文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
August 2013

武相荘

婆たち その2の一人、白洲正子さんの武相荘についての感想。
白洲次郎・正子夫妻の経歴や業績については触れない。戦争中の1943年に、当時は僻地だった鶴川の農家を買い取り、改造して住み着いた。この旧宅と庭園が2001年から、お子さんの牧山桂子氏により有料公開されている。場所は東京都町田市能ヶ谷、小田急線の鶴川駅という近さもあり、オープン直後に近所の誰彼とともに出かけた。農家は、茅葺き屋根と構造体は農家であるが、土間はタイル敷きにするなど、内装は好みに従って手が加えられている。裏手の小山は鈴鹿峠と名付けられて、散策山道が作られている。植木、野草の見事さと建物内外の夫妻の趣味が横溢する飾りつけは、四季それぞれに展示を替えて、何度でも訪れ楽しめる趣向が凝らされている。小林秀雄や青山次郎などとともに選んだ骨董の数々とは、このようなものであったか、と実物を目にする楽しみも大きい。
私は知人友人を案内して足を運ぶこと度々だが、訪れるたびに色あせてゆく気配に失望している。何に失望したか。オープン当初の生のままの佇まいが失せて、あとからの「思いつき」で手を入れた部分、これが失望の元である。具体的に言うと、ここで食事をしていた、とある場所に、大皿一杯の生牡蠣やレモンなど、数々のご馳走を並べたこと。使っていたテーブルが置いてあれば充分であるのに、ラーメン屋のガラスケースの中じゃあるまいし、作り物の生牡蠣やらなにやら並べ立てる神経には辟易した。見る人の想像力を信じない故だろうか。ラーメン屋をやって楽しんでいるのだろうか。それとも、これでもか、と豪華に見せたら入館者が増えるとでも期待しているのだろうか。私は、人を案内するたびに喜んで貰っていたのが、最近は期待はずれだった、という感想を聞くようになり、案内を止めた。夫妻は、我が子に何を残したのだろう。

婆たち その2

広島の日、長崎の日、そして今日、8月15日。たくさん思うことあり、婆たちどころではなかったのですが、その1だけでは半端なので、その2の婆についての感想です。
一人は野上彌生子さん。ご主人が夏目漱石門下の野上豊一郎さんで、主婦をしていた彌生子さんは、ご主人に小説作品を託して漱石に見て貰っていたそうです。ご主人が亡くなられてのちは独居、その住まいに鬼女庵と名をつけていたという。若い編集者が訪れると、山坂の急な道を住まいへ案内してくれる彌生子さんから、足下にお気をつけて、と声をかけてもらうという逆転ぶりだったと読んだことがあります。
もう一人は白洲正子さん。彌生子さんと合わせて2婆にした理由は、彌生子さんが99歳、正子さんは88歳という長命であったことと、彌生子さんは鬼女庵、正子さんは武相荘、とその住まいにも共通点があるからです。二人とも別荘として使っていたのではなく、日常の住まいであったことも共通しています。
武相荘は私の住んでいるところから車で20分足らずの鶴川にあり、四季の佇まいが洒落ていることもあって人気があり、いまでは観光バスが横付けされるほどです。ぜひ一度行きたいという車いすの友人のために、車いすモードで下見をしてみて、改めてびっくりしました。まず、入り口から、またいで入らなくてはならない。歩くところも飛び石多々、車いすを押して動けない。入場料に障害者割引はありません。車いすの用意もありません。裏が小山になっているのですが、もちろん登れない。農家を改造した母屋の中も段差につづく段差、まるで障害物の展示場のようです。説明して諦めて貰うしかありませんでした。
シモキタの三婆は強者(つわもの)ですが、こちらの二婆も強者、体力というか足腰が並ではない。最近、バリアフリーの建築が増えて、一般家庭も段差をなくすことに知恵を絞っています。室内の転倒事故は、バリアフリーのお陰でずいぶん減ったことでしょう。そこで私は考えた、二婆を見習い、バリア・オン・パレード・ハウスにしよう。
なぜか。二婆ははじめは強者ではなかったのではなかろうか。バリア・オン・パレード・ハウスで生活することによって強者になったのではなかろうか。畳のヘリほどの段差はなくした方がよいが、よいしょ、と力を出さなければ越えられない段差は、むしろたくさんあったほうが、鍛えられるのではないか、と思いついたのであります。
よって、私は、三婆から強烈無比の精神力を学び、二婆から逞しい体力づくりを学ぼうと考えた次第です。

婆たち その1

それほど遠くない昔、つい何年か前といってもよいころのこと、下北沢に三婆と呼ばれる名物婆がいた。三婆というのは、三人いたからで、私はふたりまでは覚えているが三人目を忘れてしまった。思い出したら追加します。
一番目は森鴎外のお嬢さんで作家の森茉莉さん。下北沢の借家というかアパートに独居していた。二人目は女優の千石規子さん。この方もシモキタにご主人とお住まいで、よく小田急線に乗っていらした。私は千石さんのご主人、森栄光氏から指導を受けていたので、千石規子さんは作品だけで知っている。そうだった、黒沢の映画にも出ていらした。森先生が亡くなられてのち、しばらくして亡くなられた。
森茉莉さんは、亡くなるまでマリーだった、パパのマリ−。ほうれん草を買ってきて共同の炊事場で茹でる。束のまま上の方だけをむしり取って使う。部屋の床が抜けて、凄い立派な家具が地面に沈んでゆくが、そのまま埋まってゆき、ついに見つからなくなってしまった、と担当の編集者が書いていた。千石さんは、一目で変わりもんっ、という身なりで、ショッピングカートを引きずって小田急線に乗ってきた。そのカートが大きくて、しかもそんじょそこらに売っているような尋常な代物ではない、藤蔓でできている異様なものである。子どもが見たら、魔法使いのお婆さんだ、と断定するだろう。
驚くべきことは、この姿が電車内に存在してしまうことだ。周囲の乗客は、その存在力に圧倒されて受け入れてしまう。言い換えると、目立つように、変わっている風に見せようと企んだあなたが、思いっきり変わった服装で街に出たと仮定しよう、自信がぐらつく、ちょっと恥ずかしくもなる、そういった弱さを抱えて歩き出したとき、見た人は笑う。へんなの、という目つきに出会う。止めとけばよかったかな、と後悔する。これが普通の人だ。しかし、これらの婆たちは強者である。一朝一夕に身につけたものではない、底力があって、自然にわき出してきた生活態度であり、思想であり、持ち物である。これで全部、ではなくて、ふとはみだしたものが他人にも見えている、それだけのことだから、揺るぎがない。シモキタは不思議な空間だ、若者が蝟集する一方で、こうした婆、爺が居心地よく棲息している。

小皇帝

中国が一人っ子政策をして、一人っ子が溢れた。この子供たちは4人の祖父母と両親に囲まれて大事に育てられている。おチビちゃんに叶わぬ望みはない。なんでも手に入る。して貰える。ダメッ、と叱る大人はいない。この子たちが小皇帝と呼ばれている。中国では、この小皇帝が問題になっているという話を聞いた。おチビちゃんの時は可愛いで済んでいたが、青年期に入ったら、それでは済まなくなり、いろいろ問題が起きるのだそうだ。なにしろ忍耐力がない、抑制力がない、我が儘だ。欲しいとなったら待てない。すぐに欲しがる。手に入って当たり前。うまくいかないことは、みんな相手が悪いんだ、という思考経路が出来上がってしまっているのだそうだ。日本でも、たまに「我が家の皇太子」と言われている子どもがいるが似たようなものである。だいたい捨てものになる。その代表格が、いまの総理大臣と副総理だ。安倍総理は、憲法改正の3分の2を過半数可決に変えたいと言っている。我慢できないのだ。辛抱を知らない。欲しいものは、いますぐ欲しい。世界中の憲法改正時の議決は、3分の2が多いのではないか。過半数とは暴挙だ。だって欲しいんだもん、と安倍ぼっちゃんは、ぐずっている。麻生坊やは、歪んでいるヤツだから、いいさ、ずるして取っちゃえ、となる。この両人はジジ様の位牌を磨くなどして引っ込んでてちょうだい。
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