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壺猫

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May 2014

白内障手術後の影響

私が白内障になったのは40代だった。医者はストレスが原因で、元には戻らない、点眼薬を処方するが効果は期待できないと言った。出会う人の顔が見えなくなり、視力はコンマ1を切った。日光は視界を白転させた。不思議なことに風呂場の湯気の中では見えるのだった。手術をしたが、高度な技術の手術であるにもかかわらず負担は少なかった。眼帯を取ったとき、まず目に入ったのは若い女性、看護師さんだった。輝く笑顔でかがみ込んで笑っていた。あ、ほくろが。と私は言った、看護師さんの頬のほくろが見えたのだ。皆さん、そうおっしゃいます、と言って看護師さんは笑った。相手の目玉も見えなかったのが、小さなほくろが見えた。そのとき教えてもらったことを、私は繰り返し思い出す。
生まれたばかりの赤ちゃんの水晶体は透明で、澄んだ水のようなものだそうだ。年を経るにつれて濁りが生じる。中年になると薄茶色になるという。赤ちゃんの目に映る世界と、大人が見る世界は違うんです。そういう説明だった。私の見る世界は、手術後透明になった。一点の曇りもない世界を目にすることが出来るようになった。濁った液体によって閉ざされていた視力は、眼内レンズの力もあり、左右とも1,2に回復した。病院を出て帰る途中、植え込みの木を見つめた。これが葉の色。初めて見る鮮やかな緑だった。赤ちゃんの目と同じ、透明な目で見ている、そう感じた。手術後10年あまり経ったいま、視力は維持されて、なんら問題なく過ごしている。私は感謝とともに、この曇りのない目に心をこめて、あらゆるものを見よう、人間を見よう、社会を見ようと思う。

土と地

最近の建築をみていると、土台を作り、家の枠が出来上がると、その中を全部コンクリートで固めてしまう。これは、床を張ったあと、湿気が上がってこないので、非常に快適な住空間が約束される。また、家まわりも、昔は犬走りと呼んでいた軒下部分を同様にコンクリにしてしまう。大邸宅はいざ知らず、都会の宅地は狭いので、庭の部分はあってなきがごとしである。車1台分を確保できたら上々。また、一昔前の、余裕のある宅地に住む人は高齢であるから、草むしりの負担、はびこった庭木の手入れなどの負担に耐えられず、コンクリートにしてしまう場合も見かけるようになった。
こうなると、戸建てであっても、マンションと変わりのない住空間で、つまり土がないのだ。こうして、私が住む地域からも、春にのそのそと歩むガマガエルは消えて、もちろん蛇はいないし、毛虫も見かけなくなった。逆に、プランターは人気で、玄関まわりは色とりどりの花で溢れ、わずかの庭にはハナミズキの花が咲く。前に、大工さんから聞いたことだが、家ってものは、ある程度水気がないと立ってらんないもんなんだ、砂地じゃだめなんだ、ということを覚えている。土と地はちがう。プランターには土があるが、地ではない。地下に水の流れる、生きている地と親密に付き合うことは、生き物のすることで、とても自然なんだと思う。私は草むしりの負担を軽くするために砂利を使っているが、コンクリートで固めることはしない。砂利は大雨を受け入れてくれるし、余分に乾燥させないでくれる。地と付き合おう、地の声を聞こう。

目先の競争

郵便局、銀行などの入り口で、二、三の人たちが前後して中に入ろうと歩いている場面。横を歩く人を、小走りに追い越して、一人でも先に入り、順番を取ろうとする人に出会うことがある。ほんとうに急ぎの用事ならば、何分か早めに家を出ればよかろうと思う。高速道で降りる場面。出口の標識が出て、左へ車線変更して出るのだが、出口近くなってから、やにわにスピードを上げて追い越しにかかる車がいる。いるというより多い。気が知れない。目先の、ほんの一人ふたりを追い越したい欲望。一台か二台を追い抜きたい欲望とは何だろう。
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