文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
July 2018

激アツ

夏、お盆の帰省シーズンが目の前に来た。夏真っ盛り。今夏は豪雨災害地帯のことが案じられる。空前絶後、200人を越す亡くなられた方々と周りの人たちを思うと、まがりなりにもエアコンをつけた室内に籠っている我が身が申し訳なくなる。
振り返ると、阪神淡路大震災から今日まで、ほとんどひっきりなしに列島のどこかが災難に遭ってきたように感じる。まるでもぐら叩きのようだが、叩いて消えるものではない、その都度、助っ人たちが寄ってたかって、なんとかしようと頑張ってきた。今現在はどうかというと、豪雨の後の連日の猛暑だ。41度を超えてくるとは、これではまるでお風呂の湯ではないか。
お弔いに参列したいと思った。駆けつけたいが思いとどまり動かなかった。最近、友人と会う約束をする、講演会に申し込む。これが間際になって中止せざるをえない、つまりドタキャンすることが増えてきた。調子良いはずなのが、当日の朝にダメになる。
ドタキャンだったらまだ良いので、参加してしまった現場でドタキャンとなったら大変だ。それはドタキャンとは言わない。緊急事態である、異変である。周囲の人たちに予定外の動きを強いることになる。とんでもない迷惑をかけるわけだから、高齢になったら気持ちにブレーキをかけて踏みとどまる方が良いと気持ちを定めた。
一昔前までは、老人の記憶は若い者にとって貴重な知恵袋だった。
あの時はこうだったという記憶が、未経験の若者たちをどれだけ助けたか知れない。が、今は違う。地球規模で科学的データが揃ってきている。自分の経験を基とした主観的な大丈夫ほど危険なものはない時代に変わったのだ。
94歳の先輩が、私などよりはるかに矍鑠としていられる。彼の友人で96歳、彼同様の独居男性が、深夜トイレに立ったところで倒れた。この方は3ナンバーの外車を運転している、人もうらやむ元気者であった。しかし、つまづいて転んだのではなかった、発作を起こしたのだった。倒れたままで朝が来て、昼になり夕方になった、偶然、幸いにも訪問者があり発見された。訪問者が身内であったのか、配達の業者であったのかは知らない。ともかく命は助かったが、助かったのは命だけだった。
先輩は、このことを伝えてくれながら、実に不思議そうに言うのだ、おかしいなあ、どうして匍匐前進しなかったんじゃ。先輩も、災難に遭われた96歳の方も、戦争中は中国の奥地で戦っていらしたのだ。
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