文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
June 2013

訴状

組織に対する訴えの場合が多いように見受けるが、原告が裁判所に民事訴訟を起こす。原告の相手が名のある組織である場合にニュースになる。ニュースでは、双方を取材した結果を報道するのだが、たいていの場合、訴状を受け取った組織の回答は判を押したように同じ、訴状をまだ見ていないのでコメントしかねる、というものである。これで報道は、報道した、として終わりにしてしまう。怠慢なのだろうか、それとも一方に肩入れをしていて、コメントしかねる、というパターンで逃げ切れると読んでやっているのだろうか。報道と組織は連んでいるのではないか。真の報道であるならば、翌日なり、翌週なり、しつこく取材を重ねてコメントをとるべきだと、私は思う。なれ合いの芝居は見たくない、という気持ちから一歩進んで、報道を信用せず、その存在までをも不要と思うに至っている。

芸能人・一般人

芸能人という人種がいる。芸能界で活躍している人たちのうち、表に出て顔の売れている人たちをいうらしい。芸能界にいても、裏方さんや事務所内で働く人のことは、芸能人とは言わない。アナウンサーが芸能人かどうか、このあたりが新しい境界かもしれない。ところで一般人とは何だろう。芸能を披露する人たち、それに対して、見る側の人を言うのだろうが、なんかヘンな感じがする。

戦争と女性

慰安婦問題が大阪の橋下徹さんの発言から炎上して、ついにはノーベル平和賞受賞の女性たちからの意見も聞こえてきた。そしてあっというまに収束へと下降して、昨日今日はアフリカ問題で賑わっている。橋下さんが袋だたきにあい、記者会見でバカにされ、アメリカへ行くのを諦めて、それで問題が下火になり、やがて人の口に上らなくなる。「政治家は、本当のことを言ってはいけないんだ」と発言した与党の議員もいた。
人々が、この騒動から学んだことは、この問題を軽々しく扱って口にしてはいけないんだ、ということだったのか? いったい、これでよいのだろうか。橋下徹さんの発言に対して怒り、意見を述べることに、私は大賛成だが、どの発言者もこの問題を橋下徹個人の発言に集約していて、なんら解決への考察をせず、ただ非難することで非難発言者としての自分自身の存在をアッピールしているだけのように感じる。
どの国の人たちも、自国の歴史を背負ってモノを言って欲しい。どの国にも、戦争の時に女性を犠牲にしてきた過去があると思わないか? 浚われて、敵国の男に子を産まされてもなお、望郷の念耐えがたく、故郷に脱出したい、しかし我が子がいる、こうした引き裂かれる心の女性の物語を聞いたことはないか? いまもって拉致されたままの「めぐみさん」たちの問題の根源が、国際間の軋轢にあることを知らない人がいるか? ひとたび戦争となると、何万、何百万という男たちが殺される。この兵士たちに母がいて、どれほど悲痛な思いで涙していることか。戦乱の中、強姦され、強姦のあげく殺された女性がどれほど多くいたことか。
いっときスポットライトを当てられた問題、慰安婦問題をきっかけに一歩前進して、戦争と女性について考えを深めていきたいと思う。戦争はやめよう、と声を上げることが大切なんだと思う。 

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