文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
February 2020

高齢者の務め その5

その4に続いて、高齢者が取り返しのつかない過ちをした場合の、自分自身に対する行いについて考えてみよう。
取り返しのつかない行いの最大のもの、比較するものもないもの、それは人の命を奪うという行いだろう。
まだ人生経験も浅い若い男性が、幸せの家庭、若い妻と幼い娘を一瞬のうちに失った。現実感のない、途方にくれた彼の表情を見るにつけ、この苦しみをわずかでも軽くする手立てのないことを思い知らされて暗澹とするばかりである。
社会的地位と富を手にして老後を楽しんでいた加害者に対して、在宅起訴と決まった昨今、この決定についての感想がたくさん出ている。納得がいかない大勢の心が集まり、罰するあの手この手を考えるが、どれも物足りないのである。
この場合の高齢者の務めとはなんだろう。その5として考えてみよう。
この卑怯未練の男が、いかに謝罪の言葉を口にしたところで誰も信じないだろう、懲役の実刑に処せられたとしても、これで十分とは誰も感じないだろう。

ジャン・コクトーが製作した映画「美女と野獣」(1946年フランス)の中に、こんなセリフがあったように記憶している。
「野獣が愛を捧げるには、死ぬことしかできませぬ」

フランス語を解せぬ故に日本語訳の字幕を覚えているだけなのだが。これを意訳すると、言葉が通じない間柄だから、態度で伝えるしかないということだろう。
詩人がうたうから神秘的になるが、あたり前のことを言っている。で、やろうと思えばできることを、彼もしたらよかろうと思うのだ。

さて、自分自身が自分を罰することで、ほかならぬ自分も、結果として救われる道を選ぶのは如何?
自分の親族に財産を残さない。すでに渡していたら戻す。その上で自分の全財産、居宅とその土地も含めた全部を放棄する。年金を辞退する。無一文の素裸となる。
その上で生活保護を申請する。許可されたら自炊して暮らす。ボランティア活動をする。
遅くない、愛があればできる。一生を痛くも痒くもない暮らしでぬくぬくとしている人よりも、人の命を奪った過去を持っていてさえも、いや、それだからこそきれいな人になれるだろうと思う。

この件に関してしつこい態度であるのはわかっている。
嘘をつき私欲に走り、自分とその仲間をかばう方針と行動の道すがら、自殺に追い込まれた犠牲者を産んで知らぬ顔を決め込む政治屋。職掌がら追い詰められて死を選んでしまった人は、森加計事件の背後にもいたではないか。自動車事故で母娘を殺した人物が責め立てられるのとは対照的だ、後ろ指はさされても前指は刺されずに平然と花見をするのであり、これが日本の日常なのだ。
すでに第一線を退いて野の人となった人物に対しては手加減なく攻撃するが、大きな悪に対してなぜこうも優柔不断なのだろう? 心底非難したい対象は、実はこっちの方なのです。
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