文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
August 2014

もしかして妄想か

だいたい、私は白昼夢+妄想人間だから、まともな人は笑って聞き流してくれる。聞き流されても尽きないのが、わが戯言である。
さて今日は、中国が何故焚書坑儒をしたか、改めて考えてみた。書物を焼き捨てるということは、いかに書物に価値を置いていたかの証明である。中国人は、数千年の昔より、書に記されたことを真実、事実と認定してきたし、今だって同じだ。中国が共産主義国家に変貌したとき、私は驚愕したが、別に驚くことはなかったのだ。主義も方便であり、肝心な中華思想は揺るぎない。こんな中国を唖然として見ていたが、実は日本国も千年の昔と本質は同じなんだ、と気がついた。これが私の妄想部分である。
中国のように数千年と言えないところが情けない、たったの千年だ。千年昔も天皇がいたが、当時の天皇と今の天皇も似たり寄ったりである。つまり周囲に必要と感じる面々がいるから消えない、それだけのことだ。たまに誤解する天皇がいて騒動を起こしたが、それは文字通り騒動でしかなかったと思わないか。信長秀吉の時代にしても、天下を取ることが彼らの夢であり欲望だった。御維新だの、民主主義国家だの題目を並べたって、地震が起きようが津波が来ようが、天下取りの精神は変わらないのが、日本の頭たちだ。ひょっとして、まだ花押、やってるんじゃないの? 何年か前に、某大臣がにこにこして、考案した新”花押”を記している映像を見ましたけど。繰り返しになるが、自分の満足のために天下を取りたいのだ。決して国民のために働きたいのではない。安倍さんは、自分の家名を重んじているのだし、麻生さんも同じだ。麻生さんが「しもじもの皆さん!」と呼びかけて演説を始めたというのは本音だったのだ。こういう意識で国の舵取りをやっている。靖国に参拝がどうこう言っているけれど、心の底から手を合わせているのは先祖代々の墓だけなんじゃないか。平和だ、国民だ、と称えるのはお題目にすぎない。選挙だ、民主主義だと「しもじも」は真面目な顔をして言うが、民主主義があるなんて思っているのだろうか。あ、行かないでください、お茶いかが。

8月15日

アブラゼミの鳴く暑い日。この日がくると、6日、9日、15日について思いをめぐらせる。広島原爆、長崎原爆そして終戦の3日である。今年のテレビの番組表を眺めたら、ほんの一握りの時間を追悼式に割り振り、あとは民放を含めて関連番組を2,3拾える程度だった。当然だ、式典に出席する人たちは高齢で、孫、曾孫の時代に移っているのだから。
曾孫たちの年齢のときに、私は「終戦」と呼ばれたこの日を迎えたのだ、長生きできたお陰で、次世代の世の中を見ることができている。私は、あの過去を固定した記憶として回想しているのではない。毎年、少しずつ歩み続けている回想である。育てている記憶。マンハッタン計画に参加した科学者たちは、この日のことを知ったとき、どこで何をしており、どう感じたか。当時の敵国の指導者たちの反応。湯川秀樹は何を感じたか。当時、30代だった亡父が絞り出すように言った言葉(分かってたんだ、日本でも分かってたんだよ、それがあることを)。
今夜、映画「硫黄島からの手紙」を放映するというので、録画予約をした。2006年パラマウント映画、クリント・イーストウッド&S.スピルバーグ&R.ロレンツ制作、監督はイーストウッド。硫黄島が戦場だったとき、その場にジョン・フォードがいた、撮影隊として。これも、育てている記憶の足取りで出会ったことだ。このときに培った力を駆使して作った映画が「駅馬車」である。映画館で座席から腰を浮かすようにして見入った私は、ジョン・ウェインの名は知っていたが、ジョン・フォードは視野の外だった。硫黄島と結びつくはずもなかった。育ててきた記憶を手に持って振り返ると、名画「駅馬車」を見る目が横に移動して、1945年公開の名画「天井桟敷の人々」へ行く。食うや食わずで、出征兵士たちが続々と「死んで帰ってくる」あの年に、フランスで制作公開された長尺の秀作である。私はクリント・イーストウッドをよい監督として見続けている。この人は、たゆまず先へ進もうと努力する人だ。自分自身のハートを見つめ、対象と直結し得たときに力を出し切って作り上げる。
誰しも、よき過去ばかりを蓄えているわけではない。ないが、その後の歩みこそ、その人、その国家の肖像となる。
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