文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
August 2017

使い古して捨てないで

詩人たちは両腕を空にあげて神の声を受けようとし、授けられた種を一行目に記す。詩を読む人たちはその言葉を胸に抱く。
大事なものを表す言葉は、大切に扱われる資格があります。あはは。それを言ったらおしまいだ、大切でない言葉なんか、あるはずもない。
悲しい、怒っている、そんな胸の内を表す言葉が、傷ついているものには、どうしても必要だ。たとえそれの見かけが汚い罵りであったとしても。
ただそれは、どうしても必要な時に、自分自身でつかみ取った言葉だからこそ、伝わる力を持つ。
巷に氾濫する「やさしさ」という言葉。勇気を、元気を、希望を「もらった」という言い方。「大切ないのち」の連発。
コンビニの棚に手を伸ばして選び取ったかのような、安易で便利な量産品。
自分で思いついたのではない、棚に並んでいる今時のグッズだから使っておこうという態度。選んだ言葉ではない、利用する言葉。
先日来の豪雨で各地に被害が出た時のこと、注意を促す報道をしている言葉を聞いた時に違和感を覚えた。
命を守ってください、と放送していた。繰り返していたので、その都度私は苛立たしい怒りを覚えた。
やまと言葉には、身を守るという言い方があるのです。

一般人とは

昔から一般の人という言い方はあった。最近は一般の人とは言わない。一般人という。イッパンジン。いったいこれは誰を指して言うのだろう?
例えば、歌手とか、スポーツ選手とか、なんであれ有名な人が結婚する場合に相手を紹介する報道の仕方は、相手は一般人で、というふうに言う。それで私は一般人と芸能人という2種類に分けているのだろうと思っていた。
ところが共謀罪関係の報道が出るようになってから、対象は一般人は関係ないのだと書いてあるのをたびたび見た。
政府が指定する一般人とは誰を指すのだろう。芸能人は一般人に組み込まれるのだろうか。それともターゲットになるのだろうか。誰もが聞き慣れている言葉、誰もが使っている言い方だけど、それにもかかわらず輪郭がぼやけている。
自分が一般人であるのか、そうでないのかは、誰がどのような基準で判断するのだろう? 自分では決められないものであるのか? 
誰もが分かっているようで、はっきりしない一般人は不安定な存在だ。

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