文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
April 2020

『平家物語』音読読了

やれやれ。昨日『平家物語』日本古典文学大系上下巻 岩波書店 を読み終えた。頭注があり、本文にはルビが付いているので、原文を読むといっても楽。今日から『源氏物語』に取りかかった。
なぜまた、こんなことをしているのか。理由は体操をしているのよ、ということです。
大きく息を吸い込んで、区切りのところまで大声で読み上げる。歌を歌うのも良いが、気に入らない歌詞があると興を削ぐから、こっちの方が気分が良い。
さらに、原文だから、聴く人に意味が通じるように読む努力をする。自分が読み手であり、聞き手であるが、それでも頑張る。ページを繰る時に、間を置かない。いつページを繰ったか、気付かれないようにつなげて読んでゆく。
こうして頭を働かせることを頭の体操にしてきた。始めた日を記録しておけばよかったが忘れた。だいぶかかった感じだ。
私は原文主義で、できるだけ元の姿を読もうとしている。今回、平家物語を音読してみて、ひしひしと感じたことは、当時の発音とまではいかない、活字本に印刷されている言葉でさえ、その通りに発音できなかった無残さだ。
たとえば「高名」のルビには「かうみやう」とある。「こうみょう」ではない。「行事」は「ぎやうじ」で「ぎょうじ」ではない。「落人」を私が読むと「おちゅうど」になってしまう。「建礼門院」の院は「ゐん」だが、私は「い」としか言えない。
小さい時は、祖母から発音を注意されることが多く、井戸というときには、違う、重いゐ、と直されたことを覚えている。絵本は重いゑ、だった。絵本のゑ、とも言っていた。当時は発音できていたのだ、日常語として。
驚くべきことか、今回の音読で、これが出てこなかった。いもゐもなかった。九郎冠者義経をくろうかんじゃよしつね、としか発音できない。冠をクワンと言えない。このありさまで源氏物語を読んだらもう、メチャクチャだ。
平家も源氏も、もともとは読み聞かせていたもの故、音読する心地よさが味わえる。平家物語の巻を閉じたとき、古書と呼ばれる書籍で読んでみたいなあ、と部屋の中にいながら遠くの山、遥かな峰を望む気持ちに浸った。
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