Site logo
Site logo
myExtraContent1
myExtraContent5

壺猫

Site logo

年金の話

中学生の頃に翻訳小説を読んでいた時、年金暮らしをしているという老人が登場することがあり、年金て何かしらと思ったことが、年金との出会いだった。
日本での年金制度は1875年(明治8年)に軍人恩給が生まれたのが最初で、1923年に「恩給法」が制定されたけれど、対象は軍人と役人だけだった。一般人は関係ない制度だったのだ。
「国民年金」という名をつけて、国が一般国民を視野に入れたのは1959年だった。はじめの頃は月額8000円台だったように記憶しているが、2017年度では月額16900円だ。
結構負担になる金額を毎月収めるわけだが、噂では1960年生まれまでの人たちは、収めた金額全額を受け取る計算だそうで、それ以降に生まれた人たちは、収めた全額より受け取る金額が減るという。これは深刻な不安を呼ぶ事態だ。
どのような計算方法で数字を出しているのかわからないが、数字という石飛礫は基礎的知識のない私たちには強い効き目がある。目の前に数字を出されるとビックリして信じてしまう。
数字の効き目を強くするために、たとえ話を抱き合わせる。例えば、これまでは1人の老人を6人が支えてきました。だんだん4人が、3人が、と減ってきているんですよ、と説明する。そのうち、1人が1人を支えるのだと喧伝する。肩車をしているイラストまでつける。
支えるというのは、今時の口当たりの良い言い回しであり、簡単に言ってしまえば1人の年寄りを6人の、3人の、2人の若いもんが養ってんだよ、と言っているのだ。
これを知って若者たちは、いったいどう感じるだろう。自分の両親の他に、ということかしら、と首をひねっている人がいた。払い込んだ分より少なく受け取るんなら、自分で貯めておくことにする、というものもいる。さあ大変。
私は、これは「すり替え詐欺」だと断言し、「オレオレ詐欺」より罪は重いと糾弾する。この例えかたは悪質な詐欺だ。
なけなしの所得からコツコツと収めてきた、その自分の金を、自分の年金として受け取っているのだ。今時の若いもんが働いた金を恵んで貰ってるつもりはない。集めた金を運用する、やりくりがあるのが当然だが、やりくりの方法を言う前に事実本質を抑えるべきではないか。年金受給者に尻を持ってきて、あたかも余計な荷物だと言わんばかりの態度は言語道断だ。重ねて言うが、年金のカネは、国の所有物ではない、国民一人一人のものなのです。
こういうトリッキーな言い方で、高齢者をいたぶり、邪魔者扱い、負担者扱いをして憚らぬ態度は、実は昨日今日に始まったことではない。
昔話にあるように、無駄飯食いの年寄りを集めて殺してしまう殿様、姥捨伝説、その反動で知恵のある老人や老賢人の出現、連続線に不死の怪人までもが連なるのが人間だ。
無意識の螺旋に巻かれて、歴史のリズムに乗ることを考え直して踏みとどまり、賢人を国のために探し、起用することをなんとかして行わなければ日本は沈没するのではないか。賢人は若い者にも壮年にも、男にも女にも、いるはずだ。暗雲のようにのさばっている我欲の輩一群が消えれば現れるだろうか。国民のために、自分の人生を、蓄えた私財を、擲って尽くす人物を持つ国も、現にあるのだ。

季節の食べもの

駅前にある地元農家の野菜売り場に筍が山積みされた。採りたての、まだ土が湿っている筍は軽トラからおろしたばかりだ。
スーパーではそらまめ、セリ、新玉ねぎなどが並んで、眺めた時点ですでに嬉しさいっぱいになってしまう。
生きている楽しさは、好きな食べ物と共にあり。
幸せな食べ物は、やはり季節と結びついている野菜と果物ではないか。真夏のトマト、きゅうり。そしてスイカ。秋に実る柿と梨。特別の珍味というものは、誰彼と楽しむ材料としては良いのかもしれない、ひとりしみじみ珍味を味わう、なんて絵にもならない。
どこにでもある、土から生まれる平凡な菜っ葉が幸せ感を運んできてくれる。
でもまだ、今は四月なのだ、筍が出回るのは自然だけれど、どうして今頃キュウリが山積みなのか。なんでナスが本日の特売なのか。四つ割のかぼちゃが並ぶのか。頑固なことを言うようだが、何年たっても私は慣れない、違和感がある。
もう、旬のキュウリもナスもない。にんじん、大根、じゃがいもと一緒で、いつも並んでいる。レタスやもやしと一緒だ。かぼちゃやオクラなんて年中輸入されている。だから季節の野菜を楽しむのも、楽じゃないのだ。うっかりしていると楽しみ損ねてしまう。
量産できない、あるいは工場生産できない、需要が少ない、そのような片隅に置かれているものたちだけが、季節を運んでくれる。
「今日だけ来たのよ」「来週は、もう会えないかも」そらまめさんとセリさんが話しあっているような気がして両方とも買って帰った。

個人として立つ、ということ

独立した一人の人間のあり方について、最近二つの出来事について気になっています。一つは相撲社会の出来事で、元横綱日馬富士が貴ノ岩関に暴行した事件、もう一つは森友事件で、安倍晋三総理大臣の妻、昭恵さんに関与の疑いがかけられている事件。
気になっている点は共通しており、なぜ本人が裏手にかくまわれているのかということです。
私が思うには、ゴタゴタが起きた場合、幼稚園児同士のいさかいであったならば、双方の親同士の話し合いになることは十分考えられる、しかし子供ではない大人、立派な成人が背後に匿われて、親方だの夫だの、身代わり人が表に立って抗弁する、これはヘンだ、おかしい、あってはならないことだと思います。
なにを幼稚なことを言っているんだ、これらは政治的行動じゃないか、と笑う人もいるでしょう、しかし、視点を裏手に隠されて表に出してもらえない側に移して見てみると、これは捨て置けない話です。殴られた相撲取りは、若いとは言え立派な成人です。本人が直接表に現れたらよろしいし、それが自然であり、当然の態度でしょう。本人を隠すのは解せない。頭の皮を何針だか縫ったと騒いだが、長期入院の大騒ぎをするほどのことか。私は車にぶつかって頭の皮を8針縫ったことがありますが、入院どころか普通に暮らしていました。話が脇道に入りますが、頭皮に裂傷を負った場合、大量の出血があります。顔じゅう真っ赤っ赤になります。半端ではない量です。暴行現場の説明は理解しがたい。外科医のコメントが私の見る限り見当たらず、このことに誰も言及していなかったことは、私から見ると大きな疑問点ではあります。長期間にわたり心身ともに封印された本人の気持ち、意見は消去されてしまったのでしょうか。殴られた傷は癒えるかもしれませんが、何人にせよ、大道から外れた歪んだ判断は、まだ30歳前の若者の将来に修復不能の後遺症を残すのではないかと危惧します。人が人に、してはいけないことです。
一方、総理大臣夫人が、総理の妻であるという関わりから出会うこととなった人々との間に引き起こした言動について、国会で問われているという現状と見えますが、これも徹底的にかくまっています。昭恵さん、ご自分で話してくださいと要請された安倍晋三は、ウチに帰って聞いたら、これこれと言っていましたと答える。この対応が通用すると踏んでいるのが我が国の総理大臣とは噴飯ものです。というか表に出せない、みっともなくて。
この事件も、妻の側に立ってみると、捨ておけない問題があるように見えます。独立した一人の人間として認められていないのか。これを女性蔑視の問題とみることもできますが、ことは、それ以上に深刻で重大です。人権を尊重する。独立した個人の人格を尊重し信ずる。これらが完全にないがしろにされています。これは、人が人に、してはいけないことです。
この二つの出来事は、組織としての対処が必要とされた場合、いとも簡単に人間の尊厳、人格、権利、すべてが反故にされてしまう様相が如実に現れたものと思います。これが、今現在の日本社会において平然と行われているということが、どういう意味を持つでしょうか。くどいようですが、一つは一相撲部屋の内で起きたこと、一つは夫婦間で起きたことです。いったん、戦争になったら、一般国民は政府にとって身内ですらありはしない。どんな目にあうか知れたものではありません。他人事ではないと言いたかった次第です。


自分の行為を飾る言葉

修飾語だとかなんとか、文法についての言い分ではない。
自分自身の行いについて、自分自身が話す、あるいは書き記す場合に使う飾りの言葉について考えている。
たとえば幼稚園に通い始めた子どもが、何日か経った朝、はじめて自分で服を着て帽子をかぶり靴を履いた、お母さんを見上げていう、「一所懸命やった!」
えらい、よくやったね、と喜ぶ大人の笑顔。
これを、大人になってからあまりにも多用すると、あるいは場違いな場面で使うと、失笑を買うことになる、というのが今日の話題。

自分の心情をわかってもらいたい、確かに相手に届けたいと願うとき自分の行為に付け加える言葉なのだから、幼稚園児の身支度を見守るような心で受けたら良いものではある。
が、時と場合によりけり、環境と立場によりけりだ。
国会で答弁する我が国の首相は、これは安倍晋三のことだが、「します」といえば済むところを早口で何分間も喋り立てる。たったの三文字につけ加える飾りの言葉で高価な国会時間を費消させている。
「真摯にですね」「しっかりと、ですね」たとえば、このような言葉だ。ですね、とつけ加える惨めさ、品のなさは、言葉を発する本人だけは感じていないらしい、繰り返すのだから。
この総理大臣の真似をするのだろうか、閣僚たちが右へ倣えの言葉遣い、これが拡散して社会に行き渡る悲惨さ。ではなくて世の中の風潮に染まってということか。
貧弱な実態を、これでもかと飾り立てている有様に腹を立てるのが虚しい。反発する空気が感じられない故に虚しい。なんだ、中身がないじゃないか。という声が聞こえないのは、聞き手の側も似たものなのだろうか。

最近、「全身全霊を持って」という飾り言葉が散見されるようになった。これは昨夏、テレビで天皇が所信を述べた時に含まれていたもので、この影響があって使う人が増えたのかもしれない。
これは、なかなか迫力のある強い表現だけれど、天皇が自分自身に関わるところにかぶせる言葉だろうか、と私は反発する気持ちがある。受ける側が、陛下は全身全霊を持って事に当たられ云々、と表現するならわかるが、苟も国の象徴と自他共に認める椅子に座る人物が自分自身についてかぶせる言葉ではないのではないか。なぜかというに、命の限り、全身全霊を持って事にあたるのが当然である椅子に座っているのだから言うまでもないことであろう。
むしろ、淡々と述べるにとどめる方が、どれほど大きく輝くことだろう。これではまるで一般人の言い方だ。威をはらう空気が、どこにもない。こんなならありやなしやのあけぼのの月。
さらに脇道に入るが、皇太子が誕生日のインタビューに応じている中で、昨夏の天皇のお気持ち表明を「テレビで拝見しました」と話していた。なんだ、眺めていたのか、と私は受け取った。拝聴いたしましたと表現すべきではないのか。それとも文字通り見ていただけだったのかしら。似た者父子だ。

長屋

最近のこと、近所のアパートが建て替え工事をしていて、今度は重層長屋になるという。
長屋? 長屋って落語に出てくる、あれのことかしら。まさか。いや待てよ、いまどきはレトロな長屋が人気なのかな?
つい先ごろまでは、こうした疑問が湧いた時はすぐに電話の前に座りこみ、誰彼に電話をして教えてもらっていた。ついでによもやま話で長電話となったり賑やかだった。今は、そうはいかない。様変わりした。
第一、電話がはっきり聞き取れない。相手は脳梗塞の予後で発音がはっきりしない、こっちは耳が遠くなっていて音が滲んで聞こえる。で、電話はさっぱりと諦めて留守電にセットして出ないことにした。これはおれおれ詐欺から身を守るための方法ではあるけれど、詐欺の心配よりも、息子たちを安心させるのに役立っている。大丈夫よ、出ませんからね、というわけだ。
ところで長屋は、グーグルで検索、ものの2、3分で解明されました。
共同住宅とは、階段・廊下・玄関・ホールなどを共同で使う住宅。マンションなどのことだ。
長屋というのは、共有部分を持たない住宅だという。直接道路に出る。知らなかった。重層長屋は一階と二階で一軒分となっていて内部に階段がある。要するに連結二階家。
それではアパートとはなんだろう。これは木造共同住宅で、鉄筋だったらマンションらしい。突き詰めてゆくといい加減な部分もあり、時代によって変化してゆくものでもあるらしい。
だったらいいなあ、重層長屋がレトロなご隠居さん時代のテイストを引き継ぎながら、最先端の電波設備を入れて暮らし始めたら、今時の人たちは縁台の代わりの何かを生み出すに違いない。

筆の力

俳句の金子兜太さんが亡くなられた。代表作といわれる「水脈の果炎天の墓碑を置きて去る」は、トラック島から最後の船で引きあげる時の、作と呼ぶよりも叫びだろう。
戦地に赴いた人たちが次々に鬼籍に入って行く。第二次大戦当時には10歳に満たぬ子供であった私は、もちろん戦地を知らず、しかし東京都の空襲と敗戦に続く都内の激しい飢餓状況は体に刻みこまれている。
自身の体験の記憶を語り記し続けるとともに、機会あるごとに年上の方々の経験を聞こうと努めてきた。中国の奥地で戦った人、南方から生還できた人。そして学徒動員で旋盤工などになり工場で働いた女学生だったお姉さんたち。
私の年代の人たちが皆、死に絶えて、テレビがある部屋に生まれた人たちだけの世の中になる、それはもう、目と鼻の先のことだろう。そのあと、ドローンが活躍している時代に生まれた人たちの世の中になるだろう。
そしてそのあとも、ずーっと「戦争したことがあったんだ? 東京が空襲にあったことがあったんだ? 歴史の本に出ている広島と長崎、読みました」などと言って、戦争をしない、戦争を知らない人たちだけの世の中に、ぜひともなりますようにと心底願っている。
しかし、今現在の世の中、日本の様相は、そんな感じではない。このままでは日本はダメになる、と本気で憂慮する人たちが大勢いる。私は、安倍政権の一同を腐りきっていると感じていて、気概はなく恥を知らず、強きにおもねり弱気を無視する下劣な輩と断じる。
怒れ、日本人。黙るな日本人。誤魔化されるな日本人。
このことを金子兜太さんは、頼まれて文字にされた。「アベ政治を許さない」。
私の家の近くにも、この太く力強い文字が掲げられている。お亡くなりになられたが、この文字は生き生きと生き続けている。眺めるたびに深呼吸をする。力漲る文字とともに兜太老人は矍鑠としてこの地にいるのだ。
改めて思うことは、毛筆の、自分自身で書いた文字というものは、なんと精神がこもっていることだろう。その人となりが如実に表れていることだろう、感情が込められていることだろう。
どれほどの大きな文字でも、印刷の文字では迫ってこない力を持っているのが毛筆の自書である。

海外

日本では、外国のことを海外と表現する。海外旅行、海外進出、海外版などと使う。自分の国以外は全部海外だ、みたいな感じも受ける。
国の外を「国外」というのが一般的だが、日本は島国だから海を隔てた向こうにある地域や国家のことを海外というのだろう。
じゃあ、イギリスの人は? オーストラリアの人は? やはり海外というのだろうか、聞いてみたい。
歩いて国境を越えることができる国では、海外という表現が国境を意味するとは体感し難いのではないだろうか。
ナイアガラの滝の、一方がアメリカ側で一方がカナダ。ここに国境がある。国をまたいで立ってみた。
ナイアガラの大瀑布を眺めながら、左右の足で国境を感じたことを思い出す。
他になんか言いようはないのかしら。海外というたびに、ウチら島国だよ〜 みたいな気分が来てあまり面白くない。


私の先生だった獣医師

猫の富士が健康そのもの、いたって元気なので動物病院の先生には長い間ご無沙汰してきた。一駅先の駅前にある動物病院は、老先生一人の土地の獣医先生だ。助手さんもいない。
久しぶりだから顔を見に行きましょう、と駅前通りをT字路へ出たら、そこにあるはずの病院が消えていた。シャベルカーがデコボコの泥になった病院の場所の中でアームを振り上げていた。私はぽかんとしてしまった。
老先生、なのだ。私と同じくらいなんだもの。
商店街の古い店を選んで訊いた。やっぱりお仕舞いになさったのだった。
それは良い先生だったんです。と残念がったら、みんな、そう言ってるよ、とお蕎麦屋さんの主人が言った。
お礼の手紙を書こう。シャベルカーのいる住所宛に手紙を出しても、郵便局は半年間は転送してくれるはずだ。
先生に伝えたいお礼の言葉を、お経のように口の中でつぶやきながら帰り道を歩いた、ありがとう先生。
先生は、カルテにまず、名前は? と言って千早の名を、富士の名を、書いてくださいましたよね。普通、患畜の名は二の次三の次で飼い主の名と住所を書くのですが、先生は違った。
体調を崩した高齢の千早を抱えて私が悩んでいる時、近所の犬友の女性が紹介してくれた先生だった。
犬を抱いて不安な時間を刻む気持ちを理解してくださり、あらかじめ行く手を示してくださったことを、感謝とともに繰り返し思い出すのである。
お陰で歩行困難になった時も、先生から前もって聞いて知っていたお陰で落ち着いて対処できたのだった。犬を診ていただき、同時に片割れの私も診ていただいていたのだった。

交通事故の怪

悪質な煽り運転で高速道路の追い越し車線に2台の車が停車していざこざを起こし、その3分後にトラックが追突した。絡まれて停車し、車外に出ていた夫婦が死亡した。この痛ましい事故、あまりにも悪質な行為をすべてのメディアが取り上げた。
私は、むかし2台のダンプカーに煽られた時のことを思い出し、映画の「激突」、これはS.スピルバーグ監督の有名な作品だが、これも思い出した。ロードレイジの恐ろしさが、改めて迫ってきた。
が、今言いたいことは、そのことではない、メディアの報道態度についてだ。この事件によって別の部屋のドアが開いたかのように、翌日からの交通事故報道が、これもあれもと悪質運転がらみのもの一色になったのだ。
前の日までは、またジジババがコンビニに突っ込みましたというニュースで一杯、日本中の道路でジジババがコンビニに突っ込み、他の事故なんか無いような空気だったのだ。今は一転してどこの道路もロードレイジだ。これは奇々怪々現象ではないでしょうか。

ストーンヘンジ

この夏のこと、夏至の日にストーンヘンジが賑わいました。世界一有名なストーンヘンジ、イギリスのソールズベリーにある環状列石に集まった人たちが巨石群の周りで日の出を待っている、巨石のどこから太陽が昇るかという興味らしい。
イギリスのストーンヘンジの向きは北東と南西を向いて開いているそうで、これは鬼門と裏鬼門の方角にあたります。春分と秋分には、太陽は真東から昇り、真西へ沈む。洋の東西を問わず、なぜ真東真西より、北東、南西をマークするのでしょう。
大昔の人たちが何を考えて、こういうものを作ったのかと推測が続いて決定打は出ないみたいですが、これは全部棚に上げておき、自分で石を配置した経験から、環状列石や、日本にも散在する不可解な石の群れを作った人々の気持ちを考えてみようと思います。
私が作ったのは、地面に並べた石ころという単純素朴なものです。自分のために、自分が欲した配置をデザインして製作した石庭とも呼べますが、大層なスケールのものではなくて、ささやかな庭先の箱庭のようなものです。
肝心なことは、眺める庭ではないこと、使うための場所と空間であること、自分自身が本当に必要とする配置であることです。つまりストーンヘンジの解釈は、そういう心の立ち位置に立ってみて初めて見えてくるのではないでしょうか。

正方形の庭を二つ作った、まずはその一方を紹介しましょう。
正方形に区切った中央に丸石があります。これを中心として四方に石が並びます。真上から見ると十文字に見える、この方向が東西南北です。ほぼ正確に真南、真東を向いて立つことができます。周囲は隙間なく小型の丸石で埋めて、隙間には白い砕石を詰めてあります。
石は全部花崗岩なので夜も白く見えます。夜に地面が白いということは侵入者が入りにくい。目立ちますから防犯になります。さらに防犯灯を設置しているので猫一匹でもわかります。雑草は1本も生えず、地下に有孔排水管を通しているので排水が良い。
この庭は高齢者向き庭であり、草むしりや庭木の剪定から完全に解放されて心理的にも負担がゼロ、そろそろ草むしりしなくちゃ、なんて考える必要がないのです。この庭に出て歩く。姿勢を正して裸足で歩く。これが健康法です。
もう一方の正方形も紹介しましょう。
こちらの正方形は9つに分割されており、その9区画に、それぞれ丸石が配置されています。この石もまた花崗岩ですが、区画ごとに石の数が違います。まず1列目が6個、1個、8個。2列目が7、5、3。3列目が2、9、1と並びます。
そう、これは魔方陣の配置で、縦、横、斜めの石の数の合計が15になるものです。実はこの配置こそが陰陽五行思想、風水、八卦など東洋思想の根幹に位置する重要な座であり、私には欠かせない世界です。この石の周りにも白い小石が敷き詰めてあり、ここもまた運動場なのですが、一方と違う点は中央にベンチブランコが下がっていることです。
このブランコもまた自分自身のためのもので、しばしばブランコに揺れながら昼寝をし、読書をし、猫を抱いて揺れている次第。なぜブランコなのか。精神世界の中央で緩やかに揺れる座、これが胎内感覚とつながる命の根源である故です。胎内に眠る感覚から生まれる発想が私の夢類、と言いたいのですが。さてどんなものでしょうか。
昔からこんな庭であったはずもなく、四、五十代の頃は、金柑と柚子が実り、ブルーベリーがザルいっぱい採れてパイを焼き、桃ノ木まであったのですが、年齢とともに庭もまた移り変わりました。

使い古して捨てないで

詩人たちは両腕を空にあげて神の声を受けようとし、授けられた種を一行目に記す。詩を読む人たちはその言葉を胸に抱く。
大事なものを表す言葉は、大切に扱われる資格があります。あはは。それを言ったらおしまいだ、大切でない言葉なんか、あるはずもない。
悲しい、怒っている、そんな胸の内を表す言葉が、傷ついているものには、どうしても必要だ。たとえそれの見かけが汚い罵りであったとしても。
ただそれは、どうしても必要な時に、自分自身でつかみ取った言葉だからこそ、伝わる力を持つ。
巷に氾濫する「やさしさ」という言葉。勇気を、元気を、希望を「もらった」という言い方。「大切ないのち」の連発。
コンビニの棚に手を伸ばして選び取ったかのような、安易で便利な量産品。
自分で思いついたのではない、棚に並んでいる今時のグッズだから使っておこうという態度。選んだ言葉ではない、利用する言葉。
先日来の豪雨で各地に被害が出た時のこと、注意を促す報道をしている言葉を聞いた時に違和感を覚えた。
命を守ってください、と放送していた。繰り返していたので、その都度私は苛立たしい怒りを覚えた。
やまと言葉には、身を守るという言い方があるのです。

一般人とは

昔から一般の人という言い方はあった。最近は一般の人とは言わない。一般人という。イッパンジン。いったいこれは誰を指して言うのだろう?
例えば、歌手とか、スポーツ選手とか、なんであれ有名な人が結婚する場合に相手を紹介する報道の仕方は、相手は一般人で、というふうに言う。それで私は一般人と芸能人という2種類に分けているのだろうと思っていた。
ところが共謀罪関係の報道が出るようになってから、対象は一般人は関係ないのだと書いてあるのをたびたび見た。
政府が指定する一般人とは誰を指すのだろう。芸能人は一般人に組み込まれるのだろうか。それともターゲットになるのだろうか。誰もが聞き慣れている言葉、誰もが使っている言い方だけど、それにもかかわらず輪郭がぼやけている。
自分が一般人であるのか、そうでないのかは、誰がどのような基準で判断するのだろう? 自分では決められないものであるのか? 
誰もが分かっているようで、はっきりしない一般人は不安定な存在だ。

私のジム通い

同年輩の友人たちとの付き合いは、電話が多くなった。若い人と違ってメールを好まない。かといって手紙を書くのも結構大変だ。書いて切手を貼りポストに投函する。やはり固定電話が一番良いということになる。なぜなら耳が遠くても音量を調節できるからだ。
最近は家庭の各種掃除などを気楽に業者に頼めるようになった。電話一本でプロが来てくれてプロの手際で綺麗にしてくれる。週一回で手間いらずよ、それに汚すこともありませんからね、と好評だ。そんな掃除の話題がよく出る。
私はどこどこに頼んでるけど、あなたは? と尋ねられることもよくある。ということは週に一回、掃除をしてもらっている人が増えているのかもしれない。自分でやってるわ、と私の返事はいつも同じだから、どの業者が良いか、という次の話題には入れない。
忙しい、時間が足りないと言いながら、なぜ私は掃除をするのだろう。風呂の掃除、トイレの掃除、部屋の掃除、ときどき天井を綺麗にしたり、網戸を綺麗にしたり、ガラスを磨いたりもある。今日はゴミバケツを水洗いして、植木鉢の受け皿を洗った。実は、私は運動を好まない。あらゆるスポーツと縁がない。走るのも跳ぶのも苦手だし、体操も好きではない。踊るなど、夢の中でもしたことがない。という次第なので、
もし、掃除洗濯、あれこれを他者に依頼してしまったら、どうなるでしょう! 私は石ころのようにじっと動かないに違いありません。体操の代わりと思って、家事全般をやり続けようという〜〜。
ジムに行けと言われても、絶対行かないから、「やむなく掃除」がジムです。

七夕

今日は七月七日、七夕祭りです。バスに乗って「笹の葉 さらさら」という童謡を思い出していたら、あっちにもこっちにも竹が見えてきました。年中見慣れているバス通りですが、竹を思いながら眺めると、こんなにたくさんあったのかと驚きでした。孟宗竹が多いのですが笹薮を含めて幾種類もの竹が見えます。そして。
なんと美しい葉の色でしょう。五月六月の竹の秋を過ぎて、新しい葉が出揃ったいま、目を見張る緑の細葉の輝きです。まるで観光バスに乗っているかのように窓に顔を寄せて見入りました。もしかして七夕祭は、竹の葉が一番美しい時を選んで日を決めたのかとさえ思ったことでした。
私が当地に住み始めた頃は、茅葺屋根の農家が点在し、その背に竹林を背負っていたものです。地震の時に竹やぶが身を守る、これが昔からの知恵でしたが、今ではすっかり今様の住宅になり、背戸の薮は消えました。そう、「歌を忘れたカナリヤ」の歌に出てくる背戸の小薮も、このような大切な防災設備であったわけです。
ところで先日、深大寺の隣にある神代植物公園で、竹と笹の違いを学びました。成長した時、皮が幹から離れ落ちるのが竹、最後まで皮が幹についているのが笹だそうです。

子育てと言うけれど

子育てというけれど、私は子守りという言い方のほうが好きだ。
歌だって、子守唄というではないか。子育て歌ではない。
子は、守ることが必要で、守れば育つ力は子の中から湧いてくる。

今の世で、保育所の充実に背を向ける考え方は容れられず、うっかり反対意見を出したら袋叩きにあうやもしれぬ。
男女雇用均等の普及と労働力を必要としている社会の現状をみるに、乳幼児の母が働きやすい環境を整えることは緊急必須の事柄なのだ、夫婦二人して働かなければ暮らしていけない。でもでも、どうしても子を産み育てたい。そういうふたりにとって、どれほど保育の場が必要か、考えなくたって分かる。見なくたって身にしみる。
それは重々理解できるが、百人が百人、千人が千人、ひとり残らず同じ方向に流れる考え方には、ちょっと待ってくれと言いたい部分がある。
それは、本能のなせる力に押されて子を産み守り育てるという生き物としての原点を直視してみてほしいということだ。
人間である以前の生き物としての原点を、思考力を使って頭の中からどこかへ放り投げてしまい、今現在、自分が暮らしている社会の合理的経済的、しかも快楽的要素をも加えた利点に絞って解決しようとしているように感じられてならない。
命、命。命の大切さを尊さを、ことあるごとに言葉にするけれど、言葉にふさわしい行いをしているかどうか。子供を預かる側の緊張感は並大抵ではない一方、まるで処理しなければならない事案を解決しようとしているオフィスの人間、あるいは苗床の世話、養魚場の世話をしている、要するにモノ扱いをしている業者のように見えてしまう保育所もある。
24時間途切れることなく続く「子守」から、ほんの一時を解放された母親の「のびのび感」を私は、山中湖の白鳥のお母さんの抱卵で目の当たりにした。お父さんがタッチしてくれて自由になれたひとときの嬉しさ。
一方、預けたくはない姑に横取りされるみたいに抱かれてゆく「私の赤ちゃん」を見送りながら不安で一杯になってしまう母になりたての女の姿も目に浮かぶのだ。先日も深大寺にお宮参りをしている若夫婦とその親夫婦、多分夫の両親だろうーを見たが、おぼつかない足取りで赤ちゃんを抱く和服姿の新祖母を不安げに見つめる新母の眼差しが、私にはとても辛かった。
せめて3年保育に入れるまでは、母と24時間を過ごせるようにできないだろうか。その間の暮らしを国が助けてくれたらと勝手な空想をしてしまう。
2人の子を育てたら4年間は子と過ごせる。記憶に残らない時期かもしれないが、かけがえのない時期ではないかと思うのだ。個人差はあるだろうが、小さな赤ちゃんを自分の腕の中で守りたいという本能は、誰がなんといっても潰してはならないと思っている。繰り返しになるけれど、子供のことに思いを集めるだけでなく母の本能を無視しないで欲しいと願っている。
myExtraContent7
myExtraContent8