文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
August 2018

暑い盛りは猫の毛も抜けきって身軽になっている。それでも毎日ブラシをかけてやるが、毛の長さは決まっている。顔の毛の長さ、背中の毛の長さ、尾の毛の長さなど、それぞれ決まっている。これは猫に限らず、毛の生えている生き物はみんなこんなものだ、と言いたいが、ヒトは違う。
伸びるのである、どんどん。先ごろロシアのフィギュアスケーターの少女が、生まれた時から一度もヘアカットしたことがないと語っていた。その少女の髪は身長より短かったが、この先、身長を超えてどんどん伸び続けるのだろうか。
ヒトにはカーリーヘアーとストレートヘアーの種類があり、色調も様々だが、長毛種・短毛種はあるのだろうか。
実は、夏のうちに怪談を一つ、と思って毛を持ち出したのです。長い髪、女の髪。これは縄に綯(な)うこともした執念の象徴でもあります。毛にまつわる話で、怖いなあと思った怪談の骨子を一つ。
男がいる。障子を閉め切った部屋のうちにいるが、暮れてきた。昔の大屋敷である。長い廊下の右端に衣擦れの音がして女が歩いてくる気配。すぐに察した、無残に捨てた女だ。女の歩みは男の部屋に近づいたが、立ち止まることなく通り過ぎていった。ほっとした男。立ち去ったと確かめずにはいられない。しばらく息を潜めていたが、やがて障子をわずかに引きあける、左手の回廊の曲がり角を見透かすが人の姿はなかった。気が緩み廊下に目を落とした、塵一つない廊下の板の上を、あの女の自慢の長い髪が、生き物のように動いてゆく、右から左へ。終わりもなく。

幸せを抱く

東京都町田市の芹が谷公園の地続きに、町田市立国際版画美術館がある。ここは版画に特化した美術館で、版画が好きな人にとっては多分、世界一とさえ感じられるかもしれない。
なぜならご本家、日本の版画がふんだんにある上に、世界の版画展企画がたくさんあるからである。
単に鑑賞するための施設ではなくて、本格的な版画工房が用意されていて、誰でも利用できる。アトリエもあるし、暗室も腐蝕室まである。もちろん実技講座がある。
前は車でよく行ったが、最近はご無沙汰している。町田駅から歩かなければならないからなあ。
昨日、友人が初めて訪れたとメールをくれた。よかったと喜んでいる様子に、また行きたくなった。芹が谷公園にどんぐりが落ちる頃に行こう。公園は谷と名が付いている通り、起伏の多い変化に富んだ地形で野鳥の声に満ちている。
美術館の1F、庭に面して小さな喫茶店がある。ここはハンディキャップのある人たちが働いている店。
ゆーっくりテーブルに寄ってきて、一所懸命に注文を聞く。ゆーっくり持ってきてくれる。真剣に、そーっとトレイを置いてくれる。
思わず、ありがとうと笑顔を返すけど、ここで働く人たちは、いつもふわーっとした笑顔、作った笑顔じゃない、湧き出る幸せを笑顔に乗せている。
ひとの幸せって、どこにあるんだろう、どうやって手に入れるんだろう。
そうじゃない、探して追い求めるものじゃない。いかなる境遇に置かれたとしても、湧き出す幸せってあるじゃないか、ひとの心の中に幸せを生む泉があるんだな。

8月15日

8月15日。
玉音放送を聞いた直後、軒すれすれかと見えるほどの低空飛行の艦載機を見上げて凍りついた9歳の時の記憶が、どうしても8月の酷暑と重なってしまう。
天皇陛下の声のことを玉音と言い、天皇の顔のことを竜顔と呼ぶ。これが決まりだった、今は昔の出来事だ。
昔語りが多くなり恐縮だが、こんなことも覚えている。
私の子どもたちが、あの時の私の年齢であった頃のことだ、つまり一世代経ったことになる。
場所はカナダのトロントで、当時は日本人は少なく、子どもたちは現地の公立小学校に通っていた。その小学校に隣接して小さな図書館があった。
文字食い虫の私は、日本語の本がないので仕方なしに、この図書館に出入りしており、読んだ本の中に第二次世界大戦当時の記録本があった。こう書いてあった。
 1945年4月30日、ナチスドイツ総督、アドルフ・ヒットラーが自殺。戦争は終結した。しかし極東の日本は、戦争が終わったことを知らず、その後も戦いを続けた。
この部分を読んだ時の衝撃というか、唖然感というか、これは大きかった。
欧米の人々は、こういう風に受け取っていたのか、と新しいことを発見したような気持ちだった。4月30日から8月15日までの間に死んだというよりも殺された人々を思った。
ところ変われば事実も変わるということだろうか、事実、真実とはいかなるものぞや。今日まで黙っていたことですが、もう明日の命の保証もない年頃であるから、溜め込んでおくのをやめて放り出してしまおうっと。

防犯カメラ

過日の事だが、次男が小さなダンボール箱を持ってやってきた。茶を飲ませようか、コーヒーを淹れようか、とうろつく私に目もくれず、入ったばかりの玄関を出て行った。
ダンボール箱から取り出した真っ黒けの塊を上の方に取り付けている。何それ? と訊ねるまでもなく防犯カメラである事が知れた。あら、本物なんだな、だったら高かったろうに、まあ、とんだ出費をしてしょうがないわねえ、と、有り難いくせに文句を言いながら工事を見上げた。
実は少し前に地元の警察から聞き込みの警官が訪ねてきて、この界隈に空き巣の被害が出たので情報を集めているとのことだった。これにはびっくりして、たちまち取材モードにスイッチが入って質問を浴びせたが、必要最小限のことしか出さずに質問を続ける。玄関ポーチの防犯カメラを指して、あの中に記録があったら見せて欲しいと指さした。フェイク、それフェイクよ。
今度は本物だ、と大喜びだ。すごいではないか。パソコンから画像をチェックできる。守備範囲も広い。怪しいやつよ、来てみてごらん、頼りにしていた千早がいなくなって、猫の富士では当てにもできず、フェイクでごまかしていたがもう大丈夫。
事件の解決に、監視カメラが頻繁に登場する世の中になった。捜査に欠かせない機材であるという印象を受けるほどだ。
さあ、ここから先はどうなるでしょう。防犯カメラに100%寄りかかって安眠をむさぼっていることは危険ではないか。上には上、下には下があるというのが世の習いです。
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