文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

私が靖国神社へお詣りするわけ

私は東京山の手生まれで、九段にある中学高校に通っていたから、靖国神社は身近な神社だった。いまは隣県に住んでいるが、神保町に行くと靖国神社の境内に足を伸ばす。
日本全国の神社は祭神を内奥に据えている。しかし靖国神社には、本来の日本の自然神はいない。1872年に人為的に作られた靖国神社は、今年143才になった。戊辰戦争と明治維新の戦死者を祭神として祀ったのが発端で、以後、西南戦争・台湾出兵・江華島事件・壬午事変・京城事変・日清戦争・義和団事件・日露戦争・第一次世界大戦・青山里戦闘・済南事件・霧社事件・中村大尉事件外・満州事変・日中戦争・第二次世界大戦。これらの戦争の戦死者であると政府が認定した軍人・軍属・準軍属などが祭神である。
敗戦後、今年で70年だから、143年間の、およそ半分、73年間の戦死者は2466584人。このうち最後の戦争の死者が2133915人。数を言い出したらきりがない。当社に関わりのない一般市民はもとより、外国各国の犠牲者は、軍人恩給どころか、なにもない状態で放り投げられる形で死んでゆき、いまもそのままである。
私はお詣りをしているが、一度も拝殿の階段を上がったことがない、一度もない。私は境内を彷徨うのみである。境内には桜の樹がある。たくさんある。この桜は、どこの部隊が植えたんだ、この桜は、と幹に括り付けられている札を読む。無位無名の兵士たちが、死に際まで生を共にした仲間の魂とともに居たい、その拠り所として植えられている桜の木である。私が靖国神社へお詣りに行くのは、ただこの桜ゆえである。
あんまりだ、と思う。私費で玉串料だ、個人としての参拝だ、英霊へ感謝だ、などとご託を並べて、在職期間の我が身のことのみを念頭に社殿へ向かう政治向きの人々は、桜の木々に目もくれない。
恋も知らず、まだ母の膝を慕うばかりの若人が魂となり、桜の樹に憑依し、鳥居をくぐってくる輩に、射すくめるまなざしを向けていることに気がつくまい。
私の提案は、はっきりしている。いま当社で働く百余名の神官らは、全員辞めて貰う。社殿は解体し、更地にする。ここに一基の碑を建てる。まわりは桜の公園にする。例大祭も諸々の行事は一切ない。ただ、通りかかった人たち、歴史に関心を持つ人たちに散策してもらい、碑の前で立ち止まって貰いたい。

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