文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
May 2015

イルカより

和歌山県太地町で昔から行われている追い込みによるイルカの捕獲について、世界動物園水族館協会から止めて欲しいという趣旨の意見が出された。賛否両論あることは、以前から知っていた。しかし太地で捕獲したイルカを、国内の水族館のみならず中国や東南アジアの国国にも売っていたとは初耳だった。水族館は、伝統的な漁法を持っている太地から容易に入手できるために、繁殖による方法を開発してこなかったのではないだろうか。
上野動物園にオオタカが展示されている。このオオタカは傷ついて飛べなくなっていたのを動物園が引き取り、治療し、説明をつけて展示している。傷は癒えたが飛べず、野生に戻ることができないオオタカだ。私は、上野動物園の大きなケージの中でじっと佇むオオタカに会いに行く。彼はふたたび飛翔できないことを知っている。ほとんどの客が通り過ぎ、わずかの人が温かいまなざしで見つめる目を見る。種が異なっても生き物同志だ、温かさは伝わりあう。
 元気一杯な生き物を捕まえてきて、珍しいでしょ、可愛いでしょ、と見せるのは不要だ。まして「芸当」をさせるのは残酷だ。イルカショウなんか、止めてくれ。芸当させられている囚われの者。もしかするとヒト以上の能力、感覚を秘めているかもしれない者。サル回しのサルたちの寿命が短いのは、ストレスが原因なのだ。そんなことを言ったらサーカスもなくなる、というだろう。なくしてしまえ。ヒトは傲慢に過ぎる。パンダだって、法外な金額で借りてきて、何様かと思うほどの設備のなかに置かれている。あんなもの、原産国でのびのびしているだけで充分だ。見たくもないわい。
 水族館では見たこともないような珍種が勢揃いしているが、入手方法を公開できるか。誰に委託し、何処で捕獲した個体か。平均寿命は何歳で、現在何歳かも公開して欲しい。水槽内で死なせてしまう数多の生物たち。華やかな水槽の裏側、殺風景なコンクリートの作業場に充満している死に、私は我慢できない。いままでは、これでよかったかもしれないが、映像技術が発達した今の時代は、映像の方がより多角的に情報を受け取ることができる部分が生まれた。先日、上野の国立科学博物館で「大アマゾン展」を見た。水槽内の生きている魚、動物の剥製、そして映像の展示があった。ここで最も人だかりのしているのが映像+音声だった。そこには現地の森林があり、のびのびと動き回る動物たちがいて、声を上げている。解説が入る。目が離せない。剥製の鳥や獣の前では、眺め、名前を読み、次の展示へ移動するだけだ。水槽では、どこどこ、と隅っこにいる魚を探し、いた、と言って次の水槽へ行く。
3Dの展示が発達したら、密林の中や、大湿地帯の中を歩き回り、アマゾン川を舟で遡る映像の中に身を置くこともできるだろう。将来の動物園、水族館は、介護、治療、研究の場として大働きをして欲しい。

世界遺産・富岡製糸場

群馬県の富岡製糸工場が世界遺産になり、大工場の写真や、解説を見る事ができる。蚕の繭から糸を巻き取る工程はわかるけれど、あまりにも整然として別世界の感じがする。私は高校に入ったばかりの頃、稼働中のこの工場へ行ったことがある。戦後のこと、父が送風機を設計製作する会社を創業、経営していて、工場の換気設備を作ることになった、まずは現場を見ようと訪問したときに、私はお供でついていったのだった。機会のある度になんでもみせてやろう、という気持ちがあって、連れて行ってくれたのだと思う。父が打ち合わせをしているあいだ、私は工場の中、女工さんたちの生活の場、食堂などを見せて貰って過ごしたのだが、この時の印象が非常に強く、忘れられず、いまもって目の前に出てくるのだ。胸一杯になったことは、自分と同じ年齢前後の女性ばかりが働いていたことだ。湯の入ったボウルの中に繭がいくつか泳いでいる、これの糸口をつかまえて機械に掛ける、立ちっぱなしの作業。彼女たちの指は、10本とも真っ白だった。両手指を絶え間なく働かせなければ間に合わない、真っ白の指は、ふやけきった指であった。手袋のない時代。もうもうと立ちこめる湯気の工場内は息苦しい。独特の、強い繭の臭いで息が詰まる。当時の私は、結核にかかっていて登校はしていたが、体育の授業はできなかった、弱く、また暗い時代だったこともあり、この環境で少女たちが肺結核に冒されて行った状況を、自分の身体で受け止め、さらに高校生であることを申し訳なく感じた。畳の部屋に数人で寝起きする。食堂で食べるご飯。食堂の片隅に蠅帳があり、食べ残しのお皿が並べられていた。それは小皿に一口か二口分の煮付け、2枚のたくあん、そういうおかずを次の食事の時まで、大切に蠅帳に入れているのだ。親と会社の打ち合わせによって就職している少女たちは、現金を見たことがない、という述懐を、これは山梨で聞いたことがある。そんなに昔のことではないのです。

米上下両院合同会議日本首相演説

米上下両院合同会議で安倍首相が演説した。この演説の中にある、次の部分に注目した。「日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。(中略)この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。(中略)この夏までに、成就させます。」
国内で各政党が自党の主張を如何様に述べ立てたとしても、それは当然のことだし必要なことだ。しかし一国の首相が国外に向けて発信する断定言語は、国を代表する意志であるはずだ。国内で反対意見の多い、まだ決定してもいない事柄を取り上げて、しかも時期を限って、成就させると断定したことは、これは民主主義に反する。独裁だ。他国から、日本の首相は独裁者だと判断されても言い訳はできまい。日本国民の一人である私は、日本国民に対しては、これ以上の侮辱、これ以上の礼を失する言葉はないと感じた。
幹事長は言った、「今迄どこでも、何度も喋ってきたことだ」。この幹事長は、目を逸らせて呟くのみである。私は、正面からまともに相手の目を見ないで話す人の言葉を信じません。ましてや、この言い訳は噴飯ものだ。
もうひとつ、野党はこれを是とするつもりなのか。民主党は、いまや自民主党と呼ばれているから、分かっていても黙っているのだろう。
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