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壺猫

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主張 世相

高齢者の務め その3

大日本帝國が、戦争に負けてからハダカの日本国という名に変わり、74年経ったという。
ごく最近になって、あの時の戦災浮浪児が8月のニュース周辺の報道に現れるようになった。
私自身は焼け出されてのち転々としてはいたが家族は無事だった。ラジオでは菊田一夫の子供向け連続ドラマ「鐘の鳴る丘」が放送されるようになり、毎回聴き入っていた時代だ。
これは戦災孤児たちが収容されている施設のドラマだった。当時、東京上野の地下道には、浮浪児が溢れていた。上野の子達は、親代わりの人さえもなく、どんどん死んでいった。
私たち子供は、国民学校から小学校と名を変えた学校の校庭で始まった青空教室から、バラック校舎ができて二部授業に変わり、午前中通う生徒と、午後から学校へ行く子たちがいた。
半世紀過ぎてからも、上野の子達はどうしているだろう、と度々思いやったが、手がかりはなかった。ごく最近になって図書館で1冊見つけたところだった。
それは戦災孤児が自ら記した記録ではなく、子供らを救い、食べさせた人が書いたものだった。
栄養失調と感染症で死んでいった中で、生き延びた数少ない孤児たちには、青空教室さえもなかったのだ。
邪魔にされ、信用されぬ目に晒されながら、命の糸だけにしがみついてきた孤児たちに、今、どれだけの表現出力があるだろう。
戦争を知らない世代の人たちの、まっさらな澄んだ目で、年老いた孤児たちから、わずかでも聞き取って残してほしい。戦争がもたらす影響は、破壊と殺戮の現場だけではない。

さて、高齢者の務めとして、戦争の記憶を後世に残す仕事がある。
こんなに殺されました、こんなに焼けました、という現場と並んで、ぜひ語っていただきたいことは、以後、どのような衝撃によって、どのように自分自身が変化したか、という心の軌跡だ。
私は、全国各地の同人誌で活躍している高齢の作家たちに、このことをお願いしたい。筆力のある方々である、高齢でなければ成しえない仕事であります。
高齢者の務め その2で、少し引き合いに出させていただいた仲代達矢氏。
終戦を境に、大人たちがどのように変化したか、その変化ぶりを眺めていた少年の目が、何を捉えたか。仲代達矢さんは、「大人ども」と表現して語っていられる。
やがて日本を代表する大俳優となる仲代達矢さんは、「大人ども」の変化ぶりを目の当たりにしたことが、炸裂する衝撃だった。あれほど憎み嫌っていたアメリカを、一夜明けたら……。
少年、達矢は、学歴、職歴なしの姿で世に出て行く。これが、戦争が仲代さんにもたらした影響なのだった。
役者さんだから、多感な少年時代に、この変化をもたらした怒り、落胆、悲哀、諸々を、映像として手渡してくださった。改めて演劇の力が身にしみる。
本ブログの主要読者である同人誌作家の皆様、ぜひペンをして表現してくださいますよう。

高齢者の務め その2

今日は8月6日。広島が一瞬にして壊滅した日だ。
この時期の日本各地の出来事を記憶している人たちは、プラスマイナスなしに、ありのままの記憶を次世代に手渡す役目を担っている。
年齢を重ね、経験したことを繰り返し語り続けるうちに人の心は変化し、経験したこと以上に大きく表現する場合が出てくる。あるいは、人から聞いた事柄を、自分の経験であるかのように語ることも出てくるとも聞いている。
しかし、これをやっていたら「藪の中」だ。後世の人々の役には立てない。
記憶は固定した岩のようなものではない、記憶は生身の人の心の中に息づいて、その人と共に暮らしているから、意図しなくても変化して行く場合が出てくることは、言い換えれば生きている証拠かもしれない。
最近、NHKの番組「ファミリーヒストリー」で、仲代達矢さんが都心で空襲を受け、焼夷弾の雨の下、手をつないだ見知らぬ少年が一瞬のうちに消え、仲代さんの手の中に、少年の腕だけが残った、という記憶を語られた。
そして付け加えられたのだ、最近です、このことを話し出したのは、と。
あまりの辛さに、70年もの間封印し、沈黙を守ってきている人がいる。というか、口にできない。語ってくれる人がいる一方、こうした人も多い。

残されている映像や文書をアンカーとして、できる限り多くの人々の中にしまいこまれているものを集めてまとめてゆくことが必要だと思う。
誰も主張しないが、日本の各地を、町村単位でもなんでも良いから区切り、その土地にいた人の記憶を記録していきたいと思う。
戦争の被害に遭った人の言葉だけでなく「遭わなかった経験」をも記録したいと思うのだ。
多分、空襲を知りません、家は焼けませんでした、飢えを感じませんでした、戦死した家族はいません、などという人々がいるはずだ。これが、とても大切な記録になるはず、と思っている。
在ったことだけを記すのではなく、存在しなかった、ということをも記してゆくことで、立体化するはずなのだ。
全国に点在する文芸同人誌は、こうした仕事に加わってもらえないだろうか。高齢化を嘆くことなく、むしろ高齢の同人だからこそできる働きをしていただきたいと思う。

高齢者の務め その1

長寿。一昔前は還暦まで生きたら大満足の長寿だった。不思議なことに、さらに遡る大昔から、90歳を超す大長寿の人はいたが、非常に稀だった。
日清日露の戦争から太平洋戦争の時代に入ってからは、自然が与えてくれた寿命を全うする人が急激に減っていった。
戦争を止めてから、医学の発達と相まって私たちの健康は守られ促進され、寿命も飛躍的に伸びている。長寿社会、などと言われるようにもなった。
でもでも、全員揃って長寿ではないのだ、どれほど手を尽くしても助からない命は多いし、不慮の死の報せに胸潰れるのである。
今、自分が思いもよらぬことに80歳をこえて生きていることを意外に感じ驚きを持って受け止めているが、同年輩の人々を見渡すと、
健康体が続くように頭と体の体操をし、体に良いと言われるものを食べる、などの防御と保持に努める姿が目に入る。
それは良い、とても良いことだが、この点に全精力を傾けて日を過ごし、満足しているように見受けられるが、それで? という物足りなさはないのだろうか。 
もっとも世間のアンケートなどでは、せいぜい70歳代までのデータを取っており、80以上は視野に入れていないので、70歳代までが対象なのかもしれない。

しかし、80代の人間も、今現在生きているのである。なんとかケアの親切な方々がドアチャイムを鳴らし、お元気ですか? お変わりありませんか? と尋ねて下さる、
つまり、おい、大丈夫か? 生きてるな? ということなのだが、この親切心に対し、ありがとうございます、おかげさまでと、頭をさげる、
これだけで生きていることになるのだろうか? 後続の人々のために何かできるのではないか。
漫然と、自分の体を明日に繋げることだけのために生きているとは、つまらなくないか? 物足りなくないか? 恥と思わないか?
このことを考えていこうと思う。
今日は、ここまでだ、1日にできる仕事量が、目に見えて減っている。現実は厳しい。午後ともなれば午睡なしには続かない。
この、力のなさを認めた上で、高齢であるがゆえに言える事を発信したい。

子育てと言うけれど

子育てというけれど、私は子守りという言い方のほうが好きだ。
歌だって、子守唄というではないか。子育て歌ではない。
子は、守ることが必要で、守れば育つ力は子の中から湧いてくる。

今の世で、保育所の充実に背を向ける考え方は容れられず、うっかり反対意見を出したら袋叩きにあうやもしれぬ。
男女雇用均等の普及と労働力を必要としている社会の現状をみるに、乳幼児の母が働きやすい環境を整えることは緊急必須の事柄なのだ、夫婦二人して働かなければ暮らしていけない。でもでも、どうしても子を産み育てたい。そういうふたりにとって、どれほど保育の場が必要か、考えなくたって分かる。見なくたって身にしみる。
それは重々理解できるが、百人が百人、千人が千人、ひとり残らず同じ方向に流れる考え方には、ちょっと待ってくれと言いたい部分がある。
それは、本能のなせる力に押されて子を産み守り育てるという生き物としての原点を直視してみてほしいということだ。
人間である以前の生き物としての原点を、思考力を使って頭の中からどこかへ放り投げてしまい、今現在、自分が暮らしている社会の合理的経済的、しかも快楽的要素をも加えた利点に絞って解決しようとしているように感じられてならない。
命、命。命の大切さを尊さを、ことあるごとに言葉にするけれど、言葉にふさわしい行いをしているかどうか。子供を預かる側の緊張感は並大抵ではない一方、まるで処理しなければならない事案を解決しようとしているオフィスの人間、あるいは苗床の世話、養魚場の世話をしている、要するにモノ扱いをしている業者のように見えてしまう保育所もある。
24時間途切れることなく続く「子守」から、ほんの一時を解放された母親の「のびのび感」を私は、山中湖の白鳥のお母さんの抱卵で目の当たりにした。お父さんがタッチしてくれて自由になれたひとときの嬉しさ。
一方、預けたくはない姑に横取りされるみたいに抱かれてゆく「私の赤ちゃん」を見送りながら不安で一杯になってしまう母になりたての女の姿も目に浮かぶのだ。先日も深大寺にお宮参りをしている若夫婦とその親夫婦、多分夫の両親だろうーを見たが、おぼつかない足取りで赤ちゃんを抱く和服姿の新祖母を不安げに見つめる新母の眼差しが、私にはとても辛かった。
せめて3年保育に入れるまでは、母と24時間を過ごせるようにできないだろうか。その間の暮らしを国が助けてくれたらと勝手な空想をしてしまう。
2人の子を育てたら4年間は子と過ごせる。記憶に残らない時期かもしれないが、かけがえのない時期ではないかと思うのだ。個人差はあるだろうが、小さな赤ちゃんを自分の腕の中で守りたいという本能は、誰がなんといっても潰してはならないと思っている。繰り返しになるけれど、子供のことに思いを集めるだけでなく母の本能を無視しないで欲しいと願っている。

しつけ 二題

私は国民学校に入学した世代です。「修身」という教科書があり、表紙の見返しに「教育勅語」が出ていました。これを組全員で毎日、大声で読み上げました。組とは、今のクラスのことですが、英語は敵の言葉であり、使ってはいけないと教えられていました。でもラジオはラジオと言っていましたから、いい加減なことでしたが。さらに、この教育勅語を暗唱しました。チンオモーニ、ワガコーソコーソ。何のことやらわからんチン。
これは一種の「しつけ」なのかもしれません。ダンスの振りを覚えるのと一緒で、とにかくできると先生が褒めてくれる。褒めてもらうと良い気持ちになる。だから暗唱します。これをやらされていると自由発想がせき止められて、鋳型に流し込まれて固まってしまう気持ちの人間が出来上がるような気がしますが、いかがなものでしょうか。
当時、国民学校で叩き込まれた中国人、韓国人に対する偏見の衣を自ら脱ぎ捨てるために、私は相当長い年月を費やしました。脱出のきっかけは我が子たちでした。伸びのびと育って偏見の曇りのない子を見てショックを受けたのです。
いったん鋳型に流し込まれて冷えて固まった鉄を、再び身動き自由な液体に戻すことは容易なことではできません。柔らかい心で生まれてくる子供たちの心を、有無を言わせず型に押し込める行為は、悪魔の仕業そのものです。
森友学園という大阪の幼稚園が国会の問題として取り上げられている今、タイムスリップしたかのように「教育勅語」を暗唱する園児たちの姿をテレビで目にした衝撃は、言葉では言い表せないほど強く、おぞましく、過去の亡霊に出会った気分になりました。二度としてはならないことだと思います。

今日は、言わねばならない

今日、与党は安全保障関連法案を可決した。これは歴代政権が禁じてきた集団的自衛権の行使を解禁する法案だ。前々から安倍首相がこの法案について発言するとき、私は注意深く耳を傾けてきた。彼は、同じ枕詞を使う。それは平和を守るため、国民のため、というもので、そのあとに彼の言いたいことが続く。彼の言いたいことは、総理大臣の私がいうのだから、確かです。かならずこの法案を通します。これで終わり。言いたいことは、彼の欲望とその欲望を手に入れたい、である。これだけでは短いので、間の手と枕に国民のため、平和を守るため、というフレーズを挟む。ほかにはない。空っぽ。審議を尽くしていないという不満は、全く当たらない。審議は皆無であり、欲望を言いつのるのみであった。
国民に意を尽くして説明しようという気持ちをはじめから持っていない。気にしているのはアメリカと、軍需産業でいい目を見ようと待ち構えている経済界の顔色だ。昨日と今日の、安倍という男のシャアシャアとした表情には吐き気がした。
「平和のため」「国民のため」を連呼する者に災いあれ。この衣の下に国民無視の我欲が隠されている。この題目を「軍部」がどれほど好んだかを知っている者が少なくなった。
ペンクラブも反対を表明した。瀬戸内寂聴さんは93歳、病み上がりの身体で反対発言をなさった。誰一人として私の言うことなんか存在さえも知らないだろうが、それでも私も大声で反対する。この採決は独裁だ、民主主義ではない。
選挙権を持つ年齢になった若者たち、ひとりひとりが考え始めて、自分の意志で行動を始めているように感じる。デモで集まる群衆は、組織の団体ではない。個の集結だ。いまだかつてなかったことだ。若者たちに幸いあれ。
どうせダメだからと、黙して眺めるだけの訳知り顔に災いあれ。戦争は、企てた者らは死なない。普通の人々、無名の人々が材料にされて殺される。それと戦争で最も効率のよい攻撃は、一般市民への攻撃だというのが戦争業者の常識なのだ。

私が靖国神社へお詣りするわけ

私は東京山の手生まれで、九段にある中学高校に通っていたから、靖国神社は身近な神社だった。いまは隣県に住んでいるが、神保町に行くと靖国神社の境内に足を伸ばす。
日本全国の神社は祭神を内奥に据えている。しかし靖国神社には、本来の日本の自然神はいない。1872年に人為的に作られた靖国神社は、今年143才になった。戊辰戦争と明治維新の戦死者を祭神として祀ったのが発端で、以後、西南戦争・台湾出兵・江華島事件・壬午事変・京城事変・日清戦争・義和団事件・日露戦争・第一次世界大戦・青山里戦闘・済南事件・霧社事件・中村大尉事件外・満州事変・日中戦争・第二次世界大戦。これらの戦争の戦死者であると政府が認定した軍人・軍属・準軍属などが祭神である。
敗戦後、今年で70年だから、143年間の、およそ半分、73年間の戦死者は2466584人。このうち最後の戦争の死者が2133915人。数を言い出したらきりがない。当社に関わりのない一般市民はもとより、外国各国の犠牲者は、軍人恩給どころか、なにもない状態で放り投げられる形で死んでゆき、いまもそのままである。
私はお詣りをしているが、一度も拝殿の階段を上がったことがない、一度もない。私は境内を彷徨うのみである。境内には桜の樹がある。たくさんある。この桜は、どこの部隊が植えたんだ、この桜は、と幹に括り付けられている札を読む。無位無名の兵士たちが、死に際まで生を共にした仲間の魂とともに居たい、その拠り所として植えられている桜の木である。私が靖国神社へお詣りに行くのは、ただこの桜ゆえである。
あんまりだ、と思う。私費で玉串料だ、個人としての参拝だ、英霊へ感謝だ、などとご託を並べて、在職期間の我が身のことのみを念頭に社殿へ向かう政治向きの人々は、桜の木々に目もくれない。
恋も知らず、まだ母の膝を慕うばかりの若人が魂となり、桜の樹に憑依し、鳥居をくぐってくる輩に、射すくめるまなざしを向けていることに気がつくまい。
私の提案は、はっきりしている。いま当社で働く百余名の神官らは、全員辞めて貰う。社殿は解体し、更地にする。ここに一基の碑を建てる。まわりは桜の公園にする。例大祭も諸々の行事は一切ない。ただ、通りかかった人たち、歴史に関心を持つ人たちに散策してもらい、碑の前で立ち止まって貰いたい。

信、三たび

実に面白い世の中になってきた。以前は、言った言わないで喧嘩したものだが、いまはこれができなくなった。目出度いことで大歓迎。おまけに映像つきで何度でも再生できる。知らぬ者のない有名映像は、あの号泣会見。しかも一度見ただけでは見逃した部分を、何度も再生するうちに発見することになった。そのために地方議会の本質が問われるきっかけを作ったのだった。
新国立競技場建設問題で、國際デザイン・コンクール審査委員長をつとめた建築家の安藤忠雄氏は、巨額の建設費が問題視されて白紙に戻ったとき、費用については関与しなかった、デザインのみの審査だったと発言したが、第三者委員会が、その経緯などを検証する際、審査時の記録が公表された。そのなかで審査にあたって、一部の委員はコスト面も踏まえて真摯に審査していたことがわかった。
私が悩むのは、この場合、安藤氏が恥ずべき嘘をついたのか、はたまた加齢現象による自己喪失的発言であるのか判断がつき兼ねる点にある。しかしのしかし。加齢現象というものは実年齢と連動するものではない。となると加齢現象か否かとみる視点は失礼だし無用と言えるのだ。公の場にでて活動し影響力を持つ以上、たとえ重病人であろうとなんだろうとハンデを与えるべきではない。ゴルフじゃあるまいし、ハンデを与えられたら侮辱ものだ。だったら公の場で活動することを止めるべきなのだ。止めるか続行かの判断を誤ったとすれば、その判断も含めての責任を自分が背負うのが当然だ。これは自分自身に跳ね返ってくる発言だから厳しいけれど言わなくては。
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