文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
主張世相

蔵書の苦しみ、について

蔵書の苦しみ、という題名の本を読んだ。題名に惹かれて手に取ったのだが、それは私が蔵書を減らそうとして減らない苦しみを抱えているからだった。やはり、自宅に本が多すぎて苦しんでいる人がいる、して、その解決方法は如何と期待したのだ。肩すかしを喰らった、自慢本であった。ウチさぁ、金が貯まっちゃって、また増えるじゃん? 息苦しくってさぁ〜。こんな嘆きを聞かされたって、そうかい、そうかい、である。改めて自力解決を模索することにした。書物の重力で、腰板と床の隙間がジリジリと広がる。つまり床が沈みつつあるのだ。気分に任せて、これいらない、と選んだ本を放出して後悔したことがあるので、基準を決めて分別しようと考えている。結果はまたのブログで。

ねじれ

今回の参議院選挙では「ねじれの解消」というキャッチフレーズがタイトルのように持ち出され、声高に繰り返された。これが選挙の際の「えらぶ基準です」というわけだ。ほんとうの「選ぶ際の問題点」は、原発推進か廃止か。TPPについてどう考えているか。憲法改正の是非。少なくとも、この3点をみて選ぶのが当然であった。
「ねじれ」というのは衆、参2議院の過半数を持っているのが与党と野党であり、与党一本ではないという意味だ。与党が両議院で過半数を取れない現状をねじれている、と表現し、これを解消するのが、今回の選挙の眼目だと主張した。選挙公示前からNHKはお題目のように、枕詞のように繰り返した。
ねじる、ねじれる、は和語である。夢類は和語を大切にするという根本を持っているつもりだ。演歌、演説、講演、すべて和語を使ったほうが日本人の胸に入りやすい。理解する、というよりわかる、と言うほうがわかりやすいのである。ねじれる、という和語から受ける印象は、不快な感覚であって快いものではない。ねじる、よじる、なじる、かじる、ほじる、いじる、うじむし、いじめ。ねじれの仲間言葉には、似た感覚があると思いませんか。ねじれをなくす、と聞けば、こういった諸々のイヤな感覚が一掃されるような気分になってくる。
あまり原発や憲法について話し合っていない人たちは、このお題目を聞いて(そうか、イヤなこと、悪いことをなくすんだな)と納得して自分の一票を投じる。
以前、私はNHKは広報に徹するべきだと主張したが、日々のニュースの枕詞に、こうした意図的なキャンペーンをやるのだったら、広報も止めて欲しいと本気で思っている。
悲惨なことに日本のメディアは、国民すべてに対して誠意も愛情も持っていない。生活のために忙しく働き、時間のない壮年者を中心とする人々のために、これから選挙権を持とうとする若い年代のために、もしも愛情があるならば、彼らを手助けする力を出して欲しかった。教育する、とまでは言わないが、自分の頭で考える手立てを提供するのが本道ではないか。
それを、誤った方向へ意図的に誘導した所行は、どれほど非難されても足りない。政、財、報道各組織の上部の人間たちが結託して、自分たちの望む方向へ動かそうとする。日本国民を思うように動かすためには、あまり考えさせてはいけない、バカな国民のまま、寝た子は寝かせたままにしておこうというのが日本の指導者の本音ではないか。大組織を形成している膨大な人々のなかには、これではいけない、本当は、こうだ、と考えている人々が無数に存在するにちがいない。しかし彼らの二の句は同じ「分かってますよ。でもしょうがないじゃないですか」。
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