Site logo
Site logo
myExtraContent1
myExtraContent5

壺猫

Site logo

個人化

私は長らく同人誌と関わりながら生きてきた。断続的に同人誌の同人となり、今は個人誌を発行しているが、かれこれ60年を越えた。
最近の同人誌というと、漫画・アニメ・ゲーム系二次創作の同人誌が隆盛を極めており、ビッグサイトに行ってびっくりしたのはだいぶ前のことだ。オリジナル作品に限って発表している一次系は、少ないのか目立たない。
だいたい、同人誌というものが生まれたのは明治時代で、小説・俳句・短歌などを寄り集まって書いて作っていたものだ。今は俳句・短歌専門に発表している集まりを結社と呼んでいる。秘密結社というと迫力があるが、俳句などが結社という呼称を好む理由は知らない。
本家というべき文芸同人誌は、高齢化に加速度がついて年々減少の一途をたどっている。高齢者は肉体的ハンデに加えてパソコン使用がネックで、高額の制作費を捻出しなければならないことも減少の原因ではないかと思っている。
最近は紙の媒体をやめてインターネットからのダウンロードで伝え合う「デジ同人」が増えつつあるのだから、伝統的文芸同人誌の先細りは止まらない。私も「デジ誌」にしたいのだが、これに移行すると読者のほとんどがアクセス不能状態、存在しないも同然となるので困っている。
このような惨めな有様であるのに、文芸個人誌が増えてきていることを最近になって知って意外な感じがした。個人誌こそ希少種、絶滅種だと思っていたのだ。
そこで世の中を見回してみると、カラオケではワンカラという、一人用のカラオケが人気で増加している。先日、新宿で見つけたのだがTSUTAYA BOOK APARTMENTでは、24時間営業で個室ブースのレンタルがあった。独りで何するんだろうな、とカウンター周辺をうろついていたら、次々と利用者がやってくる、対応が間に合わなくて並んでいる、という繁盛ぶりであった。女性も多い。
お笑い芸人のヒロシさんは、一人でキャンプに行くそうだ。キャンプファイアを囲んで歌を歌って、というキャンプではないという。独りで、自分流儀の火を起こして、一人分焼く。焼いたりしないで途中のコンビニで買ってきて食べることもあるそうだ。
これに人気が集まり、ひとりキャンプのヒロシさんに、ぞろぞろとついてくるそうだ。キャンプ場に着くと散らばって、それぞれが一人キャンプを始めるという。ひとりは寂しくはない。ひとりは疲れない。

校正と校閲

「夢類」第26号の発行が12月になったことから、発送などの仕事が年をまたいだ。十日になってようやく一段落した。
「夢類」は個人誌だから著者校に始まり著者校に終わる。三校の後、もう一度見て責了として印刷所へ渡す。ここでさらに校正が入り校了となる。
今回は写真の仕上がりも満足行く出来で印刷所共々喜び、もちろん校正ミスは考えられなかった。「夢類」はカラーを使わないので色校正はないので簡単だ。
印刷所から手元に届いた、パッケージを開いて表紙を見る、そして本文ページを開く、この時のワクワク感が、今までの労苦を帳消しにしてくれる。

最初に目に入った見開きページの下段。あらら、ら。校正ミスだった。あれだけチェックしたのに。完全無欠のはずだったのに。最初に開いたページに間違いがあるとは。
漢字一文字の間違い。結局、校正ミスはこの一文字だけだったのだが、ゼロにならなかった悔しさは一通りのものではない。
校正とは、生原稿を希望のフォント、希望の配置にして入力したものを、元の原稿と突き合わせて誤りを正す作業のことだ。
簡単に言うと、カラスとあるべきところがガラスとなっていたら、カラスに直さなければ意味が通じないというわけだ。

もう一つ、校閲という作業がある。これは同じく「校」の文字がついているが仕事は全く違う。内容の正誤を確認する仕事だ。出所の確認である。俗な言い方をすれば、ウラをとること。
例えば人物の名前、住所、生年月日、有名な事件が起こった年月日。地名、気象は言うに及ばず、ありとあらゆる事象を確認する。これは踏み込んだら最後、終わりはない。古今東西森羅万象に及ぶ。
校閲が優秀な出版社がある。私は読者として、この出版社を心底尊敬している。創業者が校閲を大切にした、これが伝統となっているに違いない。今度生まれ変わったら、こんな世界に身を置きたい。
私は校閲も自分自身でやるから、自分の尻を叩きながら進むようなものだ。滑稽な有様だが、この緊張が生命に張りを持たせているのかもしれない。
最近の事だが、ある人が某出版社は校閲部を持っているのか、ないのではないか、という疑問と批判の言葉を発した。
名指しされた本についてはさておき、校閲部があるのかという言葉は、出版社にとっては、お前は人間かと問われているに等しい刃だ。

アメリカのテクノロジー企業googleは日本でも情報サービスを行い、いまやなくてはならない情報源となっている。しかしここで手に入る情報は校閲を通ってきていない情報だ。誰の保証もついていない情報である。このことを承知の上で利用するには問題はない。
最後に言いたいことは、まともなメディアは校閲を通さない情報を流すべきではない、という一言だ。この一言を言いたいがために校正、校閲のゴタゴタを述べてきたのだ。
マスゴミと呼ばれる数多の雑多メデイアは、それなりにやっていたら、それなりの受け手がそれなりに楽しんでくれるだろうから文句はない。
しかしNHKは違う。NHKだけは、校閲を通さない情報を流してはいけない。反則だ、とまで言いたい。
どういうことか、というと、「関係者への取材で分かりました」という前置きのもとに言いたい放題。「有識者の意見では」という前置きで、言いたい放題。
この枕詞を聞き流して、内容だけを聞き取ってしまう視聴者は被害者だ。
有料視聴をさせられている「みなさま」は、まさに入れ食い状態で「私たちのNHK」の、故意のデタラメもありうる情報を丸呑みし、釣られている。
いまどき、朝日、毎日、読売、産経、東京、共同などなどを、まともに信じて受け入れるバカがいるか。この人物ならと選んだ個人ブログへ走っている。
私は個人誌の主だから、自身の発言に全責任を背負っている重さが身にしみる。今や存在力を持つのは組織ではない、個人だ。
責任を回避し、責任を他者になすりつけ、嘘つき冷酷のアベ政治、このアベ政治の水先案内人と化したNHKは、亥年の本年、豆腐の角に頭を打ち付けてくたばってしまえ。

白内障

年明けに白内障の手術を予定している知人が二人もいる。去年は、やはり二人いた。
揃って60歳以上の方々で、欧米のように早期に手術に踏み切る人は少ない。
夫の伯母が白内障の手術を受けたのは、やはり相当高齢になってからだったが、これは50何年も前のことだった。その時伯母はもちろん入院したのだが、術後の3週間を上を向いて寝たきり状態で過ごした。
トイレに行けない、上体を起こして食べることもできない、想像を絶する固定状態。私に言わせればミイラスタイルの3週間だった。
退院した伯母は涙を流した。随喜の涙であった。見えるようになった嬉しさのせいか、ずいぶん素直になったように感じたものだ。

他人事と感じていた白内障が我が身のこととなった時、時代は進んでいて15分足らずの手術時間、1日の入院、あとは通院で視力を回復してもらったのだ。今はどうだろうか。
通院環境にもよるが、日帰りも可能なほど負担が軽くなり、まるで常識であるかのように、この微細な高度の技術を必要とする治療が普及してきた。
一昔前に伯母が手術に踏み切った頃までは、諦めるしかなかったのだ。視覚障害者となって耐えるしかなかった。この有難さは表現できるものではない。
水晶体の中、液体に微細な粒がたくさん浮遊して、これが邪魔をして見えなくなるので、眼鏡による補正が効かない。朝日に向かったら、視界は輝くすりガラスだ。テレビに出る大写しの顔の目鼻が見えない。目と口の位置がなんとなくわかる。

近く手術をする方に、お風呂に入っている時には見えました、と手紙を出したら、なんと同じだった。お風呂に入っている時は、少し見えるそうだ。面白い現象。水蒸気の作用かしら。
近く手術を予定される方々に伝えたいことがある。それは、濁った水晶体を除去して人工的な内容に置き換わることにより得られるものは、視力の回復だけではない、ということを強く伝えたいのだ。
病院で丁寧な説明を受けた内容の受け売りだけれど、生まれたての赤ちゃんの水晶体は、それはもう澄み切っていて美しいものなのだそうだ。年月を重ねるにつれて、自分の手の甲の色と同じくらいの色に濁ってゆくのだそうだ。よく見えていても無色透明な水晶体ではないのだそうだ。
手術によって、生まれたての赤ちゃんレベルになる、だから世の中が鮮やかに、あるべき色合いに映るのだそうだ。
治ることで、テレビの目鼻が見えるだけではない、空の青とは、こういう色だったんだ、椿の葉の色は、こういう緑だったんだ。
見るものの鮮やかさ、新鮮さに感動する日々が待っています。

千年一日の如し

どの国の人々にも、歩み、背負ってきた過去があって、意識下でそれを抱えた上での、今現在の判断があるのではないか。
こんな当たり前のことを改めて言うのは、最近の健康への強い関心の中で、究極の願いとしてあげられている二つのことを思う故だ。
その一つはピンピンコロリと死にたいという願い。もう一つは孤独死は嫌だという拒否感。
いいけど、この二つは矛盾した願いではないかしら。だって道を歩いていて発作が起こり、ころりと死んだとしたら初めの願いは達せられるが、孤独死が付いてくるでしょう。
わかっているけれど、二つ並べて念仏のように唱えるのは、その昔に、日本にはぽっくり寺というものがあり、今でも繁盛しており、元気いっぱいで暮らし、ある日突然、ポックリと死ぬことを願ってきたからだ。
もう一つの方は、伏せっている周りを取り囲んでもらい、息をひきとる姿こそ最上の死に方であるという観念が染み付いているからではないか。
「あいつは畳の上で死ねない」という言い方がある通り、悪事を重ねないまでも付き合いが悪くて、皆々に看取ってもらえない奴にはなりたくないという思いが孤独死を嫌がる気持ちに含まれていないだろうか。
この二つは医学が発達する以前から日本の風土に染み付いていて、イイモンは苦しまず、見守られて死ねる、悪モンはヒトリ寂しく死んでゆく、という因果応報の刷り込みだろう。
どれほど医学が進歩しても、究極の願いとなると原点に回帰するのではないか。ま、心のけもの道か。

万人が関わる生死については、こんなものさ、と茶飲話にしているが、このところ話題の日産ルノーの事件では、ふと長屋王の事件を思い出した。
古代と言って良い聖武天皇の時代の事件だ。
突然、一つの密告から始まり、長屋王とその一族が、あっという間に壊滅した事件だ。
折しも藤原一族が台頭してきている時代で、この事件を節目に藤原四兄弟の世となってゆくのだが、長屋王一族の中で、藤原家から嫁していた女だけが助けてもらっている。
この露骨なやり方は、当時はメディアがなかったにもかかわらず、一般人にも情報が浸透して行ったものと思われる。
一等地にあった長屋王の大邸宅跡は長い間放置されて、怨霊の祟りの数々が染み渡って行った。実際、この事件の後、藤原四兄弟は疱瘡に罹病して四人とも死ぬのである。
平城、平安の京の時代に怨霊が跋扈したのは、施政者側が怨霊や呪詛を用いて政敵を抹殺し、一方の一般人もまた怨霊のせいにして世の不条理に対して声を上げた、
つまり怨霊が存在して、これを恐怖しているものとは、誰も思っていなかったのだろうと思っている。怨霊は道具だった、と思う。
密告と突然の逮捕。本来なら自社の不祥事であるから恥ずべき騒ぎだ、鎮痛な表情であるのが自然だろうが日産の社長は、晴れ晴れと笑みを湛えていた。
これが、今まで通りに日本国内の事件で終わりになるのならば、数え上げるまでもない数々の同類事件の積み重ねの一つとなるだろうが、
今回は「昔」を共有しない外国が絡んでいる。
千何百年前の怨霊の代わりに、法律を使おうが、三権分立をひっくり返そうが、それだけでは収まらないのではないか。
「昔」の持つ力は根が深い。諸外国は根なし草ではない。それぞれの国に、それぞれの異なる昔の根があるのだ。

アウン=サン=スーチーさん

アウン=サン=スーチーさん。いつも同じヘアスタイル、うなじにまとめた髪に花かざりの、細面の美しい人だ。
あの、とんでもなく長い間の幽閉生活の中でも、花の香りを失わず、明るい表情を保ち続けてきた、この政治家に、遠くから声援を送ってきた。
だが、最近のスーチーさんの表情は険しく暗い。今こそ自由に活躍できる立場であろう、ノーベル平和賞ほか数々の受賞などに励まされても来ただろう。
それが国際社会から批判されて、ノーベル賞も返してもらおう、という声まで上がってきている昨今だ。
遅ればせながら、ロヒンギャについて勉強、ほどではないが知識を増やそうと努力している。
まだ勉強途上だけれどスーチーさんは、ノーベル賞を返せ、という声に対して、賞などはどうなってもいいと反応している。
難民として世界中が把握しているロヒンギャと呼ばれる人々に対して、ミャンマーの人たちとスーチーさんは、計り知れない多くの情報と経験を持っているはすだ。
暗く、険しい表情のスーチーさんは、国際社会から非難を浴び続けているが、一方、国内では絶大な信頼と共感を得ている現在というものがある。
スーチーさんは、自分の名誉などを放り出してでも守りたい、守ろうとしている何かがあるのだ。国際社会の人びとには、これが見えてこない。

粘る力のあるスーチーさんだ、国際社会がもっと深く事実を知るまで我慢を続けるしかないだろう。
単純に助けたのでは、国民が収まらないものがあるに違いない。
このことと関係するかなあ、と首をひねって思案するのが宗教問題だ。
ミャンマーは、ほとんどの国民が仏教を信ずるが、ロヒンギャの人たちはイスラムだ。
イスラム教徒で多産のロヒンギャの人々が、婚姻により国を侵食することを懸念しているミャンマーの人々の恐怖心を、風評と片付けて無視することは危険ではないか。
恐怖心ほど、人の心を行動に走らせるものはない。また、風評ほど、人の心に食い入りやすい「知らせ」はない、と私は思う。
なぜなら人は、信じたいものを信じようとするからだ。確実な情報源を持つ情報の声は、いつも静かで低い。
おまけにタチの悪いことに、時には風評が事実だったりするのだ。戦時中の「口コミ」当時は噂話と言ったが、正しかったことが数知れないのである。
それは政府が事実を隠蔽したり曲げて伝えるからで、元はと言えば国が最大の元凶なのだ。だからこれからもフェイクをテイクする人は増える一方だ。

彼らが、どうして仏教なり、イスラムなり、宗教に浸っているのか。心の救済を求めているのではないか。
一方、日本も欧米諸国も、宗教に対して低温状態である。衣食過多の物質文明の中で心が失われているのではないか。満たされているわけじゃなくて。
宗教に何を求めているのか、なぜ、宗教がどうでも良いのか、ロヒンギャ問題の底辺には、この問題が横たわっているのではないか。

犬の力を借りる

地域内で自由に暮らしている猫たちとの付き合い方を考える中で、共に仲良く助け合い、気持ちよく暮らす方法として庭をテリトリーとして守ってもらう方法を考え、実行しています。
この考え方は、無から発生したものではなく、あるシンポジウムで行われた長い討論から学んだものです。それは、何年か前に山梨県富士吉田市にある、山梨県環境科学研究所で開かれた、農地を荒らすシカ、イノシシの被害と対策についての討論でした。関連した問題が数多く討論されましたが、私には、この部分が興味深く、役に立った部分です。
発言された方々は、研究者のほかに生まれる前から当地に生きてきた現場の方々も多く、誰もが時間をかけて話してくださったので、時の経つのを忘れて没入したことでした。
問題は農地と害獣の攻防ですが、電線を張り、通電しようが、高いフェンスで囲おうが、抜け道は作られて出入りされてしまう。研究所の方が観察したところ、鹿の跳躍力は想像以上で云々、とフェンスの高さを吟味する話題になった時、現に畑を持っている方々から、犬の話題が出ました。
昔は畑の被害は、あったが少しだった。今現在の被害は半端でない。イモ畑一面が、バックホーが入って耕したかと思われるほどにひっくり返されてしまう。一晩かかって親子連れのイノシシが芋を食べつくす。このような大きな被害が出る原因は、犬の不在にあるという主張でした。
今、飼い犬は放し飼いを禁じられています。犬も利口ですが、食べたい一心で農作物を狙ってくるシカもイノシシも、なかなかの利口者ですから、つながれている犬が追ってこないことを百も承知で侵入してきます。でも犬が吠えてくれていた時代は、気づいた飼い主が目を覚まして追い払うことができていました。ところが今は、地域全体が高齢化して中型、大型の犬が消えました。体力のある活発な犬を飼うことは、高齢者には大きな負担です。引きずられて転倒する危険もあります。気づいた時は、どこの家も小型犬ばかり、それも室内で暮らす可愛らしい犬たちばかりとなってしまいました。
犬の放し飼いを認めて貰えば、高齢者でも大型犬とともに暮らせます。食べさせて、ハウスを用意すれば良いのですから。自由な犬たちは足にモノを言わせて走り回り、ご主人のテリトリーを守る喜びを満喫するのです。これならヒトもイヌも大喜びです。地域限定で放し飼いを認めたら、ずいぶん楽になるだろう、とは私の夢ですが。
現実には、高齢化と並んで幼児から中年までの人々が自然から隔絶された感覚になりきっています、歩道に1匹のカマキリがいただけで跳びのき、振り返り眺める有様。こんな感覚の若いもんが、自由に放されて走り回る犬たちを見たら110番するんじゃないでしょうか。

庭は、誰のテリトリーか

戸建ての家の庭は、誰のテリトリーか。もちろん、住んでいる人のものと思っているでしょう。
が、それはヒト社会の話で、犬や猫たちにとっては別の世界、ヒトには関係のないテリトリーを作って暮らしています。
千早が生きていた頃は、南のガラス戸に出入り用のフラップを付けてあり、室内と庭を自由に移動して暮らしていました。だから千早にとっては、室内と庭が彼女の守る領域でした。強烈なテリトリー意識がありました。
千早が亡くなった時フラップは閉じられ、庭は自由空間になりました。犬がいる家の庭には猫は絶対に入れません。猫の侵入を許す犬がいるとしたら、よほど猫好きの犬か、猫と共に暮らす犬かであり、さもなければとんでもないバカ犬です。
千早のいない庭には、多くの猫たちが集まり、タヌキもやってきました。みんな仲良く穏やかで、それはそれで楽しいのですが、猫の繁殖力は相当なものですから放任はできません。
結局、避妊したメロディのテリトリーと決めました。つまり、彼女の分だけの食料を与えて、庭を守ってもらうことにしました。これでメロディは住み込みの職を得た格好となり、自分のテリトリーとして庭を守ってくれました。
やがてメロディが歳をとってなくなり、今はマルオが彼女の後継として我が家の庭を他の猫から守ってくれています。安定させるコツは、マルオの分だけの食料を与えることです。彼にとってみれば、生活がかかっているから真剣に守ります。
猫が嫌いな人は大勢いますが、糞をするから嫌い、と怒り、追い払うしか能がない、猫よりバカな人たちです。我が家の近所には、棒を振り上げて追いかける獰猛なヒトが複数います。猫はヒトを仔細に観察して生きていますが、猫嫌いの彼らは、猫を観察する気もなく、能力もない、猫に劣る生き物ですから勝負になりません。
仲良くして、手伝ってもらって、折り合って暮らせば双方がニコニコしていられるものを、排除し、嫌うのです。
正当な怒りは強い精神から生まれますから、心根がまっすぐに立ちますが、負の感情を発し続けることは健康によろしくない。
憎み、嫌う感情を顔に表して睨んだり、追い払ったりを繰り返していると、いやでも人相に染み付き、これは洗っても落ちません。

暑い盛りは猫の毛も抜けきって身軽になっている。それでも毎日ブラシをかけてやるが、毛の長さは決まっている。顔の毛の長さ、背中の毛の長さ、尾の毛の長さなど、それぞれ決まっている。これは猫に限らず、毛の生えている生き物はみんなこんなものだ、と言いたいが、ヒトは違う。
伸びるのである、どんどん。先ごろロシアのフィギュアスケーターの少女が、生まれた時から一度もヘアカットしたことがないと語っていた。その少女の髪は身長より短かったが、この先、身長を超えてどんどん伸び続けるのだろうか。
ヒトにはカーリーヘアーとストレートヘアーの種類があり、色調も様々だが、長毛種・短毛種はあるのだろうか。
実は、夏のうちに怪談を一つ、と思って毛を持ち出したのです。長い髪、女の髪。これは縄に綯(な)うこともした執念の象徴でもあります。毛にまつわる話で、怖いなあと思った怪談の骨子を一つ。
男がいる。障子を閉め切った部屋のうちにいるが、暮れてきた。昔の大屋敷である。長い廊下の右端に衣擦れの音がして女が歩いてくる気配。すぐに察した、無残に捨てた女だ。女の歩みは男の部屋に近づいたが、立ち止まることなく通り過ぎていった。ほっとした男。立ち去ったと確かめずにはいられない。しばらく息を潜めていたが、やがて障子をわずかに引きあける、左手の回廊の曲がり角を見透かすが人の姿はなかった。気が緩み廊下に目を落とした、塵一つない廊下の板の上を、あの女の自慢の長い髪が、生き物のように動いてゆく、右から左へ。終わりもなく。

幸せを抱く

東京都町田市の芹が谷公園の地続きに、町田市立国際版画美術館がある。ここは版画に特化した美術館で、版画が好きな人にとっては多分、世界一とさえ感じられるかもしれない。
なぜならご本家、日本の版画がふんだんにある上に、世界の版画展企画がたくさんあるからである。
単に鑑賞するための施設ではなくて、本格的な版画工房が用意されていて、誰でも利用できる。アトリエもあるし、暗室も腐蝕室まである。もちろん実技講座がある。
前は車でよく行ったが、最近はご無沙汰している。町田駅から歩かなければならないからなあ。
昨日、友人が初めて訪れたとメールをくれた。よかったと喜んでいる様子に、また行きたくなった。芹が谷公園にどんぐりが落ちる頃に行こう。公園は谷と名が付いている通り、起伏の多い変化に富んだ地形で野鳥の声に満ちている。
美術館の1F、庭に面して小さな喫茶店がある。ここはハンディキャップのある人たちが働いている店。
ゆーっくりテーブルに寄ってきて、一所懸命に注文を聞く。ゆーっくり持ってきてくれる。真剣に、そーっとトレイを置いてくれる。
思わず、ありがとうと笑顔を返すけど、ここで働く人たちは、いつもふわーっとした笑顔、作った笑顔じゃない、湧き出る幸せを笑顔に乗せている。
ひとの幸せって、どこにあるんだろう、どうやって手に入れるんだろう。
そうじゃない、探して追い求めるものじゃない。いかなる境遇に置かれたとしても、湧き出す幸せってあるじゃないか、ひとの心の中に幸せを生む泉があるんだな。

8月15日

8月15日。
玉音放送を聞いた直後、軒すれすれかと見えるほどの低空飛行の艦載機を見上げて凍りついた9歳の時の記憶が、どうしても8月の酷暑と重なってしまう。
天皇陛下の声のことを玉音と言い、天皇の顔のことを竜顔と呼ぶ。これが決まりだった、今は昔の出来事だ。
昔語りが多くなり恐縮だが、こんなことも覚えている。
私の子どもたちが、あの時の私の年齢であった頃のことだ、つまり一世代経ったことになる。
場所はカナダのトロントで、当時は日本人は少なく、子どもたちは現地の公立小学校に通っていた。その小学校に隣接して小さな図書館があった。
文字食い虫の私は、日本語の本がないので仕方なしに、この図書館に出入りしており、読んだ本の中に第二次世界大戦当時の記録本があった。こう書いてあった。
 1945年4月30日、ナチスドイツ総督、アドルフ・ヒットラーが自殺。戦争は終結した。しかし極東の日本は、戦争が終わったことを知らず、その後も戦いを続けた。
この部分を読んだ時の衝撃というか、唖然感というか、これは大きかった。
欧米の人々は、こういう風に受け取っていたのか、と新しいことを発見したような気持ちだった。4月30日から8月15日までの間に死んだというよりも殺された人々を思った。
ところ変われば事実も変わるということだろうか、事実、真実とはいかなるものぞや。今日まで黙っていたことですが、もう明日の命の保証もない年頃であるから、溜め込んでおくのをやめて放り出してしまおうっと。

防犯カメラ

過日の事だが、次男が小さなダンボール箱を持ってやってきた。茶を飲ませようか、コーヒーを淹れようか、とうろつく私に目もくれず、入ったばかりの玄関を出て行った。
ダンボール箱から取り出した真っ黒けの塊を上の方に取り付けている。何それ? と訊ねるまでもなく防犯カメラである事が知れた。あら、本物なんだな、だったら高かったろうに、まあ、とんだ出費をしてしょうがないわねえ、と、有り難いくせに文句を言いながら工事を見上げた。
実は少し前に地元の警察から聞き込みの警官が訪ねてきて、この界隈に空き巣の被害が出たので情報を集めているとのことだった。これにはびっくりして、たちまち取材モードにスイッチが入って質問を浴びせたが、必要最小限のことしか出さずに質問を続ける。玄関ポーチの防犯カメラを指して、あの中に記録があったら見せて欲しいと指さした。フェイク、それフェイクよ。
今度は本物だ、と大喜びだ。すごいではないか。パソコンから画像をチェックできる。守備範囲も広い。怪しいやつよ、来てみてごらん、頼りにしていた千早がいなくなって、猫の富士では当てにもできず、フェイクでごまかしていたがもう大丈夫。
事件の解決に、監視カメラが頻繁に登場する世の中になった。捜査に欠かせない機材であるという印象を受けるほどだ。
さあ、ここから先はどうなるでしょう。防犯カメラに100%寄りかかって安眠をむさぼっていることは危険ではないか。上には上、下には下があるというのが世の習いです。

激アツ

夏、お盆の帰省シーズンが目の前に来た。夏真っ盛り。今夏は豪雨災害地帯のことが案じられる。空前絶後、200人を越す亡くなられた方々と周りの人たちを思うと、まがりなりにもエアコンをつけた室内に籠っている我が身が申し訳なくなる。
振り返ると、阪神淡路大震災から今日まで、ほとんどひっきりなしに列島のどこかが災難に遭ってきたように感じる。まるでもぐら叩きのようだが、叩いて消えるものではない、その都度、助っ人たちが寄ってたかって、なんとかしようと頑張ってきた。今現在はどうかというと、豪雨の後の連日の猛暑だ。41度を超えてくるとは、これではまるでお風呂の湯ではないか。
お弔いに参列したいと思った。駆けつけたいが思いとどまり動かなかった。最近、友人と会う約束をする、講演会に申し込む。これが間際になって中止せざるをえない、つまりドタキャンすることが増えてきた。調子良いはずなのが、当日の朝にダメになる。
ドタキャンだったらまだ良いので、参加してしまった現場でドタキャンとなったら大変だ。それはドタキャンとは言わない。緊急事態である、異変である。周囲の人たちに予定外の動きを強いることになる。とんでもない迷惑をかけるわけだから、高齢になったら気持ちにブレーキをかけて踏みとどまる方が良いと気持ちを定めた。
一昔前までは、老人の記憶は若い者にとって貴重な知恵袋だった。
あの時はこうだったという記憶が、未経験の若者たちをどれだけ助けたか知れない。が、今は違う。地球規模で科学的データが揃ってきている。自分の経験を基とした主観的な大丈夫ほど危険なものはない時代に変わったのだ。
94歳の先輩が、私などよりはるかに矍鑠としていられる。彼の友人で96歳、彼同様の独居男性が、深夜トイレに立ったところで倒れた。この方は3ナンバーの外車を運転している、人もうらやむ元気者であった。しかし、つまづいて転んだのではなかった、発作を起こしたのだった。倒れたままで朝が来て、昼になり夕方になった、偶然、幸いにも訪問者があり発見された。訪問者が身内であったのか、配達の業者であったのかは知らない。ともかく命は助かったが、助かったのは命だけだった。
先輩は、このことを伝えてくれながら、実に不思議そうに言うのだ、おかしいなあ、どうして匍匐前進しなかったんじゃ。先輩も、災難に遭われた96歳の方も、戦争中は中国の奥地で戦っていらしたのだ。

旅の日常 日常の旅

在るはず、と書架を彷徨うが見つからぬ。梅雨入りの翌朝に偶感として記す芭蕉の言葉。
芭蕉が許六との別れに臨み与えた言葉、と覚えているのだが。
「古人の跡をもとめず 古人の求たる所を もとめよ」
これは、もとは空海が言ったことという、有名な句である。
空海から発して芭蕉が許六に渡す、それを後世、胸にたたむ。
奥の細道をたどる旅、として芭蕉の名作『奥の細道』で芭蕉が実際に歩き辿った道筋をたどり歩く人々があとを絶たない。
たまたま、ここは最上川だなあと、川べりに佇み芭蕉の句、蕪村の句を思うことはあったが、道筋をなぞり歩くことを思いついたことはない。
梅雨どきである、庭石が濡れて潤いのある輝きを見せている朝。
紀行『笈の小文』を開きます。和歌山の紀三井寺のあたりで、旅の心を語っている、
「猶栖をさりて器物のねがひなし。空手なれば途中の愁もなし。寛歩駕にかへ、晩食肉よりも甘し。とまるべき道にかぎりなく、立べき朝に時なし。只一日のねがひ二つのみ。こよひ能宿からん、草鞋のわが足によろしきを求めんと計は、いさ丶かのおもひなり。時々気を転じ、日々に情をあらたむ。もしわずかに風雅ある人に出合たる、悦かぎりなし。日比は古めかしく、かたくななりと悪み捨たる程の人も、邊土の道づれにかたりあひ、はにふ・むぐらのうちにて見出したるなど、瓦石のうちに玉を拾ひ、泥中に金を得たる心地して、物にも書付、人にもかたらんとおもふぞ、又是旅のひとつなりかし」
生涯寓居の庇を借り、車を降りてのちは寛歩に頼り、とまるべき道にかぎりなく、立べき朝に時なし。これが今のありさま故、芭蕉の心が身に染み渡る。外目には一所に居着き暮らすかに映ろうとも心は片雲に漂う。旅の喜びの極めつけは、芭蕉さまが言われる通り、辺土のうちに語り合い、瓦石のうちに玉を拾う心地するところにあり、のちのち幾たびも思い出す宝である。
夢を、抱えている。頼る寛歩も不如意となるだろう、いつかの暁に、小さな葎姿の図書室を作り、誰となく入り来たり出でゆく道すがらの淀みのうたかたとすることだ、玉を得たる心地を味わう縁となるやも知れぬ。わが身は動けずとも、これも旅であろうと思うのだ。

真実は揺るぎなく強い

007のスター俳優、ショーン・コネリー Sir Thomas Sean Connery が言った言葉、として私が書き留めている一句があります。
「常に真実を話さなくては。なぜなら真実を話せば、あとは相手の問題になるから」
簡単なようで難しい言葉、というのがあって「はい」と「いいえ」が、その代表格でしょう。もう一つ加えると「真実を話すこと」だと思うのですが、この3つに共通することは、思いのほか勇気が要るということ、強い精神を持っていてこそ使えるということだと思います。
その場を荒立てたくない、あるいは言を左右に取り繕ってしのごうという思惑から、曖昧な言動で逃げる。追い詰められると、あの時はコミュニケーション不足で、と常套句を出してさらに逃げるというのが氾濫しています。

安倍晋三総理大臣を筆頭に、彼を担ぎ支える一団は、この権力を他者に渡してなるものか、という強い執念を持って国政をほしいままにしています。国民なんかどうでも良いのです。彼らが掴んで離さない「権力」、これさえあればわが世の春というわけです。
どうしてこんな理不尽な有り様が続くのでしょう。地から天へ向かって雨が降る、安倍政権がしていることは、これほどひどい行いなのに、これほど長く続いているのはなぜでしょう。続くことを許しているのは誰であり、なぜなのでしょう。
昨今、スポーツ界でもいくつもの出来事があり、日本大学のアメリカン・フットボール部の問題が注目を浴びていますが、安倍政権の有り様と、そっくり重なって見えます。
国にとって最も大切な国民をないがしろにして、我欲に溺れる安倍総理。大学にとって最も大切な学生をないがしろにして、我が身の保全を図る監督、コーチ、理事長、学長など。
さて、このとき選手の周辺の人たちは、どうしたでしょうか。長い物には巻かれろ、と我慢することにしたでしょうか。この先は、明日以降に展開されて行きます。今はまだ、わかりません。
子供向けの絵本にして、結末をつけてみましょう。
あるところに悪い殿様がいました。嘘をついて村人を騙し、自分と、自分の家族と友人だけが贅沢をして威張っていました。次のページ。これを眺めていた東村の村長が、俺も真似しよう、と村人をそそのかして隣の西村の川の水をせき止めさせました。西村の田んぼは干上がりました。
次のページ。西村の村人たちが集まりました。俺たちの村長は、悪い殿様の真似はしなかった、東村はひどいじゃないか、と騒いでいるところへ南村と北村からも村人が集まってきて、悪いことは許さない、と相談が決まり、川の流れを元どおりに直してしまいました。
最後のページ。東村の村長は、おらが悪かった、と謝りました。そして一番悪いのは殿様だ、と言いました。東西南北の村は相談して、田んぼでできたお米を、殿様には一粒もあげないことに決めました。

年金の話

中学生の頃に翻訳小説を読んでいた時、年金暮らしをしているという老人が登場することがあり、年金て何かしらと思ったことが、年金との出会いだった。
日本での年金制度は1875年(明治8年)に軍人恩給が生まれたのが最初で、1923年に「恩給法」が制定されたけれど、対象は軍人と役人だけだった。一般人は関係ない制度だったのだ。
「国民年金」という名をつけて、国が一般国民を視野に入れたのは1959年だった。はじめの頃は月額8000円台だったように記憶しているが、2017年度では月額16900円だ。
結構負担になる金額を毎月収めるわけだが、噂では1960年生まれまでの人たちは、収めた金額全額を受け取る計算だそうで、それ以降に生まれた人たちは、収めた全額より受け取る金額が減るという。これは深刻な不安を呼ぶ事態だ。
どのような計算方法で数字を出しているのかわからないが、数字という石飛礫は基礎的知識のない私たちには強い効き目がある。目の前に数字を出されるとビックリして信じてしまう。
数字の効き目を強くするために、たとえ話を抱き合わせる。例えば、これまでは1人の老人を6人が支えてきました。だんだん4人が、3人が、と減ってきているんですよ、と説明する。そのうち、1人が1人を支えるのだと喧伝する。肩車をしているイラストまでつける。
支えるというのは、今時の口当たりの良い言い回しであり、簡単に言ってしまえば1人の年寄りを6人の、3人の、2人の若いもんが養ってんだよ、と言っているのだ。
これを知って若者たちは、いったいどう感じるだろう。自分の両親の他に、ということかしら、と首をひねっている人がいた。払い込んだ分より少なく受け取るんなら、自分で貯めておくことにする、というものもいる。さあ大変。
私は、これは「すり替え詐欺」だと断言し、「オレオレ詐欺」より罪は重いと糾弾する。この例えかたは悪質な詐欺だ。
なけなしの所得からコツコツと収めてきた、その自分の金を、自分の年金として受け取っているのだ。今時の若いもんが働いた金を恵んで貰ってるつもりはない。集めた金を運用する、やりくりがあるのが当然だが、やりくりの方法を言う前に事実本質を抑えるべきではないか。年金受給者に尻を持ってきて、あたかも余計な荷物だと言わんばかりの態度は言語道断だ。重ねて言うが、年金のカネは、国の所有物ではない、国民一人一人のものなのです。
こういうトリッキーな言い方で、高齢者をいたぶり、邪魔者扱い、負担者扱いをして憚らぬ態度は、実は昨日今日に始まったことではない。
昔話にあるように、無駄飯食いの年寄りを集めて殺してしまう殿様、姥捨伝説、その反動で知恵のある老人や老賢人の出現、連続線に不死の怪人までもが連なるのが人間だ。
無意識の螺旋に巻かれて、歴史のリズムに乗ることを考え直して踏みとどまり、賢人を国のために探し、起用することをなんとかして行わなければ日本は沈没するのではないか。賢人は若い者にも壮年にも、男にも女にも、いるはずだ。暗雲のようにのさばっている我欲の輩一群が消えれば現れるだろうか。国民のために、自分の人生を、蓄えた私財を、擲って尽くす人物を持つ国も、現にあるのだ。

myExtraContent7
myExtraContent8