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皮膚は「心」を持っていた!

『皮膚は「心」を持っていた!』著者=山口 創 発行=青春出版社2017年 サイズ=新書版 192頁 ¥1004 ISBN9784413045193
著者=
1967年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。専攻は、健康心理学・身体心理学。現在、桜美林大学リベラルアーツ学群教授。臨床発達心理士。著書に『皮膚感覚の不思議』『人は皮膚から癒される』など
内容=皮膚が人の心とどのようにつながっているか、を臨床発達心理士の立場から解説。さらに皮膚感覚を実生活に応用し、活かす方法を述べている。
感想=著者は約10年前から同種の本を書いている。前著『皮膚感覚の不思議』では「先天性無痛症」などの皮膚の病気に関する記述や専門的な知識、例えばノシセプチンという脳内物質について書かれていたが、本書では実生活に応用できる時代に即した内容となっている。
皮膚というと「お肌のお手入れ」的な面に注意が向けられて、清潔にすること、みずみずしく保とうという努力に力を注ぐ気配が見える。私はシワシワになることに対して関心が薄く、ほとんど手入れ的なことをしない。基礎化粧品と呼ばれるものを買ったことがない。おまけに窓を開けっ放しの車で走り回っていたこともあり、目も当てられない「お肌」だ。けれども人のシワの流れや動きには注意深い。
もう一つ、指先の皮膚感覚について関心を持っている。どうしてかというとセロテープやメンディングテープを使うときに切り口が見つからないことがある。特に最近流行のメンディングテープは色や模様が賑やかについていて見えにくい。これがなんと、眼鏡をかけても見えないが、指先を這わせて行くと一発で見つかるのだ。
皮膚って鋭いなあと感じているので、日常の皮膚感覚について詳しく知りたいと思ったのだった。
はたして本書は期待通り「皮膚は露出した脳」「皮膚は音を聞いている」「超音波や低周波がわかる」などの内容があり、目はごまかせても皮膚はごまかせないと出ていた。皮膚を大切に深く理解し、普段の暮らしの中で役立てて行く方法、イライラや不安解消のために皮膚をどう扱ったら良いのかなどを詳しく解説してくれている。
本書とは関係ないが日常の食器洗いについて考えていることがある。TVの食器洗いの洗剤CMで汚れた食器を蛍光発色させて、この通りバイキンがありますよ、この洗剤を使うと、ほら減りました! と見せている。減りましたと言っているが完全に消えたわけではなく、バイキン存在の証拠である蛍光発色はあるのである。私は水道の流水の下で皿洗いをするときに指先の感覚に頼っている。指先が綺麗と言ったら綺麗。洗剤で泡立てたスポンジで洗っても、その後に指先で調べると綺麗ではない部分がある。
指の腹は信用できる、と私は感じている。そして一心に指先の声を聞いているとき、私は何を見ているかというと何も見ていないのだ。目を閉じているわけではないが、視力を全く使っていないのだ。
話が猫の富士に飛びますが、富士を散歩させると興味のある場所を嗅いでいる。必ず臭いを取る場所は猫道の曲がり角だ。角々で猫たちは自分の体、特に耳の後ろから肩にかけた首筋の臭いを力を込めてなすりつけてゆく。後から通る猫たちは、誰が、いつ、このブロック塀の角を曲がって、どの方向に去ったかを受け取っている。相当量の情報が得られているはずだ。ブロック塀の他に小枝の場合もあるし、一枚の葉の裏側の場合もある。熱心に情報を取ろうとする富士は、鼻先からではなく鋤鼻器官という口の中の、上アゴの歯の根元に開口している嗅覚器官を使っていることもある。その様子は、私がセロテープの切り口を指先に聞いている時とそっくり同じなのだ。つまり目を開いてはいるが見ていない。私は触覚を使い、富士は嗅覚を使い、目を忘れているのだった。

丹沢・山暮らし

『丹沢・山暮らし』著者=中村芳男 前文=城山三郎 発行=どうぶつ社1980年 ISBN9784886224132 1325 四六判 P260
著者=なかむら・よしお 新潟県能生町生まれ 県立能生水産学校卒業 安南(今のベトナム)で底曳網漁業に従事。戦後、丹沢で戦争犠牲者たちと共同生活。民営国民宿舎経営。丹沢自然保護協会、全国自然保護連合などを組織。
内容=作家 城山三郎の前文があり、東丹沢に住み着いたきっかけから今日までの中村さんを一枚の写真に撮影したかのように綴っている。
続いての本文で主人公の中村さんが丹沢山中での暮らしを語る。大きな特徴は、これが1947年に始まる出来事であり、この年は日本国が戦いに敗れて2年後であり、中村さんが戦災孤児たちを連れて山に入り、炭焼きをして食べて行く姿を描いていることだ。中村さんは、東京生まれのクリスチャンの女性と出会い結婚する。山の中で生き抜くうちに、美しい自然に目が奪われ、山の木々、動物を守りたい気持ちが膨らんでゆく。
感想=私がこの本と出会ったのは、図書館の郷土史料の棚だった。
この海老名市立図書館は、2015年に改装オープンして今の形になった。大きな特徴が3つあり、1つは蔦屋書店とスターバックス コーヒーが入っていること。2つ目は日本全国、住所を問わず登録、利用できること。
本の返却は送料一律500円で可能。3つ目は大まかなジャンル別に書架に並べてあること。
というわけで郷土資料のコーナーを、アテがあるわけでもないが漂っていた時に目に止まった一冊がこの本だった。
この図書館は、新しいやり方を取り入れたところの特徴として、従来の常識から外れているという感覚から拒否反応を示す人も少なくないと聞いている。が私には受け入れやすい、大歓迎する要素満載の嬉しい図書館誕生だった。カフェスタイルの図書館員が館内のあちこちにいて、声をかけると親切に教えてくれる。年配の人たちも働いているが、わざとではない、ごく自然の穏やかな笑顔で接してくれるのである。
一つの組織の良さ悪さは、現場で働く人の表情を見るのが一番だ。ここは、素晴らしく良いのだった。歩いて通える図書館はあるが、私は小田急線に乗って海老名に行くことにした。近いところは館員が仏頂面で、こっちも仏頂面になっていると、何でお礼言わねーんだよ? という裏飯面で見上げてくるのだ。二度三度となると、こっちが先に般若面になる。
話が逸れてしまったが、手に取った本書はカバーなし、ヤケ、痛み、シミ、汚れ、蔵書印、なんでもありのボロボロ本だ。蔵書印はいくつも押されていて、それは転々としてきた図書館印だった。丹沢は海老名の目と鼻の先だから、この本は地元の本として長い間読まれてきて、この図書館に落ち着いたものだろう。

城山三郎の前文ーー出だしの一行。
中村芳男さんが、丹沢に入ったのは、昭和二十二年も暮れのことであった。新潟と富山の県境に生れた中村さんは、もちろん、丹沢を知らない。見当もつかない場所であった。
全文を紹介したいところ。思いのこもった紹介である。
大勢が住めるタダの家があるところ、という条件で探して、見つかったのが丹沢山中の77坪の廃屋だった。ガラスもランプも壊れて、家の中は土足で歩く状態。ここに戦災孤児たち引揚者、罹災者など13人と中村さんの妻と2人の子たちが居着いて炭焼きを始めた。漂浪してたどり着く人も加わって人数は増える。この時中村さんは37歳だった。
これは、年間千万人の餓死者が出ると見積もられた時代のことだから、食物にどれほど苦労したことだろう。
細かくお伝えしていると一行残さず書くことになりそうだ。中村さんは奥さんの影響もありクリスチャンになる。

腹の底に響いたのは、中村さんが丹沢に連れてきた孤児の少年の、それまでの日々だ。当時菊田一夫の「鐘の鳴る丘」という戦災孤児を題材としたラジオドラマが放送されていて、その主題歌が「父さん母さんいないけど~」という始まりだった。中村さんが山に連れてきた少年が、まさにこのような戦災孤児だった。上野の地下道で暮らし、靴磨きをするために電車の座席の布を切り取った。生き抜くためには何をしたっていいんだ、とお兄さんたちから教わる。読んでいて私は、山よりも当時の東京に引き戻されてしまい辛かった。
一番心に残ったのは「なかちゃん」のエピソードだ。真面目になりたいんです、と言ってやってきた、大柄でスピーディではない得体の知れない男。クリスマスにキリストの演劇をしたりするうちに祈るようになり懺悔を始める。やがてハガキを各所に出し始める。驚くような犯罪に関わることを続けてきた罪を謝るハガキだった。刑事が逮捕状を持って山にやってきた。ハガキを受け取った中の誰かが届けたらしく、なかちゃんは逮捕された。中村さんが裁判に呼ばれた。引取人に本人の全生活の指導と監督をお願いする、と言われて中村さんは請けあう。これが判決だった。このエピソード一つで一冊の本になるくらいの、山と時代と人の情景が広がる。

子どもの本のよあけ

『子どもの本のよあけ』副題=瀬田貞二伝著者=荒木田隆子発行=福音館書店2017年サイズ=210X148mm477頁瀬田貞二著作リスト=24¥3200ISBN9784834083156
著者=荒木田隆子あらきだたかこ元児童書出版社の編集者。在職当時は瀬田貞二氏の担当編集者として『落穂拾いーー日本の子どもの文化をめぐる人びと』『絵本論ーー瀬田貞二子どもの本評論集』『児童文学論ーー子どもの本評論集』などを手がけた。著書『鈴木サツ全昔話集』東京在住
内容=副題にある通り、児童文学者、児童文学翻訳家の伝記で、東京子ども図書館主催の講座をもとに、その業績を辿り記している。
感想=瀬田貞二 who
名を知らない人も多いだろう、しかし。
心に残る思い出のこの絵本、あのお話。その本の隅っこに、この名が小さく記されているのを見つけるはずだ。
瀬田貞二氏は、成育期に戦争に巻き込まれた世代だ。大学在学中に兵士にされ、負けた国の若者のひとりだった。その廃墟から立ち上がった不死鳥の一羽だった。
瀬田貞二氏が希求したものは何か。子どもたちの心を育もうと一生を賭けた。この本は、そういう生き方をした人の姿を描き出している。
荒木田隆子氏の書いた「まえがき」は心を打つ。子どもたちを育んだと同時に、次の世代の文学者たちをも立派に育てて児童文学の土壌を豊かなものにしたことが伝わってくる。これは長い時間を共にし、敬愛した者によってのみ記すことができるもの、それゆえに読む側に瀬田貞二氏の人柄をも手渡してもらえるのだ。
苗を育てる人。そして苗を育てようと集まってきた人たちを育てる人。そういう人だったことがわかる。
巻頭8ページにわたり、カラーで「児童百科事典」「評論集」「いいもの、すばらしいもの」として多数の著作が紹介されている。もちろん「よあけ」「おだんごぱん」なども出ている。丁寧な作りで「まえがき」の次に凡例の頁を設け、続いて年譜がある。巻末に横書きでつけてある著述リストが貴重な資料。「資料編」が良い。近来、最高の本の一冊ではないだろうか。

中東エネルギー地政学

中東エネルギー地政学』副題=全体知への体験的接近 並列タイトル=Middle East Energy Geopolitics 著者=寺島実郎 発行=東洋経済新報社2016 サイズ=20cm 303 2000 ISBN9784492444313
著者=てらしま じつろう 1947年北海道生まれ早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。三井物産ワシントン事務所長・三井物産戦略研究所所長・日本総合研究所会長などを経て多摩大学学長。
内容=中東を中心に世界各地を巡り、ニューヨーク・ワシントンに10年住むなどして体感した視点に立ち、国内外の政治経済、外交、エネルギー政策、宗教などについて人生の歩みに沿って記す。
感想=早稲田から三井物産に新入社員として入社した、このスタートで置かれた場所が中東のエネルギー部門だったという。特に関心があり望んだのではない、与えられた場所から動き出した時点から、その地点での育自に励む姿が見える。三井物産という一企業のワクからはみ出して独立した存在へ飛翔する道程が時代の激変期と重なり劇的だ。この部分に素直で自然な心情が読み取れて魅かれた。
常に見つめるのが土地、その場所の歴史である。このポイントが地政学、体験的というタイトルにある。
大手の石炭会社勤務であった父は九州の炭鉱におり、実郎氏は母のお腹のなかで北海道の炭鉱へ引っ越したという。北海道の山奥から山奥へと転勤後、九州の筑豊へ。生まれる前からエネルギーと縁があり、土地を転々とすることになったこともご縁だろうか。振り返ると重なっていたとわかる不思議が見える。
中心部分の内容ではないが、シーア派とスンニ派の源についての解説が、よく理解できた。なぜ執拗に反目し合うのか。その原因が歴史展望と、その土地に時間を埋めたことによって掴んだもの、文字ではない部分を手渡して貰えたことによって腑に落ちたのである。
人が左右の手を持つように、国にも左右の思想が必要だし、双方に優れた人材が求められる。寺島氏は「心に残る理解者と支援者」の項目で各界人との交流を描き、「政治家では、宮沢喜一、福田赳夫さんの問題意識の高さと心の寛さに啓発されてきた。」と記している。寛容性と独立性を併せ持つ佇まいが、ここにある。

コーヒーもう一杯

コーヒーもう一杯』著者=山川直人(やまかわ なおと)発行=エンターブレイン200915巻セット BEAM COMIX サイズ128X182mm平均頁210 ISBN4757727305¥@650
著者=漫画家1962年東京出身高校卒業後フリーター生活で同人誌活動、漫画家を目指した。これは一昔前の純文学青年と重なる生き方に映る。商業誌で活躍する一方、自費出版の作品発表、同人誌活動も続けている。作画は隅々まで綿密な手書きで強烈な特徴を持つ。
内容=コミックビームに連載した作品。一話完結。1冊に12話。全巻モノクロ。目次の前の頁にカラーの一枚絵。
感想=タイトルは、Bob Dylan1976年にリリースしたアルバムDesireに収録されている曲、One More Cup of Coffeeからとっている。ディランの曲を聴きながら描いている、とあとがきに書いているが心底ディランのファンで、いくつも好きな曲名をタイトルに使っている。
ボブ・ディランはもてはやされて有名で、誰でも知っている、そういう人ではない。この作品を書いているころ、著者も出版社も、まさかノーベル賞を受賞する歌手とは夢にも思わなかったろう。
ディランは、日本で言えば「平家物語」を琵琶を抱いて歌う坊主、西洋では「オデュッセイア」を語るホーメロス、あるいはジプシーの辻歌いなどの原点とつながる吟遊詩人だと思う。このコミックの帯に編集者が山川直人を「漫画界の吟遊詩人」と表現したとき、ディランを思い浮かべていたとは想像しにくい。人間の感性とは、なんという凄さだろう。
体質が同類であるのだろうが、もう一つ、ディランは創作者を惹きよせるフェロモンを発散する作家なのだ、ということがある。どこが、なぜ? そんな芸術論を話し合える人に会いたいと思う。
1
話ごとの感想となるときりがない。  こんな感じかな。
ん。いい……
いいよ、これ。

でしょ。
まるで一杯のコーヒーじゃないか、一話、一話が。
なかなかのブレンドなんだ、お代わりするの、もったいない。
毎晩、一杯、いいね。

見返しの次のページ、目次の前にカラーの絵がある。
原画のサイズがわからないが、美術展に出ていたら引き寄せられる、実にすばらしい絵だ。ゴッホ、ルオーを思う、そういう味わいだ。ファインアートも文学も、すべて体内に抱え込んでいるのが見える。こういう作家が漫画フィールドで活躍していることは、文学に拘泥している側から見ると恐怖感に似た衝撃を覚える。
例えば「雨の日の女」。これもRainy Day Women 1966 のタイトルだが内容は関係ない。
昔の女が雨の夜、コーヒーショップに現れる。マスターがコーヒーを淹れる。二人の過去、そして今。逆巻く思い。無口な男の心情が絵になる、コーヒカップを置く時の擬音文字が音となって頁から噴きあがる。 

バナナの歴史

バナナの歴史』(食の図書館シリーズ)著者=ローナ ピアッティ ファーネル Lorna Piattii-Farnell 訳=大山晶 原書房 2016年発行 ISBN9764562053275 サイズ=19cm ¥2376
著者=ニュージーランド、オークランド工科大学大衆文化研究所所長。執筆を依頼されて大喜びしたそうで、バナナのことなら知っている、と思い書き出したら、知らなかったことが続々と出てきたという。
内容=これは「食の図書館シリーズ」の中の一冊で、多くの果物や、コーヒーを始め、食材を取り上げている。本書バナナでは、歴史、伝説から始まり、バナナの種類、産地について、また料理のいろいろなどが集められている。
感想=カラー写真がたくさん出ている。歴史の章では、バナナプラントで起きた大虐殺事件も取り上げているが、その事実にとどまらず、ガルシア・マルケスの小説『百年の孤独』の中にも取り上げられていることも記されている。バナナの広告ポスター、おもちゃ、絵画。ルノワールが描いた「バナナ畑」の絵もカラーで出ている。キリコの描いたバナナも出ている。キリコが描いたらどんなバナナになるだろう、と思ったが、実に普通の写実的なバナナだった。どんなに絵が下手な人でも、バナナを描いてバナナに見えないことはない。その点だけでもバナナは賞賛されて良いのではないかしら。バナナの歌も出ていて、全ページにわたって楽しい。
ひとつ、書かれていない事柄があった。それは農薬についてのことで、最も知りたい部分だった。日本には芭蕉は育つが食用バナナは生産できない。すべて輸入である。バナナは船で運ばれて日本の港に着くが、到着した時は緑色の未熟なバナナである。市場に出す日を計算して熟成させる仕組みだ。船で運ばれてくる間に熟してしまわないように薬品で調節しながら運んでくるのである。これは温度調節だけでは不可能だという話を聞いている。さて、このことが事実であるのか、事実とすれば、薬品名は何か。この薬品がバナナに残留しているということも聞いているが、バナナの、どの部分に、どれほど残留しているのか、確実なことを知りたかったのだが、全く言及されていなかった。著者は文化面にだけ目を向けているのだろうか。

日本速記事始

『日本速記事始』副題=田鎖綱紀の生涯 著者=福岡 隆(ふくおか たかし) 発行=岩波書店1978年 新書 218頁 ¥280
著者=1916年広島生まれ 1929年上京、商業・速記・英語の各学校卒業。早稲田大学通信文学部終了。海軍通信学校暗号科卒業。速記者・東京速記士会理事
内容=日本に速記術をもたらした人物、田鎖綱紀の伝記。
感想=画像も音声も、自由自在に保存できる現在、速記という言葉さえ知られなくなった。しかし、テレビで国会中継を見ると、まるで議場の主役であるかのような中心の席にいて仕事をしている速記士の姿を見ることができる。
この本は、録音録画は夢にも出てこなかった時代に、なんとかして発言した言葉を、そのまま記録したいと願った人の伝記だ。
田鎖綱紀は、初めから速記の記号を案出しようとしたのではなかった。
彼は日本語文字を作りたいという大望を持って、外国に生まれた速記を手本に、日本の速記を生み出した。
ローマ字は西洋の文字、漢字は中国の文字。カタカナ、ひらがなは、漢字の変形だ、と田鎖はいう。純粋な日本文字ではない、という。
純粋の日本文字が欲しい。この熱意、努力が結果として日本速記術を生み、録音技術が発達した現在も、未だに必要とされている存在となったのだった。
この本は、速記に生涯を傾けた田鎖綱紀の生涯と同時に、その時代の記録でもある。
目次の次、中扉に当たるページに晩年の綱紀の写真が出ている。白髪白髯、眼鏡をかけた明治人の姿。その上端に東京雑司ヶ谷墓地の地番が記されている。綱紀の墓所だ。次ページに墓所の墓石に隣接して建てられた念碑に刻まれている文字が置かれている。著者は、この念碑建立の発起人の一人である。その文字をここに置きましょう。
表「日本文字始而造候居士」裏「岩手県盛岡の人田鎖綱紀は、明治15年(1882年)日本傍聴筆記法を発表し、速記の今日の隆盛の礎を開いた。その八十年を迎えるに当り、翁が生前の抱負を示す遺墨の碑をここに謹んで建立する」一九六二年七月三日 日本速記法習得者有志一同

魔法のホウキ

『魔法のホウキ』The Widow’s Broom 著者=Chris Van Allsburg クリス・ヴァン・オールズバーグ 訳=村上春樹 発行=河出書房1993年 ISBN9784309261874 ¥1740 縦長大型絵本 338X208mm
著者=1949年アメリカ・ミシガン州生まれ 児童文学作家・イラストレーター。ミシガン大学で彫刻を専攻したが、妻の勧めで絵本作家に転向した。3作品が映画化され、JUMANJI ジュマンジは、日本でもよく知られている。この作家の絵本はどれも村上春樹が翻訳している。
内容=大昔の秋、月夜に空から人が落ちてきた。それは魔女で、乗っていたホウキが故障して飛べなくなったからだった。魔女は他の魔女に助けてもらって空へ戻ったけれど、ダメになったホウキは捨てられ忘れられてしまった。ところがこのホウキが動き出して〜。
感想=横長の絵本は見慣れているけれど、この絵本は縦長。色はセピア色一色。魔女が使っていた魔法のホウキは、ちょっと変わった形に見える。
本の見返しに「ブックリスト・レビュー」がついていて「オールズバーグの作品の中でも最高傑作の部類に入る」とある。
文章は、この物語にふさわしい見事な雰囲気を湛える日本語に置き換えられている。村上春樹が、本業の翻訳家として語彙を吟味し選び抜いたことが窺われる。
ウィドウを後家さんと表現している点も、読み上げた場合の音の効果にも配慮していると感じられる。難しい漢字がたくさん出てくるが、こうした文字の選択判断は、詩人、田村隆一が童話を翻訳した時にも見られるものだ。この判断は、幼い者、日々成長する子たちに対する信頼と希望が基になっているのだろう。これ、読めない! 知りたい! という気持ちを掻き立てられて子供は進む。
後家さんに拾われたホウキは、たくさん役に立つことをする。ホウキは自発的に働いてくれる。その様子は映画「ファンタジア」の魔法使いの弟子そっくりだ。
しかし普通でない働きもしてしまうので、眠っているところを捕まえられて焼かれてしまう。その焼かれようは、魔女裁判で火あぶりになった魔女を思わせる。
後家さんが、眠っているホウキの居場所を村人たちに教えてしまうことなど、多くのシーンに重層的な意味が込められていて、読み聞かせをする大人は、子供が受け取る世界のほかに、歴史を踏まえた深い世界を感じ取ることができるだろう。

サンゴ知られざる世界

『サンゴ知られざる世界』著者=山城秀之(やましろ・ひでゆき)発行=成山堂書店2016年サイズ=210X140mm180頁¥2376ISBN9784425830718
著者=1980年琉球大学理学部生物学科卒 現在琉球大学熱帯生物圏研究センター瀬底研究施設教授博士
内容=ついこの間まで私は盆栽のような形のサンゴを植物だと思い込んでいた。サンゴは知れば知るほど驚きの姿を現わす不思議の生き物だ。
本書は1,サンゴの基礎知識2,サンゴの種類3,サンゴと多彩な生き物たち4,サンゴ礁と地球環境の4部構成となっている。
ページの小口が緑青橙紫の4色にしてあるので、パラパラとページを繰り、好きなところを開くことができる。横書きで、タイトルと小見出しも色分けされていて見やすい。ふんだんに盛り込まれているカラー写真が楽しさと親しみを伝え、数は少ないが図が優れている。分かりやすい、はっきりとした図に、レベルの高い解説がついている。素人の読者だ、少年少女かもしれない。だからレベルを(一般向け)に引き下げて優しくしてやろう、というような手加減は一切ない。著者の研究成果の全てを投入、詳しい解説をしている。こうした部分を読むと、勝手に相手の力量を推測してレベルを下げてあげましょう、という態度が、如何に的外れの親切かということがわかる。よくよく分かっている専門家が語り渡してくれる言葉は、むしろ単純、簡潔で理解しやすいものだ。お楽しみはコラムだ。目次にコラムのタイトルも並べてあるからコラム目当てに開くこともできる。例えばこんなコラムがある。「光に向かって歩くサンゴ」「童謡・歌とサンゴ」「サンゴ礁の音色 波と天ぷら」「緑色に光る蛍光サンゴ」。こんなタイトルを見たら、読まないではいられない。読み出したらやめられない。多少は知っていると思っていたサンゴは、ごく一部だった。サンゴの万華鏡のような多種多様な姿に感動した。最後の章にある「人とサンゴと地球環境」では、最近の密漁も取り上げられ、白化現象など深刻な問題について解説があり、重く心に響いた。人間活動による海洋汚染の劣化は、人類全体が本気で考えなければ先がないと感じる。索引つき。

ヨコハマ買い出し紀行

ヨコハマ買い出し紀行』全10巻著者=芦奈野ひとし発行=講談社2009年〜2010年サイズ=128X182mm@¥638ISBN9784063106718
著者=あしなのひとし1963年生まれ神奈川県横須賀出身漫画家。本作が四季賞受賞、デビューした。12年間にわたり連載し、2006年に完結。代表作。
内容=神奈川県横須賀あたりを舞台とした近未来。温暖化の影響だろうか、横須賀は海の底に沈み、見渡す限り廃墟と化している。かわいい女の子、アルファは、ポツンと一軒あるコーヒーショップで、たった一人で店番をしている。オーナーは見えない。客は1週間に一人、あるかないか。スクーターを持っていて、買い物に行ったりする。近所の爺さんがやってきたりする。町は場面に現れないが、まだ多少の人々は生活しているらしい。ガソリンもあるし、爺さんは軽トラを持っている。
肝心なことは、主人公アルファさんがアンドロイドであることだ。人間と見分けがつかない、豊かな感情を持っている。しかし歳をとることのない機械だ。 A7量産試作機M2の3体のうちの「ひとり」。
感想=かつて整備された高速道路や高層建築は、いまや全く使われていない。道路の隙間から雑草が伸びて、海面は今も上昇を続けている。時々崖が崩れて海に沈む。まるで音のない世界に見えるが、それは逆に、今、我々がいかに雑多な人工の音にまみれて生活しているかを思い知らされる。人工の音がない。聞こえるのは侵食されつつある崖の崩落の音。風の流れる音。
ほとんど客のないコーヒーショップに現れる人やアンドロイドとアルファの物語。近未来かと見ているとジュラ紀の飛竜のようなものも現れる。また幻想のようにミサゴという名の美女の妖怪が現れる。飛ぶ魚を操る男が現れる。アルファさんは、オーナーが残していった月琴を弾く。絵が綺麗だ。
内容を伝えたいが、ない。切れ切れの場面に横浜界隈の年寄りの言葉と、若い娘のアルファの言葉が重なり合い、柔らかい感情がたゆたう。ここには対立や敵対がない。あるのは、ゆっくりと流れる「時」。徐々に海面が増えてゆく。
これは若い人のデビュー作で、同時に彼の代表作だ。
漫画家としてやっていきたいが先は闇。そういう状態の時に、自分が育ち、今も住んでいる横須賀を舞台として描いた近未来、そして孤独な自分の姿を、週に一人くらいしか客の来ない喫茶店の店員、アルファさんに重ねた作品である。アルファさんが食べる必要がないアンドロイドだ、という設定は、もしかすると作者は食べるだけは食べていける境遇だったのではないか。例えば親がかりだったとか。
横須賀は、この仮構世界では海底に没している。描かれる都市廃墟、それは道路が主なものだが、生々しい現実感を漂わせている。そしてアルファさんを取り巻く緩慢な時の流れ。これが受け取れることで、傑作と言っていいと思う。作者の心象風景かと見えて、迫ってくる力がある。
今文芸同人誌で書いている人たちには「思い」はあっても、架空世界を構築する体力も能力もない。まして架空世界に必死の自己を投入した人物を立ち上げるだけの技量がないばかりか、目指そうとする意欲もない。「思い」だけが浮遊霊のように頁間を漂う。
せめて技術を磨けと言っても、ふん、俺は俺の好きなようにするだけさ、と嘯くばかりである。
やはり、当然の現象である。遠い先のことだろうが、漫画がノーベル賞級に育つことは目に見えている。
漫画同人誌の大群衆がビッグサイトに集まる一方、閑古鳥の声すら聞こえぬ文芸同人誌は、これは私の願いが入るのだが、大きな使命、第二次世界大戦の経験者として文章化する使命、これを抱えていながら、ツールを揃え、ツールを磨く、そして駆使する。このことに限りなく怠慢だと思う。
文芸同人誌よ、消え失せろ。アルファさんのような店だが、それでも私の店は続ける。

チロヌップのきつね

チロヌップのきつね』著者=たかはしひろゆき発行=金の星社1972年サイズ=24cm48頁ISBN9784323002316¥1296 
著者=高橋宏幸1923~2010秋田県出身。児童文学者・挿絵画家。小峰書店初代編集長・日本児童文芸家協会理事長を務めた。
内容=北海道地方の小島に棲むきつねの母子と、夏の間だけ昆布取りに来る老夫婦との関わりと密猟の罠の物語。
全国学校図書館協議会選定必読図書。少し詳しく書くと、北の小島に昆布取りに通う老夫婦が、迷い子狐と思い舟に乗せて連れ帰り可愛がる。次の季節に、赤いリボンを結んで島に戻してやると、子狐は母の元へ帰った。戦争が始まり、島に兵隊が上陸する。鉄砲の音がする。狐たちは逃げ惑い父狐は帰ってこなかった。残された母子の狐。子狐が罠にかかってしまう。母狐が餌を運んで養う。やがて戦争が終わり、老夫婦が島に来てみると罠のそばに子狐に結んでやった赤いリボンのような花が咲いていた。
感想=この絵本の見返しに、著者が、こう書いている。「この作品は、著者の戦時中の強烈な実体験を元に書いた創作である。単に狐の親子の愛情の強さだけでなく、さらに深く、大きなものを汲み取ってもらいたい」。
非常に評価の高い絵本。金の星社は、私が大好きな出版社だ。
昆布を広げて干す風景、寒風の原野。見事な絵である。狐の姿態の美しいこと、可愛いこと。素晴らしい絵本だ。
著者が青年兵として、この島のモデルとなった島へきた時に見た風景が心に焼きつき、後年、狐を主人公に作り上げたという、その思いが伝わってきた。実際、その島にはお地蔵さんが立っていたそうだ。
罠にかかった子狐を養う母狐、死んだ狐に対する哀れさが読むものの心を打つ。
ところで、この絵本は狐に服を着せて、人間の言葉を喋らせる造りではない。自然の中の、ありのままの老夫婦、野生の狐、姿は見えないが戦時中の兵士である。
私は、こうした作品の場合、天然自然を歪めてはいけないと考える。老夫婦が、迷子と思った子狐を小舟に乗せて連れ帰り、面倒を見て次の季節に赤いリボンを首輪にして再び島に戻してやっている。その時、子が母のところへ走って行くのだ。野生動物が、人のにおいの染み込んだ子を受け入れるだろうか。有り得ない話だ。子供向けであるからこそ、まっとうな作りにすべきだ。
狐と兵隊の関係がわからない。軍の命令で上陸した兵隊たちは、なぜ発砲するのだろう。演習なのか、敵がいるのか不明だ。兵隊の姿を察知した狐たちが、へんなにおい、にんげんのにおいだ! と警戒の声を上げている。老夫婦の臭いが染み付いた子狐を受け入れ、一方、このように警戒するのか。矛盾している。
罠にかかった狐の悲劇。では罠を仕掛けたのは誰か。解説では、この島では密猟者が罠猟をしているとあるが、毛皮を目的とする密猟者が仕掛けた罠を放置するはずがない。あっちにも、こっちにも矛盾が見られる。お地蔵様が描かれているが、一言もない。年配の読者は、地藏菩薩の由来を放置できない。絵本は、かならず大人の目にも触れるのだ。
首に結んだ赤いリボンが、涙を誘う小道具に使われているが、これも問題がある。ひっかかって危険だから、猫の首輪も、引いたら外れるフックがあるし、外猫には首輪をつけるな、と言われている。
これは破綻した失敗作ということにならないか。創作するということは、事実を超えた真実を伝えようとする行為だ。事実から飛翔して真実を目指す。思い切った創作は素晴らしいが、動かしてはならない自然は大切にしたい。
狐の習性を無視し、赤いリボンで涙を要求し、兵隊の存在を不明瞭なものとし、直視すべき密猟者は影も形もない有様だ。宙に浮いた地蔵様は立ち往生だ。
本書は子供に読ませるのではなく、創作を学ぶ場合のテキストとして使うと有益だと思った。

1937

1937』増補版 著者=辺見 庸(へんみ よう)発行=河出書房 2016年 サイズ=128X187 402頁¥2300ISBN9784309247526
著者=1944年宮城県生まれ。1996年まで共同通信社勤務。芥川賞他多数受賞。
内容=タイトルの数字の間に星印を挟み、カタカナでイクミナとルビを振ってある。これは増補版で河出書房から2016年3月20日に発行されており、初回は、2015年10月22日に出版社金曜日から発行されている。
本書は、2015年1月30日から7月31日まで『週刊金曜日』に連載されたもので、加筆修正を加えて増補としてある。1937とは年号であり、この年に、どこで何が行われたかを軸に、南京大虐殺、天皇の本質などをめぐり、8章に分類して自身の過去と現在を絡み合わせて吟味している。
感想=一度も読んだことのない作家。雑文にも触れたことがなかったので、新鮮だった。
しょっぱなから当惑したことがある。それは平仮名と漢字の使い分けが、著者独自のものであり、読みにくさが先に立った点だ。
熟語を平仮名で書く場合が多い。いちぶ、とある。これは一部の意味だな、と読取らねばならない。たんじゅん。じゅうぶん。なんだ、これは、と気持ちが引けてくる。だぶん。駄文か、と先を読むと、だぶんと鈍い音がして、とあり、擬音と判明するのだ。だったら徹底的に平仮名主義かというと、そうではない。漢字をつかい、ルビまで振っている。私には不要なルビだが、ルビをつけなければ読者が困るだろう、と慮るのであれば、なぜ平仮名で書かないのか。笑えるではないか、平仮名にしてしまっては、意味が多様に分岐してしまい、選択に困るからだ。
本書のみに試した文体か、他の文章も、このようであるかは知らないが、一定のルールが掴めないので一種のパズル的技術を使い、読まねばならなかった。閑話休題。
南京大虐殺をはじめ、天皇に関する認識などについて、心から同感する。誰でも知っていることだ。もっと、言ってもいいくらいだ。そして、それ(もっと言ってもいい)を為し遂げてくれた人が丸木位里夫妻だなあと、読みながら感じた。それは、辺見庸さんが力不足なのではありません、絵の持つ力、言葉を超えた領域まで踏み込める絵だからこそだ。
読みながら、ひしひしと迫ってきた感覚は、残虐な行いに対する爆発的な怒りと、同類としての我の内部に払拭しようとしても残る魔核のシミ、そうした我の存在に対する不滅の悲しみなどで、それらは記憶の中の『原爆の図』を重ねて眺めることで立体化していった。
敗戦の時に1歳だった著者は、その時間に存在した事実から逃れる術を持たず、現在に至っている。1歳の赤子を生むためには、父は、いつ、どこで、母とともにいたのか。それができた父の所業を、著者は思わずにはいられなかったのだろうと感じた。こんなことは、本書の中には1行もない。ないがゆえに読み取れる部分だ。
最後に、「本書を父の霊にささげ、批判を仰ぐ」とある。
これは、1937年の陰に在る、自身の生まれ年、1944年を抱き合わせた父との葛藤の書だ。
哀れむべきかな、著者の周辺、胸中、背後、あるいは天上に、神が見えぬ。祈る対象の欠落、あるいは不在は、父の霊の元にて留まるしかない。

奄美 生命の鼓動

奄美 生命の鼓動』副題=海底のミステリーサークル 著者=大方洋二(おおかた ようじ)発行=講談社2016年230X270mm 84頁¥2900 ISBN9784062201025
著者=1942年東京出身1963年にスクーバダイビングの講習を受け、独学で水中撮影を始める。1981年からフリー水中写真家となり現在に至る。著書『もっと知りたい魚の世界』(海遊舎)など。全日本潜水連盟指導員・日本自然科学写真協会会員
内容=奄美の海の写真集。前半がミステリーサークル関係。後半は奄美のサンゴと魚たち。アオウミガメも。
感想=表紙の写真を見て、何? これ!
海底の砂に埋まったタイヤみたい。サブタイトルからすると、古代遺跡発見か?
放射状に凹凸を刻む砂の芸術にしばらく見とれた。これが小さな1匹のフグの仕事だったとは、驚きだった。
初めて目に留めたミステリーサークル。6月ごろになると現れる。大方さんと仲間たちは16回の6月を見守ってきた。
そして16年後にわかったことは、これがフグの産卵床であり、このフグが新種だったことだ。
アマミホシゾラフグと名付けられて、国際生物種探査研究所(ニューヨーク州立大学)によって「世界の新種トップ10-2015」に選ばれた。日本から選ばれたのは初めてだという。
これは写真集だが、この経緯について書かれている部分は読み応えがある。
半世紀を超えるキャリアの大方洋二さんが、カメラを通して見せてくれる奄美の海の中は、丁寧で緻密な視線の先に、しみじみと深い愛が見て取れる。高校時代に海に魅せられ、一旦は就職したものの一筋を貫いて今に至る靭さは、地球原初の命の母体である海世界への慈しみに支えられてきているに違いない。作品画面から滲み出してくる、こうした気配に接すると、画家の手にする絵筆に血が流れているように、カメラに脈打つ拍動が感じられる。
こんなかわいいの、いました。これって珍しいでしょ。そんなものではない。
海底に放置されたアンカーの写真。1997年撮影とある。そして次頁に10年後の写真。同じアンカーが、同じ場所に同じ姿勢で。
時を背負う写真集。そして、いやがうえにも人をも背負う写真集。

モノから見たアイヌ文化史

モノから見たアイヌ文化史』著者=関根達人(せきねたつと)発行=吉川弘文館2016年¥1900サイズ=19cm194頁ISBN978464208295
著者=1965年埼玉生まれ東北大学大学院中退。弘前大学人文社会・教育学系教授。同大学北日本考古学研究センター長。
内容=著者の博士論文である『中近世の蝦夷地と北方交易』(吉川弘文館2014)をベースにしている。この著作が第6回日本考古学協会賞・大賞に選ばれたことをきっかけに、一般向けに書き直したもの。モノを追うことで17世紀以前は記録がないアイヌ文化について調べてゆく。
感想=近年、アイヌ民族やアイヌ文化への関心が高まり、一般向けの出版物も増えた。が、そのほとんどは、明治以降の北海道開拓の中で培われてきたアイヌ史に対する反動から、ことさらにアイヌの人々の主体性や文化の独自性を強調して「日本史」や「日本文化」との差異が語られている。
著者が不満とするのはこの辺のことだ。私は、アメリカ先住民に関する書籍も同様の傾向を持っていると感じている。
文字を持たないアイヌ民族は、自分自身の手による記録を持たない。17世紀以降は和人による記録が、それ自体を目的としたものではないにしても、散見されるようになるのだが。故にモノがモノを言う世界なのだ。
「あとがき」に著者は、このような歴史研究の方法を刑事にたとえている。事情聴取、現場での聞き込み、現場検証、押収された物的証拠を吟味する鑑識など。読んでゆくと、まさに刑事さんだったので笑ってしまった。
アイヌが大好きだったガラス玉。中国人は玉(ぎょく)を珍重し、ガラス玉は代替品であった。中国のガラス玉をアイヌは愛した。また、それを真似た和人作のガラス玉も持っていた。しかし、それだけではなかった、ヴェネチアングラスも発見された。世界中のガラス玉が集まっていることがわかったという。
このガラス玉ひとつをとってみても、アイヌが日本だけではなく北のロシア、中国も日本経由だけでなく、内陸を通ってロシア経由で中国のモノがアイヌの手に渡っていることが見えてくる。
貝塚を発掘したら、米国製の金ボタンが見つかった。このあたりの探索になると面白くてやめられない。まさにブツが語るのだ。
時代を追って進む記述には、もちろんシャクシャインの事件も記されている。しかし著者は、松前藩とアイヌたちの、この抗争について「シャクシャインは謀略により殺された」と記すのみである。また納沙布岬に建つ記念碑についても、物足りぬほどに淡々と記している。
私は、このあたりの事件について様々な書き手の記録を読んできた故だろうか、事実のみを省略気味に記す行間に、弱者、後発者、文字を知らぬ者に対する虐待と収奪の理不尽さへの怒りが詰まっているように感じた。
著者の視野は広く、既成のアイヌ史の枠を超えて、アイヌ考古学と中世・近世考古学を融合させ、日本、中国、ロシアを丸ごとすくい取った中にアイヌ文化を置いてみせる。
この広域世界には、経済活動に伴うモノの動きがあり、日本製品の蝦夷地進出が、アイヌ民族の自律性を奪ってゆく姿、政治的な内国化に先立って、蝦夷地が日本国内経済圏に組み込まれてゆく姿が鮮やかに見えてくる。
改めてモノの怖さを思った。
また、アイヌが貨幣を信ずることができず、モノとの交換でなければ納得できなかった、その心の奥も、こうした研究の成果として理解し、読者に手渡してくれている。



語り遺す戦場のリアル

『語り遺す戦場のリアル』著者=共同通信「戦争証言」取材班 発行=岩波書店 2016年¥660 94頁 21cm 岩波ブックレットNo.954 ISBN9784002709543
著者=20〜30代を中心に50人の記者が担当。代表者の阿部拓郎は1971年生まれ。日向一宇は1972年生まれの記者。
内容=取材当時76〜106歳の67人の体験者の言葉。
感想=「はじめに」として見開きで書かれている言葉が、取材を終えて胸に畳み込んだ67人の心を背負い、気迫と感激に満ちている。
戦後80年の節目には、もう話を聞くことはかなわない、という思いで取材した、と記している。
67人というと、当時の国民学校の1クラスの人数だ。老いた67人は普段、普通にご飯を食べたりお茶を飲んだりテレビに目をやったりして過ごしていることだろう。明日は整形外科に行く日だ、というような予定を口にしても、あの頃のことは自分自身にも見えない、聞こえない、金庫みたいな堅く重い箱の中に封印しているのではないか。私自身が76〜106の真ん中くらいにいる年齢なので、そう思うのである。
1971年生まれという若い記者さんが、突然目の前に現れたからといって、待ってました、と口を開いたとは思えない。戦争直後は、あれこれ頭を動かしている暇はなかった、10年経って、戦後じゃない、という人が現れ始めた時は、聞こえない顔をしていたものだ。思い出したくもなかった20年後も、30年後も沈黙だった。もしも尋ねられたとしても、多分ごまかしたことだろう、さあね、知らない、とか言って。
こうして長いあいだ心の地獄に潜んでいた「あの時」が取材記者の熱意によって開かれた。もしかすると、記者さんの熱意だけでなく、ここまでの時間が必要だったのかもしれない。
ようやく、今なら言えるかもしれない、そんな気持ちにようやくたどり着いた人もいるのではないか。
第1部は「海外の戦場で」第2部は「戦場となった日本」。
ここに、このような内容なのですよ、と記す力はない。耐えられない。
黙って読み終えて「もう、重い荷を降ろしても大丈夫なんだ」という安心感に包まれた。
真っ当に戦争と平和に向き合い、未来を愛する世代が後に続いているんだ、という安心感である。


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