文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
世相

コロナで思うこと その1

常日頃、国際社会の友好と繁栄を歌い上げながらも争いをやめない人々に、世界は一つ、という現実を見せつけてくれたのが、新型コロナウィルスの暴走だ。
人の体を乗り物として運ばれてゆくウィルスは、ほら、この通り国境なんて無意味ですよ、とやって見せているように見える。
各国のお頭が、自国の国民へ向けてメッセージを出している。皆真剣だ。受ける側も耳を傾けて聞き入る。
日本の総理大臣安倍晋三も言葉を発しているが、さて、どれだけ信用されるだろう? 
常日頃、言を左右に言い逃れ、詭弁を弄し、嘘をまことしやかに言いつのり、国会で野次を飛ばす人柄が、国民の皆さん、聞いてください、と言って誰が信ずる?
表向きは従いつつも、内心に不信の塊を抱えている場合、どこかに出口を求めるものだ。風評と呼ばれる諸々は、ああ言っているが、あれは嘘だ、という不信感が生み出し育ててしまう。

不思議だなあ

前からずーっと不思議だなあ、と思っていることがある。でも、喋ったことはないし、誰かが呟くのを聞いたこともない。
それは、日本の天皇一家の衣装のことだ。今月、パレードがあるとかでリハーサルなどの模様が映像に出るので改めて不思議感覚が蘇った。
それは正装の衣装が外国風であることだ。ローブデコルテとやらの、真似もの姿であることが、不思議でならない。
伝統に則った祭祀が行われる、その時にお召しになる和風衣装も揃っているのだし、首尾一貫して日本の天皇一家らしく堂々日本スタイルを通したら見事なのになあ。
日本は戸籍制度などのような古い体質を引きずっており、決して今時の世界水準ではない部分を抱えている一方で、うわべの真似姿をして見せる態度は、人まね小ざると揶揄されても返す言葉もなかりけり、だ。

乗用車の顔

車を正面から眺めると、左右に付いているヘッドライトが目玉のように映り、なんとなく顔のように見える。
私が持っていた車は、まん丸な目玉で、まるで笑っているかのような表情だった。私の仲良しさんが持っていた車も、車種は違ったけれど笑顔で小柄な車だった。
世の中に車が氾濫しているけれど、まん丸目玉で笑顔の車を見つけるのは難しい。本当に貴重な車だった。
顔と思って正面から見てみると、恐ろしや、目がつり上がり、歯をむき出し、噛みつきそうな表情をしている。いまどきの乗用車は、皆コレだ。
大型のトラックなどの仕事車は、そんなことはない。真面目な、四角張った表情で黙々と働いている。
なぜ、どうして、乗用車の表情を、これほどまでに獰猛なものにする必要があるのだろう?

入センター 続

日記で学校に通う子供たちが環境に順応してゆく有様の感想を書いたが、高齢者が新しい環境に入ることについては、考えがまとまらずにいる。
そこで、私が当地に住み始めて出会った、この土地の高齢者のことを思い返している。
縁あって400年前から住んでいる家庭とお付き合いをさせてもらってきたおかげで、その家のお婆さんの暮らしぶりに接してきた。
お婆さんは耳がよくて普通に話し合うことができたからテレビドラマの話もした。あれは見ない、と「おしん」というドラマについてハッキリ言い、だって同じだったから見るのがつらい、と。
農家を継いだ長男のお嫁さんは、やがて立派な高齢者となったが、超高齢お婆さんの仕事には手も口も出さない。
お盆さんが近づくとお盆飾りの素材を集めて庭に置くが、それ以上は手伝わない。お婆さんの働きで盆飾りが出来上がると、訪れる近所の我々に自慢する、
お婆さんのおかげでねえ。見てくださいよ、お婆さんしかできないんですから。
もう一軒の家でもお婆さんが超高齢になった。孫娘が勤めに出るようになり、勤め先の縁で布切れを持ち帰る。
これを細く裁断して、糸を通した針を針山に何本も差しておく。お婆さんは縁側に座り、腰紐を縫う。お婆さんから見ると孫娘のお母さんは息子の嫁だ。
高齢の嫁さんは、色とりどりの腰紐を並べて言う、どうか貰ってやってください。私たちは縁側に斜め座りをして雑談をし、腰紐をいただいた。
お婆さんは傍にお菓子箱を置いていて、下校する小学生たちにあげていた。これはウチの子から聞いて知ったことで、だから子どもたちはお婆さんが大好きだった。
いま、お婆さんは二人ともいない。なんだか風邪みたいだって寝たんだけど。寝込むたって2日。3日だったかな、亡くなってしまって。とのことだった。
どちらのお婆さんだったか、お二人とも同じようだったのだと思う、これはデイケアセンターとか、特養や老人ホームなどができる前のこと、昔話です。
今は、地域包括センターなどの車が走り回り、送り迎えをしている時代。
なんとかセンターの中では、きっと楽しいことだろう、和やかな笑いがあることだろう。でも、必要とされているか、どうか。
こんなことを思うのは、現実を知らない夢みるおバカさん、なのかしら。

寄り添う、という言葉

最近は、二言目には「寄り添う」というし、書きもする。
この表現は、体を相手に寄せて傍にいるという意味もあるけれど、最近多用される使い方は、相手の気持ちを理解し、共感する、というような精神的な意味合いで使われる。
二言目には寄り添うとやられるので、うんざりしている。コレで締めれば万事よろし。といった軽い空気がある。
寄り添う人は、常にいいもんの立場である。寄り添ったらもう、文句なしにいいもんである。
寄り添われた側の心情に、お構いなしに寄りついて、寄り添った側が喜んでいるだけ、という場合はないのだろうか?
もしかして、寄り添う側の人間の方が、誰かにひっつきたがっている、そういう場合もあるかもしれないと思うことがある。

最初に「相手の気持ちに寄り添ってみよう」と思いついて実行した人は、まことの開拓者だ。
これは良いと続く人たちも心根の良い人たちで、実行する力のある人は優れた人たちだ。実行することと思うだけの間の距離は、計り知れないほど開きがある。
心込めて実行している人たちのためにも、まるでコンビニで買ってきたかのような手軽さで、形だけのために使うのはして欲しくない。

高齢者の運転が危険だ、という問題を考えている。
超高齢者の親を持つ次世代家族が、親の免許返納を希望している場合、実態は寄り添うどころか、支配的言動である。
「やめさせるには」というのである。この表現を、個人が使い、メディアも多用し、当然だと感じているらしい。
生まれて間もない赤ちゃんに対するケア態度を超える一方的心情を持って相対する。危ないからやめなさいという単純明快さで迫る。
家庭内では、カメラもない、メディアもない、ブログに出すわけでもない、むき出しの心である。飾り言葉は使わない。

認知症の人にも、一瞬差し込む意識の光があると聞く。
重症の認知症の女性が、夜勤の係と交代して部屋を出て行く彼女の手首を掴んで、行かないで、と言ったと、彼女から聞いた。彼女は私の若い友人だ。
一瞬、開いた窓からのSOSの叫び。
運転歴何十年、ほとんど毎日クルマと付き合ってきた人がクルマと別れようとするとき、行く手には「この先行き止まり」の標識だけが見えている。
道を断たれた人の気持ちに寄り添ってくれる人が欲しい。「行き止まり」を、英語では dead end という。身にしみる言い方。
まだ死んでいるわけじゃない、運転ではない何かに希望の光を探しましょうと、まだらボケ高齢者の、まだら心に寄り添ってみよう。
クルマを取り上げてしまい、出て行くドアもない。これは無慈悲な暴力行為だと思う。

一方、まだらボケの側も、働き盛りの次世代の人たちの心に寄り添ってみよう。
若いもんたちは、とにかく今日にも事故を起こしたらただでは済まないと、切迫した気持ちでいっぱいなのではないだろうか。
思いやる力は、ゆとりがない場所では発揮する余裕も出ない。
明日と言わず、今日の午後にも事故るかもしれない親を思うと、ゆとりなぞ出るはずがない。大切な親だからこそ厳しい言い方にもなるのだ。

たとえば、クルマを止めて移動が不自由なら、病院へ通うためにタクシー代を出したらどうか、巡回小売があれば良い、などの提案もある。
ところが、まだらボケの超高齢者たちは、何の用事もない時に、自由気ままに動きたいのだ。こんな気持ちは理解されないどころか、封印されてしまう。
これはクルマを使わず、足で歩き回る徘徊と呼ばれる人たちの中にもいるのではないか。徘徊したいという気持ちが、私には身にしみるほどにわかる。
なんだ、これだったらクルマ続けるよりいいなあ、と喜んで出て行く世界が見えたら、ずいぶん多くのドライバーが明るい笑顔で次のステップに進むだろう。
ここはひとつ、お互い寄り添い合うことで、新しい道を探したらどうか。
明日から平成の時代が、次世代、新世代、令和に改元だ。
日本のこの伝統味豊かな風習にあやかり、価値観の転換を考えていきたいと思う。新しい道への鍵のひとつが価値観の転換だと思う。

千年一日の如し

どの国の人々にも、歩み、背負ってきた過去があって、意識下でそれを抱えた上での、今現在の判断があるのではないか。
こんな当たり前のことを改めて言うのは、最近の健康への強い関心の中で、究極の願いとしてあげられている二つのことを思う故だ。
その一つはピンピンコロリと死にたいという願い。もう一つは孤独死は嫌だという拒否感。
いいけど、この二つは矛盾した願いではないかしら。だって道を歩いていて発作が起こり、ころりと死んだとしたら初めの願いは達せられるが、孤独死が付いてくるでしょう。
わかっているけれど、二つ並べて念仏のように唱えるのは、その昔に、日本にはぽっくり寺というものがあり、今でも繁盛しており、元気いっぱいで暮らし、ある日突然、ポックリと死ぬことを願ってきたからだ。
もう一つの方は、伏せっている周りを取り囲んでもらい、息をひきとる姿こそ最上の死に方であるという観念が染み付いているからではないか。
「あいつは畳の上で死ねない」という言い方がある通り、悪事を重ねないまでも付き合いが悪くて、皆々に看取ってもらえない奴にはなりたくないという思いが孤独死を嫌がる気持ちに含まれていないだろうか。
この二つは医学が発達する以前から日本の風土に染み付いていて、イイモンは苦しまず、見守られて死ねる、悪モンはヒトリ寂しく死んでゆく、という因果応報の刷り込みだろう。
どれほど医学が進歩しても、究極の願いとなると原点に回帰するのではないか。ま、心のけもの道か。

万人が関わる生死については、こんなものさ、と茶飲話にしているが、このところ話題の日産ルノーの事件では、ふと長屋王の事件を思い出した。
古代と言って良い聖武天皇の時代の事件だ。
突然、一つの密告から始まり、長屋王とその一族が、あっという間に壊滅した事件だ。
折しも藤原一族が台頭してきている時代で、この事件を節目に藤原四兄弟の世となってゆくのだが、長屋王一族の中で、藤原家から嫁していた女だけが助けてもらっている。
この露骨なやり方は、当時はメディアがなかったにもかかわらず、一般人にも情報が浸透して行ったものと思われる。
一等地にあった長屋王の大邸宅跡は長い間放置されて、怨霊の祟りの数々が染み渡って行った。実際、この事件の後、藤原四兄弟は疱瘡に罹病して四人とも死ぬのである。
平城、平安の京の時代に怨霊が跋扈したのは、施政者側が怨霊や呪詛を用いて政敵を抹殺し、一方の一般人もまた怨霊のせいにして世の不条理に対して声を上げた、
つまり怨霊が存在して、これを恐怖しているものとは、誰も思っていなかったのだろうと思っている。怨霊は道具だった、と思う。
密告と突然の逮捕。本来なら自社の不祥事であるから恥ずべき騒ぎだ、鎮痛な表情であるのが自然だろうが日産の社長は、晴れ晴れと笑みを湛えていた。
これが、今まで通りに日本国内の事件で終わりになるのならば、数え上げるまでもない数々の同類事件の積み重ねの一つとなるだろうが、
今回は「昔」を共有しない外国が絡んでいる。
千何百年前の怨霊の代わりに、法律を使おうが、三権分立をひっくり返そうが、それだけでは収まらないのではないか。
「昔」の持つ力は根が深い。諸外国は根なし草ではない。それぞれの国に、それぞれの異なる昔の根があるのだ。

8月15日

8月15日。
玉音放送を聞いた直後、軒すれすれかと見えるほどの低空飛行の艦載機を見上げて凍りついた9歳の時の記憶が、どうしても8月の酷暑と重なってしまう。
天皇陛下の声のことを玉音と言い、天皇の顔のことを竜顔と呼ぶ。これが決まりだった、今は昔の出来事だ。
昔語りが多くなり恐縮だが、こんなことも覚えている。
私の子どもたちが、あの時の私の年齢であった頃のことだ、つまり一世代経ったことになる。
場所はカナダのトロントで、当時は日本人は少なく、子どもたちは現地の公立小学校に通っていた。その小学校に隣接して小さな図書館があった。
文字食い虫の私は、日本語の本がないので仕方なしに、この図書館に出入りしており、読んだ本の中に第二次世界大戦当時の記録本があった。こう書いてあった。
 1945年4月30日、ナチスドイツ総督、アドルフ・ヒットラーが自殺。戦争は終結した。しかし極東の日本は、戦争が終わったことを知らず、その後も戦いを続けた。
この部分を読んだ時の衝撃というか、唖然感というか、これは大きかった。
欧米の人々は、こういう風に受け取っていたのか、と新しいことを発見したような気持ちだった。4月30日から8月15日までの間に死んだというよりも殺された人々を思った。
ところ変われば事実も変わるということだろうか、事実、真実とはいかなるものぞや。今日まで黙っていたことですが、もう明日の命の保証もない年頃であるから、溜め込んでおくのをやめて放り出してしまおうっと。

防犯カメラ

過日の事だが、次男が小さなダンボール箱を持ってやってきた。茶を飲ませようか、コーヒーを淹れようか、とうろつく私に目もくれず、入ったばかりの玄関を出て行った。
ダンボール箱から取り出した真っ黒けの塊を上の方に取り付けている。何それ? と訊ねるまでもなく防犯カメラである事が知れた。あら、本物なんだな、だったら高かったろうに、まあ、とんだ出費をしてしょうがないわねえ、と、有り難いくせに文句を言いながら工事を見上げた。
実は少し前に地元の警察から聞き込みの警官が訪ねてきて、この界隈に空き巣の被害が出たので情報を集めているとのことだった。これにはびっくりして、たちまち取材モードにスイッチが入って質問を浴びせたが、必要最小限のことしか出さずに質問を続ける。玄関ポーチの防犯カメラを指して、あの中に記録があったら見せて欲しいと指さした。フェイク、それフェイクよ。
今度は本物だ、と大喜びだ。すごいではないか。パソコンから画像をチェックできる。守備範囲も広い。怪しいやつよ、来てみてごらん、頼りにしていた千早がいなくなって、猫の富士では当てにもできず、フェイクでごまかしていたがもう大丈夫。
事件の解決に、監視カメラが頻繁に登場する世の中になった。捜査に欠かせない機材であるという印象を受けるほどだ。
さあ、ここから先はどうなるでしょう。防犯カメラに100%寄りかかって安眠をむさぼっていることは危険ではないか。上には上、下には下があるというのが世の習いです。

長屋

最近のこと、近所のアパートが建て替え工事をしていて、今度は重層長屋になるという。
長屋? 長屋って落語に出てくる、あれのことかしら。まさか。いや待てよ、いまどきはレトロな長屋が人気なのかな?
つい先ごろまでは、こうした疑問が湧いた時はすぐに電話の前に座りこみ、誰彼に電話をして教えてもらっていた。ついでによもやま話で長電話となったり賑やかだった。今は、そうはいかない。様変わりした。
第一、電話がはっきり聞き取れない。相手は脳梗塞の予後で発音がはっきりしない、こっちは耳が遠くなっていて音が滲んで聞こえる。で、電話はさっぱりと諦めて留守電にセットして出ないことにした。これはおれおれ詐欺から身を守るための方法ではあるけれど、詐欺の心配よりも、息子たちを安心させるのに役立っている。大丈夫よ、出ませんからね、というわけだ。
ところで長屋は、グーグルで検索、ものの2、3分で解明されました。
共同住宅とは、階段・廊下・玄関・ホールなどを共同で使う住宅。マンションなどのことだ。
長屋というのは、共有部分を持たない住宅だという。直接道路に出る。知らなかった。重層長屋は一階と二階で一軒分となっていて内部に階段がある。要するに連結二階家。
それではアパートとはなんだろう。これは木造共同住宅で、鉄筋だったらマンションらしい。突き詰めてゆくといい加減な部分もあり、時代によって変化してゆくものでもあるらしい。
だったらいいなあ、重層長屋がレトロなご隠居さん時代のテイストを引き継ぎながら、最先端の電波設備を入れて暮らし始めたら、今時の人たちは縁台の代わりの何かを生み出すに違いない。

海外

日本では、外国のことを海外と表現する。海外旅行、海外進出、海外版などと使う。自分の国以外は全部海外だ、みたいな感じも受ける。
国の外を「国外」というのが一般的だが、日本は島国だから海を隔てた向こうにある地域や国家のことを海外というのだろう。
じゃあ、イギリスの人は? オーストラリアの人は? やはり海外というのだろうか、聞いてみたい。
歩いて国境を越えることができる国では、海外という表現が国境を意味するとは体感し難いのではないだろうか。
ナイアガラの滝の、一方がアメリカ側で一方がカナダ。ここに国境がある。国をまたいで立ってみた。
ナイアガラの大瀑布を眺めながら、左右の足で国境を感じたことを思い出す。
他になんか言いようはないのかしら。海外というたびに、ウチら島国だよ〜 みたいな気分が来てあまり面白くない。


一般人とは

昔から一般の人という言い方はあった。最近は一般の人とは言わない。一般人という。イッパンジン。いったいこれは誰を指して言うのだろう?
例えば、歌手とか、スポーツ選手とか、なんであれ有名な人が結婚する場合に相手を紹介する報道の仕方は、相手は一般人で、というふうに言う。それで私は一般人と芸能人という2種類に分けているのだろうと思っていた。
ところが共謀罪関係の報道が出るようになってから、対象は一般人は関係ないのだと書いてあるのをたびたび見た。
政府が指定する一般人とは誰を指すのだろう。芸能人は一般人に組み込まれるのだろうか。それともターゲットになるのだろうか。誰もが聞き慣れている言葉、誰もが使っている言い方だけど、それにもかかわらず輪郭がぼやけている。
自分が一般人であるのか、そうでないのかは、誰がどのような基準で判断するのだろう? 自分では決められないものであるのか? 
誰もが分かっているようで、はっきりしない一般人は不安定な存在だ。

煙草の話

煙草を好む人たちの肩身が狭くなって久しい。昔は「恩賜の煙草」というものがあった。天皇陛下が戦地へ赴く兵士たちに下したという、その煙草を見たことはないが、歌は知っている。恩賜の煙草をいただいて〜〜🎵 という歌。煙草は、たいそうな待遇を受けていたのだ。
禁煙の場所を作ることは良いことだけれど、際限もなく規制する傾向は、いささか常軌を逸しているように感ずる。こんな有様だったら、禁酒法みたいに禁煙法でも作るのかと思うくらいだ。煙草の火の不始末で火事が多いと言っていた。今は火災の何位なのかしら。
煙草を使えなくなって困っているのがドラマ作りだ。手持ち無沙汰になって格好がつかない。ここでシュポ。ゴルゴだけじゃない、大根たちはどうしてよいのやら、最近のドラマの間抜けた芝居ぶりはいじらしい。
いかにも煙草喫みを擁護するようだが、実は私の育った環境には1本の煙草もなかった。祖父、父が揃って煙草を遠ざける人だったから、客用の灰皿があるだけだった。昔話になるが小学校卒業の時、謝恩会の計画をして私も、その中の一人だった。先生のために煙草を買いましょうと、という話になったとき私は反対した。皆は煙草を嫌がる私を不思議そうに見て、取り合わず計画は進んだ。憤激した私は謝恩会をボイコットした。高校卒業の時の謝恩会も原因は忘れたが同じことをしたから、もしかすると私は腹をたてるタチだったのかもしれない。付け加えると、このエピソードをオープンしたのは今が初めてで、当時、謝恩会を欠席しても親は全く気付かなかったことも覚えている。親の目なんて、その程度の眼力である。
ところで前々から心配していることがある。油煙は健康に悪いのではないかということだ。家庭のレンジの換気扇の汚れは天ぷらやフライの油煙が多い。炒め物もある。この執拗な汚れが肺胞にこびりつく様は想像するだけで息苦しくなる。まして職業として厨房で働く多くの人たちの健康はどうなのか、このことが頭から離れない。

共謀罪

日本ペンクラブが声明を出した。この文章が簡潔で当を得ていると思うので、ここに転載します。
「共謀罪に反対する」
共謀罪によってあなたの生活は監視され、共謀罪によってあなたがテロリストに仕立てられる。私たちは共謀罪の新設に反対します。
 私たち日本ペンクラブは、いま国会で審議が進む「共謀罪(「テロ等組織犯罪準備罪」)」の新設に強く反対する。過去の法案に対しても、全く不要であるばかりか、社会の基盤を壊すものとして私たちは反対してきたが、法案の本質が全く変わらない以上、その姿勢に微塵の違いもない。
 過去に3度国会に上程され、いずれも廃案となった法案同様、いま準備されている共謀罪は、事前に相談すると見なされただけでも処罰するとしている。これは、人の心の中に手を突っ込み、憲法で絶対的に保障されている「内心の自由(思想信条の自由)」を侵害するものに他ならない。結果として、表現の自由、集会・結社の自由など自分の意思を表明する、あるいは表明しない自由が根本から奪われてしまう。
 しかも、現行法で、十分なテロ対策が可能であるにもかかわらず、共謀罪を新設しなければ東京オリンピックを開催できないというのは、オリンピックを人質にとった詭弁であり、オリンピックの政治的利用である。このような法案を強引に成立させようとする政府の姿勢を許すわけにはいかない。法案の成立を断固阻止すべきである。  2017年2月15日
                     一般社団法人日本ペンクラブ            会長      浅田次郎 
                                              言論表現委員長 山田健太
ここに書いてあるように、はっきりと言い切る表現を私は好む。あなたって、断定するのね、と非難めいて言われるけれど、あいまいな表現をされると虫唾が走る。
例えば、A案とB案のどちらが良いと思いますか? という問いの答えとして「Aのほうがいいかな、とか」という。主語は省略し、語尾はあいまいに溶かす。溶解だ、妖怪じゃないか。
イラっとして「じゃあ、あなたはA案に賛成ね。B案の欠点はどこかしら」と追うと、困り笑いをして「あの、ダメということではなくてですね、なんか、ただ、ちょっと」と答えとも言えないナメクジ言葉である。
共謀罪ってね、リバイバルなんですよ、私が思うには。危険ですよ。あなた、どう思う? と返事を待つ目で見つめてみましょう。美しい、古来の日本文化の結晶が揺らめいて見えます。穏やかな、あいまいな微笑。傷つけまいとする細心の心遣いに満ちた、ため息のような是も非もない相槌。そこはかとなく視線をずらせて言う、まあ、綺麗。梅がほころびました。

 

都知事選について尻馬

鳥越俊太郎さんが立候補したいきさつは知らないが、癌と闘い、命を長らえることができた、残された命、というよりも少しおまけに貰った命と感じていられるだろう、そのことは同じ境遇の人々だったら身にしみてわかるにちがいない。少し貰った大切な時間をつかい、東京をよくしたい。我欲で立候補しているのではない人だ、とは一目で分かった。老人問題、子育て支援もさることながら、彼だけが主張していたのは脱原発の方向性だった。これを東京都の問題ではないだろうが、とあざ笑う人が大勢いた。
冗談じゃない。日本各地を旅してみて欲しい。山また山。また山。その隙間にわずかな集落。産するもののない、温泉もない、宿もない、きれいな小川が流れるだけの寒村で、私は何度も聞かされたものだ、「見てみぃ。これぁ東京へ行くんだ」。
鉄塔と高圧線。山を越えて連綿と続く送電線は、東京の命綱である。
東京は、東京だけで東京をやっているのではない。他県のお陰で生きている部分が沢山ある、他県に迷惑をかけている部分だってあるのだ。そのひとつが原発だ。遠路はるばる送電すると相当なロスが出る、それでも遠路はるばる運ぶのは、東京で使う電力を都内で生産したくないからだ。身勝手な話だ。鳥越さんの視野は広く、温かい心がこもっていた。都民にはそれが見えなかったし、聞こえもしなかった。
折しもアメリカで大統領選をやっている。ヒラリー・クリントンと激しく争っていたバーニー・サンダースは、共和党との接戦にあたり、クリントンの応援演説をした。竹を割ったようなと喩えたい、清々しい、強靱な気性が見えて思わず拍手だ。いまは何が大切か、をわきまえている。それに引き替え、宇都宮健児は鳥越俊太郎を応援しなかった。たくさんの言い訳をしていた。色々あるのは当然だ。私が注目したのは、彼の言葉ではなくて彼の笑顔だ。すべての人の怒りの表情は似ているが、笑う表情はさまざまで、ここに人柄が出る。
彼の主張、思想に強く共感していたが、あいまいな笑顔をみて大失望した。なーんだ、小池と同じじゃないか、都知事になりたかった、それだけの人だったんだとわかった。小池百合子は「登頂」という目的を果たした。あとは旗を貰ったり撮影したりして、下山するだけの人。東京なんてどうだっていいのだ。軽蔑されて然るべきなのは、ほかならぬ都民だ。民度の低い、低脳、腐れ都民だ。

ポパイと二宮金次郎

「歩きスマホ」が危険である、止めるように、とさかんに言われている。スマート・フォンやタブレットを見たり操作しながら歩くと危ない、と注意している。薪を背負い歩きながら、寸暇を惜しんで本を読んでいたのが二宮金次郎だった。歩きながら何かをすることは昔からいろいろあったので、環境が激変したということだろう。二宮金次郎は天明時代の相模に生きた人だが、もしも今の相模原市にタイムスリップしたら、おお、歩くだけでも危ない、命が縮む思いだ、と驚くことだろう。
「ドーピング」問題もオリンピックを控えて世界的な問題になっている。スポーツは万人にとって清涼剤でもあるから、すべての国の優れた選手たちが気持ちよく競技できる環境を用意してあげたいものだ。ついでに言うと、勝つ、勝つ、金メダルだとあまりにもこだわりすぎるのではないか。勝者に対する「ご褒美」も、常識を越えたものになっているのではないか。
話を戻すと、ドーピングも今に始まったことではない。ポパイはほうれん草を食べると元気百倍、大活躍をする。ポパイはドーピング元祖ではないかしら。ポパイとオリーブには素朴で無邪気な夢がある。紛争とテロの日々、大きな戦争の暗雲を背後に感じつつ不安の心で生きる我々なのだ、せめてスポーツだけは素朴で、無邪気な世界に置いてあげたい、これこそ夢の夢だろうが、いつまでも手放したくない夢だ。

電車やバスに乗ると、あっちでもこっちでも小型の板ッ切れを手にしている。見つめている者、読んでいる者、操作している者、さまざまで、最近は老若男女あらゆる人種がたしなむのであります。なかにはイヤホンをつなげて聞き入る者もいて、板ッ切れの種類は多種多様。一昔前はすし詰め通勤電車のなかで新聞を広げる人たちが多く、いかに小さく折りたたんで読みたい頁を出すか、腕を競っていたものですが、まったく見られなくなりました。
代わりに目立つのが指先です。ネイルアートはさておき、若い人たちの指の、なんと細いことでしょうか。男女ともにです。とても器用で、細かい事に向きそうな指先。
戦後、いまどき戦後などというと場違いに聞こえますが、1950年頃から数十年の間に、日本人の身長は驚異的に伸びてきています。目安として、親より20センチは背の高い子供たちだと言います。さらに顎が細くなりました。私は電車に乗るようになり、若者たちの指先に目が留まり、あらためて生活の変化が肉体に及ぼす影響の大きさに気付きました。その気になってTVをみると、アナウンサーやキャスターなんかも、ほんと華奢な指してますよね。
このか細い、しかし器用な指先たちが一生のあいだ、キーボードを叩く、スワイプする、これだけで暮らせたら目出度しです。箸より重いものを持ったことがない人、という昔のたとえそっくりの姿です。
ある日、わが身の肉体だけが頼りだという場面に遭遇したとき大丈夫かしら。

水木しげる、あちらに移動

水木しげるさんが亡くなられた。昨日、京王線・調布駅を通りかかったところ、改札口に立て看板あり、深大寺行きバスの案内が出ていた。先年より市バスの車体に鬼太郎一族が描かれており、妖怪カフェもあり、深大寺には、もっとあるので多くのファンが集まるのだ。境港市と調布市の両方で、そして全国で親しまれている。
以前のことだが、仕事で水木家を訪問した人から聞いたのだが、膨大な量の資料に息を呑んだ、と言っていた。極貧時代の後、次第に収入を得ることができるようになったとき、彼がまっさきに手に入れようとしていたものは、日本の伝統資料だった。幽冥界、妖怪世界と付き合う生身の人間は、うっかりすると行ったきりになりかねないものである。まじめに危険なものなのだ。しかし水木しげるは、大丈夫だった希有の人である。冗談とユーモア、そして奥さんが、この世に3割の居場所を確保してくれていたのではないか。たぶん、今迄どおりに行ったり来たりなさるのではないだろうか。
鬼太郎は昭和の少年だ。半ズボンに、素足の下駄履き。チャンチャンコは鬼太郎が背負う伝統であろうか。このキャラクターは、それまで柳の木の下にいた「お化け」を、子どもたちの遊びの場に引き出してしまった。墓場で運動会。これでは怖くない。
この大転換は、たぶん成り行きから生まれて育ったものだろうと推測するが、非常に大きな出来事だった。私は、水木作品とディズニーが産みだした数々の古典作品の映画、たとえばグリムの映画を並べて考えており、この二つが世界中に及ぼした影響の大きさを思う。闇を闇でなくし、恐怖を消した水木。結末の悲劇・残酷性を消して王子王女の結婚などの幸せに変換したディズニー。
時代の流れから生まれる必然的変化であるかもしれないが、双方、「こどもたち」に与えているのだ、この力を。影響は、じわじわと現れつつある。どうする?

バスに慣れてきた

車で動いていたときは、前を走るバスを見ると瞬間、付くべきか、追い越すべきかを判断した。いまはバスを見ると、乗るべきか、歩くべきかを思案している。乗れば楽だが、歩けば健康増進である。駅までは下り坂、駅からの帰りは上り坂だから、帰りには乗ってしまう。乗るとすぐに優先席に腰掛ける。ジジババが活動する時間帯の10時から夕方前までは、遠い普通席まで辿り着くのが難儀な高齢者が乗ってくるから、優先席には坐らず普通席に行く。
通勤通学の時間帯に乗るときは、若者は、空いていても優先席には座らないから、迷わず優先席にいる。最近バスに乗り慣れてきて、こんな案配もできるようになってきた。
難しいのは老若ミックスの時だが、最近はこれにも慣れてきた。私は迷わず優先席に座ってしまう。バスは基本的に腰掛けて乗る乗り物であるから、空席があれば腰掛けた方が乗客全員が快適なのだと思う。途中で高齢者が乗ってきたときは、席を立って知らん顔をすることにしている。ジジババは、空いていれば喜んで坐るが、さあ、どうぞ、と言われると遠慮する人がいるからだ。ジジババには別種もいて、ムキになって普通席へ進んでゆく者がいる。優先席に空きがあり、若いモンが立っていてもおかまいなしだ。自分は、あんな所に座るもんか、という心意気が溢れている。
体力の衰えが先か、気配りの衰えが先か。これが問題だ。両方ボツになったら終点です。

一億

私は一億と言われるくらいイヤなことはない。聞いただけでゾッとする。お化けに出会うほうがまだマシだ。
私が一億が嫌いなのは、戦時中の生活に繋がるからだ。戦争中は、一億一心、二言目には一億、一億、お前等は一億の日本人のなかのひとり、ひとりなんだぞ、心を一つにしてお国のために我慢せよ、頑張れ、と言われ続けていた、あの暗黒時代を象徴するひとこと、それが「一億」だからである。当時、私は、本当は一億人はいない、でもおおまかにまとめて一億と言っているんだな、と思っていた。今は、人口は一億人を突破しているけれど、キャッチフレーズとして一億と言っているな、と見ている。
女性には「産めよ、増やせよ」とハッパをかけ、幼少の者には「銃後の少国民」と呼びかけて「欲しがりません、勝つまでは」と噛んで含めるように言い聞かせる人間も一億のなかの何人かであったが、それは国民の中の、ほんのひとつまみの者であり、彼らが国を私物化していた。
先日来、安倍晋三が一億揃って、とか、言葉の端々に一億、一億とくつつけて喋っていたが、今度の改造内閣で「一億総活躍担当」という大臣を作った。
あの、忌まわしい戦争の時は、単に声を上げるだけの事だったが、今度は違う。マイナンバーという代物を作り、国民一人一人に貼り付けるのだ。まさに一億鷲づかみ、が出来る。逃すことはない。
束縛が大嫌いな私が、拒否したとしたらどうなるだろう。納税ができない、選挙ができない、パスポートが取れない、ないないづくしで動きが取れなくなるのではないか。いいですよ、選挙に行きません、税金も納めません、国外へは出ない、と頑張ったとしても、たぶん、死ぬこともできないのではないだろうか。埋葬許可が降りないんですよ、などと言われるのではなかろうか。
こんなぼやきに笑っているあいだは、まだ呑気なものだ。そのうち笑えなくなるだろう。産まれた途端にマイクロチップを埋め込むことが法律で義務づけられて、一世紀のちにはチップの埋め込まれていない人間がいなくなる。
こんな時代が目の先まで忍び寄っていると思いませんか?

目くらましは通じない

安保法案を強行採決し、国民の反対を無視しきった安倍内閣は、新国立競技場の建設計画を白紙に戻すと発表した。次の参院選が不安になり、国民の意見を入れていますよ、と見せたいのだろう。競技場の話で、70年来の大事な国家の問題を目立たなくしようとする魂胆は汚い。テレビは悪質だ。いったん採決されたとなったら、まるでなかったことのように話題に出さない。毎年恒例の台風のニュース、そしてオリンピックのための競技場建設の話題で終始している。台風もオリンピックも、どうだってよいことだ。日本の姿勢を一変させる今回の法案をどう受け止めているのだろう。だいたい野党が小異にこだわりバラバラであるから力を結集できないのだ。野党を見くびる自民党とコウモリ党が放漫経営をしている。

火山国としょうがない

鹿児島の口之永良部島、新岳が今年5月に噴火した。神奈川の箱根山、大涌谷付近が警戒レベル3に引き上げられた。今日は富士山吉田口のお山開きの7月一日である。日本列島を私は、サラマンダーに重ねている。サラマンダーは、伝承の中にいる小さなトカゲのような生き物で、燃えさかる炎の中や、マグマの中に棲んでいる。火を司る精霊とも言われるが、日本列島の下にコレが棲んでいるのではないかと思ってしまう。
去年の御嶽山、今年に入って浅間山。箱根の地獄谷で真っ黒茹卵を売る人たちは、どうか納まって欲しいと願う日々、しかし相手は「お山」である。
無事安全に生かして欲しいと「お山」にお願いをする心が、折節の行事となり祭りとなっている。こればかりは政治家に文句をつけても動くものではない。そうなると「しょうがない」というところに行き着くか、祈るしかない。「お山」が気の済むまで噴火して鎮まるのを待つしかない。
私は、周囲の誰彼が、二言目には「しょうがない」という一句で議論を締めくくるのを、歯がゆい思いで聞いてきた。意気地なし。覇気がない。能力不足。腹の中に煮えたぎる不満が、それこそマグマのように蓄積されて、いまもある。諦める前に努力しようじゃないか。何とかしよう、と知恵を絞ろうよ。私はイライラと怒りながら思っている。
しかし、御嶽山から大涌谷までの、数珠つなぎに起こる噴火を前に、そうか、日本人の「しょうがない」という発想は根が深いのだなあ、と思い至った。中国では言う、虎より恐ろしい悪政。日本の場合は悪政より恐ろしい噴火なのかもしれない。

世界遺産・富岡製糸場

群馬県の富岡製糸工場が世界遺産になり、大工場の写真や、解説を見る事ができる。蚕の繭から糸を巻き取る工程はわかるけれど、あまりにも整然として別世界の感じがする。私は高校に入ったばかりの頃、稼働中のこの工場へ行ったことがある。戦後のこと、父が送風機を設計製作する会社を創業、経営していて、工場の換気設備を作ることになった、まずは現場を見ようと訪問したときに、私はお供でついていったのだった。機会のある度になんでもみせてやろう、という気持ちがあって、連れて行ってくれたのだと思う。父が打ち合わせをしているあいだ、私は工場の中、女工さんたちの生活の場、食堂などを見せて貰って過ごしたのだが、この時の印象が非常に強く、忘れられず、いまもって目の前に出てくるのだ。胸一杯になったことは、自分と同じ年齢前後の女性ばかりが働いていたことだ。湯の入ったボウルの中に繭がいくつか泳いでいる、これの糸口をつかまえて機械に掛ける、立ちっぱなしの作業。彼女たちの指は、10本とも真っ白だった。両手指を絶え間なく働かせなければ間に合わない、真っ白の指は、ふやけきった指であった。手袋のない時代。もうもうと立ちこめる湯気の工場内は息苦しい。独特の、強い繭の臭いで息が詰まる。当時の私は、結核にかかっていて登校はしていたが、体育の授業はできなかった、弱く、また暗い時代だったこともあり、この環境で少女たちが肺結核に冒されて行った状況を、自分の身体で受け止め、さらに高校生であることを申し訳なく感じた。畳の部屋に数人で寝起きする。食堂で食べるご飯。食堂の片隅に蠅帳があり、食べ残しのお皿が並べられていた。それは小皿に一口か二口分の煮付け、2枚のたくあん、そういうおかずを次の食事の時まで、大切に蠅帳に入れているのだ。親と会社の打ち合わせによって就職している少女たちは、現金を見たことがない、という述懐を、これは山梨で聞いたことがある。そんなに昔のことではないのです。

ブラックボックス

ブラックボックスという名前を知ったのは、航空機事故のときだった。これを事故現場から回収すると、いろいろな情報が読み取れるというので、それは凄いことだなあ、と感心した。これは旅客機に装備されているものであり、黒いどころか真っ赤だった。ブラックボックスというのは、箱の内容物が隠蔽、封印されていることを、ブラックホールなどのように喩えて表現したものだった。
これをきっかけに暮らしまわりのものを見たら、開くことができない箱、たとえこじ開けてみたところでちんぷんかんぷん、なにがなにやら分からないものが沢山あった。気がついたときはすでにブラックボックスなしには成り立たない暮らしになっていた。キーボード、マウス、リモコン、あらゆるボタン、みんな中身が分からないのに便利に使っている。自動車も自分でいじることができたのは大昔のことで、ボンネットを開けてもほとんど何もできない。あらゆる機械ものを修理に出しても、受けた側ができることは部品交換だけだ。ガレージでも電気店でも、部品が来るまでお待ちください、という始末で、技術者なんか不要になってきた。
利用は、あくまでも簡単になり、これなしには生活が成り立たない、という機械ものに囲まれて暮らすようになってしまった。
ブラックボックスが消滅したら? という世界を想像して、これに立ち向かえる能力を鍛えておこうと思う。
福島第一原発事故。4年経った。風化させるな、と声を上げる者がいるが、風化どころか緩慢な、見えない汚染は広がり続けていて、日増しに深刻な状況に陥っているのが現状だ。まだ、故郷へ帰れない人たちがいます、はやく帰れますように。という目先の優しさは、本当の手助けではないと私は信じている。結果は、孫、曾孫のその末にでるのを、承知の上ではやし立てて復興を勧めているのは誰なのか、なぜ勧めるのか、考えなければいけない。故意に放射能被害をブラックボックスに閉じ込めようとしている政策を許してはならない。この箱を作らせないようにするのは、事実を事実としてみる視力だ。見ず、清し、では済まされない。
広島、長崎の犠牲者たちが福島の上空に蝟集し、破滅的惨状のブラックボックスを見下ろし、わたしたちは、これに殺されたのだよ、と伝えている声が聞こえないか? 
見えないもの、触れることのできないもの、ブラックボックスが生活を支える一方で、ブラックボックスは、取り返しのつかない災厄を及ぼした。人の死を食い止めるブラックボックスはない。普通の人々を和ませ、安心して生きていられるようにする力は、ブラックボックスにはない。普通の人たちの、普通の感覚が世界を救うはず。

8月15日

アブラゼミの鳴く暑い日。この日がくると、6日、9日、15日について思いをめぐらせる。広島原爆、長崎原爆そして終戦の3日である。今年のテレビの番組表を眺めたら、ほんの一握りの時間を追悼式に割り振り、あとは民放を含めて関連番組を2,3拾える程度だった。当然だ、式典に出席する人たちは高齢で、孫、曾孫の時代に移っているのだから。
曾孫たちの年齢のときに、私は「終戦」と呼ばれたこの日を迎えたのだ、長生きできたお陰で、次世代の世の中を見ることができている。私は、あの過去を固定した記憶として回想しているのではない。毎年、少しずつ歩み続けている回想である。育てている記憶。マンハッタン計画に参加した科学者たちは、この日のことを知ったとき、どこで何をしており、どう感じたか。当時の敵国の指導者たちの反応。湯川秀樹は何を感じたか。当時、30代だった亡父が絞り出すように言った言葉(分かってたんだ、日本でも分かってたんだよ、それがあることを)。
今夜、映画「硫黄島からの手紙」を放映するというので、録画予約をした。2006年パラマウント映画、クリント・イーストウッド&S.スピルバーグ&R.ロレンツ制作、監督はイーストウッド。硫黄島が戦場だったとき、その場にジョン・フォードがいた、撮影隊として。これも、育てている記憶の足取りで出会ったことだ。このときに培った力を駆使して作った映画が「駅馬車」である。映画館で座席から腰を浮かすようにして見入った私は、ジョン・ウェインの名は知っていたが、ジョン・フォードは視野の外だった。硫黄島と結びつくはずもなかった。育ててきた記憶を手に持って振り返ると、名画「駅馬車」を見る目が横に移動して、1945年公開の名画「天井桟敷の人々」へ行く。食うや食わずで、出征兵士たちが続々と「死んで帰ってくる」あの年に、フランスで制作公開された長尺の秀作である。私はクリント・イーストウッドをよい監督として見続けている。この人は、たゆまず先へ進もうと努力する人だ。自分自身のハートを見つめ、対象と直結し得たときに力を出し切って作り上げる。
誰しも、よき過去ばかりを蓄えているわけではない。ないが、その後の歩みこそ、その人、その国家の肖像となる。

風評

風評被害ということが折りにつけ言われる。風評とは、風の便りではない、根のない噂が飛び交うことを言い、その噂によってあらぬ被害を受けるのが風評被害だ。ところで私は川崎市に住んでいる。他県へ出かけて、たまたまゴミの話題が出ると、お宅んとこはいいねえ。と言われることがある。なにが? と訊ねると、だって川崎は工場がたくさんあるでしょう、鉄鋼とか。溶鉱炉なんか凄い大きいんじゃない? ま、工場地帯はありますよ。で、それが何か? とまた訊ねることになる。答えは、「川崎市の家庭ゴミは、鉄鋼炉が燃やしている」。私はビックリして、まさか、そんなことがある筈、ないじゃありませんか、とムキになる。が、相手はひるまない。知らないの? ほかじゃあ、家庭ゴミは有料なんですよ。川崎市は無料じゃないですか。これが動かぬ証拠です。有料? 知らなかったわ、と私。被害を受けたとは感じないけれど、如何なものでしょう。

年金悲歌

年若い男性の友人にメールを送った。信じられないですよ、もう50歳ですって? すると返事が来て、53になりました。53……、ゴミでございます。沈んでいるようなので、景気づけに歌を送った。こういう歌であります。10や20は乳飲み子同然。30、40は洟垂れ小僧。50、60は花なら蕾。70、80こそが働き盛り花ざかり。また返事がきた。よかった、元気 になってくれたんだな。ところが、さらに沈んでいるではないか。いったいどうした。返事には、こうあった。50、60は咲かぬ花。70、80は、年金をアテにできませんからなあ、死ぬまで働きますわ。アリギリス
働き者のアリさんは、老後に裕福な暮らしが待っている。お話ではそうなるのだが、日本のこれからはちがう。アリといえども遊びほうけていたキリギリス同然となるのだ。
私は思うのだ、もう決まってしまったかのように、受け入れることを拒否して、何とか道を開かなければいけない。高齢者の皆さんは、身体が動かなくなっても、知恵を絞るくらいはしようではないか。

目先の競争

郵便局、銀行などの入り口で、二、三の人たちが前後して中に入ろうと歩いている場面。横を歩く人を、小走りに追い越して、一人でも先に入り、順番を取ろうとする人に出会うことがある。ほんとうに急ぎの用事ならば、何分か早めに家を出ればよかろうと思う。高速道で降りる場面。出口の標識が出て、左へ車線変更して出るのだが、出口近くなってから、やにわにスピードを上げて追い越しにかかる車がいる。いるというより多い。気が知れない。目先の、ほんの一人ふたりを追い越したい欲望。一台か二台を追い抜きたい欲望とは何だろう。

ソチ・オリンピック

ロシアのソチで開かれている冬期オリンピックが終わりに近づいた。テロが心配されたが順調に見える。このまま無事に終わって欲しい。女子スキージャンプの高梨沙羅選手は金どころかメダルなし、前評判ではメダル圏外にいたスキージャンプの葛西紀明選手が銀メダルと、いかに予想が予想に留まるかの見本のような競技だった。私はこれ以下はない、という運動音痴というか、できない、知らない、経験したことのない世界なので、どの競技も均一に眺め、興味津々で自己流に楽しんでいる。
オリンピックとは少し離れた関心事になるが、美しいフィギュアスケートは飽きることなく眺める。私は、以前に活躍したドイツのカタリーナ・ビットが気に入っていて、以後、もっとも気に入っていたのが安藤美姫だった。このふたりには国境を越えた優美さがあった。日本では今、浅田真央選手に絶大な人気が集まっていて、贔屓の引き倒しが案じられる程だった。フリーの演技が終わったときにインタビューに答えて「取り返しがつかないことをしてしまった」とショートで16位と出遅れたことを振り返ったのを聞いていて私は、本音を言葉にしたと感じ、心底哀れに思った。これほどまでに思わせたのは好意に充ち満ちた多くの人の力だろう。
「取り返しのつかないこと」は、ある。しかし今回の真央ちゃんが、一夜にして自分自身の内側から立ち直ったように、取り返しがつくことはたくさんある。じゃあ、ほんとうに取り返しのつかない事って、どういうことだろう。誰しも思うこと、それは「死」の手によって持ち去られた命だ。これこそ取り返しがつかない。夏目漱石も書いているように、それ(死)以外のことは、すべて喜劇と言い切ってもよい。
しかし、ひとつ付け加えるとすれば、として私はオペラ「カルメン」のワンシーンを置きたい。第一幕、カルメンが伍長のドン・ホセに薔薇の花を投げる。この瞬間、舞台に流れる旋律は「ああ、取り返しのつかないことになってしまった」という悲痛きわまりない、しかしなんとも甘美な味わいを持つ音色である。私は、何度聴いても聴くたびに胸が締めつけられる。引き返せはしない、取り返しがつかない。この旋律に、恋という雷に打たれた無垢の青年の命が乗せられて、破局へと流れゆくのだ。
それはさておき、どうしてこれほど真央人気が高いのか。どうして韓国ではキムヨナ人気が高いのか。私は、キムヨナさんの、いつもと変わりない演技を見ながら彼女にチマチョゴリを着せて見た。うなじの傾けよう、切々と腕を伸ばし訴えかける表情。これが似合うのだ、民族衣装に。勿論、他国の選手にも着せて見たがそぐわないこと夥しい。そして和服での舞い姿は、真央ちゃんでなければ似合わなかった。他国の選手では香りが立たない。それぞれの国の人々は、馴染んだ香りをかぎ取り味わい、楽しむ部分を持っているのではないかと感じた。真央ちゃんが表現力云々という評があるが、「和の心で舞う乙女」として眺めた場合、これ以上はないほどの素晴らしい「舞い」なのだと思った。おまけに真央ちゃんの顔は、おひな様そっくりではないか。おひな様の舞姿とも見えるほどだ。点数としてカウントされる技術の部分は、スポーツとしてやっているので、この感覚には関係はないことだ。

気のせいかしら

あまりテレビを見ないが、次男がくれたテレビが、びっくりするような美しさで、鮮明に見えるので、つい眺めてしまう。それで、気がついたのだけれど、自衛隊のどこそこの生活ぶり、お昼ご飯。消防隊の訓練、警察の新人たちの訓練風景。警察、消防、自衛隊、などの「日常生活」が頻繁に紹介される。またやっている、と思うが再放送ではない。次々に作るのだ。意図的にやっているのではないか、気のせいかしら。徴兵制度復活の下地を作っているのではないか。しかし、誰も、なにも言わない。

年末に喋ってしまおう

政治の人たちは、合い言葉のように国民のためとか、口当たりのよいことを言う ... もっと読む…

海外

海外、という。海外旅行、海外では云々、と言う具合に用いる日本の外の国々を指す言いかただ。島国の人たちは、自国から見た他国のことを海外と呼ぶのだろうか。イギリスでは何というのだろう。台湾では海外に当たる言葉があるのだろうか。頻繁に用いられて、しかも不思議に感じていない日本人。私は、これが始終気になっていて慣れることがない。
海の向こうは外。自分の国ではない。内と外の感覚が根にある。国境が陸地にないから、国境というものは海を隔てている、と同義語なのだろう。米国とカナダは同じ大陸の中にあり、国境には国旗が立っている,それだけである。ナイアガラ瀑布のカナダ滝とアメリカ滝を結ぶ橋の中央が国境である。歩いて一またぎで隣国へ行かれる。こうした国に住む人と、水平線のどこかに国境がある、と観念的に隣国を思う人とでは、立つ土台が違うような気がする。海外という言い方を使い出したのは、いつのことなのか。

テレビの進歩とマンネリ

これでも私は,多少のテレビを見物している。そのひとつに「お宝鑑定」がある。書画骨董、おもちゃ、なんでもござれである。自分の所有する宝物を披露、専門家が鑑定して値段をつけるという番組で人気がある。当初は、持ち主が単純に希望価格を言い、鑑定結果を出して貰っていた。結果が予想以上だと大喜び、案に相違して二束三文だと笑いが起きる。これが進歩して所有者に物語がつけられるようになった。たとえば親の形見だとか、借金のカタに貰い受けた焼き物だ、といった具合である。最近は、これがさらに進歩してきた。所有者が妻に内緒で,高額で購入した。もし千万円の宝であれば顔が立つ、という。客席にいる妻が、せいぜい三千円だと笑う。こうしたバトルを作り、ドラマにして見せるようになった。常に工夫を懲らして努力している長寿番組である。一方、超マンネリと言われる長寿番組がある。日曜の夕方、たった15分間の「笑点」という、落語家が座布団に座って並び、出されるお題に落語家らしい機知に富んだ答えをするもの。答え如何により座布団を貰ったり,持ち去られたりする遊びが一般に知られている。こちらは何一つ新しい仕掛けをしようとしない、いつも同じである。これがマンネリと言われる所以だが、人気抜群、これから先も続くだろう。どこがよいのだろう。それは視聴者に笑いをくれる、つまり視聴者を笑わせることをしてくれているのだ。当たり前に思うかもしれないが、昨今のどの番組を見ても、ニュースでさえも、この基本がない。出演している本人たちが、面白がって笑っているのだ。芸人だけでなくアナウンサーたちも、ひどいものだ。自分たちの茶のみ話の笑い方を、そのままやっていて気がつかない。そりゃ、あんたがたは面白いでしょう、でもこっちは白けてるんだよ、と視聴者がテレビをオフにしても、たぶん、スタジオで笑い転げているのだろう。「笑点」の落語家たちは、楽しそうな笑顔で芸を披露してくれているが、笑っているのではない。客に笑いを届けるという基本座布団から動くことはない。マンネリではない、立派な人たちだ。

「別れのワイン」を思い出す

九条ネギと芝エビ事件から刑事コロンボ「別れのワイン」を思い出した。これはコロンボのシリーズの中でも屈指の上質な作品として有名な作品。ワイナリー経営者エイドリアン役のドナルド・プレザンスは,英国空軍で爆撃機に乗っていた人、ドイツ軍の捕虜にもなった劇的な半生の後に、演劇に復帰した。「大脱走」では身分証明書偽造の職人芸をみせる役をやっているが、なんとも見応えのある演技をする。秘書カレン役のジュリー・ハリスは、「エデンの東」でジェームズ・ディーンの恋人役で知られた女優さんで、24歳のディーンを相手に30歳のハリスは見事だった。「別れのワイン」で、具体的な状況証拠がないなかで、犯人、エイドリアンが自白してしまう根本原因が、カレンに強要された結婚に恐怖を感じて、刑務所行きを選んだというところにあるので、秘書カレンが、このストーリーの結末を納得に持ってゆくために重要な役割を担っていた。この女にこの先死ぬまで束縛されるのか、という恐怖。この恐怖を表現したジュリー・ハリスの演技が素晴らしい。
それはさておき、エイドリアンが、ワイナリーのワインが高温でやられてしまったことに気がつくシーンでは、コロンボが注文したワインが「フェレイラのヴィンテージ・ポート、45年」というとびきりの高級品であったが、品質の劣化に気づいたのは、ほかならぬ経営者エイドリアンだった。コロンボは、エイドリアンとワインに対して、最初から最後まで敬意を持っている、それも伝わってきた。こうしたすべての複合体が名作を生んだ。
ホテルたちの偽装の数々は、経営者が発見したものではなかった。それどころか、我と我が身を偽り、承知の上で偽装をしている経営者も多々あった。料理人に転化する者あり、解釈の違いにすり替える者もでた。もしかすると、新メニュー発表の際に、経営者も試食をしていたのかもしれない。そして何ネギだか何エビだか、社長にも違いが分からなかったのかもしれない。名前だけ立派にすれば、馬子にも衣装、高額でいけると決めたのかもしれない。この話題のあとに、さっそくスーパーに九条ネギコーナーができたので見物した。なんのことはない京都のネギのことだった。関西は葉ネギで、葉の部分が柔らかく、これを大切にする。バカバカしい限りだ。
もともと、ブランドと高額ぶりをありがたがる有象無象が、喜んで消費してきたのだから、どっちもどっちの結果と言えないだろうか。

偽装

世間の動きに上の空でいたあいだに、大事な法案やホテルの料理の表示がおかしいなど、いろいろあった。最初、私が気がついたのは、九条ネギと表示していながら、似たような別のネギを提供していたというものだった。これは有名なホテルでの出来事で、なぜ発覚したかというと内部告発だったと言われる。その後、芋づる式に発覚が続いていて,このドミノ倒しのような現象は終わりがなさそうだ。上はホテルの高級レストラン、下は底なし。乾燥わかめを買い,水で戻したら黒色ビニールだった、というのは,どこの国の話でしょう。黒ビニールだったら、だれも口に入れないから,むしろお笑いぐさで済むけれど、2年半前から深刻に案じているのが、放射能の影響を避けられないのではないか、という深刻な偽装危惧である。九条ネギに苦情を述べ立てているレベルだったら冷笑ものだが、何度も繰り返しになるが、放射能の測定値は薄めれば低くなるのだ。まず外食産業が汚染される。つぎに一般消費者の買う小売り業界が汚染される。最近の小売りの表示が変わってきたことも、悪い予感を呼ぶ。たとえばイオンなどスーパーや生協の売る野菜の生産地表示が変わってきた。避けたい地方と、選びたい地方を並列に表示している。手にとって産地を確かめることのできる店頭ならば選べるが、生協のようにカタログで注文する場合は、複数広域の産地表示では、表示自体が無意味だと思う。芝エビが何エビだったとしてもどうでもないが、実害のある偽装が国家戦略としてまかり通っているのが現状だと思う。

読書感想

最近、読書評のブログを更新していない。読書評を書こうとしては、止めてしまう本が続いている。実際は、平均毎日1冊くらいは目を通しているのだが、元気が出ない。なかには書くほどのこともない、たわいもないものが含まれていて、たとえば「タネのない手品」という子ども向けの本などは楽しい本だった。新刊書の中で、最近読んだのが『検証東日本大震災の流言・デマ』という本。流言・デマに影響されないようにするには、どうしたよいか、見分ける方法は、という内容。ところが常識から一歩も出なくて、それはわかっているけれど、というだけのことだった。否定的な感想を並べるだけでは、ためにならないので止めてしまう。
大震災と福島原発事故以来、もっとも必要なことは、出所の明らかな事実の報道で、これが事故発生直後から現在に至るまで不足している。不信がつのり、事実までも信じられず、嘘と本当が判然としない。流言・デマを見分けたい、という欲求が増えている故に、そうした本が出版され始めているのだが、そこに答えはない。饒舌に書き散らして売りに出している本の中には、ヒットワードが賑やかに踊ってはいるが、見識も知恵もない。踊っているだけである。
私は、ここ2年半の間、加藤周一さんの著書『羊の歌』のなかにある、敗戦前の新聞記事を読む場面を思い出し、これを手本としてきた。若者の加藤周一さんは、特別のニュースソースを持たない一般大衆の一人である。新聞とラジオの報道だけで日本の行方を見つめている。その条件、状況で、日本は負けることが決まった、その日は近い、と新聞記事から掴むのである。どうやって? それは記事のなかに、それまではなかった「国体護持」の4文字を見つけたことだったという。

関東大震災

今年は、例年になく関東大震災についての報道が多かったので、私も吊られて当時の思い出話を記すことにした。子どもたちにも伝えていなかった、と改めて気づいたので、聞き伝えだけれども、記すことにします。
私の母は、大正元年生まれだから、関東大震災当時は12歳だった。住んでいたのは東京、高田馬場の木造平屋の一戸建てだった。その日は両親が出かけていて、母は弟と二人で留守番をしていたという。二人だけといっても、ねえやが居り、お昼ご飯ができました、冬瓜ですよと、言ったという。そのとき、揺れた。母の言い方は、「ねえやが冬瓜、と言ったときに揺れて、弟が壁の下敷きになってしまった」というものだった。私は、直立している壁の、どこにどのようにして下敷きになったのか、想像がつかないまま聞いていたが、今思えば、土壁が崩れ落ちて、木舞から外れた土塊に弟が埋まったということだったのだ。母は、弟を泥の中から引き出したが、大揺れの家の出口が見つからず、目の前の窓から表へ逃げ、小学校の校庭へ走った。母の母が飛んで帰ってきたとき、ねえやは潰れた家のそばで震えており、倒壊した家の隙間に母の赤い三尺が引っかかっていた。母の母は、その三尺を見るなり、子どもたちが死んでしまったと思い泣き崩れたそうだ。のちに母は、弟を助けて小学校まで避難してきた「業績」を褒められて表彰されたという。
いったん小学校へ集まったのちに、一家は本家へ避難した。本家は同じ高田馬場にあり、こちらの家屋は揺れただけで助かっていた。広い庭の奥の方に総勢がかたまっていたという。皆、喉が渇き、お腹も空き、スイカを手に入れたという。近くに畑がいくらでもあったという。さて、スイカを食べよう、包丁を台所から持ってきて切り分けよう、となったときに、誰一人として台所へ行こうとする者がいなかった。家は揺れ続けており、怖くて近づけなかったそうだ。母から聞いた話は、ここで終わっている。
その後、小学校でも、親から聞いた震災の話を、度々話し合った。地面が裂けて、大きな亀裂に落ちた話を覚えている。今回の東日本大震災のときも、水泳教室で集まったときに、関東大震災の話をし合った。横浜で震災に遭った話を始めて聞き、90年経った今も、この大きな震災は関東の人たちの間に生き続けていることを体感した。

婆たち その2

広島の日、長崎の日、そして今日、8月15日。たくさん思うことあり、婆たちどころではなかったのですが、その1だけでは半端なので、その2の婆についての感想です。
一人は野上彌生子さん。ご主人が夏目漱石門下の野上豊一郎さんで、主婦をしていた彌生子さんは、ご主人に小説作品を託して漱石に見て貰っていたそうです。ご主人が亡くなられてのちは独居、その住まいに鬼女庵と名をつけていたという。若い編集者が訪れると、山坂の急な道を住まいへ案内してくれる彌生子さんから、足下にお気をつけて、と声をかけてもらうという逆転ぶりだったと読んだことがあります。
もう一人は白洲正子さん。彌生子さんと合わせて2婆にした理由は、彌生子さんが99歳、正子さんは88歳という長命であったことと、彌生子さんは鬼女庵、正子さんは武相荘、とその住まいにも共通点があるからです。二人とも別荘として使っていたのではなく、日常の住まいであったことも共通しています。
武相荘は私の住んでいるところから車で20分足らずの鶴川にあり、四季の佇まいが洒落ていることもあって人気があり、いまでは観光バスが横付けされるほどです。ぜひ一度行きたいという車いすの友人のために、車いすモードで下見をしてみて、改めてびっくりしました。まず、入り口から、またいで入らなくてはならない。歩くところも飛び石多々、車いすを押して動けない。入場料に障害者割引はありません。車いすの用意もありません。裏が小山になっているのですが、もちろん登れない。農家を改造した母屋の中も段差につづく段差、まるで障害物の展示場のようです。説明して諦めて貰うしかありませんでした。
シモキタの三婆は強者(つわもの)ですが、こちらの二婆も強者、体力というか足腰が並ではない。最近、バリアフリーの建築が増えて、一般家庭も段差をなくすことに知恵を絞っています。室内の転倒事故は、バリアフリーのお陰でずいぶん減ったことでしょう。そこで私は考えた、二婆を見習い、バリア・オン・パレード・ハウスにしよう。
なぜか。二婆ははじめは強者ではなかったのではなかろうか。バリア・オン・パレード・ハウスで生活することによって強者になったのではなかろうか。畳のヘリほどの段差はなくした方がよいが、よいしょ、と力を出さなければ越えられない段差は、むしろたくさんあったほうが、鍛えられるのではないか、と思いついたのであります。
よって、私は、三婆から強烈無比の精神力を学び、二婆から逞しい体力づくりを学ぼうと考えた次第です。

婆たち その1

それほど遠くない昔、つい何年か前といってもよいころのこと、下北沢に三婆と呼ばれる名物婆がいた。三婆というのは、三人いたからで、私はふたりまでは覚えているが三人目を忘れてしまった。思い出したら追加します。
一番目は森鴎外のお嬢さんで作家の森茉莉さん。下北沢の借家というかアパートに独居していた。二人目は女優の千石規子さん。この方もシモキタにご主人とお住まいで、よく小田急線に乗っていらした。私は千石さんのご主人、森栄光氏から指導を受けていたので、千石規子さんは作品だけで知っている。そうだった、黒沢の映画にも出ていらした。森先生が亡くなられてのち、しばらくして亡くなられた。
森茉莉さんは、亡くなるまでマリーだった、パパのマリ−。ほうれん草を買ってきて共同の炊事場で茹でる。束のまま上の方だけをむしり取って使う。部屋の床が抜けて、凄い立派な家具が地面に沈んでゆくが、そのまま埋まってゆき、ついに見つからなくなってしまった、と担当の編集者が書いていた。千石さんは、一目で変わりもんっ、という身なりで、ショッピングカートを引きずって小田急線に乗ってきた。そのカートが大きくて、しかもそんじょそこらに売っているような尋常な代物ではない、藤蔓でできている異様なものである。子どもが見たら、魔法使いのお婆さんだ、と断定するだろう。
驚くべきことは、この姿が電車内に存在してしまうことだ。周囲の乗客は、その存在力に圧倒されて受け入れてしまう。言い換えると、目立つように、変わっている風に見せようと企んだあなたが、思いっきり変わった服装で街に出たと仮定しよう、自信がぐらつく、ちょっと恥ずかしくもなる、そういった弱さを抱えて歩き出したとき、見た人は笑う。へんなの、という目つきに出会う。止めとけばよかったかな、と後悔する。これが普通の人だ。しかし、これらの婆たちは強者である。一朝一夕に身につけたものではない、底力があって、自然にわき出してきた生活態度であり、思想であり、持ち物である。これで全部、ではなくて、ふとはみだしたものが他人にも見えている、それだけのことだから、揺るぎがない。シモキタは不思議な空間だ、若者が蝟集する一方で、こうした婆、爺が居心地よく棲息している。

参議院選挙

今回の参議院選挙に関して無言でいたが、いまもって頭から離れない。新聞各紙を仔細に読み比べると、意外と言っては失礼だが、スポーツ紙、産経、読売などのなかにも、非常にすぐれた記事があり、それは目立たないのだが、よい記者がいることを示している。TVの業界にもまじめに、本気で考えている人がいるのだが、表面に出しては貰えない。高齢になって時間がある故だろう、丁寧にみているせいであれこれが見えてくる。岩手の当選者、無所属の平野達男さんは自民党に入るだろう、と私は予想している。そんな些細なことはどうでもよいのだが、総力を挙げて操作し、大成功をおさめた選挙だった。
いまの日本は大政翼賛会の時代の再来だとしか思えない。陰湿に隠微に、しかし徹底的に封殺される正論。大政翼賛会のやり方は、まだ大っぴらだったが、いまの与党のやり方は卑怯下劣の人でなしだ。日本の行く手は、たとえようもなく暗い。
安倍政権は張り切っている。民主主義国家を表向きの旗印にしながら実は、NHKをはじめ主要新聞各社、メディアを抱え込み、一路独裁へ向かっていると思う。財務官僚は政治屋たちを手玉にとり、日本を動かしているのは、誰あろう、頭のよいわれわれだ、と腹の底から思い込んでいる。
こうした日本列島を覆う巨大な天蓋はアメリカだ。アメリカは世界中をドル建てで支配する。売りつけるのはオスプレイだけではない、原発も、シェールガスも売りつける。極東で放射能汚染が続く事態を意に介すると思うか。何十年後に日本人がガンで総倒れになっても、あらまあ、それはそれはと言うだけだろう。中国はヘナヘナになった日本を分捕りに来るだろう。原発を推進し、TPPで勝手口の鍵を渡した日本に残されている道とは、どういう道でしょうね。
対抗できる気力のない日本は、いずれ消滅するしかない、と残念だが、私は大まじめで思うのだ。なにが肝心と言って気力が大事だ。私は小説書きだから、言葉から人々の弱々しさ、無気力ぶりを読み取る。たとえば、「元気を貰った」「〜だったら、いいかな、と思います」という語尾。元気を得るのではない、貰うのである。なんとだらしがないことか。これこれだったら、いいかな、と断定を避けるが、願望はあります、と言う。虫ずが走る。誰かが使うと、共感する人々が好んで使うようになるのが言葉遣い。最近は誰もが断定を避けて、曖昧で尻切れトンボの言い回しを好むのだ。やっぱり言いたくなる、豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ!

色白美人

カネボウの美白化粧品が回収されて、国内だけでなく台湾でも回収しているとニュースで報じていた。色白になる効果がある化粧品が、まだらに白くなったのだそうで、使った人は色白美人になるどころか、深刻な悩みを抱えてしまった。もっとも、日が経てば消えてゆくというから、取り返しのつかないことでなくて、ほんとうによかった。それにしても、人はどうして色白を望むのだろう。人は、という人は、日本人は、であって、日本人の肌色はいわゆる健康色で、黒い、白いと騒いでも五十歩百歩だと思いませんか。大陸と違って温暖な気候の島国だから、肌は、いつも潤いを持っていて手入れ不要のよい環境だと思う。私は若いときからいままで、いわゆる基礎化粧品というものを使ったことがない。バランスの取れた食生活を心がける方が、よほど肌をキレイにすると思っている。だいいち、色が白いというだけで、肌がきめ細かくきれいだ、というだけで、美人という判定を下すのは、納得できない。豆腐顔が美人かしら。はんぺん顔が魅力的かしら。

福島汚染地域の動物たち

先日の講演「福島の動物と放射能」について、思うことが広がる一方なので、ともだちにメールで伝えたりしている。もっとも、ペンクラブでも、講演会に来た人数は、わずかであっても、参加者は書く人たちだから、何倍にも広がるだろうと予想しているらしい。ボランティアによって保護され、新しい里親のもとへ落ち着いた犬や猫たちは多い。しかし、これらの保護された犬猫は、放射能で汚染されていない。立ち入り禁止区域内の家畜、ペットなどは殺処分するようにというのが政府の方針だそうだ。
高濃度に汚染された地域内で、動物たちはいま、どのような状態でいるのか。その有様を1時間ほどの映像で見た。鶏舎内の鶏は全滅。牛、ブタは畜舎内で死んでいるもの、逃げ出して野生化したものがいる。畜舎内の惨状は目を覆うばかりである。舗装道路も草の道も、動物たちの死骸で一杯、そして放置されたままである。2年経った今、犬は、1匹もいなくなった。全滅。みな死んでしまった。猫はあちこちにいる。2匹、3匹と集まってじっと見ている。説明によると、これらの猫は2代目の猫たちであって、親猫は全部、死んでしまったという。死因は、飢えと、それ以上に病死だという。猫よりも犬の方が人間に密着して生きていて、それだけに生き抜く力が弱かったらしい。ブタはイノシシと仲良くなって、イノブタが増え、一団となって舗装道路を駆けてゆく。太って元気そうだ。牛はどうだろう。里山の裾、下枝を落とした杉林の直立した幹の向こうに牛の群れがいた。5頭、10頭、もっといる。これが群れを作って走ってゆく。牧場で、のんびり佇んでいる牛とは別の動物としか思えない。先頭の牛がカメラに気づいた、立ち止まり、カメラを凝視する。肩を上げ首を伸ばして鋭く伺う目つきは、緊張感に溢れた野生の目だった。野牛じゃないか、と驚いた。牛も、どぶ泥の溝に落ちて死んだり、慣れない自然の中でずいぶん命を落とした形跡があるが、野性に返った牛たちは放射能による深刻な影響……、白斑が毛並みに混じる症状を見せながら群れて生きている。ボランティアの力で、置き餌を続け、牛にはロールの干し草を置いている。これで生きていけるだろう、とは人の願いである。置き餌のおかげで、アライグマが異常繁殖し、これが強いのだそうだ。猫など近づけない。餌はアライグマの大繁殖に役立ってしまう。
殺処分せよ、というが、間違っている、と解説の人は言った。白斑、ツバメなど鳥にも異常が見つかっているのだから、調査研究すべきだ、殺してしまって蓋をするのは間違っている、という。野鳥の会の人たちは、野鳥を調査している。

芸能人・一般人

芸能人という人種がいる。芸能界で活躍している人たちのうち、表に出て顔の売れている人たちをいうらしい。芸能界にいても、裏方さんや事務所内で働く人のことは、芸能人とは言わない。アナウンサーが芸能人かどうか、このあたりが新しい境界かもしれない。ところで一般人とは何だろう。芸能を披露する人たち、それに対して、見る側の人を言うのだろうが、なんかヘンな感じがする。

老人ホーム

近所に有料老人ホームがある。何年か前に出来て営業しているのだが、何年経っても老人の姿を見かけることがない。私は、老人ホームが近所にできたら、お年寄りが郵便局へきたり、買い物に出歩いたりするだろう、話も交わせるだろう、と期待するのではないが賑わいを歓迎する気持ちでいた。ところが人の気配もないほどにひっそりと静まりかえっていて、建物周辺は掃除が行き届き、ゴミひとつない。介護、福祉関係の車がエントランスに駐車しているのは見かけるが、それだけしかない。
私がたまに行く病院では、車いすに乗った入院患者さんが花見に出ていたり、杖をついて散歩をしていたりする。私自身が入院していたときも、散歩に出るのが大きな楽しみになっていた。老人ホームの人たちのなかには、入院患者より元気な老人も少なくないのではないだろうか。どうして現れないのか、不思議で仕方がない。

世間知らず

乗り慣れぬ乗り合い車に乗る日々である。乗り合いバス、乗り合い電車。乗り合わせた人々を眺める。人々の姿が珍しくてしかたがない。あらゆるものが新鮮だ。
自分で運転していると、車の動きには注意を払うが、人間の服装や人相などは見ていない。だから服装はとくに興味津々で見つめてしまう。
学校の下校時間にバスに乗り合わせた。まだ黄色い声の少年たち。可愛いなあ。ウチの子、ついこの間、こんな年頃だったなあ。が、? と見直した。なんとネクタイをしているではないか。なに? ネクタイ? がきっちょである。ブレザーというのか、胸ポケットにワッペンみたいのがついている上着を着ている。グレイのズボン。まあ、かっこいいこと。何日かして、別のルートのバスに乗った。こんどのガキどもはダブルのジャケットだった。サイドベンツだ。合わせるボトムはグレンチェックみたいな品の良い柄物。ネクタイには細いえんじ色のストライプ。靴は黒革のスリップオン。
いつだったか、ニュースに「いじめ」事件がでており、ネクタイで締め上げた、と出ていたのを思い出した。読んだときは、どうしてネクタイが小道具に使われているのか理解できなかったのだが、なるほど、こういう子らが、こういう身なりをして学校に通っているのだ、とようやく納得した次第。
そこで女の子たちをそれとなく眺めると、どうやら制服は1種類ではなさそうで、いくつかの組み合わせができるように各種取りそろえてあるような気配を感じた。私は一枚のジャンパースカートで中学高校の六年間を過ごしたが、夜に寝押しをして、朝に畳の目の跡がついているのを着るのが習慣だった。背が伸びると裾上げを下ろして長くした。乗り合い車の中は、本を読むどころではない。

花盗人

筋向かいに住む、仲良しの奥さんが、あるとき教えてくれた。「泥棒は悪人よ。でも花盗人だけは、よい泥棒なの」だいぶ年上の人で、何事につけ教えて貰っているので、私は「そういうものなの?」と言った。「そうよ、あれは罪ではないのよ」と、彼女は胸を張った。しかし、以前にも、別の年上の友人から「嘘つきは悪いけど、嘘には赤い嘘と白い嘘があって、白い嘘はついていいのよ」と教えて貰ったことがあり、これは実はとんでもないことだった、ということがある。年上の女性に弱いのが私の性癖で、つい信じ、つい従ってしまうのだが、花盗人は、やはり、とんでもないことであります。
盗まれた人の嘆きの声を、立て続けに聞いて現場を見た。季節柄、冬の花壇のためにパンジーの苗を買ってきてプランターに植えた。近所の家のことだ。新種の珍しいパンジーを一鉢、高かったけれどひとつまぜて買い、プランターの目玉にした。ら、らら、それだけが、そっくり抜かれて消えた。何日と経たない朝、なくなっていた。もうひとりは、タネから育てる人。毎日、葉の数を数えて蕾を発見して、水やりが楽しみな人、今朝は咲くかな? とみたら根こそぎ抜かれて消えていたという。一度、二度ではないの、と嘆いている。盗んだ花を自分のプランターに入れて眺めて、楽しいかしら、と私が言ったら、そんな神経持ってる人は盗りませんよ、と苦々しい表情でため息をついた。

服装の怪

ここ2,3年のことだろうか、数年にもなるか、若い女性たちの服装が奇々怪々だ。何が奇怪かというと、下着のようなものを上に着ている。見て、かわいらしいとも格好良いとも、きれいだなあ、とも思えない。ひたすら落ち着かない取り合わせだ、と眉をひそめるばかりである。この夏に見かけたもののひとつに、厚手のタイツというかストッキングというか、その上に薄手の生地のショーツをはくスタイルがあった。黒いタイツに薄茶のぺらぺらした素材のショーツ。醜い、としか言えない。流行なんだから、というかもしれないが、装いの根本は、着ている本人が、いかに魅力的で、美しく見えるかにかかっているので、結果として、中身の若い女性が、それを着ることによって魅力を半減させられているとしたら失敗ではないか。厚手の生地の上に透けるような薄い布の衣装を着ること、それ自体は素晴らしく美しい。ただ、効果が出るどころか、惨めなことになっているのに、どうして気づかないのかしら。
もうひとつ、若い女性たちの佇まいが、ヘン。膝から足首にかけて、幼児のような、頼りなげなポーズをとる。健康で、しっかりとした体格の女性を見かける一方、ダイエットをしてしまうのだろうか、ひ弱で、体力のなさそうな、細いだけの子が目立つ。子持ちの女性にも、いるのだ。これは成熟した女性の姿ではない。ファッション誌を見ると、いるわ、いるわ、頼りなげな、かわいい風味の女の子たちが上目遣いに勢揃いをしている。人さし指をくわえておるのもいたので、こりゃあ、本気で幼児帰りかとため息が出た。

無言の行

スーパーのキャッシャーに並ぶ。そばに札が下げてあり「ポリ袋の不要な方は、この札を籠に乗せてください」と書いてある。この札を乗せると、キャッシャーの係の人は、エコバッグを持っている客だな、と了解してポリ袋を渡さない仕組みである。ポリ袋も節約なら、口を聞くのも節約である。
回転寿しに入った。店に入ったとたんに画面があり、そこに何人の客か、を入れる。二人だったら2と入れる。次にカウンター席か、客席か、どちらでもよいか、の3通りから選ぶ。混んでいる時は待ち時間が表示される。順番の番号が貰える。順番が来ると番号が表示される。かくしてカウンター席に落ち着く。ここでまた画面である。希望の寿司を選択、わさびの有無を選択、個数を選択、注文のところを押す。みそ汁、豚汁、茶碗蒸しも同様に注文画面を指先で押して待つ。いよいよ注文の寿司ができた、となると画面が注意音を発し、ベルトコンベアが運んできている事を報せる。食べ終わったらお会計のボックスを押す。すると店員が来て皿数を数え、会計の紙を渡してくれる。口を動かすのは食べる事と、茶を飲む事のためだけであり、声は必要ない。もっとも私は支払いのときに「ごちそうさま」と言いますけれど節約ぶりは極まっている。
自販機で買う、券売機で乗車券を買う、券売機も使わずカードで用を足す。このような前触れが長く続いてきたから、この現象をヘンとは感じないで、むしろ気が楽で好きなんじゃないだろうか。もっと増えて欲しいと思う人も多いかもしれない。相手の目をしっかり見て話す、という仕草がおっくうというよりも負担になってきている人たちが増えてきたと思う。

生きている水

3.11以来、水道水を飲まず、自然水を汲んで使っている。山地の多い日本列島は、無数に湧き水があるが、都会の人間は、自分だけが知っているという穴場を持たないから、どうしても人の集まる水場へ行くことになる。私は4カ所を、その都度変えながら回って水を汲んでいる。そのうちの2カ所が深層水で、あとの2カ所は表層水だ。水汲みの人たちは、タンクに1個2個とかペットボトル数本というのならかわいいものだが、タンクを10個、20個、などというのはザラである。ペットボトルも、6本入れたダンボール箱を10箱20箱と持ってきて水場を独占するから行列ができる。大家族なのか、レストランか、売るのか。私にはわからない。ともかく私も水を汲んで持ち帰り、流しの脇に置いたタンクに入れて使ってきた。ところが、ふと見て息が止まった。タンクの内側が薄緑色なのだ。洗って入れ替えているのに。苦労して汲んできた水だと思うから大切にして、何日も使うのが問題なんだと思った。自然水をそのままポリタンクやペットボトルに閉じ込めたから、死んでしまったんだと感じた。市販の水は加工されている水だから自然水ではない。湧き水も地下水も、川の流れも常に動いている、生きている。日本の豊かな水は軟水で、美味しい水、生きている水なんだと、あらためて思った。

歩くミイラ

千早がいたときは、自宅周辺をくまなく歩き回った。ふたり一緒だから、のびのび散歩ができたし、冒険もできた。千早がいなくなってから、ひとり歩きをしてみたが、虚しいったらない。徘徊とまちがえられる、ことはないにしても、この通りに用があるの? とうさんくさい目で眺められるのは面白くない。ここはなんだろう、と通り抜けできない道に入る私も悪いのだが。
湖畔は、単純一本道だし、散歩人間、ランニングの人、サイクリングの人、あるいは釣人、富士山撮影の人だから気楽である。なるべくこちらから、おはよう、と声をかけることにしている。外国の人の場合は、なおさらである。よくまあ、日本にいらっしゃいました、の気持ちで、おはよう、という。一般の観光客は、都心の通りと同じ感覚で、挨拶など思いつかないらしい。こういう人たちはすぐ分かるから、たがいに知らん顔をしている。土地の人や、住み着いている人たちが、よく挨拶をする。何度か、頭を下げるだけのすれ違いを繰り返してきた犬連れの人が、今朝はいい富士だね、といきなり言うときもある。楽しい。
ミイラ? そう、このなかに時折ミイラが混じっているのだ。歩くミイラである。ほとんど、というより私は女性らしきミイラしか出会ったことがないのだが、まず、目深に帽子をかぶっている。サングラス、巨大マスクをしている。夏だろうと長袖、手袋をしていることもある。足先まで完全に包まれている。これをミイラと言わずしてなんと言うのか。ミイラではないか。おはよう、と声をかけたくても相手の表情は、完全に覆われていてわからない。手振りそぶりもない。無関心派の都会人は、視線を送って来ないことがはっきりわかるので、問題ないのだ。まったく分からないと、対するこちらは、どういう態度に出てしまうか、というと、ミイラに対する視線となってしまうことを発見した。つまり、ためらうことなく眺めてしまう。生きている人間扱いをしなくても許される気がするのだ。
ネットに日常の困ったことなどを提示して、意見を言い合う場がある。そのなかに、近所の人たちとの人間関係が苦痛だ、という相談があった。これに対するアドバイスの一つに、大きなマスクをして、大型のサングラスをかけるといいよ、と言うのがあった。安部公房の小説『箱男』の時代から『ミイラ女』へ時代は変貌する。

カラスとハクチョウ

烏と白鳥の観察が「世相」に分類されるかどうか疑問だけれど、両者の違いは黒白だけではない。烏は、おしなべて仲が良く、烏同士の争いというものを、私は見たことがない。ほかの鳥を追いかけたり、追いかけられたりする事は、よくある。あんがい弱くて、オナガにやられて逃げ惑うのである。
性質が露になるのは食物を見つけたときで、烏は極く少量の餌を1羽が見つけた時は、ひとり黙って食べてしまう。2羽で少量の餌を見つけた場合が問題になるが、2羽揃って少しずつ食べる時と、1羽がほとんど食べ尽くしてしまうまで、離れて待っていて、残りを、もう1羽が食べる場合がある。しかし、取り合って争うことはしない。これが烏の大きな特徴だと思う。大量の餌を発見したとき、これはゴミ置き場で生ゴミ発見の場合が多いのだが、自分だけで食べきれない大量の餌だと認識したとたん、大声で喚き出すのである。この声によって近隣の烏が一挙に集合することになる。集まって来た烏同士は、ポリ袋を破いたり、ネットを持ち上げたり協力して働く。この有様は見事というしかない。
一方、山中湖で保護され、繁殖もしているコブハクチョウの態度をつぶさに観察することができた。白鳥の餌として売っている粒餌を撒いてやる。あるいは食パンのかけらをあげる。一握りの餌を一カ所に撒くと、数羽が集まってくるが、中でも大柄な白鳥が、傍らから食べようと首を伸ばして来た者に噛みつく。噛みつくといっても歯がないので嘴で相手の長い首を力任せに挟むのだ。これで相手は怯み、食べられない。そのあいだにあるだけを1羽が急いで食べてしまう。これでは体格の良い者がたくさん食べる一方、食べられない者はほとんど餌にありつけないことになる。私は離れた所に別々に撒いてやるが、これは一時しのぎでしかない。見とれる美しさの白鳥には似合わない態度。このような独り占めの態度は、鶏にも見られる。レグホンという白い鶏がいるが、これも餌の取り合いが激しくて、弱い鳥は頭を突つかれて血だらけにされてしまう。白鳥は嘴ではさむのだが、鶏は突つく。
嫌われ者の烏は、姿で嫌われるが行いは見ていても快い。ゴミを散らかす云々の苦情は、烏の側ではなく人間側の問題なのだ。姿で愛でられる白鳥は、行いについては、あまりよいとは言えないのだが、人々は目を細めて白鳥を眺め、写真を撮り、烏は追い払われる。

新浴衣

山中湖平野天神祭と報湖祭、花火大会と続けてお祭りを見物した。賑わう屋台、集まり流れる人の波を見物するのも、祭りの大きな楽しみである。
天神祭では、山車を引く子たちがいちばん年少で、神輿は小学生が担いでいた。この山車を引く子たちの中に、また傍で眺める子たちの中に、浴衣姿が目立った。私の目は、この幼児たちの浴衣に引き寄せられた。
白地に花柄、水色地に花、可愛らしい浴衣。思わず見つめたのは、浴衣の裾まわりで、裾にレースがつけてあるのだ。浴衣の裾にレースとは。そう思いながらさらに見ると、袖口にも白いレースがついている。浴衣にレースって、驚きだわ。だれが思いついたのかしら、と見ていたら、なんと幼児の浴衣の裾は膝上の長さで、しかもギャザースカート風に仕立てられていた。下はスカート、上は浴衣だ。
報湖祭でも、ギャザースカート浴衣の孫の手を引く爺様、婆様を見つけた。
年頃の娘さんたちを眺める。意気揚々と胸を張った心地の男の子とふたり、浜辺を歩く。屋台の前でこうした二人連れ同士が笑いさざめく。可愛らしい髪飾り、薄茶に染めた髪、イヤリングとブレス。すらりと伸びた姿態は細く、まるで若鹿のようだ。湖を渡る風が、宵から夜へと進むに連れて強くなった。裾の乱れを片手で押さえて歩く娘。それは美人画の世界だ、見物できる浴衣姿の女の子たちは、吹かれるままに裾をなびかせる。寒くなっても平気、前もってタイツをはいている。ブーツ、スニーカで危なげなく浜砂を踏む。
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