文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
September 2012

いじめについて、再び

 去年の2月に「差別といじめ」について書いたが、この先も続くだろう問題について再び考える。最近、いじめられて自殺した中学生のニュースをきっかけにして、さまざまな対処法が考え出されている。しかし、大人を見よ、と私は言いたい。社会に出て働き、家に帰れば子どもがいる、そういう社会人としての大人たちが、社会生活の場で何をしているか、振り返って欲しい。お手本になれるかどうか。
 野党、自民党の総裁選挙があった。石破さんという人は、党内派閥を否定する考えの人である。派閥を形成し運営してきた長老たちは彼をつぶそうとして何をしたか。いじめたのである。いったん腹痛で責任放棄した人物を引っ張り出して派閥票を入れた。派閥を持たず、実力一本で地方票を大量に獲得した石破さんを無視できずに幹事長に決めたが、副幹事長には彼にブレーキをかける人物を置いた。これを政治と表現することで納得するのは当事者だけだろう。汚いいじめである。大阪で維新の会を発足させようとしている人について、メディアは連日報道する。まだ党として生まれていない卵である。一方、国民の生活が第一、という党については、次回選挙では100人を越す候補者を立てる計画が進んでいるにもかかわらず、まったく報道しない。メディアは中学生たちの言うシカトをした。報道の基本を破り、国民を裏切っている。組織はさておき、個人として胸に手を当てて考えたとき、我が子に堂々と言える行いか? これが社会人のすることか? なぜ、シカトするかというと「国民の生活」の党は、メディアの腐れ体質にメスを入れようとしており、また、その力も持っている、と恐れる故である。成人した大人たちが、本番の社会生活の中で汚い「いじめ行為」を続けながら、どうして子どもたちのいじめを非難できるのだろう? 育ち盛りの命は、すべてを見、聞き、感じて吸収してゆく。空の青さが湖に映るように、美しい社会人の行為は、子どもたちに反映するだろう。子どもたちのいじめは、大人の行為を映しているのだ。

服装の怪

ここ2,3年のことだろうか、数年にもなるか、若い女性たちの服装が奇々怪々だ。何が奇怪かというと、下着のようなものを上に着ている。見て、かわいらしいとも格好良いとも、きれいだなあ、とも思えない。ひたすら落ち着かない取り合わせだ、と眉をひそめるばかりである。この夏に見かけたもののひとつに、厚手のタイツというかストッキングというか、その上に薄手の生地のショーツをはくスタイルがあった。黒いタイツに薄茶のぺらぺらした素材のショーツ。醜い、としか言えない。流行なんだから、というかもしれないが、装いの根本は、着ている本人が、いかに魅力的で、美しく見えるかにかかっているので、結果として、中身の若い女性が、それを着ることによって魅力を半減させられているとしたら失敗ではないか。厚手の生地の上に透けるような薄い布の衣装を着ること、それ自体は素晴らしく美しい。ただ、効果が出るどころか、惨めなことになっているのに、どうして気づかないのかしら。
もうひとつ、若い女性たちの佇まいが、ヘン。膝から足首にかけて、幼児のような、頼りなげなポーズをとる。健康で、しっかりとした体格の女性を見かける一方、ダイエットをしてしまうのだろうか、ひ弱で、体力のなさそうな、細いだけの子が目立つ。子持ちの女性にも、いるのだ。これは成熟した女性の姿ではない。ファッション誌を見ると、いるわ、いるわ、頼りなげな、かわいい風味の女の子たちが上目遣いに勢揃いをしている。人さし指をくわえておるのもいたので、こりゃあ、本気で幼児帰りかとため息が出た。

アフガニスタン

アフガン、と書かれているのを目にするので、アフガニスタンとの違いを調べた。アフガンというのは、日本だけで通用している略した言い方で、アフガニスタンのことだった。私は、今年の大盤振る舞いとして、アフガニスタンの女性が山羊の毛で織った敷物を買った。長さが125cm、幅が75cmほどで、方向性のある三角模様が織られている。
この国は、スンナ派とシーア派が同居するイスラムの国だから、もしかすると、この敷物は、お祈りのときに用いられるものかと想像した。訪れたことのない国の女性の手が織り込んだモノに触れ、書斎の壁にかけて見ている。山羊の荒毛が語る。文様の声が聞こえる。
売ってくれた人とは、もう20年ほどになる顔見知りで、店を覗いて沙漠の話などを聞かせて貰ってはいたが、いままでご縁がなかった。この方は、しばしばアフガニスタン、イラン、イラクなどの国々を訪れている。標高の高い土地で、水はない。まるで富士山の頂上に住んでいるようなものだ。高い山は7000mを超える。世界のラピスラズリは、この国の山から出ているので、奈良時代後期、藤原薬子の持っていたラピスも、この山の石であり、絹の道のように作られていたラピスの道を通って奈良まで辿り着いたのだった。
いまでも平均寿命が48歳、世界第二位という短命の土地である。人々は生きるにも精一杯の状況なのに、両脇の大国に蹂躙されて殺される。この国の人は、先進国の工業製品を欲しがらない。今、の生活の質と水準を維持して、いままでどおりに生きていたい、それだけの望みを持っているという。先進国は、どうして彼らに現代的な物品を売り込もうとするのか、まず、土地の人たちが何を望んでいるのか、虚心になって知ることが大事なのに、と思う。天然ガスが出る、銅山がある、ああだこうだといじり回して、それが結局は先進国の利益を追求しているわけだから、止めたらよいのに、と思う。植民地を持って豪勢な暮らしをしていた国々は、時代の趨勢で植民地はダメになった、しかし、違うやり方で同じ事をしているのではないか。他人のポケットに手を突っ込むような態度は最低だ、傍観している国も罪国だ。
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