文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
November 2015

夢のなかでいい、会いたい

いきなり、の何事かと思うタイトル。いつもメールを交わすなかよしさんとネコの話をする。夢のなかでもいい、逝った子と会いたいと彼女はいう。それは私も同じ気持ちだが、相棒の千早はなかなか夢に現れない。長男の夢にはよく現れていて、そのたびに千早、元気だったよと、知らせてくれるのが慰めになっている。
千早が、どんな相棒だったか、思い出すエピソードのひとつを書きます。他人の犬の思い出話など、つまらぬものと相場が決まっている。そう、それはその通りですが。
昔、隣市の横浜で強姦殺人事件が起きた。一人住まいの若い女性が就寝中に被害に遭った。私たちは新聞とテレビの報道からこの事件を知り震え上がった。夏、網戸にして熟睡していたら、という無防備の恐怖が迫ってきた。
何日かの後、近所の電柱など各所に張り紙を見るようになった。千早と散歩の時に気付いたのだ。不審な男を見たら最寄りの警察に報せるように、と言う文面であった。なんでしょうね、と眺めただけだった。そのころの千早と私は足に任せて近所を歩き回っていた。私たちの住んでいる土地は、もともとが農村地帯で、炭焼きに使っていた丘陵地帯の斜面だったから、その残滓はふんだんにあり、斜面の小径を上がったり抜けたりは、大きな楽しみでもあった。
早朝の散歩で千早を先に立てて山道を上がっていったときのこと、そこは車が入らないようにU字型のパイプを設置してあるのだが、そのパイプが抜かれて、なかに一台の車が停まっているのを見つけた。こんなところに。わざわざ。土地の人しか知らない行き止まりの空き地である。私は運転席を覗いた。寝ているらしいものがいるようだが薄暗いのでわからない。片手に千早の綱をつかんだまま、力一杯タイヤを蹴った。どうしようかな、と考えてやっているのではない、反射的に、この野郎! である。男性諸氏は大笑いをするだろうが、ガタイのいい私は、無意味に自信過剰なのである。結構な蹴りようである。古びた軽乗用車なんぞ、揺れるのである。半分、ふざけている。
ガバ、と背を立てた男の、これ以上、見開くことのできないほど見開かれた目が私に向けられた。見たことのない目だ、一生、一度、この時だけしか見たことがない、裂けるほどに見開かれて、驚愕と恐怖の色が放射している。
瞬間、千早が走り出した、私が掴んでいる綱を振り切って走った。太い綱が踊る、私は千早を追った。千早は振り向かない。茅場へ跳びこんだから私も跳びこんだ。千早は身を沈めて私を待っていた。千早の肩を抱いてしゃがんだ。息を切らせている私の隣で千早は置物のように静かだった。身動きしてはいけない、と千早が教えてくれている。萱の葉先も動かないように息を潜めた。時間が流れるが、それは私の時間ではなく、千早の時間だったから、とてつもなく長いのだ。綱を振り切ることはない千早が、自分の判断でしたことだったから、私は千早に従った。主従が逆転していた。私は千早の時間に耐える。そうして。タイヤが砂利を噛む音がした、と次の瞬間、猛然とダッシュして走り去る車の音が消えて行った。
千早が身じろぎをして、目を細めて言った、さあ、行きましょうか。もういいでしょう。千早が声に出して話したのではない、言葉になおせば、の心だ。
何日か後に聞いたこと。横浜の強姦殺人犯の実家が当地にあり、警察は親許へくるに違いないと見張っていたということだった。あの男はもしかして、と思ったが確かめたわけではない。あのとき、あの男は、人の時間を使っていなかった、動物の時間を使っていたんだな、と千早との一心一体の経験とともに覚えている。

老後

老後という言葉があります。しばしば聞き、目にするけれど、私にはピンとこない言葉です。「老後」という熟語に続いてつけられる言葉は、たとえば老後の楽しみ・老後の趣味・老後の暮らし・老後の資金・老後の生活費・老後破産……。
たしかに楽しみも趣味もあり、暮らしは生まれた以上死ぬまでついて回るのだし、暮らしにお金が必要なことも以下同文。
私は80歳になったから、冗談にも若いとは思えず、中年だわ、なんて口が曲がっても言えない立派な老人だけれども、「後」ではありません。いま現在生きている、今日この日を、一日懸命に生きているわけで、どこを探しても「後」は見つかりません。私に老後という後はない。常に今でしかありません。
ただ、先はあります。どういう先か、それは次回に語りたいテーマです。老い先について、乞うご期待。
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