文房 夢類
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文房 夢類

プライヴァシーの誕生

『プライヴァシーの誕生』副題=モデル小説のトラブル史 著者=日比嘉高(ひび よしたか) 発行=新曜社2020年 サイズ=128X210mm 308頁 ¥2900 人名索引・モデル問題関連年表・初出一覧・注 ISBN9784788516854
著者=1972年愛知県名古屋市生まれ 筑波大学大学院文芸・言語研究科修了。博士。アメリカ2大学客員研究員ののち、名古屋大学大学院文学研究科准教授。著書『今、大学で何が起こっているのか』ひつじ書房他
内容=明治時代の内田魯庵から始まり大正、昭和と時代を下りながら、モデル問題で世間を賑わせたというか話題になり、裁判にもなった 作家たちと、その作品、裁判などでの評価を検証する。最後に、現在のネット社会の個人情報の取り扱い方、プライヴァシー、表現について考察している。
感想=明治時代、文明開化の世の中となり、西洋からどっと入ってきた眩い諸々に幻惑されつつも必死で吸収していった、その時に文学の風潮もまた小説家たちを新しい波に乗せた。絵画も然り。
   が、今になってハタと気付くことは、誤訳的導入をしていた部分があったのではないかということだ。
   例えば絵画でいうと印象派。これがあたかも西欧絵画の主流であるかのように感じて吸収したが、実は多々ある中の一派でしかなかったという話を聞く。小説書きの世界でも、田山花袋が愚直に実行した、あの自然主義。
   見たものを見たままに文字にするという手法が、文明開化以来、金科玉条のごとく信じられ実行されてきていたと私は思う。純文学系の同人誌のほとんどが、今世紀に至ってもなお、大真面目に守っている。
   私は今朝、何を食べたか、我が家の犬が、こんな芸をしたなどの身辺雑記を書いていたのが、やがて自分の家族の事情、恋人、友人のことも、と視野を広げていった。
   自他の区別が明確に意識されていない古世代の作家たちはもとより、俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの、みたいな意識の作家が世にまかり通っており、彼らの目に触れる近間の題材を文字にしては売ったのであるから、たまったものではない。
   個人の意識を明確に持っていない人々が、大手を振って歩く時代だった。これに、噂話が大好きな読者が飛びつく。商業誌も、映画スターやスポーツ選手の個人情報を取り上げる。こうして、この世は覗き見大繁盛となったのである。
   本書は、何人かの作家と、モデル問題でやり玉に上がった作品を取り上げ、その裁判の際のコメントも出して検証する。
   世の中の進歩、変革は、常に科学の進歩によって否応なく牽引されて変化するものであり、文学世界もこの流れには逆らえない。インターネットが一般的になり、利用せざるをえない必需品となった。
   第8章までは、三島の『宴のあと』柳美里『石に泳ぐ魚』などが取り上げられていたが、終章では、自己情報管理の問題を取り上げている。これは、高速進化する科学に引かれゆく姿である。 
   ネット社会の波間で、個人プライバシーは、どこまで安全で、どこまで保護されるのか? 
   指先操作だけで拡散・攪拌される情報社会に日夜棲息する大衆、筆者自身も含む大衆は、翻弄される自覚もないままに自分自身の魂までもが膨大な情報と合体攪拌、溶解され、もはや異質の溶解ならぬ妖怪に変化、ならぬ化学変化を遂げつつあるのではなかろうか。
   私見の戯言はさておき、プライバシー問題は、作家と、作家に目をつけられた人物という関係枠を消滅させ、個人情報という万人向けのフェンスによって守られる時代となった。これは歓迎すべき、良い進歩だろう。
  

人事の古代史

『人事の古代史』 副題=律令官人制からみた古代日本
著者=十川陽一   ちくま新書 1497   ISBN9784480073112 ¥860  発行=2020年 
著者=1980年千葉県生まれ 2009年慶応義塾大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(史学)山形大学人文社会科学部准教授を経て、現在慶応義塾大学文学部准教授。
著書=『日本古代の国家と造営事業』『天皇側近たちの奈良時代』ともに吉川弘文館。
古代日本において、国家を運営するうえで律令官人制という仕組みが作られ、緻密な評価システムに基づいて天皇を中心とする官人統治がなされた。
そして政治が動き出し、官人の差配も変化し、報復左遷や飼い殺しのように見える人事もまかり通るようになったのだ。では、その実態は後のようなものだったのか?
人が人を管理するうえで起きるさまざまな問題を取り上げ、古代日本の新たな一面に光をあてる。
と扉裏にある。

1980年代生まれの学者が登場する世の中になった。
図表、写真、地図、グラフが必要に応じて提示されて理解を助ける。従来は文章によって表現されてきた内容の一部が、これらによって視覚化され、分かりやすい。
内容が古代律令制だから、それに似合った文章か。カタカナが多用される。
ぱっと、任意のページを開いてみよう。94ページが出た。こんな風な文章だ。
  たとえば「散位は、ポストに欠員がない場合~」
  「六位以下は、散位寮という官司に分番(パートタイム)で出仕するように。」
  「その間のキャリアに穴が開く」
  「三年分の実績もパアになってしまう」
これは、たまたま開いたページ、094だけに見つけた表現だ。

とにかく読んでいて楽に通じる。そうか、パアになっちゃうんだな、とわかるのである。キャリアと言われたら、ピンとくる。
この時代の制度、法律を見て行く道中、これは今時代の読み手が楽だ。ありがたいと感じた。
内容の感想はまたのこととして、この言葉感覚が律令世界の理解と把握に非常に役立っている。
語る態度も、考えも、文章も、のびのびとしている。
このことを、言いたかった。

「十六歳の日記」川端康成

書評というよりも作品感想

「十六歳の日記」  川端康成    
          岩波文庫 緑 81-1 『伊豆の踊子・温泉宿』他四編  より    1952年初版
          収録作品  十六歳の日記
                招魂祭一景
                伊豆の踊子
                青い海 黒い海
                春景色
                温泉宿  
                   あとがき   
                   川端康成略年譜
                   あとがきは、著者が書いたもので、6章12頁。
                   年譜は、岩波文庫編集部による。1899年誕生から 1972年自殺まで。

あとがきの初めに、川端康成は、「私の二十代の作品から、ここに六編を選び出した」と書いている。書き始めの時代の作品を読んでみよう。

長い「あとがき」が書かれている。6章、12頁もある「あとがき」だ。
この「あとがき」の第2章に「十六歳の日記」について記されているが、6頁弱、つまりあとがき全体の半分を費やしている。では「十六歳の日記」を紹介します。
 これは十六歳と題名にあるが、これは数え年であり、この日記を書いたのは、満14歳11ヶ月、中学2年生の5月だ。
これは大正3年1914年5月4日から16日までの日記で、祖父が亡くなったのは、5月24日だから、死の8日前までの記録である。

この文章はテープ起こしをしたようなもので、祖父の言葉をそのまま、できる限り正確に写し取った記録だ。それは、あたかも画家が小鳥を、あるいは木の実を写生するような時に、その断片を写生する、そのようなものと見た。
しかし、会話だけではない、祖父と二人暮らしだった康成少年が接していた祖父、世話をしてくれる近所のおばさんの様子なども、克明に描写し、自身の心の内なども記している。
この日記は、25歳の時に『文藝春秋』大正14年8月号に発表している。保存していた日記を、ほとんどそのまま書き写して発表した、と書いている。

昭和23年に、川端康成が全集を出すために編集をしている時に、古い日記類を調べていたところ、この「十六歳の日記」の断片を見つけた、これを、この作品の拾遺として、このあとがきに写しておく、として載せ、ところどころに、その時の事情などを付け加えて解説している。
あとがきに掲載している日記の断片は、発表した日記の最後、5月16日以降の、祖父の亡くなるまでの8日間の間に書かれたものだという。

それは、こんな風だ、
  お常婆さんに宿川原の医者へ走ってもらう。
その留守におみよが言った。
 「旦さん、もう三番(伯父の村)の金で私とこも貰いましたし、小畑の分も津之江(祖父の妹の村)で借って、払いましたよってに、安心しなはれ。」
 「そうか、うれしい。」
  祖父には真に苦中の喜び。
 「安心おしやして、お念仏を申しなはらんといけまへんで。」
 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」
  ああ、祖父の命は長くない。この原稿の終るまでは続くまい。おみよのいなかった数日間に、祖父は目に見えて衰えられた。今は死の極印を押されてーー。
  日記の筆を止めて、呆然と祖父死後のことを考える。ああ不幸なる我が身、天にも地にもただひとりになる。

  おみよは、五十前後の百姓女です。毎日朝晩自分の家から通ってきて、煮炊きその他の用事をしてくれました。とカッコ内に説明している。

  私は中学の1、2年頃から小説家を志し、祖父にも話して、許されていた。しかし「十六歳の日記」は「小説」などにかかわりなく、ただ祖父の死の予感におびえて、祖父を写しておきたくなったのだろう。
  そうとしても、死に近い病人の傍(そば)で、それの写生風な日記を書く私は、後から思うと奇怪である。祖父はほとんど盲だったから、私に写生されているとは気づかなかった。

と、あとがきの第2章、最後にある。

大阪の亡き母の兄の家に引き取られて、18歳で一高へ入学。一高生(第一高等学校)の時に伊豆へ旅行。この時旅芸人の一行と道連れになる。
一高から帝国大学、今の東京大学の英文科へ、のちに国文科へ移り卒業する。

2歳で父と、3歳で母と死に別れ、3歳の時に姉と離別して、祖父の家に移るが、7歳の時に祖母が亡くなる。以来、祖父と二人暮らしとなったが、10歳の時に姉も亡くなった。
こうして大阪府茨木市の祖父の家で、二人暮らしとなった14歳の頃の日記だ。

祖父の介護のために、近所の農家の女性、おみよさんと、同じく近所の高齢の女性、お常婆さんの二人が昼間のあいだ来てくれていた。
中学に通う康成は、下校してから朝出かけるまでの介護を担っていたことがわかる。
亡き母の兄と祖父の妹が、おみよさんとお常さんの介護費用を負担してくれていたことも記されている。祖父の亡きあと、康成は、この母の兄の家に引き取られた。
学校にいるときが天国だったと、夜に何回も起こされてシモの世話をするのが嫌だったと、書いている。
おみよさんも、祖父の介護の苦痛を訴える。それは、盲目に加えて痴呆の傾向を持つ、しかも肉体の苦痛が並ではない老人の介護を、介護未経験の素人が全部引き受けているのだから、並大抵の苦労ではなかったはずだ、おみよさんもお常さんも必死で通ってきてくれていたのだとわかる。
この日記から、介護の知識も技術もない、周辺の女性たちの手によって看取られてゆく老人の姿が迫ってくる。今食べたことを忘れる、深夜に突然おみよを呼ぶなど、いま介護されている人々と、そっくり同じ姿が康成の手によって活写されている。

当時も、帝国大学入学は難関だったと聞いている。一高生は帝大を煙突と称し、一高生が自然に吐き出されてゆく先、としていた。ということは、一高生は、帝大生と同じように眩しい存在だったのではないだろうか。
だから「伊豆の踊子」で描かれる一高生の、一目でわかる帽子の輝きは、想像を超えるものだったろう。
中2位の少年が写生した、この文章は、本人は奇怪、というが、本人の意識しないレベルで、天から授かった才能を発揮している。
ピカソが14歳の頃に描いた作品を思うが、彼は、父の特訓を受けていたでしょう。モーツアルトやピカソは、親から英才教育を受けていた人たちだ。
川端安成は、小説家になることを祖父に打ち明けており許されていた、しかし許されただけで、あとは自分の力だけだった。こんな境遇で、よくまあ一高に合格したもんだ、とも思う。

あとがきに記録されている日記断片は、日記発表からのち、何年も経って発見されたものだったが、このような断片が別口に保存されていたということは、日記としてまとめて保存する際に、正式日記とは別口としておいたのだとわかる。
ということは、日記を推敲したかとも思われるし、編集したとも考えられる。すなわち、小説家として立った時の、発表をも視野に入れていたとも考えられる。
思ってもみてほしい、中学2年生の少年のしたことだ。自身が書いたものを粗末にしていない、軽んじていない。覚悟を持って守り、保存に努めている。
私が驚嘆するのは文章の巧拙の問題ではない、この時点での本人の、この覚悟のほどである。






ある日 丘の上で

      ある日 丘の上で        西 一知

      数字が
      ある日 丘の上で
      無数の天使となって散らばり
      転げ回り
      みるみるうちに見えなくなってしまう

      丘のみえる町は
      その日から静かになり
      じわじわと病気が広がり始める
      人びとは窓も扉もしめ
      通りへ出なくなる
      学校も店も銀行も閉ざされる

      だが病気は
      どんな戸のすき間からも
      しのび込む
      しめた扉の内側で
      人びとはひっそりと死ぬ

      町中を屍臭がおおった
      人びとの姿はみえない
      新興住宅地の家々は
      皆真新しく
      児童遊園地には花もいっぱい
      小鳥もいっぱい
      空にはきょうも太陽が
      何ごともなかったように輝いている

                               2010・3・28   夜


西 一知氏は、1929年 横浜生まれ
       2010年 5月4日  肝臓癌にて死去  81歳
                 岩手県滝沢市滝沢村にて

この詩は、亡くなる37日前に書かれた。
今、滝沢村に、亡くなられた場所に、西 一知記念館があります。

わたしは、この詩を、2021年9月末に見つけた。

詩の第一行目は、神様からもらう、と言ったのは田村隆一さんです。

      今月から、作品一編のみを取り上げることも、試みることにいたしました。

戦争孤児たちの戦後史 

『戦争孤児たちの戦後史』全3巻1_総集編 2_西日本編 3_東日本・満州編 編者=浅井春夫(あさい はるお)・川満 彰(かわみつ あきら)・平井美津子(ひらい みつこ)・本庄 豊(ほんじょう ゆたか)・水野貴代志(みずの きよし) 発行=吉川弘文館 2020年 ¥@2200 ISBN9784642068574
総集編 執筆者 浅井春夫・片岡志保(かたおか しほ)・山田勝美(やまだ かつみ)・艮 香織(うしとら かおり)・藤井常文(ふじい つねぶみ)・本庄豊・金田茉莉(かねだ まり)・川満彰・上田誠二(うえだ せいじ)・水野貴代志・平井美津子・結城俊哉(ゆうき としや)・石原昌家(いしはら まさいえ)・酒本知美(さかもと ともみ)
内容=「戦争孤児たちの戦後史研究会」という会が2016年11月に発足、3年数ヶ月間の集団的研究の成果として、3巻にまとめて発行した。「刊行のことば」には、これまで用いられてきた「戦災孤児」を「戦争孤児」といい改めて、戦争政策による犠牲者であるという本質を表す用語として使った、とある。
戦後、長い闇の中にあった戦争孤児問題に、ごく最近になってのことだが、注目が集まり、書籍が刊行され始めた。本書は、これまでの戦争孤児研究の到達点と課題を整理して、今後の研究を展開する転換点にしたいという意欲を持っている。この先、本格的な研究が展開されることを望んでの、出発点として記されたもの。
感想=ついに水面に現われたか、という待ち望んでいた本格的な研究だ。これから丁寧にゆっくり読んでゆく。感想を追加してゆく形で進めるつもり。執筆者たちは、敗戦後に生まれ育った人たちがほとんどだ。このことも興味ある点の一つ。私は、あの、上野の地下道に集まった子たちと同世代だ。当時は情報が少なく、むしろ口伝えに広まってくる「噂」が重要な情報だった。悲惨な食糧難の東京暮らしの中で、両親のいることのありがたさを思い、同時に、あの子達はどうしているだろうと気がかりだった気持ちは今も抱えているのだから、この研究を手掛けて下さった方々に対して、とにかく感謝が先に立っている。

第1章の冒頭で、編者の浅井春夫氏(1951年生まれ・日本福祉大学大学院社会福祉学研究科博士課程前期終了・立教大学名誉教授)が書いていることが、まず目に入った。
それは「聞き取り調査」をしている時に、体験者が記憶の底にしまってある’痛み’に、無自覚なままに土足で踏み入れてしまうことがあった。私たちが踏み込めない、踏み込んではいけない戦争孤児たちの戦後史を肌で感じることが幾度となくあった。という述懐である。
総集編執筆の14名の方々が皆、真摯な心で、工夫を凝らしながら、埋もれている記憶を発掘し、後世に役立てようとしている様子が伝わってくる。

しかし、この力作を読みながら、改めて物語の力を噛み締めている。「物」が語る力。物に依って物に触れながら言葉で語られる内容の、力強さを思う。「物」には、文字も含まれる、手書きの文字には、記されている内容の他に、感情、体調など様々なものが含まれている。書いた人の性質もわかる。
もう一つ、わが事として思うことは、記憶ほど流動的なものはない、記憶ほど変化するものはない、記憶ほど我が身をかばうものはない、ということだ。辛い人生航路であればあるほど、自分が自分をいたわりたいという気持ちがあるものだ。いたわる方法のなかで最も効果のあるものは、忘れてしまうことだ、封印することだ、あるいは、作った過去を事実と思い込むことだ。戦争の渦中ではなく、平和な社会の片隅でも、自分だけが被った悲惨な出来事に対して無数の人たちが知らずに行ってきている、これは解毒剤だ。
他者の深い傷跡を見せて欲しい、語って欲しいと願う者は、通り一遍の量産品を見せられて終わるか、撥ねつけられて退散するかだろう。この解毒剤を常用している者達から、いったい、どれほどの事実を引き出せるのか。さらに言うと、自分自身に対しても蓋をしている過去の記憶というものは、溶解し、消滅したわけではない、厳然として身の内にとどまっているわけで、それは、ある時、突然不用意に目の前にやってきた現実の一場面とショートして火花を散らせ、一瞬の内に合体して実体として見えてしまう。再現されるとすれば、唯一このような場面であり、本人にも、どうすることもできない事故のような形で現れるのだと思う。他人のテクニックなどによって開かれる扉ではない。 

海岸と人間の歴史

『海岸と人間の歴史』THE LAST BEACH 副題=生態系・護岸・感染症 著者=オーリン・H・ピルキー Orrin h Pilkey&J・アンドリュー・G・クーパー J.Andrew.G.Cooper 訳=須田有輔 発行=築地書館2020年 187x128 P270 用語解説 索引 参考文献 ¥2900 ISBN9784806716020
著者=オーリン・H・ピルキー 1934年生まれ。ニューヨークタイムズ紙はピルキー氏を「アメリカ第一の浜の哲学者」と表現している。デューク大学名誉教授 『地球規模の気候変動』ほか著書多数。子供向けの啓発書にも力を注いでいる。
    アンドリュー・G・クーパー イギリスのアルスター大学地理学・環境科学部教授。『世界の浜』などピルキーとの共著がある。世界各地の浜研究者。海岸線への人の手の不介入を主張していることで知られる。
訳者=須田有輔 1957年神奈川県生まれ。東海大学海洋学部卒後、東京水産大学院、東京大学大学院、民間企業をへて現在国立研究開発法人水産研究・教育機構水産大学校校長・同生物生産学科教授。
著書、訳書『砂浜海岸の生態学』『砂浜海岸の自然と保全』など。
内容=自然の浜は、生きていて動く。どのように動くのか。砂はどこから来るのか? 浜の命とは。ここから始まり、現在の世界中の浜を見渡し、その現状を述べ、未来を展望する。砂の採掘問題、砂上の硬い構造物について。これは護岸、養浜も含んでおり、これらによって浜は瀕死状態であると説く。さらに漂着ごみ問題、油汚染問題、車両の浜走行問題など、憂慮するものが山ほど取り上げられている。最終章の第10章のタイトルは「終わりが来た」と悲観的だが、未来へのスケジュール、適切なやり方がある、浜に対する新しい見方、という小見出しの下に、我々が浜を見る気持ちから洗い直し、新しい姿勢で我々の地球のためにどう動くのが良いかを考え、提案している。モノクロの写真多数。
感想=伝えたいことが山ほどあるんだ、みんな、聞いてくれ。という気持ちが溢れている本。写真はモノクロだが情報満載、キャプションに強い説明力がある。映像が手渡してくれるものを納得しながら受け取った。訳者がいわば同業者なので、読む側にとってこれほど有難いことはない。言葉の片々を日本語に置き換える作業をしていますという空気はなく、これを読んでくれ、知って欲しいの熱意が感じられる。訳すというよりも、内容を手渡そうとしている、この気持ちが伝わってくることにも感動した。
内容は、すでに知っていることも、いくつかはあったが、世界の浜辺を見渡すことができた。海底の地形も鮮明に分かる時代となったおかげで、浜の形成の歴史も見えてきた。人間は砂を必要として採り運び用いるが消費する一方だ。ダムを作ることで浜に砂はもたらされず砂は減る。ふん尿による汚染も凄まじい。オリンピックで暴露された東京湾だけの問題ではなさそうだ。護岸工事の問題では、日本の釜石湾湾港の防波堤の事例も挙げて詳しく述べられている。今現在の姿だけでなく、過去からの連続線上での考察が未来へと伸びてゆく。
本書に関心を持ったわけは、日本列島の「ヘリ」を回ろうとした時に浜辺の道だけを通ることができなかった、この驚きが忘れられなかったからだった。本書によると日本の浜辺は40%程度しか残っていないそうだ。そのことに私は驚かなかった、日本列島の縁の半分以上は内側の、海の見えない道しか走れなかったという実感がある。たまに、ようやく海岸に出るとホッとした。中でも凄まじいのが原発プラントだ。その占有面積は漁港などの比ではない。どうか、生きている浜について、一人でも多く正しい知識を持って欲しいと願わずにいられない。生きているんだから育てなくちゃ。可愛がらなかったらどうなるんだろう。死んでしまうじゃないか。海岸沿いの豪華ホテルなんか、やめてくれと言いたい。箱物のために護岸を作り浜を殺すとは許せない。と、ピルキー先生、クーパー先生の気持ちが移ってしまった。一人でも多くの人に読んでいただきたい。

パンデミックを生き抜く

『パンデミックを生き抜く』副題 中世ペストに学ぶ新型コロナ対策 著者=濱田篤郎(はまだ あつお)発行=朝日新聞出版2020年 新書版 ISBN9784022950833 ¥810 238頁 朝日新書773
著者=1955年東京都生まれ。東京医科大学教授。同大学病院渡航者医療センター部長。東京都の感染症対策アドバイザー。東京慈恵会医科大学卒業、米国で熱帯感染症と渡航医学を学び、現職。
著書に『旅と病の三千年史』『歴史を変えた旅と病』『海外赴任者の健康と医療』など多数。
内容=全9章の見出しを挙げます。第1 感染症による人類滅亡の危機 2 ペスト流行記 第3 ペストでありペストでない 第4 どこから発生し、どこまで拡大したのか 第5 甚大な被害はなぜ起きたのか 第6 滅亡の危機をどのように回避したか 第7 日本にペストは波及したか 第8 中世以後のペストの行方 第9 新型コロナウイルス対策への福音。
以上
9章に先立ち、「新型コロナは史上最悪の感染症ではない」と題して、感染不安を抱えながら読み始める読者に対して、新型コロナウイルスを一口で説明してくれている。さあ、落ち着いて読んでいきましょう、という気持ちが生まれる一方、この手のウイルスは、この先いくらでもやってくる、もっと強い害毒を持つウイルスが、いずれ必ず襲ってくるのだということを、前提条件として突きつけられた思いがする。参考文献=p233236 
感想=著者は、およそ4年前からペストの歴史について執筆を続けてきたという。しかし今年の初め、思いもよらぬことにcovid19が来襲した。それならば単なる歴史本に終わらせずに、今現在の役に立つような本にしようと考えて、このような形にまとめたという。
本来がペストの歴史について著す予定であった故に、14世紀にヨーロッパや中東で大流行したペストの歴史が克明に記されている。私はペストという名は恐しい伝染病として知っていたが、それ以上の知識はなく、今回初めてペストの正体を知ることができた。
何に襲われているのかさえ見えず、予防法も知らない当時の人々が、どれほどの恐怖に怯え苦しんだことだろう。その被害は文字通り筆舌に尽くしがたいものがあった。

見開き一枚のグラフ。ここには20万年前の人類誕生から、21世紀、現在までの世界人口の推移が1本の線で表されている。その線は、まるで長い蛇が地を這い、20世紀に入り突然鎌首をもたげた姿だ、それも極めて高く!
見開きで一枚の地図がある。東に日本列島があり、西端に黒海が見えるユーラシア大陸の地図だ。これは著者が作った14世紀の東西交通路を太線で示した地図で、シルクロード、海のシルクロード、そして北京と黒海を結ぶ「草原の道」、この主要3本の交通路を中心とした通路が一目でわかる。
この太線が人と物とともにペストが運ばれたラインだ。当時は指折り数えられるほどの何本かの主要ロードが人と荷物を運んだ。ペストは、動く人に乗って移動した。が、今は地球まるごと細かい網目で覆いつくしたかのように交通網が発達している。
今回のcovid19を防ごうとして繰り出した方法は、なんとシルクロード時代と同じ方法、すなわち出入り口を塞ぐこと、封鎖することだけだった。そして今、ワクチンの供給を首を長くして待っている。
マスク。これは当時もあり、医師たちは長いくちばしの鳥のような面をかぶり、太い嘴の中に薬草を詰めていた。

この、目に見えない妖怪的病毒の正体が、初めは虫眼鏡、次に顕微鏡、やがて電子顕微鏡と、科学の発達につれて見えてきた。
なぜ、21世紀になって「新型」がやってきたのだろう。それは増えすぎた人間が、人間だけのために自然を減らし続けてきた結果、今まで触れ合う機会がなかった深い自然界に澱んでいたウイルスにまで身近に接することになった結果なのだという。
考えかたを改める必要があるのは、人類の側なのだった。

本書によって人類の足取りを検証し、先に掲げた『ウイルスの意味論』によって、ウイルスの正体を把握する。ここから私たちの態度を決めることができそうだ。そのためには、まず第一に人がどのように自然と付き合うかを考え直す必要があるのではないか。

ウイルスの意味論

ウイルスの意味論』副題=生命の定義を超えた存在 著者=山内一也(やまのうち かずや)発行=みすず書房 2018年12月発行 ¥2800 ISBN9874622087533
著者=1931年神奈川県生まれ 東京大学農学部獣医畜産学科卒業 農学博士。北里研究所所員、国立予防衛生研究所室長、東京大学医科学研究所教授、日本生物科学研究所主任研究員を経て、東京大学名誉教授。日本ウイルス学会名誉会員。ベルギー・リエージュ大学名誉博士。専門はウイルス学。
主な著書に『
エマージングウイルスの世紀』『ウイルスと人間』『ウイルスと地球生命』『はしかの脅威と驚異』など多数。
内容=みすず書房の雑誌「みすず」に12回にわたり連載した「ウイルスとともに生きる」に修正・加筆を行ったもの。
ウイルスとは、単なる病原体ではない、生命体としてのウイルスに関する研究が進展している。本書は地球上におけるウイルスの生命史とも呼べる、今現在までに見えてきたウイルスの全貌である。
感想=covid19が地球を襲っている現在、ウイルスって、そもそも何? と思い読んだ。昔、ビールスというバイ菌がいたが、ルスという同じ語尾から推測するに親戚筋かな? 笑うなかれ。ウイルスとはラテン語、ビールスとはドイツ語、バイラスと発すれば英語。すなわちこれらは同一人物だったのだ!
地球カレンダー(Calender of the earth)によると、ウイルスが生まれたのは5月の初め頃だった。そして人類の誕生は大晦日の除夜の鐘がなる数分前だ。ものすごい先輩だ。
では、本書の裏扉の文章を含めて紹介しましょう。
ウイルスとは何者か。その驚くべき生態が明らかになるたびに、この問いの答は書き換えられてきた。
ウイルスは、数十億年にわたり生物とともに進化してきた「生命体」でありながら、細胞外ではまったく活動しない「物質」でもある、その多くは弱く、外界ではすぐに感染力を失って「死ぬ」。ただし条件さえ整えば、数万年もの凍結状態に置かれても、体がバラバラになってしまったとしても復活する。
一部のウイルスは、たびたび世界的流行を引き起こしてきた。ただしそれは、人間がウイルスを本来の宿主から引き離し、都市という居場所を与えた結果でもある。
本来の宿主とともにある時、ウイルスは守護者にもなりうる。あるものは宿主を献身的に育て上げ、あるものは宿主に新たな能力を与えている。
私たちのDNAにもウイルスの遺伝情報が大量に組み込まれており、一部は生命活動に関わっている。
ウイルスの生態を知れば知るほど、生と死の、生物と無生物の、共生と敵対の境界が曖昧になってゆく読むほどに生物学の根幹に関わる問いに導かれてゆく。
covid19を怖れて手を洗い、マスクをする暮らしの中で本書の世界に分け入る。国境を無視して地球を席巻する害毒の正体が、生命と物質の境界さえも定かではない、加害者であり守護者でもあるという判断不能の存在として立ちはだかった。
この正体を見極めるまで生きていて見届けたいものだ。ウイルスはまだ、巨象の尻尾の先ほども解っていない。新鮮な驚きと脅威に囲まれた。

自由と規律

自由と規律』副題=イギリスの学校生活 著者=池田 潔(いけだ きよし)発行=岩波書店1949年11月第1刷 岩波新書(青版)171頁2018年2月 第109刷発行¥720 ISBN978400412141
著者=1903-1990 リース・スクール卒業 ケムブリッヂ大学卒業 ハイデルベルク大学に在籍した。英文学・英語学。著書=『よき時代のよき大学』『歩道のない道』『第三の随筆』『砂にかかれた文字』『少数派より』『学生を思う』以上6書は、現在ほとんど市場に出ない。ISBNなし。
これはイギリスの学校生活を記述した本には違いない。
日本から一人の少年が船でイギリスへ、そして入学して過ごした昔の日々が語られるのである。
イギリスを知る人も訪れたことのない人も、その詳しい朝夕の学校生活とイギリス人の気風を知ることになる。
その粗食ぶりとスポーツを常に、全員が行う、しかも団体競技が重んじられる。
最後までゆっくりと、時には繰り返しながら読み終わった時に、本書の核心部分が目の前に大きく開かれる。
それは、自由とはどういうものであるか。自由を持つということの意味。あわせて規律がどれほど大切なものかが、見事に見えてくるのである。
読み終わり、本を閉じた時に、この本の題名、自由と規律に、深く納得する。
名著として名高い所以が、ここにある。
自由自由と軽く言うが、自由を手にすることの意味を、改めて考えることができる。
手元に置きたいと買ったが、第109刷。これだけ読む人がいるということから、日本の将来を信じて良いのではという思いがした。
内容の一部分を紹介する。
前慶応義塾長小泉信三博士は、昭和23年8月15日東京毎日新聞掲載の論文「自由と訓練」の中で、イギリスのパブリック・スクールのこのような生活について次の見解を述べていられる。
「生徒は多く裕福な家の子弟であるから右のような欠乏が経済的必要から来たものでないことは明かである。食物量の制限は思春期の少年の飽食を不可とする考慮に出たといふ説もきいたことがある。何れにしても何事も少年等のほしいままにはさせぬことは、自由を尊ぶイギリスの学校としてわれわれの意外とすべきもの多い。しかし、ここに長い年月の経験と考慮とが費やされてゐることを思はねばなるまい」
「かく厳格なる教育が、それによって期するところは何であるか。それは正邪の観念を明にし、正を正とし邪を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養ひ、各人がかかる勇気を持つところにそこに始めて真の自由の保障がある所以を教えることに在ると思ふ。」P88
もう一つの紹介は、オリンピックについて。
オリムピック競技に対してさえ、一般人はわが国の半分の熱意ももっていないし、新聞でも、せいぜい二段くらいのスペースしか割いていない。嘗てわが国民の一部に示された、不均衡に冷静を逸したオリムピック熱も反省されてよいのではないか。現地では選手と在留同胞が勝っては泣き負けては泣き、故国ではラジオとニュース映画でアナウンサー吠え聴衆喚き、国家の存亡をその勝敗に賭したかのような醜態を演じた事実は、結局、わが国民のもつ劣等意識によるものであり、事物の重要性を正当に識別する力を欠いていることを示すに外ならない。P146

「怪異」の政治社会学

「怪異」の政治社会学』副題=室町人の思考をさぐる 著者=高谷知佳(たかたに ちか)発行=講談社2016年 講談社選書メチエ 626 サイズ=19cm 270頁 ¥1750 ISBN978406258629
著者=1980年奈良県生まれ 京都大学法学部卒 同大学大学院法学研究科准教授 法制史 著書『
中世の法秩序と都市社会
内容=応仁の乱など戦乱下の京都で怨霊などの怪異がどのように扱われ、変化していったかを検証。
感想=だいぶ前に、資料の一環として買っていたもの。1980年代の人が書いている点に注目して開いた。カタカナ表現に注目する。目次を眺めると「勧進のプラスとマイナス」「システムの破綻」などカタカナが見える。本文のページにもカタカナが見える。イメージ、ミスリード、プロセス、パニック。レベルと書いたりレヴェルと書いたりもしている。
ネットワーク、バックアップ、オーバーヒート、ステレオタイプ、メカニズム。探すには及ばない、ふんだんに転がっている。
欠点とみなしてあげつらっているわけではない。著者が室町人に対して向けたと同じ眼差しを著者の記述に向けている。著者の脳内感覚として、すでにイメージはイメージでしかなく、イメージでなくてはならず、パニックという言葉は日本では言い表すことが難しい感覚として定着しているように感じた。
ここには、単に日本語をカタカナ言葉に置き換えただけではない内容の変質が見られる。街で見かける2000年代生まれの日本人たちが、異星人と映ってくる一瞬の感覚にたじろぐ思いをする。なぜだろうと思っていたが、数年前のこの著作にすでに染み渡っていたと知った。

「深層」カルロス・ゴーンとの対話

「深層」カルロス・ゴーンとの対話-起訴されれば99%超が有罪になる国で-』発行=小学館2020319頁 サイズ=19cm ¥1700 ISBN9784093887656
著者=郷原信郎 (ごうはら のぶお)1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。著書に「検察の正義」「「法令遵守」が日本を滅ぼす」「思考停止社会」など多数。
内容=カルロス・ゴーン氏は、201912月に、元特捜検事で、事件当初からこの事件の不当性を主張していた郷原信郎氏のインタビューに応じ、10時間以上にわたって真相を話していた。郷原氏は出国後もレバノンとのテレビ電話で取材を重ね、日産、検察、日本政府の事件への関与について、解説、分析、検証する。新聞記事を始め人物名も明確に挙げて明らかにしている。
目次に続き、主な関係者の一覧・ゴーン事件人物相関図が出ている。
感想=2019年の11月から複数回にわたりインタビューをしていた郷原氏が、最後にゴーン氏と会ったのは1227日だったという。大晦日に「私は今、レバノンにいる」というニュース。郷原氏は驚いた、とは書いていない、いったい何が起きているのか理解できなかった。とプロローグに書いている。自分自身に対しても緻密で正確で、正直な人だ。いわゆる「ゴーン事件」に私は関心を寄せて、メディアの情報、コメンテーターの文章などの主だったものを集めていた。このファイルをもとに読んでゆく。
なぜ強い関心を寄せたかというわけは、村木厚子事件、佐藤栄佐久事件など、以前の重大事件もフォローしてきている中で、ますます日本の「お上」が疑わしく、正しくなく、いつ何時、無罪の人間を有罪にされるかわかったもんじゃない存在として認めざるをえない段階にあったからだ。無罪であるのに、自白を強要され、周辺の人々も自白を強要されて嘘の自白をしてゆく。そして自殺者を出すのだった、「お上」が。長い年月の末に、ようやく無罪の判決をもらっても、すでに人生のほとんどが潰され切っているのだった。個人的に、誰一人として知らないが、このような悲惨な犠牲者を生み出す「お上」が恐ろしかったし、許せなかった。
この事件もまた、と先入観を持ったために、関心を寄せたのではなかった。突然の劇的な逮捕が目を引いたからだった。それもプライベートジェット機で空港に着いた、その機内での逮捕劇だった。逮捕する側も、される側も、相当長い時間を機内で過ごしたと報道された。縦に並んで飛行機に向かう姿を、何回も眺めた。こんなやり方って、初めて見たと思った。
空港逮捕シーンは、前に一度見ていた。伊藤詩織さん事件だ。飛行機から降り立った犯人を、逮捕状を用意して待ち構えていた「お上」は、犯人を眺めながら見送った。犯人は市中に消えた。びっくりだ。逮捕直前に、逮捕するな、と「お上」の上司「お上」から命令がきたためだった。今回は見逃さずに積極的に捕まえるんだな、と私は感じた。
そのすぐ後で、日産の西川社長が車に乗り込みかけた姿勢で報道の人たちに向かって答えているシーンが映し出された。この西川社長の姿と表情を見、言葉を聞いた瞬間、私は強い疑念を持って情報を集め始めたのだった。
社内の重要人物が逮捕されたのだ、恥であり、深刻な事態だ。しかし西川社長の動きは柔らかく、姿勢は崩れていた。答える表情は軽やかで嬉しそうだった。体内から笑いが溢れてくるような目の細めようで答えていた。
映像文化がしみわたり、だいぶ経つのである。芸人さんが本心とは裏腹な演技顔を提供しても、軽々と見通せるだけの見力をつけてきている一般人だ。誤魔化せるものではない。特に、西川氏やゴーン氏あたりの年齢層を若造と見ることができる年齢層の目からは逃れられはしない。
さあ、どこまでやるか。と私は思った、それも今回は外国の目が注がれるはずだった。
しかし、メディアによってゴーン氏は強欲ゴーンと決めつけられ、その贅沢さと費やすお金の多さから、大悪人として祭り上げられていった。
コメンテーターの中に郷原信郎氏もいたが、バッシングを受ける数が並ではなかった。同感の声が消されるほどだった。ゴーンは悪人でなければ大衆は面白くなかった。巨額のお金と贅沢に対して大衆は嫉妬し、嫉妬を悪とすり替えて、引き摺り下ろしたがっていた。すでに、お金と贅沢自体が罪なのだった。
何が罪なのかは、すでにどうでもよくなっていた。というか、最初から何の罪なのか、何もわからなかったのだ。殺人事件ならわかる。しかし、社内の書類のあれこれでは、理解の外である。私のファイルは量が増えたが、この肝心のことについては、わけがわからないままだった。
ここまでが前置きだ。
読み始めて私は、絶句した。何だって? 機内で逮捕されたのではなかった、というのだ。
このくだりを読んでみてほしい。
映像を信じた私は大間抜けだった。あの、プライベートジェット機へ向かって歩く男たちの姿は、関係もない人々の別のシーンであり、朝日新聞は、承知で騙したのだ。ウソ報道をしたのだ。
しかもフォローした記事で、機内ではだいぶ時間がかかったとも書いたのだ。これらは全部、ウソだった。

郷原氏によるインタビューの中でゴーン氏は、日産は潰れる、とその年まで予言しているが、私は朝日新聞はすでに死んだも同然と言いたい。
さて、本書は難しい。読み通すために大分の時間をかけた。その理由は、前半部分の専門知識を要する内容のところだ。おまけに法務大臣、東京高検検事、次席検事、東京地検、特捜、特捜部検事などなど、字面を目に見てはいても、理解できていないのである。これらを頭に入れ確かめた上で、第5章以下へ進んでゆく。
郷原氏は、いずれにも肩入れをしていない。緻密に正確に、事実を伝えているだけだ。
読み終わって、法律とはなんだろうと改めて考えた。
人質司法は、法律という枠とは関係なく、本当の悪だ。人としての、大きな悪だ。
ゴーン氏は、本当の悪から脱出を試み、成功したのだ。発信力のある映画を製作し、日本でも公開してほしい。 

五感にひびく日本語

五感にひびく日本語』著者=中村明(なかむら あきら)発行=青土社2019年 サイズ=19cm 267¥2200 ISBN9784791772360
著者=1935年山形県生まれ 国立国語研究所室長などを経て、早稲田大学名誉教授。日本文体論学会顧問。著書に『日本語の作法』『ユーモアの極意』『日本語笑いの技法辞典』など
内容=日常、人々が用いている言い回し、日本文学に見られる表現などを集めて、慣用句、慣用表現、比喩などに分類、解説。
1章「体ことばの慣用句」頭・顔・足など。第2章「イメージに描く慣用表現」愛嬌がこぼれる・匙を投げるなど。第3章「抽象観念も感覚的に」明暗・寒暖・味覚など。
4章「喜怒哀楽を体感的に」歓喜・悲哀・恐怖・安堵など。第5章「比喩イメージの花ひらく」として、有名小説家たちの文章の片々が集められている。
感想=年来、表現の根の部分について関心がある故に、また、例文を多少集めてもいたために、期待を持って読んだ。
この本は、興味のある部分を読む、拾い読みをするなど、折ふしに開くと楽しめる読本となっている。
これを、もう一歩進めて、使える書物にして欲しかった。索引のないことが、本書をただのお楽しみ本にしてしまったように感じた。
 松尾芭蕉関連の書物は山ほどあるが『諸注評釈 芭蕉俳句大成』岩田九郎 著 明治書院 を開いてみよう。
まず五十音索引がある。俳句の場合、読み方に異説のある句がある。この場合は二つの場所に出している。句形の異なるものは、各々の場所に出している。よって索引から探せない句はない。
さらに巻末に付録として二句索引と三句索引がある。
たとえば「古池や蛙(かはづ)飛(とび)こむ水のをと」の句の場合は、巻頭の索引を使うことで本文に至ることができるだけでなく、二句目の蛙から本文に至ることができ、三句目の水からも本文を開くことができる仕組みにしつらえてある。
ど忘れして、三句目しか記憶にない句の場合でも、この索引を用いることで願う句に達することができる。
ここで、読み流して終わる本と、頼りにし、感謝しつつ使わせていただく書物との違いが生まれる。
索引のことはこれで終わりとして、年来私が関心を寄せていることが、この本のテーマの近くにあるので、そのことを付け加えたい。

 外国の言葉をカタカナ表現で日本語の文章や話し言葉に挟み、いかにも達者な風を装う輩が跋扈している。たとえばフェーズ。段階に来た、といえば済むのにフェーズと書く。今の都知事はカタカナ好き、その前の慎太郎もカタカナ好きであった。自国の言葉で十分、あるいは十二分に表現できる言葉を、わざとカタカナで言ったり書いたりする。
しかし、これは今に始まった事ではない。実は昔にもあった。昔はカタカナではなく漢字にした。大和言葉に漢字表現を混ぜるのである。
今も政治家の誰彼は大好きで使っているが、例えば「粛々と」。しかも、本来の意味を知らないのか、知っていて使っているのか理解に苦しむ粛々である。

これは頼山陽の漢詩「鞭声粛粛夜過河」から来ているのではないかと思うのだが、川中島の戦いで上杉謙信の軍が敵、武田信玄の軍に気取られぬよう、夜のうちに妻女山を下り千曲川を渡る場面だ。馬に鞭を当てるのも音を潜めて、ひっそりと流れを横切るのである。
これらはすべて目の先の大陸、中国からもたらされた外来語だった。悪いと言っているのではない。日本語にとって豊かな栄養となった。

しかし昨今、政治家たちが「粛々と進めるつもり」などと発言するのを聞くと、「そうか、国民に気取られぬよう、ひっそりと法案を通す気だな?」と思ってしまうのだ。何れにしても「粛々と」はシーンとして、という擬音だろう。
長くなって恐縮ですが、もう一つ。
『箱根八里』鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲 の歌詞に「羊腸の小径は苔滑らか」とある。羊腸とは、羊の腸のことで、山道が曲がりくねって続く様子の例えに使っている。
桜の花びらのように、と書かれているのを読んだら、桜の花びらを目に浮かべる。桜の花を知っていて初めて味わうことができる。例えとは、そういうものだ。
羊腸に例えたら、実際の羊の小腸がどのような形状であるかを目に浮かべることができなかったら路がどのような姿か想像できないと思わないか。明治大正時代の一般市民にとって羊の腸は見たこともないものであり、思い浮かべることが容易であったとは考えられない。
羊自体は古代から日本に入ってきていたから正倉院の御物の中にも見られるのだが、当時は異国の珍獣だった。江戸時代に外国人が商業目的で輸入するが、これも定着しなかった。農業が主体の日本においては、広大な土地を必要とする牧畜は北海道でのみ受け入れられたのだ。
このような比喩を用いたということは、日本の一般の人々の暮らしの中から生まれた例えではなく、中国文学の文字を土台としたオシャレ言葉だったのだろう。「青山峨々として」「松吹く風索索たり」とか。この引き写しの手口が、漢文から英語などの横文字フェーズに入ったということかな。


ところで羊腸を見たことのない今時の人たちでも、心臓は見ている。スーパーの肉売り場で鶏の内臓を仕分けして売っている中に、ハツという名の内臓がある。これが鶏の心臓だ。
しかしこれをハートとは呼ばない。ハツだ。ヴァレンタインのハートとスーパーのハツは別世界に生きている。このことに日本人は気づいていないのではないか。しかし、家畜と共に歴史を刻んできている人々は感覚が違う。
ハートの形への愛着、これは日本人のものではない。日本人にとってのハートは印であり、おもちゃだ。キドニービーンズという名の豆がある。インゲン豆と訳しているが、キドニーとは、この豆の形が腎臓 kidney の形に似ているのでつけられている名である。
物の名、事象の形容に動物やその内臓などを用いる文章を、海外の文学作品にしばしば目にするのは、暮らしの一部として熟知している故だろう。
キドニーといえばドイツの自動車BMWのフロントマスクがキドニーグリルと呼ばれる腎臓の形をしている。左右の腎臓を正面に据えた形だ。エンブレムは黒い縁取りの真円に白抜きの「BMW」、中央の円の中を十字に四等分して青と白に塗り分けたデザイン。映画『小説家を見つけたら』で、この自動車会社の前身が航空機のエンジンメーカーであったこと、十字模様は回転するプロペラを、青と白はバイエルンの青空と白雲をモチーフにしたと、ジャマールが滔々と述べ立てるシーンが印象に残っている。(ここで私はハッと立ち止まる、滔々と、と実感を持って用いたとは!)
日本の暮らしの中の言葉に、心臓や腎臓、腸や肺やらのたとえはないように思うがいかが。
しかし、欧米の小説にはふんだんにあります。誰の、どの作品のどこに、と書き出すと長くなりますので探してみてください。
この、『五感にひびく日本語』の最終章を読み進むと、日本人がいかに四季折々の自然と親密であるかが改めてわかります。

死を招くファッション

死を招くファッションFashion Victims 副題=服飾とテクノロジーの危険な関係 The Dangers of Dress Past and Present 著者=アリソン・マシューズ・デーヴィッド Dr.Alison Matthews David 訳=安部恵子 発行=化学同人 2019年 184X254mm 236¥3500 ISBN9784759820140
著者=トロントのライアソン大学ファッション大学院准教授。専門は19世紀から20世紀前半にかけての欧米の衣類と服飾品。年齢不詳。約10年を費やし、専門分野のテーマで本書をまとめた。
内容=19世紀から20世紀前半にかけての大都市、パリ・ロンドンを中心に、ファッショナブルな製品が作られ、消費された。当時、製造にかかわった労働者が、多種多量の毒物で受けた著しい健康被害。消費者が毒の残った製品で受けた皮膚炎などの比較的軽い健康被害。当時の医者たちは、この関連性に気づき、興味深い記録を残したという。このフィールドが専門である著者が検証、現在の服飾に目を向けて、様々な危険物質を指摘、将来のあり方を探る。
感想=大判の画集のような体裁。カラフルな絵と写真が溢れる。序論と結論に挟まれた本文は7章に分かれており、布地製造過程と使用中の両方において被る毒害が種類別に提示、検証される。たとえば細菌・寄生虫を扱う第1章では、ナポレオンの時代に兵士たちが軍服についたシラミに苦しんでいる様子が披瀝される。帽子作りのために水銀が、緑色に布を染めるためにヒ素が用いられたなどの事例が、美しいドレスや帽子の絵と並んで、変形変色した身体のリアルな医学的写真と並ぶ。
その他製造過程で機械に巻き込まれる事故、服に着火し、着ている人が炎に包まれる事故、装身具などに用いられてきたセルロイドが燃える、あるいは爆発する事故などが続く。
結論を「ファッションの犠牲者を出さない未来へ」と題して「生命」と「ファッション」が手をとりあう未来を、新しい物語を紡いでいこう、と締めくくっている。
私が最も関心を寄せて読んだのは、最後のわずかなページ、今の世の中の部分だった。
ここに、現実の様相として記されているのは、テトラクロロエチレンが、相変わらずドライクリーニングで使われていること、前世紀には、岩を粉にして用いていた色が、今では彩度の高い合成化学染料に置き換えられていることなど多種多様。
美しいマラカイトグリーンという化学染料のマラカイトは危険な生物毒素だという。今、これが繊維を緑色に染める染料として使用されているのだが、同時に、養殖業でも用いられている。養殖魚につく寄生生物や細菌を死滅させるためだ。この毒素が食品の魚介類に入り込んで食卓へ運ばれている。
あるいは、Tシャツの胸に印刷される言葉やシンボルの多くは、有毒な環境ホルモンを使い、スクリーン印刷で描かれている。この印刷では表面がゴワゴワに固く仕上がってしまうので、柔らかい手触りにするために、さらなる化学物資、有害な各種多数の物質を用いてソフトに仕上げているそうだ。前世紀ではヒ素とか水銀とか言っていたが、今は異なるものではあるが、同様、あるいはそれ以上の害毒をもたらすものに囲まれていることがわかった。
本書は服飾だのファッションだのと言っているが、著者が服飾専門だから特化しているのであって、地球全体の、服飾以外のすべてについての問題であることは明白だ。
本書は、写真と絵画を多用し、さらに読み物としての魅力を加味しようと試みたのではなかろうか、翻訳とはいえ、文章の持て扱いにそうした空気を感じる。
たしかに表紙にあるような、美しい衣装のレースの裾を翻して踊るブロンドの美女は眼を惹く、さらにこの美女の顔が笑う骸骨であるから、いやが上にも目立つ。しかし、肝心な部分を簡潔に解説してもらえたならば、新書版に収まり、より早く明確に理解できたことかとため息がでた。

井上円了

井上円了』副題=「哲学する心」の軌跡とこれから 編集=講談社 発行=講談社 2019年 ムック 125 210X280mm ¥900 ISBN9784065169305
内容=東洋大学の創立者・井上円了を改めて認識する多角的な紹介書。125頁のうち83頁を費やし『水木しげる漫画大全集』所蔵の長編作品「不思議庵主 井上円了」を完全収録している。
哲学堂(中野区立哲学堂公園)など、ゆかりの地などを多数紹介。

安政五年(1885)に、お寺の子として生まれた円了は、明治維新の文明開化の波に乗って洋楽を学び、東京大学の哲学科に進み、一生を通じて迷信の打破に努めた。
「考え方の模範として人々に示したのが妖怪学」という三浦節夫(東洋大学教授)
「民衆の間にも、合理的に判断しようとする気運が生まれていった」という湯本豪一(民俗学者・妖怪研究家)
AI時代を生き抜くヒントが一杯ある」という吉田善一(円了研究センター長)
「オカルトを排するためにこそ、彼は議論をしていた」という鈴木 泉(東京大学大学院人文社会系教授)
などの対談が興味深い。

円了は、鬼門を恐れて避ける風潮や、四という数字は死につながり不吉だ、などの迷信を否定するために、東洋大学の前身である哲学館の電話番号を、売れ残っていた444にして見せた。また、わざわざ鬼門に便所を作ったが、このエピソードは水木の作中にも描かれている。円了は、いわゆる「こっくりさん」の不思議を科学的に解明したことでも知られている。
「不思議庵主 井上円了」は、円了の一生を描いているが、作中水木しげるは時おり「(円了は)僕と対極にあるんだ」と述懐している。
迷信としてお化けを否定し、科学的、合理的思考の推進に努めるための妖怪研究であったのが円了。
日本だけではない、地球上のいたるところに妖怪類は現に存在するのだ、という確信と愛を持って妖怪の研究に励んだのが水木しげるだから、まさに対極に位置していた。
水木しげるの長編「不思議庵主 井上円了」は、非常に優れた円了伝。

100年前から見た21世紀の日本

100年前から見た 21世紀の日本』副題=大正人からのメッセージ 著者=大倉幸宏(おおくら ゆきひろ)発行=新評論2019年 サイズ=128X210mm 251頁¥2000 ISBN9784794811356
著者=1972年愛知県生まれ 新聞社、広告代理店を経てフリーランス・ライター。著書=『
「衣食足りて礼節を知る」は誤りかー戦後のマナー・モラルから考える』『「昔はよかった」と言うけれどー戦後のマナー・モラルから考える』『レイラ・ザーナークルド人女性国会議員の闘い』(共著)
内容=現在の日本の世相を歴史的観点から捉えて比較検討しようとしている。
いまの日本は、戦前の日本と似通っている、平成時代は大正時代と似ている、という最近耳にする感想を検証。
大まかに大正時代近辺を100年前と捉えて、当時の先人達が残した言葉を読み取ってゆくことで今の時代を捉えようとしている。あの時代の誰が、いつ、何と書いたか。どう論じたか。
ここから見えてくる当時の人々の価値観、気持ちが具体的な例文によってつかめてくるという、非常に手間暇をかけた労作。
その努力ぶりは巻末の参考文献数を見るとわかる。8ページに及ぶ文献、1ページあたり19件の資料が並ぶ。本文を読むと、これらの資料が生き生きと活動してくれているのが一目瞭然だ。この労作の基礎を、これだけの土台が支えている。
読む側は、だから100年前の人々の生の声を、加工されていない生のままの声で受け取ることができるのだ。高齢者が漠然と過去を振り返り、あの時は、と思い出すものとは質が違う。記憶は、時に歪み、美化される、あるいは強調される。ひどい場合は捏造もある。なんとなく、そう感じるんだ、と思っている人は、霧が晴れるように100年前を見渡せるだろう。
興味深く読んだ部分
あの時代にも、オレオレ詐欺がいた! ただし電報を使っていた。騙すネタは今と同じで、病気や、失せ物である。
車内で読書をすることについて。目が悪くなる、と心配している。これは、当時の電車の揺れが原因かもしれない。また、車内で読む人の中に音読するものがいて迷惑だという不満。
車内読書は、都会の人々の車内時間が長くなるにつれて現れた現象だった。たぶん、その前は二宮金次郎(歩行中の読書)だったろう。いかに勤勉、努力家か。読書好きであることかと驚く。
ただ、今の乗り物よりも揺れが激しかったから目の健康を案じたに違いない。事実、私も目が悪くなるから電車の中で本を読んではいけません、と言われた記憶がある。
音読については、これも私の記憶だが、国民学校時代のクラスの子たちの中に、声を出して読む子が少なからずいたことだ。詳しく言うと、声を出さずに読むことができないのだ。黙って読め、と先生に言われると、声は出さないように努力するのだが、自然と唇が動いてしまう。一方、国語の時間には、クラス全員揃って音読をしていた。
これは、著者が書いているように
「明治の中頃までは、本は声を出して読むのが一般的だった。公共の場で、文字を読めない人に、声を出して読んで聞かせる行為は一般的だった。」
ということがあったのだろう。
もう一つ、第3章「すべての日本人へ」で、女性の権利についての項目がある。ここでは与謝野晶子と平塚らいてうのやり取り、現在の香山リカと勝間和代の意見交換、その他多士済済の意見が載っており、興味津々、本書の白眉と言って良いと思う。私の知らなかった人物、青柳有美(あおやぎ ゆうび)についても詳しい。一面のみを捉えず、立体的に書いてくれているところが素晴らしい。この項は、図らずも女性史概観となっている。
著者の視野は広く、目立たない人物の言も発掘している。
たとえば三井信託 副社長 船尾栄太郎の言。  
「近代の書物の通弊は文字に無駄が多く、いたずらに冗長で、意味の補足にワザと面倒な書き振りをすることである。ことに訳書の中に誤訳の夥しい事は誰も腹立たしく馬鹿馬鹿しく感ずるところである。」
これは、今現在に主張しても堂々、通用するのではないか。
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