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ウイルスの意味論

ウイルスの意味論』副題=生命の定義を超えた存在 著者=山内一也(やまのうち かずや)発行=みすず書房 2018年12月発行 ¥2800 ISBN9874622087533
著者=1931年神奈川県生まれ 東京大学農学部獣医畜産学科卒業 農学博士。北里研究所所員、国立予防衛生研究所室長、東京大学医科学研究所教授、日本生物科学研究所主任研究員を経て、東京大学名誉教授。日本ウイルス学会名誉会員。ベルギー・リエージュ大学名誉博士。専門はウイルス学。
主な著書に『
エマージングウイルスの世紀』『ウイルスと人間』『ウイルスと地球生命』『はしかの脅威と驚異』など多数。
内容=みすず書房の雑誌「みすず」に12回にわたり連載した「ウイルスとともに生きる」に修正・加筆を行ったもの。
ウイルスとは、単なる病原体ではない、生命体としてのウイルスに関する研究が進展している。本書は地球上におけるウイルスの生命史とも呼べる、今現在までに見えてきたウイルスの全貌である。
感想=covid19が地球を襲っている現在、ウイルスって、そもそも何? と思い読んだ。昔、ビールスというバイ菌がいたが、ルスという同じ語尾から推測するに親戚筋かな? 笑うなかれ。ウイルスとはラテン語、ビールスとはドイツ語、バイラスと発すれば英語。すなわちこれらは同一人物だったのだ!
地球カレンダー(Calender of the earth)によると、ウイルスが生まれたのは5月の初め頃だった。そして人類の誕生は大晦日の除夜の鐘がなる数分前だ。ものすごい先輩だ。
では、本書の裏扉の文章を含めて紹介しましょう。
ウイルスとは何者か。その驚くべき生態が明らかになるたびに、この問いの答は書き換えられてきた。
ウイルスは、数十億年にわたり生物とともに進化してきた「生命体」でありながら、細胞外ではまったく活動しない「物質」でもある、その多くは弱く、外界ではすぐに感染力を失って「死ぬ」。ただし条件さえ整えば、数万年もの凍結状態に置かれても、体がバラバラになってしまったとしても復活する。
一部のウイルスは、たびたび世界的流行を引き起こしてきた。ただしそれは、人間がウイルスを本来の宿主から引き離し、都市という居場所を与えた結果でもある。
本来の宿主とともにある時、ウイルスは守護者にもなりうる。あるものは宿主を献身的に育て上げ、あるものは宿主に新たな能力を与えている。
私たちのDNAにもウイルスの遺伝情報が大量に組み込まれており、一部は生命活動に関わっている。
ウイルスの生態を知れば知るほど、生と死の、生物と無生物の、共生と敵対の境界が曖昧になってゆく読むほどに生物学の根幹に関わる問いに導かれてゆく。
covid19を怖れて手を洗い、マスクをする暮らしの中で本書の世界に分け入る。国境を無視して地球を席巻する害毒の正体が、生命と物質の境界さえも定かではない、加害者であり守護者でもあるという判断不能の存在として立ちはだかった。
この正体を見極めるまで生きていて見届けたいものだ。ウイルスはまだ、巨象の尻尾の先ほども解っていない。新鮮な驚きと脅威に囲まれた。

自由と規律

自由と規律』副題=イギリスの学校生活 著者=池田 潔(いけだ きよし)発行=岩波書店1949年11月第1刷 岩波新書(青版)171頁2018年2月 第109刷発行¥720 ISBN978400412141
著者=1903-1990 リース・スクール卒業 ケムブリッヂ大学卒業 ハイデルベルク大学に在籍した。英文学・英語学。著書=『よき時代のよき大学』『歩道のない道』『第三の随筆』『砂にかかれた文字』『少数派より』『学生を思う』以上6書は、現在ほとんど市場に出ない。ISBNなし。
これはイギリスの学校生活を記述した本には違いない。
日本から一人の少年が船でイギリスへ、そして入学して過ごした昔の日々が語られるのである。
イギリスを知る人も訪れたことのない人も、その詳しい朝夕の学校生活とイギリス人の気風を知ることになる。
その粗食ぶりとスポーツを常に、全員が行う、しかも団体競技が重んじられる。
最後までゆっくりと、時には繰り返しながら読み終わった時に、本書の核心部分が目の前に大きく開かれる。
それは、自由とはどういうものであるか。自由を持つということの意味。あわせて規律がどれほど大切なものかが、見事に見えてくるのである。
読み終わり、本を閉じた時に、この本の題名、自由と規律に、深く納得する。
名著として名高い所以が、ここにある。
自由自由と軽く言うが、自由を手にすることの意味を、改めて考えることができる。
手元に置きたいと買ったが、第109刷。これだけ読む人がいるということから、日本の将来を信じて良いのではという思いがした。
内容の一部分を紹介する。
前慶応義塾長小泉信三博士は、昭和23年8月15日東京毎日新聞掲載の論文「自由と訓練」の中で、イギリスのパブリック・スクールのこのような生活について次の見解を述べていられる。
「生徒は多く裕福な家の子弟であるから右のような欠乏が経済的必要から来たものでないことは明かである。食物量の制限は思春期の少年の飽食を不可とする考慮に出たといふ説もきいたことがある。何れにしても何事も少年等のほしいままにはさせぬことは、自由を尊ぶイギリスの学校としてわれわれの意外とすべきもの多い。しかし、ここに長い年月の経験と考慮とが費やされてゐることを思はねばなるまい」
「かく厳格なる教育が、それによって期するところは何であるか。それは正邪の観念を明にし、正を正とし邪を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養ひ、各人がかかる勇気を持つところにそこに始めて真の自由の保障がある所以を教えることに在ると思ふ。」P88
もう一つの紹介は、オリンピックについて。
オリムピック競技に対してさえ、一般人はわが国の半分の熱意ももっていないし、新聞でも、せいぜい二段くらいのスペースしか割いていない。嘗てわが国民の一部に示された、不均衡に冷静を逸したオリムピック熱も反省されてよいのではないか。現地では選手と在留同胞が勝っては泣き負けては泣き、故国ではラジオとニュース映画でアナウンサー吠え聴衆喚き、国家の存亡をその勝敗に賭したかのような醜態を演じた事実は、結局、わが国民のもつ劣等意識によるものであり、事物の重要性を正当に識別する力を欠いていることを示すに外ならない。P146

「怪異」の政治社会学

「怪異」の政治社会学』副題=室町人の思考をさぐる 著者=高谷知佳(たかたに ちか)発行=講談社2016年 講談社選書メチエ 626 サイズ=19cm 270頁 ¥1750 ISBN978406258629
著者=1980年奈良県生まれ 京都大学法学部卒 同大学大学院法学研究科准教授 法制史 著書『
中世の法秩序と都市社会
内容=応仁の乱など戦乱下の京都で怨霊などの怪異がどのように扱われ、変化していったかを検証。
感想=だいぶ前に、資料の一環として買っていたもの。1980年代の人が書いている点に注目して開いた。カタカナ表現に注目する。目次を眺めると「勧進のプラスとマイナス」「システムの破綻」などカタカナが見える。本文のページにもカタカナが見える。イメージ、ミスリード、プロセス、パニック。レベルと書いたりレヴェルと書いたりもしている。
ネットワーク、バックアップ、オーバーヒート、ステレオタイプ、メカニズム。探すには及ばない、ふんだんに転がっている。
欠点とみなしてあげつらっているわけではない。著者が室町人に対して向けたと同じ眼差しを著者の記述に向けている。著者の脳内感覚として、すでにイメージはイメージでしかなく、イメージでなくてはならず、パニックという言葉は日本では言い表すことが難しい感覚として定着しているように感じた。
ここには、単に日本語をカタカナ言葉に置き換えただけではない内容の変質が見られる。街で見かける2000年代生まれの日本人たちが、異星人と映ってくる一瞬の感覚にたじろぐ思いをする。なぜだろうと思っていたが、数年前のこの著作にすでに染み渡っていたと知った。

「深層」カルロス・ゴーンとの対話

「深層」カルロス・ゴーンとの対話-起訴されれば99%超が有罪になる国で-』発行=小学館2020319頁 サイズ=19cm ¥1700 ISBN9784093887656
著者=郷原信郎 (ごうはら のぶお)1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。著書に「検察の正義」「「法令遵守」が日本を滅ぼす」「思考停止社会」など多数。
内容=カルロス・ゴーン氏は、201912月に、元特捜検事で、事件当初からこの事件の不当性を主張していた郷原信郎氏のインタビューに応じ、10時間以上にわたって真相を話していた。郷原氏は出国後もレバノンとのテレビ電話で取材を重ね、日産、検察、日本政府の事件への関与について、解説、分析、検証する。新聞記事を始め人物名も明確に挙げて明らかにしている。
目次に続き、主な関係者の一覧・ゴーン事件人物相関図が出ている。
感想=2019年の11月から複数回にわたりインタビューをしていた郷原氏が、最後にゴーン氏と会ったのは1227日だったという。大晦日に「私は今、レバノンにいる」というニュース。郷原氏は驚いた、とは書いていない、いったい何が起きているのか理解できなかった。とプロローグに書いている。自分自身に対しても緻密で正確で、正直な人だ。いわゆる「ゴーン事件」に私は関心を寄せて、メディアの情報、コメンテーターの文章などの主だったものを集めていた。このファイルをもとに読んでゆく。
なぜ強い関心を寄せたかというわけは、村木厚子事件、佐藤栄佐久事件など、以前の重大事件もフォローしてきている中で、ますます日本の「お上」が疑わしく、正しくなく、いつ何時、無罪の人間を有罪にされるかわかったもんじゃない存在として認めざるをえない段階にあったからだ。無罪であるのに、自白を強要され、周辺の人々も自白を強要されて嘘の自白をしてゆく。そして自殺者を出すのだった、「お上」が。長い年月の末に、ようやく無罪の判決をもらっても、すでに人生のほとんどが潰され切っているのだった。個人的に、誰一人として知らないが、このような悲惨な犠牲者を生み出す「お上」が恐ろしかったし、許せなかった。
この事件もまた、と先入観を持ったために、関心を寄せたのではなかった。突然の劇的な逮捕が目を引いたからだった。それもプライベートジェット機で空港に着いた、その機内での逮捕劇だった。逮捕する側も、される側も、相当長い時間を機内で過ごしたと報道された。縦に並んで飛行機に向かう姿を、何回も眺めた。こんなやり方って、初めて見たと思った。
空港逮捕シーンは、前に一度見ていた。伊藤詩織さん事件だ。飛行機から降り立った犯人を、逮捕状を用意して待ち構えていた「お上」は、犯人を眺めながら見送った。犯人は市中に消えた。びっくりだ。逮捕直前に、逮捕するな、と「お上」の上司「お上」から命令がきたためだった。今回は見逃さずに積極的に捕まえるんだな、と私は感じた。
そのすぐ後で、日産の西川社長が車に乗り込みかけた姿勢で報道の人たちに向かって答えているシーンが映し出された。この西川社長の姿と表情を見、言葉を聞いた瞬間、私は強い疑念を持って情報を集め始めたのだった。
社内の重要人物が逮捕されたのだ、恥であり、深刻な事態だ。しかし西川社長の動きは柔らかく、姿勢は崩れていた。答える表情は軽やかで嬉しそうだった。体内から笑いが溢れてくるような目の細めようで答えていた。
映像文化がしみわたり、だいぶ経つのである。芸人さんが本心とは裏腹な演技顔を提供しても、軽々と見通せるだけの見力をつけてきている一般人だ。誤魔化せるものではない。特に、西川氏やゴーン氏あたりの年齢層を若造と見ることができる年齢層の目からは逃れられはしない。
さあ、どこまでやるか。と私は思った、それも今回は外国の目が注がれるはずだった。
しかし、メディアによってゴーン氏は強欲ゴーンと決めつけられ、その贅沢さと費やすお金の多さから、大悪人として祭り上げられていった。
コメンテーターの中に郷原信郎氏もいたが、バッシングを受ける数が並ではなかった。同感の声が消されるほどだった。ゴーンは悪人でなければ大衆は面白くなかった。巨額のお金と贅沢に対して大衆は嫉妬し、嫉妬を悪とすり替えて、引き摺り下ろしたがっていた。すでに、お金と贅沢自体が罪なのだった。
何が罪なのかは、すでにどうでもよくなっていた。というか、最初から何の罪なのか、何もわからなかったのだ。殺人事件ならわかる。しかし、社内の書類のあれこれでは、理解の外である。私のファイルは量が増えたが、この肝心のことについては、わけがわからないままだった。
ここまでが前置きだ。
読み始めて私は、絶句した。何だって? 機内で逮捕されたのではなかった、というのだ。
このくだりを読んでみてほしい。
映像を信じた私は大間抜けだった。あの、プライベートジェット機へ向かって歩く男たちの姿は、関係もない人々の別のシーンであり、朝日新聞は、承知で騙したのだ。ウソ報道をしたのだ。
しかもフォローした記事で、機内ではだいぶ時間がかかったとも書いたのだ。これらは全部、ウソだった。

郷原氏によるインタビューの中でゴーン氏は、日産は潰れる、とその年まで予言しているが、私は朝日新聞はすでに死んだも同然と言いたい。
さて、本書は難しい。読み通すために大分の時間をかけた。その理由は、前半部分の専門知識を要する内容のところだ。おまけに法務大臣、東京高検検事、次席検事、東京地検、特捜、特捜部検事などなど、字面を目に見てはいても、理解できていないのである。これらを頭に入れ確かめた上で、第5章以下へ進んでゆく。
郷原氏は、いずれにも肩入れをしていない。緻密に正確に、事実を伝えているだけだ。
読み終わって、法律とはなんだろうと改めて考えた。
人質司法は、法律という枠とは関係なく、本当の悪だ。人としての、大きな悪だ。
ゴーン氏は、本当の悪から脱出を試み、成功したのだ。発信力のある映画を製作し、日本でも公開してほしい。 

五感にひびく日本語

五感にひびく日本語』著者=中村明(なかむら あきら)発行=青土社2019年 サイズ=19cm 267¥2200 ISBN9784791772360
著者=1935年山形県生まれ 国立国語研究所室長などを経て、早稲田大学名誉教授。日本文体論学会顧問。著書に『日本語の作法』『ユーモアの極意』『日本語笑いの技法辞典』など
内容=日常、人々が用いている言い回し、日本文学に見られる表現などを集めて、慣用句、慣用表現、比喩などに分類、解説。
1章「体ことばの慣用句」頭・顔・足など。第2章「イメージに描く慣用表現」愛嬌がこぼれる・匙を投げるなど。第3章「抽象観念も感覚的に」明暗・寒暖・味覚など。
4章「喜怒哀楽を体感的に」歓喜・悲哀・恐怖・安堵など。第5章「比喩イメージの花ひらく」として、有名小説家たちの文章の片々が集められている。
感想=年来、表現の根の部分について関心がある故に、また、例文を多少集めてもいたために、期待を持って読んだ。
この本は、興味のある部分を読む、拾い読みをするなど、折ふしに開くと楽しめる読本となっている。
これを、もう一歩進めて、使える書物にして欲しかった。索引のないことが、本書をただのお楽しみ本にしてしまったように感じた。
 松尾芭蕉関連の書物は山ほどあるが『諸注評釈 芭蕉俳句大成』岩田九郎 著 明治書院 を開いてみよう。
まず五十音索引がある。俳句の場合、読み方に異説のある句がある。この場合は二つの場所に出している。句形の異なるものは、各々の場所に出している。よって索引から探せない句はない。
さらに巻末に付録として二句索引と三句索引がある。
たとえば「古池や蛙(かはづ)飛(とび)こむ水のをと」の句の場合は、巻頭の索引を使うことで本文に至ることができるだけでなく、二句目の蛙から本文に至ることができ、三句目の水からも本文を開くことができる仕組みにしつらえてある。
ど忘れして、三句目しか記憶にない句の場合でも、この索引を用いることで願う句に達することができる。
ここで、読み流して終わる本と、頼りにし、感謝しつつ使わせていただく書物との違いが生まれる。
索引のことはこれで終わりとして、年来私が関心を寄せていることが、この本のテーマの近くにあるので、そのことを付け加えたい。

 外国の言葉をカタカナ表現で日本語の文章や話し言葉に挟み、いかにも達者な風を装う輩が跋扈している。たとえばフェーズ。段階に来た、といえば済むのにフェーズと書く。今の都知事はカタカナ好き、その前の慎太郎もカタカナ好きであった。自国の言葉で十分、あるいは十二分に表現できる言葉を、わざとカタカナで言ったり書いたりする。
しかし、これは今に始まった事ではない。実は昔にもあった。昔はカタカナではなく漢字にした。大和言葉に漢字表現を混ぜるのである。
今も政治家の誰彼は大好きで使っているが、例えば「粛々と」。しかも、本来の意味を知らないのか、知っていて使っているのか理解に苦しむ粛々である。

これは頼山陽の漢詩「鞭声粛粛夜過河」から来ているのではないかと思うのだが、川中島の戦いで上杉謙信の軍が敵、武田信玄の軍に気取られぬよう、夜のうちに妻女山を下り千曲川を渡る場面だ。馬に鞭を当てるのも音を潜めて、ひっそりと流れを横切るのである。
これらはすべて目の先の大陸、中国からもたらされた外来語だった。悪いと言っているのではない。日本語にとって豊かな栄養となった。

しかし昨今、政治家たちが「粛々と進めるつもり」などと発言するのを聞くと、「そうか、国民に気取られぬよう、ひっそりと法案を通す気だな?」と思ってしまうのだ。何れにしても「粛々と」はシーンとして、という擬音だろう。
長くなって恐縮ですが、もう一つ。
『箱根八里』鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲 の歌詞に「羊腸の小径は苔滑らか」とある。羊腸とは、羊の腸のことで、山道が曲がりくねって続く様子の例えに使っている。
桜の花びらのように、と書かれているのを読んだら、桜の花びらを目に浮かべる。桜の花を知っていて初めて味わうことができる。例えとは、そういうものだ。
羊腸に例えたら、実際の羊の小腸がどのような形状であるかを目に浮かべることができなかったら路がどのような姿か想像できないと思わないか。明治大正時代の一般市民にとって羊の腸は見たこともないものであり、思い浮かべることが容易であったとは考えられない。
羊自体は古代から日本に入ってきていたから正倉院の御物の中にも見られるのだが、当時は異国の珍獣だった。江戸時代に外国人が商業目的で輸入するが、これも定着しなかった。農業が主体の日本においては、広大な土地を必要とする牧畜は北海道でのみ受け入れられたのだ。
このような比喩を用いたということは、日本の一般の人々の暮らしの中から生まれた例えではなく、中国文学の文字を土台としたオシャレ言葉だったのだろう。「青山峨々として」「松吹く風索索たり」とか。この引き写しの手口が、漢文から英語などの横文字フェーズに入ったということかな。


ところで羊腸を見たことのない今時の人たちでも、心臓は見ている。スーパーの肉売り場で鶏の内臓を仕分けして売っている中に、ハツという名の内臓がある。これが鶏の心臓だ。
しかしこれをハートとは呼ばない。ハツだ。ヴァレンタインのハートとスーパーのハツは別世界に生きている。このことに日本人は気づいていないのではないか。しかし、家畜と共に歴史を刻んできている人々は感覚が違う。
ハートの形への愛着、これは日本人のものではない。日本人にとってのハートは印であり、おもちゃだ。キドニービーンズという名の豆がある。インゲン豆と訳しているが、キドニーとは、この豆の形が腎臓 kidney の形に似ているのでつけられている名である。
物の名、事象の形容に動物やその内臓などを用いる文章を、海外の文学作品にしばしば目にするのは、暮らしの一部として熟知している故だろう。
キドニーといえばドイツの自動車BMWのフロントマスクがキドニーグリルと呼ばれる腎臓の形をしている。左右の腎臓を正面に据えた形だ。エンブレムは黒い縁取りの真円に白抜きの「BMW」、中央の円の中を十字に四等分して青と白に塗り分けたデザイン。映画『小説家を見つけたら』で、この自動車会社の前身が航空機のエンジンメーカーであったこと、十字模様は回転するプロペラを、青と白はバイエルンの青空と白雲をモチーフにしたと、ジャマールが滔々と述べ立てるシーンが印象に残っている。(ここで私はハッと立ち止まる、滔々と、と実感を持って用いたとは!)
日本の暮らしの中の言葉に、心臓や腎臓、腸や肺やらのたとえはないように思うがいかが。
しかし、欧米の小説にはふんだんにあります。誰の、どの作品のどこに、と書き出すと長くなりますので探してみてください。
この、『五感にひびく日本語』の最終章を読み進むと、日本人がいかに四季折々の自然と親密であるかが改めてわかります。

死を招くファッション

死を招くファッションFashion Victims 副題=服飾とテクノロジーの危険な関係 The Dangers of Dress Past and Present 著者=アリソン・マシューズ・デーヴィッド Dr.Alison Matthews David 訳=安部恵子 発行=化学同人 2019年 184X254mm 236¥3500 ISBN9784759820140
著者=トロントのライアソン大学ファッション大学院准教授。専門は19世紀から20世紀前半にかけての欧米の衣類と服飾品。年齢不詳。約10年を費やし、専門分野のテーマで本書をまとめた。
内容=19世紀から20世紀前半にかけての大都市、パリ・ロンドンを中心に、ファッショナブルな製品が作られ、消費された。当時、製造にかかわった労働者が、多種多量の毒物で受けた著しい健康被害。消費者が毒の残った製品で受けた皮膚炎などの比較的軽い健康被害。当時の医者たちは、この関連性に気づき、興味深い記録を残したという。このフィールドが専門である著者が検証、現在の服飾に目を向けて、様々な危険物質を指摘、将来のあり方を探る。
感想=大判の画集のような体裁。カラフルな絵と写真が溢れる。序論と結論に挟まれた本文は7章に分かれており、布地製造過程と使用中の両方において被る毒害が種類別に提示、検証される。たとえば細菌・寄生虫を扱う第1章では、ナポレオンの時代に兵士たちが軍服についたシラミに苦しんでいる様子が披瀝される。帽子作りのために水銀が、緑色に布を染めるためにヒ素が用いられたなどの事例が、美しいドレスや帽子の絵と並んで、変形変色した身体のリアルな医学的写真と並ぶ。
その他製造過程で機械に巻き込まれる事故、服に着火し、着ている人が炎に包まれる事故、装身具などに用いられてきたセルロイドが燃える、あるいは爆発する事故などが続く。
結論を「ファッションの犠牲者を出さない未来へ」と題して「生命」と「ファッション」が手をとりあう未来を、新しい物語を紡いでいこう、と締めくくっている。
私が最も関心を寄せて読んだのは、最後のわずかなページ、今の世の中の部分だった。
ここに、現実の様相として記されているのは、テトラクロロエチレンが、相変わらずドライクリーニングで使われていること、前世紀には、岩を粉にして用いていた色が、今では彩度の高い合成化学染料に置き換えられていることなど多種多様。
美しいマラカイトグリーンという化学染料のマラカイトは危険な生物毒素だという。今、これが繊維を緑色に染める染料として使用されているのだが、同時に、養殖業でも用いられている。養殖魚につく寄生生物や細菌を死滅させるためだ。この毒素が食品の魚介類に入り込んで食卓へ運ばれている。
あるいは、Tシャツの胸に印刷される言葉やシンボルの多くは、有毒な環境ホルモンを使い、スクリーン印刷で描かれている。この印刷では表面がゴワゴワに固く仕上がってしまうので、柔らかい手触りにするために、さらなる化学物資、有害な各種多数の物質を用いてソフトに仕上げているそうだ。前世紀ではヒ素とか水銀とか言っていたが、今は異なるものではあるが、同様、あるいはそれ以上の害毒をもたらすものに囲まれていることがわかった。
本書は服飾だのファッションだのと言っているが、著者が服飾専門だから特化しているのであって、地球全体の、服飾以外のすべてについての問題であることは明白だ。
本書は、写真と絵画を多用し、さらに読み物としての魅力を加味しようと試みたのではなかろうか、翻訳とはいえ、文章の持て扱いにそうした空気を感じる。
たしかに表紙にあるような、美しい衣装のレースの裾を翻して踊るブロンドの美女は眼を惹く、さらにこの美女の顔が笑う骸骨であるから、いやが上にも目立つ。しかし、肝心な部分を簡潔に解説してもらえたならば、新書版に収まり、より早く明確に理解できたことかとため息がでた。

井上円了

井上円了』副題=「哲学する心」の軌跡とこれから 編集=講談社 発行=講談社 2019年 ムック 125 210X280mm ¥900 ISBN9784065169305
内容=東洋大学の創立者・井上円了を改めて認識する多角的な紹介書。125頁のうち83頁を費やし『水木しげる漫画大全集』所蔵の長編作品「不思議庵主 井上円了」を完全収録している。
哲学堂(中野区立哲学堂公園)など、ゆかりの地などを多数紹介。

安政五年(1885)に、お寺の子として生まれた円了は、明治維新の文明開化の波に乗って洋楽を学び、東京大学の哲学科に進み、一生を通じて迷信の打破に努めた。
「考え方の模範として人々に示したのが妖怪学」という三浦節夫(東洋大学教授)
「民衆の間にも、合理的に判断しようとする気運が生まれていった」という湯本豪一(民俗学者・妖怪研究家)
AI時代を生き抜くヒントが一杯ある」という吉田善一(円了研究センター長)
「オカルトを排するためにこそ、彼は議論をしていた」という鈴木 泉(東京大学大学院人文社会系教授)
などの対談が興味深い。

円了は、鬼門を恐れて避ける風潮や、四という数字は死につながり不吉だ、などの迷信を否定するために、東洋大学の前身である哲学館の電話番号を、売れ残っていた444にして見せた。また、わざわざ鬼門に便所を作ったが、このエピソードは水木の作中にも描かれている。円了は、いわゆる「こっくりさん」の不思議を科学的に解明したことでも知られている。
「不思議庵主 井上円了」は、円了の一生を描いているが、作中水木しげるは時おり「(円了は)僕と対極にあるんだ」と述懐している。
迷信としてお化けを否定し、科学的、合理的思考の推進に努めるための妖怪研究であったのが円了。
日本だけではない、地球上のいたるところに妖怪類は現に存在するのだ、という確信と愛を持って妖怪の研究に励んだのが水木しげるだから、まさに対極に位置していた。
水木しげるの長編「不思議庵主 井上円了」は、非常に優れた円了伝。

100年前から見た21世紀の日本

100年前から見た 21世紀の日本』副題=大正人からのメッセージ 著者=大倉幸宏(おおくら ゆきひろ)発行=新評論2019年 サイズ=128X210mm 251頁¥2000 ISBN9784794811356
著者=1972年愛知県生まれ 新聞社、広告代理店を経てフリーランス・ライター。著書=『
「衣食足りて礼節を知る」は誤りかー戦後のマナー・モラルから考える』『「昔はよかった」と言うけれどー戦後のマナー・モラルから考える』『レイラ・ザーナークルド人女性国会議員の闘い』(共著)
内容=現在の日本の世相を歴史的観点から捉えて比較検討しようとしている。
いまの日本は、戦前の日本と似通っている、平成時代は大正時代と似ている、という最近耳にする感想を検証。
大まかに大正時代近辺を100年前と捉えて、当時の先人達が残した言葉を読み取ってゆくことで今の時代を捉えようとしている。あの時代の誰が、いつ、何と書いたか。どう論じたか。
ここから見えてくる当時の人々の価値観、気持ちが具体的な例文によってつかめてくるという、非常に手間暇をかけた労作。
その努力ぶりは巻末の参考文献数を見るとわかる。8ページに及ぶ文献、1ページあたり19件の資料が並ぶ。本文を読むと、これらの資料が生き生きと活動してくれているのが一目瞭然だ。この労作の基礎を、これだけの土台が支えている。
読む側は、だから100年前の人々の生の声を、加工されていない生のままの声で受け取ることができるのだ。高齢者が漠然と過去を振り返り、あの時は、と思い出すものとは質が違う。記憶は、時に歪み、美化される、あるいは強調される。ひどい場合は捏造もある。なんとなく、そう感じるんだ、と思っている人は、霧が晴れるように100年前を見渡せるだろう。
興味深く読んだ部分
あの時代にも、オレオレ詐欺がいた! ただし電報を使っていた。騙すネタは今と同じで、病気や、失せ物である。
車内で読書をすることについて。目が悪くなる、と心配している。これは、当時の電車の揺れが原因かもしれない。また、車内で読む人の中に音読するものがいて迷惑だという不満。
車内読書は、都会の人々の車内時間が長くなるにつれて現れた現象だった。たぶん、その前は二宮金次郎(歩行中の読書)だったろう。いかに勤勉、努力家か。読書好きであることかと驚く。
ただ、今の乗り物よりも揺れが激しかったから目の健康を案じたに違いない。事実、私も目が悪くなるから電車の中で本を読んではいけません、と言われた記憶がある。
音読については、これも私の記憶だが、国民学校時代のクラスの子たちの中に、声を出して読む子が少なからずいたことだ。詳しく言うと、声を出さずに読むことができないのだ。黙って読め、と先生に言われると、声は出さないように努力するのだが、自然と唇が動いてしまう。一方、国語の時間には、クラス全員揃って音読をしていた。
これは、著者が書いているように
「明治の中頃までは、本は声を出して読むのが一般的だった。公共の場で、文字を読めない人に、声を出して読んで聞かせる行為は一般的だった。」
ということがあったのだろう。
もう一つ、第3章「すべての日本人へ」で、女性の権利についての項目がある。ここでは与謝野晶子と平塚らいてうのやり取り、現在の香山リカと勝間和代の意見交換、その他多士済済の意見が載っており、興味津々、本書の白眉と言って良いと思う。私の知らなかった人物、青柳有美(あおやぎ ゆうび)についても詳しい。一面のみを捉えず、立体的に書いてくれているところが素晴らしい。この項は、図らずも女性史概観となっている。
著者の視野は広く、目立たない人物の言も発掘している。
たとえば三井信託 副社長 船尾栄太郎の言。  
「近代の書物の通弊は文字に無駄が多く、いたずらに冗長で、意味の補足にワザと面倒な書き振りをすることである。ことに訳書の中に誤訳の夥しい事は誰も腹立たしく馬鹿馬鹿しく感ずるところである。」
これは、今現在に主張しても堂々、通用するのではないか。

ヒロシマ

ヒロシマ』[増補版]HIROSHIMA 著者=ジョン・ハーシー John Hersey 訳=石田欣一/谷本清/明田川融 発行=法政大学出版局 1949年初版 2003年増補版 サイズ=128X187mm 246頁 ¥1500 ISBN4588316125
著者=1914~1994年 中国天津生まれ。父は宣教師。1925年に家族とアメリカへ戻り、イェール大、ケンブリッジ大に学び、作家シンクレアルイスの秘書を経てジャーナリスト。20年間、イェール大学で教える。 
   1946年6月に従軍記者として広島に来た。この時、本書の訳者の一人である谷本氏と出会う。
訳者=
石川欣一(いしかわ きんいち)= 1895~1959年 東京生まれ。東京大学英文科中退渡米。プリンストン大学卒。大阪毎日新聞学芸部、東京日日新聞学芸部、ロンドン特派員など務める。訳書に『第二次大戦回顧録』チャーチルなど
谷本 清(たにもと きよし)=1909~1986 香川県生まれ。関西学院神学部卒業後渡米。エモリー大学大学院卒業。1943年広島流山教会牧師に就任、爆心から3km地点で被爆。
              ヒロシマ・ピース・センター設立。広島文化平和センター理事長など
明田川融(あけたがわ とおる)=1963年新潟生まれ。法政大学法学部、同大大学院政治学。先行は日本政治外交史。
内容=1946年に著者が現地取材して記した第1~4章と、1985年に広島再訪で綴った第5章「ヒロシマその後」で構成。1949年初版の増補版。
   1946年の取材では、6人の被爆者の体験と見聞、第5章では、その後の人生の足取りを詳細にしたためた。
感想=2019年に、どこでどのようにして本書に出会ったか。世界的に有名な本書を、私は知らなかったのです。
それは2019年4月発行の岩波ブックレット『国家機密と良心:私はなぜペンタゴン情報を暴露したか』ダニエル エルズバーグDaniel Ellsberg を読んでいたら、文中にこの本『ヒロシマ』が出てきたのだ。著者が少年のときに、この『ヒロシマ』を泣きながら読んだ、そして父親に手渡し、父も読んだのだそうだ。人間が人間に、このようなことをした。このことがエルズバーグ父子の、それからの行動となってゆく。
『国家機密と良心』は、この本『ヒロシマ』なしには語れないものだった。私は、この本を知らなかった。ヒロシマとナガサキについては、数多の被爆者、あるいは被爆者から伝え聞いた語り部の言葉、数多のヒロシマ書籍。絵画の数々。あるいはマンハッタン計画に関わった科学者たちについての数多の著作、それから当時の彼らの日記……。
これらによって、あの惨劇被害の様相の全体を受け取ったと思っていた私は、まるで、初めてヒロシマのあの日に出会ったかのような気持ちにまみれた。さらに、その後の、一刻、一日、一月、年々が、今現在まで続いていることも手に受けたのだ。
ここに、本書『ヒロシマ』の持つ三つの要因が見える。
一つはハーシーさんが中国生まれであること。アメリカ育ちだが東洋で生まれたことが、どこか身近な感覚を呼んだのではないか。取材する側も、される側にとっても。
二つ目は、ハーシーさんがシンクレア・ルイスの秘書を務めていたこと。ルイスはアメリカ最初のノーベル文学賞受賞作家(1930年度)だ。『
本町通り』『エルマー・ガントリー』『バビット』など邦訳がある。
当時、ノーベル賞受賞理由としてあげられた特徴は、次のようなものだった。「機知とユーモア、新しいタイプの性格とともに、力づよい絵画的な描写力並びに想像力に対して」
『ヒロシマ』を読みながら私は「力づよい絵画的な描写力並びに想像力」を強く感じた。そう、極限状態の只中でありながら、ユーモアが、小さな微笑みがあることにも驚いた。
想像力とは、言うまでもなく人の心の内を想像する力のことだ。この中から理解といたわり、そしてその場その場のユーモアが醸し出される。
三つ目はキリスト教の存在である。ハーシーさんは父が宣教師だった。ヒロシマに来て出会った谷本清さんは、その時「自分の教会」を復興させようと走り回っていた牧師さんだ。そして数人を選び、取材しようとして選んだ数人の中の一人がウィルヘルム・クラインゾルゲさん。この方はカトリック・イエズス会のドイツ人神父さん。奇遇であるかのように、キリスト教が寄り集まった。
さて、8月の、その日の朝から始まる実況記は、第1章「音なき閃光」第2章「火災」に記される。次に第3、第4章「詳細は目下調査中」「黍と夏白菊」で、この爆弾はなんだ? という噂の広がり、マグネシウムの粉だ、電線に伝わって広がった、などの風評の中、本当のことがわかってくる。被爆の荒野に生え盛る夏草の描写が胸を打つ。やがて、助かった、生き残ったとホッとした人々が病気にかかってゆく有様が描かれる。激しい脱毛、死んでゆく人、生き残った人たち。この時、なぜ? の答えはなかったのだ。
1985年に再び広島を訪れたハーシーさんが、本書に追加した第5章「ヒロシマ その後」では、1946年に取材した6人のその後をたどっている。クラインゾルゲ神父のその後も語られる。原爆症に日夜苦しむ神父さんはミサを行い、告解を聴き、聖書の教室を開く司祭の仕事をはじめ、シスターたちのために黙想会を行い、被爆者を見舞い、若い母親に代わって子守もしていた。そして日本に帰化して高倉誠という名前になっていた。そして高倉神父は1977年に天に召された。
ハーシーさんは小説書きとしての技量と、ジャーナリストとしての視点を組み合わせ、暖かく豊かな想像力を持って小さな声を聞き取る。周辺の自然に目を配り、草も魚も、目の前に見えるように鮮やかだ。その点、アレクシェーヴィチさんと共通するものがある。
ハーシーさんもスベトラーナ・アレクシェーヴィチさん(2015年ノーベル文学賞)も同じだが、向かい合い、相手の言葉に聞き入る姿が、言葉以前に語り手の心を開かせるに違いない、溜めていた悲しい思いを受け止めてくれる、と信じられたからこそ口を開いたに違いない、傷ついた人たち。
こうした後世に残る大仕事は、小手先の技術では手が届かない。傷ついた人の鋭敏な魂が信じることができた、ということが始まりであり、すべてである。
この本は多くの国々に翻訳されて広まり、今もネットを検索すると詳しく知ることができる。ハーシー氏の写真も出ている。

時計の科学

時計の科学』副題=人と時間の5000年の科学 著者=織田一朗(おだ いちろう)発行=講談社 2017BLUE BACKS 234 索引 参考資料 ¥980 ISBN9784065020418
著者=1947年石川県金沢市生まれ。慶應義塾大学法学部卒 服部時計店(SEIKO)入社。1997年独立。時の研究家。
著書=『
時計の針はなぜ右回りなのか』『時と時計の百科事典』『世界最速の男を捕らえろ! 進化する「スポーツ計時」の驚くべき世界』など多数。
内容=人間が時間の存在に気づいた5000年昔から今日までの時計の歩みが詰まっている本。
文字盤の表面だけでも、問われてみると「あれ?」と思う謎がたくさんある。たとえば、なぜ10進法にしなかったのか? なぜなぜ12から始まり、0からではないのか? なぜ右回りなのか?
そうか、インドでゼロが発見される以前に時を知り、時計を作っていたのか、と読み進むうちに面白さに時を忘れる。

本当の花時計とは? も初めて知った。花の開花時間によって配列したというから、これはすごい。パンジーで数字を描いて植えているのは、まやかしなのだと知った。
私の家の洗面所は、とても狭いのに鏡が壁一面の大判、背後の壁に左回りの壁時計を買ってきて取り付けた。こうすると右回りの普通の時計が鏡に映るから、歯を磨きながら時間がわかる。洗面所は朝の時間帯に混雑し、しかも皆、時間を気にするからとても便利に使っていた。ところが最近のことだが洗面所という場所が災いして湿気のために故障してしまった。代わりを買いに行ったのだが、どう説明しても店員がわかってくれない。左回りの時計? ないです。と言い切ってヘンな目つきで人を見るので諦めた。著者は、この時計には「床屋時計」という名前があり、理容店で客のために背後に掛けていたものだと書いている。そして今はないが、と付け加えているので、湿気のためにダメにしてしまったことを悔やんだ。

しかし、核心の部分は時計の構造と、時々刻々の進歩にある。
法学部を卒業して時計の会社に入社、その後の人生を「時」と一身一体となって時計に愛情を傾けている著者の熱は、ものすごい。

腕時計の構造、進歩の足取りが詳細に語られるが、難しい内容にもかかわらず、素人の頭に素直に入ってくるのが嬉しい。腕時計の細かい部品に「アブミ」「コハゼ」などの名が付けられているのも興味深い。
「あとがき」が愉快だ。あとがきでは謝意を表し、執筆に至るきっかけや足取りなどを述べる著者が多いが、織田一朗さんは、違う。
時計の話が、まだある、もっと伝えたいんだけど、という調子だ。時計は大会社が作るのが全盛だけど、たった一人で全ての部品を作って完成させる「独立時計師」がいるんですよ、どこのメーカーにも属さずにですよ、世界に一つだけのデザイン、技術の高さよりも技能の高さ、独創性が評価されます。有名時計師の作品はびっくりするような価格でも、買い手がつくのですと話が尽きないのである。お礼を言っているのは、最後の2行だけ。

最初、図書館で借りて読んだが、これは手元に置きたい本だ、と直感して買った。

ジャクソン・ポロックとリー・クラズナー

ジャクソン・ポロックとリー・クラズナーJackson Pollock and Lee krasner 著者=イネス・ジャネット エンゲルマン 訳=杉山悦子発行=岩波書店 岩波アート・ライブラリー 2009年 サイズ=187X275mm 98頁 ¥2800 ISBN9784000089944
著者=Ines Janet Engelmann ノンフィクション作家。画家に関する著作、特に印象派の画家に関する著作が多い。
内容=アメリカの抽象画家ジャクソン・ポロックと妻の画家リー・クラズナーの出会いから死までを辿りながら主要作品と折々のふたりの写真を載せる。巻末に二人の年譜・主要日本語文献・写真クレジット。 原書は2007年にミュンヘンで発行。
感想=ポロックが、あの独特の画風に至る前の、若い時の自画像や、その頃の写真から始まる。画家人生をスタートして間もないクラズナーが出会ったのは、やはりまだ絵の行く手が見えず混迷する時代のポロックだった。
1908年生まれのリー・クラズナーと1912年生まれのジャクソンの出会いは、リーが彼の絵が持つ力を彼自身よりも先に確信した時に始まった。
彼を見出し、賞賛し、励まし、支える。しかも自分自身も制作する。ポロックが彼女の揺るぎない彼の才能に対する確信と愛の力で、彼自身の才能を発掘、発見し成長してゆく。
ポロックとクラズナーが等分に描かれることによって、ポロックへの理解が深まり、全く知らなかったリー・クラズナーについて興味を持った。それは画家としての興味と並び、パートナーとしての生き方に対する関心である。
ポロックが44歳で自分が運転する車で即死するまでの人生は束の間の花火のような年月だった、しかも本人は、彼自身が生み出した輝きを目にすることなく目を閉じたのだ。名声も富も、この世で味わうことはなかった。
リーは、76歳で亡くなるまで制作を続け、ポロックの巨額の遺産を引き継ぎ、展覧会を開くなど活躍する。
年譜のページに出ているリーのモノクロのポートレートは、写真家ハーバート・マター撮影。このページのリー・クラズナーの写真のためだけに、本書を開いても惜しくない。
マターは、リーよりも1歳年上で、1984年に亡くなっている。フォトモンタージュを始めたグラフィックデザイナーでもある。
マターや、ポラックの時代から、芸術の中心がニューヨークに移った感がある。大きな転換期を作った人々だ。
もしかするとクラズナーが、彼女の作品にモンタージュ手法を取り入れるようになったのは、マターとの付き合いがあったことが影響しているのかもしれない。
マターと彼の妻のメルセデスは、ポロック夫妻と非常に親密であったから、お互いの進む道の行く手が見えていたのだろう。
追記
以上で終わるつもりだったが、最も心に残る部分を抜かしていた。忘れたのではない、哀れな物語は伝えたくないものだ。
ジャクソン・ポロックは家庭を持つことに憧れを持っていた。なにより子供が欲しかった。子供を囲む父と母、特に優しい母の像を夢見ていたのだろう。彼の母は、そういう女性ではなかった。彼が描いた母と思える像は、恐ろしい悪魔以上に見える。
一方、妻のリー・クラズナーは、子供を拒否した。というか普通の家庭を作ろうという発想がなかった。彼女は、自分の生むものは絵画だと決めており揺るがなかった。夫を愛し、尊敬していたが、家庭云々については耳も貸さなかったのではなかろうか。そして、相変わらずジャクソンの作品が無視され続ける日々のなか、リーの作品が多少のお金をもたらしたとき、彼女はイギリスへの単独旅行を企てる。この時期は、夫のジャクソンが新しい女性と関わり始めた時期と重なる。
どちらが先かはわからないが、破局の場面であることは二人ともわかっていた。そして二人とも、以前にも増す強い愛を、お互いに向け続けていたことが破滅を招いたのではないか、破局ではなく。
リーがイギリスに発ったすぐ後に、ジャクソンは自分の車の助手席に女友達を乗せ、もう一人の女友達を後部座席に乗せて暴走、自宅近くの立木に激突した。ポロックと、一人の女性が即死、もう一人の女性が重傷を負った。

写真屋カフカ

写真屋カフカ』(1)(2) 著者=山川直人(やまかわ なおと)発行=小学館 2015年 2017年 kindle版 各174頁¥660 紙本=¥763 ISBN-10:4091872905
著者=1962年大阪生まれ、東京育ち。高校時代から同人誌活動を始め、同人誌即売会コミティア創立時にスタッフとして関わる。現在も同人誌、自主制作本の活動を続けている。
著書=『
コーヒーもう一杯』『道草日和』など。
内容=第1巻に14作、第2巻に13作。ほとんどが独立した作品で、共通する主人公はカフカという名の黒マントの写真屋カフカ。都内で小学校などの集合写真撮影などで生計を立てており、時たまカラスとネコが遊びに訪れて彼らと話し合える。カフカは銀塩カメラで世の中から消え去りゆくものを撮り歩く。そのエピソード集とも言える短編集。本書はビッグコミックススペシャルとして発行、同時にkindle版でも出ている。独特の画風、往年のカメラの数々がカットに入り、念入りに描かれる。
感想=公衆電話ボックス、風呂屋の煙突、紙芝居などを撮り歩く。居合わせた老人や女の子など撮らせてもらい、記念に渡す。銀塩、現像する写真だ。後日受け取った老人の、写っている姿は懐かしい恋人との中学生時代のツーショットだ。息を飲んで再び見つめると、そこには一人でベンチに腰掛けている今の自分が写っていた。「線路を訪ねて」では彼の父が語られる。父の生まれ故郷の電車は廃線となり、線路も消えた野だった。野を撮影するカフカに、土地の老人が語りかけてきた。それは昔ながらの土地の言葉だった。
多少、お伝えできるだろうか、単なる懐古に終わっていない、動きつつ進む社会と連結感がある一方、ファンタジックな楽しみもある。第2巻には未来を見る一編がある。転がってきた幼児の靴、片方。拾いに来たお母さんに抱かれた坊やの写真を撮る。現像して手渡してもらったお母さんが見た写真には、母より背の高い青年が。変な写真家だ、と言われてカフカは、そんなことない、みんな、自分が見たいものを見るんだ、と伏目でつぶやく。
山川直人は、私の一代あとの世代の人だ。が、見ている「昔の姿」が親世代と言える私の視線と重なる世界をつかまえている。例えば映画「自転車泥棒」を観る場面があるが、実際に観て、心を動かされていなかったとしたら描けない空気に満ちている。取材だけで書いたものと、自分自身の欲求から掴み取ったもの、感じたものとの間に広がる溝は埋めようがないし、わかるものだ。だいたい、主人公の名前が谷遠カフカである。これはジャン・コクトーとフランツ・カフカではないだろうか。
コクトーは1963年に亡くなっている人だし、カフカはコクトーと同時代の作家だが41歳で亡くなっている。著者が生まれた頃に、この世を去っている作家たちだ。以前、東京で国際ペンクラブ大会が開催された時に、会場でフランスの作家と話したことがあった。フランスの作家で誰が好き? と問われたので、すかさずジャン・コクトーと答えてしまった。その時の彼のガッカリぶりはなかった。うなだれた姿を、今も思い出す。自分の好みはさておいて、若い、今時代の作家を挙げるべきだった。それはさておき、文学も映画も、フランスは長いこと低迷期にあるような感じがしてならないのは、私の見方がおかしいのでしょうか。
ジャン・コクトーを日本の読者が容易に受け入れることができている理由は、映画がヒットしたこともあるが、詩の訳文が優れていたことが大きな要素だと思っている。翻訳文だけで他国の文学を受け入れる読者の場合、翻訳の力が大きな影響を持つのは避けようがない。
川端康成がノーベル賞受賞後の取材に答えて、(私の受賞は)翻訳の力もあります、と述べていたことを思いだす。翻訳されていなければ読まれなかったわけだし、さらに翻訳の文章が優れていなかったとしたら、伝わるだろうかということだし、翻訳の腕によって、相手の国の感覚に入り込めるような仕上がりになることもあり、その逆もありうる。翻訳のことを考えると、聖書や仏教の経典などはどうなのだろうと思う。
話題が逸れてしまったが、著者は同人誌から出発した作家であるだけでなく、現在も同人誌活動を続けているそうだ。同人誌を作るということは、まさに「活動」であり、文化の、その分野の礎である。商業誌で活躍するかたわら、この場所にも体重をかけている作家を、私は心底から敬愛し、応援する。

アメリカの中のヒロシマ

アメリカの中のヒロシマ』HIROSHIMA IN AMERICA 著者=Robert J. Lifton and Greg Mitchell R.J.リフトン G.ミッチェル 訳=大塚 隆 発行=岩波書店 1995年 128X187mm 上下巻 各P235 各¥2400 ISBN4000000683
著者=R.J.リフトン=1926年ニューヨーク生まれ。精神医学・心理学者。ハーバード大学東アジア研究所等を経てニューヨーク市立大学教授。著書『死の内の生命ーヒロシマの生存者』『思想改革の心理ー中国における洗脳の研究』他
   G. ミッチェル=1947年ニューヨーク生まれ。ジャーナリスト。「ニュークリア・タイムス」誌元編集長。
訳者=1947年生まれ。京都大学工学部卒。朝日新聞者入社。アメリカ総局員、ワシントン取材などを経て東京本社科学部次長。(以上、出版当時)
内容=アメリカの側から見たヒロシマ・ナガサキはどのようなものだったか。悲惨な歴史的事実を、どのように受けとめ、向き合ってきたのか。歴代大統領・歴史家・退役軍人・ジャーナリストらの心の内へ迫る。
精神医学の専門家ならではの視点と分析が盛り込まれる一方、ジャーナリストのフットワークを駆使して活写するスミソニアン博物館の原爆展周辺の人間模様は圧巻。
感想=先に読んだダニエル・エルズバーグの『
国家機密と良心』の中で、少年エルズバーグがこの本に泣き、読んでみて、と父に手渡したエピソードがあった。アメリカの側から見た海外のヒロシマか、アメリカ大陸の中のヒロシマか。
図書館では借りる人が少なくなったために書庫にしまわれていたのを貸してもらった。かれこれ25年前の本。上下2巻、巻頭に主要登場人物が顔写真とともに掲載されている。この人々を紹介するだけで十分、広島の原型が見えてくる。
アインシュタイン、アイゼンハワー、オッペンハイマー、トルーマン、ルーズベルトなどはよく知られた人物だが、ノーマン・カズンズ(核兵器に批判的な立場を貫いたジャーナリスト)J,C.グルー(外交官。太平洋戦争勃発時の駐日大使。トルーマンに日本への降伏条件を緩めるよう進言、原爆投下に強く反対)L.R.グローブズ(陸軍将軍、軍のマンハッタン計画の最高責任者。オッペンハイマーら科学者を指揮、原爆を開発。日本への原爆投下を強く推進)J.B.コナント(化学者。ハーバード大学長。科学者を組織し、マンハッタン計画を推進。戦後は、原爆投下の正当化に全力をあげた)L.ジラード(物理学者。マンハッタン計画に参加。原爆投下に強く反対。核廃絶運動を推進)H.スティムソン(大戦当時の戦争長官。都市への無差別爆撃に抵抗、京都への原爆投下に強く反対したが、戦後に原爆投下擁護論文を発表)M.ハーウィット(前国立スミソニアン航空宇宙博物館長。大戦終結50周年に、爆心地の再現を含めた大規模な原爆展を企画。議会、退役軍人の圧力で挫折、辞任)W.L.ローレンス(科学ジャーナリスト。マンハッタン計画のスポークスマンとして投下の正当性に力を尽くした)などなど。
70年余りものちのいま、当時の仔細な記録と分析を読むことに意味があるのか。それは読んでみて初めて胸に落ちた、今現在の世相、今現在の政府各人の動きようとの、恐ろしいまでの共通性を噛み締めたのだった。
それでは今、どうしたら良いのかを考える下敷きにすべきではないか。
一口で言ってしまえば単純で簡単なことなのだと思う。それは、嘘をつかないこと。隠さないこと。もう一つは、どんな意見も無視してはならないこと。どんな人の考えも、思いも、圧殺してはいけないこと。
こんなことは一般家庭で守る、あたりまえの簡単な事柄ではないか。イザコザが絶えない家には、決まって嘘つきがいたり、これは誰ちゃんには黙っててね、と隠し事をする奴がいたりするものなのだ。同じことだ。
戦争前夜、戦争中、戦後の混乱期、ここには隠し事、ごまかし事、気に入らない考えを圧殺する事などが溢れかえっている。
この、一握りの者が引く設計図を見ることもできない、ただの道具として左右されていた人々の生の声も、ここにある。原爆投下を知った途端に揃って泣いた若者たち。これは沖縄上陸作戦寸前の運命にあった兵士たちだ。死なずに済んだ、家へ帰れる喜びの涙。
米国の被爆者については、この本で初めて知った。アメリカ西海岸に千人以上の被爆者がいることを、どれだけの日本人が知っているだろう。大部分は、親類を訪ねたりして広島に閉じ込められて被災した人たちだ。広島では数百人の日系アメリカ人が死んでいる。アメリカの被爆者たちは、生き延びてアメリカへ戻ることができた人々だが、日本の被爆者よりもさらに困窮している。無料医療給付を受けていない。日本もアメリカも、それぞれの理由や思惑があり、ボールを取り落とした形だ。
ダニエル・エルズバーグが、なぜ内部告発へと気持ちを進めていったか。それが本書を読むことで理解できた。
嘘をつくな、隠し事はするな、そうすれば平和への階段が見えてくる、そう言いたかったに違いない。そうじゃない、世の中、そんな甘いもんじゃないさ、とあざ笑う利口な人たちは、実は地獄への穴を自ら掘っているようなものだと思う。

老いと記憶

老いと記憶』副題=加齢で得るもの、失うもの 著者=増本康平(ますもと・こうへい) 発行=中央公論社2018 中公新書2521 206 ¥780 ISBN9784121025210
著者=1977年大阪府生まれ 神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。専門分野は高齢者心理学、認知心理学、神経心理学。
内容=加齢に伴い、人の記憶・認知は、どのように変化するのか。若年者と高齢者ではどこが違うのか、あるいは同じか。様々な実験・研究による知見を披露する。
感想=タイトルから内容を推測すると高齢に伴い、記憶はどのように変化するのか? そしてその対処法は? というものだった。
最近氾濫している健康関連本、腰痛を治すには、的な内容が浮かんでくる。しかし本書は「治すには本」ではない。
もちろん、全5章あるうちの第3章では「訓練によって記憶の衰えは防げるのか」と題して、最も関心が深い「よく忘れちゃう」問題について詳しい内容がたくさん出ている。よって、第3章を読めば、物忘れを防ぐ日常のありようがわかるだろう。
ところで、まず第1章では、脳みそのデキについて解説。最近はしばしば目にする脳図だが、初耳! だったことは、一つの出来事が、一つの部位に収納されるのではない、あっちの部署にもこっちの課にも、といろいろなところに保存される仕組みになっているということだ。このような情報はもう、専門家から授けてもらうすごい宝物だ。よって最も興味深く読んだのは、第1章だった。
この分だと、脳内状況はさらに詳しいものがわかってゆくに違いない。たとえば連想について。浜辺で砂を踏んだとたんに思い出した、あのメロディ。味噌汁の香りとともに突然浮かんだ実家の台所。
匂い、音、色、手触りなど、ジャンルを超えて連結する通信網の不思議さについて思いを巡らせた。
本書には、このような五感の間の連結とか通信などは書かれていない。基礎的な脳の仕組みの解説を読みながら勝手に想像を膨らませただけである。
いま私は三遊亭円朝に浸っているので、人間のもつ第六感のようなものについて関心を寄せているのだが、多分、この分野の研究は今が門前に佇んでいるような時期であり、これから大きく扉が開かれるのではないだろうか。
著者は、この本を執筆された時、41歳。「まえがき」に、次のように記している。
ー 私は三五歳の時からシニアカレッジで毎年、「記憶機能の加齢」について高齢者を対象とした講義をしています。その講義をお世話していただいている方に、「若い先生が高齢者の前で高齢者の記憶について話している姿が新鮮で面白い」と笑われたことがありました。確かに記憶の問題をまさに体験している高齢者に対し、その二分の一ほどしか生きていない私が高齢期の記憶について講義をするわけですから、釈迦に説法の感はあります。ー
この文からも分かる通り、高度で複雑な研究内容を一般向けに分かりやすく平易な表現で手渡してくれる空気が親しみやすく、明るい。よって、明日にも御陀仏になりかねぬ当方が読んでも明るく、ためになり、おもしろい。
つくづく身にしみることは、手間と労力がかかり煩雑な実験などにしても、高齢期には知恵はあっても肉体的に続かないだろうということだ。よって、データを提供する側に立ち協力することで役に立ちたい。
一つ、びっくりしたことは、認知機能低下の原因が、喫煙や高血圧、空気汚染などよりも、社会的つながりの有る無しが問題だということだった。
これでわかったことは、難聴そのものが認知症を引き起こすのではなく、聞き取りにくいために会話が億劫になることから社会的つながりが減ることが問題なのだということだろう。これは、視力の補正にメガネをかけるように、補聴器を楽に使いこなせれば問題解決になるわけで、これを読んだら難聴者は元気が出ることと思う。各章の各所に、こうしたヒントがたくさん盛り込まれている面白い本。
もうひとつ面白かったのは、有名なピアニスト、ルービンシュタインが晩年になっても年齢による衰えを感じさせない演奏を行ったことについての、インタビューでの彼の答え。
彼は、ピアノ演奏における年齢の影響を、3つの方法でマネジメントしていた由。
1 演奏のレパートリーを絞り(選択)2 集中的に練習し(最適化)3 速い手の動きが求められる部分の前の演奏の速さを遅くすることでコントラストを生み出し、スピードの印象を高める。
これは無理になったことを知恵でカバーするという、年をとった職人さんたちが持っている「いっとき力」と同じ知恵。高齢になったら、時にはニヤリとしながらこうした知恵を絞るのも楽しみかもしれません。

除染と国家

除染と国家』副題=21世紀最悪の公共事業 著者=日野行介(ひの こうすけ)発行=集英社 2018 新書0957A 248頁 ¥860 ISBN9784087210576
著者=1975年生まれ。毎日新聞記者。九州大学法学部卒。1999年毎日新聞社入社。大津支局、福井支局敦賀駐在、大阪社会部、東京社会部、特別報道グループ記者を経て、水戸市局次長。
   福島県民健康管理調査の「秘密会」問題や復興庁参事官による「暴言ツイッター」等の特報に関わる。
   著書『
福島原発事故 県民健康管理調査の闇』『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』(岩波新書)『原発棄民フクシマ5年後の真実』(ま日新聞出版)など
内容=2011年の東京電力福島第一原発事故に伴う放射能汚染対策の中で大きな柱となった「除染」について環境省の非公開会合の記録を入手。これをもとに官僚、学者に直接取材をして暴いた。
   目次を挙げる。序章 除染幻想ー壊れた国家の信用と民主主義の基盤 第1章 被災地に転嫁される責任ー汚染土はいつまで仮置きなのか 第2章 「除染先進地」伊達市の欺瞞 
   第3章 底なしの無責任ー汚染土再利用(1) 第4章 議事録から消えた発言ー汚染土再利用(2) 第5章 誰のため、何のための除染だったのか 第6章 指定廃棄物の行方 あとがき 原発事故が壊したもの 以上
感想= 世界史に刻まれる原発事故を最前線で報道したい、という出発点から5年間を、日野記者は調査報道に心身全てを投入してきた。これは、その間の「除染」に焦点を絞った部分の記録だ。
 読みながら私は、私自身の、この数年間を振り返った。夢類の読書評は、読書をしながらの随想のようなもので、純粋な読書評を期待する向きには横道ばかりに映ることと思い、申し訳ないです。
さて、その横道風景。「夢類」第25号に出した紀行「神田川」の取材で都内の神田川沿いを歩いていたときのこと、産業廃棄物用の大型トラックが神田川を渡ってくる、これを避けて橋のたもとにいたときのことだ、生活道路を通る大型車だから、歩行者との間は50センチもない。徐行するトラックが産廃廃棄物ではない、汚染土という表示をつけていることに気づいた。これか、と眺めた。「汚染土」を、私は気にしていた。福島の汚染土の、軽い汚染度のものを公共土木工事に使う、という情報は本当だったんだな、とトラックを見送った。
墨汁やインクを一滴だけ、浴槽に垂らしてもわからない。これがインクでなくて有毒の液体だったとしたら? 吐き気もなく、肌が荒れる事もなかったら、誰にも気づかれることなく、一瓶のインクは何ヶ月もしないうちに空にできるだろう。
神田川沿いをグダグダと思いながら歩き、そして思った、福島の、あの膨大なフレコンバッグは次第に減ってゆくな? 特に埋め立て地などを探しまわらなくても、気づかないうちになくなってしまうんだ。そうして日本列島全体が汚染されきってしまうんだなあ。
このグダグダ思いは、あの太平洋戦争の時の記憶からもたらされるものだった、一千万人が餓死したと伝えられる敗戦直後の日本で、時の日本政府は、多少の国民が餓死して人口が減ったら、国としては儲けものだくらいに思っただろうと私は思っていた。ようやく新聞が読める年齢になった小学5、6年生の頃の記憶だ。棄民。国民を捨てるという意味。この棄民政策を、かつての日本政府は行ったことがある。政府は国を守ろうとしたが、国民を守ろうとはしなかった、むしろ消費した。これが太平洋戦争だった。
膨大なフレコンバッグだって、あの当時の政府と同じメロディを奏でればいいわけだ。そうすれば国の損害は少なくて済む。戦争の影響は子どもに現れる。国を信じることができない歪んだ性根、これは生涯続く後遺症だ。
いま私が信用しているものがある。それは一般市民が集まり、調べ上げて作った自費出版の本『
17都県放射能測定マップ』だ。これを基にして観察を続ける。
福島第一原発事故の汚染地域のほとんどは山林地帯だ。事故後、この山林に火災が起きたことがあり、その直後から自宅の雨水を調べていたが明確に影響が現れた。雨水は黒い豆腐を崩したような塊でいっぱいになった。晴れ続きであれば気づく手立てはなかった。たちまち、何事も起こらなかったかのように黒い波紋は消えた。ニュースにもネットにも、このことはなかった。山林は、もともと除染の対象外だから、汚染のほとんどは、今も放置されているのだと思う。このころ庭に実生の松が芽を出した。見守るうちに30cmほどに伸びたが、枝の具合に疑念を抱き、写真を添えて環境庁に送ったが、梨のつぶてだった。
 ここに、戦争を知らない1975年生まれという若い報道記者、あの太平洋戦争時代の苦い疑いの心を持たない若い世代の記者が、まっさらの時点から、澄んだ目で疑いの種を見つけ、この疑いに向かって自身の力の全て、情熱の全てを投入して突き進んだのだ。
そして私たちのところへ戻り、掴んだ手の指を開いて見せてくれたのだ、これらの著作として。
読んでいて、取材現場に一緒にいるような気持ちにさせられる、それは日野記者が等身大の普通の常識を持った普通の人として、当たり前のことを問いかけ、耳を傾けている故に違いない。
 汚染土関係の片々を、いくつか転載します。役人と学者のプロジェクトチームの、削除された議事録より
「あくまで仮置き場であり、最終処分場と言ってはいけないということだ。そう言わないと福島県が受け入れてくれない。だから中間貯蔵施設というネーミングになった」
「敷地内に一応、溶鉱炉とか管理棟とかあるでしょ。あれが大事なんだ。ただのゴミ捨て場と言われないようにするためにね」
国を司る政府が、守るべき国民を守らない、国という形は守るが、国民は消費する対象であり、国が切羽詰まった時は捨てる(棄民)、このような過去を記憶するがゆえに、福島第一原発事故後の、国と東電の対応を見ると、過去とぴったりと重なる。
何もかも、あの戦争の時代と同じなんだ、繰り返している、と憤懣の思いを込めて振り返り、現実に帰った時、大きな驚き、信じられないが事実だ、と目を見張る違いに気づいた。
あの時と、今は違う。何が違うのか?
それは自由な言論が保障されていることだ。隠したり、ごまかしたりする根性は変わらず健在だとしても、隠された事実を掘り出して見せてくれる果敢な精神の持ち主が、確実に生まれ、育ち、成長しつつあるのだ。
その証拠が、この著作だ。あの、伏字の時代を振り返り、私は今、どれほどの恩恵に浴しているかを体で感じとっている。
神田川の橋のたもとで思ったことと、この本を読んで知ったことがつながり、私はようやく呼吸ができる自身を感じ取れた。
一般の私たちにできることは、あの時代には育つことのなかった記者たち、ジャーナリストたちのもたらしたものを受け取ることだ。
一人でも多くの、普通の国民たちが記者たちの仕事に目を向ければ、結果として言論の自由を守る力に加わることもできよう、言論封殺のための左遷、降格などの圧力をも防げるかもしれない。応援し続けよう。
「伏字」とは? ですって? 伏字とは、今時代の「のり弁」書類のようなものです。違うところは個人名や数字を黒塗りにするのではなく、気に入らない文章全般にわたり行うもの。
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