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壺猫

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私の先生だった獣医師

猫の富士が健康そのもの、いたって元気なので動物病院の先生には長い間ご無沙汰してきた。一駅先の駅前にある動物病院は、老先生一人の土地の獣医先生だ。助手さんもいない。
久しぶりだから顔を見に行きましょう、と駅前通りをT字路へ出たら、そこにあるはずの病院が消えていた。シャベルカーがデコボコの泥になった病院の場所の中でアームを振り上げていた。私はぽかんとしてしまった。
老先生、なのだ。私と同じくらいなんだもの。
商店街の古い店を選んで訊いた。やっぱりお仕舞いになさったのだった。
それは良い先生だったんです。と残念がったら、みんな、そう言ってるよ、とお蕎麦屋さんの主人が言った。
お礼の手紙を書こう。シャベルカーのいる住所宛に手紙を出しても、郵便局は半年間は転送してくれるはずだ。
先生に伝えたいお礼の言葉を、お経のように口の中でつぶやきながら帰り道を歩いた、ありがとう先生。
先生は、カルテにまず、名前は? と言って千早の名を、富士の名を、書いてくださいましたよね。普通、患畜の名は二の次三の次で飼い主の名と住所を書くのですが、先生は違った。
体調を崩した高齢の千早を抱えて私が悩んでいる時、近所の犬友の女性が紹介してくれた先生だった。
犬を抱いて不安な時間を刻む気持ちを理解してくださり、あらかじめ行く手を示してくださったことを、感謝とともに繰り返し思い出すのである。
お陰で歩行困難になった時も、先生から前もって聞いて知っていたお陰で落ち着いて対処できたのだった。犬を診ていただき、同時に片割れの私も診ていただいていたのだった。

交通事故の怪

悪質な煽り運転で高速道路の追い越し車線に2台の車が停車していざこざを起こし、その3分後にトラックが追突した。絡まれて停車し、車外に出ていた夫婦が死亡した。この痛ましい事故、あまりにも悪質な行為をすべてのメディアが取り上げた。
私は、むかし2台のダンプカーに煽られた時のことを思い出し、映画の「激突」、これはS.スピルバーグ監督の有名な作品だが、これも思い出した。ロードレイジの恐ろしさが、改めて迫ってきた。
が、今言いたいことは、そのことではない、メディアの報道態度についてだ。この事件によって別の部屋のドアが開いたかのように、翌日からの交通事故報道が、これもあれもと悪質運転がらみのもの一色になったのだ。
前の日までは、またジジババがコンビニに突っ込みましたというニュースで一杯、日本中の道路でジジババがコンビニに突っ込み、他の事故なんか無いような空気だったのだ。今は一転してどこの道路もロードレイジだ。これは奇々怪々現象ではないでしょうか。

ストーンヘンジ

この夏のこと、夏至の日にストーンヘンジが賑わいました。世界一有名なストーンヘンジ、イギリスのソールズベリーにある環状列石に集まった人たちが巨石群の周りで日の出を待っている、巨石のどこから太陽が昇るかという興味らしい。
イギリスのストーンヘンジの向きは北東と南西を向いて開いているそうで、これは鬼門と裏鬼門の方角にあたります。春分と秋分には、太陽は真東から昇り、真西へ沈む。洋の東西を問わず、なぜ真東真西より、北東、南西をマークするのでしょう。
大昔の人たちが何を考えて、こういうものを作ったのかと推測が続いて決定打は出ないみたいですが、これは全部棚に上げておき、自分で石を配置した経験から、環状列石や、日本にも散在する不可解な石の群れを作った人々の気持ちを考えてみようと思います。
私が作ったのは、地面に並べた石ころという単純素朴なものです。自分のために、自分が欲した配置をデザインして製作した石庭とも呼べますが、大層なスケールのものではなくて、ささやかな庭先の箱庭のようなものです。
肝心なことは、眺める庭ではないこと、使うための場所と空間であること、自分自身が本当に必要とする配置であることです。つまりストーンヘンジの解釈は、そういう心の立ち位置に立ってみて初めて見えてくるのではないでしょうか。

正方形の庭を二つ作った、まずはその一方を紹介しましょう。
正方形に区切った中央に丸石があります。これを中心として四方に石が並びます。真上から見ると十文字に見える、この方向が東西南北です。ほぼ正確に真南、真東を向いて立つことができます。周囲は隙間なく小型の丸石で埋めて、隙間には白い砕石を詰めてあります。
石は全部花崗岩なので夜も白く見えます。夜に地面が白いということは侵入者が入りにくい。目立ちますから防犯になります。さらに防犯灯を設置しているので猫一匹でもわかります。雑草は1本も生えず、地下に有孔排水管を通しているので排水が良い。
この庭は高齢者向き庭であり、草むしりや庭木の剪定から完全に解放されて心理的にも負担がゼロ、そろそろ草むしりしなくちゃ、なんて考える必要がないのです。この庭に出て歩く。姿勢を正して裸足で歩く。これが健康法です。
もう一方の正方形も紹介しましょう。
こちらの正方形は9つに分割されており、その9区画に、それぞれ丸石が配置されています。この石もまた花崗岩ですが、区画ごとに石の数が違います。まず1列目が6個、1個、8個。2列目が7、5、3。3列目が2、9、1と並びます。
そう、これは魔方陣の配置で、縦、横、斜めの石の数の合計が15になるものです。実はこの配置こそが陰陽五行思想、風水、八卦など東洋思想の根幹に位置する重要な座であり、私には欠かせない世界です。この石の周りにも白い小石が敷き詰めてあり、ここもまた運動場なのですが、一方と違う点は中央にベンチブランコが下がっていることです。
このブランコもまた自分自身のためのもので、しばしばブランコに揺れながら昼寝をし、読書をし、猫を抱いて揺れている次第。なぜブランコなのか。精神世界の中央で緩やかに揺れる座、これが胎内感覚とつながる命の根源である故です。胎内に眠る感覚から生まれる発想が私の夢類、と言いたいのですが。さてどんなものでしょうか。
昔からこんな庭であったはずもなく、四、五十代の頃は、金柑と柚子が実り、ブルーベリーがザルいっぱい採れてパイを焼き、桃ノ木まであったのですが、年齢とともに庭もまた移り変わりました。

使い古して捨てないで

詩人たちは両腕を空にあげて神の声を受けようとし、授けられた種を一行目に記す。詩を読む人たちはその言葉を胸に抱く。
大事なものを表す言葉は、大切に扱われる資格があります。あはは。それを言ったらおしまいだ、大切でない言葉なんか、あるはずもない。
悲しい、怒っている、そんな胸の内を表す言葉が、傷ついているものには、どうしても必要だ。たとえそれの見かけが汚い罵りであったとしても。
ただそれは、どうしても必要な時に、自分自身でつかみ取った言葉だからこそ、伝わる力を持つ。
巷に氾濫する「やさしさ」という言葉。勇気を、元気を、希望を「もらった」という言い方。「大切ないのち」の連発。
コンビニの棚に手を伸ばして選び取ったかのような、安易で便利な量産品。
自分で思いついたのではない、棚に並んでいる今時のグッズだから使っておこうという態度。選んだ言葉ではない、利用する言葉。
先日来の豪雨で各地に被害が出た時のこと、注意を促す報道をしている言葉を聞いた時に違和感を覚えた。
命を守ってください、と放送していた。繰り返していたので、その都度私は苛立たしい怒りを覚えた。
やまと言葉には、身を守るという言い方があるのです。

一般人とは

昔から一般の人という言い方はあった。最近は一般の人とは言わない。一般人という。イッパンジン。いったいこれは誰を指して言うのだろう?
例えば、歌手とか、スポーツ選手とか、なんであれ有名な人が結婚する場合に相手を紹介する報道の仕方は、相手は一般人で、というふうに言う。それで私は一般人と芸能人という2種類に分けているのだろうと思っていた。
ところが共謀罪関係の報道が出るようになってから、対象は一般人は関係ないのだと書いてあるのをたびたび見た。
政府が指定する一般人とは誰を指すのだろう。芸能人は一般人に組み込まれるのだろうか。それともターゲットになるのだろうか。誰もが聞き慣れている言葉、誰もが使っている言い方だけど、それにもかかわらず輪郭がぼやけている。
自分が一般人であるのか、そうでないのかは、誰がどのような基準で判断するのだろう? 自分では決められないものであるのか? 
誰もが分かっているようで、はっきりしない一般人は不安定な存在だ。

私のジム通い

同年輩の友人たちとの付き合いは、電話が多くなった。若い人と違ってメールを好まない。かといって手紙を書くのも結構大変だ。書いて切手を貼りポストに投函する。やはり固定電話が一番良いということになる。なぜなら耳が遠くても音量を調節できるからだ。
最近は家庭の各種掃除などを気楽に業者に頼めるようになった。電話一本でプロが来てくれてプロの手際で綺麗にしてくれる。週一回で手間いらずよ、それに汚すこともありませんからね、と好評だ。そんな掃除の話題がよく出る。
私はどこどこに頼んでるけど、あなたは? と尋ねられることもよくある。ということは週に一回、掃除をしてもらっている人が増えているのかもしれない。自分でやってるわ、と私の返事はいつも同じだから、どの業者が良いか、という次の話題には入れない。
忙しい、時間が足りないと言いながら、なぜ私は掃除をするのだろう。風呂の掃除、トイレの掃除、部屋の掃除、ときどき天井を綺麗にしたり、網戸を綺麗にしたり、ガラスを磨いたりもある。今日はゴミバケツを水洗いして、植木鉢の受け皿を洗った。実は、私は運動を好まない。あらゆるスポーツと縁がない。走るのも跳ぶのも苦手だし、体操も好きではない。踊るなど、夢の中でもしたことがない。という次第なので、
もし、掃除洗濯、あれこれを他者に依頼してしまったら、どうなるでしょう! 私は石ころのようにじっと動かないに違いありません。体操の代わりと思って、家事全般をやり続けようという〜〜。
ジムに行けと言われても、絶対行かないから、「やむなく掃除」がジムです。

七夕

今日は七月七日、七夕祭りです。バスに乗って「笹の葉 さらさら」という童謡を思い出していたら、あっちにもこっちにも竹が見えてきました。年中見慣れているバス通りですが、竹を思いながら眺めると、こんなにたくさんあったのかと驚きでした。孟宗竹が多いのですが笹薮を含めて幾種類もの竹が見えます。そして。
なんと美しい葉の色でしょう。五月六月の竹の秋を過ぎて、新しい葉が出揃ったいま、目を見張る緑の細葉の輝きです。まるで観光バスに乗っているかのように窓に顔を寄せて見入りました。もしかして七夕祭は、竹の葉が一番美しい時を選んで日を決めたのかとさえ思ったことでした。
私が当地に住み始めた頃は、茅葺屋根の農家が点在し、その背に竹林を背負っていたものです。地震の時に竹やぶが身を守る、これが昔からの知恵でしたが、今ではすっかり今様の住宅になり、背戸の薮は消えました。そう、「歌を忘れたカナリヤ」の歌に出てくる背戸の小薮も、このような大切な防災設備であったわけです。
ところで先日、深大寺の隣にある神代植物公園で、竹と笹の違いを学びました。成長した時、皮が幹から離れ落ちるのが竹、最後まで皮が幹についているのが笹だそうです。

子育てと言うけれど

子育てというけれど、私は子守りという言い方のほうが好きだ。
歌だって、子守唄というではないか。子育て歌ではない。
子は、守ることが必要で、守れば育つ力は子の中から湧いてくる。

今の世で、保育所の充実に背を向ける考え方は容れられず、うっかり反対意見を出したら袋叩きにあうやもしれぬ。
男女雇用均等の普及と労働力を必要としている社会の現状をみるに、乳幼児の母が働きやすい環境を整えることは緊急必須の事柄なのだ、夫婦二人して働かなければ暮らしていけない。でもでも、どうしても子を産み育てたい。そういうふたりにとって、どれほど保育の場が必要か、考えなくたって分かる。見なくたって身にしみる。
それは重々理解できるが、百人が百人、千人が千人、ひとり残らず同じ方向に流れる考え方には、ちょっと待ってくれと言いたい部分がある。
それは、本能のなせる力に押されて子を産み守り育てるという生き物としての原点を直視してみてほしいということだ。
人間である以前の生き物としての原点を、思考力を使って頭の中からどこかへ放り投げてしまい、今現在、自分が暮らしている社会の合理的経済的、しかも快楽的要素をも加えた利点に絞って解決しようとしているように感じられてならない。
命、命。命の大切さを尊さを、ことあるごとに言葉にするけれど、言葉にふさわしい行いをしているかどうか。子供を預かる側の緊張感は並大抵ではない一方、まるで処理しなければならない事案を解決しようとしているオフィスの人間、あるいは苗床の世話、養魚場の世話をしている、要するにモノ扱いをしている業者のように見えてしまう保育所もある。
24時間途切れることなく続く「子守」から、ほんの一時を解放された母親の「のびのび感」を私は、山中湖の白鳥のお母さんの抱卵で目の当たりにした。お父さんがタッチしてくれて自由になれたひとときの嬉しさ。
一方、預けたくはない姑に横取りされるみたいに抱かれてゆく「私の赤ちゃん」を見送りながら不安で一杯になってしまう母になりたての女の姿も目に浮かぶのだ。先日も深大寺にお宮参りをしている若夫婦とその親夫婦、多分夫の両親だろうーを見たが、おぼつかない足取りで赤ちゃんを抱く和服姿の新祖母を不安げに見つめる新母の眼差しが、私にはとても辛かった。
せめて3年保育に入れるまでは、母と24時間を過ごせるようにできないだろうか。その間の暮らしを国が助けてくれたらと勝手な空想をしてしまう。
2人の子を育てたら4年間は子と過ごせる。記憶に残らない時期かもしれないが、かけがえのない時期ではないかと思うのだ。個人差はあるだろうが、小さな赤ちゃんを自分の腕の中で守りたいという本能は、誰がなんといっても潰してはならないと思っている。繰り返しになるけれど、子供のことに思いを集めるだけでなく母の本能を無視しないで欲しいと願っている。

真似、学ぶ

「真似する」という言葉と「学ぶ」という言葉は、合体してもいいんじゃないか、とさえ思うことがある。
サル真似という。これは上っ面を真似することで、揶揄する響きがある。コピーキャットcopy catという。これも他人の行動、服装、考え方から何でも真似をする人のことを言う。子どもたちが真似っこをするとき、からかって使っていたが、これは英語で通用する表現で、日本では使わないのかもしれない。
ともかく、猫が人真似することを言うのだが、猿と猫の仲間に烏を入れてあげたいというのが本文の趣旨であります。

真似をすることで学習する。記憶して使う。さらに教える。サルもネコも、そしてカラスも、これをする。

私はサルと付き合ったことがないので何も言えないから言わないことにして、ネコは何匹か付き合いがあり、今も富士とマルオと付き合っているから、多少のことは言える。富士は人工的に繁殖させられたネコであった。誕生前から人の手のうちにいて清潔なタオルに包まれて育ってきた。今も室内にいて、散歩に出るときはリードをつけている。いつも私との二人暮らしであるから、ネコ同士の付き合いは自由ネコのマルオとの網戸越しに限られる。富士は、わずかの時間の網戸越しの付き合いからマルオのすることを観察して覚え、後で真似をしてみることを始めた。マルオには食後の習慣がある。満腹すると正座して、片手を使い顔を洗う。耳の後ろに手を回して鼻先までを丁寧に清掃する。左右しっかり行う。これが終わると手のひらを舐める。犬と違って手のひら返しができるので、爪の根元も綺麗に掃除する。長々と顔を洗うマルオを眺めていた富士は、ある時からマルオそっくりの仕草で顔を洗うようになった。富士は、これをしなかったのだ、長い間。知らなかったのだ、顔を洗うということを。
仲間から学ぶことがたくさんあるに違いない、富士は、顔を洗えるようにはなったが、今のままの交流態度だったら、まず猫社会には入れないだろう。社交ができない。マルオを眺めて仔細に観察し、真似はするが、近寄ってくると大口を開けて威嚇する。恐れている。付き合いの経験がないから恐怖しか抱くことができない。
幼い頃から仲間とともにいることが、どれほどの物をもたらすか驚嘆する。これは他人事ではない。

カラスとは長い付き合いをしてきた。二階のベランダに雨水を貯めている水槽がある。この水槽でカラスが水浴びをする。カラスの行水というのは、入浴時間が短いことのたとえだけれど、野生のカラスは水浴びが大好きだ。良い水場があれば毎日水浴びをする。子連れのカラスが来た時、親が水浴びをしてフェンスの柵に戻った。巣立ちをしたばかりの子ガラスは初めての水場で、柵から見下ろすばかりである。何度も何度も、親ガラスは水浴びをして見せて柵に戻る。根気よく繰り返す親ガラス。じっと見おろす子ガラス。それを物陰からじっと見つめる私。
これはヒトの時間ではないのだ、カラスの時間が流れているのだから、私にとっては痺れる長さだが、カラスはこともなげに続ける。そうして。ついに子ガラスが不器用ながらも水槽に飛び込んだ。
ヤッタァ、と喜んだのは私で、親ガラスは、生まれて初めての水浴びを味わっている子ガラスを残して晴れ晴れと飛び去っていった。
翌日からは、一緒の水浴びになった。教えたのだ、学んだのだ。

日本列島丸ごと汚染

戦災を記憶する立場から、改めてフクイチに言いたい、「日本列島丸ごと汚染」をしてはいけない。

先日、東京の生活道路を歩いていたとき、二台のトラックのために道を避けた。この他県ナンバーの大型トラックは正規の営業車で、フロントグラスに「汚染土」と記したカードを出していた。
残土ではない、汚染土。これは放射能に汚染された土で、一定の基準値以下の汚染土を日本各地の道路工事などに使用しているものである。
基準値は、どのような根拠をもとに決めたにせよ、その時々の都合で数値を動かす以上、存在しないと考えたほうが良い。

このことは今般注目されている「共謀罪」についても言えることだ。
一般人には関係ないと強く主張しているが、コイツを捕まえようと狙った時は、一般人という枠からソイツを外せば良いのだ。あなたは一般人とは認められません。この一言で、自由自在にターゲットにできるのだ。理屈と米粒はどこにでもつく。

さて、被爆地から水漏れ水栓のようにダラダラと運び出し、日本全国の土に染み込ませてゆく方針は、最終処理場を作らずに済む、便利で目立たないやり方だと言われている。
この判断と決定、実行までの段階に、個人が関与しているのだろうか。組織という怪物が動かしているのではないか。
結果、福島の汚染地域は希釈され、範囲は限りなく縮小され、復興という元気の良い、明るい声の後押しで過去に押しやられてゆくのではないか。

一方、日本人の癌罹病率が上がっている、という報道、他方、癌治療研究の優秀さと進歩状況の報道がなされて、誰がいつ、癌にかかってもおかしくはないのだという常識化と、たとえ癌にかかったとしても、もう怖くない、治るんだという明るい希望を、抱き合わせに大衆に浸透させてゆく。
これも特定個人の言動行動によってではない、組織の力の企みだろう。

組織という怪物。鵺のような組織。
これは、ヒトが自然から授かった道具で、ハチ、アリも授かっている。この道具なしに蜂の巣は作れないし、巨大なアリ塚も築けない。
多数生まれて役割を分担したそれぞれが実によく働く。その一つに、お前、何をしでかした? と詰問してみたところで埒はあかない。
ヒトは今、組織からにじみ出る毒素によって、自滅する道を歩き始めている。

我慢が大切だ。言い換えれば、待つ力を蓄えることだ。
欲しい、どうしても欲しい。原子力を使いたい。
だったら、最終的に処理ができる力を持つまでは使用しない、このガマンが必要だ。
これは世界中の全ての生き物のためだけではない、地球丸ごとを大切にするために、どうあっても堪えなければならない一線だと思う。日本だけの問題ではない、世界中のことだ。

今現在、しのびやかに進行している汚染土の拡散は、日本全体にフクイチの大事故以上のダメージを与える。これが現在進行形の事実だということを、自分自身のこととして考えてみてほしい。
汚染地域は、遮断、隔絶すべきだ。除染は無意味で、除染が必要とされる地域からは逃げ出してほしい。
故郷は毒された。たとえ戻ったとしてもそこは、以前と同じ笑顔で微笑むだろうが毒を持つ怪物なのだ。気の毒だが諦めて欲しい。
この汚染地域で代々、幸せに暮らしてきた人々に、新しい故郷の種を手渡すのは、日本のすべての人たちの責務だ。
助け救おうという心というものを、組織は持っていない。知らないのだ、そのようなものの存在を。組織は効率、経済に敏感だが、血が流れたとしても、地に染み入り消え、忘れることができるものと認識している。
組織には、人を救う能力も機能もない。
これは戦災に遭ったから、事実として伝えることができることだ。
一粒ずつの私たち。個々の心から生まれる小さな愛の粒を、私は信じている、私はまだ、信じている。ここにだけ、暖かなものがあると信じている。

アレクシェーヴィッチの旅路

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチさん、福島を訪問
アレクシェーヴィッチさんは、2015年にノーベル文学賞を受賞しました。ジャーナリストとして初めての受賞です。
1948
年、ベラルーシ人の父とウクライナ人の母のもと、ウクライナに生まれた女性、国籍はベラルーシ。
ノーベル賞受賞理由は「我々の時代における苦難と勇気の記念碑と言える多声的な叙述に対して」です。
ノーベル賞受賞の時の演説で、このように述べています。「フローベールは自分を「ペン」だと言いました。私は自分を「耳」だと申し上げましょう。私はこの演壇に一人で立っているのではありません。私の周りには声、たくさんの声があるのです。私が耳を澄ますのは、心の歴史、暮らしの中にある魂です。」
アレクシェーヴィッチさんは、フクシマの人々の声を聞きたい、とかねてから願っており、5年経った2016年に、その機会が訪れた、この記録をテレビで見ることができました。
タイトル=BS1スペシャル アレクシェーヴィッチの旅路ーチェルノブイリからフクシマへ
では、この中にある彼女の言葉のいくつかを紹介します。以下、断片と私の解説。

 アレクシェーヴィッチ=チェルノブイリの話になると、私たちの国ではすべて、アンダーコントロールと言ったわけです。でも、コントロールとは何か、誰も知らなかった。炉が消火されても現地の関係者は言っていました、「中で何が起きているか、わからない」フクシマも同じ状況ではないかと思います。要するに「人間は自然に勝る力を持っている」という、昔と変わらない発想なのです。人間は社会の階層を信頼しがちです。お偉いさんがいうことを、例えば首相が、私たちのところなら書記長が「コントロールしている」ということはできる。でも、事故直後被災地で養蜂家は、なぜミツバチが10日間も巣から姿を現さないか、わかっていなかった。ミツバチは人間には聞こえない何かを聞いていたのです。私の両親はウクライナとの国境に近い村に暮らしていました。チェルノブイリ原発から約100キロの汚染地帯です。医者だった妹はチェルノブイリの近くで働いていました。その後妹は、癌を発症して亡くなりました。
  注=残された一人娘、ナターシャを彼女は養女として育てている。
    小さな声を聞いて歩くアレクシェーヴィッチは、小柄で地味。いつも出会うおばさん、という感じ。
    チェルノブイリには、ゾーンと呼ばれる汚染地域がある。半径30キロ。「立ち入り禁止区域」の大きな標識。ゾーンのゲートは、年一回、元住民に開かれる。墓参りのためだ。
    ゾーンの中にはサマショール(自発的帰村者)と呼ばれる人が生活している。故郷で暮らすことを望んだ人々。高齢者が多い。
    子供達の被曝状況を調べてきたベルラド放射能安全研究所の所長さんが言う、牛乳の汚染状況は、原発から200キロ地点でも、ひどいです。
    前半でチェルノブイリの状況が描かれ、後半が福島となる。
    トンネルを抜けて行く常磐線列車内のアレクシェービッチ。小高(おだか)駅下車。
    国は小高村の地にも避難区域解除を次々に進めてきた。飯館村のほとんどは、今年、331日に解除される。
    このブログを書いているのは翌4月
1日で、バスの運行開始を告げ、祝いの様子を伝えている。
    飯館村も放射線量は高く、人口6200人全村避難となった。村に積まれているフレコンバッグ(汚染土を詰めた袋)は230万個と言われる。

 アレクシェーヴィッチ=(小高の農家の主婦にインタビューをして)放射能は、まず農民を撃った。大地と生きる自然の人々を。居場所をもがれた、まさに根こそぎ折られた花です。
しかし彼女は言った、「これも私の人生。生き抜かなければ」。彼女の生命力には、心が震えました。
(前田地区の長谷川健一区長との会話で)私たちのところでは、国家は人々に線量計を全く与えませんでした。人々が真実を知ることを恐れていたのです。

長谷川が答える、「日本の場合は、線量計そのもの、なぜかしら、そういう人たちが持っているものより、我々が持っているのが低く表示をするということがあるんですね」
  注=長谷川は村に設置されたモニタリングポストと、研究者が持ち込んで計量する数値の差に疑問を抱き、研究者の持つ線量計と同じものを購入した。
    以来、村の計測してきたモニタリングポストあたりで、(数値が)2倍に上がった。
    2011年、20倍以上あったのが、除染後は、2倍程度にまで減少。しかし問題は山。除染できない。雨風で1.23以下は難しい。
     これが長谷川の実感だ。
 アレクシェーヴィッチ=誰か、どうすべきだ、とか、これは食べてはいけないとか、教えていますか?
 長谷川=一応、教えてくれる人はおります。でも、この飯館のきのこなんか、すごーい汚染度になっています。
     しかしみんな、それぞれに、少しくらいならいいだろうと、そういう思いで食べている人がたくさんいる。
 アレクシェーヴィッチ=わずかな線量が徐々に蓄積されます。チェルノブイリでは、そうですが、フクシマでも。
 長谷川=行政とかが出れば、絶対ダメだと、そういうことを言わない。だから食べられますよ、というものだけが放送される。
 アレクシェーヴィッチ=それは残念ですね。私たちの事故後の記録は、ここでも読まれる必要があります。10年、20年後に、あちらでは病気が始まっています。
  注=牛舎で首を吊った人の遺書が、壁に白墨で書かれていた。
        壁の遺言ーー姉ちゃんには大変お世話になりました。
        ごめんなさい、大工さんに保険でお金を支払ってください。
        残った酪農家は、原発に負けないで頑張ってください。
        ケサヨさんには、言葉で言えないくらい、お世話になりました。
        何もできない父親でした。
        原発さえ なければ
 アレクシェーヴィッチ=私は、思いました。社会主義であれ、資本主義であれ、国家は似たようなもの。
        国家と役人たちは国家と自らの救済に忙しい。人間を救うのではなく、人々はそれぞれ孤独に苦難を耐えているのかもしれない。
        しかし、皆がそうは行きません、彼にはできなかった。
        それに、私がフクシマで見たのは彼ばかりではなかった。おじいさんが自殺してしまった女性もいました。
 自殺したおじいさんの家族の美枝子=やっぱり、私は自分の胸にしまっておくことは可能だと思っているの。
        でも、こういうことがあったと、皆さんにわかってほしいし、あの、私のような気持ちを持った方が、まだ、たくさんいらっしゃる。
        皆さん、やっぱり、(自殺されて)困っていらっしゃる。
        やっぱり、恥だと思ってると思って、やっぱり、世間に知られたくないと思われてる。
アレクシェーヴィッチ=より多くの人々が、このことを知る必要があります。
        そこに、抵抗の力も生まれます。
アレクシェーヴィッチ=なぜ、絶望して首をくくらなければならないのか?
        だから、どのように抵抗すれば良いのか、人々には経験がない。
        あの人たちは社会から切り離され「のけ者」のようにされています。
        被災を免れた人々は「あの人たちは兄弟、同じ人間だ、これは自分の身にも起こりえたのだ」と実感できない。
        多くの人にとってチェルノブイリ・フクシマは、医学や経済の「数字」に過ぎません。しかしあの人たちにとっては「生命」そのものなのです。
        チェルノブイリとフクシマの文化を創らねばなりません。新しい知を、新しい哲学を。
        私はフクシマでチェルノブイリと同じ感覚を抱き続けました。
       「私は過去を見ているのではなく、未来を見ているのだ」と。

福島から東京へ来たアレクシェーヴィッチは、東京外国語大学で若者たちと向き合った、その時の言葉幾つか。
アレクシェーヴィッチ=私は昨日、福島から戻りました。私のいちばんの感想は、チェルノブイリの時と同じでした。
        国家は人間の命に対して完全な責任は負わない、ということです。最低限の補償をし、あとは「好きにしなさい」です。

        社会における抵抗のなさにも驚きました。
        私たちの社会もそうですが、あなたがたの社会には「抵抗の文化」がありません。
        これは私たちの国では、全体主義国家という問題と不可分でしたが~~。
        さて、あなた方の国はどうでしょうか。
        残念ながら人間は未来ではなく過去にすがろうとします。
        人々は古き良き時代に想いを馳せます。こういう日本がかつてあったと。
        トランプ大統領誕生も、失った、あの偉大なアメリカを人々が欲したためです。
        そして過去は守ってもらいたがる。しかし、過去はフクシマやチェルノブイリからは守ってくれません。
        「自」「他」という区分けは過去のものとなり、もう機能しません。
        人々は未来を恐れています。過去とは似ても似つかないものになる。
        それがわかっているから恐れます。
        ですから若い世代に私が言える唯一のことは、孤独でも「人間」であることを、丹念に続けるしかないということ、

       「人間」であり続けること、それ以外にあなたをこの世界で守ってくれるものはありません。

アレクシェービッチの締めくくりの言葉
        私の歩んだ道は、すでに数十年になりました。重荷を感じたこともありました。
        人間に感動し、怯えました。
        ドキュメントは、人が心の奥底に秘めたものを語れます。タブーは、ありません。
        一人一人の真実の叫びによって、私たちが何者かを理解するのです。
        大切な問いの答えは、まだ見つかっていません。
        どうして私たちの「苦悩」は「自由」へと変換できないのでしょう。
        私は時代を、そして人間を追い続けます。              終
以下は私の感想
私は、インタビューを受けた中のひとり、菅野さんの言葉がリフレーンして耳から離れない、
菅野さん=飯館村に帰ります。ただし、
     村と国と企業が私たちに安全と安心を、どれほど担保に入れるかが問題だと思う。
     我々が作った26ベクレルの蕎麦。100ベクレルから見れば低いです。
     ところが北海道の蕎麦はゼロベクレル。26のと、どっちを買います? 

菅野さん、村と企業と国が安全と安心を提供してくれることを期待するのですか? なぜ国は、避難区域を解除したのですか? 生き物の体にとって安全だと判断したからだとお考えですか?
そうじゃないでしょう! オリンピックまでに形だけでもアンダーコントロールと見せたいからでしょう? 補償の必要が減るからでしょう?
私は汚染された食物は買いませんし食べません。国は、台湾や中国に対して、買えと迫っていますが、これは暴挙です。台湾も中国も拒否して当然です。拒否しなければいけません。
臭わないし、味も変わらないから、ほんの少しなら大丈夫だから、産地が気の毒だから、などは理由として不適当です。汚染された山は汚染されたままです。その麓でどう生きろというのでしょう。
なんとかして汚染地域に帰らないで暮らせるように知恵を絞り、力を集めて助けたい。故郷へ戻ることだけが人生ではない、そこのところを考え直してもらいたい。こっちへおいでよ、と汚染地帯から引き離さなければ。それをなんということか、避難者がいじめられるとは。汚れきった者どもに災いあれ。
日本中の原発は海岸際に作られています。3.11の時の汚染拡大の地図を見て欲しい、膨大な汚染が海に拡散した、この部分は検証ゼロ、野放し状態です。そして今も、1日も休まず間断なく海に漏れているという現実を見つめて欲しい。日本政府は国民を汚染の渦に叩き込んだのみならず、太平洋を汚染し、今もなお汚染を続けているという大罪を犯している、このことを世界に対して、地球に対して、申し訳なく思っているのかどうか。
どこの港から水揚げされたから安全だなどという、おざなりなセリフを信ずる者の胃袋に災いあれ。
最近のNHKは、「日本人の二人に一人はガンになると言われています」と繰り返し放送しているが悪質きわまりない! こういう印象キャンペーンを張ることで、被曝による影響でがん患者が増加してゆく現象を消そうと計っているのは、誰が見ても明白です。政府と結託して国民を貶める下劣な報道者に災いあれ。
怒りと抵抗。これはわが魂をいとおしみ守ろうとする者に不可欠の人間らしい行為です。抵抗する魂が日本にもあるのだと知ってもらえるような生き方をするつもりですが、さて抵抗の文化がないという指摘には首肯せざるを得ません。これを乗り越えるには、事実の把握と連帯から始めなければ。そしてパンドラの箱の底に残っていた唯一のもの、「希望」を持ち続けることが必要だと思うのですが、陰湿ないじめが文化といっても良いほどに、子供だけではない、大人全体に代々染み込んでいることが、我と我が身の足を引っ張る原因となっているように思われます。

不毛の抵抗

ノーベル文学賞を受賞したジャーナリスト、アレクシェービッチさんが福島を訪ねてくれた。去年の11月のことだったが、その日々をNHKBS1が放映してくれた。彼女の感想の中に、日本人には抵抗の文化がない、という言葉があった。
それで私は、私個人がいつ、どのように抵抗してきたかを振り返ってみて、まずはタバコの抵抗を書いたところだ。もう一つの思い出を書いてから、改めてアレクシェービッチさんの番組を見た感想を記そうと予定している。
こっちの話は、私の子供たちが大学に通っていた頃のことだ。近所で騒動があった。一家四人の家庭の夫が逮捕された事件だった。この家との付き合いはなく、顔は知っているが話したことはない。
留守宅に取材記者が押し寄せた。住宅街で、どの家も似たり寄ったりの一戸建て、猫の額の庭と車、そういう場所である。取材者は皆、機動性に富むハンターだった。奥さんは買い物に出なければ暮らせない。やむなく出るとハンターの群れが発するカメラの視線を浴びるのである。これはTVでよくみる日常風景だ。でも私は、これはしてはいけないことだと思った。許してはならぬ行為だと思い、たちまち憤激が身体を貫いたのだった。
当時私が持っていたカメラの一つにモータードライブを装着していたので、これにズームレンズをつけて道に出た。そして取材記者たちを狙って撮影を始めた。嫌がった。顔を背ける。
どう? と私は言った、どんな気持ち? 私も取材なんですよ、文芸誌「夢類」の河合です。
あの時、一声もあげることなく顔を伏せた記者たちは、この時のことを覚えているだろうか、私は引き続き憤激中だけれど。
余計なことを付け加えると、この事件は政治的な要素の強いものであり、経済界の一分野で神様と呼ばれる人物が被った災難であった。
振り返ると私は、不毛の抵抗を続けて生きてきたと思う。なぜ不毛続きかというと、団結せず、共闘せず、声をあげることもない、うちうちの抵抗だったから、なきに等しい所業である‥‥のだ。

煙草の話

煙草を好む人たちの肩身が狭くなって久しい。昔は「恩賜の煙草」というものがあった。天皇陛下が戦地へ赴く兵士たちに下したという、その煙草を見たことはないが、歌は知っている。恩賜の煙草をいただいて〜〜🎵 という歌。煙草は、たいそうな待遇を受けていたのだ。
禁煙の場所を作ることは良いことだけれど、際限もなく規制する傾向は、いささか常軌を逸しているように感ずる。こんな有様だったら、禁酒法みたいに禁煙法でも作るのかと思うくらいだ。煙草の火の不始末で火事が多いと言っていた。今は火災の何位なのかしら。
煙草を使えなくなって困っているのがドラマ作りだ。手持ち無沙汰になって格好がつかない。ここでシュポ。ゴルゴだけじゃない、大根たちはどうしてよいのやら、最近のドラマの間抜けた芝居ぶりはいじらしい。
いかにも煙草喫みを擁護するようだが、実は私の育った環境には1本の煙草もなかった。祖父、父が揃って煙草を遠ざける人だったから、客用の灰皿があるだけだった。昔話になるが小学校卒業の時、謝恩会の計画をして私も、その中の一人だった。先生のために煙草を買いましょうと、という話になったとき私は反対した。皆は煙草を嫌がる私を不思議そうに見て、取り合わず計画は進んだ。憤激した私は謝恩会をボイコットした。高校卒業の時の謝恩会も原因は忘れたが同じことをしたから、もしかすると私は腹をたてるタチだったのかもしれない。付け加えると、このエピソードをオープンしたのは今が初めてで、当時、謝恩会を欠席しても親は全く気付かなかったことも覚えている。親の目なんて、その程度の眼力である。
ところで前々から心配していることがある。油煙は健康に悪いのではないかということだ。家庭のレンジの換気扇の汚れは天ぷらやフライの油煙が多い。炒め物もある。この執拗な汚れが肺胞にこびりつく様は想像するだけで息苦しくなる。まして職業として厨房で働く多くの人たちの健康はどうなのか、このことが頭から離れない。

教育勅語

教育勅語の話

昨今話題となっている大阪の小学校設立に関する諸々の事件で、注目したのは幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させている事実だ。私は衝撃を受けたというか、現実のこととして受け入れられず、唖然とした。
金のことなど、どうでも良い。金に群がる人種が目の色を変えてやっている、それだけのことだ。が、教育勅語暗唱は、違う。精神の根幹に関わる問題である。洗脳と言うに憚らぬ、これは罪悪だ。
私は国民学校1年生の時から教育勅語を暗唱させられていた経験と、敗戦後小学校4年生の教室で、自発的に教育勅語を暗唱した経験を持っている。長くなるが我慢してください。
毎朝、校庭に全生徒が整列する。号令台の上に校長先生が立つ。教頭先生が真四角の漆塗りの盆を目の上に捧げ持ち号令台へ進みでる。盆の上には紫の袱紗に包まれた巻物が載っている。一礼して校長へ盆を差し上げる。校長が一礼して屈み、号令台の下から差し上げる盆を受け取る。号令台の上に置かれた簡易台の上に盆を置き一礼。全生徒と、生徒と向かい合って並ぶ教師たちも一礼する。校長は再び盆を取り上げて捧げ持ち一礼、盆の向きを180度回して簡易台の上に戻す。一礼。全員一礼。再び盆に手を伸ばして校長は、細長い袱紗の包みを取り上げて、額の上に捧げて一礼。全員一礼。袱紗を盆に戻して一礼。全員一礼。袱紗を開き、巻物を取り出して額の上に捧げて最大級の拝礼をする校長。全員直角のお辞儀をする。巻物を開き一礼。全員一礼。教育勅語を読み上げる校長先生。終わるまで全生徒は直立不動の姿勢を保つ。教頭先生が進み出て盆を受け取るまで、これまでの逆道が行われる。この後校長先生の訓示がある。食糧難が激しくなってからは、よく噛んで食べなさい、という時に、水を飲むときも噛みなさい、と訓示されたことをハッキリ覚えている。
敗戦前後、学童疎開参加を拒否した両親の方針のために無学校状態で過ごしていたが、焼け出されて仮住まいのとき見知らぬ学校に入ることになった、その初日のこと。母が手に入れてくれた鉛筆一本と紙を持って登校。ランドセルやノート、筆箱はない。教科書もない。先生が一番前の席の子から順に立たせて国語の教科書を読む、という授業だった。担任がすべての教科を受けもっているから、私が新入りであることは知っている先生である。次、と言われても徒手空拳。周りの子は知らん顔。この時立ち上がって暗唱したのが教育勅語だった。当時、暗唱していた唯一の文章だ。反抗心が充満していたと思う。たった一人の抵抗。はっきり言葉にならないけれど、たくさんの種類の怒りが逆巻いていた。この時の抵抗心が続いて、今がある。

手元に『資料・教育勅語』ー渙発時および関連諸資料ー 片山清一編 高陵社書店 昭和49年(1974)という本がある。内容は勅語発布(1890)までの資料と以後の資料、特に敗戦後の論議やその取り扱いについての文書、年表、資料目録を収録している。興味深い部分は、国会参議院文教委員会の教育勅語に関する審議録(抄)で、各人の思想が見て取れる。
年表には、昭和23年(1948)9月に衆議院が「教育勅語等の排除に関する決議」及び参議院が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を行ったことが出ている。
当時の排除・失効への道筋と同時に、この頃に、すでにくすぶっていた復活の執念もまた本書の各所に垣間見える。金の行方に気を取られて、肝心の心の部分を見逃してはならない。

しつけ二題 の本番

今朝のブログで「教育勅語」を取り上げましたが、これはしつけ問題というより洗脳に類するものと言えそうです。実は生活の中の「しつけ」について言いたいことがあったのでした。
一つ。昨今、トランプ大統領のスタートにあたり、ワシントンをはじめ各地で、数々の催しが開かれました。高揚した雰囲気の場面がテレビに映ります。丸テーブルを数人が囲んでいる風景、トランプ大統領と夫人、安倍晋三総理大臣と夫人、ほかに男性も。何を話し合っているのかは分かりませんが、和やかな談笑風景です。
安倍晋三夫人の姿を見て、これは見苦しいなあ、みっともないなあと感じて眉をひそめ、トランプ夫人は、と見ると彼女は、背筋をすっきりと立てて顎を引き、微笑しています。これがまともでしょう。安倍夫人は背をまるめて顎を突き出していたのでした。この姿勢は、自宅のキッチンテーブルで寛いでいるスタイルではありませんか。公の場で見せる姿勢ではない。

もう一つは大昔の話。かつて、昭和天皇が皇太子時代にイギリスに行った時の話。
1921年3月3日、96年前の今日、皇太子裕仁親王は軍艦「香取」に乗船、旗艦「鹿島」を供奉艦として横浜港を出発、5月7日にイギリスのポーツマス軍港に到着した。
船旅しかない時代であった。まず沖縄県中城湾に到着。与那原、那覇、首里を訪れた。話が横に逸れるが、昭和天皇の沖縄訪問は、これが最初で最後であった。
香港、シンガポール、セイロン島のコロンボ、エジプトのポートサイド、イギリス領のジブラルタルなどでゴルフやオペラなどを楽しんだが、道中、西洋式のテーブルマナーの泥縄特訓を受けたという。全くの白紙状態だったらしい。およそ一ヶ月間をイギリスで過ごしてのち、フランス、ベルギー、オランダ、イタリヤなどをめぐり、9月3日に横浜港に入港した。
この話を私は父から聞いたのだが、天皇を天子様と呼ぶほどの天皇崇拝ぶりであった父は、残念そうに言った、「イギリスで、裕仁親王は貴族ではない、と笑われたんだそうだ」
「どうして?」と私。ちゃぶ台を囲んでの話である。
「首だけを回して後ろを見たんだと。貴族ってぇもんは」と東京弁である。「首だけ回しちゃいかん。回れ右をするもんだと」。我が事のように恥じ入っている。
テーブルマナーは頑張ったけれど、その他のマナーは白紙だったらしく、スコットランドの貴族、8代目アソール公爵に「しつけ」てもらったそうだ。私の推測だが、これが日本の皇室のマナーの基本になったのではないだろうか。今の私だったら、知らない外国の流儀を教えてもらうことは恥ではないわよ、と父に言うと思うのだ。

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