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壺猫

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高齢者の務め その4

今年(2019年)4月、自転車で横断歩道を渡っていた母娘が車にひかれて亡くなり、9人の負傷者を出した、あの東京・池袋の暴走死傷事件で、運転していた男が11月12日になって過失運転致死傷の疑いで書類送検された。
本来なら逮捕されているのではないか、と不審に思われ、なぜ被疑者とせずに本名と肩書きが公表されているのか、と疑問を持たれ、通常の事故とは異なる対応が目立つ事件だ。
家族を2人、一瞬にして失った遺族が、厳罰を求める署名活動を行ったこともある、これは短期間のうちに39万人分の著名を東京地方検察庁に提出している。

交通事故は、馬車の時代から続いてきた。無念極まりない悲劇だが事実だ。桁違いの規模の航空事故もある。
が、この事件に注目が集まり、犠牲者と遺族に対する同情の念と並んで、加害者に対する大きな怒りが収まらない有様は、通常とは異なる要素が含まれているためではないだろうか。
大勢の人々から沸き起こる怒りの感情は加害者の反応に対するもので、この怒りは健全さの表れだと思う。
加害者の何に対して怒っているか。予約したレストランへ向かうために車を急がせていたという。
この事実は、半年も経った頃になってようやく白状したものだが、これは実は、どうでも良いことだ、気持ちが急いていたために起こす事故は多い。
このことよりも、事故直後に彼がとった行動は、筆舌に尽くしがたいものがあった。
報道によれば、彼は事故発生直後、即、自宅の電話番号を取り替えている。保険会社その他関係方面へ連絡、事故現場にはダークスーツの男性が数人以上、素早く駆けつけて対処行動をとりつつある情景が報道された。
こうした姿は映像に記録されてしまうから、口先で否定しても役に立たないのだが、この男は口先を用いて生きてきた経験則から、すべてをのらりくらりと言い逃れを試みている有様までが報道された。
考えてもみてほしい。
事故った直後に事故の重大性を認識、その上で被害者への行動を一切とることなく、自分の息子に電話連絡をして身の保全を図ったのである。
医師から膝の故障を指摘され、運転を控えるよう指摘されていたことも判明した。しかし当初の供述は、ブレーキが効かなかった、というものだった。
その後、ブレーキについての検証、ドライブレコーダーの記録の分析などがなされた結果、ブレーキとアクセルの踏み間違えが事故原因だと判明、断定された。
この男は、それでもまだ車のせいにして、「パニックになってアクセルとブレーキを踏み間違えた可能性もある」などと逃げ回ることを諦めない。決して認める発言をしないという。
警視庁は書類送検にあたり、この男が容疑を認めているかを明らかにしていないことからも、まだ逃げ回る気持ちを持ち続けているのではないかと思われる。自分の口から認めたと言わないことが有利に働くという計算か。
自分が殺してしまった若い母と娘に対しての気持ちが、欠片ほども現れていない犯人の挨拶言葉が発表された。しかも将来の車の性能がもっと良くなるようにと注文まで付け加えている。

言葉とは、なんと正直なものだろう。どこからか拾ってきたお悔やみの言葉を並べても、それはプリントされた無機質な文字であり、一文字として生きてはいない、そのことがわかってしまうのが健全な心なのだ。
だから、この男の言動すべてが火に油を注いでいる。
現場検証に立ち会う男の姿には、弱々しい老人の姿をいかに増幅してみせようかと努力している様がまざまざと見えている。若い者は、この姿に騙されるかもしれないが、同年輩の目はごまかすことはできない。
彼は有利になるようにと装っていた。不必要な長期入院生活の挙句の、芝居がかった物腰。唾棄すべき態度だ。

一所懸命に生きている高齢者の務めとして、この件をどのように考えようか。
残念ながら高齢の人々の発言手段は前世紀の段階で足踏みをしている。新聞社の投書欄にハガキ投書を試みるのが精いっぱいだ。アップするなんて、なかなか。炎上しても、その場に行かれない。
たいては夕食の時に、誰彼が喋り終わった後に、ぽつりと呟く程度が精いっぱい。
ああ。夕食の時に誰彼が、テーブルにいる? ここでもまた、いない、いない、というつぶやきが聞こえる。
沈黙の高齢者は、沈黙しているから中身がないのではない、内蔵している高齢者ならではの視点と感覚を、なんとかして世に出したい。

要らぬお節介かもしれないが

お節介か、姑根性かわからないが、黙っていられないということは、多少の関心を寄せていることの証左かもしれない。
天皇について。
大嘗祭が終わり、天皇が挨拶をされた。その時に思いついたことを話すのではない、用意した文章を読み上げるのである。
丁寧に、落ち着いて述べられ、終わった。
終わった、そのとき天皇陛下は背筋を伸ばし頭を立て、聞き入る人びとの上に、穏やかな視線を向けた。堂々、見事な一瞬であるが、なんとも「だらしがなかった」。
言葉の最後の一文字を発し終えたとき、彼は口を閉じることをしなかったのであった。
半開きの上下の唇の間から白い歯と、濡れた口の中が映し出されて1秒、2秒、そしてもっと。やがて報道の映像は切り替わってしまった。口を閉じなかったことに、この、還暦近い男は気づいていない。
だらしない。締まりがない。ボンクラに見える。なんてことだ。情けないったらない。これでなんの象徴か。みっともない。もしかしてバカ丸出しか。

日本から天皇が消えるか、存続するか。日本人にとって、この問題は深い関心の元に賛否両論が続いている。
どちらが良い、よくないの問題よりも前に、第一にあるべきは天皇が天皇であることだ。妻子、兄弟も甥姪も、一族がおしなべて天皇一族でなければ話が始まらない。
今回の一連の儀式の報道を見た限りの、巨象の一部分であることは言うまでもないが、天皇周辺を固める近縁の人物群の中で、皇室人としての安定感を持って映っていたのは常陸宮夫妻と麻生太郎夫妻だった。
常陸宮妃の姿が久々に映された。なんとデカイ顔をして生きてこられたことか、あのお嫁入りの時から今までを。堂々、揺るぎない土台の上に立っている人相であった。

改めて虚心に、古代の歴史を勉強しなければならない。
単純なフェミニズム思想に覆われてしまっては、本質が隠れてしまう部分があると考えている。
歴史と考古学の接点の融合はもとより、あらゆる分野が連結しなければ見えてこないものが、あまりにも多い。
動物行動学の面から、人間女性の力を研究してもらいたいと願う。
その先に仮説として見ているものは、母の力の大きさ、重さ、強暴とも言える底力だ。
もしかすると、美智子皇太后、雅子皇后、そして秋篠宮妃の3人が皇室の本質を溶かしてしまうのではないか。これは愚考か妄想か。

悟った!

長年、座禅に関心を寄せており、今までに座禅をする機会に恵まれたことが二回あった。
が、それぞれ具体的な不可能理由が生じて中止していたが、改めて接することになった座禅は続いている。今回はお寺に行かず、御坊様にも会わず、テキストとVTRのみという座学である。
実際にお寺で経験していることが土台にあるお陰にちがいない、一日も欠かさず続けてこられて最近では、これがないと、その日が始まらない気持ちになってしまった。
一日一回の座禅が安定したならば、夜明けと日暮れどきに、つまりお寺の鐘が鳴らされる朝夕に行いたいと願っている。
続けてみて初めて発見できる事柄が多い。テキストの師家は山川宗玄という、私よりずっと若い御坊様だが、話すことの端々に宝物がたくさん転がっている。
端々ではない、中心に置かれるものは、それこそ大切な宝物なのだが、それ以外にも、という意味だ。
合理的にできているんです、とおっしゃる。これが、わかってくる。わかってくるのが面白いし嬉しい。
座禅という行為が世間で言われる無念無想というキャッチフレーズに覆われて見えない部分、身体を整えるため、呼吸を整えるため、という、この二つの部分が如何に大切か、このためだけに座禅をしても良いくらいだと身にしみてきた。
山川師家は椅子座禅もお勧めになる。
仏教はインド生まれだから、インド人の体格に向く修行方法なのだ、足を、あのように組むのは日本人の体格には元来不向き、座禅はヨガの一形態なのだという。これは無理にするべき体型ではないと安心した。
座禅の基本は、健康体を作ることにあるのだな、と「悟った」。
食べ物も、土地の野菜と米、そして多様な豆類だ。これに海藻が加わっているようにも見える。僧坊の食事時間は早朝と正午の二回で、夜に薬石という名の軽い食事がつくという。
アラビア人の食事時間が夜明けと正午の二回だという話を読んだことがあるが、この習慣と重なるものがある。夜の食事を軽くすることもまた、健康に良いのではなかろうか。
などと思い巡らせた結果、お坊様が長命であることは決して偶然ではない、と「悟った」。
僧坊の真似をして濡れ雑巾で拭き掃除をする。棒の先に板っきれをつけたものに、不職布のようなシートをつけて拭き回れば楽々なのだが、楽をして身体を怠けさせて何か良いことがあるのだろうか。
フィットネスクラブに入って白ネズミが輪車の中を駆け回るようなことをやって時を過ごし、家ではじっと動かない暮らしって、私には向いていない。
最近嘆かわしいことは、抜け毛が激しいことだ。白髪が目立つ、あっちにもこっちにも落ちている。ブラッシングしてたくさん抜け毛があるのに、まだ抜けるつもりか、と呆れてしまうが止まない。
今の季節、秋は猫の毛は増える一方で抜け毛は皆無に近い。春先には大量に抜けるために掃除に困難を極めるが、この問題は横に置いておいて、人間の抜け毛だけを思うとき、ハタと「悟った」。
お坊様が坊主頭であることは合理的なのだ。僧坊がいかに広くとも、大勢の坊さんたちが長髪で修行をしていたら、掃除が桁違いに大変だろう。
座禅は興味が尽きない、次々に悟ることができる。

天皇即位 もっと言いたいことがある

豪雨が気がかりで、何日か前の天皇家のことを書き残しました。
腹立たしい行いを知るに及び、怒りが収まらない。この怒りは、何に向けられた怒りでしょうか? それとも見当はずれの怒りでしょうか。
怒りの矛先は、詳細に報道された「饗宴の儀」の料理のメニュー、10月22日の内容を知るに及び、その中に含まれていた食材のひとつに向いています。
「饗宴の儀」は、国内外から広く賓客を招いた、天皇陛下即位祝賀の大宴でした。豪華で立派なお料理の何が気に障ったのか、説明します。
献立の中の温物として茶碗蒸がありました。この内容が、フカヒレ、マイタケ、ミツバ。
私の怒りは、フカヒレに向いています。
世界中の大切なお客様の前に、シャークのヒレを「ごちそう」として出したのです。
シャーク ショックに絶句した人がいなかった、と思いますか?

残酷なサメ殺しを見聞きして、眉をひそめていた人々が、日本第1級の宴のご馳走として、サメを食べる羽目になった。
私は食べた、と帰国して土産話をするでしょうか。とても食べる気持ちになりませんでした、と声を落とすでしょうか。
世界中に珍味はあり、それは結構なことですが、世界中が真剣に自然保護を考えている今現在、クジラ、イルカ、サメなどを食材とするありようは、慎重に、深い思慮を持って繊細な神経で向き合わなければならないと考えています。

カナダ・トロント生まれの映画製作者・環境活動家のロブ・スチュアート(Rob Stewart)制作のドキュメンタリー映画「シャークウォーター 神秘なる海の世界」(Sharkwater and Revolution 2006年公開)は、彼の代表作で、しかも世界中で評判になりました。
これはサメの持つ負のイメージを抜け出して、サメの美しさと魅力を伝えようとした海洋ドキュメンタリーです。
彼は世界中のサメを撮影してゆく中で、産業化しているフカヒレ・ビジネスに出会います。
しかも、このビジネスによってサメが既に危機的状況に追い込まれている現実を見たとき、美しい映像を求める当初の目的は環境保護へ視点を移し、マフィアも絡む危険な取材へハンドルを切ったのでした。
劇的な制作意図の変化は話題を呼んで、ついに「フカヒレ使用禁止運動」が起こるまでになった、この有様を日本の人々も知っていたはずです。
続編撮影のためにフロリダでスキューバダイビング中に、37歳のロブが亡くなったことが、さらに注目度を高めていた、この矢先の「フカヒレ茶碗蒸」です。

返す返すも、残念な食材の選択でした。誰が選んだにせよ罪は宴の主にあります。
しかも彼は、水に対して深く関心を寄せている人物と、内外に知られています。
こういうポカをやるんなら、天皇も象徴も降板してよね! 日本の恥じゃないのさ!

地球温暖化

「神田川紀行」執筆のために神田川を取材したとき、両岸沿いに点在する遺跡を意識しながら歩いた。
今、これが頭にある。
遺跡として住居跡が残っているということは、その場所が安全な地帯であったという証拠になるのではないか。
遺跡は川の上流、中流域に点在していた。
下流になると遺跡は突然消えて、歴史の事跡看板が現れ、しかも非常に多い。
そして過密都市「江戸」の水害記録は下流域に集中していた。たかだか20キロの短く細い川だが、東京都になってからも幾度となく水が出ている。
私は、この水害記録を調べてみたいと思った。遺跡をつないだラインの川寄りの地帯が洪水域になっているのではないか? というのが私の仮説だ。
つまり遺跡よりも川から離れた土地に住めば安全なので、昔の人々の住居遺跡は、安全地帯のラインを示しているのではないか、と考えた次第。そして思った、遺跡や出土品は、単なる記録保存のものではない、いまも我々に語りかけてくれているんじゃないか?

東京都と神奈川県の境を流れる多摩川も今回の台風19号水害に襲われた。今回の出水に対して遺跡から声は上がらなかったのだろうか?
リバーサイドなんとか、という洒落た名前の高層マンションが、多摩川を見下ろす絶景の地に建てられて人気の的となっていた。
東京都側は上野毛、等々力、田園調布、久が原、矢口渡と羽田空港方面へ下る形で並ぶ名だたる住宅地、神奈川県側は人気の高い武蔵小杉を中心に河口近い川崎大師まで過密と言える住宅がひしめいている。
この川沿いに建築した高層マンションからは、公園のような河川敷に広がる緑、美しい波模様を見せて光る流れを眼下に楽しめるのである。
こうした建物の地下が浸水した、1Fが浸水した。
この上流の狛江では1974年に堤防決壊、民家19戸が流された。この時はもう、家が丸ごと多摩川を流されて下って行ったのであった。

この小さな日本列島は、本州中央を貫く険しい山岳地帯を抱えている。
日本国土のうち森林は66%、総人口およそ12625万人。この人びとが残り3分の1の土地にひしめいているのだ。過密状態であるのに、少子化を憂えて、もっと人口が増えたら良いと願っているのである。願う一方で、水害で命を失うのである。
これではいくら税金を増やしても焼け石に水ではない、大水に金である。
じゃあ、出水懸念地域に住むのをやめたらどうだ、という話になるが、それができたらいうことはない。崖っぷちだろうが、山懐だろうが、海辺、川べり、躊躇なく住まないと居所がないのが現実である。

神田川に戻ります。
あの、人工的な小さな川の岸辺近くに、有名な人たちの居住地があります。
お殿様たちの下屋敷跡など多々。見事に安全な場所を選んでいるのがわかります。見る人は見て選んでいる。選び取る力も持っていました。

今日の時点に立って改めて思うことは、すでに遺跡など役に立たないんじゃないか、という不安と恐れです。
来年も、今回の19号のような並外れた規模の台風が来るんじゃないか。今回だけの特別台風ではないんじゃないか。
そういう疑いの表情が、出会う人ごとに共通項として認められて不安を増幅させます。
顔を見合わせて囁く、地球温暖化? 海水の温度どう?

不思議だなあ

前からずーっと不思議だなあ、と思っていることがある。でも、喋ったことはないし、誰かが呟くのを聞いたこともない。
それは、日本の天皇一家の衣装のことだ。今月、パレードがあるとかでリハーサルなどの模様が映像に出るので改めて不思議感覚が蘇った。
それは正装の衣装が外国風であることだ。ローブデコルテとやらの、真似もの姿であることが、不思議でならない。
伝統に則った祭祀が行われる、その時にお召しになる和風衣装も揃っているのだし、首尾一貫して日本の天皇一家らしく堂々日本スタイルを通したら見事なのになあ。
日本は戸籍制度などのような古い体質を引きずっており、決して今時の世界水準ではない部分を抱えている一方で、うわべの真似姿をして見せる態度は、人まね小ざると揶揄されても返す言葉もなかりけり、だ。

私が相撲を好むわけ

私はお相撲を観るのが好きだ。テレビが市販された最初の時期からお相撲の中継があったように思う。14インチのモノクロ画面の正面に正座して見つめたお相撲さんたち。
鏡里、栃錦、朝潮、吉葉山。美しい吉葉山、鏡餅のようなお腹の鏡里。これがお相撲さんというものか、と目を見張った。
今は外国出身のお相撲さんも大勢いて素晴らしい、どの力士も、それぞれに見所がある、昨夕は「栃の心ガンバレ、五分になるっ」と叫んで応援した。
どこがどのように良いのかな? 一つは他人事だから。走ったり泳いだり、ボールを投げたり受けたりは、ああ、すごいなあ、私は何一つできない、と身に滲みつつ眺める部分があるのだが、大相撲にはそれがない。
それより何より良いことは、敵味方がないことだ。ものすごい闘志を持って裸一貫、力を競うのだが東と西である。
この一点で私は大相撲を好んでいるようなものだ。
戦争反対と言いながら、どうして人は、日常生活で戦争用語を多用したがるのだろう? 敵とか味方とか。戦略とか。野球でもXX軍とか。

乗用車の顔

車を正面から眺めると、左右に付いているヘッドライトが目玉のように映り、なんとなく顔のように見える。
私が持っていた車は、まん丸な目玉で、まるで笑っているかのような表情だった。私の仲良しさんが持っていた車も、車種は違ったけれど笑顔で小柄な車だった。
世の中に車が氾濫しているけれど、まん丸目玉で笑顔の車を見つけるのは難しい。本当に貴重な車だった。
顔と思って正面から見てみると、恐ろしや、目がつり上がり、歯をむき出し、噛みつきそうな表情をしている。いまどきの乗用車は、皆コレだ。
大型のトラックなどの仕事車は、そんなことはない。真面目な、四角張った表情で黙々と働いている。
なぜ、どうして、乗用車の表情を、これほどまでに獰猛なものにする必要があるのだろう?

高齢者の務め その3

大日本帝國が、戦争に負けてからハダカの日本国という名に変わり、74年経ったという。
ごく最近になって、あの時の戦災浮浪児が8月のニュース周辺の報道に現れるようになった。
私自身は焼け出されてのち転々としてはいたが家族は無事だった。ラジオでは菊田一夫の子供向け連続ドラマ「鐘の鳴る丘」が放送されるようになり、毎回聴き入っていた時代だ。
これは戦災孤児たちが収容されている施設のドラマだった。当時、東京上野の地下道には、浮浪児が溢れていた。上野の子達は、親代わりの人さえもなく、どんどん死んでいった。
私たち子供は、国民学校から小学校と名を変えた学校の校庭で始まった青空教室から、バラック校舎ができて二部授業に変わり、午前中通う生徒と、午後から学校へ行く子たちがいた。
半世紀過ぎてからも、上野の子達はどうしているだろう、と度々思いやったが、手がかりはなかった。ごく最近になって図書館で1冊見つけたところだった。
それは戦災孤児が自ら記した記録ではなく、子供らを救い、食べさせた人が書いたものだった。
栄養失調と感染症で死んでいった中で、生き延びた数少ない孤児たちには、青空教室さえもなかったのだ。
邪魔にされ、信用されぬ目に晒されながら、命の糸だけにしがみついてきた孤児たちに、今、どれだけの表現出力があるだろう。
戦争を知らない世代の人たちの、まっさらな澄んだ目で、年老いた孤児たちから、わずかでも聞き取って残してほしい。戦争がもたらす影響は、破壊と殺戮の現場だけではない。

さて、高齢者の務めとして、戦争の記憶を後世に残す仕事がある。
こんなに殺されました、こんなに焼けました、という現場と並んで、ぜひ語っていただきたいことは、以後、どのような衝撃によって、どのように自分自身が変化したか、という心の軌跡だ。
私は、全国各地の同人誌で活躍している高齢の作家たちに、このことをお願いしたい。筆力のある方々である、高齢でなければ成しえない仕事であります。
高齢者の務め その2で、少し引き合いに出させていただいた仲代達矢氏。
終戦を境に、大人たちがどのように変化したか、その変化ぶりを眺めていた少年の目が、何を捉えたか。仲代達矢さんは、「大人ども」と表現して語っていられる。
やがて日本を代表する大俳優となる仲代達矢さんは、「大人ども」の変化ぶりを目の当たりにしたことが、炸裂する衝撃だった。あれほど憎み嫌っていたアメリカを、一夜明けたら……。
少年、達矢は、学歴、職歴なしの姿で世に出て行く。これが、戦争が仲代さんにもたらした影響なのだった。
役者さんだから、多感な少年時代に、この変化をもたらした怒り、落胆、悲哀、諸々を、映像として手渡してくださった。改めて演劇の力が身にしみる。
本ブログの主要読者である同人誌作家の皆様、ぜひペンをして表現してくださいますよう。

高齢者の務め その2

今日は8月6日。広島が一瞬にして壊滅した日だ。
この時期の日本各地の出来事を記憶している人たちは、プラスマイナスなしに、ありのままの記憶を次世代に手渡す役目を担っている。
年齢を重ね、経験したことを繰り返し語り続けるうちに人の心は変化し、経験したこと以上に大きく表現する場合が出てくる。あるいは、人から聞いた事柄を、自分の経験であるかのように語ることも出てくるとも聞いている。
しかし、これをやっていたら「藪の中」だ。後世の人々の役には立てない。
記憶は固定した岩のようなものではない、記憶は生身の人の心の中に息づいて、その人と共に暮らしているから、意図しなくても変化して行く場合が出てくることは、言い換えれば生きている証拠かもしれない。
最近、NHKの番組「ファミリーヒストリー」で、仲代達矢さんが都心で空襲を受け、焼夷弾の雨の下、手をつないだ見知らぬ少年が一瞬のうちに消え、仲代さんの手の中に、少年の腕だけが残った、という記憶を語られた。
そして付け加えられたのだ、最近です、このことを話し出したのは、と。
あまりの辛さに、70年もの間封印し、沈黙を守ってきている人がいる。というか、口にできない。語ってくれる人がいる一方、こうした人も多い。

残されている映像や文書をアンカーとして、できる限り多くの人々の中にしまいこまれているものを集めてまとめてゆくことが必要だと思う。
誰も主張しないが、日本の各地を、町村単位でもなんでも良いから区切り、その土地にいた人の記憶を記録していきたいと思う。
戦争の被害に遭った人の言葉だけでなく「遭わなかった経験」をも記録したいと思うのだ。
多分、空襲を知りません、家は焼けませんでした、飢えを感じませんでした、戦死した家族はいません、などという人々がいるはずだ。これが、とても大切な記録になるはず、と思っている。
在ったことだけを記すのではなく、存在しなかった、ということをも記してゆくことで、立体化するはずなのだ。
全国に点在する文芸同人誌は、こうした仕事に加わってもらえないだろうか。高齢化を嘆くことなく、むしろ高齢の同人だからこそできる働きをしていただきたいと思う。

映画の話 その1

長野県には優秀な同人誌が多い。しかも素晴らしいことは「信州文芸誌協会」という組織を持ち、これに加盟している文芸同人誌が8誌もある。
連携し、交流し、切磋琢磨しているだろうと、贈呈を受ける当方個人誌は、輝く高峰を仰ぎ見る思いで読ませていただいている。
一方、私の住む地域でも催しあり、今度、第三回全国同人雑誌会議 in Tokyo が開催されるので、当方も持論を述べたく、楽しみにしている。みんな頑張っているなあ、真夏、酷暑の季節は秋の発表に備えて芸術家たちの力の込め時であります。

同人誌の話題かと思うでしょう、ところが違って映画の話題です。
こうした同人誌の中の一つに映画『哀愁』についてのエッセイがあり、これを読んだことで、一挙に「哀愁」時代へ関心が集中。
というわけで、これから何回か、映画昔話を楽しもうと思います。
このエッセイで、まず目に飛び込んできたものは、タイトルページに掲載されたカラーの映画ポスター。
原題『Waterloo Bridge』日本公開名『哀愁』。原題はイギリスのテームズ川にかかる橋の名前。この橋を手前に描き、主役の二人、ロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーが浮かぶ。
なんと筆者は、このポスターを所有していられるという。1950年前後の時期に街で眺めたこのポスター。当時の映画館は、切符売り場の横に奥行きの浅い大型のショウウインドウがあり、上映中の映画シーンのモノクロ写真が何枚も飾られていた。
この中のどれでもいい、一枚でいい、欲しいなあ、と長いこと佇んで眺めたものだ。
戦争中には一切入ってこなかった外国映画が、終戦後にどっと入ってきた。映画『哀愁』もその一つで、製作は1940年アメリカ。日本公開年は1949年だった。
まだ白黒映画時代だったから、カラーのポスターは加工されたもので、デザインも多分、日本の絵描きさんの手によるものに違いない。当時の外国映画の大画面広告やポスターは手描きで職人芸だったから時に稚拙なものもあったが血が通っていた。
当時はまだ混沌とした世相で、筆者は私同様、通学途上でこのポスターを眺めていたのだ。私と違うところは、手に入れたことだ。
カラー写真もない、コピー機もない時代のことだから、これがどれほどの宝物か、筆舌に尽くしがたいのである。
それにしても哀愁というタイトルの、なんと味わい深いことか。当時は、日本語の題名を付けることに、本当に気持ちを注ぎ、良い題名をつけたと思う。良いタイトルの筆頭ではないでしょうか。
今時は、原題をカタカナ変換して終わり、という映画ばかりになってしまった。

『哀愁』は、1939年9月の英独開戦の日をドラマの背景として破局の恋を描いた映画。
あらすじは、イギリス軍将校のロイとバレエの踊り子マイラがウォータールー橋で出会う。ロイ戦死の報せにマイラは希望を失い娼婦となるが、ロイ生還を知り、この橋の上で車に身を投げて死ぬ、というものだ。
高校生だった私は、見たこともないような美男美女、本当に二人は美しかった〜、の恋物語に心を奪われた。
英語は聞こえない、歴史は知らない、外国の風習もわからない。それなのに胸いっぱいになって、素敵だなあ、かわいそうだなあ、とため息をついたのだ。
DVDなどが一切ない時代だから、もう一度観たいときは、改めて切符を買い、映画館へ入るしかなかったのである。
筆者は、こうして出ては入りを3回繰り返したと書いていられる。5回観たという友人もいるとも、書いておられる。
私は一回見ただけだったが、今時の映画鑑賞態度とは天地の差があり、一言一句、あらゆるシーンを脳裏に刻みつけようという気迫と熱意を込めて見入ったものだ。
だから、娼婦となったマイラが帰還した将校のロイを目にした瞬間の、衝撃の表情は今も目に浮かべることができる。
実際、この作品のリーは良かった。前の年に『風と共に去りぬ』の主役を得てアカデミー主演女優賞を受賞し、本作は、その翌年に作られているから華々しい時期だったろう。
ヴィヴィアン・リー自身も、彼女の出演作の中で最も好きな役だと語っているという。

高齢者の務め その1

長寿。一昔前は還暦まで生きたら大満足の長寿だった。不思議なことに、さらに遡る大昔から、90歳を超す大長寿の人はいたが、非常に稀だった。
日清日露の戦争から太平洋戦争の時代に入ってからは、自然が与えてくれた寿命を全うする人が急激に減っていった。
戦争を止めてから、医学の発達と相まって私たちの健康は守られ促進され、寿命も飛躍的に伸びている。長寿社会、などと言われるようにもなった。
でもでも、全員揃って長寿ではないのだ、どれほど手を尽くしても助からない命は多いし、不慮の死の報せに胸潰れるのである。
今、自分が思いもよらぬことに80歳をこえて生きていることを意外に感じ驚きを持って受け止めているが、同年輩の人々を見渡すと、
健康体が続くように頭と体の体操をし、体に良いと言われるものを食べる、などの防御と保持に努める姿が目に入る。
それは良い、とても良いことだが、この点に全精力を傾けて日を過ごし、満足しているように見受けられるが、それで? という物足りなさはないのだろうか。 
もっとも世間のアンケートなどでは、せいぜい70歳代までのデータを取っており、80以上は視野に入れていないので、70歳代までが対象なのかもしれない。

しかし、80代の人間も、今現在生きているのである。なんとかケアの親切な方々がドアチャイムを鳴らし、お元気ですか? お変わりありませんか? と尋ねて下さる、
つまり、おい、大丈夫か? 生きてるな? ということなのだが、この親切心に対し、ありがとうございます、おかげさまでと、頭をさげる、
これだけで生きていることになるのだろうか? 後続の人々のために何かできるのではないか。
漫然と、自分の体を明日に繋げることだけのために生きているとは、つまらなくないか? 物足りなくないか? 恥と思わないか?
このことを考えていこうと思う。
今日は、ここまでだ、1日にできる仕事量が、目に見えて減っている。現実は厳しい。午後ともなれば午睡なしには続かない。
この、力のなさを認めた上で、高齢であるがゆえに言える事を発信したい。

やっぱり我慢

公立図書館の蔵書の話題です。ベストセラー、人気の小説本に殺到する図書館利用者に対する図書館の対応について。
こうした人気の本、読みたい人が大勢集まる本の場合、図書館では、読者の要望に応えるべく何冊も購入する。
例えば10冊購入して利用者に提供しても、予約者が200人並んだとすると、1冊あたり20人が待つことになる。
借りる期間は一人2週間で、予約者がいる場合は延期はできない仕組みになっているのが、大方の図書館の規則だ。後に予約が入っていない本の場合は、一回のみ延期が認められるので、合計4週間、自宅に持ち帰り読むことができるのが図書館の本だ。
だから20人が、各々2週間ずつ借りたとして40週。約10ヶ月が待ち日数という計算になる。
実際は、数日で返却する人もいる代わりに、催促を受けても、なかなか返却しないというか、できない状況の人も出る。さらに、予約した図書が用意できました、と通知を受けても、即日図書館に受け取りに行く人、週末に受け取りに行く人、と様々であるから、
待ち日数は計算通りには行かず、短くなることは、まずない。
こうした多数の希望者のために、図書館は複数の本を購入するのだが、私は、これはやめたほうが双方のためだと思っている。瞬間風速的に希望者が殺到した後は、見向きもされない放出本となるのは、著者に対しても失礼な話だ。
図書館には、蔵書数を増やす方向へ、あるいは有益な活動へ費用を回してほしいと思う。
図書館の利用者は、たとえ予約が200番目であったとしても待つべきだ。200番目だったら100か月。待ちましょう。我慢しましょうね。待てないのだったら買ったら良い。
もしも私が図書館だったとしたら、発行日から1年間は館外持出禁止にする。たとえどのような書籍であろうと。
図書館は、無料で読みたい、の声に押されることなく、多部数購入を我慢すべきだ。こうした場合、我慢の態度は不親切と捉えられては不本意だからと、要望に応えることは、図書館の利用者を一人前の図書館利用者に育てる努力を放棄したことになる。
図書館に限らず、一般国民と接する公共機関は、要望に応えてなんでもいたします、という態度を改めて、毅然としてあるべき姿を見せなければいけない。
こうした我慢は、心ない非難を浴び続けることになるかもしれないが、10年、50年、100年後に、必ず民度が上がるという結果に繋がるはずではないだろうか。


うちわ

うちわの季節。
竹のうちわを愛用していて、絵の太さが15ミリくらい、握りやすい。
以前の紙は破れたので洗い流し、手持ちの和紙を張った。これに毛筆で3行、
中央に大きく「不知老之
將至」と書いて、両脇に放射状に「發憤忘食」と「楽以忘憂」を配した。
これは立派な孔子さまの言葉、と読む方もいられるかもしれませんが違います、自画像であり、訳しますと
  棺桶に腰掛けてるって自覚がまるでなくてね、
  世間でけしからん事件があるとカンカンに怒りまくってランチも忘れてしまうし
  ちょっとばかり面白いことに首を突っ込んだら、もう悩み事なんかそっちのけなのよね〜
扇げば涼し、古団扇

我慢するということ

先ごろ、どこぞの城にエレベーターをつけたのは、余計だとか、つけるべきだとかいう雑談を耳にした。論議ほどのことではないらしいが、障害者団体などが、弱者に優しくしようという趣旨からエレベーターの設置を主張しているらしい。
先日鎌倉の鶴岡八幡宮に行ってきた。あの大銀杏はなくなっていたけれど、七夕前であったので飾りも華やかで、観光の人の多さには驚いた。
参拝する前に、近くにある鏑木清方記念美術館に行ったために疲れてしまい、本宮(上宮)を見上げて、これはお参りできないと悟った。階段を登りきるだけの体力はないとわかった。
大石段を見上げて、ここまで来たことを喜び、下にある若宮(下宮)でお参りして帰ってきた。
お城を昔通りに復元することを目的として工事をした、にもかかわらずエレベーターをつけようという発想は、どうにもいただけない。昔はなかったのだから、つけたら昔通りではなくなってしまう。つけるべきではない。
鶴岡八幡宮にしても、あれだけ大勢の参拝客がいても、大石段の横にエスカレーターをつけていないではないか。拝みたいが大石段を上がれない人は、下の若宮で拝むようにできている。
障害者であろうと、体力不足であろうと、できないことを我慢すべき場合があることを知らねばならぬ。鉄道の駅に設置するエレベーターは、公共の施設としてありがたいことだ。しかし公共施設が整えられたから、あれもこれも全部と希望するのは、了見が違っている。
東京町田市にある、白洲次郎・正子夫妻の住んでいた武相荘が公開されているが、ここは車椅子は入れない。障害者割引はない。小学生以下は入れない。
段差があり、やたらと高い敷居があちこちにある、こういう家で高齢の正子さんが暮らしていたのだと、入ってみると体で分かる。このような家の中を動き回ることは、苦労だったかもしれないが、体力の保持につながっていただろうと想像できる佇まいだ。
人間いろいろ欲望はあるだろうが、金がなければないなりに、体力がなければないなりに、我慢と工夫で生きてゆくのが自然なのだ。不足分を抱えていると我慢力も工夫力も発達する。自分には、その力がないと身にしみたところで我慢する力だけは手放してはいけないと思っている。甘えたから、欲しがったからといって、何でもかんでも欲望を満たしてあげることは、どんな場合でも良いこと、だろうか?
このことを強健な若者が主張しているのであれば、高齢者の暮らしの苦労も知らないで、と笑うこともできるだろう。しかし80歳を過ぎた体で喋っているのだから、自分自身を含めての覚悟である。
知人の一人が熱意のあるボランティアと自覚している人物で、ある時、身障者をハングライダーに乗せてあげることを成し遂げた。成功して喜んでいたが、このような行為は支援ではなく、ねじ曲がった、歪んだ精神の自己満足でしかない。
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