文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
June 2014

年金悲歌

年若い男性の友人にメールを送った。信じられないですよ、もう50歳ですって? すると返事が来て、53になりました。53……、ゴミでございます。沈んでいるようなので、景気づけに歌を送った。こういう歌であります。10や20は乳飲み子同然。30、40は洟垂れ小僧。50、60は花なら蕾。70、80こそが働き盛り花ざかり。また返事がきた。よかった、元気 になってくれたんだな。ところが、さらに沈んでいるではないか。いったいどうした。返事には、こうあった。50、60は咲かぬ花。70、80は、年金をアテにできませんからなあ、死ぬまで働きますわ。アリギリス
働き者のアリさんは、老後に裕福な暮らしが待っている。お話ではそうなるのだが、日本のこれからはちがう。アリといえども遊びほうけていたキリギリス同然となるのだ。
私は思うのだ、もう決まってしまったかのように、受け入れることを拒否して、何とか道を開かなければいけない。高齢者の皆さんは、身体が動かなくなっても、知恵を絞るくらいはしようではないか。

年を取って丸くなる

あの人も、すっかり丸くなったねえ、と噂しあったことはないだろうか。あるいは、いやもう、年でしてね、丸くなりましたよ、などと自嘲気味に言ったりとか。ときどき丸くなる、と言うことについて考える。丸める、という言い方があって、頭を丸めたといえば、坊主になったのだ。数字を丸める、といえば端数を0,0,0として切り捨ててしまう。丸めるのは、団子だけではない。人も丸くなるのだろうか、ということだ。私は、ならないのではないかと思い始めている。気短で、すぐに腹を立てる。こうと思ったら、とことん通す。気が強い、突っかかる。こんな性分が、大福みたいになるか。
地元の図書館で、こんなことがあった。山口県の方が、山口の民話を書いた。その本を文房 夢類が出版したとき、この図書館へ寄贈しようとした。図書館員に、その旨を伝えたところ、遠くの県の民話は要りません、それに図書が溢れている、と断られた。この図書館はボランティアを受け入れず、地元の書店員が書店名を名札につけて働いている。なぜ、そのようなことをするのかは知らない。私は、書店員を避けて図書館員を選んで話したのだ。そうですか、と私は引き下がった。著者に言うと、遠くのものこそ読んで貰いたいのに、と怒った。同感、その通りなのだ。別の日に、別の図書館員に、このことを伝えた。すると、彼は「そんなことを言いましたか」と苦笑したが、それきりだった。なにもしようとはしなかった。
この図書館は、私が発行している「夢類」を地域の資料として受け入れ、開架に並べている。この数年間、なぜか開架に並べてくれないので、訊ねたが返事がない。数回にわたり訊ねたあと、私は中央図書館へメールを出した。翌日、電話があり、なんで直接、地元のウチに言ってくれないのか、中央なんかに言いつけてくれなくてもいいのに、と不満を露わにした。その後、数年間の「夢類」誌が見当たらないので、再度欲しいと言われた。そうですか、と私は、最新号までを渡したが、すでに絶版になってしまった号もあり、揃わなかった。見当たらないのではない、捨てたのだろうと私は諸々の現象から推測している。腹を立てることに躊躇しない私である。それが「そうですか」と引き下がったのだ。私は、丸くなったのだろうか?
ウニのようにトゲトゲだったのが、すべすべ大福になった、のかもしれない。そうかもしれませんが、中身は同じなのだった。人間、丸くなんかなれるもんじゃない。私は図書館関係の話題が出るたびに話し、書いてしまう。止めない。この「壷猫」は次号の「夢類」に載せるから、増殖を続ける。丸くなるのではない、沈潜するのだ。たちが悪い。
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