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壺猫

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真似、学ぶ

「真似する」という言葉と「学ぶ」という言葉は、合体してもいいんじゃないか、とさえ思うことがある。
サル真似という。これは上っ面を真似することで、揶揄する響きがある。コピーキャットcopy catという。これも他人の行動、服装、考え方から何でも真似をする人のことを言う。子どもたちが真似っこをするとき、からかって使っていたが、これは英語で通用する表現で、日本では使わないのかもしれない。
ともかく、猫が人真似することを言うのだが、猿と猫の仲間に烏を入れてあげたいというのが本文の趣旨であります。

真似をすることで学習する。記憶して使う。さらに教える。サルもネコも、そしてカラスも、これをする。

私はサルと付き合ったことがないので何も言えないから言わないことにして、ネコは何匹か付き合いがあり、今も富士とマルオと付き合っているから、多少のことは言える。富士は人工的に繁殖させられたネコであった。誕生前から人の手のうちにいて清潔なタオルに包まれて育ってきた。今も室内にいて、散歩に出るときはリードをつけている。いつも私との二人暮らしであるから、ネコ同士の付き合いは自由ネコのマルオとの網戸越しに限られる。富士は、わずかの時間の網戸越しの付き合いからマルオのすることを観察して覚え、後で真似をしてみることを始めた。マルオには食後の習慣がある。満腹すると正座して、片手を使い顔を洗う。耳の後ろに手を回して鼻先までを丁寧に清掃する。左右しっかり行う。これが終わると手のひらを舐める。犬と違って手のひら返しができるので、爪の根元も綺麗に掃除する。長々と顔を洗うマルオを眺めていた富士は、ある時からマルオそっくりの仕草で顔を洗うようになった。富士は、これをしなかったのだ、長い間。知らなかったのだ、顔を洗うということを。
仲間から学ぶことがたくさんあるに違いない、富士は、顔を洗えるようにはなったが、今のままの交流態度だったら、まず猫社会には入れないだろう。社交ができない。マルオを眺めて仔細に観察し、真似はするが、近寄ってくると大口を開けて威嚇する。恐れている。付き合いの経験がないから恐怖しか抱くことができない。
幼い頃から仲間とともにいることが、どれほどの物をもたらすか驚嘆する。これは他人事ではない。

カラスとは長い付き合いをしてきた。二階のベランダに雨水を貯めている水槽がある。この水槽でカラスが水浴びをする。カラスの行水というのは、入浴時間が短いことのたとえだけれど、野生のカラスは水浴びが大好きだ。良い水場があれば毎日水浴びをする。子連れのカラスが来た時、親が水浴びをしてフェンスの柵に戻った。巣立ちをしたばかりの子ガラスは初めての水場で、柵から見下ろすばかりである。何度も何度も、親ガラスは水浴びをして見せて柵に戻る。根気よく繰り返す親ガラス。じっと見おろす子ガラス。それを物陰からじっと見つめる私。
これはヒトの時間ではないのだ、カラスの時間が流れているのだから、私にとっては痺れる長さだが、カラスはこともなげに続ける。そうして。ついに子ガラスが不器用ながらも水槽に飛び込んだ。
ヤッタァ、と喜んだのは私で、親ガラスは、生まれて初めての水浴びを味わっている子ガラスを残して晴れ晴れと飛び去っていった。
翌日からは、一緒の水浴びになった。教えたのだ、学んだのだ。

日本列島丸ごと汚染

戦災を記憶する立場から、改めてフクイチに言いたい、「日本列島丸ごと汚染」をしてはいけない。

先日、東京の生活道路を歩いていたとき、二台のトラックのために道を避けた。この他県ナンバーの大型トラックは正規の営業車で、フロントグラスに「汚染土」と記したカードを出していた。
残土ではない、汚染土。これは放射能に汚染された土で、一定の基準値以下の汚染土を日本各地の道路工事などに使用しているものである。
基準値は、どのような根拠をもとに決めたにせよ、その時々の都合で数値を動かす以上、存在しないと考えたほうが良い。

このことは今般注目されている「共謀罪」についても言えることだ。
一般人には関係ないと強く主張しているが、コイツを捕まえようと狙った時は、一般人という枠からソイツを外せば良いのだ。あなたは一般人とは認められません。この一言で、自由自在にターゲットにできるのだ。理屈と米粒はどこにでもつく。

さて、被爆地から水漏れ水栓のようにダラダラと運び出し、日本全国の土に染み込ませてゆく方針は、最終処理場を作らずに済む、便利で目立たないやり方だと言われている。
この判断と決定、実行までの段階に、個人が関与しているのだろうか。組織という怪物が動かしているのではないか。
結果、福島の汚染地域は希釈され、範囲は限りなく縮小され、復興という元気の良い、明るい声の後押しで過去に押しやられてゆくのではないか。

一方、日本人の癌罹病率が上がっている、という報道、他方、癌治療研究の優秀さと進歩状況の報道がなされて、誰がいつ、癌にかかってもおかしくはないのだという常識化と、たとえ癌にかかったとしても、もう怖くない、治るんだという明るい希望を、抱き合わせに大衆に浸透させてゆく。
これも特定個人の言動行動によってではない、組織の力の企みだろう。

組織という怪物。鵺のような組織。
これは、ヒトが自然から授かった道具で、ハチ、アリも授かっている。この道具なしに蜂の巣は作れないし、巨大なアリ塚も築けない。
多数生まれて役割を分担したそれぞれが実によく働く。その一つに、お前、何をしでかした? と詰問してみたところで埒はあかない。
ヒトは今、組織からにじみ出る毒素によって、自滅する道を歩き始めている。

我慢が大切だ。言い換えれば、待つ力を蓄えることだ。
欲しい、どうしても欲しい。原子力を使いたい。
だったら、最終的に処理ができる力を持つまでは使用しない、このガマンが必要だ。
これは世界中の全ての生き物のためだけではない、地球丸ごとを大切にするために、どうあっても堪えなければならない一線だと思う。日本だけの問題ではない、世界中のことだ。

今現在、しのびやかに進行している汚染土の拡散は、日本全体にフクイチの大事故以上のダメージを与える。これが現在進行形の事実だということを、自分自身のこととして考えてみてほしい。
汚染地域は、遮断、隔絶すべきだ。除染は無意味で、除染が必要とされる地域からは逃げ出してほしい。
故郷は毒された。たとえ戻ったとしてもそこは、以前と同じ笑顔で微笑むだろうが毒を持つ怪物なのだ。気の毒だが諦めて欲しい。
この汚染地域で代々、幸せに暮らしてきた人々に、新しい故郷の種を手渡すのは、日本のすべての人たちの責務だ。
助け救おうという心というものを、組織は持っていない。知らないのだ、そのようなものの存在を。組織は効率、経済に敏感だが、血が流れたとしても、地に染み入り消え、忘れることができるものと認識している。
組織には、人を救う能力も機能もない。
これは戦災に遭ったから、事実として伝えることができることだ。
一粒ずつの私たち。個々の心から生まれる小さな愛の粒を、私は信じている、私はまだ、信じている。ここにだけ、暖かなものがあると信じている。

アレクシェーヴィッチの旅路

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチさん、福島を訪問
アレクシェーヴィッチさんは、2015年にノーベル文学賞を受賞しました。ジャーナリストとして初めての受賞です。
1948
年、ベラルーシ人の父とウクライナ人の母のもと、ウクライナに生まれた女性、国籍はベラルーシ。
ノーベル賞受賞理由は「我々の時代における苦難と勇気の記念碑と言える多声的な叙述に対して」です。
ノーベル賞受賞の時の演説で、このように述べています。「フローベールは自分を「ペン」だと言いました。私は自分を「耳」だと申し上げましょう。私はこの演壇に一人で立っているのではありません。私の周りには声、たくさんの声があるのです。私が耳を澄ますのは、心の歴史、暮らしの中にある魂です。」
アレクシェーヴィッチさんは、フクシマの人々の声を聞きたい、とかねてから願っており、5年経った2016年に、その機会が訪れた、この記録をテレビで見ることができました。
タイトル=BS1スペシャル アレクシェーヴィッチの旅路ーチェルノブイリからフクシマへ
では、この中にある彼女の言葉のいくつかを紹介します。以下、断片と私の解説。

 アレクシェーヴィッチ=チェルノブイリの話になると、私たちの国ではすべて、アンダーコントロールと言ったわけです。でも、コントロールとは何か、誰も知らなかった。炉が消火されても現地の関係者は言っていました、「中で何が起きているか、わからない」フクシマも同じ状況ではないかと思います。要するに「人間は自然に勝る力を持っている」という、昔と変わらない発想なのです。人間は社会の階層を信頼しがちです。お偉いさんがいうことを、例えば首相が、私たちのところなら書記長が「コントロールしている」ということはできる。でも、事故直後被災地で養蜂家は、なぜミツバチが10日間も巣から姿を現さないか、わかっていなかった。ミツバチは人間には聞こえない何かを聞いていたのです。私の両親はウクライナとの国境に近い村に暮らしていました。チェルノブイリ原発から約100キロの汚染地帯です。医者だった妹はチェルノブイリの近くで働いていました。その後妹は、癌を発症して亡くなりました。
  注=残された一人娘、ナターシャを彼女は養女として育てている。
    小さな声を聞いて歩くアレクシェーヴィッチは、小柄で地味。いつも出会うおばさん、という感じ。
    チェルノブイリには、ゾーンと呼ばれる汚染地域がある。半径30キロ。「立ち入り禁止区域」の大きな標識。ゾーンのゲートは、年一回、元住民に開かれる。墓参りのためだ。
    ゾーンの中にはサマショール(自発的帰村者)と呼ばれる人が生活している。故郷で暮らすことを望んだ人々。高齢者が多い。
    子供達の被曝状況を調べてきたベルラド放射能安全研究所の所長さんが言う、牛乳の汚染状況は、原発から200キロ地点でも、ひどいです。
    前半でチェルノブイリの状況が描かれ、後半が福島となる。
    トンネルを抜けて行く常磐線列車内のアレクシェービッチ。小高(おだか)駅下車。
    国は小高村の地にも避難区域解除を次々に進めてきた。飯館村のほとんどは、今年、331日に解除される。
    このブログを書いているのは翌4月
1日で、バスの運行開始を告げ、祝いの様子を伝えている。
    飯館村も放射線量は高く、人口6200人全村避難となった。村に積まれているフレコンバッグ(汚染土を詰めた袋)は230万個と言われる。

 アレクシェーヴィッチ=(小高の農家の主婦にインタビューをして)放射能は、まず農民を撃った。大地と生きる自然の人々を。居場所をもがれた、まさに根こそぎ折られた花です。
しかし彼女は言った、「これも私の人生。生き抜かなければ」。彼女の生命力には、心が震えました。
(前田地区の長谷川健一区長との会話で)私たちのところでは、国家は人々に線量計を全く与えませんでした。人々が真実を知ることを恐れていたのです。

長谷川が答える、「日本の場合は、線量計そのもの、なぜかしら、そういう人たちが持っているものより、我々が持っているのが低く表示をするということがあるんですね」
  注=長谷川は村に設置されたモニタリングポストと、研究者が持ち込んで計量する数値の差に疑問を抱き、研究者の持つ線量計と同じものを購入した。
    以来、村の計測してきたモニタリングポストあたりで、(数値が)2倍に上がった。
    2011年、20倍以上あったのが、除染後は、2倍程度にまで減少。しかし問題は山。除染できない。雨風で1.23以下は難しい。
     これが長谷川の実感だ。
 アレクシェーヴィッチ=誰か、どうすべきだ、とか、これは食べてはいけないとか、教えていますか?
 長谷川=一応、教えてくれる人はおります。でも、この飯館のきのこなんか、すごーい汚染度になっています。
     しかしみんな、それぞれに、少しくらいならいいだろうと、そういう思いで食べている人がたくさんいる。
 アレクシェーヴィッチ=わずかな線量が徐々に蓄積されます。チェルノブイリでは、そうですが、フクシマでも。
 長谷川=行政とかが出れば、絶対ダメだと、そういうことを言わない。だから食べられますよ、というものだけが放送される。
 アレクシェーヴィッチ=それは残念ですね。私たちの事故後の記録は、ここでも読まれる必要があります。10年、20年後に、あちらでは病気が始まっています。
  注=牛舎で首を吊った人の遺書が、壁に白墨で書かれていた。
        壁の遺言ーー姉ちゃんには大変お世話になりました。
        ごめんなさい、大工さんに保険でお金を支払ってください。
        残った酪農家は、原発に負けないで頑張ってください。
        ケサヨさんには、言葉で言えないくらい、お世話になりました。
        何もできない父親でした。
        原発さえ なければ
 アレクシェーヴィッチ=私は、思いました。社会主義であれ、資本主義であれ、国家は似たようなもの。
        国家と役人たちは国家と自らの救済に忙しい。人間を救うのではなく、人々はそれぞれ孤独に苦難を耐えているのかもしれない。
        しかし、皆がそうは行きません、彼にはできなかった。
        それに、私がフクシマで見たのは彼ばかりではなかった。おじいさんが自殺してしまった女性もいました。
 自殺したおじいさんの家族の美枝子=やっぱり、私は自分の胸にしまっておくことは可能だと思っているの。
        でも、こういうことがあったと、皆さんにわかってほしいし、あの、私のような気持ちを持った方が、まだ、たくさんいらっしゃる。
        皆さん、やっぱり、(自殺されて)困っていらっしゃる。
        やっぱり、恥だと思ってると思って、やっぱり、世間に知られたくないと思われてる。
アレクシェーヴィッチ=より多くの人々が、このことを知る必要があります。
        そこに、抵抗の力も生まれます。
アレクシェーヴィッチ=なぜ、絶望して首をくくらなければならないのか?
        だから、どのように抵抗すれば良いのか、人々には経験がない。
        あの人たちは社会から切り離され「のけ者」のようにされています。
        被災を免れた人々は「あの人たちは兄弟、同じ人間だ、これは自分の身にも起こりえたのだ」と実感できない。
        多くの人にとってチェルノブイリ・フクシマは、医学や経済の「数字」に過ぎません。しかしあの人たちにとっては「生命」そのものなのです。
        チェルノブイリとフクシマの文化を創らねばなりません。新しい知を、新しい哲学を。
        私はフクシマでチェルノブイリと同じ感覚を抱き続けました。
       「私は過去を見ているのではなく、未来を見ているのだ」と。

福島から東京へ来たアレクシェーヴィッチは、東京外国語大学で若者たちと向き合った、その時の言葉幾つか。
アレクシェーヴィッチ=私は昨日、福島から戻りました。私のいちばんの感想は、チェルノブイリの時と同じでした。
        国家は人間の命に対して完全な責任は負わない、ということです。最低限の補償をし、あとは「好きにしなさい」です。

        社会における抵抗のなさにも驚きました。
        私たちの社会もそうですが、あなたがたの社会には「抵抗の文化」がありません。
        これは私たちの国では、全体主義国家という問題と不可分でしたが~~。
        さて、あなた方の国はどうでしょうか。
        残念ながら人間は未来ではなく過去にすがろうとします。
        人々は古き良き時代に想いを馳せます。こういう日本がかつてあったと。
        トランプ大統領誕生も、失った、あの偉大なアメリカを人々が欲したためです。
        そして過去は守ってもらいたがる。しかし、過去はフクシマやチェルノブイリからは守ってくれません。
        「自」「他」という区分けは過去のものとなり、もう機能しません。
        人々は未来を恐れています。過去とは似ても似つかないものになる。
        それがわかっているから恐れます。
        ですから若い世代に私が言える唯一のことは、孤独でも「人間」であることを、丹念に続けるしかないということ、

       「人間」であり続けること、それ以外にあなたをこの世界で守ってくれるものはありません。

アレクシェービッチの締めくくりの言葉
        私の歩んだ道は、すでに数十年になりました。重荷を感じたこともありました。
        人間に感動し、怯えました。
        ドキュメントは、人が心の奥底に秘めたものを語れます。タブーは、ありません。
        一人一人の真実の叫びによって、私たちが何者かを理解するのです。
        大切な問いの答えは、まだ見つかっていません。
        どうして私たちの「苦悩」は「自由」へと変換できないのでしょう。
        私は時代を、そして人間を追い続けます。              終
以下は私の感想
私は、インタビューを受けた中のひとり、菅野さんの言葉がリフレーンして耳から離れない、
菅野さん=飯館村に帰ります。ただし、
     村と国と企業が私たちに安全と安心を、どれほど担保に入れるかが問題だと思う。
     我々が作った26ベクレルの蕎麦。100ベクレルから見れば低いです。
     ところが北海道の蕎麦はゼロベクレル。26のと、どっちを買います? 

菅野さん、村と企業と国が安全と安心を提供してくれることを期待するのですか? なぜ国は、避難区域を解除したのですか? 生き物の体にとって安全だと判断したからだとお考えですか?
そうじゃないでしょう! オリンピックまでに形だけでもアンダーコントロールと見せたいからでしょう? 補償の必要が減るからでしょう?
私は汚染された食物は買いませんし食べません。国は、台湾や中国に対して、買えと迫っていますが、これは暴挙です。台湾も中国も拒否して当然です。拒否しなければいけません。
臭わないし、味も変わらないから、ほんの少しなら大丈夫だから、産地が気の毒だから、などは理由として不適当です。汚染された山は汚染されたままです。その麓でどう生きろというのでしょう。
なんとかして汚染地域に帰らないで暮らせるように知恵を絞り、力を集めて助けたい。故郷へ戻ることだけが人生ではない、そこのところを考え直してもらいたい。こっちへおいでよ、と汚染地帯から引き離さなければ。それをなんということか、避難者がいじめられるとは。汚れきった者どもに災いあれ。
日本中の原発は海岸際に作られています。3.11の時の汚染拡大の地図を見て欲しい、膨大な汚染が海に拡散した、この部分は検証ゼロ、野放し状態です。そして今も、1日も休まず間断なく海に漏れているという現実を見つめて欲しい。日本政府は国民を汚染の渦に叩き込んだのみならず、太平洋を汚染し、今もなお汚染を続けているという大罪を犯している、このことを世界に対して、地球に対して、申し訳なく思っているのかどうか。
どこの港から水揚げされたから安全だなどという、おざなりなセリフを信ずる者の胃袋に災いあれ。
最近のNHKは、「日本人の二人に一人はガンになると言われています」と繰り返し放送しているが悪質きわまりない! こういう印象キャンペーンを張ることで、被曝による影響でがん患者が増加してゆく現象を消そうと計っているのは、誰が見ても明白です。政府と結託して国民を貶める下劣な報道者に災いあれ。
怒りと抵抗。これはわが魂をいとおしみ守ろうとする者に不可欠の人間らしい行為です。抵抗する魂が日本にもあるのだと知ってもらえるような生き方をするつもりですが、さて抵抗の文化がないという指摘には首肯せざるを得ません。これを乗り越えるには、事実の把握と連帯から始めなければ。そしてパンドラの箱の底に残っていた唯一のもの、「希望」を持ち続けることが必要だと思うのですが、陰湿ないじめが文化といっても良いほどに、子供だけではない、大人全体に代々染み込んでいることが、我と我が身の足を引っ張る原因となっているように思われます。

不毛の抵抗

ノーベル文学賞を受賞したジャーナリスト、アレクシェービッチさんが福島を訪ねてくれた。去年の11月のことだったが、その日々をNHKBS1が放映してくれた。彼女の感想の中に、日本人には抵抗の文化がない、という言葉があった。
それで私は、私個人がいつ、どのように抵抗してきたかを振り返ってみて、まずはタバコの抵抗を書いたところだ。もう一つの思い出を書いてから、改めてアレクシェービッチさんの番組を見た感想を記そうと予定している。
こっちの話は、私の子供たちが大学に通っていた頃のことだ。近所で騒動があった。一家四人の家庭の夫が逮捕された事件だった。この家との付き合いはなく、顔は知っているが話したことはない。
留守宅に取材記者が押し寄せた。住宅街で、どの家も似たり寄ったりの一戸建て、猫の額の庭と車、そういう場所である。取材者は皆、機動性に富むハンターだった。奥さんは買い物に出なければ暮らせない。やむなく出るとハンターの群れが発するカメラの視線を浴びるのである。これはTVでよくみる日常風景だ。でも私は、これはしてはいけないことだと思った。許してはならぬ行為だと思い、たちまち憤激が身体を貫いたのだった。
当時私が持っていたカメラの一つにモータードライブを装着していたので、これにズームレンズをつけて道に出た。そして取材記者たちを狙って撮影を始めた。嫌がった。顔を背ける。
どう? と私は言った、どんな気持ち? 私も取材なんですよ、文芸誌「夢類」の河合です。
あの時、一声もあげることなく顔を伏せた記者たちは、この時のことを覚えているだろうか、私は引き続き憤激中だけれど。
余計なことを付け加えると、この事件は政治的な要素の強いものであり、経済界の一分野で神様と呼ばれる人物が被った災難であった。
振り返ると私は、不毛の抵抗を続けて生きてきたと思う。なぜ不毛続きかというと、団結せず、共闘せず、声をあげることもない、うちうちの抵抗だったから、なきに等しい所業である‥‥のだ。

煙草の話

煙草を好む人たちの肩身が狭くなって久しい。昔は「恩賜の煙草」というものがあった。天皇陛下が戦地へ赴く兵士たちに下したという、その煙草を見たことはないが、歌は知っている。恩賜の煙草をいただいて〜〜🎵 という歌。煙草は、たいそうな待遇を受けていたのだ。
禁煙の場所を作ることは良いことだけれど、際限もなく規制する傾向は、いささか常軌を逸しているように感ずる。こんな有様だったら、禁酒法みたいに禁煙法でも作るのかと思うくらいだ。煙草の火の不始末で火事が多いと言っていた。今は火災の何位なのかしら。
煙草を使えなくなって困っているのがドラマ作りだ。手持ち無沙汰になって格好がつかない。ここでシュポ。ゴルゴだけじゃない、大根たちはどうしてよいのやら、最近のドラマの間抜けた芝居ぶりはいじらしい。
いかにも煙草喫みを擁護するようだが、実は私の育った環境には1本の煙草もなかった。祖父、父が揃って煙草を遠ざける人だったから、客用の灰皿があるだけだった。昔話になるが小学校卒業の時、謝恩会の計画をして私も、その中の一人だった。先生のために煙草を買いましょうと、という話になったとき私は反対した。皆は煙草を嫌がる私を不思議そうに見て、取り合わず計画は進んだ。憤激した私は謝恩会をボイコットした。高校卒業の時の謝恩会も原因は忘れたが同じことをしたから、もしかすると私は腹をたてるタチだったのかもしれない。付け加えると、このエピソードをオープンしたのは今が初めてで、当時、謝恩会を欠席しても親は全く気付かなかったことも覚えている。親の目なんて、その程度の眼力である。
ところで前々から心配していることがある。油煙は健康に悪いのではないかということだ。家庭のレンジの換気扇の汚れは天ぷらやフライの油煙が多い。炒め物もある。この執拗な汚れが肺胞にこびりつく様は想像するだけで息苦しくなる。まして職業として厨房で働く多くの人たちの健康はどうなのか、このことが頭から離れない。

教育勅語

教育勅語の話

昨今話題となっている大阪の小学校設立に関する諸々の事件で、注目したのは幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させている事実だ。私は衝撃を受けたというか、現実のこととして受け入れられず、唖然とした。
金のことなど、どうでも良い。金に群がる人種が目の色を変えてやっている、それだけのことだ。が、教育勅語暗唱は、違う。精神の根幹に関わる問題である。洗脳と言うに憚らぬ、これは罪悪だ。
私は国民学校1年生の時から教育勅語を暗唱させられていた経験と、敗戦後小学校4年生の教室で、自発的に教育勅語を暗唱した経験を持っている。長くなるが我慢してください。
毎朝、校庭に全生徒が整列する。号令台の上に校長先生が立つ。教頭先生が真四角の漆塗りの盆を目の上に捧げ持ち号令台へ進みでる。盆の上には紫の袱紗に包まれた巻物が載っている。一礼して校長へ盆を差し上げる。校長が一礼して屈み、号令台の下から差し上げる盆を受け取る。号令台の上に置かれた簡易台の上に盆を置き一礼。全生徒と、生徒と向かい合って並ぶ教師たちも一礼する。校長は再び盆を取り上げて捧げ持ち一礼、盆の向きを180度回して簡易台の上に戻す。一礼。全員一礼。再び盆に手を伸ばして校長は、細長い袱紗の包みを取り上げて、額の上に捧げて一礼。全員一礼。袱紗を盆に戻して一礼。全員一礼。袱紗を開き、巻物を取り出して額の上に捧げて最大級の拝礼をする校長。全員直角のお辞儀をする。巻物を開き一礼。全員一礼。教育勅語を読み上げる校長先生。終わるまで全生徒は直立不動の姿勢を保つ。教頭先生が進み出て盆を受け取るまで、これまでの逆道が行われる。この後校長先生の訓示がある。食糧難が激しくなってからは、よく噛んで食べなさい、という時に、水を飲むときも噛みなさい、と訓示されたことをハッキリ覚えている。
敗戦前後、学童疎開参加を拒否した両親の方針のために無学校状態で過ごしていたが、焼け出されて仮住まいのとき見知らぬ学校に入ることになった、その初日のこと。母が手に入れてくれた鉛筆一本と紙を持って登校。ランドセルやノート、筆箱はない。教科書もない。先生が一番前の席の子から順に立たせて国語の教科書を読む、という授業だった。担任がすべての教科を受けもっているから、私が新入りであることは知っている先生である。次、と言われても徒手空拳。周りの子は知らん顔。この時立ち上がって暗唱したのが教育勅語だった。当時、暗唱していた唯一の文章だ。反抗心が充満していたと思う。たった一人の抵抗。はっきり言葉にならないけれど、たくさんの種類の怒りが逆巻いていた。この時の抵抗心が続いて、今がある。

手元に『資料・教育勅語』ー渙発時および関連諸資料ー 片山清一編 高陵社書店 昭和49年(1974)という本がある。内容は勅語発布(1890)までの資料と以後の資料、特に敗戦後の論議やその取り扱いについての文書、年表、資料目録を収録している。興味深い部分は、国会参議院文教委員会の教育勅語に関する審議録(抄)で、各人の思想が見て取れる。
年表には、昭和23年(1948)9月に衆議院が「教育勅語等の排除に関する決議」及び参議院が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を行ったことが出ている。
当時の排除・失効への道筋と同時に、この頃に、すでにくすぶっていた復活の執念もまた本書の各所に垣間見える。金の行方に気を取られて、肝心の心の部分を見逃してはならない。

しつけ二題 の本番

今朝のブログで「教育勅語」を取り上げましたが、これはしつけ問題というより洗脳に類するものと言えそうです。実は生活の中の「しつけ」について言いたいことがあったのでした。
一つ。昨今、トランプ大統領のスタートにあたり、ワシントンをはじめ各地で、数々の催しが開かれました。高揚した雰囲気の場面がテレビに映ります。丸テーブルを数人が囲んでいる風景、トランプ大統領と夫人、安倍晋三総理大臣と夫人、ほかに男性も。何を話し合っているのかは分かりませんが、和やかな談笑風景です。
安倍晋三夫人の姿を見て、これは見苦しいなあ、みっともないなあと感じて眉をひそめ、トランプ夫人は、と見ると彼女は、背筋をすっきりと立てて顎を引き、微笑しています。これがまともでしょう。安倍夫人は背をまるめて顎を突き出していたのでした。この姿勢は、自宅のキッチンテーブルで寛いでいるスタイルではありませんか。公の場で見せる姿勢ではない。

もう一つは大昔の話。かつて、昭和天皇が皇太子時代にイギリスに行った時の話。
1921年3月3日、96年前の今日、皇太子裕仁親王は軍艦「香取」に乗船、旗艦「鹿島」を供奉艦として横浜港を出発、5月7日にイギリスのポーツマス軍港に到着した。
船旅しかない時代であった。まず沖縄県中城湾に到着。与那原、那覇、首里を訪れた。話が横に逸れるが、昭和天皇の沖縄訪問は、これが最初で最後であった。
香港、シンガポール、セイロン島のコロンボ、エジプトのポートサイド、イギリス領のジブラルタルなどでゴルフやオペラなどを楽しんだが、道中、西洋式のテーブルマナーの泥縄特訓を受けたという。全くの白紙状態だったらしい。およそ一ヶ月間をイギリスで過ごしてのち、フランス、ベルギー、オランダ、イタリヤなどをめぐり、9月3日に横浜港に入港した。
この話を私は父から聞いたのだが、天皇を天子様と呼ぶほどの天皇崇拝ぶりであった父は、残念そうに言った、「イギリスで、裕仁親王は貴族ではない、と笑われたんだそうだ」
「どうして?」と私。ちゃぶ台を囲んでの話である。
「首だけを回して後ろを見たんだと。貴族ってぇもんは」と東京弁である。「首だけ回しちゃいかん。回れ右をするもんだと」。我が事のように恥じ入っている。
テーブルマナーは頑張ったけれど、その他のマナーは白紙だったらしく、スコットランドの貴族、8代目アソール公爵に「しつけ」てもらったそうだ。私の推測だが、これが日本の皇室のマナーの基本になったのではないだろうか。今の私だったら、知らない外国の流儀を教えてもらうことは恥ではないわよ、と父に言うと思うのだ。

しつけ 二題

私は国民学校に入学した世代です。「修身」という教科書があり、表紙の見返しに「教育勅語」が出ていました。これを組全員で毎日、大声で読み上げました。組とは、今のクラスのことですが、英語は敵の言葉であり、使ってはいけないと教えられていました。でもラジオはラジオと言っていましたから、いい加減なことでしたが。さらに、この教育勅語を暗唱しました。チンオモーニ、ワガコーソコーソ。何のことやらわからんチン。
これは一種の「しつけ」なのかもしれません。ダンスの振りを覚えるのと一緒で、とにかくできると先生が褒めてくれる。褒めてもらうと良い気持ちになる。だから暗唱します。これをやらされていると自由発想がせき止められて、鋳型に流し込まれて固まってしまう気持ちの人間が出来上がるような気がしますが、いかがなものでしょうか。
当時、国民学校で叩き込まれた中国人、韓国人に対する偏見の衣を自ら脱ぎ捨てるために、私は相当長い年月を費やしました。脱出のきっかけは我が子たちでした。伸びのびと育って偏見の曇りのない子を見てショックを受けたのです。
いったん鋳型に流し込まれて冷えて固まった鉄を、再び身動き自由な液体に戻すことは容易なことではできません。柔らかい心で生まれてくる子供たちの心を、有無を言わせず型に押し込める行為は、悪魔の仕業そのものです。
森友学園という大阪の幼稚園が国会の問題として取り上げられている今、タイムスリップしたかのように「教育勅語」を暗唱する園児たちの姿をテレビで目にした衝撃は、言葉では言い表せないほど強く、おぞましく、過去の亡霊に出会った気分になりました。二度としてはならないことだと思います。

トランプ大統領誕生

ペンクラブの転載に続いて、もう一つ転載します。自由党機関紙 第4号 2017.2 小沢一郎代表 巻頭提言の冒頭です。全文の1割程度ですが。
 今年は内政も、そしてそれ以上に国際情勢が大きな変化を迎える年になると感じています。世界は新自由主義と過度なグローバル化によって疲弊し、行き詰っています。その結果、欧米先進国でも不満が高まり、それが市民の大きなうねりをつくっています。米トランプ新大統領の誕生も、単にポピュリズム政治として片付けるのではなく、アメリカ社会がそこまで深刻な構造的問題を抱えており、市民が自らの意思を選挙を通じて具体的に示した結果と見るべきです。また、東アジアに目を向ければ、韓国は歴史的といえるほどの政変が予想されます。さらに隣接する中国、北朝鮮も非常に大きな不安定要素を抱えています。  ここまで。
 私は、この見方に同感です。小沢さんの目は、冷静、的確に現実世界をつかんでいると感じます。小沢一郎さんの言う通りで、なぜ彼が大統領に選ばれたのかを考えるべきだと思う。
これまでの政策で取りこぼされてきた人たちの不満が高まったこと、移民が受け入れられ、移民が成功のチャンスをつかめる国。実力があれば成功の道が開ける国、アメリカ。世界中の夢を背負う国、アメリカ。この基本構造が破綻して、移民はもうたくさん、となったアメリカ。
もう一つの問題はメディアへの不信で、新聞テレビなどの報道を信用する人がいなくなっている、これは日本も同じで、メディア不信は社会不信と言い換えることができる。社会不信は社会腐敗と同義語と言ったら言い過ぎだろうか。メディア批判と土着白人の不遇状態。この二つを掲げた時点でトランプ大統領の勝利は決まっていたと思います。
敗北した民主党の側の支持者たちの乱雑下品な態度にはがっかりさせられた。あれではどっちもどっちだと感じた。民主党支持のハリウッドの女優さん、メリル・ストリープやレディ・ガガなどが意気盛んに発言したけれど響くものがなかった。お金持ちの上に大企業と仲の良いヒラリー、有名な芸能人、大金持ちの不動産王。民主党であれ共和党であれ、牛耳るのは、こういう人たちだけで、こういう人たちの独壇場じゃないか、と冷え冷えとした。一体普通の人々はどこにいるのだろう?
土着の白人が移民に職を奪われて不遇を嘆いているのは気の毒だが、メイフラワーに乗ってやってきた「白人」が、土着の「赤い人」たちを追い払い、土地を強奪した事実を思い出してみてほしい。今、移民は気に入らんことをする、と排斥したくなる現状はあるだろうが、もともと白人がアメリカ大陸を蹂躙したという事実、この時点まで立ち返ってほしいものだ。
批判されたメディアは、反発するだけの無能、退屈ぶりを見せている。それは日本のメディアもそっくり同じで、自己反省のかけらもないとは空恐ろしい。特に悪質なのはNHKで、形容詞、副詞を巧みに織り込んで、NHK好みの方向へ視聴者を誘導しようと図る。距離感を持って聞いていない人は、たやすく洗脳されてしまう。こんな悪質なメディアに対して金を払うのは罪悪だ。みなさまのNHKどころか、みなさまを洗脳するNHKだ。というわけで、この輾転反側、ねじれテーマの駄文をお楽しみいただきたく、よろしくお願い致します。

共謀罪

日本ペンクラブが声明を出した。この文章が簡潔で当を得ていると思うので、ここに転載します。
「共謀罪に反対する」
共謀罪によってあなたの生活は監視され、共謀罪によってあなたがテロリストに仕立てられる。私たちは共謀罪の新設に反対します。
 私たち日本ペンクラブは、いま国会で審議が進む「共謀罪(「テロ等組織犯罪準備罪」)」の新設に強く反対する。過去の法案に対しても、全く不要であるばかりか、社会の基盤を壊すものとして私たちは反対してきたが、法案の本質が全く変わらない以上、その姿勢に微塵の違いもない。
 過去に3度国会に上程され、いずれも廃案となった法案同様、いま準備されている共謀罪は、事前に相談すると見なされただけでも処罰するとしている。これは、人の心の中に手を突っ込み、憲法で絶対的に保障されている「内心の自由(思想信条の自由)」を侵害するものに他ならない。結果として、表現の自由、集会・結社の自由など自分の意思を表明する、あるいは表明しない自由が根本から奪われてしまう。
 しかも、現行法で、十分なテロ対策が可能であるにもかかわらず、共謀罪を新設しなければ東京オリンピックを開催できないというのは、オリンピックを人質にとった詭弁であり、オリンピックの政治的利用である。このような法案を強引に成立させようとする政府の姿勢を許すわけにはいかない。法案の成立を断固阻止すべきである。  2017年2月15日
                     一般社団法人日本ペンクラブ            会長      浅田次郎 
                                              言論表現委員長 山田健太
ここに書いてあるように、はっきりと言い切る表現を私は好む。あなたって、断定するのね、と非難めいて言われるけれど、あいまいな表現をされると虫唾が走る。
例えば、A案とB案のどちらが良いと思いますか? という問いの答えとして「Aのほうがいいかな、とか」という。主語は省略し、語尾はあいまいに溶かす。溶解だ、妖怪じゃないか。
イラっとして「じゃあ、あなたはA案に賛成ね。B案の欠点はどこかしら」と追うと、困り笑いをして「あの、ダメということではなくてですね、なんか、ただ、ちょっと」と答えとも言えないナメクジ言葉である。
共謀罪ってね、リバイバルなんですよ、私が思うには。危険ですよ。あなた、どう思う? と返事を待つ目で見つめてみましょう。美しい、古来の日本文化の結晶が揺らめいて見えます。穏やかな、あいまいな微笑。傷つけまいとする細心の心遣いに満ちた、ため息のような是も非もない相槌。そこはかとなく視線をずらせて言う、まあ、綺麗。梅がほころびました。

 

自分とつきあう

壺猫 明けましておめでとうございます。
猫の目のように変わるという諺があり、状況が目まぐるしく変化するような時の例えに使われる。
実際、壺猫の目玉も、富士猫の目も、糸のように細くなったり暗闇では前開の円にかわる。人の目は不動で、眩しい時は目をほそめるだけだ。人の目は不動、そうして物事をありのままに見て事実を正確につかむことができると信じてきた。りんごはいつもりんごに見えるし、ミカンはいつもミカンに見える。
鏡を見ると自分が映る。それは長い間ほとんど毎日向き合ってきた鏡の中の私だ。鏡よ鏡、鏡さん、と鏡の中の自分に向かって声をかけたことは一度もない。わかりきっている自分自身なのだから疑念が湧くはずがない。そこには正真正銘の自分自身が映っているだけである。
今年の初めにあたり、私はこれに深い疑いを抱いた。いったい私は、今現在の、ありのままの自分を見ているのだろうか、鏡の中に。
というのは、鏡の中に見た自分と、何人かで撮った写真の中の自分の顔が、あまりにも違いすぎる。皆で撮った写真の中の、周りの人たちの顔は実物と同じに撮れている、私だけがたいそうな年寄りで、しわしわのシワだらけで、たしか以前は、もう少し丸顔だったはずなのに、やたらと垂れ下がった長顔の、みすぼらしい老女そのものだ。私って、こんなはずじゃない。ヘンだ。なんなんだ、これは。これが不満で写真を撮ってもらうのが面白くなくなった。いつから写真写りが悪くなったのかしら。
年の初めに、こんなことを思い巡らせた挙句、しぶしぶ認めたことは、私の目が事実を見ていないという現実だった。
鏡の中の私は、湯気で曇ったのか目がかすんだのか、シワひとつなく、誰にも向けたことのないような優しげな眼差しで私を見つめ返している。これは記憶の顔なのだった。願いの顔、希望の顔、と言ってもよいかもしれない。なんと私の目は、いつの間にか猫の目のようにくるくると変わり、鏡の中に往年の自分を映し出して見つめている、そういうことじゃないかと思い当たったのである。
冗談じゃない。これが自分の顔だけの問題なら失笑もので済むだろうが、他の事柄についてコレをやっていたら、と思うと緊張せざるをえないのである。例えば働き盛りの年齢になっている子供達を、少年時代に修正して見ているということ。あるいは、以前できていたことは今も出来るという肥大化した自信。今年は、このズレを修正して現実の自分自身と付き合おう。

死の部屋

承前
人を殺す人がいる、あらゆる時代のあらゆる社会で、無慮無数の動機で人を殺す人がいる。
殺された者の何増倍の者たちが、その死を悼み悲しみ怒り続け、殺した者に対して復讐心を抱き厳罰を望む。
ひとりの犯人を何万回殺しても、その罪は贖えぬと悶え苦しむ者を思いやる。死刑に処すことをする社会もあり、止めた国もある。
日本ではどうしたものかという論議がしばしばなされるが、万人の心を落ち着かせる姿を誰も描くことができていないのではないか。
死刑廃止論者の意見に私は、一も二もなく同意する自分を見ているが、愛する者を殺されて苦しんでいる人たちを、廃止論者がどのように救おうとするのかは、聞いたことがないし、読んだこともない。まるで被害者側は放り出されて忘れ去られる運命を甘受しなければならないとでもいうような感じを受ける。これでは廃止論者の意見が通用するはずがないと思う。
一方、手段はどうであれ、人が人を殺す行為が行われるのが死刑という刑罰だ。任務であれ、人に、このような苛酷な負担をかけてよいものだろうか、問うまでもなく悪いに決まっている。
私は宙に描いてみるのだ、刑罰として造られた死の部屋を。
それは人が作った部屋ではなく自然の洞穴だ。できることなら地球上に一つあればよい。
その洞穴には自らの意思と足で歩み入るしかない。
いかな大悪人といえども、嫌だという者は入る必要はない。では犯人は許されるのか。
とんでもないことだ、死を悼む者たちから無期限に監視され続ける環境に生きて社会奉仕を続ける。許されるのは、苦しむ者たちから、もういい、十分贖ったという声が聞こえた時だ。
私は、誰も入ったことのない死の洞穴を持つ社会にしたい、そして大罪を犯した者、被害者周辺の苦しみ続ける人々、その両方が癒されて浄化される社会を白昼夢として思い浮かべる。
付記
それにしても!
戦争を企てる政治家こそ、万死に値すると思いませんか。

選挙戦について

先だっての都知事選のとき、対立候補の女性関係に関する噂を蒸し返した週刊誌の記事が出て、戦いの刃とされた。今、対岸の国の大統領選でも、昔のセクハラなどを持ち出して非難合戦をしている。
これが政治なのよ。対立候補が、そう言った。
これが大衆なのよ、と私には聞こえた。風評だろうが噂だろうが、テレビで放映され、週刊誌が書く、これで簡単に左右されてしまうのだ。特に女性問題が槍玉に挙げられると、事実か嘘かは棚上げされて、問答無用で選挙に不利になってしまう。
つまり、過去に悪いことをすると、次に良いことをしようと進もうとした場合に、蒸し返されて進路を阻まれるのだ。私は、この選挙戦を見物しながら、このことを考えた。
誤ったことをしてしまった過去を持つ人に将来はないのだろうか。悔い改めたら、第二の人生を進む道路は用意されないのだろうか。希望はないのだろうか。
これは良くないと思う。誰であれ、最後まで希望は手放してはいけないし、希望を取り上げてはいけない。
よく、喩えとして、蓋をしていた悪事が噴出することを「パンドラの箱を開けてしまった」と言われるが、本当の喩えとしてパンドラの箱は「最後に箱の底に残っていたのは希望だった」という、ここをこそ、喩えとして使って欲しいと思うのだ。続く

平櫛田中彫刻美術館

平櫛田中という彫刻家について、伝え聞いたエピソードがあります。それは、高齢になってから、この先彫刻するための木材を庭先で乾燥させていた、乾燥するには何年もかかるというのに、高齢になってからやっていた、という話です。人間の生き方の根本に触れる行為なので、時々思い出します。
時の拍子で、小平市に美術館があると知り、知ってしまったら落ち着かなくなり、秋雨の合間に傘を持ち、さしたり杖に突いたりを繰り返しつつ出かけました。
はじめ、小平市平櫛田中館として旧宅を公開したのち展示館を新築し、今は2館併設の形になっています。
私が気にしている彫刻用材は、直径2、30センチのものと想像していたし、すでにエピソードだけで形はないであろうと思い込んでいたのですが、ビックリ仰天、大外れ。あったのです。
それは、3人がかりで囲んでも足りないほどの太さの楠の巨木で、書院造りの旧居宅の庭先に置いてありました。
台石の上に直立させて、上を屋根で覆ってあり、それはまるで編傘を被った巨人でした。
当館の内容については非常に良くできたホームページがあり、写真も豊富に出ていますので、ぜひご覧ください。
当地に書院造りの居宅を建てて移り住んだのが98歳の時のことだそうで、100歳の時に20年後の制作のために九州から原木を取り寄せたと、説明を読んで知りました。
時を知り、それを計ることのできる人間であることを自覚しながら、志を大きく高く、長く持ち続けて、しかも実行しながら107歳を生きとおした偉人であります。と、同時に私は、ヒト以外の動物たち、季節を知るも時を知らぬと思える動物たちと同じ「時の世界」に生きていた人だったのではないかと思いめぐらせました。
もう一つ、建築について。
展示館が実に居心地が良い。飽きない。めぐる楽しさ。
あまり良いので受付の方に感想を伝えたところ、設計者について教えていただきました。
居宅は大江宏、展示館は、その息子さんの大江新。大江宏は、国立能楽堂などを設計された方です、とのこと。親子の仕事でした。いやもう、両方とも素晴らしいので、ひっくり返りそうに感動しました。こんな親子いいなあ。一緒に仕事をしたのではなくて、時の縦軸でつながり、同じ場所にいるのです。祖父から三代の連結です。
豊かな気持ちで帰る途中、この大江宏さんて、父が、建築の大江先生、といつも話題にしていた、あの大江先生のことじゃないの、と気がついて悔しいのなんの、もっと父と話をしたかったと、思いもよらぬ慚愧の涙でした。
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