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壺猫

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壺猫ブログ 終了

2020年11月感謝祭の日をもって夢類日記・壺猫ブログ及び読書評を終了いたします。詳細は夢類日記をご覧ください。ありがとうございました。

コアラ

太重斎氏が車で拙宅に立ち寄ってくれた、戸外での、ちょっとしたおしゃべりで互いの安否を確認する。
COVID19
は衰えを知らず、人間の方は忍耐力が徐々に衰えを見せはじめている。
 ーーコアラ、知ってる?
といきなり太重斎。
 ーーユーカリの葉っぱ食べるやつ。鼻ぺちゃの熊さんみたいな可愛い子。
動物園も、人数制限つきだが開園したという。見てきたのかな、太重斎氏の目がいたずらっぽく輝いている。
 ーーコアラの脳みそ、ツルツルなんだって。バカなんだって。
 ーーバカ? コアラが? 
つい、釣り込まれて先を促した。
ーー脳みそ使わなくても生きていられるんだって。
コアラは完全な樹上生活をして一生を終えるという。繁殖期以外は、いつも独り暮らしだという。
水は飲まない、葉っぱの水分で足りるという。排泄も樹上で行う。下に誰がいるか気にしない。だから地面へ降りる必要がないそうだ。視力は悪く、嗅覚に頼って生きている。天敵はいないから安全。1日のうちで18時間から20時間は、穏やかに寝ている。
つまり、付き合いがない、見ない、喋らない。食べること、眠ることはやる。つまり、食っちゃ寝、暮らしだって。
ーーコアラの暮らしって、なんか最近の私に似ていないかしら? あら、やだわ。
口には出さなかったが、内心不安に感じて黙ってしまった。
続けて
ーー化石が出たそうだ。化石の脳みそにはシワがたくさんあったんだって。
怖い話、やめて!

台風と山火事

台風10号は恐ろしかった。前もって強い警戒のメッセージが行き渡っていたために守りは固かったが、それでも凄まじいエネルギーが九州を蹂躙していった。海ではたくさんの牛を積んだ船が転覆し、陸地では土砂災害で家も人も失われた。
一方、カリフォルニアの山火事がものすごい。空を覆い尽くす赤い煙、市街地に迫る炎。たくさんの映像が毎日克明に伝えられて、隣町であるかのように迫る猛火に胸つぶれる思いがする。今回の火事の原因は落雷によるものだという。消失する樹木の数、桁違いの消失面積を思う。
covid19が今、 世界中を蹂躙しつつある。各国はそれぞれの方針により防戦、ワクチンの開発も協力して努力しているように見える。コロナウイルスは恐ろしい。恐ろしいが、たち向かい防ぐ人々の姿の、なんと好ましいことだろう。
まるで小学生が言うようなことを言い、バカかもしれないが言いたい。まことの大馬鹿だが言いたい。
戦争のための兵器を作る費用を、台風、山火事ゼロに向けて費って貰えないだろうか、地球規模で。地球一丸となって。人間て、その気になると知恵が出るものだ。専門的知識を微塵も持たない人でさえも、思いつきは出るものだ。
月だ火星だと、飛んでいける人類が、地球上の波風、出火に対して原始的な手段でしか対処できず、なすがままに翻弄されるなんて、ありえない話じゃないだろうか。これって、ものすごいバカじゃないか。

実は私も

実は私も、そう思っていた。という人になりたくない

第二次世界大戦は193991日から194592日の6年間。世間風には1941128日の真珠湾攻撃の日から1945815日の4年間足らずの期間だった。もう一つの見方もある、それは満州事変(1931年)から始まったとする数え方で、これだと14年間となる。敗戦国日本の実感としては14年間だろう。
私にとって、この期間は永遠とも思える、とてつもない長い日々だった。この長い戦争の間の影響は、筆舌に尽くせるものではない。私という人間の人格形成に、この期間はがっちりと組み込まれており、外せるものではない。
この戦争が負け戦に終わった時、多くの日本人は言ったものだ、実は、日本は負けると思っていました、私も。
戦時中、日本人のほとんどは、そうは言わなかった、負ける、なんて言わないどころか、思ってもみなかった。それどころか負けたと知ったときでさえ悲涙にむせんだのだ。
軍国主義であった当時、負けるよ、などと発言したらただでは済まなかったろう。思っていても口をつぐんでいた人もいた。隣組の集まりで、それを口に出してしまったばかりに密告されて憲兵に捕まった人もいた。この話題は、のちに隣組の話の時にむし返すつもりです。
しかし、それにしても聞いていて気持ちの良いものではなかった。大声で鬼畜米英をやっつけろと叫んでいたにもかかわらず、実は、なんて言い出すありさまは醜かった。後出しじゃんけんのような発言だけはしたくない、と痛切に感じた。

今、私が感じていることを書きます。後になって「いやあ、実は私もね、日本はダメになるなって、思ってたんですよ」と言いたくない。
日本という国は、衰えてゆく方向を向いている。このままブレーキをかけなかったら、消滅はしないまでも底辺国となる。
こればかりは、ほらごらん、言った通りにダメになっちゃったでしょ、となりませんように、立派に立ち直ることを心底願っている。しかし今現在は、これじゃダメになるな、と感じている。

データや数字ではない、私よりも年下の日本人の多くが死んだ目をしているから感じる、絶望的な気配。
どうやったら立ち直ることができるかしら、暗澹とする。なんとか立ち直りたい。
こんな危機的な見方をするのは嫌だ。でも光が見えない。悪い気配が満ちてしまった。
安倍政権は、第二次だけでも78ヶ月続いた。この78ヶ月は、あの戦争の期間よりも長かったと感じる、そして、この国に与えた負の影響は、あの大戦よりも、はるかに根深く悪質なものだった。
国民から奪ったものが大きすぎた。希望・信頼・気概。これを失ってしまった。あの戦争の時と真逆だ、あの時は命と物を失った。残っていたのは希望だった。

今年に入り、特に5月ごろからは誰の目にも見えただろう、どんよりと光を失った目の安倍晋三が。周囲を囲む要人たちの、ねじれ、歪んだ表情が。
外交の安倍だと? 笑わせるな。バカ高い兵器を買わされ、大量のコーンを買わされ。言いなりになっていれば相手がご機嫌なのは当然だ。
北方領土も、やられっぱなしじゃないか。沖縄は、悲惨なまま放り出しているじゃないか。日本国民が拉致された。これを自国で解決できずに、どこぞのボスにお願いしただけだ、自分は衿にリボンのバッジをつけただけじゃないか。さらわれたものを取り返せないのは、簡単に言えば弱いからだ。
一つ一つ書き出すのも忌々しい。
安倍政権がしたことは、法律を、規則を、次々と我欲のままに変え、三権分立を破壊し、嘘を吐いて知らん顔、都合の悪いことは握りつぶす。
基本の教育をなおざりどころか腑抜けにし、国の土台である水、健康をも崩した。保健所の数を、どうして40%以上も削減したのか。減らさなかったら、今回のコロナ対策も、随分違ったものになっていたはずだ。
力こぶを入れたのは株価だけじゃないか。大企業優先、株価を守り、弱小大多数を踏みつぶした。
何よりも恐ろしいことは、この腐れ姿を国民に見せつけたことだ。白々と嘘を吐くライブを国民全体に、広く、日々、見せつけてきたのだ。
忖度とごますり、大樹の陰に巣食う集団が、桜、桜、と花見に浮かれている姿を、映像とともに嫌というほど見せつけた。あの映像の中に見た芸能人の誰彼の笑顔は、人々の記憶に焼き付いたことだろう!
今時、芸能人の数と893の数が同数になっていると聞いた。両者ともに(p音)に必要とされていると聞く。こうした風評が南風北風に乗って流れている。


結果、国を人を、信じることができない日本人を生み続けている。法律に頼っても守られないことを身体で学んでいる。
敗戦時の感慨、「軍国主義は終わった、負けたが戦争は終わった」のように、時代の区切りを今、強く感じている人々がどれほどいるだろう? それとも第3次安倍内閣が続くとでも?
腐れメディアの数取りに乗って、次は誰だ、と興味本位に眺めている、あるいは、どうでも良いと背を向けている。
あの戦争の悲惨な傷よりも、はるかに深刻な影響が、大切な若い人たちの心を、見えない霧のように覆い尽くしている気配が見えないか。
AI
は、気配を計測できるだろうか、言葉にもならぬ気配を。
敗戦の時は、想像を絶する死者、想像もできない飢餓、貧困からもたらされる病を抱えた人々が、老人も子供もすべてが、明日の日本を作ろうという気概と希望を持っていた。
安倍政権が2度目の放り出しをした今、さあ、希望を持って進もうと、誰が思うだろう? 
この大きな傷が見えていない、やわらかでおとなしい人々。
日本全体が深刻な、深い傷を負っていることを自覚できていない人々も、コロナのために夜遅くまで飲み会ができないことを残念に感じることはできる。
コロナで途絶えた収入の道が再び開けたら、自粛が緩んで夜遅くまで友達と会えたら、とりあえず目先の不満はなくなるだろう。
おぞましい安倍晋三と同じ眼の色を見せている静かな日本人たち。
一人ぼっちになりたくない、みんな一緒にいよう、やさしく、たがいに寄り添いましょう、そして? それだけだ。
私は不安だ、恐ろしい。

GO TO トラベル キャンペーン

Go To トラベル キャンペーンは、国内における観光などの需要を喚起して、新型コロナウイルス感染症の流行と、その流行による緊急事態宣言に伴う外出自粛と休業要請で疲弊した景気・経済を再興させることを目的とした、日本在住者の国内を対象とする日本政府による経済政策である。
これはウィキペディアによるGo To トラベルキャンペーンの定義です。東京が外されたとか、参加させて欲しいとか言われている観光お勧め運動。
年初以来、世界を席巻しているCOVID19の社会的影響で感じたことは、消費生活、特に外食関係と観光関係が受けている痛手の大きさでした。外食関係では、食べるということのほかに、社交の場を提供する要素が大きいので、その影響はものすごい。
観光は、大昔の「世界の七不思議」の時代から人々の生きがいと言ってもよい行為。日本語では七不思議と訳していますが、元々のギリシャ語では「眺めるべきもの」という意味だそうです。つまり観光地ベスト7といったところでしょう。
旅に出れば外食する。だから今回のキャンペーンは、お楽しみ消費を促す大きな政策。それは結構なことですが、実は私は、ほとんど関心がありません。
ここで取り上げたわけは言葉です。
政府の経済政策、政府が日本国民へ発した政策の言葉が、これです。GoもToも、日本語ではありません。英語です。しかも文字もアルファベットです。日本の文字ではありません。
トラベルとキャンペーンは、カタカナを用いています。しかし、トラベルtravelは英語で、日本語では旅行といいます。キャンペーンcampainも英語で、働きかけること、運動の意です。
トラベルとキャンペーンをカタカナにして、Go Toをカタカナにしなかった理由は何でしょうか。カタカナにするとゴートーではないですね、ゴー トゥーでしょうか。今時日本人は、toravel campain を、カタカナ通りの発音で使っていますから、カタカナで通用する。
しかしGoはともかくToは、トーとは発しない、英語読み通りのトゥーと発するのです。じゃあ、いっそのとこ英文字で、となった。このあたりに、このコピーの表記の根があるのではと推測するのですが、いかがなものでしょう。
Toの発音は、英語のままです。国の政府が、日本国民向けに出したとなると私は許せない。
通じやすければ、なんでもするのか。名詞が外来語として各国に入るのは止めようもありません。しかし言葉の本体は、国々がもつ大切なものであり、他国の言葉に置き換えるべきものとは思いません。
今まで、日本語で十分に伝わる言葉を外国語に置き換えて語ったり書いたりする人々を軽蔑してきましたが、今回のGo Toは、国が公に発した言葉ですから許せない。
国の言葉は大切な宝です。こういう、だらしないことをする政府を持つ日本は、必ず滅びる運命にあると、私は思います。
世界遺産だ富士山だと、在るものを大事にするばかりが日本を大切にすることにはならない、今私たちが日常使っている言葉こそ、細心の注意をもって扱い、大切に守らなければならない宝なのです。コロナウイルスどころの話じゃない。

夜の手紙

私が学んだ学校、それは中学と高校のことだが、それは私立女学校だった。この女学校の教育方針は徹底しており、それは「良妻賢母」を育てあげることだった。
この学校は、私の母と叔母が卒業した学校だった。地元の公立小学校から中学へ進学するにあたって、学校の選択権は私にはなかった。父は子供の教育、とりわけ女の子の教育は母に任せており、母は選ぶという道を持たず、自分の母校へ入れると決めていた。
入学した時は日本が戦争に負けて間もない1947年だったと思う。ガラスが手に入らず、校舎の廊下と教室の境にあるガラス戸には紙が貼られていた。校庭に面した側の窓ガラスは、あちこちにヒビが入っていて、色とりどりの小さな花形の色紙を貼っていたから賑やかだった。
校長先生は週に一回、一学年全員を集めて自ら講義をした。修身という言葉が使えなくなっていたので校長先生の時間、と呼んでいた。校長の説諭で記憶していることは幾つもある。その一つ、入浴の際、女子は湯船から静かに立ち上がり洗い場に出るように。男子がやるようにザバッと立ち上がってはいけない、見良いものではないから。生理の日は買い物に出るべきではない。万引きをするのは、この時期が多い。6年目に校長が話したことも覚えている。「私は死にません、もっと生きます」。80を超えていただろう校長の説諭は、自分自身のことに集約されたものとなっていた。
教室でのことも覚えている。ほとんど全員が女性の先生だった。国語の先生の、ふとした雑談、教室中がくつろぐ時間。
学校から帰って夕食後に手紙を書くことがあるでしょう、そのときは決して封をしてはいけません。朝、読み直してから封をしましょう。夜に書いた手紙は、朝になってみると書き直したくなる場合がありますから。
今、私は入ってきたメールに、即返信することが普通だ。打てば響くように返す、しかし。これは、と思う事柄に関して書く場合は、必ず一泊させる。
だから、「あの時は言いすぎたの」というセリフを使ったことがない。何か言われた途端に頭にきて、後で後悔するような手紙を送ってしまうという、浅はかなことをしたことがない。特に、紙の通信が極度に減り、キーボードによる高速通信が、私の年代でさえも主流となっている今日、無神経に放り出したような文章、後から言い訳する文章が氾濫している。大昔の先生の雑談が、今の私に生きている。
学校の授業というものは、しみじみ思うのだが、教科書を教えるのではない、教科書を使って教えるのだ、というこの貴重な言葉を反芻するのである。
ちなみにこの金言は、元国語教師で、その後、東京神保町の主と言われた柴田 信氏の言葉であります。
校長の説諭は中学1年から高校3年まで毎週接したおかげで耳にタコができた。これは非常に遅効性のある内容だった、今頃になって校長の言葉が腑に落ちる。老いてゆくにつれて周辺の現象に興味、関心を示す余裕が失せて、自身の肉体に関心が集まってゆくありさまが見えた。校長は、裸の人間の姿を手渡してくれたのだ。無駄な出会いはない、というか用いなければもったいない。どう用いるかは、受ける側の受信能力と容量にかかっている。

私なら謝らない

前回の話題で「業病」と表現したことについて非難が多々あったという。この表現が適切でなかったとして、石原慎太郎さんは謝罪したというが、私だったら謝罪しません。
彼が、どのような意味合いで業病と表現したのか、私の感覚と異なっているのかもしれないから、それは置いておき、私だったら業病と書いただろうという、その意味合いを書きます。
業病とは難病と同じ意味合いの、非常に治りにくい病気という意味と合わせて、この病は前世の報いだ、前世に悪いことをした報いだという意味が含まれます。
難病の方は現在、難病法という法律があり、厚生労働省によって指定難病が決められており、医療費の助成もあり、人々の理解もあります。業病となると、これはもう古語の部類でしょう、今は使いません。今回のように使用現場を取り押さえると、非難轟々、ありとあらゆる罵詈雑言が浴びせかけられる。最近の人たちは、直接会って相手と向き合って異論を唱えるのではない、文字だけを飛ばしてぶつけるのです。「やさしさ」とか「思いやり」とかいう名前の付いた棍棒を振りかざして、相手を自殺に追い込むところまで、やってのける残酷さを無自覚に発揮しています。
つい数十年前までは、業病という言葉は、何の抵抗感もなく使われていました。ハンセン氏病も、この呼称は一部の人にしか伝わらず、一般にはライ病と呼んでいました。
1959年製作のアメリカ映画『ベン・ハー』の中で、ジュダ・ベン・ハーの母と妹が囚われて、街から追われて谷底に住むハンセン氏病人の谷に落とされるくだりが描かれています。日本版の字幕では「ライ病」と書いていましたが、のちのテレビの放映では「業病」と書き改められていたのを、よく覚えています。これは、ハンセン氏病に関する知識と理解が深まってきたために書き換えたものでしょうが、書き換えた当時は「難病」という表現がまだ広まってはいませんでした。次回には「難病」と書き換えるかもしれませんね。著作物でも、再版時に断り書きをする例が多々あります。
現在は使用禁止、何か絶対命令以上の感覚を持って、封じられている禁句となっています。特定の人物に対して用いるのではない場合でも、です。禁句は、病気だけではない、部落・集落の使い方にも見られる問題で、禁句を作り出して、自縛、他縛を厳しく行っている昨今と感じます。
今回の「業病」への非難も、この感覚から人々の怒りを買ったものと思われます。
さて、私の意見ですが、どのような病であれ、罹患した本人が業病と表現したい場合を許してあげたい。どうして、この自分が選ばれて、この病に侵されたのか。何故、この自分が? と苦しむ病人の苦しみは、難病という言葉では表現しきれない深い悲しみと苦悩が充満していると想像できませんか? 病気の種類は千差万別、どのような病であっても、いっそのこと死んでしまいたい、と追い詰められる絶望感の言葉として業病は生きています。指定難病でなくても本人にとって業病であることは多々あるでしょう。業病とは、いっその事死んでしまいたいと打ちのめされている本人にとって必要な言葉なのです。この言葉は、病む本人に成り代わって感じるところのもので、ベッドサイドに立つ人が、病人を見おろして発する言葉ではありません。
昔、日本の国民病と呼ばれた結核。国民病であり、家族病でもありました。一家の主人が罹患する、看病する妻が倒れる、嫁がかかる、その子がまた、というふうに感染していきました。何一つ薬はありませんでした。治療法は、良い空気を吸って安静にしていること、それだけでした。こうした時に、業病だもの、と吐息をつく人々が日本中にいっぱいいたことを知っていますか? 何か不摂生をしたわけではない、悪い生活態度をしたことはない、それなのに今、死にかけている。こうした時に病人が吐息とともに漏らす業病という表現は、難病には置き換えることのできない宗教的とも言える意味合いが含まれているのです。自分が悪いのではない、という救いの意味も込められている言葉です。
歴史を持つ言葉を殺し葬ってゆく今時代の感覚、浅はかな言語感覚を軽蔑しています。

発言する勇気

石原慎太郎さんが自身のツイッターで尊厳死についての意見を述べた、というニュースを読んだ。この方は女性蔑視の発言多々あり、私は、これに関して随分批判してきた。
今回の彼の意見は
「業病のALSに侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性が尊厳死を願って相談した二人の医師が薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された。武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ」(原文ママ)というものだ。「裁判の折り私は是非とも医師たちの弁護人として法廷に立ちたい」とも。
この件は『高瀬舟』以来、私も思い続けてきた重い課題だ。同時に多種多様な考え方があり、一つを主張すれば必ず他方が反駁する、難しい課題だ。それを百も承知の上で堂々発言をする姿勢を、勇気ある行いとして高く評価します。
顔を伏せ、左右を横目で盗み見つつ、大勢が決まる時期を伺う態度を賢いこととして実践している諸々を常日頃軽蔑しているので、このスッキリした態度に出会い清々した。
ところでわれらの時代の旗手、大江健三郎さんはなんか発言なさらぬか。一言も二言もあって良いのではないか。もっともわれらの時代の年齢を思えば、健康上の理由から思うにまかせぬ場合多々あることだから文句をつけるわけではない。
それにつけても闘病中にもかかわらずの石原慎太郎さんの発言は気力充実、あっぱれ。
追加に私自身の意見なしでは、腑抜けになるので付け加えます。私は本人の精神を第一に尊重し、その希望に沿った態度をとることが、真の生命尊重に当たると考えています。これは、人間個人にとって、生命とは何かという基本的な問題です。
バカの一つ覚えで、イノチのタイセツさ! と叫び立てて、何が何でも肉体の存続方向へと首に縄をつけるようにして引きずってゆく態度は、鈍感+残酷だとしか言いようがない。残酷の土台には実体験に基づく単細胞思考があるのではないか。

やっぱりメダカ

メダカに話を戻そう。メダカの話は宇宙である、哲学である、社会問題であります。
人間の年齢でいうと15〜6歳の子供らを、社会生活をしている大人の中に放り込む。
少年少女メダカたちにしてみれば、事前の説明がないどころか、生まれて初めて網に追いかけられて捕まり、混乱状態の直後に、見たことも聞いたこともない場所、魚であるから水場に放り出されるのだ。大ショックのはずです。
呼吸ができた、水があった、体が自由になった。ここから始まる新天地。ここで一生を送ることになる運命とは、私は知っているけれど、彼等は知らない。
が、3分もしないうちに臆する気配もなく、泳ぎ進んで行くチビたち。人間のように部屋や道があるわけではない、水が広がっているだけだから進みたい方向は自身で決めるしかない。
大人メダカたちは自然のままに振る舞っている。5ミリ以下だったらボウフラを見つけた時同様、丸呑みだ。我が子かもしれない、などとは夢にも思わない。
しかしボウフラよりも水平移動が巧みなチビは命がけで逃げる。逃げる餌を追うよりも、私が天上から撒く人工飼料の方が美味しいし、水面に浮かんでいて食べやすいから餌の方に引き寄せられる大人メダカは、無理にチビを食べることはしない。
美味しい餌を十分に貰えるビオトープの中だからチビたちは生き延びることができる。そこで同類が群れを作る。大人たちの群れ状態を真似するのだろうか、自然に群れを作るのか、わからない。
ビオトープは人工的な環境だが、決して安全な場所とは言えない。先日もカラスに狙われ、事もあろうにアライグマにもやられたと見えて、大量のメダカが犠牲になってしまった。敵は水中にもいる。稚魚にとってボウフラは危険だ、ボウフラはメダカの稚魚を食べてしまう。大人メダカたちは、トンボの幼虫、ヤゴの餌食となる。うかうかしていられない世界である。その生き残りだから逃げる隠れる、を体得しきっている。私にも馴れない。足音を感知するともう消えている、水面に目を凝らしても何もいない状態だ。
アワビ、サザエの貝殻、塩ビ菅の筒、釜飯の釜、植木鉢、水草、枯葉、泥の中、そんなものの陰に隠れて動かない。まだ、何も知らないチビ達だけが、のほほんと遊びまわっている。学習するまでは、完全に無防備状態だ。
この小さなメダカ社会の中で、高齢魚は群れから離れて水の動きの少ない場所を選んでじっとしているのがわかる。もう、群れる気がない。平均寿命が3年だから、あっという間にシニアになる。時には体の不自由なメダカが産まれて育つ。一番はっきりわかるのが背骨の異常で、これは泳ぎにくそうだ。
群れについていけない、遅れる。誰も振り向かない。しかし天上から食べ物が降ってくるので、暮らしている。長寿にもなる。
誰も助けようとはしない代わりに、いじめもしない。できることをしてたらいいんじゃないの、といった感じで同類だけが群れている。彼らは突っ走ってみたり、思いついたゲームをしたり楽しむのに忙しい。遊ぶメダカを、私は初めて見た。空の植木鉢が底に沈めてある。水面すれすれに鉢の縁がある。その中に身を翻して飛び込む。底の穴の、わずかな隙間を抜けて外に出る。行列を作って水面すれすれの植木鉢の縁から飛び込み、穴から抜け出してくる。これを、まああ、飽きもせずに行列を作って繰り返すのだ。渓流の鮎は、元気よくジャンプするが、メダカもジャンプできるのだった。それと水温が25度以上ともなれば産卵という、大仕事があるのだ、毎朝。5月半ば頃から秋風が吹くまで。
チビ達の群れに加わることなく、単独で大人メダカの群れに寄って行き、大人の群れに参加しようとするチビが、たまにいる。どうして思いつくのか、わからない。自発的に入って行く。大人たちは、いたわることも、いじめることもしない。
メダカたちが、この水の中でヤゴに狙われずに、カラスにやられずに、大雨の時には流されないようになどと身を守りながら真剣に生きているのが伝わってくる。楽しみながら暮らしているのも伝わってくる。彼らは身を守ることに対して真剣だ、足音に敏感、鳥の翼の影に反応する、ヤゴから身をかわす。
しかし、彼らが知らないことが、いくつもある。なぜ天上から美味しい食べ物が定期的に降ってくるのか。なぜ、閉ざされた水なのか、川と繋がっていないのはなぜか。メダカは、なぜと思わない。
人間のことを思う。なぜ、と思わない人間のことを、思う。

ポッサム

昨日、TV東京の番組「サムライバスターズ」を途中から観た。番組の正式名称は知らないが、世界各地で困っている人たちのところへ駆けつけて助けるサムライたちのエピソードであった。
アメリカのアリゾナ州で大発生した凶暴な蜂、キラービーを駆除した話が終わったところで見始めたのだったが、それは、イノシシの被害を受けて困っているインドネシアの村が助けを求めたもので、サムライバスターズのひとり、日本の罠師が駆けつけて見事捕獲した。
次がニュージーランドで、ポッサムの被害に困り果てているという。え〜、オポッサムじゃないの? と思った。私が知っているオポッサムはオーストラリアに生息する有袋類だ。ポッサムも有袋類で、ニュージーランドにとって外来種であるという。
その毛が手袋やマフラーに人気があり、持ち込んで繁殖させたのが始まりだったというが、今では害獣で、その被害は生態系を壊すほどだという。雑食性で、飛べない種類の鳥が減り、果実、木の芽なども被害にあう。大きめの猫くらいの大きさで夜行性。
これに立ち向かったのが防除研究所という名前の株式会社だ。ネズミ、シロアリなどの駆除を行う会社で、社長さんがサムライバスターズとしてニュージーランドへ赴いたということのようであった。話はここからである。
サムライ社長は観察の結果、こういった。どうも手指が器用だ、アライグマのように。それで筒の中に餌を入れ、手を突っ込んだらトラップにかかる器具を仕掛けた。が近寄ってはいるが手を突っ込まない。利口なのだな、と私は見入る。
金網製の箱型罠を仕掛けた。中に餌を仕込み、入ったら入り口が閉まる仕掛けだ。近寄るが入らなかった。夜があけて調べてみたところ、箱型罠の上に糞をしてあった。私は、思わず、あ、あーっと叫んだ。そっくりだった、夜の間にメダカが襲われて、ホテイ草が池の外に持ち出され、根の中で寝ていたメダカたちが一網打尽に食われてしまっていた、何者がやったのか、わからないままに、池に合わせて枠を作り、金網を貼り、水面全体を覆った。その翌朝のことだった、金網の上に糞があった。金網の下は水である。糞をするにふさわしい場所ではないはずだ。それなのに、わざわざ堂々、糞を残して去ったメダカ泥棒。
その時の怒りが蘇った。私の場合は、糞の形状から犯人はアライグマと思われたが、テレビに出ている糞は、アライグマではなかった。ポッサムのものだろう。サムライ社長は言った、「悔しいですね」。ややあって呟いた、「バカにされてますね」。
本当に悔しそうだった。しかしサムライ社長は、この時点から本領を発揮、ハイテクアイテムを駆使する一方、罠の箱を自然の土と草で覆い、見事に次々と捕獲した。私の場合は、メダカを守ることはできたが、犯人は捕まえられなかった。
話はこれで終わりだ。話は終わりだが、ここから始まる糞の謎である。サムライ社長は馬鹿にされてますね、と言ったが、本当はどうなのだろう、ポッサムの気持ちは? あるいはメダカ泥棒のアライグマの気持ちは? やっぱり馬鹿にしたのだろうか。
ポッサムとアライグマに共通する何かがあるはずだと私は思う。
サムライバスターズたちは、一見するだけでわかる、観察力が猛烈に鋭い。蓄えた知識プラス、現場での観察力が並外れて優れていると感じた。
やはり、サムライ社長の「馬鹿にされてますね」が正解だろうと私も思わざるをえない。あるいは、なんだこんなことしやがって、と腹いせに糞をしたと言えるかもしれない。
苦い思い出が二つある、馬鹿にされた思い出だ。犬に一度、馬に一度、あからさまに馬鹿にされた。動物も、馬鹿なことをすると馬鹿にする。長くなるので、別の機会に詳細を記したい。思い出した、実は、馬と犬の他に、鹿にも大バカにされたことがあった。
犬と馬と鹿。これは書ききれないので、小誌「夢類」次号に詳しく記すことにした。

メダカの成長

今年のメダカも順調に育っている。メダカは、もともと田んぼの小魚で、金魚屋の金魚の添え物でしかなかった。それが最近は脚光を浴びて、持て囃されている。銀色に輝くもの、グッピーかと見間違えそうな華麗なお姫様風のものなど、あきれ返る。
しかし、このブームのおかげで市販されているメダカの餌が非常に高品質になっている。稚魚がぐんぐん育つ稚魚用の餌。卵をどんどん生む効果のある産卵用餌。水を汚さない餌。
以前は孵化したての稚魚用の餌は、自分で作っていた。そんなもの、売っていなかったのだ。ゆで卵の黄身を与えていたこともあるし、鰹節の粉を、さらに細かくして与えていたこともあった。今は買ってくれば解決してしまう。それだけではない、ぐんぐん育ってゆく。
便利になったし、よく育つからありがたいことだが、結論から言うと、繁殖させて販売するには良い、ということではないかと感じている。普通に育てている側からすると、不必要に肥満体。ガタイばかりでヤワだ。こう言う感想を持ってしまう。
小さな浅い容器で生まれ育ち、その容器の中だけを世界と認識して生きているメダカたちは、普通に泳ぐという体験をしない。水中に浮遊し、時に方向転換をし、水面に浮かんで餌を口に入れる。他にどうしろと言ったって、どうしようもないのだ。
とは言いながら私も、直径3,40cmのパッドで孵化させて、稚魚を育てている。孵化した時は2.5mm程度の透明に近い稚魚で、これが倍の大きさの5mmになるまでには何日もかかる。気候にもより、低温の日が続くと育ちが遅い。
5mmの稚魚になるともう、色が決まってしまう。もともと決まっているのだろうが、はっきりと見えるようになる。倍の大きさの1cmに、その倍の2cmの大きさにまで育つと、1人前に大人用の餌を食べたがり、体つきが稚魚から小魚へと成長する。どこが違うかというと、稚魚は目玉と内臓だけの姿、小魚は尾ひれと肉がつく。
この辺りまでは保護保育だが、ここら辺から教育も加わる。やたらと大食で大きくなった子は、チビどもを蹴散らし、大いばりとなる。チビは逃げる。大きさを揃えて育てるほうが安定するが、なかなか捕まらない。手をかけていると、あっという間に昼になってしまう。
2cmサイズは人間にしたら中学から高校一年程度だろう。これを大人たちがいるビオトープに入れてやる。卒業であります。卒業の日は、私にとっても、最大の喜びの日。ほとんど毎日、卒業式が行われる。
ビオトープの大人メダカたちに餌をやって、彼らが空腹を満たしている間に、反対側の誰もいない水域に、静かに10匹前後の卒業生を入れてやります。自然の中ではない、流れのない人口の場所だけれど、彼らにとっては新天地。この瞬間の驚きと緊張、戸惑い。
やがて前日に卒業した先輩たちが寄ってきてくれる。
まるで迎えるかのように近よってきて、たちまち一つの群れを作る。幼い者たちは、鏡を見たわけでもないのに同じサイズの者同士が一つの群れを作って離れようとはしない。膝をついて息を詰めて見守る私は、ここまでくるとホッとして立ち上がる。
明日もまた、メダカの続きを話したい。

座禅一周年

昨年の5月の末ごろに始めた座禅が、一年間、一日も休まず続いた。だれかに報告するわけではない、自分自身との約束。続いたからといってご褒美が待っているわけでもなんでもないが、身のうちから喜びが溢れた。
まずは健康だった、ということで、寝込んでしまったら座っていられないわけだから大感謝。
わが友猫は、自分本位のわがまま者で、外で遊びたいよう、とねだる。そのねだり方が猛烈で、意識的に爪を立てて私の脛をひっかくのだ。爪を切っているから先端は丸いのだが、爪の使い方に長けている。6歳にもなると、こういう知恵が生まれる。たまらずに、わかった、わかった、とハルターをつけてやり、遊びに出ることになるが、なんと! 座禅中にねだりに来なかった。一度もなかった。これはすごいことだ。パソコンとにらめっこしている時は平気で引っ掻きにくるのに、座禅では待っていてくれた。
富士猫はともかくも、休まず座ってみて初めて発見できたことがいくつもあった。静なる体操。じっとしているから運動不足ではない、頭を立てて背骨をまっすぐに、臍下丹田に力を入れて座すことは、体の修行なのだった。
呼吸の制御。これも健康保持にどんなにか力を加えてくれたことだろう、私には向いていたのだと思う。雑念に振り回されず、妄想を退けて座る、これを日に一回でも真面目に行うということは、パソコンで言えば再起動をかけるような働きがあるのではないかと感じた。
最近パソコンを壊さず、無事に運行できている原因の一つは、まめに再起動をかけることじゃないかと思っている。人も、再起動をかけることが、むしろ次に続く時間を新鮮に、濃密に使うための力となっているように感じる。
再起動をかけるとゴミが消えるのである。しかも外気に接して座れば、これから近づく夏至、秋の彼岸へ、そして冬至、春彼岸へと、太陽のめぐりに接する精神が気宇壮大にならざるをえない。

高齢者の務め 最終回

最終回は迷惑について。
まじめな善意の人で、心優しい高齢者、もちろん暴力を振るったり、盗みをしたりなど夢に見たこともない人だ。良いものをたくさん持っている、このような高齢者に限って、真剣な面持ちでいう、「迷惑をかけたくない」。
こんな風に言う、ただね、私はね、周りに迷惑をかけたくないんですよ。ええ。それだけです。
聞き入る相手は高齢者だ。高齢者同士の「うなづき話」であり若いもんに向かって話しているわけではない。
こうした良識ある高齢者が、実は若いもんに迷惑をかける場合を見てみたい。
高齢者が元気だと言っても、使い込んできた身体はガタが来ており、修繕しながらの元気ではある。
修繕をしつつ暮らしているが認知症ではないし、その気配もない。判断力は十分にあり手厳しい社会批判もする。しっかりしていることは、自分も周囲の人たちも皆が認めている。
このような高齢者が、最低最悪の迷惑をかけることがある。これが私が最終回に言いたいことです。

自動車運転免許を返した。だいぶ前から夜間に見えにくくなっていたし、視野狭窄は自覚していた。事故もせずに無事に車を降りることができて良かったと思っている。
ここで言いたいことは、車を降りても、日常生活で視野狭窄は続いている、ということだ。
たとえば電話を切るとき、以前は相手が切る音を確かめてから切っていた、それができなくなっている。自分の都合だけが眼前に広がり、その処理だけで手一杯なのだ。
気持ちのゆとりが消えていることに気づいていない。続けて、待てなくなっている。食事の時間、約束の時間。判断力は十分にあるので、気持ちが急くのを我慢する。この努力が並大抵ではない苦労だ。車じゃないのだから、ハイビームにして圧力をかけるわけにいかない。
誰ともしゃべらない日が増えた。年々、親しい友人が逝く。そんな時に、ゆったりと向き合ってくれて、こまごまと話す昔話を逐一聞き取ってくれる近所の人などがいたらもう、疲れきるまで独演会をやって幸せいっぱいになる。
こうして自分の周辺の昔語りをしてやがて、一生を終えることになるのだが、ぶちまけてはいけない家庭の事情までも喋ってしまう高齢者は少なくない。その後を生きてゆく次世代が被る迷惑は、一通りではないのである。
独演会の当人は寂しいし、聞いてもらえる嬉しさはあり、自分の先は長くないとも思うと、しゃべりたくなってしまうらしい。一方、聞く側は耳をダンボ耳にして聞き入り忘れない。忘れないだけでは済まない、必ず近隣の誰彼にしゃべるのである。これほどの迷惑があるだろうか。
こういう場合もある。高齢者に複数の家族がいる場合、高齢者と接する態度はいろいろになるのが自然だろう。ここで高齢者が、家族、あるいは近い親戚の誰彼の一人に向かい、ほかに誰もいないシーンでいう、一番よくしてくれるお前にこれを渡したい。
渡したいものがバナナかメロンならともかく、土地だったり預金だったりする。
土地や預金がない高齢者なら迷惑をかけないか、というとそうはならない。ほかに誰もいないシーンでいう、誰ちゃんは来るたびに、ン万円くれる。
あればあるなりに、なければ、ないなりに、操作しているつもりはないのだろうが、結果として複雑不快な騒動を巻き起こす。本人は下の世話をしてもらったわけじゃないから、迷惑をかけずにいるつもりなのだろうが、私は、このような高齢者が、最も罪深い迷惑者だと思うのだ。

『源氏物語』の音読

『源氏物語』の音読を始めてみて、改めて『平家物語』の時代との差を舌で感じた。平家の時は、まがりなりにも文字通りに読もうと心がけたが、源氏では始めから諦めた。岩波書店発行の日本古典文学大系本で、校注は山岸徳平先生。
話が逸れるが、反町茂雄さんの著書、『一古書肆の思い出』の中に、まだ若い学徒といった感じの山岸徳平先生が2箇所出てくる。
『源氏物語』を当時の発音を研究して、その通りに読み下して行く。この朗読を聞いたことがあるが、木綿と麻の手触りの違い、などという程度ではなかった、まったく異質と感じ、そのように感じたことにも驚いたものだ。
というわけで、「もののあはれ」の「あはれ」はあわれ、「なまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしう」は、なまめかしゅうはずかしげにおわすれば、いとおかしゅう、と読んで行くことにした。
この本は、本文に沿って主語を補足してくれているので、迷うことなく意味をつかんで読み進める。とにかく誰が話しているのか、誰が動いたのか、思ったのか、これらの主語が省かれているから、間違えて読み取ったらえらいことになる。
今時代の人たちの文章でも、主語省略が実に多い。主語省略という特徴は、『源氏物語』の時代から続いている、いわば日本語の特徴なのだろうか。
これは「おくゆかしさ」を漂わせると同時に「曖昧さ」をともなう。角の立たない柔らかな表現と映る一方、ときどき私は、卑怯だと感じてしまう。
花鳥風月をもてあつかう場合は知らず、はっきりと自分の考え、意見を述べる場合には主語省略をしないほうが、自分自身のためにも良いと思う。

『平家物語』音読読了

やれやれ。昨日『平家物語』日本古典文学大系上下巻 岩波書店 を読み終えた。頭注があり、本文にはルビが付いているので、原文を読むといっても楽。今日から『源氏物語』に取りかかった。
なぜまた、こんなことをしているのか。理由は体操をしているのよ、ということです。
大きく息を吸い込んで、区切りのところまで大声で読み上げる。歌を歌うのも良いが、気に入らない歌詞があると興を削ぐから、こっちの方が気分が良い。
さらに、原文だから、聴く人に意味が通じるように読む努力をする。自分が読み手であり、聞き手であるが、それでも頑張る。ページを繰る時に、間を置かない。いつページを繰ったか、気付かれないようにつなげて読んでゆく。
こうして頭を働かせることを頭の体操にしてきた。始めた日を記録しておけばよかったが忘れた。だいぶかかった感じだ。
私は原文主義で、できるだけ元の姿を読もうとしている。今回、平家物語を音読してみて、ひしひしと感じたことは、当時の発音とまではいかない、活字本に印刷されている言葉でさえ、その通りに発音できなかった無残さだ。
たとえば「高名」のルビには「かうみやう」とある。「こうみょう」ではない。「行事」は「ぎやうじ」で「ぎょうじ」ではない。「落人」を私が読むと「おちゅうど」になってしまう。「建礼門院」の院は「ゐん」だが、私は「い」としか言えない。
小さい時は、祖母から発音を注意されることが多く、井戸というときには、違う、重いゐ、と直されたことを覚えている。絵本は重いゑ、だった。絵本のゑ、とも言っていた。当時は発音できていたのだ、日常語として。
驚くべきことか、今回の音読で、これが出てこなかった。いもゐもなかった。九郎冠者義経をくろうかんじゃよしつね、としか発音できない。冠をクワンと言えない。このありさまで源氏物語を読んだらもう、メチャクチャだ。
平家も源氏も、もともとは読み聞かせていたもの故、音読する心地よさが味わえる。平家物語の巻を閉じたとき、古書と呼ばれる書籍で読んでみたいなあ、と部屋の中にいながら遠くの山、遥かな峰を望む気持ちに浸った。
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