文房 夢類
文房 夢類
myExtraContent1
myExtraContent5

壺猫

文房 夢類
July 2013

ねじれ

今回の参議院選挙では「ねじれの解消」というキャッチフレーズがタイトルのように持ち出され、声高に繰り返された。これが選挙の際の「えらぶ基準です」というわけだ。ほんとうの「選ぶ際の問題点」は、原発推進か廃止か。TPPについてどう考えているか。憲法改正の是非。少なくとも、この3点をみて選ぶのが当然であった。
「ねじれ」というのは衆、参2議院の過半数を持っているのが与党と野党であり、与党一本ではないという意味だ。与党が両議院で過半数を取れない現状をねじれている、と表現し、これを解消するのが、今回の選挙の眼目だと主張した。選挙公示前からNHKはお題目のように、枕詞のように繰り返した。
ねじる、ねじれる、は和語である。夢類は和語を大切にするという根本を持っているつもりだ。演歌、演説、講演、すべて和語を使ったほうが日本人の胸に入りやすい。理解する、というよりわかる、と言うほうがわかりやすいのである。ねじれる、という和語から受ける印象は、不快な感覚であって快いものではない。ねじる、よじる、なじる、かじる、ほじる、いじる、うじむし、いじめ。ねじれの仲間言葉には、似た感覚があると思いませんか。ねじれをなくす、と聞けば、こういった諸々のイヤな感覚が一掃されるような気分になってくる。
あまり原発や憲法について話し合っていない人たちは、このお題目を聞いて(そうか、イヤなこと、悪いことをなくすんだな)と納得して自分の一票を投じる。
以前、私はNHKは広報に徹するべきだと主張したが、日々のニュースの枕詞に、こうした意図的なキャンペーンをやるのだったら、広報も止めて欲しいと本気で思っている。
悲惨なことに日本のメディアは、国民すべてに対して誠意も愛情も持っていない。生活のために忙しく働き、時間のない壮年者を中心とする人々のために、これから選挙権を持とうとする若い年代のために、もしも愛情があるならば、彼らを手助けする力を出して欲しかった。教育する、とまでは言わないが、自分の頭で考える手立てを提供するのが本道ではないか。
それを、誤った方向へ意図的に誘導した所行は、どれほど非難されても足りない。政、財、報道各組織の上部の人間たちが結託して、自分たちの望む方向へ動かそうとする。日本国民を思うように動かすためには、あまり考えさせてはいけない、バカな国民のまま、寝た子は寝かせたままにしておこうというのが日本の指導者の本音ではないか。大組織を形成している膨大な人々のなかには、これではいけない、本当は、こうだ、と考えている人々が無数に存在するにちがいない。しかし彼らの二の句は同じ「分かってますよ。でもしょうがないじゃないですか」。

参議院選挙

今回の参議院選挙に関して無言でいたが、いまもって頭から離れない。新聞各紙を仔細に読み比べると、意外と言っては失礼だが、スポーツ紙、産経、読売などのなかにも、非常にすぐれた記事があり、それは目立たないのだが、よい記者がいることを示している。TVの業界にもまじめに、本気で考えている人がいるのだが、表面に出しては貰えない。高齢になって時間がある故だろう、丁寧にみているせいであれこれが見えてくる。岩手の当選者、無所属の平野達男さんは自民党に入るだろう、と私は予想している。そんな些細なことはどうでもよいのだが、総力を挙げて操作し、大成功をおさめた選挙だった。
いまの日本は大政翼賛会の時代の再来だとしか思えない。陰湿に隠微に、しかし徹底的に封殺される正論。大政翼賛会のやり方は、まだ大っぴらだったが、いまの与党のやり方は卑怯下劣の人でなしだ。日本の行く手は、たとえようもなく暗い。
安倍政権は張り切っている。民主主義国家を表向きの旗印にしながら実は、NHKをはじめ主要新聞各社、メディアを抱え込み、一路独裁へ向かっていると思う。財務官僚は政治屋たちを手玉にとり、日本を動かしているのは、誰あろう、頭のよいわれわれだ、と腹の底から思い込んでいる。
こうした日本列島を覆う巨大な天蓋はアメリカだ。アメリカは世界中をドル建てで支配する。売りつけるのはオスプレイだけではない、原発も、シェールガスも売りつける。極東で放射能汚染が続く事態を意に介すると思うか。何十年後に日本人がガンで総倒れになっても、あらまあ、それはそれはと言うだけだろう。中国はヘナヘナになった日本を分捕りに来るだろう。原発を推進し、TPPで勝手口の鍵を渡した日本に残されている道とは、どういう道でしょうね。
対抗できる気力のない日本は、いずれ消滅するしかない、と残念だが、私は大まじめで思うのだ。なにが肝心と言って気力が大事だ。私は小説書きだから、言葉から人々の弱々しさ、無気力ぶりを読み取る。たとえば、「元気を貰った」「〜だったら、いいかな、と思います」という語尾。元気を得るのではない、貰うのである。なんとだらしがないことか。これこれだったら、いいかな、と断定を避けるが、願望はあります、と言う。虫ずが走る。誰かが使うと、共感する人々が好んで使うようになるのが言葉遣い。最近は誰もが断定を避けて、曖昧で尻切れトンボの言い回しを好むのだ。やっぱり言いたくなる、豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ!

色白美人

カネボウの美白化粧品が回収されて、国内だけでなく台湾でも回収しているとニュースで報じていた。色白になる効果がある化粧品が、まだらに白くなったのだそうで、使った人は色白美人になるどころか、深刻な悩みを抱えてしまった。もっとも、日が経てば消えてゆくというから、取り返しのつかないことでなくて、ほんとうによかった。それにしても、人はどうして色白を望むのだろう。人は、という人は、日本人は、であって、日本人の肌色はいわゆる健康色で、黒い、白いと騒いでも五十歩百歩だと思いませんか。大陸と違って温暖な気候の島国だから、肌は、いつも潤いを持っていて手入れ不要のよい環境だと思う。私は若いときからいままで、いわゆる基礎化粧品というものを使ったことがない。バランスの取れた食生活を心がける方が、よほど肌をキレイにすると思っている。だいいち、色が白いというだけで、肌がきめ細かくきれいだ、というだけで、美人という判定を下すのは、納得できない。豆腐顔が美人かしら。はんぺん顔が魅力的かしら。

福島汚染地域の動物たち

先日の講演「福島の動物と放射能」について、思うことが広がる一方なので、ともだちにメールで伝えたりしている。もっとも、ペンクラブでも、講演会に来た人数は、わずかであっても、参加者は書く人たちだから、何倍にも広がるだろうと予想しているらしい。ボランティアによって保護され、新しい里親のもとへ落ち着いた犬や猫たちは多い。しかし、これらの保護された犬猫は、放射能で汚染されていない。立ち入り禁止区域内の家畜、ペットなどは殺処分するようにというのが政府の方針だそうだ。
高濃度に汚染された地域内で、動物たちはいま、どのような状態でいるのか。その有様を1時間ほどの映像で見た。鶏舎内の鶏は全滅。牛、ブタは畜舎内で死んでいるもの、逃げ出して野生化したものがいる。畜舎内の惨状は目を覆うばかりである。舗装道路も草の道も、動物たちの死骸で一杯、そして放置されたままである。2年経った今、犬は、1匹もいなくなった。全滅。みな死んでしまった。猫はあちこちにいる。2匹、3匹と集まってじっと見ている。説明によると、これらの猫は2代目の猫たちであって、親猫は全部、死んでしまったという。死因は、飢えと、それ以上に病死だという。猫よりも犬の方が人間に密着して生きていて、それだけに生き抜く力が弱かったらしい。ブタはイノシシと仲良くなって、イノブタが増え、一団となって舗装道路を駆けてゆく。太って元気そうだ。牛はどうだろう。里山の裾、下枝を落とした杉林の直立した幹の向こうに牛の群れがいた。5頭、10頭、もっといる。これが群れを作って走ってゆく。牧場で、のんびり佇んでいる牛とは別の動物としか思えない。先頭の牛がカメラに気づいた、立ち止まり、カメラを凝視する。肩を上げ首を伸ばして鋭く伺う目つきは、緊張感に溢れた野生の目だった。野牛じゃないか、と驚いた。牛も、どぶ泥の溝に落ちて死んだり、慣れない自然の中でずいぶん命を落とした形跡があるが、野性に返った牛たちは放射能による深刻な影響……、白斑が毛並みに混じる症状を見せながら群れて生きている。ボランティアの力で、置き餌を続け、牛にはロールの干し草を置いている。これで生きていけるだろう、とは人の願いである。置き餌のおかげで、アライグマが異常繁殖し、これが強いのだそうだ。猫など近づけない。餌はアライグマの大繁殖に役立ってしまう。
殺処分せよ、というが、間違っている、と解説の人は言った。白斑、ツバメなど鳥にも異常が見つかっているのだから、調査研究すべきだ、殺してしまって蓋をするのは間違っている、という。野鳥の会の人たちは、野鳥を調査している。
myExtraContent7
myExtraContent8