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壺猫

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私が相撲を好むわけ

私はお相撲を観るのが好きだ。テレビが市販された最初の時期からお相撲の中継があったように思う。14インチのモノクロ画面の正面に正座して見つめたお相撲さんたち。
鏡里、栃錦、朝潮、吉葉山。美しい吉葉山、鏡餅のようなお腹の鏡里。これがお相撲さんというものか、と目を見張った。
今は外国出身のお相撲さんも大勢いて素晴らしい、どの力士も、それぞれに見所がある、昨夕は「栃の心ガンバレ、五分になるっ」と叫んで応援した。
どこがどのように良いのかな? 一つは他人事だから。走ったり泳いだり、ボールを投げたり受けたりは、ああ、すごいなあ、私は何一つできない、と身に滲みつつ眺める部分があるのだが、大相撲にはそれがない。
それより何より良いことは、敵味方がないことだ。ものすごい闘志を持って裸一貫、力を競うのだが東と西である。
この一点で私は大相撲を好んでいるようなものだ。
戦争反対と言いながら、どうして人は、日常生活で戦争用語を多用したがるのだろう? 敵とか味方とか。戦略とか。野球でもXX軍とか。

乗用車の顔

車を正面から眺めると、左右に付いているヘッドライトが目玉のように映り、なんとなく顔のように見える。
私が持っていた車は、まん丸な目玉で、まるで笑っているかのような表情だった。私の仲良しさんが持っていた車も、車種は違ったけれど笑顔で小柄な車だった。
世の中に車が氾濫しているけれど、まん丸目玉で笑顔の車を見つけるのは難しい。本当に貴重な車だった。
顔と思って正面から見てみると、恐ろしや、目がつり上がり、歯をむき出し、噛みつきそうな表情をしている。いまどきの乗用車は、皆コレだ。
大型のトラックなどの仕事車は、そんなことはない。真面目な、四角張った表情で黙々と働いている。
なぜ、どうして、乗用車の表情を、これほどまでに獰猛なものにする必要があるのだろう?

高齢者の務め その3

大日本帝國が、戦争に負けてからハダカの日本国という名に変わり、74年経ったという。
ごく最近になって、あの時の戦災浮浪児が8月のニュース周辺の報道に現れるようになった。
私自身は焼け出されてのち転々としてはいたが家族は無事だった。ラジオでは菊田一夫の子供向け連続ドラマ「鐘の鳴る丘」が放送されるようになり、毎回聴き入っていた時代だ。
これは戦災孤児たちが収容されている施設のドラマだった。当時、東京上野の地下道には、浮浪児が溢れていた。上野の子達は、親代わりの人さえもなく、どんどん死んでいった。
私たち子供は、国民学校から小学校と名を変えた学校の校庭で始まった青空教室から、バラック校舎ができて二部授業に変わり、午前中通う生徒と、午後から学校へ行く子たちがいた。
半世紀過ぎてからも、上野の子達はどうしているだろう、と度々思いやったが、手がかりはなかった。ごく最近になって図書館で1冊見つけたところだった。
それは戦災孤児が自ら記した記録ではなく、子供らを救い、食べさせた人が書いたものだった。
栄養失調と感染症で死んでいった中で、生き延びた数少ない孤児たちには、青空教室さえもなかったのだ。
邪魔にされ、信用されぬ目に晒されながら、命の糸だけにしがみついてきた孤児たちに、今、どれだけの表現出力があるだろう。
戦争を知らない世代の人たちの、まっさらな澄んだ目で、年老いた孤児たちから、わずかでも聞き取って残してほしい。戦争がもたらす影響は、破壊と殺戮の現場だけではない。

さて、高齢者の務めとして、戦争の記憶を後世に残す仕事がある。
こんなに殺されました、こんなに焼けました、という現場と並んで、ぜひ語っていただきたいことは、以後、どのような衝撃によって、どのように自分自身が変化したか、という心の軌跡だ。
私は、全国各地の同人誌で活躍している高齢の作家たちに、このことをお願いしたい。筆力のある方々である、高齢でなければ成しえない仕事であります。
高齢者の務め その2で、少し引き合いに出させていただいた仲代達矢氏。
終戦を境に、大人たちがどのように変化したか、その変化ぶりを眺めていた少年の目が、何を捉えたか。仲代達矢さんは、「大人ども」と表現して語っていられる。
やがて日本を代表する大俳優となる仲代達矢さんは、「大人ども」の変化ぶりを目の当たりにしたことが、炸裂する衝撃だった。あれほど憎み嫌っていたアメリカを、一夜明けたら……。
少年、達矢は、学歴、職歴なしの姿で世に出て行く。これが、戦争が仲代さんにもたらした影響なのだった。
役者さんだから、多感な少年時代に、この変化をもたらした怒り、落胆、悲哀、諸々を、映像として手渡してくださった。改めて演劇の力が身にしみる。
本ブログの主要読者である同人誌作家の皆様、ぜひペンをして表現してくださいますよう。

高齢者の務め その2

今日は8月6日。広島が一瞬にして壊滅した日だ。
この時期の日本各地の出来事を記憶している人たちは、プラスマイナスなしに、ありのままの記憶を次世代に手渡す役目を担っている。
年齢を重ね、経験したことを繰り返し語り続けるうちに人の心は変化し、経験したこと以上に大きく表現する場合が出てくる。あるいは、人から聞いた事柄を、自分の経験であるかのように語ることも出てくるとも聞いている。
しかし、これをやっていたら「藪の中」だ。後世の人々の役には立てない。
記憶は固定した岩のようなものではない、記憶は生身の人の心の中に息づいて、その人と共に暮らしているから、意図しなくても変化して行く場合が出てくることは、言い換えれば生きている証拠かもしれない。
最近、NHKの番組「ファミリーヒストリー」で、仲代達矢さんが都心で空襲を受け、焼夷弾の雨の下、手をつないだ見知らぬ少年が一瞬のうちに消え、仲代さんの手の中に、少年の腕だけが残った、という記憶を語られた。
そして付け加えられたのだ、最近です、このことを話し出したのは、と。
あまりの辛さに、70年もの間封印し、沈黙を守ってきている人がいる。というか、口にできない。語ってくれる人がいる一方、こうした人も多い。

残されている映像や文書をアンカーとして、できる限り多くの人々の中にしまいこまれているものを集めてまとめてゆくことが必要だと思う。
誰も主張しないが、日本の各地を、町村単位でもなんでも良いから区切り、その土地にいた人の記憶を記録していきたいと思う。
戦争の被害に遭った人の言葉だけでなく「遭わなかった経験」をも記録したいと思うのだ。
多分、空襲を知りません、家は焼けませんでした、飢えを感じませんでした、戦死した家族はいません、などという人々がいるはずだ。これが、とても大切な記録になるはず、と思っている。
在ったことだけを記すのではなく、存在しなかった、ということをも記してゆくことで、立体化するはずなのだ。
全国に点在する文芸同人誌は、こうした仕事に加わってもらえないだろうか。高齢化を嘆くことなく、むしろ高齢の同人だからこそできる働きをしていただきたいと思う。

映画の話 その1

長野県には優秀な同人誌が多い。しかも素晴らしいことは「信州文芸誌協会」という組織を持ち、これに加盟している文芸同人誌が8誌もある。
連携し、交流し、切磋琢磨しているだろうと、贈呈を受ける当方個人誌は、輝く高峰を仰ぎ見る思いで読ませていただいている。
一方、私の住む地域でも催しあり、今度、第三回全国同人雑誌会議 in Tokyo が開催されるので、当方も持論を述べたく、楽しみにしている。みんな頑張っているなあ、真夏、酷暑の季節は秋の発表に備えて芸術家たちの力の込め時であります。

同人誌の話題かと思うでしょう、ところが違って映画の話題です。
こうした同人誌の中の一つに映画『哀愁』についてのエッセイがあり、これを読んだことで、一挙に「哀愁」時代へ関心が集中。
というわけで、これから何回か、映画昔話を楽しもうと思います。
このエッセイで、まず目に飛び込んできたものは、タイトルページに掲載されたカラーの映画ポスター。
原題『Waterloo Bridge』日本公開名『哀愁』。原題はイギリスのテームズ川にかかる橋の名前。この橋を手前に描き、主役の二人、ロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーが浮かぶ。
なんと筆者は、このポスターを所有していられるという。1950年前後の時期に街で眺めたこのポスター。当時の映画館は、切符売り場の横に奥行きの浅い大型のショウウインドウがあり、上映中の映画シーンのモノクロ写真が何枚も飾られていた。
この中のどれでもいい、一枚でいい、欲しいなあ、と長いこと佇んで眺めたものだ。
戦争中には一切入ってこなかった外国映画が、終戦後にどっと入ってきた。映画『哀愁』もその一つで、製作は1940年アメリカ。日本公開年は1949年だった。
まだ白黒映画時代だったから、カラーのポスターは加工されたもので、デザインも多分、日本の絵描きさんの手によるものに違いない。当時の外国映画の大画面広告やポスターは手描きで職人芸だったから時に稚拙なものもあったが血が通っていた。
当時はまだ混沌とした世相で、筆者は私同様、通学途上でこのポスターを眺めていたのだ。私と違うところは、手に入れたことだ。
カラー写真もない、コピー機もない時代のことだから、これがどれほどの宝物か、筆舌に尽くしがたいのである。
それにしても哀愁というタイトルの、なんと味わい深いことか。当時は、日本語の題名を付けることに、本当に気持ちを注ぎ、良い題名をつけたと思う。良いタイトルの筆頭ではないでしょうか。
今時は、原題をカタカナ変換して終わり、という映画ばかりになってしまった。

『哀愁』は、1939年9月の英独開戦の日をドラマの背景として破局の恋を描いた映画。
あらすじは、イギリス軍将校のロイとバレエの踊り子マイラがウォータールー橋で出会う。ロイ戦死の報せにマイラは希望を失い娼婦となるが、ロイ生還を知り、この橋の上で車に身を投げて死ぬ、というものだ。
高校生だった私は、見たこともないような美男美女、本当に二人は美しかった〜、の恋物語に心を奪われた。
英語は聞こえない、歴史は知らない、外国の風習もわからない。それなのに胸いっぱいになって、素敵だなあ、かわいそうだなあ、とため息をついたのだ。
DVDなどが一切ない時代だから、もう一度観たいときは、改めて切符を買い、映画館へ入るしかなかったのである。
筆者は、こうして出ては入りを3回繰り返したと書いていられる。5回観たという友人もいるとも、書いておられる。
私は一回見ただけだったが、今時の映画鑑賞態度とは天地の差があり、一言一句、あらゆるシーンを脳裏に刻みつけようという気迫と熱意を込めて見入ったものだ。
だから、娼婦となったマイラが帰還した将校のロイを目にした瞬間の、衝撃の表情は今も目に浮かべることができる。
実際、この作品のリーは良かった。前の年に『風と共に去りぬ』の主役を得てアカデミー主演女優賞を受賞し、本作は、その翌年に作られているから華々しい時期だったろう。
ヴィヴィアン・リー自身も、彼女の出演作の中で最も好きな役だと語っているという。

高齢者の務め その1

長寿。一昔前は還暦まで生きたら大満足の長寿だった。不思議なことに、さらに遡る大昔から、90歳を超す大長寿の人はいたが、非常に稀だった。
日清日露の戦争から太平洋戦争の時代に入ってからは、自然が与えてくれた寿命を全うする人が急激に減っていった。
戦争を止めてから、医学の発達と相まって私たちの健康は守られ促進され、寿命も飛躍的に伸びている。長寿社会、などと言われるようにもなった。
でもでも、全員揃って長寿ではないのだ、どれほど手を尽くしても助からない命は多いし、不慮の死の報せに胸潰れるのである。
今、自分が思いもよらぬことに80歳をこえて生きていることを意外に感じ驚きを持って受け止めているが、同年輩の人々を見渡すと、
健康体が続くように頭と体の体操をし、体に良いと言われるものを食べる、などの防御と保持に努める姿が目に入る。
それは良い、とても良いことだが、この点に全精力を傾けて日を過ごし、満足しているように見受けられるが、それで? という物足りなさはないのだろうか。 
もっとも世間のアンケートなどでは、せいぜい70歳代までのデータを取っており、80以上は視野に入れていないので、70歳代までが対象なのかもしれない。

しかし、80代の人間も、今現在生きているのである。なんとかケアの親切な方々がドアチャイムを鳴らし、お元気ですか? お変わりありませんか? と尋ねて下さる、
つまり、おい、大丈夫か? 生きてるな? ということなのだが、この親切心に対し、ありがとうございます、おかげさまでと、頭をさげる、
これだけで生きていることになるのだろうか? 後続の人々のために何かできるのではないか。
漫然と、自分の体を明日に繋げることだけのために生きているとは、つまらなくないか? 物足りなくないか? 恥と思わないか?
このことを考えていこうと思う。
今日は、ここまでだ、1日にできる仕事量が、目に見えて減っている。現実は厳しい。午後ともなれば午睡なしには続かない。
この、力のなさを認めた上で、高齢であるがゆえに言える事を発信したい。

やっぱり我慢

公立図書館の蔵書の話題です。ベストセラー、人気の小説本に殺到する図書館利用者に対する図書館の対応について。
こうした人気の本、読みたい人が大勢集まる本の場合、図書館では、読者の要望に応えるべく何冊も購入する。
例えば10冊購入して利用者に提供しても、予約者が200人並んだとすると、1冊あたり20人が待つことになる。
借りる期間は一人2週間で、予約者がいる場合は延期はできない仕組みになっているのが、大方の図書館の規則だ。後に予約が入っていない本の場合は、一回のみ延期が認められるので、合計4週間、自宅に持ち帰り読むことができるのが図書館の本だ。
だから20人が、各々2週間ずつ借りたとして40週。約10ヶ月が待ち日数という計算になる。
実際は、数日で返却する人もいる代わりに、催促を受けても、なかなか返却しないというか、できない状況の人も出る。さらに、予約した図書が用意できました、と通知を受けても、即日図書館に受け取りに行く人、週末に受け取りに行く人、と様々であるから、
待ち日数は計算通りには行かず、短くなることは、まずない。
こうした多数の希望者のために、図書館は複数の本を購入するのだが、私は、これはやめたほうが双方のためだと思っている。瞬間風速的に希望者が殺到した後は、見向きもされない放出本となるのは、著者に対しても失礼な話だ。
図書館には、蔵書数を増やす方向へ、あるいは有益な活動へ費用を回してほしいと思う。
図書館の利用者は、たとえ予約が200番目であったとしても待つべきだ。200番目だったら100か月。待ちましょう。我慢しましょうね。待てないのだったら買ったら良い。
もしも私が図書館だったとしたら、発行日から1年間は館外持出禁止にする。たとえどのような書籍であろうと。
図書館は、無料で読みたい、の声に押されることなく、多部数購入を我慢すべきだ。こうした場合、我慢の態度は不親切と捉えられては不本意だからと、要望に応えることは、図書館の利用者を一人前の図書館利用者に育てる努力を放棄したことになる。
図書館に限らず、一般国民と接する公共機関は、要望に応えてなんでもいたします、という態度を改めて、毅然としてあるべき姿を見せなければいけない。
こうした我慢は、心ない非難を浴び続けることになるかもしれないが、10年、50年、100年後に、必ず民度が上がるという結果に繋がるはずではないだろうか。

うちわ

うちわの季節。
竹のうちわを愛用していて、絵の太さが15ミリくらい、握りやすい。
以前の紙は破れたので洗い流し、手持ちの和紙を張った。これに毛筆で3行、
中央に大きく「不知老之
將至」と書いて、両脇に放射状に「發憤忘食」と「楽以忘憂」を配した。
これは立派な孔子さまの言葉、と読む方もいられるかもしれませんが違います、自画像であり、訳しますと
  棺桶に腰掛けてるって自覚がまるでなくてね、
  世間でけしからん事件があるとカンカンに怒りまくってランチも忘れてしまうし
  ちょっとばかり面白いことに首を突っ込んだら、もう悩み事なんかそっちのけなのよね〜
扇げば涼し、古団扇

我慢するということ

先ごろ、どこぞの城にエレベーターをつけたのは、余計だとか、つけるべきだとかいう雑談を耳にした。論議ほどのことではないらしいが、障害者団体などが、弱者に優しくしようという趣旨からエレベーターの設置を主張しているらしい。
先日鎌倉の鶴岡八幡宮に行ってきた。あの大銀杏はなくなっていたけれど、七夕前であったので飾りも華やかで、観光の人の多さには驚いた。
参拝する前に、近くにある鏑木清方記念美術館に行ったために疲れてしまい、本宮(上宮)を見上げて、これはお参りできないと悟った。階段を登りきるだけの体力はないとわかった。
大石段を見上げて、ここまで来たことを喜び、下にある若宮(下宮)でお参りして帰ってきた。
お城を昔通りに復元することを目的として工事をした、にもかかわらずエレベーターをつけようという発想は、どうにもいただけない。昔はなかったのだから、つけたら昔通りではなくなってしまう。つけるべきではない。
鶴岡八幡宮にしても、あれだけ大勢の参拝客がいても、大石段の横にエスカレーターをつけていないではないか。拝みたいが大石段を上がれない人は、下の若宮で拝むようにできている。
障害者であろうと、体力不足であろうと、できないことを我慢すべき場合があることを知らねばならぬ。鉄道の駅に設置するエレベーターは、公共の施設としてありがたいことだ。しかし公共施設が整えられたから、あれもこれも全部と希望するのは、了見が違っている。
東京町田市にある、白洲次郎・正子夫妻の住んでいた武相荘が公開されているが、ここは車椅子は入れない。障害者割引はない。小学生以下は入れない。
段差があり、やたらと高い敷居があちこちにある、こういう家で高齢の正子さんが暮らしていたのだと、入ってみると体で分かる。このような家の中を動き回ることは、苦労だったかもしれないが、体力の保持につながっていただろうと想像できる佇まいだ。
人間いろいろ欲望はあるだろうが、金がなければないなりに、体力がなければないなりに、我慢と工夫で生きてゆくのが自然なのだ。不足分を抱えていると我慢力も工夫力も発達する。自分には、その力がないと身にしみたところで我慢する力だけは手放してはいけないと思っている。甘えたから、欲しがったからといって、何でもかんでも欲望を満たしてあげることは、どんな場合でも良いこと、だろうか?
このことを強健な若者が主張しているのであれば、高齢者の暮らしの苦労も知らないで、と笑うこともできるだろう。しかし80歳を過ぎた体で喋っているのだから、自分自身を含めての覚悟である。
知人の一人が熱意のあるボランティアと自覚している人物で、ある時、身障者をハングライダーに乗せてあげることを成し遂げた。成功して喜んでいたが、このような行為は支援ではなく、ねじ曲がった、歪んだ精神の自己満足でしかない。

メダカ

メダカは、たった3年程度の寿命の小魚だ。日本の田んぼ、小川に普通に見られる小魚だが、今は稲作方法が変化したこともあるのだろう、野生のメダカが少なくなった。
最近、メダカ愛好家が増えて、いまでは550種類以上の改良品種が市場に出回っている。どれも立派なもので、私の飼っている緋メダカはエサ用として売られている。
人気品種の名前がすごい。風神・雷神・楊貴妃・小春にブラックダイヤ、信玄に謙信もいるという有様。銀龍というのを熱帯魚店で見た。
どれも交配や突然変異発見など、手を尽くして作出している。出目金みたいなもの、グッピーみたいな華麗なヒレのものなど、限りなく種類は増える。

銀色に輝くメダカを美しい陶器の鉢で飼っている店がある。昼間は店の前に出しているので、見せてもらうのが楽しい。主人と話せる時もあって、飼い方など意見交換もできる。
私のメダカがヒメダカだとわかってがっかりされたが、育て方に変わりはない。
ただ、育ちぶりには違いが見えて、鉢育ちは泳ぐ距離がないので、体の向きを変えるくらいしか動かないから体つきが柔らかい。当たり前だけれど天敵のヤゴもいないから警戒心もなく、おっとりしている。
それに比べてビオトープのメダカは矢のように走るから、上から見ただけでも筋肉のつき方が違う。実際、運動能力全開だし、加えて頭の働かせ方も、機敏で優れているように見受ける。
これは教育したのではなく、生まれつきでもなく、必要に応じて発達したのだろう。だから信玄も謙信も、ビオトープに来たら強くなれるでしょう。

入センター 続

日記で学校に通う子供たちが環境に順応してゆく有様の感想を書いたが、高齢者が新しい環境に入ることについては、考えがまとまらずにいる。
そこで、私が当地に住み始めて出会った、この土地の高齢者のことを思い返している。
縁あって400年前から住んでいる家庭とお付き合いをさせてもらってきたおかげで、その家のお婆さんの暮らしぶりに接してきた。
お婆さんは耳がよくて普通に話し合うことができたからテレビドラマの話もした。あれは見ない、と「おしん」というドラマについてハッキリ言い、だって同じだったから見るのがつらい、と。
農家を継いだ長男のお嫁さんは、やがて立派な高齢者となったが、超高齢お婆さんの仕事には手も口も出さない。
お盆さんが近づくとお盆飾りの素材を集めて庭に置くが、それ以上は手伝わない。お婆さんの働きで盆飾りが出来上がると、訪れる近所の我々に自慢する、
お婆さんのおかげでねえ。見てくださいよ、お婆さんしかできないんですから。
もう一軒の家でもお婆さんが超高齢になった。孫娘が勤めに出るようになり、勤め先の縁で布切れを持ち帰る。
これを細く裁断して、糸を通した針を針山に何本も差しておく。お婆さんは縁側に座り、腰紐を縫う。お婆さんから見ると孫娘のお母さんは息子の嫁だ。
高齢の嫁さんは、色とりどりの腰紐を並べて言う、どうか貰ってやってください。私たちは縁側に斜め座りをして雑談をし、腰紐をいただいた。
お婆さんは傍にお菓子箱を置いていて、下校する小学生たちにあげていた。これはウチの子から聞いて知ったことで、だから子どもたちはお婆さんが大好きだった。
いま、お婆さんは二人ともいない。なんだか風邪みたいだって寝たんだけど。寝込むたって2日。3日だったかな、亡くなってしまって。とのことだった。
どちらのお婆さんだったか、お二人とも同じようだったのだと思う、これはデイケアセンターとか、特養や老人ホームなどができる前のこと、昔話です。
今は、地域包括センターなどの車が走り回り、送り迎えをしている時代。
なんとかセンターの中では、きっと楽しいことだろう、和やかな笑いがあることだろう。でも、必要とされているか、どうか。
こんなことを思うのは、現実を知らない夢みるおバカさん、なのかしら。

電子書籍

電子書籍が現れてから9年、来年で10年にもなる。2社の製品を使っているが、その一つ、kindleの使い勝手が良い。
何しろ読もうと決めてから、わずかのキーボードの操作でたちまち手元に現れるのだからありがたい。
こうしてせかせかと欲しがるのは、たいてい資料のためだから、用事のある部分だけを使えば終わってしまう。
これだったら満足度100%と言って良いのだが、初めから終わりまで「読書」しようとすると、たちまち腹が立ってくる。
日本語の本の場合だが、不意に現れる傍線とコメント。目立たぬように、細い破線ではあるが傍線が引かれて、その冒頭の肩に「xx人がハイライト」と記してある。
たまにある場合もあるが、続く場合も多々ある。古本じゃあるまいし、傍線のある本なんか買った覚えはない。傍線あり、の場合は、古書でも価格が下がるのが常識だ。
いったい、どこの誰が他人のハイライトを見たがるのだ?
ハイライトというのは、マークしたい部分を指でなぞると色が変わる仕組みで、傍線を引くというより蛍光ペンで文字の上をベタ塗りにした感じである。
昨夜買った本を使おうとして開き、怒りが再燃した。腹が立ってかなわない。

テレビという代物はニュースを伝えるものではない、ニュースだったらネットの方が早いし、情報量も多い。
テレビは「みんなは、どう感じてるのかな?」を伺うためのものだ。だから、テレビを見て喜ぶ奴どもがハイライト何人、を知りたがるのではないか。
周囲の反応をうかがってのちに、自分の反応を決めようという化け物、幽霊。実態のない、無に等しいもの、それがうようよしている。
ハイライトの怒りの炎はさらに燃え上がり、だらけた幽霊、後出しじゃんけんを利口者と任ずる下劣な奴らに類焼する梅雨時の朝である。

もう一つの機種の方には不満はない。地味で大人しい器械だ。
この中に蔵書を自炊して収納している。自分で自炊した本もあるし、業者に依頼したものもあるが、もともと手放したくない蔵書だから、
内扉に蔵書印があり、書き込みも全部、そのまま入っている。ま、いいか。鎮火。

座禅

最近、座禅を復活している。まだ10日足らずであるから、始めたばかり。
今回の座禅再開は自宅での単独座禅。
以前は禅寺に通っていた。日曜日の早朝に座禅の会が開かれるお寺で初歩から指導していただき続けていたが、何かの怪我がきっかけでやめていた。
非常にしばしば怪我をするので、どの怪我が原因で辞めたのか思い出せない。
今回は単独修行。まずは、高野山のお坊さまたちがお作りになられたというお線香を500本買い求めたのである。
これで毎日一回、怠けずに座禅修行をするとして、約1年4ヶ月分の線香を手元に蓄えたことになるから前途洋々である。
1本のお線香が燃え尽きるまで約40分かかることがわかった。500本で2万分。これから2万分を無念無想で過ごそうというわけです。
座禅はじっと動かずにいるけれど大きな運動で、ある意味体操に匹敵すると思っている。
歩禅も運動になるが、正しく背骨を立てることが、私にとっては座禅から受ける大きな恵みなのでとても大切に思っている。
難関が無念無想。人間、眠っていたって無心ではない、夢を見てしまうこと屢々。
夢とは、日中の生活時に処理しきれなかった残滓を処理する脳内の作業過程が映像として見えるのだ、という説があり、これは説得力がある説だと思う。
座禅では目を閉じてはいけません、半眼を保ち、意識は清明にする。その上で無念、無想を行うのであるから、夢のように脳みそに任せるわけにはいかない。
いい加減にやることは簡単で、誰にも見えないのだから、何を考えていても済んでしまう、でもせっかくの修行だからと、
本気の無念、無想に立ち向かうと、これはもう、重労働としか言えない苦行と感じます。
ここまでが前置きです。
さて、夜明け前の庭に端座して座禅。なんとも素直に、なだらかに無念の境地、無想の世界が開けてくる「いっとき」に恵まれた。
清掃を行ったかのような、自分自身の心の部屋の中を感じ、期待もしなかった世界に驚いている次第。
喜ぶ以前の驚きで、無念とか無想とか言うから話がややこしくなるのであり、心の掃除、と言い換えるとわかりやすいし、手がとどく存在になるような気がした。
毎朝、30分ちょっとの時間、心のお掃除をする。
自分風に言い換えてみたら、2万分、行けそうな気になりました。

パンの感触

パン屋さんがたくさんある。
あんぱん、メロンパン、カレーパン。新作の人気パンも色とりどり。店の看板パンもある。
見た目も魅力いっぱいで、しかも美味しい。
好きなパンを持ち寄って、スープとサラダ、コーヒーのおしゃべりランチは手軽で気軽、すごく楽しい。

最近感じていることだけれど、この菓子パン類に限らず、食パンも、なんか、何かが変わってしまった気がしている。
口当たりが良くて、ふわっと軽く、いくつでも食べられる。お腹にズシリと来ないパン。
穀物を粉にして、こねて丸めて焼いていた時代から、完全に制御された工程を流れて末端消費者へ届けられる時代に移ったので、
その過程では消費以前に必要とされる加工と添加、つまり保存のためとか発色のためとかが数多あり、これも日々研究更新されているに違いない。
だいぶ前から末端消費食品の価格の値上がりが密かに続いてきており、最近ようやく、値上がりが顔を隠さずに現れ始めたところだ。
例えばパッケージを小型化して価格を据え置く方法などが多用されてきていたが、私の邪推だろうが、消費量を増やそうとしているような感じを受ける。
コクのない、お腹にたまった感じの少ない、見た目は大きくて派手なデザインで、実際にすごく美味しい菓子パン。
100円だったパンを134円にするだけでなく、3個買おうか、と迷うところを5個食べたい、とお腹に言わせる作り方をしているんじゃないか。
食べて美味しく、見た目も楽しい。もっと食べても大丈夫。お腹にはまだまだ入ります。
パン屋さんに並ぶ行列を眺めて、こんなことを腹に蓄えているのは、なあ〜

自分を信じない

自信がある、ない、という。これは自分の能力を信ずる、自分自身を信頼する、というような意味でしょう。
最近私は、自分自身の運動能力を信用しないことにしました。
高齢者の自動車運転能力について危ぶむ声があちこちから聞こえますが、車どころか自分の体を動かすことさえおぼつかないというのが現実じゃないでしょうか。
高齢の知人たちから、なんとしばしば「転びニュース」が届くことでしょう。転んでもただでは起きないのは若者です。タダでは済まないのです、骨折へ、安静へ、と進んでゆきます。

私は長い間犬と暮らしてきて、今は猫と暮らしていますが、犬、猫たちから学ぶことの一つが、高齢化した時の暮らし方です。
犬の場合、散歩している時に出会う相手と自分自身との力関係を、瞬時に見てとります。相手が犬であろうと、人であろうと、なんであれ動くものに対して見計らうのです。
壮年期の充実している時代には、胸を張り、正面から相手を見据えながら堂々と歩をすすめる、その様子は自信に溢れたものです。
犬の性質にもよるのでしょうが、私の相棒犬、千早は、攻撃的な気持ちは湧いていないが、比較にならないほど自分は強い、という気持ちに満ちていることが伝わってきました。
やがて高齢になり、歯を、特に犬歯を失った後の千早は態度が激変しました。
行く手から近づく大型の若犬に対してどうするか、というと、気がつかない顔をするのです。素知らぬ風で目をそらせるのを、相手も受け入れてくれて知らん顔ですれ違います。
冒険大好きで、どこにでも一緒に行っていた相棒だったのに、年を取ってからは毎日決まり切った散歩の道だけを、なぞるように歩くことを好むようになり、
しかも草の葉や石ころの一つなどに鼻を寄せて仔細に嗅ぐことが目立つようになり、慣れた場所で馴染みのにおいを確かめることが、彼女の大きな満足になりました。
年をとるって、こういうことなんだ、それを自然に受け入れて暮らしていると感じて、しみじみと心にしみたのでした。
その後、猫と出会って最期まで一緒にいましたが、この猫からも学びました。
隣の家の物置小屋の屋根から、わが家のベランダに、まるで空に浮かぶかのように身軽に飛び移ってくる。後足の跳躍力の凄さ。跳ぶ前に注意深く見計らう眼差しの真剣さ。
そして思う通りのジャンプを成功させます。
野生のものたちは命がけですから、スズメもツグミもムクドリも、猫に狙われたら必死で身を守る、それぞれの能力全開で猫から逃れようとしますが、若猫の能力はそれに勝っています。
この子、メロデイは、やがて高齢になり、1メートル足らずの台に飛び上がることができなくなりました。
推し量っている眼差しを見つめていると、彼女が自分の体力と台の高さを考えて、やめよう、と決めている気持ちが伝わってきました。
メロディは、記憶にある能力、空に浮かぶかのように跳躍できた過去を完全に棄て去り、今現在の自分の体力と相談しているのでした。
私たち人間は、なんと記憶を大切に抱え込むことでしょう。
二段飛びで駅の階段を駆け上がった記憶を抱えながら、玄関の上がり框に引っかかって転ぶ姿は、猫も呆れる馬鹿らしさではないでしょうか。
凡人の私は、仲良しだった犬の千早、友達だった猫のメロディから学んだ知恵に従い、過去の記憶に座らず、今の自分を見据えることにした次第です。

ロシアの作家、レフ・トルストイは、82歳の時に家出をして鉄道の駅舎で命を終えました。
寒いロシアの11月末です、承知の上での行動は、人間が記憶から自由になれないこと、肉体で生きることを超えて心で生きる生き物であることを伝えてくれるように思います。



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