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漂流するトモダチ

『漂流するトモダチ』副題=アメリカの被爆裁判 著者=田井中雅人・エィミ ツジモト 発行=朝日新聞出版2018年 kindle版 紙本で161頁¥1188 ASINB079ZJP96B
著者=たいなかまさと 朝日新聞・核と人類取材センター記者。著書『核に縛られる日本』ほか
   エィミ・ツジモト アメリカ在住のジャーナリスト
内容=ノンフィクション。2011・3・11.この時、西太平洋を航行中だったアメリカの原子力空母、ロナルド・レーガンは、急遽、福島へ進路を変更し、救助支援に当たった。これが「トモダチ作戦」と言われる活動だったが、その後のことは知らされていないが、9名の死者を数え、400名以上の被害者たちが原告として訴訟を起こしている。
感想=
あの時の「トモダチ」。
  福島へ急遽駆けつけてくれたアメリカの原子力空母ロナルド・レーガン。乗組員5000人の巨艦だ。一つの街の規模で、映画館、レストランなどの他に警察、刑務所もある。
 「オペレーション・トモダチ」に参加したのは空母レーガンだけではなかった、他に25隻の艦船、航空機も駆けつけてくれて、約1万7千人の兵士らが助けてくれたのだと、この本によって初めて知った。
 ヘリの往復で届けてくれていた救援物資は、艦内の兵士たちのための食料であり、衣類であり水だった。

 第1章では、この発端から始まり、放射性プルームに汚染した空母が退避するが、時すでに遅く乗務員たちは被爆。
 次第に病状は進み、死者9人を数える現状が語られる。
 第2章では、被爆して苦しむトモダチ4人へのインタビュー。
 これは、読むのも辛い有様だ。彼らの肉声が聞こえる。
 第3章は、小泉純一郎元首相との面会の時の、詳細なやりとりの記録。
 ヨウ素剤を服用しないのに、下船の際に服用したと署名しろと強要されたことなども語られる。
 「東電もアメリカ海軍もメディアも、何かを隠している」
 という小見出しの項を読むと、組織が個人に対してどれほど冷淡・残酷であるかが身にしみる。
 小泉元首相は10人の元兵士と面会したのち、記者たちの質問を受けている。
 首相時代は原発推進の方針であった小泉元首相は目頭を押さえ、そして言った、「これは、原発反対論者も、原発推進論者も、病に苦しむ兵士に何ができるか、共同で考えることだと思っています。これは人道上の問題だと思っています」。
 第4章で被爆の実態が記される。
 第5章で再びインタビュー。
 ここまで読み進んできて、溌剌とした青年たちが突然受けた被爆の苦しみ、迫る死の恐怖と悲しみ、希望を断ち切られた現在が迫る。
 現役女性士官も訴訟に参加する。訴訟に参加するまでに至る気持ちと事情は痛ましすぎる。
 最後の第6章は、裁判のこれからの展望。
 この裁判、開廷希望日は2019年5月! 
 心を一つにしたい。
 余りにも悲惨な現実だ、親切心いっぱいで助けてくれたトモダチが、こんなことに。この事を知りましょう。

無人化と労働の未来

『無人化と労働の未来』副題=インダストリー4.0の現場を行く ARBEITSFREI Eine Entdeckungsreise zu den Maschinen,die uns ersetzen 著者=コンスタンツェ・クルツ&フランク・リーガー 訳=木本栄 発行=岩波書店2018年 サイズ=190mm 234頁 ¥2800 ISBN9784000022347
著者=コンスタンツェ・クルツ Constanze Kurz 1974年東ベルリン生まれ。情報学博士。ホワイトハッカー集団 Chaos Computer Clubのスポークスマンの一人。ネット社会の自由と人権保護をテーマとするニュースブログ・ブラッドフォームnetzpolitik.org 編集員。他多々。
   フランク・リーガー Frank Rieger 1971年旧東ドイツブランデンブルク州生まれ。ハッカー、コラムニスト、インターネットアクティビスト。通信セキュリティ企業の技術最高責任者。 Chaos Computer Clubのスポークスマンの一人。他多々。
訳者=きもと さかえ 年齢不詳 ロンドン生まれ。ボン大学卒。ベルリン在住。『1000の星の向こうに』『新訳 飛ぶ教室』など。
内容=プロローグとして、日本の読者に向けて12頁にわたり解説がついている。この中に、本書の副題にあるインダストリー4.0の説明もある。これは第4次産業革命とも呼ばれるプロジェクトで、ソフトウェア、ロボットとネットワーク化による製造現場の変革推進である。
二部に分かれていて、第一部では畑からパンになるまでを現場見学ツアーに参加したかのように案内、この製品が無人化が進むロジスティクスによって、整然と迅速に消費者のもとへ届けられるまでを見せる。
第二部では、このような機械労働の影響、労働の未来を考察する。まず、運転手のいない自動車について。次に、しかし機械は人のためにあるのだ、人に対してやさしくあるためには、を考える。最後に置かれているのが「知能の自動化」だ。
この後にエピローグとして19頁があり、ここに著者ふたりの思想が織り込まれている。
感想=水車小屋から始まったパン作りが、ドイツでは今や、日に千トンの穀物を完全自動で製粉加工する。これが多種類の製品となり包装されて消費者へ届く。
これはドイツ国内の話だが、日本も同じだ。最終段階のロジスティクスも、アマゾン・ロジスティクスと付き合っていると、今やこれが当然、自然にさえ感じられる。
畑で大働きをした夫婦が疲れ切って眠っている真夜中に、屋根裏から小人さんたちが現れて働いてくれました、というファンタジーを超える働きをしてくれる今時の機械。
第一部を読んで、これが今なのだと、少しも驚かなかった。製造業だけではないことは、いまどきの銀行を見ればわかる。
第二部の運転手のいない自動車についても、ドイツも日本も同じだ、何が同じかというと、実用に至っていない点が同じなのだ。立ちふさがる難関を解決するには、と著者ふたりは、カメラ、センサー、などなど思案しているのがわかる。
この難関突破作戦の行く手に立ちはだかっているのは、安全面、事故のリスクの先にある責任や社会の判断などで、文面は機械技術から浮遊した言葉、たとえば賠償、義務、考慮、悪意、攻撃、感情的、禁止令などなどが、並んでいるというよりも、ひしめく。
最後に記されるのが、事もあろうに脳みそのロボット化である。
ここが読みごたえのある部分であり、読むだけではなく、読者が先頭に立って考えを進める必要がある部分だ。
これを詳細に語ることは、本書を読まずして内容を入手することにつながるために伏せるが、一つ例を挙げると、取材し、文章化する場合も人間の頭が不要になるという。
スポーツ記事を書く場合を例に挙げているが、野球なら野球専門、サッカーならサッカーに詳しい記者が腕によりをかけてレポートするのと肩を並べる記事になるだろう。これもまた、ドイツだけの話ではない、私にもわかる日本の話だ。
エピローグの最後に4行、ニコラ・テスラ(1856〜1943)電気技師、発明家の、次のような言葉が置かれている。
       現在、ロボットは受け入れられたものの、その性能はまだ十分なレベルには到達していない。
       21世紀には、かつての文明で奴隷が担っていた労働がロボットに取って代わられるだろう。
       1世紀のうちに、それが叶わない理由は何もなく、それによって人間は、より崇高な目標を目指せるよう解放されるのである。
より崇高な目標を持つ我が身であるか、自問しよう。

3.11を心に刻んで

3.11を心に刻んで 2019』岩波ブックレットNo.995。編者=岩波書店編集部 発行=岩波書店 2019 サイズ=210mm 112 ¥780 ISBN9784002709956
内容=20115月以降、約300名の筆者により毎月書き継がれているウェブ連載「3.11を心に刻んで」。これを毎年1冊にまとめて岩波ブックレットとして出版している。
   第1部が「3.11を心に刻んで」第2部が慰霊碑をたどる、と題した「河北新報」の連載企画。第3部が「3.11を考え続けるためのブックガイド」と題して池澤夏樹・金子勝・小出裕章・白石草・武田砂鉄・中村和恵・中村桂子以上7名が書いている。
感想=3.11の特徴は、地震と津波という自然災害と、ヒトの手によってもたらされた原発災害の、2種災害であることだ。
   岩波書店編集部の企画、毎年出す決心の『3.11を心に刻んで』に注目しつつ、ともに年月を刻んでいる。
   今号でも12カ月の11日が並んだ。各月の11日に3人が書いているから36編ある。
   ここには3年前、5年前の、と綴られてきており、今号では8年前の3.11が語られる。特に何年前の、と限定しているわけはないから、内容は様々である。
   8月に書いている安川誠二さん。北海道、アイヌについて語った最後に、文字を持たなかったアイヌは地名に、そこの地形の特徴を表す言葉を当てはめ、危険な場所を子孫に代々口承で伝えていった。と記す。
   9月の佐藤慧さんは津波で母を失い5年後に命の灯火が消えた父を思う、死と愛を噛みしめる切々とした筆致に涙が止まらない。こうして付箋をつけて行くとどのページにもついてしまう。
   我々の命には限りがある。一方、組織は不死身だ、岩波書店の編集部は不死身の力を使い、この先いつまでも続けていただきたい。
   第1部執筆のの36人中、1945年以前に生まれている人は、たったの1人だ、あとの全員は戦争後に生まれている。
   戦争体験がないので、大津波に襲われた惨状に対する受け止めようが、まさに初体験であると強く感じた。

本書への感想は、ここで終わり、あとは個人的な付け足し雑記である。
あの、三陸を襲った大津波の映像をテレビで見ていた、家が、車が、流される、蹂躙されるまま為すところもない濁流の中に、消防車も転がり流されてゆくのを見た、
その瞬間の感想……、この災害には消防車が役に立たない。パトカーだって救急車だって被害者だ。全てがやられてしまった。でも、日本の他の地域から、必ず駆けつけてくれるでしょう、消防車も、救急車も来てくれるでしょう。
そして、続いてこう思ってしまったのだ、「あの時」は、消防車そのものがなかった、パトカーも救急車も発明されていなかったし。テレビどころかラジオもない焼け野原。
いやはや、世の中変わったなあ。あの当時は「兵隊さん」なんかの姿があったら、何を命令されることやら、姿がなければほっとする、今はまあ、自衛隊の活躍がどれほどの助けをもたらしているものか、お風呂まで用意してくれるという。救援物資が送られる、おにぎりを、ただでもらえてる。

あの時は、と苦々しく思い返してしまう、あれほど強く隣組の結束が呼びかけられて、互いに助け合うようにと徹底指導されていたにもかかわらず、頼みにできるものは自分だけ。
あれは冷淡だったのではなく、体を保ってはいたが気持ちが潰れ切っていたのだと、今になって気づいている。だって、近所の誰さんたちが防空壕内で蒸し焼きになって死んでしまったと知っても、ぼんやりと聞き入っているだけで感情が動かなかったのだから。


やがて、この大津波の惨状を祖父母から聞いたことがある、という世代に移るだろう。記録を調べて知る時代になるだろう。
それでも、バトンタッチを繰り返して続けていただきたいと思う。
遠い将来に、大津波からの立ち直りは想像できるが、原発事故からの回復は、今現在の我々には考えられないことだ、そこを読みたい、津波は貞観とくくってくれても良い、福島が気がかりだ、続けてください。
人の命の長さとは尺度の違う怪物、放射能の行く先が不安で仕方がない、岩波ブックレットが灯し続ける炎に、小さな読者も燃料を持ち寄ります。

放射能測定マップ

『図説・17都県放射能測定マップ+読み解き集』副題=2011年のあの時・いま・未来を知る 著者=みんなのデータサイトマップ集編集チーム/企画・編集 発行=みんなのデータサイト2018 サイズ=A4 200 ¥2315 ISBN9784991042706
著者=東日本大震災による福島原発事故後、日本各地で立ち上がった「市民放射能測定室」のネットワーク「みんなのデータサイト」
内容=2011311日の東日本大震災に伴って起きた「東京電力福島第一原発事故」による放射能汚染の様相を、一般市民が集まり、市民放射能測定室を立ち上げて測定を続けてきた。この測定結果に基づき、可能な限り事実に忠実にまとめたもの。
   測定結果だけではなく、放射能の放出に伴い発生した問題も網羅。これらを都県ごと・テーマごとに、各測定室が中心になって執筆、これらを編集チームが編集したもの。大きく3つの章に分かれていて、
   第1章は土壌。青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県・福島県・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・新潟県・山梨県・長野県・静岡県 以上17都県を取り上げている。
   それぞれ2011年当時の基本データ(面積・人口・人口密度・当時18歳以下の子供の数と%)・地形の特色・土地の傾向・特産物・事故当時の気象データが出ている。
   地図にプルームの流れが矢印で示され、色分けした○印で
Bq/kgが示される。
   続いて、空間線量率の変化、放射性降下物に関する解説とグラフ、放射性ヨウ素による水道水汚染、放射性セシウムによる土壌汚染、野生動物、山菜、野生キノコなどの汚染状況などが詳細に示される。
   コラムの形で放射線の基本知識などが置かれている。
   第2章は食品。ここではまず、3つのことを学ぶ。事故以前の放射能汚染について。事故以前の食品・土壌への汚染の影響について。事故後の食品へのセシウムの移行と、気になる食品について。
   その上で、牛乳・米・川魚・海水魚・野生鳥獣肉・野生キノコ・山菜・出荷制限マップが並ぶ。
   ところどころに「深堀り測定室
eyes」と名付けた頁が用意されて、少し時間をかけて読み熟し理解を深めることができるようになっている。
   第3章は「放射能を知ろう」と題しての総括。
   個々のケース、チェルノブイリとの比較検討・両者の汚染区分・避難・移住の権利の比較、あるいは森の放射線汚染・薪や木炭による被曝の危険性について、年間被曝限度やがんについて、深刻化する避難者の状況についてなどが詰まっている。
感想=本書の発行を知って、読みたいと思っていたが、注文が殺到して増刷を待たなければならなかった。自費出版で、これだけ広まっているのは希有のことだが、それだけ関心を寄せる人たちが大勢いて、率直な事実を知りたがっているということの表れだろうと思う。
 実は事故直後から、神奈川県、多摩川に近い地域にある私の家の庭で雨水に異変が見られた。雨樋の下に農業用の大型容器を置き、水やり用に使ってきた、この雨水の深さ、約65センチの半分以上が黒く重い異物で埋まったのだ。
これは豆腐を崩したような感触のもので、豆腐程度の重さがあるのだろう、沈むのだが揺れている。これを植木の水として使うことをためらい、雨水用の排水口へ捨ててきた。今までに見たこともない黒い雲だ。
3月のあの日以来、夏が過ぎても冬が来ても、この現象は変わらなかった。
そして
2011年が2017年になるまで、わずかずつ減りながら続いてきた。水の中の黒く重い雲。やがて次第に減って行き、2017年夏の台風の時は、大雨が来て初めて透明な雨水が溜まったのだった。が、台風が去るとまた、黒く重い雲は水底にたまり始めた。
そして去年の
2018年の夏、何年ぶりだろう、ゴミと埃だけがある雨水がたまるようになってきたのだった。この黒雲は庭の植木の間、草花の間にも降り注いでいたわけだから、私はひまわりを植えて秋に抜き取りゴミに出した。が、ひまわりが吸収してくれただろう汚染物質は、焼却されたとしても消えはしない、灰の中に残るのだということを知っているので暗澹としていた。
毎年、鳥が運んでくる木の実が芽を出す。その中の松の芽を抜かずに育てた。3年過ぎた時、歪む幼苗の姿を妙に感じ、撮影場所を記入した画像を環境庁へ送った。アクセスする窓口を知らない者がしたことだから、お門違いだったのだろう、反応はなかった。
このような思いつきのやり方では当然の結果だろうが、単独行為に無力感を覚えた。普通に暮らしている普通の人々が力をあわせることの大切さが、この本を開くと溢れ出てくる。
こんなわけもあり、気にしている土壌について真っ先に読んだ。1リットル以上の土を採取、乾燥させて正確に1リットルにして測定する。この作業を201410月~20179月の期間、のべ4000人の市民が、3400か所以上の場所で成し遂げている。 
守りたいものは、子どもたちと、私たち自身だ。会社を守りたいのではない、国を守りたいのでもない、自分たちが手にして当たり前の、空気と水を取り返したい。

画家のブックデザイン

『画家のブックデザイン』副題=装丁と装画からみる日本の本づくりのルーツ 著者=小林真理(こばやし まり)発行=誠文堂新光社 2018年 サイズ=26cm 223頁 ¥2600 ISBN9784416718216
著者=企画制作会社(株)スタルカ主宰。アートディレクター、画家、装丁家、美術ジャーナリスト。日本図書設計家協会会長・代表理事。http://www.starka.co.jp/gallery01.html www.facebook.com/STARKA.inc
内容=日本の装本のブックデザインの中で、画家が手がけた本を取り上げた大型本。吟味された紙を用いてレイアウトも力を尽くしている。登場する画家は橋口五葉、岸田劉生、竹久夢二、恩地孝四郎、川端龍子、藤田嗣治、東郷青児、佐野繁次郎、棟方志功、中川一政など多数。
感想=ブックデザインのなかでも「画家の」である。本のサイズ、紙質の手触りなどなど、隅々にまで行き届く繊細な神経には言葉もない。
「装丁概論」は、歴史、製紙・製本・印刷技術、日本における書物の形態、書物工芸の誕生・装丁の役割・装丁の美について・装画の美について、と項目を立てての概論で「はじめに」とともに、コクのある内容で読み応えがある。
本文に入るとフォントがガラリと変化する。内容と並ぶ見所で、ハイライトと言っても良い。
このような形で居ながらにして書物芸術の極致を鑑賞できるとは、願いも期待もしなかったことだ。
ひとつだけ紹介したい。
『脳室反射鏡』式場隆三郎著 高見澤木版社1939年発行の随筆集に棟方志功の装画。特殊東海製紙株式会社が社の蔵本を提供、協力されている、今は滅多に手に入らない本の表紙が見開きページにある。
ここに記されている文章は逸品と言っても言い過ぎではない。その一部分、
「耽美主義の谷崎の作品には、快楽に支配されるがままに落ちていく人間の姿が描かれるが、それが棟方の手にかかると、人の弱さも悲しさも包み込む浄土のような世界として表現される。谷崎自身も、棟方のその温かさに救いを求めているようだ」
 これが、ひらがなに強い特徴のあるフォントを使って記される。
最初のページは式場隆三郎だが、次ページに谷崎潤一郎の作品『夢の浮橋』『瘋癲老人日記』に棟方志功の装画作品が並ぶ。
 ここに観ることのできるものは、版画家・棟方志功と作家・谷崎潤一郎と本書の著者・小林茉里、この三者の、それぞれの分野における働きと、こうして一堂に会した際に繰り広げられる相互関係が生み出す増幅作用の成果である。
棟方志功は、ここまで谷崎を理解し、愛していたのか、谷崎は、ここまで棟方を信じていたのかも伝わってくる。言い方はいろいろできるとは思う、棟方志功の力が谷崎作品に力を上乗せしている、共著とまでは言わないにしても、棟方装画を離れて歩けるだろうか、と感じることも不可能ではない。
あのビアズレーのように、著者を食ってしまうのではない、全くそうではないのだが、離れて歩けるだろうか、もしも一人で歩いて行ったら別作品に感じられはしないかと思う。
両者の手を取り、ここに連れてきた小林真理の優れた観力、読力に感嘆しつつ、その土台にある本への愛が伝わり深い感動を呼ぶ。
ここに式場隆三郎(しきば りゅうざぶろう)(1898年〜1965年 )について追って書きをします。
新潟県中蒲原郡生まれ。精神科医。専門は精神病理学。医学博士。現在の新潟大学医学部卒業、静岡脳病院長などを歴任後、1936年に千葉県市川市に精神病院である式場病院を設立した。日本ハンドボール協会会長を務めた。
一方、白樺派の作家たちや柳宗悦、バーナード・リーチと親交を持ち、文芸世界に親しんだ。精神科医として関心を持った画家たち、ゴッホ、山下清などに関する著作も多い。
山下清(やました きよし 1922〜1971)は、世間で「裸の大将」と呼ばれた放浪の画家で、驚異的な映像記憶力の持ち主だった。式場隆三郎は、彼の才能に注目して物心両面で支援を続け、世間に広く紹介した。このことが発端で障碍者への偏見に満ちた世間の眼差しに変化が現れ、障碍児教育が進むようになった。
『脳室反射鏡』には同名のタイトルの作品を含む約45編の随筆が収められており、どれもこれも逸品揃いであります。市場での入手は困難ですが、図書館で閲覧可能(以下案内)です。
国立国会図書館蔵 公開範囲=国立国会図書館内限定 図書館送信対象 遠隔複写=可 データベース=国立国会図書館蔵書 NDLデジタルコレクション

先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか

『先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか』著者=坂田美奈子(さかた みなこ)発行=清水書院2018年 サイズ=21cm 100頁 ¥1000 ISBN9784389500887
著者=1969年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程学位取得終了。苫小牧駒澤大学教授。専攻はエスノヒストリー 先住民史 北海道史。
内容=「歴史総合パートナーズ」no.5 横書きの100ページ。
皆さんはアイヌという名を持つ人々が日本に暮らしていることをご存知でしょうか。という出だしで、優しく話しかけるように始まる、いま、学校で学びつつある若い人たち向けに書かれた「アイヌが歩んできた歴史」。
はるか昔から書き起こし、明治政府の時代に至るまで、静かに整然と記されている。です、ます体の、穏やかな語りは、読む者の気持ちに染み入りやすく温かい。
いままでアイヌに対して好意と関心を寄せ、抱いてきた気持ちが、この本により、偏りなく整えられただけでなく、一歩前進し、大きな歴史の中に置いて考えることができるようになったと思う、遅いけど。
私のアイヌとの出会いは、アメリカ先住民を迂回した回りくどいものだった。白人は、なんとひどい行いをしてきたことだろう、挙げ句の果てにリザーベーションエリアに押し込めるとは! と憤慨し、ふと日本を振り向いたとき、そこにアイヌの人がいたのだった。
いろいろな縁が重なり、札幌生まれのアイヌ犬、千早とともに暮らすようになり、静内のアイヌの家族とも知り合いになって仲良くしてもらった。
あれこれと読み漁り、松前藩の行状に腹を立て、シャクシャインについて読み、銅像を見上げ、坂上田村麻呂と蝦夷について調べて悲痛な思いに打ちのめされ、極めて激しく感情的になった。私は日本人たちが許せないのだった。
しかし私は、人が人に対してした個別の仕打ちだけを追い、怒っていたのだった。本書は、シャクシャインについて一言も書いていない。松前藩が、どれほどアイヌに対して悪辣で、ずるいことをしてきたかも、具体的にな何一つ書いていない。
しかし。この本には、私が全く目を向けなかった明治政府について、記されているのだ。
(2)アイヌ・モシリはどこへ‥‥明治政府の政策 
この章は48ページから始まる中心部分だ、国の政策というものが、どれほど恐ろしい影響を及ぼすかを目の当たりにして愕然とした。
そうだった、リザーベーションエリアを発案し、作ったのはアメリカの政府だったのだし、アメリカ、ファースト! と叫ぶ大統領だって、政治の力で決めてかかろうとしている張本人だ。なぜトランプさんは、アメリカのファーストが誰だったのかに思いを致さないのだろう? 
これからのアイヌと内地の大勢の人々が、どうすれば良いか、著者と共に考えることができる本。まずは、この本から入って欲しいとつくづく思った。繰り返す、末端の、表層の部分に入る前に、この100ページを開いて欲しい。
今まで、このように整然と、感情を抜きにして、ありのままを記してくれた書物があったろうか。このように描かれている全体を見渡せば、個人が個人に対して行った差別態度への怒りどころではない、国が政策として推し広めた規制の影響の強さ、広さ、長さは計り知れないものだと身にしみる。
ということはつまり、今現在の私たちは、世界中の政治の流れを見張っていなければならず、現内閣の動静を厳しく監視し続ける必要があるということだ。
「歴史総合パートナーズ」に注目しましょう。

アゼルバイジャンを知るための67章

『アゼルバイジャンを知るための67章』著者=廣瀬陽子(ひろせ ようこ)発行=明石書店2018年 サイズ=19cm 426頁 ¥2000 ISBN9784750346724
著者=東京大学大学院法学政治学研究科博士過程他に取得退学。政策メディア博士。慶應義塾大学総合政策学部教授。著書『ロシアと中国反米の戦略』など
内容=「エリア・スタディーズ」シリーズのNo.165。本書はアゼルバイジャン共和國について、67章の見出しをつけて紹介している。巻末に参考文献。
この国は「戦略的要衝」に位置することから、厳しい対外関係の中で生きぬこうと努力している国。その歴史、政治、民族、紛争、文化。そして日本との関わりなどを紹介している。執筆者たちは、それぞれアゼルバイジャンでの仕事の実体験を持ち、研究もしている専門家で、廣瀬陽子氏の担当部分も多い。
感想=アゼルバイジャンて、どこにある、どんな国? どこにある国か、聞かれても返事できないような国の一つだ。
この「エリアスタディーズシリーズ」は、こんな時に開くと、まるで行って見てきたかのようにわかる。アゼルバイジャンは、ソ連解体を機に独立した国だった。
この国の概説・歴史・政治・民族・人口・紛争・石油・経済・外交・文化。最後に日本との関わりが出ている。
とにかく日本について描かれている最終章を開いてみた。
あら~、梅酒を売ってるって。日本文化についてすごく知っているのだ、びっくり。
難民支援の章では(株)富士メガネの金井昭雄社長が難民の視力ケアについて書いている。なんという力と、心を傾けて支援していることか、感動した。日本の支援は半端じゃないのだ。
アゼルバイジャンの大きな見どころが建築。
オイルと天然ガスなどの地下資源が土台となり、首都バクーは、建築見本市のような実験的・冒険的建築が次々と建てられているという。多数の写真が出ているが、カラーで、大判で見たかった。
カスピ海沿岸の海洋公園に建つ絨毯博物館は、巨大なぐるぐる巻きの絨毯だ!
思わず読みふけっていたら、ザハ・ハディド氏の、ありえないような曲線集合体の複合施設があった。ザハさん。そうだった、彼女が東京新国立競技場のデザインを提供されたのだった。あれを見たときは、なんという形かしらと呆れたのだったが、アゼルバイジャンに建つザハさんの作品建築は、想像を絶するものである。これに比べたら、日本向けのデザインなどは大人しいものだ。もっと活躍していただきたかった、としみじみ思う、なんという勇気と想像力を持った作家だろう。私は、建築家という職業ほどヒトと密着している仕事はないとさえ思う。建築家は哲学者でもあるとも思う。私はガウディを信奉しているので、女性建築家、ザハさんをもっと応援したかった。私はザハさんの建築を眺めるために、アゼルバイジャンに行きたい。
ここまできたら止められなくなり、文学のページへ飛び、オイル、国際関係へ、民族へと結局全部読む羽目になった。
名前について詳しく書かれていて、男性の名前、女性の名、政治の移り変わりで名付け方が変化するなど、思わぬところで、土地の人たちに直接出会ったような、興味と親しみを感じた。
ザハさんにも会えたし、リンゴが富士と呼ばれていることも分かった。
この本のおかげで良い旅をしたことを感謝しますが、実際に行きたくなってしまうところが、このシリーズの毒です。

出版の魂

『出版の魂』副題=新潮社をつくった男・佐藤義亮 著者=高橋秀晴 発行=牧野出版2010年 サイズ=20cm 237頁¥1900 ISBN9784895001298
著者=たかはし ひではる 1957年秋田市生まれ 早稲田大学卒業 上越教育大学大学院修了。現在秋田県立大学教授。著書に『七つの心象/近代作家とふるさと秋田』(秋田魁新報社)など多数。
装丁・題字=緒方修一「装丁家・緒方修一のオフィシャルサイト」があるので、お訪ねいただきたい。人物紹介は、このサイトに出ているプロフィールを丸写しした。
装丁家。アートディレクター。OLDNEWS Co.代表。1963年福岡県柳川市生まれ。新潮社装丁室を経て独立。これまで沢木耕太郎、宮部みゆき、宮本輝の書籍、小学校の国語の教科書(光村図書)、「百年文庫」(ポプラ社)、「エクスリブリス」(白水社)、「ロアルド・ダール」(評論社)などのシリーズ作品、月刊誌「小説すばる」(集英社)、「本」(講談社)などを手がける。その他、映画「カンゾー先生」のタイトル文字、雑誌「coyote」のロゴデザインなどがある。1994年ドイツの「世界で最も美しい本コンクール」で銅賞受賞。文星芸術大学非常勤講師、造本装丁コンクール審査員。
以上で人物紹介終わり。本書のタイトルの文字に惹かれたので調べたのだが、新潮社に縁のある方であった。
内容=本書は「秋田魁新報」学芸欄連載「出版報国男子の本懐/「新潮」創業の佐藤義亮」(2008年1月〜2009年3月)に加筆・修正したものである。と巻末に記されている。著者略歴も本書の奥付による。
巻末に人名索引・事項索引・佐藤義亮略年譜と主要参考文献あり。
副題にある通り、出版社・新潮社の創業者、佐藤義亮(さとう ぎりょう)の生い立ちから終焉までを辿った書である。佐藤義亮という人・「新声」発行・出版へ・新潮社の出発・展開と結実の五章編成。
本書は牧野出版から出版している。牧野出版社社長の佐久間憲一氏は1957年生まれ、1982年新潮社に入社、「フォーカス」編集担当、「新潮OH!文庫」編集長などを経て、ポプラ社で一般書の編集、Webマガジン「ポプラビーチ」編集を経て牧野出版代表取締役。
この方も装丁の緒方修一氏も新潮社に縁があり、著者は佐藤義亮と同郷の秋田生まれという縁がある。
あとがきの最後の三行を紹介します。
 執筆に当たっては、新潮社、新潮社記念文学館、秋田魁新報社、秋田県立大学図書館から、支援と協力を頂いた。そして、牧野出版の佐久間憲一社長の情熱的な勧めと上野裕子編集長の的確な助言なしには本書は成らなかった。深謝申し上げる。 紹介以上。
秋田の荒物屋の四男として生まれた男の子が、やがて東京に出てきて本の一本道を辿り進むのである。雪の国秋田。小学四年生までで十分だ、それ以上学校へ行くと生意気になると言われた時代であり、土地柄だった。この一歩から記す佐藤義亮の一生を、著者は、誠実に根気よく辿りつつ、本人の言った言葉、書いた文章をふんだんに挿入して伝えてゆく。それゆえに佐藤義亮の、まさに謦咳に接する思いの生まれる書物である。
この少年は、家業が嫌で、遠い都会に出て行ったのではなかった。荒物屋さんを経営して暮らした父、為吉は書を読むことを好んだ人だった。だから、この子の資質を見て漢籍、かな遣いなどの習得へ導いた。土台には、この父がいるのであった。この根本の部分を踏まえて進めて行く新潮社誕生、発展の姿は、どのページを開いても心打たれるものが溢れている。得てして伝記といえども著者が前面に進み出て云々するものだが、ここに著者の姿は見えない。それでいながら、なんとも暖かく親しく、敬愛に満ち満ちた空気が書物全体から香り立つのである。なんだろうこれは、と装丁家を調べ、出版社を調べた次第。
新潮文庫を立ち上げた、その第一冊目が川端康成の『雪国』だったという。雪の国の書である、どこもかしこも、心がこもっている。著者の高橋秀晴氏のあとがきで「深謝申し上げる」と、結んでいる。私は、これが好きだ。よくあるではありませんか、お礼を申し上げたいっていう言い方。言いたい、っていうの? 今言ってるわけじゃないのよね? いつ言うのよ。となるのだけど。

映画 グラントリノ

今回は、映画を取り上げます。
グラン・トリノ GRAN TORINO
監督=Clint Eastwood
制作=Clint Eastwood  BILL gerber   Robert Lorenz
脚本=Nick Schenk
原案=Dave Johanson  Nick Schenk
主役=Clint Eastwood
Trey
役として Scott Eastwood Clint Eastwoodの一番下の息子
音楽=Kyle Eastwood  Clint Eastwoodの一番上の息子
Michael Stevens
 Jamie Culum
2008
12月 Warner Bros.Pictures 制作国=USA 116分 英語 

ストーリーに感想を交えて=
 長年勤めたフォードの工場を引退し、妻に先立たれたウォルト・コワルスキーは、二人の息子夫婦と孫に感情を逆なでされて苦々しい。犬のデイジーとだけ仲良くして独り住い。
朝鮮戦争の帰還兵である彼は、戦場で人を殺した重い記憶が胸底に沈んでいる。意固地な老人は、このままでは死ぬに死にきれない罪の重圧を、どう解決して良いのか自分でもわからない。愛し、頼りにしてきた妻でさえも、夫の苦しみを取り払ってやることができずに、懺悔して、の言葉を神父に託して死んでいったのだ。その神父ときたら神学校出の若造で、教科書通りのセリフでしつこく彼につきまとう。これも苛立ちの種だ。

高齢にはなったが、一人暮らしで困る種などあるものか。芝生の手入れ、愛車の手入れも完璧だ。
この素晴らしい車が、タイトルにあるグラントリノ。
主人公がお宝にしているのは
72年型で、画期的なモデルチェンジ、魅力のフロントフェイスが度々登場する。
腹立たしいことは、隣家に居ついたアジアの原住民、モン族の一家だ。
彼らは、この辺りの白人はみんな、アタシらを嫌って引っ越したのにアンタだけ引っ越さないんだね、みたいな目で、この老人を眺めている。
この大嫌いな一家との偶発的接触から、やがて彼はここに死にゆく安らぎの小道を発見する。見かけは、彼がモン族一家の中のパッとしない若者を助ける、教える形だが、実はその行為が彼を救いの道へ導いてゆく。
この老人のよりどころ、つまり日常生活での頼りとするものは銃である。
怪しいぞ、と気配を感じた瞬間、腕を伸ばして掴むのが銃である。ここに登場する銃が
M1 Garandだ。
セミオートマチックのミリタリーライフル。 30口径。朝鮮・ヴェトナムの戦闘で使用。単にM1と呼ばれる。
おお。すごい銃だ、これがガンロッカーに格納されていなくて、手の届くところにあるのだ。これがアメリカだ。
グラントリノとともに、
M1はラストシーンでも活躍する。この活躍こそ、この作の目玉といってよい、幻の登場シーンだ。監督の、銃に対する現在の精神だと思う。
つい惹句を弄し仔細を語らないのは、観ていただきたいが故に、露わにすることを惜しんでいるのである。
一昔前のクリント・イーストウッドだったら!
彼は堂々自力解決、胸のすくような形でラストシーンをやりおおせていたのだ、しかし。
今、この老人は、最後の最後を、あまり好きではない警察の力を借りる判断をする。耐え忍んで警察の力に委ねるのだ。
人は、どんなに力んでも自分一人で死ぬわけにいかないんだ、という、強き男として認めたくないが受け入れるしかない苦渋をも滲ませる。
本作には、キリスト教、神と罪についての理解が必要不可欠。
主人公の精神的クライマックスである(若造の神父に、老人が懺悔をする)シーンは、キリスト教を知る人々に、どれほど強い感動をもたらすことだろう。異郷の輩、私でさえも胸が締め付けられる。

描きにくい強き男の終末期を、これほどまでに描きおおせたとは、敬服するしかない。
選びぬかれた小さなエピソードシーンの数々は、脚本を書くにあたり、人物設定の際の主人公や神父の人種設定をはじめ、周到な計算が尽くされていることが、ひしひしと伝わってくる。
それぞれ独立して活躍中の息子さん二人が協力、参加していることも良いかな、であった。
これは、彼が
78歳の時の作品で、この後「ハドソン川の奇跡」2010年・「1517分パリ行き」2018年を作っている。1930年生まれですから、すごいことです。

核戦争の瀬戸際で

『核戦争の瀬戸際で』My Journey at the Nuclear Brink 著者=William.J.perry ウィリアム・ペリー 訳=松谷基和(まつたに・もとかず)発行=東京堂出版2018-01サイズ=128X187mm 320頁 ¥2500 ISBN9784490209785
著者=1927年アメリカ・ペンシルベニア出身 第二次世界大戦後に米国陸軍の一員として東京・沖縄に滞在。沖縄本島北部の地図作成に携わった。復員後にスタンフォード大学・大学院修士課程(数学)を卒業。ペンシルベニア州立大学博士課程(数学)終了。1964年、防衛関連企業ESLを創業。1977年、カーター政権の国防次官(研究・エンジニアリング担当)に就任。1993年、クリントン政権の国防副長官、’94年、国防長官。妻と5人の子供がいる。退任後も、「核なき世界」を実現するために活動を続けている。
内容=自伝。この自伝は、初めの一行目から全ページを通じて「核兵器による破滅」について、全世界の一般の人たちの認識を高めようという強い願いを込めつつ書いている。
感想=
ペリーさんは、2017年、90歳の時に、この本を書いています。評判の高い本で、多くの国々で翻訳され、日本では今年1月に発行されました。
浦賀に「黒船」がやってきた、あのとき黒船を率いて来航したペリー提督、この人は5代前の伯父さんだそうです。
そしてこのペリーさんは、経歴にあるように、大学に入る前の青年時代に終戦直後の1945年に沖縄に派遣され、広島、東京、沖縄と、戦争の傷跡生々しい姿を目にしたと言います。この時の衝撃が非常なものであり、ページのあちこちに、日本の悲惨な姿を思い返しては記し、核は、絶対に使ってはならない、と強調しています。朝鮮戦争の時にマッカーサーが核兵器を使うという提案をしたことを阻止した出来事も記されています。このくだりを読み、そうなのか、マッカーサーはもちろん、原爆の被害地を訪れたことと想像しますが、原子爆弾を次の戦争でも使おうと考えた人だったのだなあ、そういう感性の人も人間なのだなあ、と思いました。
戦争が終わってからスタンフォード大学に入り勉強し、やがて国防次官、国防長官と歩みを進める自分史の足取りを記すと同時に、当時の軍事世界の足取りを辿って行きます。
そこには歴史が動く瞬間の現場に居合わせた人物だからこそ描くことのできる迫真の場面が登場して、思わず身を乗り出してしまう空気に満ちています。例えばゴルバチョフ失脚の件は興味深い、描きようによっては一大ドラマでしょう。しかし彼のスタンスは人間関係の駆け引きなどには向けられず、常に本質を見極めようとする骨太の精神に貫かれているように感じます。
歯に絹を着せず、これは評価する、これは間違っていた、とはっきり書いているところには、自身の言葉に責任を持つ潔さと靭さがあります。
ペリーさんの2度目の沖縄訪問は1996年、海兵隊員が沖縄の少女をレイプした事件への対応のためでした。詳しい記述の後に「私はこの問題で最も影響を受けている人々に直接会ってみたかった。米軍のリーダーや、日本の政治家の助言に従って判断することは避けたかった」と書いていて、誠実さが伺われます。
25章を書き終えて、26章が終章、このタイトルが「日本ーー私の人生を変えた国」。
最後に沖縄を訪れたのは2017年。この本を書き終える直前です。ペリーさんは90歳になっても、極東の日本の、沖縄を気にかけてくれていて飛行機に乗って飛んできたのです。私たち日本人は、どれほど沖縄の心を思いつついるでしょうか。
最新の状況は、と見るに「その後まったく何の行動もとられておらず、基地周辺の住民との摩擦についても、1996年以降、ますます深刻になっていることを知り、非常に心苦しく思った」と記しているのを読んで、私は単に尊敬の念を深くするだけではなく、魂の部分に据えられている宗教的精神を思わないわけにはいきません。ペリーさんがどのような宗教を信じているのか、何もないのか、全く知りませんが、信仰のあるなしに関わらず、神と呼ぶかなんと呼ぶかはともかく、神の手に触れれつつ生きる人のように感じます。
ここには、日本についての記述を取り上げましたが、他の国々についても同様の目配りと、核なき世界への努力を続けてきたことがわかります。
核兵器による破滅の危険度は、今現在が最も高まっているという事実を受け取りたくない、知りたくない、目先の「見た目の平和」という心地よい風呂に温まっていればいいんだ、という人々の意識をどうにかして高めたい思いが溢れています。

これが人間か

『これが人間か』副題=アウシュヴィッツは終わらない SE QUESTO E UN UOMO 著者=プリーモ・レーヴィprimo Levi 訳=竹山博英(たけやま ひろひで) 発行=朝日新聞出版2017年 125X185mm 314頁 ¥1500 ISBN9784022630650
著者=1919年イタリア・トリーノ生まれ イタリア系ユダヤ人 化学を学ぶ。1944年2月アウシュヴィッツ強制収容所に送られてゴム研究所で働く。1945年1月末 ソ連軍により解放された。イタリアから650人がアウシュヴィッツに送られ、生還できたのは23人だったと言われる。帰国後塗料会社で働く。1987年自宅のあった集合住宅の4階から飛び降り死亡。
訳者=1948年東京生まれ 東京外国語大学大学院ロマンス系言語専攻 現在立命館大学名誉教授 若い頃にイタリアでレーヴィ氏の元へ繁く通い、その謦咳に接したという。
内容=1980年に朝日新聞社から刊行された『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版。原書は1947年にデ・シルヴァ社から刊行されたが、読者を得ることなく忘れられていた。強制収容所から自宅に帰着直後から、本書の執筆にとりかかったという。
巻頭にドイツ周辺の地図があり、ナチ統治下の主要強制収容所及び抹殺収容所、付属収容所、労働収容所の位置が示されている。一編の詩から始まる本文は、捕まえられて運ばれてゆくところから、飢えと渇き、寒さ、不潔さ、病気、そして死にゆく人々の日々が刻まれる。巻末に年表と竹山博英の解説。
本書は現在34ヶ国語に翻訳され、ル・モンドの「20世紀の100冊」、デイリー・テレグラフの「110冊の必読書」などに本書の名がある。レーヴィが世に知られるようになり、本書が読まれ始めたのは、彼の死後のことだった。
感想=刻み込むように記される収容所の様相。同時に彼が見つめるのは、追い込まれて変化してゆく囚われた人々の心の姿だ、自分自身の気持ちと行動の変化も含めて描かれる。その強靭な精神力には圧倒される。
ここには大げさな形容詞も感情の吐露もない。それゆえに読む側に食い込んでくる、これが人間のすることか、の思いである。人間が人間に、実際にしたことが文字として刻み込まれている。
ドイツ周辺の地図がある。黒丸が主要強制収容所・抹殺収容所、灰色丸が付属収容所と労働収容所だ。地図は、ほとんど黒と灰色の丸印で覆われている、その数を思い息を飲んだ。
生きながらえて収容所を出た人たちの中で、何人もの人が自殺している、と訳者が書いている。巻末の訳者、竹山博英氏の解説は、必見の部分である。

ストーカー

『ストーカー』副題=「普通の人」がなぜ豹変するのか 著者=小早川明子(こばやかわ あきこ)発行=中央公論新社 2017年 中公新書ラクレ 214頁¥800 ISBN9784121506061
著者=1959年愛知県生まれ NPO法人「ヒューマニティ」理事長。ストーカー、DVなど、あらゆるハラスメント相談に対処している。1999年に活動開始以来、ストーキングの加害者500人以上のカウンセリングを行う。
内容=実例4件を挙げて解説。ストーカーの定義と危険度について、新しいタイプのストーカーたちについて、ストーカーをカウンセリングして見えてきた彼らの心の中、警察と法律の限界について、ストーキングは治療できるのか、という問題などが章ごとにまとめられている。最終章のタイトルは、「なぜ私は介入し続けるのか、元ストーカーに励まされて」という題で、著者が近々と読者に語りかけている。
巻末に、資料として「都道府県ストーカー問題解決支援センター 試案」と、補足として「医療保護入院」について、参考文献・資料が付いている。
感想=ストーカーなんて、自分には関係のない特殊なことなんだ、と思いこんでいた。事件が報じられると、ストーカーって怖いなあと感じる。それだけだった。
興味本位で開いた本だったが、これは正しい知識を皆が共有する必要がある、他人事ではないと、強く感じた。
著者の小早川さんは、かつてストーカーの被害に遭った経験があるそうだ。そうであったか、と読んでゆくうちに小早川さんは、自分自身の過去を振り返ってみているうちに、なんと自分がストーカーだったことがあったことに気づいた、と書いている。さらにその時、どうやって抜け出したかも思い出して記している。これは情報の搔き集めではない、著者の全てを投入して、裸の心で読者に話しかけている本だ。私は〜思います。と言い切る形で記す態度から、ストーカーから救いたい、加害者も被害者も救いたい、という著者の熱情が伝わってくる。責任を持った潔い発言態度に感動した。昨今、「〜ではなかろうか」「〜と思われる」みたいな歯切れの悪い書き方が目について気色悪い中、実に気持ち良い。
ストーカーを5つの類型に分けて解説、分析し、レベルを図解してあり、全体像が明確に把握できる。ストーカーとは安珍清姫のような、恋の想いが届かない相手を追いかける姿だと思っていたが、とんでもないことだった。恋愛だけではないのだという。親が子へ、子が親へのストーキングもあるという。先生と生徒、医者や弁護士、どこにでもありなのだった。さらに現在はSNSなど姿の見えない相手に対してもあるのだ。
しかも、ストーキングの核というか発芽可能な種子は、どんな人間でも心の奥底、意識下に眠っているものであり、ふとしたはずみで意識下において発芽し、意識下において発動する。ストーカーという表だった行為のエンジンとスターターは、なんと意識下にいるのだった。だからいくら止めようと意識上の気持ちが考えてもエンジンは止まらない。という風に私は理解した。
これは是非、ストーカーなんて他人事だ、と思っている「その他大勢」の方こそ知識と情報を持ち、助ける行為に踏み出すことができるようにすることが必要ではないか。
警察、NPO法人「ヒューマニティ」のような機関、精神科医などについても詳しく記されているので、助けを求めようとするとき、この本は役に立つ。
また、相手を傷つけないで、しかもはっきりと断る言葉の使い方が、実例で示されており、これはとても良かった。はっきりと伝えなければならない言葉、含めてはいけない表現などが、具体的に学べた。
拒絶型のストーカーには、弁護士もいるし、精神科医もいる。一方で、農業や漁業に従事している人に私は会ったことがありません、という小早川さんの言葉には考えさせられた。

これからの日本、これからの教育

『これからの日本、これからの教育』 著者=前川喜平(まえかわ・きへい)・寺脇 研(てらわき・けん) 発行=筑摩書房2017年・ちくま新書 270頁 ¥860 ISBN9784480071064  
著者=前川喜平1955年奈良県生まれ東京大学法学部卒79年、文部省(当時)へ入省。2016年文部科学事務次官、17年に退官。現在、自主夜間中学のスタッフ。
   寺脇研 1952年福岡県生まれ東京大学法学部卒75年、文部省(当時)へ入省。2002年文化庁文化部長。現在、京都造形芸術大学教授。著書『文部科学省』など
内容=文部官僚として新卒以来働いてきた両人が教育をめぐり、日本の未来を見据えながら語り合う。
感想=
人と生まれて、どこでどのように道が分かれるのだろう、行く手は二手に分かれて行く。
   一つは、自分自身の幸せ、家族、仲間のために精を出す道へ、
   一つは、他者の幸せを思わずにはいられない人の道へと進む。
この二人は、日本のこれからを考えずにはいられないのだ、教育は20年単位で見とおすものだと、繰り返す。現場に立つ重要さが繰り返し語り合われる。お二方とも進学校育ちで文部官僚へと進んだ、丁寧に育成された子たちであったから、その他大勢の同時代の少年とは付き合いがなかったのだ。文部官僚となってから始めて、さまざまな環境に生きる中高生たちに出会った、書類の上ではなく、現場に足を運んで向き合ったことに大きな意味があったのだった。この時の驚きと発見、現場から学んでゆく素直さと積極性が印象的だ。
さまざま語られる中で驚いたことは、各種のマイノリティの人々の%を合計すると50%、全人口の半分にもなるということだ。このような把握と分析は、文科省あってこその収穫だろう。とはいえ、前川氏個人の働きであったが。
前川氏と寺脇氏の視線は、水の流れのように小さき者、弱き者に集まり、話題が盛り上がってゆく。この心のベクトルは、ノーベル文学賞受賞のベラルーシのジャーナリスト、アレクシェーヴィッチさんと、そっくり同じだ。
今、在日2世は3世、4世の時代だそうだ。彼らのよくない行動には苛立ちを覚えるが、本書で話し合われている考え方を熟読してみて、あ、あっと思った。この見方は大発見だった。20年単位での教育だ。日本で生きる運命を背負った若者を、心込めて育ててゆくことが、平和への、幸せへの、通路なんだと身にしみた。ブラジル日系人が日本を訪れたとき、自分自身を異邦人と感じる、このことを思ってみよう、と語るのである。
こうした想像力は、今日から、今から、誰でもできる心の持ちようではないか。反発や反感から平和という種は発芽しないということだ。
これは前川さんと寺脇さんが向かい合って話し合っている、というよりも、二人揃って日本の国民に向かって話しかけている本だ。
ゆとり教育についても語られている。
前川氏は言う、「近代以降の、日本の教育の流れを見ていくと、大正自由教育が花開いた時期もあるし、戦後は戦後で、教科書の知識を覚えこむよりも、学習者の経験こそが大事だとする経験主義的な教育が広がりを見せた時期もあって、意外と多様なんですね。こうして振り返ってみると、一人ひとりの個性、自主性を伸ばしていこう、大事に行こうという考え方は連綿と続いていて、なくなりはしない。揺り戻しの時期があってそれが抑え込まれることはあります。ですが、そうしたことを繰り返しながら、少しずつ進歩していると、私は思いたい。「ゆとり教育」も、じつは昨今のアクティブ・ラーニングにつながっていると、私は思っています。」(紹介、ここまで)
この、学力低下の元凶と罵られる「ゆとり」については、意図する本質と「ゆとり」というネーミングが、あまりにもかけ離れており、これでは理解されずに終わったのも当然かと残念に思った。
肝心なことは、はじめに「個」があり、ついで「公」があるという思想だ。ヒトが集団を作って生きる生き物、アリやミツバチと一緒だ、みんなで生きてゆく生き物である以上、「個」だけでは生きていかれない、組織が大切なんだけれども、どっちが先かというと個なんだ、個あって始めて公があるという考え方が基本にあるのだった。
寺脇氏が小渕内閣当時のことを語っている中で、こう話している。「小渕総理は、何より個人の尊厳を大事にする人でしたね。(中略)そうそう。大切なのは「個と公」であって、「公と個」じゃないということが言いたいわけです。自民党の考え方の根っこは、基本的には「滅私奉公」。この言葉が大嫌いで、でも逆に「滅公奉私」というのもいかんと。」(紹介、ここまで)
これは当時の官邸と文部省の間が接近しており、互いの考え方を付き合わせ醸成していったものと想像する。ところが小渕総理が急逝、森喜朗に代わってしまったのだった。ああ。
自由と規律。これが教育の本質に迫るものであり、これこそ真の教育、これさえできればいうことはないというハイレベルなものだったと理解した。ゆとりという言い方だけが広まり、この3文字に寄りかかり誤解して捨て去ったことが、返す返すも残念だが、アクティブ・ラーニングに希望をつなごう。
本書は、教育の場に立った大型の日本論、日本の未来展望の書。

河合隼雄氏と村上春樹氏との特別対談(1998年文藝春秋誌11月号「麻原・ヒットラー・チャップリン」)の中に、関連部分がある。以下、紹介しよう。
村上=日本人というのは本当に自由を求めているのだろうかって僕はときどき疑問に思ってしまうんですよね。とくにオウムの人たちをインタビューしていると、それを実感しました。
河合=いや、日本人にはまだ自由というのは理解しにくいでしょう。「勝手」ちゅうのはみんな好きやけど。自由というのは恐ろしいですよ。
村上=だからオウムの人たちに「飛び出して一人で自由にやりなさい」と言っても、ほとんどの人はそれに耐えきれないんじゃないかという印象を持ちました。みんな多かれ少なかれ「指示待ち」状態なんです。どっかから指示があるのを待っている。(中略)
河合=それこそフロムやないけど、『自由からの逃走』やね。だから小さいときから、自由というのはどれほど素晴らしいことで、どれほど怖いことかというのを教育することが、教育の根本なんですよ。それを本当にやって欲しいんですが、なかなかそれができなくてね。(紹介ここまで)
およそ20年前に、教育と自由について語られていたことを併わせ載せることで、改めて日本人と自由について考えを深めるよすがにしたいと思います。

手を洗いすぎてはいけない

手を洗いすぎてはいけない』副題=超清潔志向が人類を滅ぼす 著者=藤田 紘一郎(ふじた こういちろう)発行=光文社2017年 光文社新書 222頁 ¥700 ISBN9784334043285
著者=1939年旧満州生まれ東京医科歯科大学卒 同大学名誉教授 専門は寄生虫学、熱帯医学、感染免疫学。日本寄生虫学会賞ほか受賞多数。著書に『
こころの免疫学』など。
内容=なぜ手洗い、うがいをしているのに風邪をひくのか。清潔志向がアレルギーを増やしている。綺麗好きをやめれば免疫力が強くなる、などを説く。
感想=手を洗いすぎてはいけない、というタイトルを見て、読み違えたかと思った。家に帰ったら、まず手を洗う。電車のつり革はぶらさがらない、よろめいてもこらえよう。あっちにもこっちにも、すごいバイキンがいるのだ。
これが今時代の常識なのだから、真逆のことを言われたって、な〜〜
しかし、まあ、よくいる友達付き合いみたいに、そうよね、そうよねぇ、と同じ意見の「お友達」とだけ付き合って「お友達」だけを大切にしているのって、バカが手をつないでいるようなものであるから、真逆意見には反射的に飛びつくのであります。
自分が清潔人間かどうかのチェックリストが出ています。全部で5項目なのでここに紹介しましょう。○トイレのたびに、石鹸でゴシゴシ洗う。○冬場のうがい薬は欠かせない。○ウオッシュレットがないと不安。○子どもを砂場で遊ばせたくない。○マスクをして風邪を予防している。
そうか、マスクは一箱買ってあるし、ウオッシュレットだし、と吟味する。読むうちにショックなことが書いてあった。それは、今時代の人たちの大便の量が昔の人より減っているという、大便の話題のところに差し掛かった時だ。なぜ、少量になったかというと、それは消化の良いものを食べて、野菜の食べ方が少ないと思うだろうが、それは違うのだそうだ。減っている原因は、腸内細菌が減っているせいだというのである。腸には100兆個の腸内細菌がいて、重さにして2キロある。この細菌たちが害どころか、ためになる働きをしているというのだ。大便の60%が水分、20%が腸内細菌と、その死骸で、15%が腸から剥がれた粘膜など、食べ物のカスは、たったの5%ですって。これは思ってもみなかったことで、次々とひきつけられて読んでしまった。
この細菌たちの、あるものは害もするのだから、それはやっつけなければならないが、体のためになる働きをしているものもたくさんいるという。この働き者の細菌たちの役割を認めないで、徹底的にすべての細菌を消滅させようとするのが、今の進んだやり方なのだそうだ。これを徹底してゆくと、アレルギーもアトピーも、増える一方だという。なるほど、そうであったか。綺麗なら、綺麗なほど良い、と思っていたけれど、それでは一つ、まずは手洗いを簡単にしてみましょう〜。しかし、いったん身につけてしまった清潔モードは、一朝一夕には変えられないところが辛い。やっぱり、玄関ドアを入ったら、すぐに石鹸で手を洗ってしまう。私は固形石鹸で最初に洗い流し、改めて殺菌用のフォームで念入りに洗う。この後でないと、そこいら辺に触れない。汚いのを綺麗にすることはできるが、綺麗なのを汚くするのは、ひどく難しいものだ。

歌丸ばなし

歌丸ばなし』著者=桂 歌丸(かつら うたまる)発行=ポプラ社 2017年 ¥1200 245頁 ISBN9784591156339 サイズ=19cm
内容=江戸を舞台にした人情話、滑稽話を8席収録。各噺の後に、裏話などを含めた随筆が載っている。
感想=日曜日の夕方に15分間放映する「笑点」で、長い間親しまれてきた歌丸師匠の語りが、読んでいるうちに声となって聞こえてくる。落語は寄席に行って聞くのが一番だけれど、読むうちに声が聞こえてくるような錯覚に陥る本。
嬉しいのは初っ端から生粋の東京弁であることだ。ありがたい、嬉しい、と涙が出る。全く、見事に一本、筋の通った江戸前である。ありがたい、宝である。リズミカルで調子良く、スッキリ流れるうっとり感、下世話な話でも品があります。私は汚いのが大嫌い。
最近のこと、円朝全集を買って暇暇に読んでいる。これはまた見事で日本の宝ですが、情けないことに私には手の届かないところがたくさんある。学ぶところがふんだんにあります。
良かったのは、「噺のはなし」という題で、それぞれの話の後に書いている随筆。ここに裏話や、解説などが書かれている。元の話はこれこれだが、サゲを変えた、ということなどが書かれている。これは一種の創作談義ともいうべきもので、読みようによっては重要な鍵が各所にある。
師匠はこう書いている「落語は、サゲを言いたいためにやっているようなところがあるんです。サゲをどうするかしょっちゅう考えますが、机に向かっていざやろうとしたって、まずできません。風呂に入ってぼーっとしている時とか、トイレに入っている時とか、ふいと出てくることがある。」
これを読んで、アガサ・クリスティを思い出した。クリスティが同じことを書いていて、料理をしながら考える、というのは私はできません。(アイディアを)思いつくのはお風呂に入っている時……。
これは確かにその通りで、ぬるめのお風呂に首まで浸かっている時が最高だと、私も思います。お料理は、テレビを横目で見ることはあっても、頭を他に使うことは無理ですね。
また、歌丸師匠は、こうも書いている、「芸は人なり」と言いますが、芸の中に演じ手その人が出るものです。人情味があれば人情味のある芸ができるし、薄情な人間には薄情な芸しかできません。同じ噺でも、そこで大きな差が出るんじゃないかと私は思っています。(引用ここまで)
作者の人柄と作品という話だが、これには強く同感します。
ここから話題が小説に移ってしまうのですが、小説でも同様と感じます。技術は必要、技術が無ければどうにもなりませんが、かといって技術が優れているだけでは、どうにもならない。
これは音楽でも絵画でも同じじゃないかと思います。以前、佐藤しのぶさんが、歌を歌うということは自分をさらけ出すことで、裸になるより恥ずかしい、と書いていられました。ただの裸なら、服を脱いだだけのことですが、裸になるより、もっと裸ということは、内臓まで、まさに五臓六腑まで露わになるということですから。だからこそ、受けて聴き、受けて観、受けて読みして、我が五臓六腑に染み渡るのですものね。受ける側の心が動くって、生半可のことじゃない。
受け手とは随分なわがまま者だと思います。私自身を受け手として、そう感じます。例えば往年の名歌手、美空ひばり。聞き惚れて胸に染み渡るひばりの歌は、ちょっとやそっとのものじゃない、非の打ち所もない。と、わかっていても私にとってはお付き合いのない家の庭石としか言いようがない。
それは内臓まで聴こえるからで、その五臓六腑が私とは接点のない、縁のない世界の肌あいだからです。で、わがままな私は、なかなか肌の合う歌手に巡り会えないので、いますけれど次々には現れないので、初音ミクがいまのお気に入りとなっている次第。
小説となると、読み手の読む力が問題で、力量のある読み手が少ないために難しいのですが、本質は歌丸師匠の言葉そのもの、それ以上でも以下でもない、そっくりその通りと思います。噺家でも、歌い手でも、演奏家でも、描き手、書き手でも、その人がどう生きているか、にかかっている。
性根の曲がったやつは、どう書いたって曲がってる、それでも買う奴がいるのは、同じ根性のやつらが大勢いるから。貧相な人は、富豪を書いても貧相さが出る。すぐれた作品だから評価しているのではなく、作家の内臓の部分に共鳴するのです。
若い人たちはむしろ、経験が浅いだけに感覚が新鮮で、持って生まれた嗅覚によって見分ける力を発揮します。だから、若者が読みかけで放り出したとしても、放っておいたほうが良い。根気がないのではないかもしれません。ある程度の年齢になっても噂を頼りに本選びをするような者は、読んでも読まないでも同じの人たちでしょう。
噺家で、お名前が、ちょっと出てこなくて申し訳ございませんが、こういうことをおっしゃっていられます、「広い世間にたった一人、おれの芸をいいといってくれる人がいる。それを目当てにする。所詮それがこの商売の真実だ」




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