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壺猫

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May 2020

『源氏物語』の音読

『源氏物語』の音読を始めてみて、改めて『平家物語』の時代との差を舌で感じた。平家の時は、まがりなりにも文字通りに読もうと心がけたが、源氏では始めから諦めた。岩波書店発行の日本古典文学大系本で、校注は山岸徳平先生。
話が逸れるが、反町茂雄さんの著書、『一古書肆の思い出』の中に、まだ若い学徒といった感じの山岸徳平先生が2箇所出てくる。
『源氏物語』を当時の発音を研究して、その通りに読み下して行く。この朗読を聞いたことがあるが、木綿と麻の手触りの違い、などという程度ではなかった、まったく異質と感じ、そのように感じたことにも驚いたものだ。
というわけで、「もののあはれ」の「あはれ」はあわれ、「なまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしう」は、なまめかしゅうはずかしげにおわすれば、いとおかしゅう、と読んで行くことにした。
この本は、本文に沿って主語を補足してくれているので、迷うことなく意味をつかんで読み進める。とにかく誰が話しているのか、誰が動いたのか、思ったのか、これらの主語が省かれているから、間違えて読み取ったらえらいことになる。
今時代の人たちの文章でも、主語省略が実に多い。主語省略という特徴は、『源氏物語』の時代から続いている、いわば日本語の特徴なのだろうか。
これは「おくゆかしさ」を漂わせると同時に「曖昧さ」をともなう。角の立たない柔らかな表現と映る一方、ときどき私は、卑怯だと感じてしまう。
花鳥風月をもてあつかう場合は知らず、はっきりと自分の考え、意見を述べる場合には主語省略をしないほうが、自分自身のためにも良いと思う。
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