文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
September 2015

今日は、言わねばならない

今日、与党は安全保障関連法案を可決した。これは歴代政権が禁じてきた集団的自衛権の行使を解禁する法案だ。前々から安倍首相がこの法案について発言するとき、私は注意深く耳を傾けてきた。彼は、同じ枕詞を使う。それは平和を守るため、国民のため、というもので、そのあとに彼の言いたいことが続く。彼の言いたいことは、総理大臣の私がいうのだから、確かです。かならずこの法案を通します。これで終わり。言いたいことは、彼の欲望とその欲望を手に入れたい、である。これだけでは短いので、間の手と枕に国民のため、平和を守るため、というフレーズを挟む。ほかにはない。空っぽ。審議を尽くしていないという不満は、全く当たらない。審議は皆無であり、欲望を言いつのるのみであった。
国民に意を尽くして説明しようという気持ちをはじめから持っていない。気にしているのはアメリカと、軍需産業でいい目を見ようと待ち構えている経済界の顔色だ。昨日と今日の、安倍という男のシャアシャアとした表情には吐き気がした。
「平和のため」「国民のため」を連呼する者に災いあれ。この衣の下に国民無視の我欲が隠されている。この題目を「軍部」がどれほど好んだかを知っている者が少なくなった。
ペンクラブも反対を表明した。瀬戸内寂聴さんは93歳、病み上がりの身体で反対発言をなさった。誰一人として私の言うことなんか存在さえも知らないだろうが、それでも私も大声で反対する。この採決は独裁だ、民主主義ではない。
選挙権を持つ年齢になった若者たち、ひとりひとりが考え始めて、自分の意志で行動を始めているように感じる。デモで集まる群衆は、組織の団体ではない。個の集結だ。いまだかつてなかったことだ。若者たちに幸いあれ。
どうせダメだからと、黙して眺めるだけの訳知り顔に災いあれ。戦争は、企てた者らは死なない。普通の人々、無名の人々が材料にされて殺される。それと戦争で最も効率のよい攻撃は、一般市民への攻撃だというのが戦争業者の常識なのだ。

アリの巣

庭にアカアリの巣があり、益々世帯が大きくなってきた。狭い庭なので彼らがいる場所はない。思い切って強制撤去に踏み切った。気配を察知して攻撃してきた。3ミリもない小さな身体で無謀にも噛みつきにくる。地中の白い卵は大量で、成虫と同じ3ミリはある大きさ、彼らは、これを安全な場所に避難させようとして運び出しにかかった。ここからが勝負の分かれ目、わたしは卵だけを狙わずに、周辺の泥も大きく取ってポリ袋にそっと移した。さらに右往左往しているアリたちをちり取りに集めてポリ袋に放り込んだ。
初めての試みだったから、これで逃げ出されたら袋の口を縛り、それでもダメだったらさらに大きな袋に入れなければ、と考えてながら見ていたら、なんとアリたちは袋の中に落ち着いており、逃げだそうとはしないのである。右往左往のアリたちは、いままでと変わらぬ姿で並んでいる卵に安心したらしく、周囲の修復にかかっていた。ここが我が家と思っているらしかった。次のゴミ収集の日になったら激変する運命を知るよしもない。
私は考え込んでしまった。人間社会でも、こんなことがあると思う。自分の乗っている地球を実感しない、日本だけを念頭に生きていて世界の出来事に、いまひとつ関心が薄い。小さな島国の日本、その国内のことであっても、自分とは関わりのないニュースとして見つめ驚くばかり。
もちろん、事件事故災害のたびに各人が走り回る必要もないが、出来事を捉え観る視野がポリ袋の内側に留まっているのではないかと思うのだ。
自分が心地よくいる部屋が、いつのまにか大きくすくい取られて、思いもしない方向へ運ばれてゆくようなことが、ありはしないか。もしも、そのような大きなシャベルを扱う者がいたとする、それは何者なのか。
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