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壺猫

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暑い盛りは猫の毛も抜けきって身軽になっている。それでも毎日ブラシをかけてやるが、毛の長さは決まっている。顔の毛の長さ、背中の毛の長さ、尾の毛の長さなど、それぞれ決まっている。これは猫に限らず、毛の生えている生き物はみんなこんなものだ、と言いたいが、ヒトは違う。
伸びるのである、どんどん。先ごろロシアのフィギュアスケーターの少女が、生まれた時から一度もヘアカットしたことがないと語っていた。その少女の髪は身長より短かったが、この先、身長を超えてどんどん伸び続けるのだろうか。
ヒトにはカーリーヘアーとストレートヘアーの種類があり、色調も様々だが、長毛種・短毛種はあるのだろうか。
実は、夏のうちに怪談を一つ、と思って毛を持ち出したのです。長い髪、女の髪。これは縄に綯(な)うこともした執念の象徴でもあります。毛にまつわる話で、怖いなあと思った怪談の骨子を一つ。
男がいる。障子を閉め切った部屋のうちにいるが、暮れてきた。昔の大屋敷である。長い廊下の右端に衣擦れの音がして女が歩いてくる気配。すぐに察した、無残に捨てた女だ。女の歩みは男の部屋に近づいたが、立ち止まることなく通り過ぎていった。ほっとした男。立ち去ったと確かめずにはいられない。しばらく息を潜めていたが、やがて障子をわずかに引きあける、左手の回廊の曲がり角を見透かすが人の姿はなかった。気が緩み廊下に目を落とした、塵一つない廊下の板の上を、あの女の自慢の長い髪が、生き物のように動いてゆく、右から左へ。終わりもなく。

幸せを抱く

東京都町田市の芹が谷公園の地続きに、町田市立国際版画美術館がある。ここは版画に特化した美術館で、版画が好きな人にとっては多分、世界一とさえ感じられるかもしれない。
なぜならご本家、日本の版画がふんだんにある上に、世界の版画展企画がたくさんあるからである。
単に鑑賞するための施設ではなくて、本格的な版画工房が用意されていて、誰でも利用できる。アトリエもあるし、暗室も腐蝕室まである。もちろん実技講座がある。
前は車でよく行ったが、最近はご無沙汰している。町田駅から歩かなければならないからなあ。
昨日、友人が初めて訪れたとメールをくれた。よかったと喜んでいる様子に、また行きたくなった。芹が谷公園にどんぐりが落ちる頃に行こう。公園は谷と名が付いている通り、起伏の多い変化に富んだ地形で野鳥の声に満ちている。
美術館の1F、庭に面して小さな喫茶店がある。ここはハンディキャップのある人たちが働いている店。
ゆーっくりテーブルに寄ってきて、一所懸命に注文を聞く。ゆーっくり持ってきてくれる。真剣に、そーっとトレイを置いてくれる。
思わず、ありがとうと笑顔を返すけど、ここで働く人たちは、いつもふわーっとした笑顔、作った笑顔じゃない、湧き出る幸せを笑顔に乗せている。
ひとの幸せって、どこにあるんだろう、どうやって手に入れるんだろう。
そうじゃない、探して追い求めるものじゃない。いかなる境遇に置かれたとしても、湧き出す幸せってあるじゃないか、ひとの心の中に幸せを生む泉があるんだな。

8月15日

8月15日。
玉音放送を聞いた直後、軒すれすれかと見えるほどの低空飛行の艦載機を見上げて凍りついた9歳の時の記憶が、どうしても8月の酷暑と重なってしまう。
天皇陛下の声のことを玉音と言い、天皇の顔のことを竜顔と呼ぶ。これが決まりだった、今は昔の出来事だ。
昔語りが多くなり恐縮だが、こんなことも覚えている。
私の子どもたちが、あの時の私の年齢であった頃のことだ、つまり一世代経ったことになる。
場所はカナダのトロントで、当時は日本人は少なく、子どもたちは現地の公立小学校に通っていた。その小学校に隣接して小さな図書館があった。
文字食い虫の私は、日本語の本がないので仕方なしに、この図書館に出入りしており、読んだ本の中に第二次世界大戦当時の記録本があった。こう書いてあった。
 1945年4月30日、ナチスドイツ総督、アドルフ・ヒットラーが自殺。戦争は終結した。しかし極東の日本は、戦争が終わったことを知らず、その後も戦いを続けた。
この部分を読んだ時の衝撃というか、唖然感というか、これは大きかった。
欧米の人々は、こういう風に受け取っていたのか、と新しいことを発見したような気持ちだった。4月30日から8月15日までの間に死んだというよりも殺された人々を思った。
ところ変われば事実も変わるということだろうか、事実、真実とはいかなるものぞや。今日まで黙っていたことですが、もう明日の命の保証もない年頃であるから、溜め込んでおくのをやめて放り出してしまおうっと。

防犯カメラ

過日の事だが、次男が小さなダンボール箱を持ってやってきた。茶を飲ませようか、コーヒーを淹れようか、とうろつく私に目もくれず、入ったばかりの玄関を出て行った。
ダンボール箱から取り出した真っ黒けの塊を上の方に取り付けている。何それ? と訊ねるまでもなく防犯カメラである事が知れた。あら、本物なんだな、だったら高かったろうに、まあ、とんだ出費をしてしょうがないわねえ、と、有り難いくせに文句を言いながら工事を見上げた。
実は少し前に地元の警察から聞き込みの警官が訪ねてきて、この界隈に空き巣の被害が出たので情報を集めているとのことだった。これにはびっくりして、たちまち取材モードにスイッチが入って質問を浴びせたが、必要最小限のことしか出さずに質問を続ける。玄関ポーチの防犯カメラを指して、あの中に記録があったら見せて欲しいと指さした。フェイク、それフェイクよ。
今度は本物だ、と大喜びだ。すごいではないか。パソコンから画像をチェックできる。守備範囲も広い。怪しいやつよ、来てみてごらん、頼りにしていた千早がいなくなって、猫の富士では当てにもできず、フェイクでごまかしていたがもう大丈夫。
事件の解決に、監視カメラが頻繁に登場する世の中になった。捜査に欠かせない機材であるという印象を受けるほどだ。
さあ、ここから先はどうなるでしょう。防犯カメラに100%寄りかかって安眠をむさぼっていることは危険ではないか。上には上、下には下があるというのが世の習いです。

激アツ

夏、お盆の帰省シーズンが目の前に来た。夏真っ盛り。今夏は豪雨災害地帯のことが案じられる。空前絶後、200人を越す亡くなられた方々と周りの人たちを思うと、まがりなりにもエアコンをつけた室内に籠っている我が身が申し訳なくなる。
振り返ると、阪神淡路大震災から今日まで、ほとんどひっきりなしに列島のどこかが災難に遭ってきたように感じる。まるでもぐら叩きのようだが、叩いて消えるものではない、その都度、助っ人たちが寄ってたかって、なんとかしようと頑張ってきた。今現在はどうかというと、豪雨の後の連日の猛暑だ。41度を超えてくるとは、これではまるでお風呂の湯ではないか。
お弔いに参列したいと思った。駆けつけたいが思いとどまり動かなかった。最近、友人と会う約束をする、講演会に申し込む。これが間際になって中止せざるをえない、つまりドタキャンすることが増えてきた。調子良いはずなのが、当日の朝にダメになる。
ドタキャンだったらまだ良いので、参加してしまった現場でドタキャンとなったら大変だ。それはドタキャンとは言わない。緊急事態である、異変である。周囲の人たちに予定外の動きを強いることになる。とんでもない迷惑をかけるわけだから、高齢になったら気持ちにブレーキをかけて踏みとどまる方が良いと気持ちを定めた。
一昔前までは、老人の記憶は若い者にとって貴重な知恵袋だった。
あの時はこうだったという記憶が、未経験の若者たちをどれだけ助けたか知れない。が、今は違う。地球規模で科学的データが揃ってきている。自分の経験を基とした主観的な大丈夫ほど危険なものはない時代に変わったのだ。
94歳の先輩が、私などよりはるかに矍鑠としていられる。彼の友人で96歳、彼同様の独居男性が、深夜トイレに立ったところで倒れた。この方は3ナンバーの外車を運転している、人もうらやむ元気者であった。しかし、つまづいて転んだのではなかった、発作を起こしたのだった。倒れたままで朝が来て、昼になり夕方になった、偶然、幸いにも訪問者があり発見された。訪問者が身内であったのか、配達の業者であったのかは知らない。ともかく命は助かったが、助かったのは命だけだった。
先輩は、このことを伝えてくれながら、実に不思議そうに言うのだ、おかしいなあ、どうして匍匐前進しなかったんじゃ。先輩も、災難に遭われた96歳の方も、戦争中は中国の奥地で戦っていらしたのだ。

旅の日常 日常の旅

在るはず、と書架を彷徨うが見つからぬ。梅雨入りの翌朝に偶感として記す芭蕉の言葉。
芭蕉が許六との別れに臨み与えた言葉、と覚えているのだが。
「古人の跡をもとめず 古人の求たる所を もとめよ」
これは、もとは空海が言ったことという、有名な句である。
空海から発して芭蕉が許六に渡す、それを後世、胸にたたむ。
奥の細道をたどる旅、として芭蕉の名作『奥の細道』で芭蕉が実際に歩き辿った道筋をたどり歩く人々があとを絶たない。
たまたま、ここは最上川だなあと、川べりに佇み芭蕉の句、蕪村の句を思うことはあったが、道筋をなぞり歩くことを思いついたことはない。
梅雨どきである、庭石が濡れて潤いのある輝きを見せている朝。
紀行『笈の小文』を開きます。和歌山の紀三井寺のあたりで、旅の心を語っている、
「猶栖をさりて器物のねがひなし。空手なれば途中の愁もなし。寛歩駕にかへ、晩食肉よりも甘し。とまるべき道にかぎりなく、立べき朝に時なし。只一日のねがひ二つのみ。こよひ能宿からん、草鞋のわが足によろしきを求めんと計は、いさ丶かのおもひなり。時々気を転じ、日々に情をあらたむ。もしわずかに風雅ある人に出合たる、悦かぎりなし。日比は古めかしく、かたくななりと悪み捨たる程の人も、邊土の道づれにかたりあひ、はにふ・むぐらのうちにて見出したるなど、瓦石のうちに玉を拾ひ、泥中に金を得たる心地して、物にも書付、人にもかたらんとおもふぞ、又是旅のひとつなりかし」
生涯寓居の庇を借り、車を降りてのちは寛歩に頼り、とまるべき道にかぎりなく、立べき朝に時なし。これが今のありさま故、芭蕉の心が身に染み渡る。外目には一所に居着き暮らすかに映ろうとも心は片雲に漂う。旅の喜びの極めつけは、芭蕉さまが言われる通り、辺土のうちに語り合い、瓦石のうちに玉を拾う心地するところにあり、のちのち幾たびも思い出す宝である。
夢を、抱えている。頼る寛歩も不如意となるだろう、いつかの暁に、小さな葎姿の図書室を作り、誰となく入り来たり出でゆく道すがらの淀みのうたかたとすることだ、玉を得たる心地を味わう縁となるやも知れぬ。わが身は動けずとも、これも旅であろうと思うのだ。

真実は揺るぎなく強い

007のスター俳優、ショーン・コネリー Sir Thomas Sean Connery が言った言葉、として私が書き留めている一句があります。
「常に真実を話さなくては。なぜなら真実を話せば、あとは相手の問題になるから」
簡単なようで難しい言葉、というのがあって「はい」と「いいえ」が、その代表格でしょう。もう一つ加えると「真実を話すこと」だと思うのですが、この3つに共通することは、思いのほか勇気が要るということ、強い精神を持っていてこそ使えるということだと思います。
その場を荒立てたくない、あるいは言を左右に取り繕ってしのごうという思惑から、曖昧な言動で逃げる。追い詰められると、あの時はコミュニケーション不足で、と常套句を出してさらに逃げるというのが氾濫しています。

安倍晋三総理大臣を筆頭に、彼を担ぎ支える一団は、この権力を他者に渡してなるものか、という強い執念を持って国政をほしいままにしています。国民なんかどうでも良いのです。彼らが掴んで離さない「権力」、これさえあればわが世の春というわけです。
どうしてこんな理不尽な有り様が続くのでしょう。地から天へ向かって雨が降る、安倍政権がしていることは、これほどひどい行いなのに、これほど長く続いているのはなぜでしょう。続くことを許しているのは誰であり、なぜなのでしょう。
昨今、スポーツ界でもいくつもの出来事があり、日本大学のアメリカン・フットボール部の問題が注目を浴びていますが、安倍政権の有り様と、そっくり重なって見えます。
国にとって最も大切な国民をないがしろにして、我欲に溺れる安倍総理。大学にとって最も大切な学生をないがしろにして、我が身の保全を図る監督、コーチ、理事長、学長など。
さて、このとき選手の周辺の人たちは、どうしたでしょうか。長い物には巻かれろ、と我慢することにしたでしょうか。この先は、明日以降に展開されて行きます。今はまだ、わかりません。
子供向けの絵本にして、結末をつけてみましょう。
あるところに悪い殿様がいました。嘘をついて村人を騙し、自分と、自分の家族と友人だけが贅沢をして威張っていました。次のページ。これを眺めていた東村の村長が、俺も真似しよう、と村人をそそのかして隣の西村の川の水をせき止めさせました。西村の田んぼは干上がりました。
次のページ。西村の村人たちが集まりました。俺たちの村長は、悪い殿様の真似はしなかった、東村はひどいじゃないか、と騒いでいるところへ南村と北村からも村人が集まってきて、悪いことは許さない、と相談が決まり、川の流れを元どおりに直してしまいました。
最後のページ。東村の村長は、おらが悪かった、と謝りました。そして一番悪いのは殿様だ、と言いました。東西南北の村は相談して、田んぼでできたお米を、殿様には一粒もあげないことに決めました。

年金の話

中学生の頃に翻訳小説を読んでいた時、年金暮らしをしているという老人が登場することがあり、年金て何かしらと思ったことが、年金との出会いだった。
日本での年金制度は1875年(明治8年)に軍人恩給が生まれたのが最初で、1923年に「恩給法」が制定されたけれど、対象は軍人と役人だけだった。一般人は関係ない制度だったのだ。
「国民年金」という名をつけて、国が一般国民を視野に入れたのは1959年だった。はじめの頃は月額8000円台だったように記憶しているが、2017年度では月額16900円だ。
結構負担になる金額を毎月収めるわけだが、噂では1960年生まれまでの人たちは、収めた金額全額を受け取る計算だそうで、それ以降に生まれた人たちは、収めた全額より受け取る金額が減るという。これは深刻な不安を呼ぶ事態だ。
どのような計算方法で数字を出しているのかわからないが、数字という石飛礫は基礎的知識のない私たちには強い効き目がある。目の前に数字を出されるとビックリして信じてしまう。
数字の効き目を強くするために、たとえ話を抱き合わせる。例えば、これまでは1人の老人を6人が支えてきました。だんだん4人が、3人が、と減ってきているんですよ、と説明する。そのうち、1人が1人を支えるのだと喧伝する。肩車をしているイラストまでつける。
支えるというのは、今時の口当たりの良い言い回しであり、簡単に言ってしまえば1人の年寄りを6人の、3人の、2人の若いもんが養ってんだよ、と言っているのだ。
これを知って若者たちは、いったいどう感じるだろう。自分の両親の他に、ということかしら、と首をひねっている人がいた。払い込んだ分より少なく受け取るんなら、自分で貯めておくことにする、というものもいる。さあ大変。
私は、これは「すり替え詐欺」だと断言し、「オレオレ詐欺」より罪は重いと糾弾する。この例えかたは悪質な詐欺だ。
なけなしの所得からコツコツと収めてきた、その自分の金を、自分の年金として受け取っているのだ。今時の若いもんが働いた金を恵んで貰ってるつもりはない。集めた金を運用する、やりくりがあるのが当然だが、やりくりの方法を言う前に事実本質を抑えるべきではないか。年金受給者に尻を持ってきて、あたかも余計な荷物だと言わんばかりの態度は言語道断だ。重ねて言うが、年金のカネは、国の所有物ではない、国民一人一人のものなのです。
こういうトリッキーな言い方で、高齢者をいたぶり、邪魔者扱い、負担者扱いをして憚らぬ態度は、実は昨日今日に始まったことではない。
昔話にあるように、無駄飯食いの年寄りを集めて殺してしまう殿様、姥捨伝説、その反動で知恵のある老人や老賢人の出現、連続線に不死の怪人までもが連なるのが人間だ。
無意識の螺旋に巻かれて、歴史のリズムに乗ることを考え直して踏みとどまり、賢人を国のために探し、起用することをなんとかして行わなければ日本は沈没するのではないか。賢人は若い者にも壮年にも、男にも女にも、いるはずだ。暗雲のようにのさばっている我欲の輩一群が消えれば現れるだろうか。国民のために、自分の人生を、蓄えた私財を、擲って尽くす人物を持つ国も、現にあるのだ。

季節の食べもの

駅前にある地元農家の野菜売り場に筍が山積みされた。採りたての、まだ土が湿っている筍は軽トラからおろしたばかりだ。
スーパーではそらまめ、セリ、新玉ねぎなどが並んで、眺めた時点ですでに嬉しさいっぱいになってしまう。
生きている楽しさは、好きな食べ物と共にあり。
幸せな食べ物は、やはり季節と結びついている野菜と果物ではないか。真夏のトマト、きゅうり。そしてスイカ。秋に実る柿と梨。特別の珍味というものは、誰彼と楽しむ材料としては良いのかもしれない、ひとりしみじみ珍味を味わう、なんて絵にもならない。
どこにでもある、土から生まれる平凡な菜っ葉が幸せ感を運んできてくれる。
でもまだ、今は四月なのだ、筍が出回るのは自然だけれど、どうして今頃キュウリが山積みなのか。なんでナスが本日の特売なのか。四つ割のかぼちゃが並ぶのか。頑固なことを言うようだが、何年たっても私は慣れない、違和感がある。
もう、旬のキュウリもナスもない。にんじん、大根、じゃがいもと一緒で、いつも並んでいる。レタスやもやしと一緒だ。かぼちゃやオクラなんて年中輸入されている。だから季節の野菜を楽しむのも、楽じゃないのだ。うっかりしていると楽しみ損ねてしまう。
量産できない、あるいは工場生産できない、需要が少ない、そのような片隅に置かれているものたちだけが、季節を運んでくれる。
「今日だけ来たのよ」「来週は、もう会えないかも」そらまめさんとセリさんが話しあっているような気がして両方とも買って帰った。

個人として立つ、ということ

独立した一人の人間のあり方について、最近二つの出来事について気になっています。一つは相撲社会の出来事で、元横綱日馬富士が貴ノ岩関に暴行した事件、もう一つは森友事件で、安倍晋三総理大臣の妻、昭恵さんに関与の疑いがかけられている事件。
気になっている点は共通しており、なぜ本人が裏手にかくまわれているのかということです。
私が思うには、ゴタゴタが起きた場合、幼稚園児同士のいさかいであったならば、双方の親同士の話し合いになることは十分考えられる、しかし子供ではない大人、立派な成人が背後に匿われて、親方だの夫だの、身代わり人が表に立って抗弁する、これはヘンだ、おかしい、あってはならないことだと思います。
なにを幼稚なことを言っているんだ、これらは政治的行動じゃないか、と笑う人もいるでしょう、しかし、視点を裏手に隠されて表に出してもらえない側に移して見てみると、これは捨て置けない話です。殴られた相撲取りは、若いとは言え立派な成人です。本人が直接表に現れたらよろしいし、それが自然であり、当然の態度でしょう。本人を隠すのは解せない。頭の皮を何針だか縫ったと騒いだが、長期入院の大騒ぎをするほどのことか。私は車にぶつかって頭の皮を8針縫ったことがありますが、入院どころか普通に暮らしていました。話が脇道に入りますが、頭皮に裂傷を負った場合、大量の出血があります。顔じゅう真っ赤っ赤になります。半端ではない量です。暴行現場の説明は理解しがたい。外科医のコメントが私の見る限り見当たらず、このことに誰も言及していなかったことは、私から見ると大きな疑問点ではあります。長期間にわたり心身ともに封印された本人の気持ち、意見は消去されてしまったのでしょうか。殴られた傷は癒えるかもしれませんが、何人にせよ、大道から外れた歪んだ判断は、まだ30歳前の若者の将来に修復不能の後遺症を残すのではないかと危惧します。人が人に、してはいけないことです。
一方、総理大臣夫人が、総理の妻であるという関わりから出会うこととなった人々との間に引き起こした言動について、国会で問われているという現状と見えますが、これも徹底的にかくまっています。昭恵さん、ご自分で話してくださいと要請された安倍晋三は、ウチに帰って聞いたら、これこれと言っていましたと答える。この対応が通用すると踏んでいるのが我が国の総理大臣とは噴飯ものです。というか表に出せない、みっともなくて。
この事件も、妻の側に立ってみると、捨ておけない問題があるように見えます。独立した一人の人間として認められていないのか。これを女性蔑視の問題とみることもできますが、ことは、それ以上に深刻で重大です。人権を尊重する。独立した個人の人格を尊重し信ずる。これらが完全にないがしろにされています。これは、人が人に、してはいけないことです。
この二つの出来事は、組織としての対処が必要とされた場合、いとも簡単に人間の尊厳、人格、権利、すべてが反故にされてしまう様相が如実に現れたものと思います。これが、今現在の日本社会において平然と行われているということが、どういう意味を持つでしょうか。くどいようですが、一つは一相撲部屋の内で起きたこと、一つは夫婦間で起きたことです。いったん、戦争になったら、一般国民は政府にとって身内ですらありはしない。どんな目にあうか知れたものではありません。他人事ではないと言いたかった次第です。


自分の行為を飾る言葉

修飾語だとかなんとか、文法についての言い分ではない。
自分自身の行いについて、自分自身が話す、あるいは書き記す場合に使う飾りの言葉について考えている。
たとえば幼稚園に通い始めた子どもが、何日か経った朝、はじめて自分で服を着て帽子をかぶり靴を履いた、お母さんを見上げていう、「一所懸命やった!」
えらい、よくやったね、と喜ぶ大人の笑顔。
これを、大人になってからあまりにも多用すると、あるいは場違いな場面で使うと、失笑を買うことになる、というのが今日の話題。

自分の心情をわかってもらいたい、確かに相手に届けたいと願うとき自分の行為に付け加える言葉なのだから、幼稚園児の身支度を見守るような心で受けたら良いものではある。
が、時と場合によりけり、環境と立場によりけりだ。
国会で答弁する我が国の首相は、これは安倍晋三のことだが、「します」といえば済むところを早口で何分間も喋り立てる。たったの三文字につけ加える飾りの言葉で高価な国会時間を費消させている。
「真摯にですね」「しっかりと、ですね」たとえば、このような言葉だ。ですね、とつけ加える惨めさ、品のなさは、言葉を発する本人だけは感じていないらしい、繰り返すのだから。
この総理大臣の真似をするのだろうか、閣僚たちが右へ倣えの言葉遣い、これが拡散して社会に行き渡る悲惨さ。ではなくて世の中の風潮に染まってということか。
貧弱な実態を、これでもかと飾り立てている有様に腹を立てるのが虚しい。反発する空気が感じられない故に虚しい。なんだ、中身がないじゃないか。という声が聞こえないのは、聞き手の側も似たものなのだろうか。

最近、「全身全霊を持って」という飾り言葉が散見されるようになった。これは昨夏、テレビで天皇が所信を述べた時に含まれていたもので、この影響があって使う人が増えたのかもしれない。
これは、なかなか迫力のある強い表現だけれど、天皇が自分自身に関わるところにかぶせる言葉だろうか、と私は反発する気持ちがある。受ける側が、陛下は全身全霊を持って事に当たられ云々、と表現するならわかるが、苟も国の象徴と自他共に認める椅子に座る人物が自分自身についてかぶせる言葉ではないのではないか。なぜかというに、命の限り、全身全霊を持って事にあたるのが当然である椅子に座っているのだから言うまでもないことであろう。
むしろ、淡々と述べるにとどめる方が、どれほど大きく輝くことだろう。これではまるで一般人の言い方だ。威をはらう空気が、どこにもない。こんなならありやなしやのあけぼのの月。
さらに脇道に入るが、皇太子が誕生日のインタビューに応じている中で、昨夏の天皇のお気持ち表明を「テレビで拝見しました」と話していた。なんだ、眺めていたのか、と私は受け取った。拝聴いたしましたと表現すべきではないのか。それとも文字通り見ていただけだったのかしら。似た者父子だ。

長屋

最近のこと、近所のアパートが建て替え工事をしていて、今度は重層長屋になるという。
長屋? 長屋って落語に出てくる、あれのことかしら。まさか。いや待てよ、いまどきはレトロな長屋が人気なのかな?
つい先ごろまでは、こうした疑問が湧いた時はすぐに電話の前に座りこみ、誰彼に電話をして教えてもらっていた。ついでによもやま話で長電話となったり賑やかだった。今は、そうはいかない。様変わりした。
第一、電話がはっきり聞き取れない。相手は脳梗塞の予後で発音がはっきりしない、こっちは耳が遠くなっていて音が滲んで聞こえる。で、電話はさっぱりと諦めて留守電にセットして出ないことにした。これはおれおれ詐欺から身を守るための方法ではあるけれど、詐欺の心配よりも、息子たちを安心させるのに役立っている。大丈夫よ、出ませんからね、というわけだ。
ところで長屋は、グーグルで検索、ものの2、3分で解明されました。
共同住宅とは、階段・廊下・玄関・ホールなどを共同で使う住宅。マンションなどのことだ。
長屋というのは、共有部分を持たない住宅だという。直接道路に出る。知らなかった。重層長屋は一階と二階で一軒分となっていて内部に階段がある。要するに連結二階家。
それではアパートとはなんだろう。これは木造共同住宅で、鉄筋だったらマンションらしい。突き詰めてゆくといい加減な部分もあり、時代によって変化してゆくものでもあるらしい。
だったらいいなあ、重層長屋がレトロなご隠居さん時代のテイストを引き継ぎながら、最先端の電波設備を入れて暮らし始めたら、今時の人たちは縁台の代わりの何かを生み出すに違いない。

筆の力

俳句の金子兜太さんが亡くなられた。代表作といわれる「水脈の果炎天の墓碑を置きて去る」は、トラック島から最後の船で引きあげる時の、作と呼ぶよりも叫びだろう。
戦地に赴いた人たちが次々に鬼籍に入って行く。第二次大戦当時には10歳に満たぬ子供であった私は、もちろん戦地を知らず、しかし東京都の空襲と敗戦に続く都内の激しい飢餓状況は体に刻みこまれている。
自身の体験の記憶を語り記し続けるとともに、機会あるごとに年上の方々の経験を聞こうと努めてきた。中国の奥地で戦った人、南方から生還できた人。そして学徒動員で旋盤工などになり工場で働いた女学生だったお姉さんたち。
私の年代の人たちが皆、死に絶えて、テレビがある部屋に生まれた人たちだけの世の中になる、それはもう、目と鼻の先のことだろう。そのあと、ドローンが活躍している時代に生まれた人たちの世の中になるだろう。
そしてそのあとも、ずーっと「戦争したことがあったんだ? 東京が空襲にあったことがあったんだ? 歴史の本に出ている広島と長崎、読みました」などと言って、戦争をしない、戦争を知らない人たちだけの世の中に、ぜひともなりますようにと心底願っている。
しかし、今現在の世の中、日本の様相は、そんな感じではない。このままでは日本はダメになる、と本気で憂慮する人たちが大勢いる。私は、安倍政権の一同を腐りきっていると感じていて、気概はなく恥を知らず、強きにおもねり弱気を無視する下劣な輩と断じる。
怒れ、日本人。黙るな日本人。誤魔化されるな日本人。
このことを金子兜太さんは、頼まれて文字にされた。「アベ政治を許さない」。
私の家の近くにも、この太く力強い文字が掲げられている。お亡くなりになられたが、この文字は生き生きと生き続けている。眺めるたびに深呼吸をする。力漲る文字とともに兜太老人は矍鑠としてこの地にいるのだ。
改めて思うことは、毛筆の、自分自身で書いた文字というものは、なんと精神がこもっていることだろう。その人となりが如実に表れていることだろう、感情が込められていることだろう。
どれほどの大きな文字でも、印刷の文字では迫ってこない力を持っているのが毛筆の自書である。

海外

日本では、外国のことを海外と表現する。海外旅行、海外進出、海外版などと使う。自分の国以外は全部海外だ、みたいな感じも受ける。
国の外を「国外」というのが一般的だが、日本は島国だから海を隔てた向こうにある地域や国家のことを海外というのだろう。
じゃあ、イギリスの人は? オーストラリアの人は? やはり海外というのだろうか、聞いてみたい。
歩いて国境を越えることができる国では、海外という表現が国境を意味するとは体感し難いのではないだろうか。
ナイアガラの滝の、一方がアメリカ側で一方がカナダ。ここに国境がある。国をまたいで立ってみた。
ナイアガラの大瀑布を眺めながら、左右の足で国境を感じたことを思い出す。
他になんか言いようはないのかしら。海外というたびに、ウチら島国だよ〜 みたいな気分が来てあまり面白くない。


私の先生だった獣医師

猫の富士が健康そのもの、いたって元気なので動物病院の先生には長い間ご無沙汰してきた。一駅先の駅前にある動物病院は、老先生一人の土地の獣医先生だ。助手さんもいない。
久しぶりだから顔を見に行きましょう、と駅前通りをT字路へ出たら、そこにあるはずの病院が消えていた。シャベルカーがデコボコの泥になった病院の場所の中でアームを振り上げていた。私はぽかんとしてしまった。
老先生、なのだ。私と同じくらいなんだもの。
商店街の古い店を選んで訊いた。やっぱりお仕舞いになさったのだった。
それは良い先生だったんです。と残念がったら、みんな、そう言ってるよ、とお蕎麦屋さんの主人が言った。
お礼の手紙を書こう。シャベルカーのいる住所宛に手紙を出しても、郵便局は半年間は転送してくれるはずだ。
先生に伝えたいお礼の言葉を、お経のように口の中でつぶやきながら帰り道を歩いた、ありがとう先生。
先生は、カルテにまず、名前は? と言って千早の名を、富士の名を、書いてくださいましたよね。普通、患畜の名は二の次三の次で飼い主の名と住所を書くのですが、先生は違った。
体調を崩した高齢の千早を抱えて私が悩んでいる時、近所の犬友の女性が紹介してくれた先生だった。
犬を抱いて不安な時間を刻む気持ちを理解してくださり、あらかじめ行く手を示してくださったことを、感謝とともに繰り返し思い出すのである。
お陰で歩行困難になった時も、先生から前もって聞いて知っていたお陰で落ち着いて対処できたのだった。犬を診ていただき、同時に片割れの私も診ていただいていたのだった。

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