文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
June 2016

家相を信ずるか・・都庁舎について

東龍太郎という都知事のときは、日常の話題の中で「あずまさんが」と話し合ったものだ。それは東都知事のときに東京オリンピックが開催されたからだった。首都高を作ったことが戦後の空気が一変させた。都民の気持ちが明るくなった。帝大医学部卒業、都知事退任後は東邦大学学長であったから根が医者の人だった。
次が美濃部亮吉。6,7,8代の3期にわたり都政を担った経済学者。「美濃部さんの時は」と、都知事を辞めた後も、度々話題に上った人だ。当時は福祉という言葉がなかったので、高齢の人に「無料化」をという表現だったが、弱者に注目する眼を持っていた人だ。
次が鈴木俊二氏。東都知事の副知事を務めた人で実務に明るい法学部出身の人だった。東さんは3選不出馬、美濃部さんは3期までつとめたが勇退、鈴木さんは4期という長期にわたり都政を司った。革新派都知事が行った「老人医療費無料化」を廃止したが、箱物行政に走り赤字を出した。
都庁舎を丸の内から新宿へ移転させたのが鈴木都知事だ。これは4期目のことで、初期の実直な行政から外れて華美に走り、都民から不満の声が上がるようになっていたころのことだ。
なぜ歴代都知事を辿ろうとしているか。それは、鈴木俊二都知事が節目に位置するような気がするから。あくまで私の「気」でしかない無駄話であります。
新都庁舎建設の時は、やはりコンペがあったものの出来レースだと言われた。鈴木都知事と以前から深い縁のある丹下健三が選ばれた故だった。都知事の采配に、奥さんの意向が深く強く関与していると囁かれたのは、この頃のことだった。
新都庁舎は、出来たときから暗かった。丈高く、反っくり返って威張っているビル。色が暗い。開放感がない。慣れない私が行くと、そのたびに迷う。一言でいうと悪相なのだ。家相がわるい。こんな家に住んだら良いことがあるはずがない。
このあとに続いた都知事連中を見てみよう。青島幸雄。石原慎太郎。猪瀬直樹、そして桝添要一だ。
クズである。ゴミである。ガラクタである。
このなかで桝添要一が何をやらかしたかは、ショウアップされたから知られているが、この人は、お手本があったから真似しただけなのだという「気」がしている。お手本のほうが桁違いに都税を貪っていたから、こんな程度なら可愛いもんだ、おまけに法の網にかかるようなヘマはしてないし、と余裕でやっていたに違いないという「気」がしている。
初期の鈴木都知事までは、都のため、都民のためと心底頑張った都知事たちだったような「気」がするが、新庁舎になってからというもの、都のためには「気」がないではないか。せいぜい、直下型大地震を怖がる「気」くらいではないか。任期中に良い目を見ようとしているだけではないか、くだらぬ贅沢のために。おこぼれに預かって味をしめた職員らはタニシのように押し黙って椅子にしがみついているような「気」がする。クズばかりだ。ゴミだ、ガラクタだ。

貧乏と貧乏人

熊谷守一の随筆を手元に置いている。山頭火は、全集をひとまとめにして読了したところなので、この方の片々がまなかいに漂っている。女性では森鴎外のお嬢さんの森茉莉を思い出す。この三人を並べて絵にしたら、貧乏群像画になるかもしれない。
しかし熊谷守一は、事業家で地主の、裕福な家庭の生まれ、山頭火は、大地主、種田家の長男、森茉莉は、鴎外の愛娘。シモキタの三婆の一婆として安アパートの廊下の突き当たりにある共同水道の流しで、ほうれん草を洗って食べていたマリー。
この種族は、どれほど貧乏しても「貧乏人」にはなれない。恬淡とし、堂々とし、高貴で誇り高く、基本の礼節を肌身として生きている。
今時代のメディアに出るような人物を引き合いに出してみると、たとえば鳩山由紀夫さん。褒める人あり貶す人ありの人物だが、こんな陰口も聞こえる、「あんなに金持ちなのに細かいんだ」。これは鳩山さんが裕福な家庭に育った、それも良い育て方をして貰ったことの証しだろうと私は推測している。
地下足袋の底のゴムの製造販売をしていた鳩山家は、時代が移り、地下足袋が売れなくなった。切羽詰まって自動車のタイヤに目を向けて転向した。結果が良かったから今があるわけで、知恵を絞って働いて手に入れたお金であるからこそ、節約を重んじ、無駄をしない態度が身についている。本当の意味のお金持ちといえる。
大金持ちなんだから、もっとバラまいてもいいじゃないか、誰彼に景気よくおごってもいいじゃないかと感じる人は、金持ちの日常を知らない「貧乏人」という人種だ。貧乏人ほど、日常生活で無駄をし、物を粗雑に扱うのである。
山頭火は、山道を独り歩いた、日本の山中は清冽な水の宝庫そのもの。飲み歩く。里に下りて宿に泊まる。宿の誰かが水道の水を出しっ放しにして雑用をしているのをみて、本気で立腹している。勿体ない、彼奴はダメだ、と書いている。
先頃、都知事の席を追われた人は、「二流のビジネスホテルに泊まれますか。恥ずかしいでしょう」と言った。この時の顔つきをまじまじと見たが、心の底から、そう思っているように感じて驚いた。この人は、ほんとうの「貧乏人」なのだった。贅沢な暮らしをしていても、土台が貧乏人であると抜け出せるものではない。
だいたい、貧乏人は物事をお金で解決しようとする。心の問題までも、お金で購おうとするのである。お金の価値を限定的にとらえている相手は、心底の謝罪を欲しているときにお金を出されると激怒するものである。貧乏人には、これがわからない。
しかしまぁ、これを言ったら世の中オシマイですね。だって見てみて欲しい。買、売、購、財、貨、貸、貰、資、賜、賭、贈、贅、贋、賞、賊……、みんな貝がついているではないか。貝殻をお金として使っていた大昔から誰もが承知している99対1の人間模様だ。




アナグマとクマ

東京都知事の疑惑に関する追及が報道されている。一昔前は、頭の働きが素早くて弁舌が立つ者は、その場で反応できない相手を難なくねじ伏せることができた。いまはちがう。正確な記録が音声と映像で保存再生される。言い負かされたとしても、のちに複数の目と手によって膨大な資料をもとに反論、攻撃が可能だ。意図的ではない、過去の記憶違いは誰にもある事だが、このような揺らぎさえも許されない。
盗み食いを見つかったアナグマが、棒で叩かれている姿に見えるのだ、桝添都知事が。あっちに逃げても叩かれ、こっちに潜り込もうとしても叩かれて次第に弱ってゆく、小石を投げ続ける見物人たちは振り向き、山刀を握って近づく男を見ている。残酷な風景だ。
桝添都知事の前の知事も辞めさせられたが、その前の都知事だった石原慎太郎は、盗み食い程度ではなかった泥棒クマだった。でかくて凶暴で、文句でも言おうものなら噛みついてくる粗暴下劣クマ。遠巻きにしてやり過ごしたのだ、見物人たちは。本当は、この泥棒クマをこそ打ち叩くべきだった。いまだって、振り向いて見るべきなのだ、アナグマなんかよりも、もっと悪質で村人に対して被害が大きいワニが寝そべっているではないか。
睡眠障害などとふざけた嘘をついて寝そべり、アナグマいじめを横に見ながら安倍山へ戻ろうとしている。
バカバカしい限りだ、かれらが徘徊し、腹に脂肪を蓄えようとする山は、ほんとうは村人の入会地なのだ。

誰に語るのか

前回のオバマ大統領演説の続き。
オバマ大統領は、広島を訪れ演説をした。彼は広島の地から世界へ向けて話した。我が国の総理大臣が、サミットを含めての催しの中で発した言葉は、まったく対照的だった。彼は自分が自分のために握っている政権のために発言した。恥ずかしい事であった。
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