文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

記憶力

私が小学生の時、日本列島の白地図に、炭鉱の場所を書き込んだ。北海道から九州まで炭鉱の場所と名前を暗記した。炭鉱が消滅したいま、無意味な記憶だったと振り返る。検索すれば手に入る膨大な情報を使える現在、どこまで記憶することが求められているのだろう。わざわざ頭に叩き込まなくても、クリックひとつで目の前に現れる膨大な量の知識の集積。手に入れる手段と、大海の中から必要なものを選別する能力が求められるが、記憶する必要は薄れてしまった。
すでに私は計算力が衰退している。今、私は毎日歩くようにしているが、それは目的地に移動することが目的ではなく、歩くことが目的化しているのだ。
都会の人は歩かなくなった。それでは農村地帯の人は歩くだろうか。やはり歩かなくなった。30分も歩けば行かれる公民館へも、車で行く。時間がもったいないから車を使ってしまう。畑に行くのも車、コンビニに行くのも車だ。足の不自由な高齢者は、電動車いすのような一人乗りの椅子を運転して移動する。こつこつと歩く姿が激減した。
痴呆症の人たちが物忘れをするというけれど、普通の人たちは、忘れる以前に、ものを覚えることをせず、歩かず、暗算もせずの生活態度だから、相当衰退した能力の人間に変わってきているような気がする。
人間の最も凄い能力は、考えるということだと私は思う。自力で考えることは、猛烈な重労働だ。そして瞬時に使える数多のデータが要る。クリックしている暇はないはずだ。やはり強力な記憶力が必須である。そして見る、聞く、声を出す、歩くなどの動物の基本が揃っていることが何より大切なんだと思う。
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