに対する視線となってしまうことを発見した。つまり、ためらうことなく眺めてしまう。生きている人間扱いをしなくても許される気がするのだ。
ネットに日常の困ったことなどを提示して、意見を言い合う場がある。そのなかに、近所の人たちとの人間関係が苦痛だ、という相談があった。これに対するアドバイスの一つに、大きなマスクをして、大型のサングラスをかけるといいよ、と言うのがあった。安部公房の小説『箱男』の時代から『ミイラ女』へ時代は変貌する。
カラスとハクチョウ
2011-10-02 22:43 更新
烏と白鳥の観察が「世相」に分類されるかどうか疑問だけれど、両者の違いは黒白だけではない。烏は、おしなべて仲が良く、烏同士の争いというものを、私は見たことがない。ほかの鳥を追いかけたり、追いかけられたりする事は、よくある。あんがい弱くて、オナガにやられて逃げ惑うのである。
性質が露になるのは食物を見つけたときで、烏は極く少量の餌を1羽が見つけた時は、ひとり黙って食べてしまう。2羽で少量の餌を見つけた場合が問題になるが、2羽揃って少しずつ食べる時と、1羽がほとんど食べ尽くしてしまうまで、離れて待っていて、残りを、もう1羽が食べる場合がある。しかし、取り合って争うことはしない。これが烏の大きな特徴だと思う。大量の餌を発見したとき、これはゴミ置き場で生ゴミ発見の場合が多いのだが、自分だけで食べきれない大量の餌だと認識したとたん、大声で喚き出すのである。この声によって近隣の烏が一挙に集合することになる。集まって来た烏同士は、ポリ袋を破いたり、ネットを持ち上げたり協力して働く。この有様は見事というしかない。
一方、山中湖で保護され、繁殖もしているコブハクチョウの態度をつぶさに観察することができた。白鳥の餌として売っている粒餌を撒いてやる。あるいは食パンのかけらをあげる。一握りの餌を一カ所に撒くと、数羽が集まってくるが、中でも大柄な白鳥が、傍らから食べようと首を伸ばして来た者に噛みつく。噛みつくといっても歯がないので嘴で相手の長い首を力任せに挟むのだ。これで相手は怯み、食べられない。そのあいだにあるだけを1羽が急いで食べてしまう。これでは体格の良い者がたくさん食べる一方、食べられない者はほとんど餌にありつけないことになる。私は離れた所に別々に撒いてやるが、これは一時しのぎでしかない。見とれる美しさの白鳥には似合わない態度。このような独り占めの態度は、鶏にも見られる。レグホンという白い鶏がいるが、これも餌の取り合いが激しくて、弱い鳥は頭を突つかれて血だらけにされてしまう。白鳥は嘴ではさむのだが、鶏は突つく。
嫌われ者の烏は、姿で嫌われるが行いは見ていても快い。ゴミを散らかす云々の苦情は、烏の側ではなく人間側の問題なのだ。姿で愛でられる白鳥は、行いについては、あまりよいとは言えないのだが、人々は目を細めて白鳥を眺め、写真を撮り、烏は追い払われる。
性質が露になるのは食物を見つけたときで、烏は極く少量の餌を1羽が見つけた時は、ひとり黙って食べてしまう。2羽で少量の餌を見つけた場合が問題になるが、2羽揃って少しずつ食べる時と、1羽がほとんど食べ尽くしてしまうまで、離れて待っていて、残りを、もう1羽が食べる場合がある。しかし、取り合って争うことはしない。これが烏の大きな特徴だと思う。大量の餌を発見したとき、これはゴミ置き場で生ゴミ発見の場合が多いのだが、自分だけで食べきれない大量の餌だと認識したとたん、大声で喚き出すのである。この声によって近隣の烏が一挙に集合することになる。集まって来た烏同士は、ポリ袋を破いたり、ネットを持ち上げたり協力して働く。この有様は見事というしかない。
一方、山中湖で保護され、繁殖もしているコブハクチョウの態度をつぶさに観察することができた。白鳥の餌として売っている粒餌を撒いてやる。あるいは食パンのかけらをあげる。一握りの餌を一カ所に撒くと、数羽が集まってくるが、中でも大柄な白鳥が、傍らから食べようと首を伸ばして来た者に噛みつく。噛みつくといっても歯がないので嘴で相手の長い首を力任せに挟むのだ。これで相手は怯み、食べられない。そのあいだにあるだけを1羽が急いで食べてしまう。これでは体格の良い者がたくさん食べる一方、食べられない者はほとんど餌にありつけないことになる。私は離れた所に別々に撒いてやるが、これは一時しのぎでしかない。見とれる美しさの白鳥には似合わない態度。このような独り占めの態度は、鶏にも見られる。レグホンという白い鶏がいるが、これも餌の取り合いが激しくて、弱い鳥は頭を突つかれて血だらけにされてしまう。白鳥は嘴ではさむのだが、鶏は突つく。
嫌われ者の烏は、姿で嫌われるが行いは見ていても快い。ゴミを散らかす云々の苦情は、烏の側ではなく人間側の問題なのだ。姿で愛でられる白鳥は、行いについては、あまりよいとは言えないのだが、人々は目を細めて白鳥を眺め、写真を撮り、烏は追い払われる。
新浴衣
2011-08-07 23:42 更新
山中湖平野天神祭と報湖祭、花火大会と続けてお祭りを見物した。賑わう屋台、集まり流れる人の波を見物するのも、祭りの大きな楽しみである。
天神祭では、山車を引く子たちがいちばん年少で、神輿は小学生が担いでいた。この山車を引く子たちの中に、また傍で眺める子たちの中に、浴衣姿が目立った。私の目は、この幼児たちの浴衣に引き寄せられた。
白地に花柄、水色地に花、可愛らしい浴衣。思わず見つめたのは、浴衣の裾まわりで、裾にレースがつけてあるのだ。浴衣の裾にレースとは。そう思いながらさらに見ると、袖口にも白いレースがついている。浴衣にレースって、驚きだわ。だれが思いついたのかしら、と見ていたら、なんと幼児の浴衣の裾は膝上の長さで、しかもギャザースカート風に仕立てられていた。下はスカート、上は浴衣だ。
報湖祭でも、ギャザースカート浴衣の孫の手を引く爺様、婆様を見つけた。
年頃の娘さんたちを眺める。意気揚々と胸を張った心地の男の子とふたり、浜辺を歩く。屋台の前でこうした二人連れ同士が笑いさざめく。可愛らしい髪飾り、薄茶に染めた髪、イヤリングとブレス。すらりと伸びた姿態は細く、まるで若鹿のようだ。湖を渡る風が、宵から夜へと進むに連れて強くなった。裾の乱れを片手で押さえて歩く娘。それは美人画の世界だ、見物できる浴衣姿の女の子たちは、吹かれるままに裾をなびかせる。寒くなっても平気、前もってタイツをはいている。ブーツ、スニーカで危なげなく浜砂を踏む。
天神祭では、山車を引く子たちがいちばん年少で、神輿は小学生が担いでいた。この山車を引く子たちの中に、また傍で眺める子たちの中に、浴衣姿が目立った。私の目は、この幼児たちの浴衣に引き寄せられた。
白地に花柄、水色地に花、可愛らしい浴衣。思わず見つめたのは、浴衣の裾まわりで、裾にレースがつけてあるのだ。浴衣の裾にレースとは。そう思いながらさらに見ると、袖口にも白いレースがついている。浴衣にレースって、驚きだわ。だれが思いついたのかしら、と見ていたら、なんと幼児の浴衣の裾は膝上の長さで、しかもギャザースカート風に仕立てられていた。下はスカート、上は浴衣だ。
報湖祭でも、ギャザースカート浴衣の孫の手を引く爺様、婆様を見つけた。
年頃の娘さんたちを眺める。意気揚々と胸を張った心地の男の子とふたり、浜辺を歩く。屋台の前でこうした二人連れ同士が笑いさざめく。可愛らしい髪飾り、薄茶に染めた髪、イヤリングとブレス。すらりと伸びた姿態は細く、まるで若鹿のようだ。湖を渡る風が、宵から夜へと進むに連れて強くなった。裾の乱れを片手で押さえて歩く娘。それは美人画の世界だ、見物できる浴衣姿の女の子たちは、吹かれるままに裾をなびかせる。寒くなっても平気、前もってタイツをはいている。ブーツ、スニーカで危なげなく浜砂を踏む。
大震災後のタマゾン
2011-05-09 22:27 更新
東京都と神奈川県の境を流れる多摩川の話題。以前から、多摩川が、ちょっと揶揄された言い方で「タマゾン」と言われていた。多摩川に熱帯魚が増えてアマゾン川化しているよ、という意味である。主に河口付近の多摩川では、流入する排水、もちろん濾過されて排水されているが水温が高い。この付近に、熱帯魚が住み着いて繁殖する種類も現れた。グッピーのような小型のものからアロワナまでいる。ピラニア、ガーもいる。大きくなりすぎたり、飽きたから、と捨てる人がいるらしい。集めて保護している人たちは、どうか、お魚ポストに持ってきてください、川に捨てないで、と懇願している。生態系が破壊されるのを危惧しているのだ。私も同感ですので、どうか川に放さないでください、と心からお願いします。
ところで、3.11 以来、タマゾンに熱帯魚がさらに、いっそう増えている。その原因は、東京、神奈川でも相当揺れたために、水槽から水が溢れた飼育者が大勢でた。これを機会に、飼育を諦めた人たちが多摩川に捨てたのだと言う。大地震の波紋は、熱帯魚にも及んでいるのだ。たしかに、私の水槽も溢れて水浸し、モーター2基がお釈迦になった。マンションで飼育している人の場合は、階下にも迷惑がかかることになる。
魚を飼育する趣味は、不況の時に流行すると言われるが、不況で飼っていたものを、地震で諦める事態となった人もいたはずだ。私のごとき、年中不況の身となると、年中魚を飼っていて、この困難を乗り越えて飼い続けることに迷いはない。いまから3年前に、水槽の水温を自然体にした。それまでアマゾン並の25℃に設定していたのを、節電のために止めたのだ。水槽の住人は熱帯魚のコリドラス。これはナマズの仲間で、数センチの可愛いアマゾン川の魚。夏から秋へ、冬へと次第に水温が下がって行く。コリちゃんは、この変化に耐えに耐えた。この冬も5℃の水温を経験し、乗り切った。すごーい、コリちゃん。
タマゾンで元気に生き抜くガーや、ピラニア、真冬の5℃水槽で生き抜くコリちゃん、環境の変化に順応する生命の力を見る思いがする。
ところで、3.11 以来、タマゾンに熱帯魚がさらに、いっそう増えている。その原因は、東京、神奈川でも相当揺れたために、水槽から水が溢れた飼育者が大勢でた。これを機会に、飼育を諦めた人たちが多摩川に捨てたのだと言う。大地震の波紋は、熱帯魚にも及んでいるのだ。たしかに、私の水槽も溢れて水浸し、モーター2基がお釈迦になった。マンションで飼育している人の場合は、階下にも迷惑がかかることになる。
魚を飼育する趣味は、不況の時に流行すると言われるが、不況で飼っていたものを、地震で諦める事態となった人もいたはずだ。私のごとき、年中不況の身となると、年中魚を飼っていて、この困難を乗り越えて飼い続けることに迷いはない。いまから3年前に、水槽の水温を自然体にした。それまでアマゾン並の25℃に設定していたのを、節電のために止めたのだ。水槽の住人は熱帯魚のコリドラス。これはナマズの仲間で、数センチの可愛いアマゾン川の魚。夏から秋へ、冬へと次第に水温が下がって行く。コリちゃんは、この変化に耐えに耐えた。この冬も5℃の水温を経験し、乗り切った。すごーい、コリちゃん。
タマゾンで元気に生き抜くガーや、ピラニア、真冬の5℃水槽で生き抜くコリちゃん、環境の変化に順応する生命の力を見る思いがする。
新聞の結婚
2011-01-22 21:51 更新
アメリカでは新聞の売れ行きが下がっている。日本では、雑誌は下がったが、新聞は少し下がっただけだと聞く。その理由は宅配制度にあるという。毎朝届けて貰う便利さと、朝開く習慣。それに勧誘に弱いし、まして長年とっている新聞を断るなんて、およそできない空気。その上、押し紙が相当あるのだ。新聞の販売に、このような慣習的宅配がなかったら、崖下へ転落、くらいな下がりかたをしているのではないか。新聞には、それほど魅力がなくなってきている。現実、猫のトイレのために要るもので、と言っている人もいるのです。
予想するに、そのうち新聞社の統廃合が始まるだろう。自動車業界や銀行や、デパートなどのように。デパートを見てみると、昔感覚の私なんか、のけぞるような結婚をしている。三越と伊勢丹の結婚など、その代表だ。昔の感覚で言うと、三越と伊勢丹では、まったく客層が違っていた。同じ客が三越と伊勢丹の両方を使うことはあった。しかし、その場合は用向きが違ったのだ。それが相違相愛の間柄かどうかは知らないが、結婚に漕ぎつけたということは、ある意味、釣り合いが取れたに違いない。
いまの新聞業界で、産経と読売、朝日と日経、毎日が合コンしたって全然驚かない。理由は、各社、似たり寄ったりの記事になっているから、だれとでも釣り合う。談合してるんじゃないかと勘ぐるくらい、似ている。
しかも、各系列のテレビのニュースがそっくりさんだ。見る気もしない、聞く気も起きない。すこし前までは、系列は縦の流れで連なっていて各局特徴があった。が、いまは縦横一緒、どこもここもうさんくさい談合団子だ。
基本的な談合団子に加えて、テレビのニュースなど、たるみきっている。ただの三面記事を流すだけだ、どうでもいいや、というつもりなのか。たとえば事件が起きたとしよう。「取材」の結果、放映した映像と内容は、こんな感じだ。
道端に立っている中年らしき、女性らしき人物の首から下。腹から上を映す。これに声。「ドカンて音がしたから出てみたら、パトカーが来てて」これっきりだ。一度ではない、あちこちの局で常識的にやっている。電波使うんじゃない、と言いたい。屑記事に紙使うんじゃない、と言いたい。
サンダルつっかけて出てみたら、隣のオクサンのほうが早くて、もう道に出ていて言った、ドカン、って音がしたのよ。聞いたわ。そしたらあそこに、パトカーがきてて。ほんと。やあねえ。
普通、これって取材と言わないんじゃないか。オクサンたちだって、ゴミ端会議では、もうすこし突っ込んだ話をしている。警察回ってネタもらってきて、記者クラブで言うなりに聞いて、おとなしくコピーして。メディアの腐敗。書き足りない。
予想するに、そのうち新聞社の統廃合が始まるだろう。自動車業界や銀行や、デパートなどのように。デパートを見てみると、昔感覚の私なんか、のけぞるような結婚をしている。三越と伊勢丹の結婚など、その代表だ。昔の感覚で言うと、三越と伊勢丹では、まったく客層が違っていた。同じ客が三越と伊勢丹の両方を使うことはあった。しかし、その場合は用向きが違ったのだ。それが相違相愛の間柄かどうかは知らないが、結婚に漕ぎつけたということは、ある意味、釣り合いが取れたに違いない。
いまの新聞業界で、産経と読売、朝日と日経、毎日が合コンしたって全然驚かない。理由は、各社、似たり寄ったりの記事になっているから、だれとでも釣り合う。談合してるんじゃないかと勘ぐるくらい、似ている。
しかも、各系列のテレビのニュースがそっくりさんだ。見る気もしない、聞く気も起きない。すこし前までは、系列は縦の流れで連なっていて各局特徴があった。が、いまは縦横一緒、どこもここもうさんくさい談合団子だ。
基本的な談合団子に加えて、テレビのニュースなど、たるみきっている。ただの三面記事を流すだけだ、どうでもいいや、というつもりなのか。たとえば事件が起きたとしよう。「取材」の結果、放映した映像と内容は、こんな感じだ。
道端に立っている中年らしき、女性らしき人物の首から下。腹から上を映す。これに声。「ドカンて音がしたから出てみたら、パトカーが来てて」これっきりだ。一度ではない、あちこちの局で常識的にやっている。電波使うんじゃない、と言いたい。屑記事に紙使うんじゃない、と言いたい。
サンダルつっかけて出てみたら、隣のオクサンのほうが早くて、もう道に出ていて言った、ドカン、って音がしたのよ。聞いたわ。そしたらあそこに、パトカーがきてて。ほんと。やあねえ。
普通、これって取材と言わないんじゃないか。オクサンたちだって、ゴミ端会議では、もうすこし突っ込んだ話をしている。警察回ってネタもらってきて、記者クラブで言うなりに聞いて、おとなしくコピーして。メディアの腐敗。書き足りない。
政権交代 森林オオカミ その他
2011-01-07 23:43 更新
第18号 2009年9月
18号から、コラムの壷猫を、随想の場「壷猫」とすることにした。17号で随想の場をつくったのだが、創刊号から鎮座している猫殿に頼み、随想の部屋主となって貰うことにした次第。
同じようなコラムのマウスは、パソコンのマウスを意味していて、デスクまわりの話題を担当してきた。ネズミは猫と同居で嫌がるかもしれないが、壺の底に同居して貰うことにした。
壷猫という名前には、由来がある。
「夢類」創刊より10年も前の遠いむかし、我が家の庭に黄河が流れていた。庭の南西に水源があり、大河は西から東へ向かい悠揚迫らざる流れをみせていた。水源は、中国から輸入された茶色の壺であった。もとは、漬物の類が詰めてあり、漬物を売るために日本に運ばれてきたらしい。この壺を傾けて、あたかも水が流れ出すような形にして庭の飾りにしていた。我が庭の大黄河は、この壺から発し、雨天の日にのみ悠然と流れていたのである。私は、自分の名前の文字、「泰」が中国の名山、泰山に由来するがゆえに、だろうか、果てしない夢を描き続ける中国大陸である。
ある日、雨天の黄河を眺めていたとき、この横倒しの壺の口に大きなギョロ目の顔が、はまっていた。絵に描いた顔ではない、これは生きている大猫だった。乾いている壺に収まって、庭を眺めていた。その日以来、空模様に関係なく、毎日いるようになった。こどもたちも喜んで、この大猫を「壷猫」と呼ぶようになった。壷猫は、ある日、突然現れたように、ある日、忽然と姿を消したが、いまは壺のなかに座りこんで、左利きの手にペンを握っている。いままで、1ページ、約700字という制限があったが、これからは無制限なので、壷猫殿の活躍を期待している。
皿 割 り
アキバの新商売、皿割り。八つ当たり商売。陶器の皿を買ってブースに入り、買った皿を叩き割る。500円の皿は、200円の皿より大きく1000円皿より小さい。
思い切りよく叩き割って、気持ちをスッキリさせるという商売が繁盛している。客は、せいせいしたと言う。
以前、私の友人が、学校のバザーで安物の陶器を買い集めていた。ハンパでない数を買う。そんなに買ってどうするの、いいのをたくさん持ってるじゃないの、と訝しがったら、割るためよ、と答えた。
これも以前の話だけれど、夫の転勤で海外にいたときのことだ、領事館だったとおもうが、そこにつとめている人の奥さんが、日本からノリタケのフルセットを持ってきており、これを、事あるごとに割っていた。
彼女の場合、ガラクタの瀬戸物を割ったのでは、とてもイライラを解消できなかったのだろう。
私には、これができない。よほど、貧乏性なのだろうか。いや、貧乏か金持ちかは関係ないのではないか。ガラクタ瀬戸物でも、割ったことがストレスが溜まる原因になってしまうと思う。
可哀想なドンブリだなあ、いちども御飯を入れて貰えずに、割られて捨てられる運命とは。なんて、涙が出てしまうと思う。うっかり割った皿だったら、いままでありがとう、と言ってねぎらうから、涙は出ない。
アキバでは、規格外の売れない商品を安く仕入れているのだ、と説明する。 売れなかったら、価値がないというのが、いまの世の中の常識かもしれない。
皿割りの場合、価値のない品物に、価値を与えたことで、すごいアイディアだと感心されている。お金に換算できないものに価値がない、という世の中に、私はハラハラする。価値とお金が結びつきすぎて、合体してしまっているのではないか。お金と関係ない価値を見直してみよう。
悪車は良車を駆逐する
名古屋で、ラッシュ時の渋滞にはまったことがあった。青信号が黄色に変わったので停止線で停車した。後続車のクラクションが聞こえた。短い音が、なにか苛ついている気配を感じさせた。
なんか違反したのかな、と不安になってバックミラーを見たら、激怒しているではないか。なにが、どうしたの? と、わけがわからなかった。
同じようなことが大阪でも起きて、次第に理解できるようになった。つまり、停まらないで交差点を抜けてしまえ、と、怒っているのであった。黄色でも停まらないのが常識らしいと分かってきた。青から黄色に変わる。それは
青と同じという認識で、ブレーキも踏まない。長い黄色も、同様に走り抜けている。黄色から赤に変わる。いくらなんでも、停まるであろう。これが停まらないのである。急いで走り抜ける一台、二台。これ以上は完全に真っ赤だ、いかん、となってはじめて停車する。
この現象に、腰が抜けるほどびっくりしたのは、いまから10年以上も前のことだった。私には、あんな真似はできないと思った。最後の1、2台は、赤虫じゃないですか。赤虫とは、赤信号無視のことである。 私の住んでいる界隈では、こんな態度はなくて、信号に従うのが当たり前だった。真面目で、行儀が良いのである。ところが、ところがである。最近、黄色になったばかりのとき、ためらう車がいなくなったことに気がついた。まだ黄色信号だ、といった空気で走り抜けてゆく。もっと驚いたことは「グズグズするなっ、とっとと行けぇ!」と独語大声、前車の尻に噛みつかんばかりに交差点に進入する我が車を発見したことだった。「悪貨は良貨を駆逐する」という、グレシャムが言ったとされる言葉があるが、いまどきの交差点では、行儀の良い車は、もたもたするな、と追いやられて消えるしかない。驚き呆れていた本人が、当然のように交差点に進入し、良い車を罵っていることに憮然とした次第。
取 説
最初、取説、と聞いたときは、? だった。前説、後説はわかるが、取とはなんなんだ?
ちなみに前説とは、シナリオ用語であって、物語の始まる前に、前置きをする、話を始める前に、説明をしておくことをいう。これから始まる冒険談は、実は作り事ではない、何を隠そう、この私が実際に体験したことであって、今際の際に、虫の息でしたためたのである、みたいなことをいう。これが前説で、後説というのは、推理小説では、しばしば現れる、あとから解き明かす説明のことである。ホームズさん、どうして彼女が犯人と分かったのですか? などと尋ねられると、それはだね、と説明をする、アレである。では、取とは? と、考え込んだ次第であった。 誰でも知っているのだった、私だけが知らなかった。取扱説明書。
脂 肪 痛
いつものように2階の机にいて、パソコンの画面と睨めっこをしていたある晩のことだった。力を入れていないのに、突然右の二の腕に激痛が走った。肘と肩のあいだで、普通の人なら力瘤ができる場所である、しかし。
私の場合は、力瘤はなく、かわりに豊かな脂肪がついていて力なく揺れている。目を背けたい部分だけれど、痛くてたまらず、観察した。腫れているわけでなし、外傷があるわけでもない。長男に電話すると、それは血栓かもしれないという。すぐにかかりつけの内科の先生に訴えた。
先生はお天気の話をしているかのように、ゆったりとおっしゃった。みんな、そうよ、同じよ。年を取るとそういうものよ。夜、手を出して寝ちゃだめ。冷えると痛むから、と先生。
冷えなんだわ。肩と腕を保護して、セーターを着て寝ることにした。しかし痛みは続くどころか強くなった。まるで針を通されたように痛みが肉の中を走るので、パソコンはおろか、何も手につかなくなった。ひたすら痛い、痛いをくりかえすばかり。ついに電話の受話器が持てなくなった。骨折予後の定期検診のときに整形外科の先生に訴えた。先生、ここの脂肪が痛いです。先生は、顔色も変えずにX線検査を指示。指示された撮影部位は腕ではなく首であった。だいたい本人が脂肪だ、と訴えているのにX線検査はないだろう、あれは骨しか映らないのだ。ところが、映像を見た結果、頸椎の石臼のような骨と骨の間が狭くなっていた。これが原因だという。びっくり。腕の脂肪と首の骨は、どこでつながるのかしら。
痛み止めの錠剤、血流を促進する錠剤、さらに薬によって胃を痛めないようにする錠剤、貼り薬を処方していただき、運動のメニューのパンフを戴いた。長時間、おなじ姿勢をとることが、肩凝りにつながるという。パソコンと読書が犯人らしい。え、これって肩凝りなの? なんだ、ただの肩凝りだったか、と私は笑った。顔は笑わなかったが、お腹の中で笑った。
処方された薬を朝昼晩、まじめに服み続けた。が、痛みは消えない。寝つけないし、ようやく眠っても痛みで目が覚めてしまう。深夜、胃袋が空っぽのときに、痛み止めの薬を飲むことは憚られた。我慢する。我慢を重ねるうちに気持ちが荒んでくる。肩凝りとは、これほど手強いものなのか。この時点で、ついに笑い事ではなくなった。自然と、尊敬する友人たちに訴えることになる。みんな勇んで教えてくれる。
なんといってもブロックが効くという。ブロックという、痛みを遮断する注射があるのだという。針治療もよい。マッサージのよい先生を紹介してあげましょう。治療院に一緒に行きましょう。ブロックなんかダメです。あれで死んだ人がいます。注射ならトリガー・ポイントへ一発。これで完治します、という人もいる。想像以上に多くの人が、肩や腰などの痛みで苦しみ悩んでいる、そして、それぞれ治療法を模索している、という状況がわかってきた。
おりしも、若い、多忙な友人からメールがきた。「テニス肘」になったという。これも腰痛、肩凝りと親類筋なので、以来、情報交換をして脱出を計ることにした。私は、彼女と性向が似ているので、共闘態勢を取りやすいし、効果も上がる。命に関わる故障ではないが、日常生活の質が低下する。確実に、非常に、低下する。私たちの場合は、どうも骨の故障よりも、筋肉の問題だとわかってきた。さらに、筋肉というものは、年令に関係なく衰えもするし、発達もするということがはっきりしてきた。
ここまできたら、あとは実行である。焦らない、時間を充分にかける。根気よく続ける。薬は必要に応じて用いるが、頼らない。とくに、痛み止めの薬は治療ではないのだから。根本は、自分自身のなかに隠れている力を呼び覚まして補強することである。やがて2週間置きの診察と投薬が1ヶ月おきとなり、薬は不要、これで卒業、となった。専念していたので、夢類の発行が遅れた。2月には出す、と意気込んでいた本号は、半年先になった。
いったい何をしたのか、と思うでしょう。それは、ありきたりの、だれでもしたことのある平凡な体操です。医師から渡されたメニューにしたがい、時間をかけて、丁寧に動かして行く。首の体操、肩の体操、肩胛骨の体操、筋肉の体操などが、順にイラストつきで出ている。これを抜かさず、はしょらず、ゆっくり実行する。朝、晩。ときには昼もやる。風呂で温める。
これだけ? そう、これだけです。二度と脂肪痛を繰り返さないように、この体操メニューは、これから先も続けるつもりです。
主語 …… 政権交代に寄せて
我が輩は猫である。
この文の主語は、「我が輩」である。猫の「我が輩」が、自分は猫だ、と伝えている。日常私たちは、堅苦しく主語をつけて話し合っているわけでもなく、しばしば省略する。源氏物語のように、そう、源氏物語の話術は、現代そのものなのだ、主語を省いて話し合い、正確に通じている。文章に書くときも省略することに慣れている。短文の場合は、なおさらである。
主語と選挙と関係あるか
今回の衆議院総選挙のとき、選挙前のTVの報道番組で「町の人の声を聞いてみました」というシーンが、各局で作られた。町の人の返事に「一度、民主党にやらせてみるのもいいんじゃないか」「民主にやらせてみたら」という発言があった。各局で、同じ意味の発言が、いくつも、たびたびあった。何回も耳にしているうちに、私は、いったい、この主語は誰か、と考えた。言うまでもなく、「私」であるということに気がついたとき、ああ、これは大変な事態が起こりつつある、しかも、意識しない底流の変化がすでに起こってしまっていると感じて、感動した。日本の国が始まって以来の、大きな変化が、ここに生まれていて、それを報道のマイクが、無意識につかまえているのだ。喋っている側も、もちろん、意識していない。はじめ私は、太平洋戦争に負けて以来の変化だ、と見たが、そうじゃない、これは明治維新以来の大変化だ、と考え直した。いまはちがう、日本の国が始まって以来の、はじめての「私」の意思表示だったと思う。
なにを言っているのかわからない、という方がいられるでしょう。
それは、従来の日本人の主語は「上」「お上」だったのだ、国政に関して。しもじもの「私」が、「やらせる」なんてことはなかった。政治を動かすのは、お触れを出すのは、民を左右するのは、上、オカミ、だった。夢にも「私」「我々」は出てこなかった。それが、ごく自然に喋っているのだ、「(われわれ国民が)させてみるのも、いいんじゃないか」これが、文字通りの民が主体、すなわち民主主義だ。省略しているがゆえに、発言している本人も、なかば無意識のうちに使っている「主語」が、本質を現した、劇的現象だった。
20歳ちょっとの頃だったが、私は泥棒に入られたことがある。留守中に、和服をほとんど盗まれてしまった。嫁入りのときに、母が持たせてくれた着物であった。しばらくして警察に呼ばれた。行くと、手書きの書類を見せてくれた。その書きつけは、ちかくの質屋さんが書いたもので、盗品と思われる和服を当店に持ち込んだ者がいたので、極めて安く受けておいた。お返ししますから、泥棒にかわって支払って欲しい、という文面であった。この宛名の所に、××警察、とは書かずにお上へ申し上げます、と書いてあった。
私は、自分の着物かどうかを確かめるために警察署にいたのだけれど、この書きつけに見入ってしまった。そのころは、役所は「お上」であったのだ。
泥棒のことですか? 掴まりました。
刑事さんは、手口を調べてすぐに、ヤツだ、と言った。母親の家へ寄るぞ、と言って夜通し張り込んで逮捕したのですが、独身の初老の男でした。前科13犯というプロの人で、刑務所に長くいたために独り者だったそうです。
明治維新の時は、人が殺され、暗殺され、混乱と犠牲のなかから、あたらしい明治政府が動き出した。近代国家の新政府に必要とされた大量の官僚を育てる目的で、国立の大学が作られ、優れた人材を送り出してきた。120年の間に、清新の気に溢れた組織に澱が淀み、腐敗臭が漂ようようになったのを、いま誰もが感じて、顔を背けるようになったのだ。
しかし、この状態を一新するためには、明治維新のときのエネルギー以上の、地殻変動のような底力が必要ではないか、それは、この、軟弱で、気力のない現代日本人には無理なんじゃないか。
私は、絶望感に満ちていた、敗戦後からながいあいだ、絶望しながら我慢していた。が、人ひとり殺すことなく、自殺することもなく、革命は起きた。やれた、と思った。では、なぜ無血革命が成功したのだろう?
いくつも原因、要因があるだろう。この夢類が発行されるのは、専門家が、多々指摘したあとだろう。
私は、こう思う。
原因は、インターネットをはじめとする情報伝達技術の飛躍的進歩にあると私は思う。これなしにはなかった。私は、百姓一揆を勉強して感じた。百姓一揆の企てが、山ひとつ越えること、川一本渡ること、この難儀さ、膨大な時間を要することを知った。また、一揆の企てを囁く声が、耳から耳へ、一日に五本の指に数えられるほどの人数に伝達されてゆく様子を勉強した。伝達には、膨大な時間と手数が必要だった。しかしいま、オバマ大統領が演説すれば、その日のうちに、どころではない、瞬時に世界中の人の耳に届くのだ。しかも、文字で音声で映像で。さらに、くりかえして。まさに地球というプラネットは、一昔前の山あいの村よりも小さなサイズにまで縮小してしまった。
オバマ大統領が誕生した。
誕生したオバマ大統領を見る世界中の人々。誕生させたアメリカ国民に注目する世界中の国民。チェンジ、と言う言葉の新鮮さ、力強さ、勢い、この言葉が運ぶ希望、これらの感覚を、地球全体が同時に我が事に引き寄せて感じ、考えた。高速回転で進む日々は、明日に目を向けてゆく。人の気持ちの動きも、最近とみに早くなっている。人の噂も七十五日、ではなくなった。十五日も持てばよい。「オバマさん」が既存の状態のひとつと化してゆくのに、時間はかからなかった。が、昨日のこととなったときは既に、人の心の中に、このチェンジ現象が、既存の状態として植えつけられてしまっていた。オバマさん熱が一段落した時期に日本の衆議院総選挙を迎えたのだが、このときは
もう、だれもオバマさん、を口にはしなかった。しかし、心の底に落ち着いてしまった新しい何かが、選挙のときの下敷きになった。
「させてみるのも、いいんじゃないの」。主語は、「私」だった。民主主義とは、こうこう、とか、一票は大切なんだ、とか、口を酸っぱくして説いても、聞かされても、効き目はなかった。それがいま、オカミ、なんて言ったら水戸黄門様ドラマだ。
開票速報をテレビで見ていた。ここでも、びっくりの現象を見た。それは、開票速報の途中経過を、外国のテレビが放送していたことで、誰それが当確、などと報道していた。どうして知っているかというと、それをさらに、日本のテレビが伝えてくれているからわかったのだ。このような情報伝達の早さが、時代を動かす大きな要素になったと思う。これから先、民主党が長期政権になるか、政治の行方はわからないが、ただ一点、「主語」だけは変わらないと思う。
森林オオカミ
北米系のオオカミ、森林オオカミを旭山動物園に見に行った。シンリンオオカミが3頭、飼育されていると聞いていた。「オオカミの森」という名の、オオカミ居住区域が、エゾシカの居場所と隣り合わせに新設されていた。シカとオオカミが対面できる機会を作ったのは、なかなか興味深いことではないかしら、オオカミにとってもシカたちにとっても。
金網のフェンスに貼り紙があった。貼り紙は手書きで、大きな喪中ハガキの体裁である。「クリス(メス)2008年3月3日、秋田の大森山動物園から来園。09年2月7日朝、闘争により死亡しました」
うす茶色のクリスの写真も添えられていた。喪中のお知らせによって、、来園した一般の人も知った。動物園が知らん顔をするか、単に死亡した、とだけ公開していたら、事情を知ることなく終わったことだろう。病死と想像したかもしれない。その点、旭山動物園は、暖かい思いやりや、愛情が行き渡っている。好ましい動物園。
この動物園に来てから、およそ一年、四歳の若さで命を落とした。この先、少なくとも十年は生きられたであろうに。哀れなことをした。2月に死んでいるということは、早春の発情期に、争いに敗れたのだろうか。自然の中で生きているのなら、彼等任せだけれど、人間に管理されている環境のもとでの闘争死は、人間に責任がある。囲いのなかに閉じこめられて、自由を奪われている命を守れないのだったら、閉じこめてはいけない。逃げられない状況に置いたのだから、責任を持つべきだ。
当初、クリスは、秋田県の大森山動物園から来園して、独り暮らしをしていた。そこへ、新入りとして2頭をいれた。この2頭の、どちらかがクリスの頸部を噛んで殺した。朝、飼育員が死んでいるクリスを見つけたという。3頭をまとめて飼うことに問題点はなかったのか。素人の私でさえ思いつくことは、兄妹を引き離したろう、ということである。大人になっている兄妹を別居させなかったのは、なぜだろう?
「オオカミの森」という良い環境をしつらえたがために、この基本が忘れられて、群を見て貰おうという欲が先に立ったのではなかったか。死闘を展開したのは、この狼たちの固有の性質ではない。種として、天然に備わっている本能である。住処の主であったクリスのところに、いきなり仲良し2人組が入ってきた。たぶん、デカい顔をしただろう。たぶん、クリスは、穏やかでなかったろう。ムカッとしたかもしれない。擬人化して想像しているのではない、心はヒトもオオカミも同じなんだと思っている。ケンのきょうだいのメリーは、ケンがクリスに優しくするのを黙ってみていただろうか。概してオスは、メスに優しい態度をとるものである。不穏な空気がみなぎったことだろう。
以前から、来園者が「クリス、頑張って」と声をかけていたと聞いた。毎日通っている来園者はない、ときたま見るだけでも、頑張って、と声をかけたくなる、そういう空気があったのだ。大人しいメスのクリスが、新入りの二人組に圧倒されていた様子が想像される。飼育係は、当然観察して、彼等の力関係を把握していたろう。いつか、必ず起きるであろう事態を予測することは、私だって出来たと思う。専門家が、いったい、何を、どう誤ったのか。判断力はどこへ消えてしまったのか。死なせないで済んだものを、みすみす死なせた。残念でたまらない。囲いの中から逃げる術のない弱者を見殺しにしたと非難されてもしかたがない。
命あるものとの付き合いは、純粋でありたい。
18号から、コラムの壷猫を、随想の場「壷猫」とすることにした。17号で随想の場をつくったのだが、創刊号から鎮座している猫殿に頼み、随想の部屋主となって貰うことにした次第。
同じようなコラムのマウスは、パソコンのマウスを意味していて、デスクまわりの話題を担当してきた。ネズミは猫と同居で嫌がるかもしれないが、壺の底に同居して貰うことにした。
壷猫という名前には、由来がある。
「夢類」創刊より10年も前の遠いむかし、我が家の庭に黄河が流れていた。庭の南西に水源があり、大河は西から東へ向かい悠揚迫らざる流れをみせていた。水源は、中国から輸入された茶色の壺であった。もとは、漬物の類が詰めてあり、漬物を売るために日本に運ばれてきたらしい。この壺を傾けて、あたかも水が流れ出すような形にして庭の飾りにしていた。我が庭の大黄河は、この壺から発し、雨天の日にのみ悠然と流れていたのである。私は、自分の名前の文字、「泰」が中国の名山、泰山に由来するがゆえに、だろうか、果てしない夢を描き続ける中国大陸である。
ある日、雨天の黄河を眺めていたとき、この横倒しの壺の口に大きなギョロ目の顔が、はまっていた。絵に描いた顔ではない、これは生きている大猫だった。乾いている壺に収まって、庭を眺めていた。その日以来、空模様に関係なく、毎日いるようになった。こどもたちも喜んで、この大猫を「壷猫」と呼ぶようになった。壷猫は、ある日、突然現れたように、ある日、忽然と姿を消したが、いまは壺のなかに座りこんで、左利きの手にペンを握っている。いままで、1ページ、約700字という制限があったが、これからは無制限なので、壷猫殿の活躍を期待している。
皿 割 り
アキバの新商売、皿割り。八つ当たり商売。陶器の皿を買ってブースに入り、買った皿を叩き割る。500円の皿は、200円の皿より大きく1000円皿より小さい。
思い切りよく叩き割って、気持ちをスッキリさせるという商売が繁盛している。客は、せいせいしたと言う。
以前、私の友人が、学校のバザーで安物の陶器を買い集めていた。ハンパでない数を買う。そんなに買ってどうするの、いいのをたくさん持ってるじゃないの、と訝しがったら、割るためよ、と答えた。
これも以前の話だけれど、夫の転勤で海外にいたときのことだ、領事館だったとおもうが、そこにつとめている人の奥さんが、日本からノリタケのフルセットを持ってきており、これを、事あるごとに割っていた。
彼女の場合、ガラクタの瀬戸物を割ったのでは、とてもイライラを解消できなかったのだろう。
私には、これができない。よほど、貧乏性なのだろうか。いや、貧乏か金持ちかは関係ないのではないか。ガラクタ瀬戸物でも、割ったことがストレスが溜まる原因になってしまうと思う。
可哀想なドンブリだなあ、いちども御飯を入れて貰えずに、割られて捨てられる運命とは。なんて、涙が出てしまうと思う。うっかり割った皿だったら、いままでありがとう、と言ってねぎらうから、涙は出ない。
アキバでは、規格外の売れない商品を安く仕入れているのだ、と説明する。 売れなかったら、価値がないというのが、いまの世の中の常識かもしれない。
皿割りの場合、価値のない品物に、価値を与えたことで、すごいアイディアだと感心されている。お金に換算できないものに価値がない、という世の中に、私はハラハラする。価値とお金が結びつきすぎて、合体してしまっているのではないか。お金と関係ない価値を見直してみよう。
悪車は良車を駆逐する
名古屋で、ラッシュ時の渋滞にはまったことがあった。青信号が黄色に変わったので停止線で停車した。後続車のクラクションが聞こえた。短い音が、なにか苛ついている気配を感じさせた。
なんか違反したのかな、と不安になってバックミラーを見たら、激怒しているではないか。なにが、どうしたの? と、わけがわからなかった。
同じようなことが大阪でも起きて、次第に理解できるようになった。つまり、停まらないで交差点を抜けてしまえ、と、怒っているのであった。黄色でも停まらないのが常識らしいと分かってきた。青から黄色に変わる。それは
青と同じという認識で、ブレーキも踏まない。長い黄色も、同様に走り抜けている。黄色から赤に変わる。いくらなんでも、停まるであろう。これが停まらないのである。急いで走り抜ける一台、二台。これ以上は完全に真っ赤だ、いかん、となってはじめて停車する。
この現象に、腰が抜けるほどびっくりしたのは、いまから10年以上も前のことだった。私には、あんな真似はできないと思った。最後の1、2台は、赤虫じゃないですか。赤虫とは、赤信号無視のことである。 私の住んでいる界隈では、こんな態度はなくて、信号に従うのが当たり前だった。真面目で、行儀が良いのである。ところが、ところがである。最近、黄色になったばかりのとき、ためらう車がいなくなったことに気がついた。まだ黄色信号だ、といった空気で走り抜けてゆく。もっと驚いたことは「グズグズするなっ、とっとと行けぇ!」と独語大声、前車の尻に噛みつかんばかりに交差点に進入する我が車を発見したことだった。「悪貨は良貨を駆逐する」という、グレシャムが言ったとされる言葉があるが、いまどきの交差点では、行儀の良い車は、もたもたするな、と追いやられて消えるしかない。驚き呆れていた本人が、当然のように交差点に進入し、良い車を罵っていることに憮然とした次第。
取 説
最初、取説、と聞いたときは、? だった。前説、後説はわかるが、取とはなんなんだ?
ちなみに前説とは、シナリオ用語であって、物語の始まる前に、前置きをする、話を始める前に、説明をしておくことをいう。これから始まる冒険談は、実は作り事ではない、何を隠そう、この私が実際に体験したことであって、今際の際に、虫の息でしたためたのである、みたいなことをいう。これが前説で、後説というのは、推理小説では、しばしば現れる、あとから解き明かす説明のことである。ホームズさん、どうして彼女が犯人と分かったのですか? などと尋ねられると、それはだね、と説明をする、アレである。では、取とは? と、考え込んだ次第であった。 誰でも知っているのだった、私だけが知らなかった。取扱説明書。
脂 肪 痛
いつものように2階の机にいて、パソコンの画面と睨めっこをしていたある晩のことだった。力を入れていないのに、突然右の二の腕に激痛が走った。肘と肩のあいだで、普通の人なら力瘤ができる場所である、しかし。
私の場合は、力瘤はなく、かわりに豊かな脂肪がついていて力なく揺れている。目を背けたい部分だけれど、痛くてたまらず、観察した。腫れているわけでなし、外傷があるわけでもない。長男に電話すると、それは血栓かもしれないという。すぐにかかりつけの内科の先生に訴えた。
先生はお天気の話をしているかのように、ゆったりとおっしゃった。みんな、そうよ、同じよ。年を取るとそういうものよ。夜、手を出して寝ちゃだめ。冷えると痛むから、と先生。
冷えなんだわ。肩と腕を保護して、セーターを着て寝ることにした。しかし痛みは続くどころか強くなった。まるで針を通されたように痛みが肉の中を走るので、パソコンはおろか、何も手につかなくなった。ひたすら痛い、痛いをくりかえすばかり。ついに電話の受話器が持てなくなった。骨折予後の定期検診のときに整形外科の先生に訴えた。先生、ここの脂肪が痛いです。先生は、顔色も変えずにX線検査を指示。指示された撮影部位は腕ではなく首であった。だいたい本人が脂肪だ、と訴えているのにX線検査はないだろう、あれは骨しか映らないのだ。ところが、映像を見た結果、頸椎の石臼のような骨と骨の間が狭くなっていた。これが原因だという。びっくり。腕の脂肪と首の骨は、どこでつながるのかしら。
痛み止めの錠剤、血流を促進する錠剤、さらに薬によって胃を痛めないようにする錠剤、貼り薬を処方していただき、運動のメニューのパンフを戴いた。長時間、おなじ姿勢をとることが、肩凝りにつながるという。パソコンと読書が犯人らしい。え、これって肩凝りなの? なんだ、ただの肩凝りだったか、と私は笑った。顔は笑わなかったが、お腹の中で笑った。
処方された薬を朝昼晩、まじめに服み続けた。が、痛みは消えない。寝つけないし、ようやく眠っても痛みで目が覚めてしまう。深夜、胃袋が空っぽのときに、痛み止めの薬を飲むことは憚られた。我慢する。我慢を重ねるうちに気持ちが荒んでくる。肩凝りとは、これほど手強いものなのか。この時点で、ついに笑い事ではなくなった。自然と、尊敬する友人たちに訴えることになる。みんな勇んで教えてくれる。
なんといってもブロックが効くという。ブロックという、痛みを遮断する注射があるのだという。針治療もよい。マッサージのよい先生を紹介してあげましょう。治療院に一緒に行きましょう。ブロックなんかダメです。あれで死んだ人がいます。注射ならトリガー・ポイントへ一発。これで完治します、という人もいる。想像以上に多くの人が、肩や腰などの痛みで苦しみ悩んでいる、そして、それぞれ治療法を模索している、という状況がわかってきた。
おりしも、若い、多忙な友人からメールがきた。「テニス肘」になったという。これも腰痛、肩凝りと親類筋なので、以来、情報交換をして脱出を計ることにした。私は、彼女と性向が似ているので、共闘態勢を取りやすいし、効果も上がる。命に関わる故障ではないが、日常生活の質が低下する。確実に、非常に、低下する。私たちの場合は、どうも骨の故障よりも、筋肉の問題だとわかってきた。さらに、筋肉というものは、年令に関係なく衰えもするし、発達もするということがはっきりしてきた。
ここまできたら、あとは実行である。焦らない、時間を充分にかける。根気よく続ける。薬は必要に応じて用いるが、頼らない。とくに、痛み止めの薬は治療ではないのだから。根本は、自分自身のなかに隠れている力を呼び覚まして補強することである。やがて2週間置きの診察と投薬が1ヶ月おきとなり、薬は不要、これで卒業、となった。専念していたので、夢類の発行が遅れた。2月には出す、と意気込んでいた本号は、半年先になった。
いったい何をしたのか、と思うでしょう。それは、ありきたりの、だれでもしたことのある平凡な体操です。医師から渡されたメニューにしたがい、時間をかけて、丁寧に動かして行く。首の体操、肩の体操、肩胛骨の体操、筋肉の体操などが、順にイラストつきで出ている。これを抜かさず、はしょらず、ゆっくり実行する。朝、晩。ときには昼もやる。風呂で温める。
これだけ? そう、これだけです。二度と脂肪痛を繰り返さないように、この体操メニューは、これから先も続けるつもりです。
主語 …… 政権交代に寄せて
我が輩は猫である。
この文の主語は、「我が輩」である。猫の「我が輩」が、自分は猫だ、と伝えている。日常私たちは、堅苦しく主語をつけて話し合っているわけでもなく、しばしば省略する。源氏物語のように、そう、源氏物語の話術は、現代そのものなのだ、主語を省いて話し合い、正確に通じている。文章に書くときも省略することに慣れている。短文の場合は、なおさらである。
主語と選挙と関係あるか
今回の衆議院総選挙のとき、選挙前のTVの報道番組で「町の人の声を聞いてみました」というシーンが、各局で作られた。町の人の返事に「一度、民主党にやらせてみるのもいいんじゃないか」「民主にやらせてみたら」という発言があった。各局で、同じ意味の発言が、いくつも、たびたびあった。何回も耳にしているうちに、私は、いったい、この主語は誰か、と考えた。言うまでもなく、「私」であるということに気がついたとき、ああ、これは大変な事態が起こりつつある、しかも、意識しない底流の変化がすでに起こってしまっていると感じて、感動した。日本の国が始まって以来の、大きな変化が、ここに生まれていて、それを報道のマイクが、無意識につかまえているのだ。喋っている側も、もちろん、意識していない。はじめ私は、太平洋戦争に負けて以来の変化だ、と見たが、そうじゃない、これは明治維新以来の大変化だ、と考え直した。いまはちがう、日本の国が始まって以来の、はじめての「私」の意思表示だったと思う。
なにを言っているのかわからない、という方がいられるでしょう。
それは、従来の日本人の主語は「上」「お上」だったのだ、国政に関して。しもじもの「私」が、「やらせる」なんてことはなかった。政治を動かすのは、お触れを出すのは、民を左右するのは、上、オカミ、だった。夢にも「私」「我々」は出てこなかった。それが、ごく自然に喋っているのだ、「(われわれ国民が)させてみるのも、いいんじゃないか」これが、文字通りの民が主体、すなわち民主主義だ。省略しているがゆえに、発言している本人も、なかば無意識のうちに使っている「主語」が、本質を現した、劇的現象だった。
20歳ちょっとの頃だったが、私は泥棒に入られたことがある。留守中に、和服をほとんど盗まれてしまった。嫁入りのときに、母が持たせてくれた着物であった。しばらくして警察に呼ばれた。行くと、手書きの書類を見せてくれた。その書きつけは、ちかくの質屋さんが書いたもので、盗品と思われる和服を当店に持ち込んだ者がいたので、極めて安く受けておいた。お返ししますから、泥棒にかわって支払って欲しい、という文面であった。この宛名の所に、××警察、とは書かずにお上へ申し上げます、と書いてあった。
私は、自分の着物かどうかを確かめるために警察署にいたのだけれど、この書きつけに見入ってしまった。そのころは、役所は「お上」であったのだ。
泥棒のことですか? 掴まりました。
刑事さんは、手口を調べてすぐに、ヤツだ、と言った。母親の家へ寄るぞ、と言って夜通し張り込んで逮捕したのですが、独身の初老の男でした。前科13犯というプロの人で、刑務所に長くいたために独り者だったそうです。
明治維新の時は、人が殺され、暗殺され、混乱と犠牲のなかから、あたらしい明治政府が動き出した。近代国家の新政府に必要とされた大量の官僚を育てる目的で、国立の大学が作られ、優れた人材を送り出してきた。120年の間に、清新の気に溢れた組織に澱が淀み、腐敗臭が漂ようようになったのを、いま誰もが感じて、顔を背けるようになったのだ。
しかし、この状態を一新するためには、明治維新のときのエネルギー以上の、地殻変動のような底力が必要ではないか、それは、この、軟弱で、気力のない現代日本人には無理なんじゃないか。
私は、絶望感に満ちていた、敗戦後からながいあいだ、絶望しながら我慢していた。が、人ひとり殺すことなく、自殺することもなく、革命は起きた。やれた、と思った。では、なぜ無血革命が成功したのだろう?
いくつも原因、要因があるだろう。この夢類が発行されるのは、専門家が、多々指摘したあとだろう。
私は、こう思う。
原因は、インターネットをはじめとする情報伝達技術の飛躍的進歩にあると私は思う。これなしにはなかった。私は、百姓一揆を勉強して感じた。百姓一揆の企てが、山ひとつ越えること、川一本渡ること、この難儀さ、膨大な時間を要することを知った。また、一揆の企てを囁く声が、耳から耳へ、一日に五本の指に数えられるほどの人数に伝達されてゆく様子を勉強した。伝達には、膨大な時間と手数が必要だった。しかしいま、オバマ大統領が演説すれば、その日のうちに、どころではない、瞬時に世界中の人の耳に届くのだ。しかも、文字で音声で映像で。さらに、くりかえして。まさに地球というプラネットは、一昔前の山あいの村よりも小さなサイズにまで縮小してしまった。
オバマ大統領が誕生した。
誕生したオバマ大統領を見る世界中の人々。誕生させたアメリカ国民に注目する世界中の国民。チェンジ、と言う言葉の新鮮さ、力強さ、勢い、この言葉が運ぶ希望、これらの感覚を、地球全体が同時に我が事に引き寄せて感じ、考えた。高速回転で進む日々は、明日に目を向けてゆく。人の気持ちの動きも、最近とみに早くなっている。人の噂も七十五日、ではなくなった。十五日も持てばよい。「オバマさん」が既存の状態のひとつと化してゆくのに、時間はかからなかった。が、昨日のこととなったときは既に、人の心の中に、このチェンジ現象が、既存の状態として植えつけられてしまっていた。オバマさん熱が一段落した時期に日本の衆議院総選挙を迎えたのだが、このときは
もう、だれもオバマさん、を口にはしなかった。しかし、心の底に落ち着いてしまった新しい何かが、選挙のときの下敷きになった。
「させてみるのも、いいんじゃないの」。主語は、「私」だった。民主主義とは、こうこう、とか、一票は大切なんだ、とか、口を酸っぱくして説いても、聞かされても、効き目はなかった。それがいま、オカミ、なんて言ったら水戸黄門様ドラマだ。
開票速報をテレビで見ていた。ここでも、びっくりの現象を見た。それは、開票速報の途中経過を、外国のテレビが放送していたことで、誰それが当確、などと報道していた。どうして知っているかというと、それをさらに、日本のテレビが伝えてくれているからわかったのだ。このような情報伝達の早さが、時代を動かす大きな要素になったと思う。これから先、民主党が長期政権になるか、政治の行方はわからないが、ただ一点、「主語」だけは変わらないと思う。
森林オオカミ
北米系のオオカミ、森林オオカミを旭山動物園に見に行った。シンリンオオカミが3頭、飼育されていると聞いていた。「オオカミの森」という名の、オオカミ居住区域が、エゾシカの居場所と隣り合わせに新設されていた。シカとオオカミが対面できる機会を作ったのは、なかなか興味深いことではないかしら、オオカミにとってもシカたちにとっても。
金網のフェンスに貼り紙があった。貼り紙は手書きで、大きな喪中ハガキの体裁である。「クリス(メス)2008年3月3日、秋田の大森山動物園から来園。09年2月7日朝、闘争により死亡しました」
うす茶色のクリスの写真も添えられていた。喪中のお知らせによって、、来園した一般の人も知った。動物園が知らん顔をするか、単に死亡した、とだけ公開していたら、事情を知ることなく終わったことだろう。病死と想像したかもしれない。その点、旭山動物園は、暖かい思いやりや、愛情が行き渡っている。好ましい動物園。
この動物園に来てから、およそ一年、四歳の若さで命を落とした。この先、少なくとも十年は生きられたであろうに。哀れなことをした。2月に死んでいるということは、早春の発情期に、争いに敗れたのだろうか。自然の中で生きているのなら、彼等任せだけれど、人間に管理されている環境のもとでの闘争死は、人間に責任がある。囲いのなかに閉じこめられて、自由を奪われている命を守れないのだったら、閉じこめてはいけない。逃げられない状況に置いたのだから、責任を持つべきだ。
当初、クリスは、秋田県の大森山動物園から来園して、独り暮らしをしていた。そこへ、新入りとして2頭をいれた。この2頭の、どちらかがクリスの頸部を噛んで殺した。朝、飼育員が死んでいるクリスを見つけたという。3頭をまとめて飼うことに問題点はなかったのか。素人の私でさえ思いつくことは、兄妹を引き離したろう、ということである。大人になっている兄妹を別居させなかったのは、なぜだろう?
「オオカミの森」という良い環境をしつらえたがために、この基本が忘れられて、群を見て貰おうという欲が先に立ったのではなかったか。死闘を展開したのは、この狼たちの固有の性質ではない。種として、天然に備わっている本能である。住処の主であったクリスのところに、いきなり仲良し2人組が入ってきた。たぶん、デカい顔をしただろう。たぶん、クリスは、穏やかでなかったろう。ムカッとしたかもしれない。擬人化して想像しているのではない、心はヒトもオオカミも同じなんだと思っている。ケンのきょうだいのメリーは、ケンがクリスに優しくするのを黙ってみていただろうか。概してオスは、メスに優しい態度をとるものである。不穏な空気がみなぎったことだろう。
以前から、来園者が「クリス、頑張って」と声をかけていたと聞いた。毎日通っている来園者はない、ときたま見るだけでも、頑張って、と声をかけたくなる、そういう空気があったのだ。大人しいメスのクリスが、新入りの二人組に圧倒されていた様子が想像される。飼育係は、当然観察して、彼等の力関係を把握していたろう。いつか、必ず起きるであろう事態を予測することは、私だって出来たと思う。専門家が、いったい、何を、どう誤ったのか。判断力はどこへ消えてしまったのか。死なせないで済んだものを、みすみす死なせた。残念でたまらない。囲いの中から逃げる術のない弱者を見殺しにしたと非難されてもしかたがない。
命あるものとの付き合いは、純粋でありたい。
人工的季節感
2011-01-07 23:40 更新
第17号 2008年2月
都会生活で味わう、豊かな季節感。
エアコンで最適化された環境の室内で、冷蔵庫と電子レンジが用意する朝食。
一年中買えるトマト・レタスで健康維持。
舗装道路の傍らは、街路樹と花の植え込みが美しい。
見頃に咲いたところでお目見えするポット花。
植えるというより並べられ、枯れる前に新しい花と入れ替わる。
春にも秋が、冬にも夏がある豊かさ。
季節はテレビCMにも溢れてる。
春の花粉対策の新型マスク。雛人形とランドセル。
お部屋探しも春らしい。ああ、春になったなあ。
夏が来れば、思い出させてくれる水虫薬と殺虫剤。
風邪薬と乾燥肌のクリームで、秋の深まりが身に浸みる。
年末気分は胃薬と忘年会。それから……
都会生活で味わう、豊かな季節感。
エアコンで最適化された環境の室内で、冷蔵庫と電子レンジが用意する朝食。
一年中買えるトマト・レタスで健康維持。
舗装道路の傍らは、街路樹と花の植え込みが美しい。
見頃に咲いたところでお目見えするポット花。
植えるというより並べられ、枯れる前に新しい花と入れ替わる。
春にも秋が、冬にも夏がある豊かさ。
季節はテレビCMにも溢れてる。
春の花粉対策の新型マスク。雛人形とランドセル。
お部屋探しも春らしい。ああ、春になったなあ。
夏が来れば、思い出させてくれる水虫薬と殺虫剤。
風邪薬と乾燥肌のクリームで、秋の深まりが身に浸みる。
年末気分は胃薬と忘年会。それから……
おれおれ詐欺
2011-01-07 23:37 更新
第16号 2008年1月
オレオレ詐欺という犯罪がある。
ATMを使いお金を振り込ませる手口であるところから、予防・防止の意味もあって「振り込め詐欺」と改名した。
が、やはりこれは、オレオレ詐欺という元来の名称の方が、実体を明らかに示している故に、適当と思う。
政治に関わる人々は言う、オレがオレが。
国民を安心させます。自立して共生しましょう。
格差をなくしましょう。生活を安定させます。環境問題、国際協調。
大きな宝箱の蓋を開けてみせて、みんなオレがやると言う。
オレに投票してくれたら、これをヤリ、あれもヤル。
彼等がなりふり構わず必死になり、目の色が変わるのを眺めたかったら、選挙に狙いをつけているときが見頃である。
伝統的正統派詐欺師の特徴である、口数の多さと、口元の笑いが見物できよう。
笑えば我利我利亡者の本心が隠れると思っている。
お宝箱は、選挙に「勝利」し、バンザイ三唱のあと蓋を閉めます。
国民は、巨大なオレオレ詐欺の網にかかっているとも知らず、彼等をもてはやしたり貶したりしている。
オレオレ詐欺という犯罪がある。
ATMを使いお金を振り込ませる手口であるところから、予防・防止の意味もあって「振り込め詐欺」と改名した。
が、やはりこれは、オレオレ詐欺という元来の名称の方が、実体を明らかに示している故に、適当と思う。
政治に関わる人々は言う、オレがオレが。
国民を安心させます。自立して共生しましょう。
格差をなくしましょう。生活を安定させます。環境問題、国際協調。
大きな宝箱の蓋を開けてみせて、みんなオレがやると言う。
オレに投票してくれたら、これをヤリ、あれもヤル。
彼等がなりふり構わず必死になり、目の色が変わるのを眺めたかったら、選挙に狙いをつけているときが見頃である。
伝統的正統派詐欺師の特徴である、口数の多さと、口元の笑いが見物できよう。
笑えば我利我利亡者の本心が隠れると思っている。
お宝箱は、選挙に「勝利」し、バンザイ三唱のあと蓋を閉めます。
国民は、巨大なオレオレ詐欺の網にかかっているとも知らず、彼等をもてはやしたり貶したりしている。
インドゾウ
2011-01-07 23:34 更新
第15号 2007年4月
インドゾウの牙が変化してきているという観察結果が報告された。
牙が短くなってきているという。
映像も出た。みたら、なんと、イノシシくらいの短い牙であった。
一頭、二頭ではない、インドゾウ全体の傾向であるという。
短くなってきた原因は、人間が牙を取るからだとわかった。
ゾウに分かるのか?
かりに分かったとして、ゾウの意志で短くできるのか?
ハチは、黒い色に反応して攻撃する。
黒色を攻撃する理由は、黒い頭髪の人種がハチノコを取って食べるから。
ハチに分かるのか?
自然は、生き残りをかけて変化する。
子供が少なくなってきているという。
働く母のために、託児施設を充実させるとか、金を配るとか、工夫、努力をしているけれど、
託児所完備、大金持ちだったら子沢山になるのか。
もしかして地球が、自然が、生き残りをかけて、変化を試みているのではないか?
インドゾウの牙が変化してきているという観察結果が報告された。
牙が短くなってきているという。
映像も出た。みたら、なんと、イノシシくらいの短い牙であった。
一頭、二頭ではない、インドゾウ全体の傾向であるという。
短くなってきた原因は、人間が牙を取るからだとわかった。
ゾウに分かるのか?
かりに分かったとして、ゾウの意志で短くできるのか?
ハチは、黒い色に反応して攻撃する。
黒色を攻撃する理由は、黒い頭髪の人種がハチノコを取って食べるから。
ハチに分かるのか?
自然は、生き残りをかけて変化する。
子供が少なくなってきているという。
働く母のために、託児施設を充実させるとか、金を配るとか、工夫、努力をしているけれど、
託児所完備、大金持ちだったら子沢山になるのか。
もしかして地球が、自然が、生き残りをかけて、変化を試みているのではないか?
痴呆の様態
2011-01-06 22:29 更新
第13号 2005年2月
痴呆の症状を三つに分類した先生がいる。(日本医科大学 竹内孝仁教授)
葛藤型 失禁や物忘れをする自分を受け入れることが出来ず、自分を取り戻そうとするタイプ
症状は、情緒不安定、粗暴行為。異食、過食。弄便(大便を弄ぶ)。
自己主張の強い闘争型の人に多い。
回帰型 活躍した良き時代の自分を取り戻そうとするタイプ。
女性は育児、家事。男性は働き盛りの時代に戻る。
症状は、徘徊。「家に帰らなければ」と外に出るが、現在の家ではない、過去の幸せだった頃の「家」に帰ろうとする。
若いときから夢に燃えて、人生を切り開いてきたような人に多い。
遊離型 自分の心の中だけに閉じこもるタイプ。
症状は、無為自閉(食事も自分で食べようとせず、介護者が口に入れても噛もうとしない)
独語(他人に反応せず、ひとりで笑ったりブツブツ言う)
若いときから難しい問題や複雑な問題を回避してきたような人に多い。
愚考するに、全ての人が三つのどれかに、必ず陥るものでもないだろう。
だが、着陸態勢に入った自分自身との付き合いかたに鍵が見つかりそうな気がする。
痴呆の症状を三つに分類した先生がいる。(日本医科大学 竹内孝仁教授)
葛藤型 失禁や物忘れをする自分を受け入れることが出来ず、自分を取り戻そうとするタイプ
症状は、情緒不安定、粗暴行為。異食、過食。弄便(大便を弄ぶ)。
自己主張の強い闘争型の人に多い。
回帰型 活躍した良き時代の自分を取り戻そうとするタイプ。
女性は育児、家事。男性は働き盛りの時代に戻る。
症状は、徘徊。「家に帰らなければ」と外に出るが、現在の家ではない、過去の幸せだった頃の「家」に帰ろうとする。
若いときから夢に燃えて、人生を切り開いてきたような人に多い。
遊離型 自分の心の中だけに閉じこもるタイプ。
症状は、無為自閉(食事も自分で食べようとせず、介護者が口に入れても噛もうとしない)
独語(他人に反応せず、ひとりで笑ったりブツブツ言う)
若いときから難しい問題や複雑な問題を回避してきたような人に多い。
愚考するに、全ての人が三つのどれかに、必ず陥るものでもないだろう。
だが、着陸態勢に入った自分自身との付き合いかたに鍵が見つかりそうな気がする。
鶏インフルエンザ
2011-01-06 22:26 更新
第12 号 2004年5月
2004.5
インフルエンザにかかった鶏たちが死んだ。猛烈な感染力。
人間が、鶏を袋に詰めて埋める。同じ鶏舎で飼われている生きている鶏も埋める。
袋詰めにして埋めるありさまをテレビで見る私。
人の手では動かせないほどの大袋を、クレーンで深い穴に降ろしている。
鯉たちが、おなじように大量に殺されて埋められていった。
牛が、可哀想な目に遭ったことは、だれもが忘れはすまい。
病厄から守るために処理しているのだ。しなければならない、一刻も早く。
飼育業者は嘆く、被害額のこと、経営のこと。
失った鶏も金、埋める手間も金。牛も金、鯉も金。
命はどこへ行ってしまったのか。命を大切にしましょう?
人に授かった命も、鶏に授かった命も、おなじ命。
鶏を暗所で飼育し、動きのとれないケージに閉じこめ、羽をなくしたりするのは、餌の費用の効率化や、柔らかい肉を好む客のためだ。
命に畏敬の念をもつ、あたりまえのことを忘れて、工場で生産した卵だと考えている。
地球は、人間だけのためにあるのではない。
2004.5
インフルエンザにかかった鶏たちが死んだ。猛烈な感染力。
人間が、鶏を袋に詰めて埋める。同じ鶏舎で飼われている生きている鶏も埋める。
袋詰めにして埋めるありさまをテレビで見る私。
人の手では動かせないほどの大袋を、クレーンで深い穴に降ろしている。
鯉たちが、おなじように大量に殺されて埋められていった。
牛が、可哀想な目に遭ったことは、だれもが忘れはすまい。
病厄から守るために処理しているのだ。しなければならない、一刻も早く。
飼育業者は嘆く、被害額のこと、経営のこと。
失った鶏も金、埋める手間も金。牛も金、鯉も金。
命はどこへ行ってしまったのか。命を大切にしましょう?
人に授かった命も、鶏に授かった命も、おなじ命。
鶏を暗所で飼育し、動きのとれないケージに閉じこめ、羽をなくしたりするのは、餌の費用の効率化や、柔らかい肉を好む客のためだ。
命に畏敬の念をもつ、あたりまえのことを忘れて、工場で生産した卵だと考えている。
地球は、人間だけのためにあるのではない。
フェミニスト
2011-01-06 22:22 更新
第11号 2002年8月
洗濯機を買い与えよう、これで家事が楽になるだろう、
このようないたわり心がある俺はフェミニストだ、という男がいた。。
家電製品の先頭を切ったのが洗濯機と電気釜。
数十年前の話だ。
いま、文部科学大臣、外務大臣ら女性の大臣が活躍する世になった。
あるとき総理が言った、「涙は女の武器だからな」。
これに異を唱える者が出たとき、総理は女性大臣の意見を求めた。
外務大臣は答えた、私も素敵な男性の前で涙を流してみたい。
ほらね、と総理は言った。
止むに止まれぬ悔しさで溢れた涙を、すり替えて茶化した。
嘘涙で男を翻弄することはありません、とどうして毅然と答えられなかったのか。
女性が女性を助けない。自分さえのし上がればよしとする。
テレビの前で多くの女性が、女性大臣が女性のためになんと発言をするだろうと固唾を呑んで注視した。
だいじな機会であったのに総理におもねった。
これまで、子供を育てながら社会で活躍してきた女性たちの多くが、夫ではない、母に支えられて社会に出た。
これからは仲間と助け合い共に進む世に変えていきたいと願うのだが、障壁は往年のフェミニストよりも、現在の外務大臣的女性にある。
洗濯機を買い与えよう、これで家事が楽になるだろう、
このようないたわり心がある俺はフェミニストだ、という男がいた。。
家電製品の先頭を切ったのが洗濯機と電気釜。
数十年前の話だ。
いま、文部科学大臣、外務大臣ら女性の大臣が活躍する世になった。
あるとき総理が言った、「涙は女の武器だからな」。
これに異を唱える者が出たとき、総理は女性大臣の意見を求めた。
外務大臣は答えた、私も素敵な男性の前で涙を流してみたい。
ほらね、と総理は言った。
止むに止まれぬ悔しさで溢れた涙を、すり替えて茶化した。
嘘涙で男を翻弄することはありません、とどうして毅然と答えられなかったのか。
女性が女性を助けない。自分さえのし上がればよしとする。
テレビの前で多くの女性が、女性大臣が女性のためになんと発言をするだろうと固唾を呑んで注視した。
だいじな機会であったのに総理におもねった。
これまで、子供を育てながら社会で活躍してきた女性たちの多くが、夫ではない、母に支えられて社会に出た。
これからは仲間と助け合い共に進む世に変えていきたいと願うのだが、障壁は往年のフェミニストよりも、現在の外務大臣的女性にある。
9.11 狂牛病
2011-01-06 22:15 更新
第10号 2002年2月
1) アメリカで起きた同時多発テロ 9.11
当初は、興奮状態のうちに、恐怖・不安・怒り・悲しみが渦巻き、それは、怒りとともに、報復へと向かう。
報復が始まると、罪なき者らへの被害に目が向き、報復批判となってゆく。
やさしい正義。
報復はやめよう、と、高らかに声をあげる人々は、理不尽にも殺されたひとたち、傷ついた人々への哀悼の心は、どのようにあらわすつもりなのだろう。
あるいは、それはもう、過去のことなのか。
惨憺たるテロの現場に、花束を立てかけ、ロウソクに火を灯したと?
それで、よし、としたわけか?
彼等を慰めるのは、これからなのだ、全然、済んでいはいないのだ。
それをなおざりにして先へ進むが故に、屍衣で綴る永遠の鎖を手放せないのだ。
報復は儀式としてでも遂行すべきだ、死者たちへ手向ける花輪として。
敵対する者が手を取り合うのは、そのあとのことだ。
2) もうひとつの言いたいこと。
狂牛病という、牛の病がイギリスでひろがり、その後、だいぶ年月を経た今年になって、日本で発生した。
人間にもうつるという、脳味噌が海綿のようになる病。
ヒツジの病であったが、病死したヒツジの肉を牛の飼料にしたが故に牛が罹病したといわれる。
肉骨粉という言葉をはじめて聞き、何物かを知った。血液も粉にするという。
もう大丈夫です。検査済みです。安全です。
だから美味なる牛肉を買って食べましょう。
豚・鶏には、たとえ肉骨粉を与えたとしても感染いたしません。
だから、ソーセージもゼラチンも、なんでも大丈夫。
大丈夫、を私は信じる。検査は万全。
しかし、私は食べたくないし、買う気持ちになれないままだ。
草を食むように生まれついた動物に、同輩の死体を粉にして食わせて太らせていたとは。
産業廃棄物のリサイクルだという。
邪道。
この、おぞましい行いを知って、すっかり、気落ちしてしまったのだ。
日本昔話に、餅の的という話がある。ご馳走の餅を的がわりにして矢を射て遊んだという話だ。
すると餅は、白い鳥になって飛び去ったという。
ちかごろ、食べる物を大切にする心が失われた。
度を超した美食。大食い競争。
狂牛病は、白い鳥かもしれない。
昔話は最後をこう、しめくくる。
そのことがあってからというもの、田畑は荒れはててしまいました。
1) アメリカで起きた同時多発テロ 9.11
当初は、興奮状態のうちに、恐怖・不安・怒り・悲しみが渦巻き、それは、怒りとともに、報復へと向かう。
報復が始まると、罪なき者らへの被害に目が向き、報復批判となってゆく。
やさしい正義。
報復はやめよう、と、高らかに声をあげる人々は、理不尽にも殺されたひとたち、傷ついた人々への哀悼の心は、どのようにあらわすつもりなのだろう。
あるいは、それはもう、過去のことなのか。
惨憺たるテロの現場に、花束を立てかけ、ロウソクに火を灯したと?
それで、よし、としたわけか?
彼等を慰めるのは、これからなのだ、全然、済んでいはいないのだ。
それをなおざりにして先へ進むが故に、屍衣で綴る永遠の鎖を手放せないのだ。
報復は儀式としてでも遂行すべきだ、死者たちへ手向ける花輪として。
敵対する者が手を取り合うのは、そのあとのことだ。
2) もうひとつの言いたいこと。
狂牛病という、牛の病がイギリスでひろがり、その後、だいぶ年月を経た今年になって、日本で発生した。
人間にもうつるという、脳味噌が海綿のようになる病。
ヒツジの病であったが、病死したヒツジの肉を牛の飼料にしたが故に牛が罹病したといわれる。
肉骨粉という言葉をはじめて聞き、何物かを知った。血液も粉にするという。
もう大丈夫です。検査済みです。安全です。
だから美味なる牛肉を買って食べましょう。
豚・鶏には、たとえ肉骨粉を与えたとしても感染いたしません。
だから、ソーセージもゼラチンも、なんでも大丈夫。
大丈夫、を私は信じる。検査は万全。
しかし、私は食べたくないし、買う気持ちになれないままだ。
草を食むように生まれついた動物に、同輩の死体を粉にして食わせて太らせていたとは。
産業廃棄物のリサイクルだという。
邪道。
この、おぞましい行いを知って、すっかり、気落ちしてしまったのだ。
日本昔話に、餅の的という話がある。ご馳走の餅を的がわりにして矢を射て遊んだという話だ。
すると餅は、白い鳥になって飛び去ったという。
ちかごろ、食べる物を大切にする心が失われた。
度を超した美食。大食い競争。
狂牛病は、白い鳥かもしれない。
昔話は最後をこう、しめくくる。
そのことがあってからというもの、田畑は荒れはててしまいました。
