文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

バスに慣れてきた

車で動いていたときは、前を走るバスを見ると瞬間、付くべきか、追い越すべきかを判断した。いまはバスを見ると、乗るべきか、歩くべきかを思案している。乗れば楽だが、歩けば健康増進である。駅までは下り坂、駅からの帰りは上り坂だから、帰りには乗ってしまう。乗るとすぐに優先席に腰掛ける。ジジババが活動する時間帯の10時から夕方前までは、遠い普通席まで辿り着くのが難儀な高齢者が乗ってくるから、優先席には坐らず普通席に行く。
通勤通学の時間帯に乗るときは、若者は、空いていても優先席には座らないから、迷わず優先席にいる。最近バスに乗り慣れてきて、こんな案配もできるようになってきた。
難しいのは老若ミックスの時だが、最近はこれにも慣れてきた。私は迷わず優先席に座ってしまう。バスは基本的に腰掛けて乗る乗り物であるから、空席があれば腰掛けた方が乗客全員が快適なのだと思う。途中で高齢者が乗ってきたときは、席を立って知らん顔をすることにしている。ジジババは、空いていれば喜んで坐るが、さあ、どうぞ、と言われると遠慮する人がいるからだ。ジジババには別種もいて、ムキになって普通席へ進んでゆく者がいる。優先席に空きがあり、若いモンが立っていてもおかまいなしだ。自分は、あんな所に座るもんか、という心意気が溢れている。
体力の衰えが先か、気配りの衰えが先か。これが問題だ。両方ボツになったら終点です。

家相

家相というものがある。占いやオカルトとは関係ない。関わりがあるとすれば人相だろうか。人相も家相も、人なり家なりの姿ということになる。
私の友人のひとりが家を新築した。元々住んでいた家を解体、更地として新築したのだ。耐震構造でバリアフリーの最新家屋となった。ところが、これを節目に夫婦から笑顔が消えた。子等の巣立ちをむかえ、老夫婦のために快適に設計された家だから、笑いが止まらないだろうに信じがたいことだ。すでに何年か経つが表情は沈みきりだ。実はこの時、ひそかに家の相が悪いと感じていたのだが、口に出せる事柄ではないし、第一、私の妄想である可能性が限りなく高いのだ。黙っていた。
私は人相を見るように、建物を眺める癖がある。これは人に言える癖ではない。昔、日本長期信用銀行という銀行があった。本社を新築したとき、なんという悪相だ、と感じた。茶室であれ、記念館であれ、良いときは絶賛するが、悪いと感じたときは、ひっそりと黙っている。長銀は、その後無惨な最期を遂げた。
最近になって某氏が、長銀本社の家相が最悪だった、と書いているのを読んだ。具体的な指摘もされていたので、漠然と感じるだけであった私は、とても勉強になった。相はあり、人相と同じだ、と思った。無理や力尽くの変形は最悪なのだった。
無理も見えない、なにもないようだが、都庁の家相は悪い。鈴木都政は、良い事もして頑張ったが、末期、夫人の力が及ぶに至り、無私の姿勢が失われた時点での建築だった。暗い。限りなく暗い。
すぐれた建築家は芸術家であるが故に、思いを込めるほど見えない力に惹かれて進むのではないか。不思議なことである。

一億

私は一億と言われるくらいイヤなことはない。聞いただけでゾッとする。お化けに出会うほうがまだマシだ。
私が一億が嫌いなのは、戦時中の生活に繋がるからだ。戦争中は、一億一心、二言目には一億、一億、お前等は一億の日本人のなかのひとり、ひとりなんだぞ、心を一つにしてお国のために我慢せよ、頑張れ、と言われ続けていた、あの暗黒時代を象徴するひとこと、それが「一億」だからである。当時、私は、本当は一億人はいない、でもおおまかにまとめて一億と言っているんだな、と思っていた。今は、人口は一億人を突破しているけれど、キャッチフレーズとして一億と言っているな、と見ている。
女性には「産めよ、増やせよ」とハッパをかけ、幼少の者には「銃後の少国民」と呼びかけて「欲しがりません、勝つまでは」と噛んで含めるように言い聞かせる人間も一億のなかの何人かであったが、それは国民の中の、ほんのひとつまみの者であり、彼らが国を私物化していた。
先日来、安倍晋三が一億揃って、とか、言葉の端々に一億、一億とくつつけて喋っていたが、今度の改造内閣で「一億総活躍担当」という大臣を作った。
あの、忌まわしい戦争の時は、単に声を上げるだけの事だったが、今度は違う。マイナンバーという代物を作り、国民一人一人に貼り付けるのだ。まさに一億鷲づかみ、が出来る。逃すことはない。
束縛が大嫌いな私が、拒否したとしたらどうなるだろう。納税ができない、選挙ができない、パスポートが取れない、ないないづくしで動きが取れなくなるのではないか。いいですよ、選挙に行きません、税金も納めません、国外へは出ない、と頑張ったとしても、たぶん、死ぬこともできないのではないだろうか。埋葬許可が降りないんですよ、などと言われるのではなかろうか。
こんなぼやきに笑っているあいだは、まだ呑気なものだ。そのうち笑えなくなるだろう。産まれた途端にマイクロチップを埋め込むことが法律で義務づけられて、一世紀のちにはチップの埋め込まれていない人間がいなくなる。
こんな時代が目の先まで忍び寄っていると思いませんか?
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