文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
July 2020

発言する勇気

石原慎太郎さんが自身のツイッターで尊厳死についての意見を述べた、というニュースを読んだ。この方は女性蔑視の発言多々あり、私は、これに関して随分批判してきた。
今回の彼の意見は
「業病のALSに侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性が尊厳死を願って相談した二人の医師が薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された。武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ」(原文ママ)というものだ。「裁判の折り私は是非とも医師たちの弁護人として法廷に立ちたい」とも。
この件は『高瀬舟』以来、私も思い続けてきた重い課題だ。同時に多種多様な考え方があり、一つを主張すれば必ず他方が反駁する、難しい課題だ。それを百も承知の上で堂々発言をする姿勢を、勇気ある行いとして高く評価します。
顔を伏せ、左右を横目で盗み見つつ、大勢が決まる時期を伺う態度を賢いこととして実践している諸々を常日頃軽蔑しているので、このスッキリした態度に出会い清々した。
ところでわれらの時代の旗手、大江健三郎さんはなんか発言なさらぬか。一言も二言もあって良いのではないか。もっともわれらの時代の年齢を思えば、健康上の理由から思うにまかせぬ場合多々あることだから文句をつけるわけではない。
それにつけても闘病中にもかかわらずの石原慎太郎さんの発言は気力充実、あっぱれ。
追加に私自身の意見なしでは、腑抜けになるので付け加えます。私は本人の精神を第一に尊重し、その希望に沿った態度をとることが、真の生命尊重に当たると考えています。これは、人間個人にとって、生命とは何かという基本的な問題です。
バカの一つ覚えで、イノチのタイセツさ! と叫び立てて、何が何でも肉体の存続方向へと首に縄をつけるようにして引きずってゆく態度は、鈍感+残酷だとしか言いようがない。残酷の土台には実体験に基づく単細胞思考があるのではないか。

やっぱりメダカ

メダカに話を戻そう。メダカの話は宇宙である、哲学である、社会問題であります。
人間の年齢でいうと15〜6歳の子供らを、社会生活をしている大人の中に放り込む。
少年少女メダカたちにしてみれば、事前の説明がないどころか、生まれて初めて網に追いかけられて捕まり、混乱状態の直後に、見たことも聞いたこともない場所、魚であるから水場に放り出されるのだ。大ショックのはずです。
呼吸ができた、水があった、体が自由になった。ここから始まる新天地。ここで一生を送ることになる運命とは、私は知っているけれど、彼等は知らない。
が、3分もしないうちに臆する気配もなく、泳ぎ進んで行くチビたち。人間のように部屋や道があるわけではない、水が広がっているだけだから進みたい方向は自身で決めるしかない。
大人メダカたちは自然のままに振る舞っている。5ミリ以下だったらボウフラを見つけた時同様、丸呑みだ。我が子かもしれない、などとは夢にも思わない。
しかしボウフラよりも水平移動が巧みなチビは命がけで逃げる。逃げる餌を追うよりも、私が天上から撒く人工飼料の方が美味しいし、水面に浮かんでいて食べやすいから餌の方に引き寄せられる大人メダカは、無理にチビを食べることはしない。
美味しい餌を十分に貰えるビオトープの中だからチビたちは生き延びることができる。そこで同類が群れを作る。大人たちの群れ状態を真似するのだろうか、自然に群れを作るのか、わからない。
ビオトープは人工的な環境だが、決して安全な場所とは言えない。先日もカラスに狙われ、事もあろうにアライグマにもやられたと見えて、大量のメダカが犠牲になってしまった。敵は水中にもいる。稚魚にとってボウフラは危険だ、ボウフラはメダカの稚魚を食べてしまう。大人メダカたちは、トンボの幼虫、ヤゴの餌食となる。うかうかしていられない世界である。その生き残りだから逃げる隠れる、を体得しきっている。私にも馴れない。足音を感知するともう消えている、水面に目を凝らしても何もいない状態だ。
アワビ、サザエの貝殻、塩ビ菅の筒、釜飯の釜、植木鉢、水草、枯葉、泥の中、そんなものの陰に隠れて動かない。まだ、何も知らないチビ達だけが、のほほんと遊びまわっている。学習するまでは、完全に無防備状態だ。
この小さなメダカ社会の中で、高齢魚は群れから離れて水の動きの少ない場所を選んでじっとしているのがわかる。もう、群れる気がない。平均寿命が3年だから、あっという間にシニアになる。時には体の不自由なメダカが産まれて育つ。一番はっきりわかるのが背骨の異常で、これは泳ぎにくそうだ。
群れについていけない、遅れる。誰も振り向かない。しかし天上から食べ物が降ってくるので、暮らしている。長寿にもなる。
誰も助けようとはしない代わりに、いじめもしない。できることをしてたらいいんじゃないの、といった感じで同類だけが群れている。彼らは突っ走ってみたり、思いついたゲームをしたり楽しむのに忙しい。遊ぶメダカを、私は初めて見た。空の植木鉢が底に沈めてある。水面すれすれに鉢の縁がある。その中に身を翻して飛び込む。底の穴の、わずかな隙間を抜けて外に出る。行列を作って水面すれすれの植木鉢の縁から飛び込み、穴から抜け出してくる。これを、まああ、飽きもせずに行列を作って繰り返すのだ。渓流の鮎は、元気よくジャンプするが、メダカもジャンプできるのだった。それと水温が25度以上ともなれば産卵という、大仕事があるのだ、毎朝。5月半ば頃から秋風が吹くまで。
チビ達の群れに加わることなく、単独で大人メダカの群れに寄って行き、大人の群れに参加しようとするチビが、たまにいる。どうして思いつくのか、わからない。自発的に入って行く。大人たちは、いたわることも、いじめることもしない。
メダカたちが、この水の中でヤゴに狙われずに、カラスにやられずに、大雨の時には流されないようになどと身を守りながら真剣に生きているのが伝わってくる。楽しみながら暮らしているのも伝わってくる。彼らは身を守ることに対して真剣だ、足音に敏感、鳥の翼の影に反応する、ヤゴから身をかわす。
しかし、彼らが知らないことが、いくつもある。なぜ天上から美味しい食べ物が定期的に降ってくるのか。なぜ、閉ざされた水なのか、川と繋がっていないのはなぜか。メダカは、なぜと思わない。
人間のことを思う。なぜ、と思わない人間のことを、思う。

ポッサム

昨日、TV東京の番組「サムライバスターズ」を途中から観た。番組の正式名称は知らないが、世界各地で困っている人たちのところへ駆けつけて助けるサムライたちのエピソードであった。
アメリカのアリゾナ州で大発生した凶暴な蜂、キラービーを駆除した話が終わったところで見始めたのだったが、それは、イノシシの被害を受けて困っているインドネシアの村が助けを求めたもので、サムライバスターズのひとり、日本の罠師が駆けつけて見事捕獲した。
次がニュージーランドで、ポッサムの被害に困り果てているという。え〜、オポッサムじゃないの? と思った。私が知っているオポッサムはオーストラリアに生息する有袋類だ。ポッサムも有袋類で、ニュージーランドにとって外来種であるという。
その毛が手袋やマフラーに人気があり、持ち込んで繁殖させたのが始まりだったというが、今では害獣で、その被害は生態系を壊すほどだという。雑食性で、飛べない種類の鳥が減り、果実、木の芽なども被害にあう。大きめの猫くらいの大きさで夜行性。
これに立ち向かったのが防除研究所という名前の株式会社だ。ネズミ、シロアリなどの駆除を行う会社で、社長さんがサムライバスターズとしてニュージーランドへ赴いたということのようであった。話はここからである。
サムライ社長は観察の結果、こういった。どうも手指が器用だ、アライグマのように。それで筒の中に餌を入れ、手を突っ込んだらトラップにかかる器具を仕掛けた。が近寄ってはいるが手を突っ込まない。利口なのだな、と私は見入る。
金網製の箱型罠を仕掛けた。中に餌を仕込み、入ったら入り口が閉まる仕掛けだ。近寄るが入らなかった。夜があけて調べてみたところ、箱型罠の上に糞をしてあった。私は、思わず、あ、あーっと叫んだ。そっくりだった、夜の間にメダカが襲われて、ホテイ草が池の外に持ち出され、根の中で寝ていたメダカたちが一網打尽に食われてしまっていた、何者がやったのか、わからないままに、池に合わせて枠を作り、金網を貼り、水面全体を覆った。その翌朝のことだった、金網の上に糞があった。金網の下は水である。糞をするにふさわしい場所ではないはずだ。それなのに、わざわざ堂々、糞を残して去ったメダカ泥棒。
その時の怒りが蘇った。私の場合は、糞の形状から犯人はアライグマと思われたが、テレビに出ている糞は、アライグマではなかった。ポッサムのものだろう。サムライ社長は言った、「悔しいですね」。ややあって呟いた、「バカにされてますね」。
本当に悔しそうだった。しかしサムライ社長は、この時点から本領を発揮、ハイテクアイテムを駆使する一方、罠の箱を自然の土と草で覆い、見事に次々と捕獲した。私の場合は、メダカを守ることはできたが、犯人は捕まえられなかった。
話はこれで終わりだ。話は終わりだが、ここから始まる糞の謎である。サムライ社長は馬鹿にされてますね、と言ったが、本当はどうなのだろう、ポッサムの気持ちは? あるいはメダカ泥棒のアライグマの気持ちは? やっぱり馬鹿にしたのだろうか。
ポッサムとアライグマに共通する何かがあるはずだと私は思う。
サムライバスターズたちは、一見するだけでわかる、観察力が猛烈に鋭い。蓄えた知識プラス、現場での観察力が並外れて優れていると感じた。
やはり、サムライ社長の「馬鹿にされてますね」が正解だろうと私も思わざるをえない。あるいは、なんだこんなことしやがって、と腹いせに糞をしたと言えるかもしれない。
苦い思い出が二つある、馬鹿にされた思い出だ。犬に一度、馬に一度、あからさまに馬鹿にされた。動物も、馬鹿なことをすると馬鹿にする。長くなるので、別の機会に詳細を記したい。思い出した、実は、馬と犬の他に、鹿にも大バカにされたことがあった。
犬と馬と鹿。これは書ききれないので、小誌「夢類」次号に詳しく記すことにした。

メダカの成長

今年のメダカも順調に育っている。メダカは、もともと田んぼの小魚で、金魚屋の金魚の添え物でしかなかった。それが最近は脚光を浴びて、持て囃されている。銀色に輝くもの、グッピーかと見間違えそうな華麗なお姫様風のものなど、あきれ返る。
しかし、このブームのおかげで市販されているメダカの餌が非常に高品質になっている。稚魚がぐんぐん育つ稚魚用の餌。卵をどんどん生む効果のある産卵用餌。水を汚さない餌。
以前は孵化したての稚魚用の餌は、自分で作っていた。そんなもの、売っていなかったのだ。ゆで卵の黄身を与えていたこともあるし、鰹節の粉を、さらに細かくして与えていたこともあった。今は買ってくれば解決してしまう。それだけではない、ぐんぐん育ってゆく。
便利になったし、よく育つからありがたいことだが、結論から言うと、繁殖させて販売するには良い、ということではないかと感じている。普通に育てている側からすると、不必要に肥満体。ガタイばかりでヤワだ。こう言う感想を持ってしまう。
小さな浅い容器で生まれ育ち、その容器の中だけを世界と認識して生きているメダカたちは、普通に泳ぐという体験をしない。水中に浮遊し、時に方向転換をし、水面に浮かんで餌を口に入れる。他にどうしろと言ったって、どうしようもないのだ。
とは言いながら私も、直径3,40cmのパッドで孵化させて、稚魚を育てている。孵化した時は2.5mm程度の透明に近い稚魚で、これが倍の大きさの5mmになるまでには何日もかかる。気候にもより、低温の日が続くと育ちが遅い。
5mmの稚魚になるともう、色が決まってしまう。もともと決まっているのだろうが、はっきりと見えるようになる。倍の大きさの1cmに、その倍の2cmの大きさにまで育つと、1人前に大人用の餌を食べたがり、体つきが稚魚から小魚へと成長する。どこが違うかというと、稚魚は目玉と内臓だけの姿、小魚は尾ひれと肉がつく。
この辺りまでは保護保育だが、ここら辺から教育も加わる。やたらと大食で大きくなった子は、チビどもを蹴散らし、大いばりとなる。チビは逃げる。大きさを揃えて育てるほうが安定するが、なかなか捕まらない。手をかけていると、あっという間に昼になってしまう。
2cmサイズは人間にしたら中学から高校一年程度だろう。これを大人たちがいるビオトープに入れてやる。卒業であります。卒業の日は、私にとっても、最大の喜びの日。ほとんど毎日、卒業式が行われる。
ビオトープの大人メダカたちに餌をやって、彼らが空腹を満たしている間に、反対側の誰もいない水域に、静かに10匹前後の卒業生を入れてやります。自然の中ではない、流れのない人口の場所だけれど、彼らにとっては新天地。この瞬間の驚きと緊張、戸惑い。
やがて前日に卒業した先輩たちが寄ってきてくれる。
まるで迎えるかのように近よってきて、たちまち一つの群れを作る。幼い者たちは、鏡を見たわけでもないのに同じサイズの者同士が一つの群れを作って離れようとはしない。膝をついて息を詰めて見守る私は、ここまでくるとホッとして立ち上がる。
明日もまた、メダカの続きを話したい。
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