文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

コロナで思うこと その2

1945年に日本が戦争に負けた後、様々な論議が交わされた。なぜ負けたのか。当時私は10歳に満たない年頃であったから、論議に加わることはなかった、来客と父が交わす論議を傍で聞いていたにすぎない。
数々の原因が俎上に乗せられたが、今回のウィルス恐慌の渦中にいて思い起したことは言葉の問題だ。日本が負けた原因の一つに日本語がある、という論議を思い出した。日本語は、戦争に向いていない、といった意見もあったように覚えている。
命令する、伝令が伝言を伝える。戦争には的確な、ぶれない表現が必要なのだったなあ、と思い返す。
日本の兵隊さんたちは、日常語ではない、特殊な軍隊用語を使っていた。もしかしてあれは、揺るぎのない正確な表現を必要として、あるいは柔軟性のある日本語表現を堅牢な表現にするための補強だったのかしら、とも思う。
例えば今回のコロナ騒ぎの最中のこと、「不要不急の外出の自粛を要請」という表現は、受けた瞬間に、幾つもの問いを生む。何を持って不要とし、不急とするのか? 絶対に外出禁止ではないのですね? などと。
結果、各自の行動は、気分で左右されてゆく。結果、このメッセージは役立たずだということになる。日本語そのものが欠点を持っているのか、使う側に問題があるのか。
私は言葉に罪はない、使う側に問題があると考えている。言葉は生きている、日々年々変化している。今、日常に使っている日本語は、今現在生きている人々が作っている日本語だと思う。

コロナで思うこと その1

常日頃、国際社会の友好と繁栄を歌い上げながらも争いをやめない人々に、世界は一つ、という現実を見せつけてくれたのが、新型コロナウィルスの暴走だ。
人の体を乗り物として運ばれてゆくウィルスは、ほら、この通り国境なんて無意味ですよ、とやって見せているように見える。
各国のお頭が、自国の国民へ向けてメッセージを出している。皆真剣だ。受ける側も耳を傾けて聞き入る。
日本の総理大臣安倍晋三も言葉を発しているが、さて、どれだけ信用されるだろう? 
常日頃、言を左右に言い逃れ、詭弁を弄し、嘘をまことしやかに言いつのり、国会で野次を飛ばす人柄が、国民の皆さん、聞いてください、と言って誰が信ずる?
表向きは従いつつも、内心に不信の塊を抱えている場合、どこかに出口を求めるものだ。風評と呼ばれる諸々は、ああ言っているが、あれは嘘だ、という不信感が生み出し育ててしまう。

高齢者の務め その6

イノシシからネズミの年に入った時、まさかこんな困難な年になるとは思わなかった。世界中の誰もが思っていると思う。
2月初旬のことだった、今までお世話になっていた近所の内科医が、諸般の事情で閉院。新しい医院を訪れたときのことだ、毎月通うようにと指示された。
高齢ではあるが、特に急を要する治療が必要ではない。私は医師に頼んだ、時節柄、と私は言った、毎月の通院はしたくない、せめて2ヶ月に1回、できることならもっと期間を空けてほしい。
医師には伝えなかったが、通院回数を減らしたい理由が二つあった。ひとつは、例年のことだが通院によって風邪をもらう機会が増える、特に冬の間は。これを避けたかった。
二つ目の理由は、新型コロナウィルスを警戒する気持ちがあった。ウィルス関連のニュースも増えていた。私は肺炎を恐れている。家に引きこもっていれば罹患の機会は減るはずだ、と考えていた。
通院回数を減らして欲しいと頼んだ私に対して医師は言った、「いうことが聞けないなら、ウチに来るな」。
女性一人で経営している町の医院である。
はっきりモノを言うのは大歓迎だが、鈍感だと感じた。相手の心の内を感じ取ろうとするセンサー、新型ウィルスに対するセンサー、この二つが欠けていた。
なぜ、毎月の通院が必要なのですか、と私はさらに尋ねた。
答えは、高齢者はしばしば管理する必要がある。毎月通わせることで、当院への縛りをかける意味もある。
ありがたいことだ、はっきりと答えてくださった。

医者は治療してくれる人、という通念があり、実際、その通りなので、感謝尊敬雨あられである。お医者さんが言うことは、即従う。
ではあるが、ある医師から聞いた事だが「すべての医師は、職業についている期間内に、必ず一人は殺している」。

さて、高齢者の務めとして、医者にかかった経験を若者よりより多く持っているのだから、医者選びについても、若者たちに助言をためらうべきではない。
逆に言うと、良い医師の、どこがどのように患者にとって良い医師であるかを、経験に基づいて伝えるべきだ。
もう一つ、この新型コロナウィルス・パンデミックの渦中にいて、高齢者の務めとは何か、を考えた。
一にも二にも、感染を防ぎ、罹患しないことだ。病院も医師も看護師も大忙しなのであるから、急を要する人たちのために、高齢者はじっと動かず、子供らには近寄らず、
嵐の過ぎ去るまで物忌みスタイルで蟄居するべきだと思う。これは自分の命を守ろうという意図ではない。高齢者のために手をかけさせてはいけない。思いやりを持って我慢したい。
高齢になるまでに身につけた知恵を活用し、迷惑をかけないように引っ込んでいることが、一番の応援だ。
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