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アメリカの中のヒロシマ

アメリカの中のヒロシマ』HIROSHIMA IN AMERICA 著者=Robert J. Lifton and Greg Mitchell R.J.リフトン G.ミッチェル 訳=大塚 隆 発行=岩波書店 1995年 128X187mm 上下巻 各P235 各¥2400 ISBN4000000683
著者=R.J.リフトン=1926年ニューヨーク生まれ。精神医学・心理学者。ハーバード大学東アジア研究所等を経てニューヨーク市立大学教授。著書『死の内の生命ーヒロシマの生存者』『思想改革の心理ー中国における洗脳の研究』他
   G. ミッチェル=1947年ニューヨーク生まれ。ジャーナリスト。「ニュークリア・タイムス」誌元編集長。
訳者=1947年生まれ。京都大学工学部卒。朝日新聞者入社。アメリカ総局員、ワシントン取材などを経て東京本社科学部次長。(以上、出版当時)
内容=アメリカの側から見たヒロシマ・ナガサキはどのようなものだったか。悲惨な歴史的事実を、どのように受けとめ、向き合ってきたのか。歴代大統領・歴史家・退役軍人・ジャーナリストらの心の内へ迫る。
精神医学の専門家ならではの視点と分析が盛り込まれる一方、ジャーナリストのフットワークを駆使して活写するスミソニアン博物館の原爆展周辺の人間模様は圧巻。
感想=先に読んだダニエル・エルズバーグの『国家機密と良心』の中で、少年エルズバーグがこの本に泣き、読んでみて、と父に手渡したエピソードがあった。アメリカの側から見た海外のヒロシマか、アメリカ大陸の中のヒロシマか。
図書館では借りる人が少なくなったために書庫にしまわれていたのを貸してもらった。かれこれ25年前の本。上下2巻、巻頭に主要登場人物が顔写真とともに掲載されている。この人々を紹介するだけで十分、広島の原型が見えてくる。
アインシュタイン、アイゼンハワー、オッペンハイマー、トルーマン、ルーズベルトなどはよく知られた人物だが、ノーマン・カズンズ(核兵器に批判的な立場を貫いたジャーナリスト)J,C.グルー(外交官。太平洋戦争勃発時の駐日大使。トルーマンに日本への降伏条件を緩めるよう進言、原爆投下に強く反対)L.R.グローブズ(陸軍将軍、軍のマンハッタン計画の最高責任者。オッペンハイマーら科学者を指揮、原爆を開発。日本への原爆投下を強く推進)J.B.コナント(化学者。ハーバード大学長。科学者を組織し、マンハッタン計画を推進。戦後は、原爆投下の正当化に全力をあげた)L.ジラード(物理学者。マンハッタン計画に参加。原爆投下に強く反対。核廃絶運動を推進)H.スティムソン(大戦当時の戦争長官。都市への無差別爆撃に抵抗、京都への原爆投下に強く反対したが、戦後に原爆投下擁護論文を発表)M.ハーウィット(前国立スミソニアン航空宇宙博物館長。大戦終結50周年に、爆心地の再現を含めた大規模な原爆展を企画。議会、退役軍人の圧力で挫折、辞任)W.L.ローレンス(科学ジャーナリスト。マンハッタン計画のスポークスマンとして投下の正当性に力を尽くした)などなど。
70年余りものちのいま、当時の仔細な記録と分析を読むことに意味があるのか。それは読んでみて初めて胸に落ちた、今現在の世相、今現在の政府各人の動きようとの、恐ろしいまでの共通性を噛み締めたのだった。
それでは今、どうしたら良いのかを考える下敷きにすべきではないか。
一口で言ってしまえば単純で簡単なことなのだと思う。それは、嘘をつかないこと。隠さないこと。もう一つは、どんな意見も無視してはならないこと。どんな人の考えも、思いも、圧殺してはいけないこと。
こんなことは一般家庭で守る、あたりまえの簡単な事柄ではないか。イザコザが絶えない家には、決まって嘘つきがいたり、これは誰ちゃんには黙っててね、と隠し事をする奴がいたりするものなのだ。同じことだ。
戦争前夜、戦争中、戦後の混乱期、ここには隠し事、ごまかし事、気に入らない考えを圧殺する事などが溢れかえっている。
この、一握りの者が引く設計図を見ることもできない、ただの道具として左右されていた人々の生の声も、ここにある。原爆投下を知った途端に揃って泣いた若者たち。これは沖縄上陸作戦寸前の運命にあった兵士たちだ。死なずに済んだ、家へ帰れる喜びの涙。
米国の被爆者については、この本で初めて知った。アメリカ西海岸に千人以上の被爆者がいることを、どれだけの日本人が知っているだろう。大部分は、親類を訪ねたりして広島に閉じ込められて被災した人たちだ。広島では数百人の日系アメリカ人が死んでいる。アメリカの被爆者たちは、生き延びてアメリカへ戻ることができた人々だが、日本の被爆者よりもさらに困窮している。無料医療給付を受けていない。日本もアメリカも、それぞれの理由や思惑があり、ボールを取り落とした形だ。
ダニエル・エルズバーグが、なぜ内部告発へと気持ちを進めていったか。それが本書を読むことで理解できた。
嘘をつくな、隠し事はするな、そうすれば平和への階段が見えてくる、そう言いたかったに違いない。そうじゃない、世の中、そんな甘いもんじゃないさ、とあざ笑う利口な人たちは、実は地獄への穴を自ら掘っているようなものだと思う。

老いと記憶

老いと記憶』副題=加齢で得るもの、失うもの 著者=増本康平(ますもと・こうへい) 発行=中央公論社2018 中公新書2521 206 ¥780 ISBN9784121025210
著者=1977年大阪府生まれ 神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。専門分野は高齢者心理学、認知心理学、神経心理学。
内容=加齢に伴い、人の記憶・認知は、どのように変化するのか。若年者と高齢者ではどこが違うのか、あるいは同じか。様々な実験・研究による知見を披露する。
感想=タイトルから内容を推測すると高齢に伴い、記憶はどのように変化するのか? そしてその対処法は? というものだった。
最近氾濫している健康関連本、腰痛を治すには、的な内容が浮かんでくる。しかし本書は「治すには本」ではない。
もちろん、全5章あるうちの第3章では「訓練によって記憶の衰えは防げるのか」と題して、最も関心が深い「よく忘れちゃう」問題について詳しい内容がたくさん出ている。よって、第3章を読めば、物忘れを防ぐ日常のありようがわかるだろう。
ところで、まず第1章では、脳みそのデキについて解説。最近はしばしば目にする脳図だが、初耳! だったことは、一つの出来事が、一つの部位に収納されるのではない、あっちの部署にもこっちの課にも、といろいろなところに保存される仕組みになっているということだ。このような情報はもう、専門家から授けてもらうすごい宝物だ。よって最も興味深く読んだのは、第1章だった。
この分だと、脳内状況はさらに詳しいものがわかってゆくに違いない。たとえば連想について。浜辺で砂を踏んだとたんに思い出した、あのメロディ。味噌汁の香りとともに突然浮かんだ実家の台所。
匂い、音、色、手触りなど、ジャンルを超えて連結する通信網の不思議さについて思いを巡らせた。
本書には、このような五感の間の連結とか通信などは書かれていない。基礎的な脳の仕組みの解説を読みながら勝手に想像を膨らませただけである。
いま私は三遊亭円朝に浸っているので、人間のもつ第六感のようなものについて関心を寄せているのだが、多分、この分野の研究は今が門前に佇んでいるような時期であり、これから大きく扉が開かれるのではないだろうか。
著者は、この本を執筆された時、41歳。「まえがき」に、次のように記している。
ー 私は三五歳の時からシニアカレッジで毎年、「記憶機能の加齢」について高齢者を対象とした講義をしています。その講義をお世話していただいている方に、「若い先生が高齢者の前で高齢者の記憶について話している姿が新鮮で面白い」と笑われたことがありました。確かに記憶の問題をまさに体験している高齢者に対し、その二分の一ほどしか生きていない私が高齢期の記憶について講義をするわけですから、釈迦に説法の感はあります。ー
この文からも分かる通り、高度で複雑な研究内容を一般向けに分かりやすく平易な表現で手渡してくれる空気が親しみやすく、明るい。よって、明日にも御陀仏になりかねぬ当方が読んでも明るく、ためになり、おもしろい。
つくづく身にしみることは、手間と労力がかかり煩雑な実験などにしても、高齢期には知恵はあっても肉体的に続かないだろうということだ。よって、データを提供する側に立ち協力することで役に立ちたい。
一つ、びっくりしたことは、認知機能低下の原因が、喫煙や高血圧、空気汚染などよりも、社会的つながりの有る無しが問題だということだった。
これでわかったことは、難聴そのものが認知症を引き起こすのではなく、聞き取りにくいために会話が億劫になることから社会的つながりが減ることが問題なのだということだろう。これは、視力の補正にメガネをかけるように、補聴器を楽に使いこなせれば問題解決になるわけで、これを読んだら難聴者は元気が出ることと思う。各章の各所に、こうしたヒントがたくさん盛り込まれている面白い本。
もうひとつ面白かったのは、有名なピアニスト、ルービンシュタインが晩年になっても年齢による衰えを感じさせない演奏を行ったことについての、インタビューでの彼の答え。
彼は、ピアノ演奏における年齢の影響を、3つの方法でマネジメントしていた由。
1 演奏のレパートリーを絞り(選択)2 集中的に練習し(最適化)3 速い手の動きが求められる部分の前の演奏の速さを遅くすることでコントラストを生み出し、スピードの印象を高める。
これは無理になったことを知恵でカバーするという、年をとった職人さんたちが持っている「いっとき力」と同じ知恵。高齢になったら、時にはニヤリとしながらこうした知恵を絞るのも楽しみかもしれません。

除染と国家

除染と国家』副題=21世紀最悪の公共事業 著者=日野行介(ひの こうすけ)発行=集英社 2018 新書0957A 248頁 ¥860 ISBN9784087210576
著者=1975年生まれ。毎日新聞記者。九州大学法学部卒。1999年毎日新聞社入社。大津支局、福井支局敦賀駐在、大阪社会部、東京社会部、特別報道グループ記者を経て、水戸市局次長。
   福島県民健康管理調査の「秘密会」問題や復興庁参事官による「暴言ツイッター」等の特報に関わる。
   著書『
福島原発事故 県民健康管理調査の闇』『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』(岩波新書)『原発棄民フクシマ5年後の真実』(ま日新聞出版)など
内容=2011年の東京電力福島第一原発事故に伴う放射能汚染対策の中で大きな柱となった「除染」について環境省の非公開会合の記録を入手。これをもとに官僚、学者に直接取材をして暴いた。
   目次を挙げる。序章 除染幻想ー壊れた国家の信用と民主主義の基盤 第1章 被災地に転嫁される責任ー汚染土はいつまで仮置きなのか 第2章 「除染先進地」伊達市の欺瞞 
   第3章 底なしの無責任ー汚染土再利用(1) 第4章 議事録から消えた発言ー汚染土再利用(2) 第5章 誰のため、何のための除染だったのか 第6章 指定廃棄物の行方 あとがき 原発事故が壊したもの 以上
感想= 世界史に刻まれる原発事故を最前線で報道したい、という出発点から5年間を、日野記者は調査報道に心身全てを投入してきた。これは、その間の「除染」に焦点を絞った部分の記録だ。
 読みながら私は、私自身の、この数年間を振り返った。夢類の読書評は、読書をしながらの随想のようなもので、純粋な読書評を期待する向きには横道ばかりに映ることと思い、申し訳ないです。
さて、その横道風景。「夢類」第25号に出した紀行「神田川」の取材で都内の神田川沿いを歩いていたときのこと、産業廃棄物用の大型トラックが神田川を渡ってくる、これを避けて橋のたもとにいたときのことだ、生活道路を通る大型車だから、歩行者との間は50センチもない。徐行するトラックが産廃廃棄物ではない、汚染土という表示をつけていることに気づいた。これか、と眺めた。「汚染土」を、私は気にしていた。福島の汚染土の、軽い汚染度のものを公共土木工事に使う、という情報は本当だったんだな、とトラックを見送った。
墨汁やインクを一滴だけ、浴槽に垂らしてもわからない。これがインクでなくて有毒の液体だったとしたら? 吐き気もなく、肌が荒れる事もなかったら、誰にも気づかれることなく、一瓶のインクは何ヶ月もしないうちに空にできるだろう。
神田川沿いをグダグダと思いながら歩き、そして思った、福島の、あの膨大なフレコンバッグは次第に減ってゆくな? 特に埋め立て地などを探しまわらなくても、気づかないうちになくなってしまうんだ。そうして日本列島全体が汚染されきってしまうんだなあ。
このグダグダ思いは、あの太平洋戦争の時の記憶からもたらされるものだった、一千万人が餓死したと伝えられる敗戦直後の日本で、時の日本政府は、多少の国民が餓死して人口が減ったら、国としては儲けものだくらいに思っただろうと私は思っていた。ようやく新聞が読める年齢になった小学5、6年生の頃の記憶だ。棄民。国民を捨てるという意味。この棄民政策を、かつての日本政府は行ったことがある。政府は国を守ろうとしたが、国民を守ろうとはしなかった、むしろ消費した。これが太平洋戦争だった。
膨大なフレコンバッグだって、あの当時の政府と同じメロディを奏でればいいわけだ。そうすれば国の損害は少なくて済む。戦争の影響は子どもに現れる。国を信じることができない歪んだ性根、これは生涯続く後遺症だ。
いま私が信用しているものがある。それは一般市民が集まり、調べ上げて作った自費出版の本『
17都県放射能測定マップ』だ。これを基にして観察を続ける。
福島第一原発事故の汚染地域のほとんどは山林地帯だ。事故後、この山林に火災が起きたことがあり、その直後から自宅の雨水を調べていたが明確に影響が現れた。雨水は黒い豆腐を崩したような塊でいっぱいになった。晴れ続きであれば気づく手立てはなかった。たちまち、何事も起こらなかったかのように黒い波紋は消えた。ニュースにもネットにも、このことはなかった。山林は、もともと除染の対象外だから、汚染のほとんどは、今も放置されているのだと思う。このころ庭に実生の松が芽を出した。見守るうちに30cmほどに伸びたが、枝の具合に疑念を抱き、写真を添えて環境庁に送ったが、梨のつぶてだった。
 ここに、戦争を知らない1975年生まれという若い報道記者、あの太平洋戦争時代の苦い疑いの心を持たない若い世代の記者が、まっさらの時点から、澄んだ目で疑いの種を見つけ、この疑いに向かって自身の力の全て、情熱の全てを投入して突き進んだのだ。
そして私たちのところへ戻り、掴んだ手の指を開いて見せてくれたのだ、これらの著作として。
読んでいて、取材現場に一緒にいるような気持ちにさせられる、それは日野記者が等身大の普通の常識を持った普通の人として、当たり前のことを問いかけ、耳を傾けている故に違いない。
 汚染土関係の片々を、いくつか転載します。役人と学者のプロジェクトチームの、削除された議事録より
「あくまで仮置き場であり、最終処分場と言ってはいけないということだ。そう言わないと福島県が受け入れてくれない。だから中間貯蔵施設というネーミングになった」
「敷地内に一応、溶鉱炉とか管理棟とかあるでしょ。あれが大事なんだ。ただのゴミ捨て場と言われないようにするためにね」
国を司る政府が、守るべき国民を守らない、国という形は守るが、国民は消費する対象であり、国が切羽詰まった時は捨てる(棄民)、このような過去を記憶するがゆえに、福島第一原発事故後の、国と東電の対応を見ると、過去とぴったりと重なる。
何もかも、あの戦争の時代と同じなんだ、繰り返している、と憤懣の思いを込めて振り返り、現実に帰った時、大きな驚き、信じられないが事実だ、と目を見張る違いに気づいた。
あの時と、今は違う。何が違うのか?
それは自由な言論が保障されていることだ。隠したり、ごまかしたりする根性は変わらず健在だとしても、隠された事実を掘り出して見せてくれる果敢な精神の持ち主が、確実に生まれ、育ち、成長しつつあるのだ。
その証拠が、この著作だ。あの、伏字の時代を振り返り、私は今、どれほどの恩恵に浴しているかを体で感じとっている。
神田川の橋のたもとで思ったことと、この本を読んで知ったことがつながり、私はようやく呼吸ができる自身を感じ取れた。
一般の私たちにできることは、あの時代には育つことのなかった記者たち、ジャーナリストたちのもたらしたものを受け取ることだ。
一人でも多くの、普通の国民たちが記者たちの仕事に目を向ければ、結果として言論の自由を守る力に加わることもできよう、言論封殺のための左遷、降格などの圧力をも防げるかもしれない。応援し続けよう。
「伏字」とは? ですって? 伏字とは、今時代の「のり弁」書類のようなものです。違うところは個人名や数字を黒塗りにするのではなく、気に入らない文章全般にわたり行うもの。

国家機密と良心

国家機密と良心』副題=私はなぜペンタゴン情報を暴露したか  著者=ダニエル・エルズバーグ 訳ー梓澤 登 若林 希和 発行=岩波書店 岩波ブックレットNo.996 2019 120 サイズ=20cm 740 ISBN9784002709963
著者= Daniel Ellsberg1931年シカゴ生まれ。戦略研究者.平和運動家.元国防総省勤務.元国防次官補佐官.米国国務省で政策研究を行う。
   「ペンタゴン・ペーパーズ」作成に関わるが、1971年に国防総省のベトナム政策決定経過を『NYタイムズ』『ワシントンポスト』に内部告発して合衆国法違反に問われ、起訴、解任される。その後、公訴棄却の判決。以後、軍縮の研究と平和運動に携わる。2016年、ドレスデン平和賞受賞。

内容=本書は、若林希和(通訳者)・大山勇一(弁護士)・医学生(現在は医師)の3名が、サンフランシスコ近郊のエルズバーグ氏宅でインタビューした記録。日本来訪を希望したが叶わなかったために実行委員会を作り企画したという。
   2日間にわたるインタビューで、1日目として自身の生い立ちから人生の転機を迎えるまでが語られ、2日目には、内部告発に至った根の部分、何が私を変えたのか、が語られる。吉岡 忍(ノンフィクション作家・日本ペンクラブ会長)が巻末に丁寧な解説をつけている。
感想=ベトナム戦争の本質を暴露した内部告発は、当時のニクソン大統領を窮地に追い込んだ。暴露された内容などに関しては、現在誰でも詳細が手に入ることから省略する。通読して胸を打たれたことは彼の家族の姿だった。
   当時15歳だった彼と両親、妹。この家族4人が父の運転する乗用車で単独事故を起こし、母と妹が即死した。重症だった父と彼が生き続ける。
   父は仕事の重圧で居眠り運転をしたのだった。父の仕事は何? この悲劇に関して、長いインタビューにもかかわらず彼は、現状を語るだけで感情の片鱗も見せていない。
   強烈な印象と感動を受けたふたつのエピソードがあった。
   一つは彼がまだ少年だった頃に「こんなひどいこと、初めて知ったよ」と泣きながら、読み終えたばかりの本を父に手渡した思い出を語った部分だ。86歳になった父が、このことを彼に思い出として語ったのだが、息子の方は、すっかり忘れていたという。
   その本はジョン・ハーシー著『ヒロシマ』。この本を少年エルズバーグは泣きながら読み、父は少年の手から受け取って読んで以来、忘れなかったのだ。
   息子は老齢の父に尋ねる、「お父さんは、どうして、あの仕事を辞めたの?」
   父は、妻と娘を失ってのちに、水爆の原料を生産する巨大工場の設計に関わっていた設計事務所をやめたのだった。水爆は、原爆の千倍以上だ、そして放射性廃棄物は何万年もの間、地球を汚染し続けると語る父の記憶は確かだったと語っているが、エルズバーグの見識、記憶は驚異的なものがある。
   あれは嘘だったのか。これも嘘だったんだ、と当時の政治家たちの発言を思い出してため息の連続だ。
   立ち位置が、無である、空である。アメリカ合衆国の国民としての目ではない。ヒロシマの惨状に同情するが故の、日本寄りの目では、もちろんない。
   インタビューする相手がどこの国の人間か、なども頓着ない。だから、率直だ。
   人間の持つ良心というものを、率直に表明すること、行動に移すことのために、どれほどの勇気が必要かを思い知らされるが、この父と息子が、決して申し合わせて行ってきたことではない地球愛の源が、若くして逝ってしまった母と妹からの贈り物のような気がしてならない。

黒の服飾史

黒の服飾史』 著者=徳井淑子(とくい・よしこ) 発行=河出書房新社 2019年 239頁 索引・図版出典・参考文献・註=合計20頁 サイズ=20cm ¥3200 ISBN9784309227689
著者=御茶の水女子大学名誉教授。フランス服飾・文化史専攻。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士過程単位取得満期退学。
著書『
服飾の中世』(勁草書房1995年)『色で読む中世ヨーロッパ』(講談社2006年)他
内容=フランスを中心にヨーロッパの人々の色感覚について10章にまとめている。この10章のタイトルを紹介することで概要の紹介になるだろう。
多色使いの忌避・モノクロームの道徳性・黒いモードの誕生・メランコリーの系譜・プロテスタントの倫理とモノクローム志向・白いモードと白の表彰・近代社会のブルジョアの色・産業社会の労働の色・近代都市とジェンダー・現代のモノクロームと黒の表象、の10項目。
感想=フランスの服飾と文化を基本にして色の世界を、色の中でも黒に焦点を絞って論述している。
ヨーロッパの人々の色感覚を語りながら、ふと振り向いて、日本人の色に対する姿勢を語る、これがとても魅力的で、身近に感じながら楽しく読み進むことができた。
とはいえ、著者の長年の研究集積を基礎として、流動中の今現在の様相までをも捉えながらの緻密な考察は非常に深い。本書と向き合って読み進むためには、相当な努力が必要な本だ。
紙の本が軽んじられ、衰退の危機を言われながらも出版される書籍の数は多い。売れ筋本のデキを覗くと、目を惹くデコレーションのスイーツといった風情あり、口当たりは良いが筋肉にも血にもならない、せいぜい腹回りの豊かさに寄与するだけの代物が多い。
その中で本書は、骨にもなるだろうと本気で思う。
色と接することなしに過ごす日はないのに、日本人は色の扱いが雑で、特にドラマでの色の扱いかたに、私は辟易している。
日本映画の色使いは汚い、それが嫌で見たくなくなる。色使いというより、無視しているのではないか。小道具ひとつを選ぶにも、色を無視して選んでいるのではないか。
これで腹が立ってしまい、見たくなくなる。もしかして小津安二郎の映画が優れているの原因の一つはモノクローム作品であることにあるのではないかとさえ思う。

しかし本書では、ヨーロッパの人々が色に厳しく向き合うことを語る一方で、日本人の色使いを理解し、認めているのだ。
これは驚きであり発見だった。
ヨーロッパの感覚は常に宗教感覚を含有しており、色使いもまた、この枠の中にいる。
しかし日本人の場合は、これがないことを指摘している。
そのかわり日本人の感覚は、常に自然と共にあり、色も当然、自然の一部なのだった。
だから色の名も、なんと草や花に寄り添っていることだろう。心もまた自然で、素直なのだった。
たとえば緑色について。緑の葉は、秋に紅葉して色が変わる。この不誠実さは許せぬ。この理屈によって緑色の印象は悪いものとなる。
これがヨーロッパ感覚だが、日本では春には若葉色の着物を着ましょう、秋には紅葉模様の着物にしましょう、となる。
自然と手をつないで四季を歩む感じを受ける。

少し長くなるが、冒頭の「色に寛容な日本人」のところの一節を紹介します。
   ウンベルト・エーコが十四世紀のイタリアの修道会を舞台にして著した『薔薇の名前』は(中略)禁断の写本をめぐる相克の中で起こる連続殺人事件である。
   その謎を解くべく文書庫に潜入した若い修道士アドソは、けばけばしい色で塗られた写本挿絵の獣や女の姿に魅せられるが、
   しだいに感覚を失い不安にかられていたたまれなくなり、大慌てで文書庫を後にする。
   修道院のモノクロームの世界で若い修道士が出会った鮮やかな彩色写本の世界は、欲望の世界に誘惑する罠であり、危険のサインである。
   少ない色数で色を統一しようとするヨーロッパ人の意思は、日本人の色に対する態度と比較してみればわかりやすいかもしれない。
   それは自然の色に対する彼我の態度の違いでもある。
   私たちの街が色であふれているのは、都市計画の遅れのせいでも色彩設計への意識の欠如のせいでもないのかもしれない。
   おそらく日本人は、色に寛容な文化を持っているのである。
   それは季節の色を楽しむ文化を育ててきたからであり、四季折々の風物に恵まれた自然環境がそれを育んできたからだろう。
   季節の色をまとう平安朝の配色の好尚、すなわち重ね色目はその代表である。
   また藍、紅、紫など古く日本の色名には染料となる植物に由来する名が多く、色を抽象的に取り出すことをしたヨーロッパ人と違い、日本人は色をものの色としてとらえる傾向が強いこともその証であろう。
   日常生活から季節感は確実に減ってしまった今日ではあるが、それでもなお、季節感に乏しい寒冷の地域に住む北ヨーロッパの人びとに比べれば、わたしたちははるかに季節を意識して衣服の色を選んでいる。

巻頭に、有名な絵画が8ページにわたり18点掲載されている。
本文を読み進めて行くと、巻頭の、どの絵を参照するようにと出てくる。
これに従い、眺めてみると、なるほど! そうであったか! と目から鱗、たくさんの発見がある。
古来、ヨーロッパの人々が色に関して抱いてきた感覚と常識が、著者の的確、適切な説明に支えられて画中から立ち上がるのである。
絵画鑑賞の助けになり、文学作品の理解にも役にたつ。

漂流するトモダチ

漂流するトモダチ』副題=アメリカの被爆裁判 著者=田井中雅人・エィミ ツジモト 発行=朝日新聞出版2018年 kindle版 紙本で161頁¥1188 ASINB079ZJP96B
著者=たいなかまさと 朝日新聞・核と人類取材センター記者。著書『
核に縛られる日本』ほか
   エィミ・ツジモト アメリカ在住のジャーナリスト
内容=ノンフィクション。2011・3・11.この時、西太平洋を航行中だったアメリカの原子力空母、ロナルド・レーガンは、急遽、福島へ進路を変更し、救助支援に当たった。これが「トモダチ作戦」と言われる活動だったが、その後のことは知らされていないが、9名の死者を数え、400名以上の被害者たちが原告として訴訟を起こしている。
感想=
あの時の「トモダチ」。
  福島へ急遽駆けつけてくれたアメリカの原子力空母ロナルド・レーガン。乗組員5000人の巨艦だ。一つの街の規模で、映画館、レストランなどの他に警察、刑務所もある。
 「オペレーション・トモダチ」に参加したのは空母レーガンだけではなかった、他に25隻の艦船、航空機も駆けつけてくれて、約1万7千人の兵士らが助けてくれたのだと、この本によって初めて知った。
 ヘリの往復で届けてくれていた救援物資は、艦内の兵士たちのための食料であり、衣類であり水だった。

 第1章では、この発端から始まり、放射性プルームに汚染した空母が退避するが、時すでに遅く乗務員たちは被爆。
 次第に病状は進み、死者9人を数える現状が語られる。
 第2章では、被爆して苦しむトモダチ4人へのインタビュー。
 これは、読むのも辛い有様だ。彼らの肉声が聞こえる。
 第3章は、小泉純一郎元首相との面会の時の、詳細なやりとりの記録。
 ヨウ素剤を服用しないのに、下船の際に服用したと署名しろと強要されたことなども語られる。
 「東電もアメリカ海軍もメディアも、何かを隠している」
 という小見出しの項を読むと、組織が個人に対してどれほど冷淡・残酷であるかが身にしみる。
 小泉元首相は10人の元兵士と面会したのち、記者たちの質問を受けている。
 首相時代は原発推進の方針であった小泉元首相は目頭を押さえ、そして言った、「これは、原発反対論者も、原発推進論者も、病に苦しむ兵士に何ができるか、共同で考えることだと思っています。これは人道上の問題だと思っています」。
 第4章で被爆の実態が記される。
 第5章で再びインタビュー。
 ここまで読み進んできて、溌剌とした青年たちが突然受けた被爆の苦しみ、迫る死の恐怖と悲しみ、希望を断ち切られた現在が迫る。
 現役女性士官も訴訟に参加する。訴訟に参加するまでに至る気持ちと事情は痛ましすぎる。
 最後の第6章は、裁判のこれからの展望。
 この裁判、開廷希望日は2019年5月! 
 心を一つにしたい。
 余りにも悲惨な現実だ、親切心いっぱいで助けてくれたトモダチが、こんなことに。この事を知りましょう。

無人化と労働の未来

無人化と労働の未来』副題=インダストリー4.0の現場を行く ARBEITSFREI Eine Entdeckungsreise zu den Maschinen,die uns ersetzen 著者=コンスタンツェ・クルツ&フランク・リーガー 訳=木本栄 発行=岩波書店2018年 サイズ=190mm 234頁 ¥2800 ISBN9784000022347
著者=コンスタンツェ・クルツ Constanze Kurz 1974年東ベルリン生まれ。情報学博士。ホワイトハッカー集団 Chaos Computer Clubのスポークスマンの一人。ネット社会の自由と人権保護をテーマとするニュースブログ・ブラッドフォームnetzpolitik.org 編集員。他多々。
   フランク・リーガー Frank Rieger 1971年旧東ドイツブランデンブルク州生まれ。ハッカー、コラムニスト、インターネットアクティビスト。通信セキュリティ企業の技術最高責任者。 Chaos Computer Clubのスポークスマンの一人。他多々。
訳者=きもと さかえ 年齢不詳 ロンドン生まれ。ボン大学卒。ベルリン在住。
内容=プロローグとして、日本の読者に向けて12頁にわたり解説がついている。この中に、本書の副題にあるインダストリー4.0の説明もある。これは第4次産業革命とも呼ばれるプロジェクトで、ソフトウェア、ロボットとネットワーク化による製造現場の変革推進である。
二部に分かれていて、第一部では畑からパンになるまでを現場見学ツアーに参加したかのように案内、この製品が無人化が進むロジスティクスによって、整然と迅速に消費者のもとへ届けられるまでを見せる。
第二部では、このような機械労働の影響、労働の未来を考察する。まず、運転手のいない自動車について。次に、しかし機械は人のためにあるのだ、人に対してやさしくあるためには、を考える。最後に置かれているのが「知能の自動化」だ。
この後にエピローグとして19頁があり、ここに著者ふたりの思想が織り込まれている。
感想=水車小屋から始まったパン作りが、ドイツでは今や、日に千トンの穀物を完全自動で製粉加工する。これが多種類の製品となり包装されて消費者へ届く。
これはドイツ国内の話だが、日本も同じだ。最終段階のロジスティクスも、アマゾン・ロジスティクスと付き合っていると、今やこれが当然、自然にさえ感じられる。
畑で大働きをした夫婦が疲れ切って眠っている真夜中に、屋根裏から小人さんたちが現れて働いてくれました、というファンタジーを超える働きをしてくれる今時の機械。
第一部を読んで、これが今なのだと、少しも驚かなかった。製造業だけではないことは、いまどきの銀行を見ればわかる。
第二部の運転手のいない自動車についても、ドイツも日本も同じだ、何が同じかというと、実用に至っていない点が同じなのだ。立ちふさがる難関を解決するには、と著者ふたりは、カメラ、センサー、などなど思案しているのがわかる。
この難関突破作戦の行く手に立ちはだかっているのは、安全面、事故のリスクの先にある責任や社会の判断などで、文面は機械技術から浮遊した言葉、たとえば賠償、義務、考慮、悪意、攻撃、感情的、禁止令などなどが、並んでいるというよりも、ひしめく。
最後に記されるのが、事もあろうに脳みそのロボット化である。
ここが読みごたえのある部分であり、読むだけではなく、読者が先頭に立って考えを進める必要がある部分だ。
これを詳細に語ることは、本書を読まずして内容を入手することにつながるために伏せるが、一つ例を挙げると、取材し、文章化する場合も人間の頭が不要になるという。
スポーツ記事を書く場合を例に挙げているが、野球なら野球専門、サッカーならサッカーに詳しい記者が腕によりをかけてレポートするのと肩を並べる記事になるだろう。これもまた、ドイツだけの話ではない、私にもわかる日本の話だ。
エピローグの最後に4行、ニコラ・テスラ(1856〜1943)電気技師、発明家の、次のような言葉が置かれている。
       現在、ロボットは受け入れられたものの、その性能はまだ十分なレベルには到達していない。
       21世紀には、かつての文明で奴隷が担っていた労働がロボットに取って代わられるだろう。
       1世紀のうちに、それが叶わない理由は何もなく、それによって人間は、より崇高な目標を目指せるよう解放されるのである。
より崇高な目標を持つ我が身であるか、自問しよう。

3.11を心に刻んで

3.11を心に刻んで 2019』岩波ブックレットNo.995。編者=岩波書店編集部 発行=岩波書店 2019 サイズ=210mm 112 ¥780 ISBN9784002709956
内容=20115月以降、約300名の筆者により毎月書き継がれているウェブ連載「3.11を心に刻んで」。これを毎年1冊にまとめて岩波ブックレットとして出版している。
   第1部が「3.11を心に刻んで」第2部が慰霊碑をたどる、と題した「河北新報」の連載企画。第3部が「3.11を考え続けるためのブックガイド」と題して池澤夏樹・金子勝・小出裕章・白石草・武田砂鉄・中村和恵・中村桂子以上7名が書いている。
感想=3.11の特徴は、地震と津波という自然災害と、ヒトの手によってもたらされた原発災害の、2種災害であることだ。
   岩波書店編集部の企画、毎年出す決心の『3.11を心に刻んで』に注目しつつ、ともに年月を刻んでいる。
   今号でも12カ月の11日が並んだ。各月の11日に3人が書いているから36編ある。
   ここには3年前、5年前の、と綴られてきており、今号では8年前の3.11が語られる。特に何年前の、と限定しているわけはないから、内容は様々である。
   8月に書いている安川誠二さん。北海道、アイヌについて語った最後に、文字を持たなかったアイヌは地名に、そこの地形の特徴を表す言葉を当てはめ、危険な場所を子孫に代々口承で伝えていった。と記す。
   9月の佐藤慧さんは津波で母を失い5年後に命の灯火が消えた父を思う、死と愛を噛みしめる切々とした筆致に涙が止まらない。こうして付箋をつけて行くとどのページにもついてしまう。
   我々の命には限りがある。一方、組織は不死身だ、岩波書店の編集部は不死身の力を使い、この先いつまでも続けていただきたい。
   第1部執筆のの36人中、1945年以前に生まれている人は、たったの1人だ、あとの全員は戦争後に生まれている。
   戦争体験がないので、大津波に襲われた惨状に対する受け止めようが、まさに初体験であると強く感じた。

本書への感想は、ここで終わり、あとは個人的な付け足し雑記である。
あの、三陸を襲った大津波の映像をテレビで見ていた、家が、車が、流される、蹂躙されるまま為すところもない濁流の中に、消防車も転がり流されてゆくのを見た、
その瞬間の感想……、この災害には消防車が役に立たない。パトカーだって救急車だって被害者だ。全てがやられてしまった。でも、日本の他の地域から、必ず駆けつけてくれるでしょう、消防車も、救急車も来てくれるでしょう。
そして、続いてこう思ってしまったのだ、「あの時」は、消防車そのものがなかった、パトカーも救急車も発明されていなかったし。テレビどころかラジオもない焼け野原。
いやはや、世の中変わったなあ。あの当時は「兵隊さん」なんかの姿があったら、何を命令されることやら、姿がなければほっとする、今はまあ、自衛隊の活躍がどれほどの助けをもたらしているものか、お風呂まで用意してくれるという。救援物資が送られる、おにぎりを、ただでもらえてる。

あの時は、と苦々しく思い返してしまう、あれほど強く隣組の結束が呼びかけられて、互いに助け合うようにと徹底指導されていたにもかかわらず、頼みにできるものは自分だけ。
あれは冷淡だったのではなく、体を保ってはいたが気持ちが潰れ切っていたのだと、今になって気づいている。だって、近所の誰さんたちが防空壕内で蒸し焼きになって死んでしまったと知っても、ぼんやりと聞き入っているだけで感情が動かなかったのだから。


やがて、この大津波の惨状を祖父母から聞いたことがある、という世代に移るだろう。記録を調べて知る時代になるだろう。
それでも、バトンタッチを繰り返して続けていただきたいと思う。
遠い将来に、大津波からの立ち直りは想像できるが、原発事故からの回復は、今現在の我々には考えられないことだ、そこを読みたい、津波は貞観とくくってくれても良い、福島が気がかりだ、続けてください。
人の命の長さとは尺度の違う怪物、放射能の行く先が不安で仕方がない、岩波ブックレットが灯し続ける炎に、小さな読者も燃料を持ち寄ります。

放射能測定マップ

図説・17都県放射能測定マップ+読み解き集』副題=2011年のあの時・いま・未来を知る 著者=みんなのデータサイトマップ集編集チーム/企画・編集 発行=みんなのデータサイト2018 サイズ=A4 200 ¥2315 ISBN9784991042706
著者=東日本大震災による福島原発事故後、日本各地で立ち上がった「市民放射能測定室」のネットワーク「みんなのデータサイト」
内容=2011311日の東日本大震災に伴って起きた「東京電力福島第一原発事故」による放射能汚染の様相を、一般市民が集まり、市民放射能測定室を立ち上げて測定を続けてきた。この測定結果に基づき、可能な限り事実に忠実にまとめたもの。
   測定結果だけではなく、放射能の放出に伴い発生した問題も網羅。これらを都県ごと・テーマごとに、各測定室が中心になって執筆、これらを編集チームが編集したもの。大きく3つの章に分かれていて、
   第1章は土壌。青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県・福島県・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・新潟県・山梨県・長野県・静岡県 以上17都県を取り上げている。
   それぞれ2011年当時の基本データ(面積・人口・人口密度・当時18歳以下の子供の数と%)・地形の特色・土地の傾向・特産物・事故当時の気象データが出ている。
   地図にプルームの流れが矢印で示され、色分けした○印で
Bq/kgが示される。
   続いて、空間線量率の変化、放射性降下物に関する解説とグラフ、放射性ヨウ素による水道水汚染、放射性セシウムによる土壌汚染、野生動物、山菜、野生キノコなどの汚染状況などが詳細に示される。
   コラムの形で放射線の基本知識などが置かれている。
   第2章は食品。ここではまず、3つのことを学ぶ。事故以前の放射能汚染について。事故以前の食品・土壌への汚染の影響について。事故後の食品へのセシウムの移行と、気になる食品について。
   その上で、牛乳・米・川魚・海水魚・野生鳥獣肉・野生キノコ・山菜・出荷制限マップが並ぶ。
   ところどころに「深堀り測定室
eyes」と名付けた頁が用意されて、少し時間をかけて読み熟し理解を深めることができるようになっている。
   第3章は「放射能を知ろう」と題しての総括。
   個々のケース、チェルノブイリとの比較検討・両者の汚染区分・避難・移住の権利の比較、あるいは森の放射線汚染・薪や木炭による被曝の危険性について、年間被曝限度やがんについて、深刻化する避難者の状況についてなどが詰まっている。
感想=本書の発行を知って、読みたいと思っていたが、注文が殺到して増刷を待たなければならなかった。自費出版で、これだけ広まっているのは希有のことだが、それだけ関心を寄せる人たちが大勢いて、率直な事実を知りたがっているということの表れだろうと思う。
 実は事故直後から、神奈川県、多摩川に近い地域にある私の家の庭で雨水に異変が見られた。雨樋の下に農業用の大型容器を置き、水やり用に使ってきた、この雨水の深さ、約65センチの半分以上が黒く重い異物で埋まったのだ。
これは豆腐を崩したような感触のもので、豆腐程度の重さがあるのだろう、沈むのだが揺れている。これを植木の水として使うことをためらい、雨水用の排水口へ捨ててきた。今までに見たこともない黒い雲だ。
3月のあの日以来、夏が過ぎても冬が来ても、この現象は変わらなかった。
そして
2011年が2017年になるまで、わずかずつ減りながら続いてきた。水の中の黒く重い雲。やがて次第に減って行き、2017年夏の台風の時は、大雨が来て初めて透明な雨水が溜まったのだった。が、台風が去るとまた、黒く重い雲は水底にたまり始めた。
そして去年の
2018年の夏、何年ぶりだろう、ゴミと埃だけがある雨水がたまるようになってきたのだった。この黒雲は庭の植木の間、草花の間にも降り注いでいたわけだから、私はひまわりを植えて秋に抜き取りゴミに出した。が、ひまわりが吸収してくれただろう汚染物質は、焼却されたとしても消えはしない、灰の中に残るのだということを知っているので暗澹としていた。
毎年、鳥が運んでくる木の実が芽を出す。その中の松の芽を抜かずに育てた。3年過ぎた時、歪む幼苗の姿を妙に感じ、撮影場所を記入した画像を環境庁へ送った。アクセスする窓口を知らない者がしたことだから、お門違いだったのだろう、反応はなかった。
このような思いつきのやり方では当然の結果だろうが、単独行為に無力感を覚えた。普通に暮らしている普通の人々が力をあわせることの大切さが、この本を開くと溢れ出てくる。
こんなわけもあり、気にしている土壌について真っ先に読んだ。1リットル以上の土を採取、乾燥させて正確に1リットルにして測定する。この作業を201410月~20179月の期間、のべ4000人の市民が、3400か所以上の場所で成し遂げている。 
守りたいものは、子どもたちと、私たち自身だ。会社を守りたいのではない、国を守りたいのでもない、自分たちが手にして当たり前の、空気と水を取り返したい。

画家のブックデザイン

画家のブックデザイン』副題=装丁と装画からみる日本の本づくりのルーツ 著者=小林真理(こばやし まり)発行=誠文堂新光社 2018年 サイズ=26cm 223頁 ¥2600 ISBN9784416718216
著者=企画制作会社(株)スタルカ主宰。アートディレクター、画家、装丁家、美術ジャーナリスト。日本図書設計家協会会長・代表理事。http://www.starka.co.jp/gallery01.html www.facebook.com/STARKA.inc
内容=日本の装本のブックデザインの中で、画家が手がけた本を取り上げた大型本。吟味された紙を用いてレイアウトも力を尽くしている。登場する画家は橋口五葉、岸田劉生、竹久夢二、恩地孝四郎、川端龍子、藤田嗣治、東郷青児、佐野繁次郎、棟方志功、中川一政など多数。
感想=ブックデザインのなかでも「画家の」である。本のサイズ、紙質の手触りなどなど、隅々にまで行き届く繊細な神経には言葉もない。
「装丁概論」は、歴史、製紙・製本・印刷技術、日本における書物の形態、書物工芸の誕生・装丁の役割・装丁の美について・装画の美について、と項目を立てての概論で「はじめに」とともに、コクのある内容で読み応えがある。
本文に入るとフォントがガラリと変化する。内容と並ぶ見所で、ハイライトと言っても良い。
このような形で居ながらにして書物芸術の極致を鑑賞できるとは、願いも期待もしなかったことだ。
ひとつだけ紹介したい。
『脳室反射鏡』式場隆三郎著 高見澤木版社1939年発行の随筆集に棟方志功の装画。特殊東海製紙株式会社が社の蔵本を提供、協力されている、今は滅多に手に入らない本の表紙が見開きページにある。
ここに記されている文章は逸品と言っても言い過ぎではない。その一部分、
「耽美主義の谷崎の作品には、快楽に支配されるがままに落ちていく人間の姿が描かれるが、それが棟方の手にかかると、人の弱さも悲しさも包み込む浄土のような世界として表現される。谷崎自身も、棟方のその温かさに救いを求めているようだ」
 これが、ひらがなに強い特徴のあるフォントを使って記される。
最初のページは式場隆三郎だが、次ページに谷崎潤一郎の作品『
夢の浮橋』『瘋癲老人日記』に棟方志功の装画作品が並ぶ。(文庫本にリンク)
 ここに観ることのできるものは、版画家・棟方志功と作家・谷崎潤一郎と本書の著者・小林茉里、この三者の、それぞれの分野における働きと、こうして一堂に会した際に繰り広げられる相互関係が生み出す増幅作用の成果である。
棟方志功は、ここまで谷崎を理解し、愛していたのか、谷崎は、ここまで棟方を信じていたのかも伝わってくる。言い方はいろいろできるとは思う、棟方志功の力が谷崎作品に力を上乗せしている、共著とまでは言わないにしても、棟方装画を離れて歩けるだろうか、と感じることも不可能ではない。
あのビアズレーのように、著者を食ってしまうのではない、全くそうではないのだが、離れて歩けるだろうか、もしも一人で歩いて行ったら別作品に感じられはしないかと思う。
両者の手を取り、ここに連れてきた小林真理の優れた観力、読力に感嘆しつつ、その土台にある本への愛が伝わり深い感動を呼ぶ。
ここに式場隆三郎(しきば りゅうざぶろう)(1898年〜1965年 )について追って書きをします。
新潟県中蒲原郡生まれ。精神科医。専門は精神病理学。医学博士。現在の新潟大学医学部卒業、静岡脳病院長などを歴任後、1936年に千葉県市川市に精神病院である式場病院を設立した。日本ハンドボール協会会長を務めた。
一方、白樺派の作家たちや柳宗悦、バーナード・リーチと親交を持ち、文芸世界に親しんだ。精神科医として関心を持った画家たち、ゴッホ、山下清などに関する著作も多い。
山下清(やました きよし 1922〜1971)は、世間で「裸の大将」と呼ばれた放浪の画家で、驚異的な映像記憶力の持ち主だった。式場隆三郎は、彼の才能に注目して物心両面で支援を続け、世間に広く紹介した。このことが発端で障碍者への偏見に満ちた世間の眼差しに変化が現れ、障碍児教育が進むようになった。
『脳室反射鏡』には同名のタイトルの作品を含む約45編の随筆が収められており、どれもこれも逸品揃いであります。市場での入手は困難ですが、図書館で閲覧可能(以下案内)です。
国立国会図書館蔵 公開範囲=国立国会図書館内限定 図書館送信対象 遠隔複写=可 データベース=国立国会図書館蔵書 NDLデジタルコレクション

先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか

先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか』著者=坂田美奈子(さかた みなこ)発行=清水書院2018年 サイズ=21cm 100頁 ¥1000 ISBN9784389500887
著者=1969年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程学位取得終了。苫小牧駒澤大学教授。専攻はエスノヒストリー 先住民史 北海道史。
内容=「歴史総合パートナーズ」no.5 横書きの100ページ。
皆さんはアイヌという名を持つ人々が日本に暮らしていることをご存知でしょうか。という出だしで、優しく話しかけるように始まる、いま、学校で学びつつある若い人たち向けに書かれた「アイヌが歩んできた歴史」。
はるか昔から書き起こし、明治政府の時代に至るまで、静かに整然と記されている。です、ます体の、穏やかな語りは、読む者の気持ちに染み入りやすく温かい。
いままでアイヌに対して好意と関心を寄せ、抱いてきた気持ちが、この本により、偏りなく整えられただけでなく、一歩前進し、大きな歴史の中に置いて考えることができるようになったと思う、遅いけど。
私のアイヌとの出会いは、アメリカ先住民を迂回した回りくどいものだった。白人は、なんとひどい行いをしてきたことだろう、挙げ句の果てにリザーベーションエリアに押し込めるとは! と憤慨し、ふと日本を振り向いたとき、そこにアイヌの人がいたのだった。
いろいろな縁が重なり、札幌生まれのアイヌ犬、千早とともに暮らすようになり、静内のアイヌの家族とも知り合いになって仲良くしてもらった。
あれこれと読み漁り、松前藩の行状に腹を立て、シャクシャインについて読み、銅像を見上げ、坂上田村麻呂と蝦夷について調べて悲痛な思いに打ちのめされ、極めて激しく感情的になった。私は日本人たちが許せないのだった。
しかし私は、人が人に対してした個別の仕打ちだけを追い、怒っていたのだった。本書は、シャクシャインについて一言も書いていない。松前藩が、どれほどアイヌに対して悪辣で、ずるいことをしてきたかも、具体的にな何一つ書いていない。
しかし。この本には、私が全く目を向けなかった明治政府について、記されているのだ。
(2)アイヌ・モシリはどこへ‥‥明治政府の政策 
この章は48ページから始まる中心部分だ、国の政策というものが、どれほど恐ろしい影響を及ぼすかを目の当たりにして愕然とした。
そうだった、リザーベーションエリアを発案し、作ったのはアメリカの政府だったのだし、アメリカ、ファースト! と叫ぶ大統領だって、政治の力で決めてかかろうとしている張本人だ。なぜトランプさんは、アメリカのファーストが誰だったのかに思いを致さないのだろう? 
これからのアイヌと内地の大勢の人々が、どうすれば良いか、著者と共に考えることができる本。まずは、この本から入って欲しいとつくづく思った。繰り返す、末端の、表層の部分に入る前に、この100ページを開いて欲しい。
今まで、このように整然と、感情を抜きにして、ありのままを記してくれた書物があったろうか。このように描かれている全体を見渡せば、個人が個人に対して行った差別態度への怒りどころではない、国が政策として推し広めた規制の影響の強さ、広さ、長さは計り知れないものだと身にしみる。
ということはつまり、今現在の私たちは、世界中の政治の流れを見張っていなければならず、現内閣の動静を厳しく監視し続ける必要があるということだ。
「歴史総合パートナーズ」に注目しましょう。

アゼルバイジャンを知るための67章

アゼルバイジャンを知るための67章』著者=廣瀬陽子(ひろせ ようこ)発行=明石書店2018年 サイズ=19cm 426頁 ¥2000 ISBN9784750346724
著者=東京大学大学院法学政治学研究科博士過程他に取得退学。政策メディア博士。慶應義塾大学総合政策学部教授。著書『ロシアと中国反米の戦略』など
内容=「エリア・スタディーズ」シリーズのNo.165。本書はアゼルバイジャン共和國について、67章の見出しをつけて紹介している。巻末に参考文献。
この国は「戦略的要衝」に位置することから、厳しい対外関係の中で生きぬこうと努力している国。その歴史、政治、民族、紛争、文化。そして日本との関わりなどを紹介している。執筆者たちは、それぞれアゼルバイジャンでの仕事の実体験を持ち、研究もしている専門家で、廣瀬陽子氏の担当部分も多い。
感想=アゼルバイジャンて、どこにある、どんな国? どこにある国か、聞かれても返事できないような国の一つだ。
この「エリアスタディーズシリーズ」は、こんな時に開くと、まるで行って見てきたかのようにわかる。アゼルバイジャンは、ソ連解体を機に独立した国だった。
この国の概説・歴史・政治・民族・人口・紛争・石油・経済・外交・文化。最後に日本との関わりが出ている。
とにかく日本について描かれている最終章を開いてみた。
あら~、梅酒を売ってるって。日本文化についてすごく知っているのだ、びっくり。
難民支援の章では(株)富士メガネの金井昭雄社長が難民の視力ケアについて書いている。なんという力と、心を傾けて支援していることか、感動した。日本の支援は半端じゃないのだ。
アゼルバイジャンの大きな見どころが建築。
オイルと天然ガスなどの地下資源が土台となり、首都バクーは、建築見本市のような実験的・冒険的建築が次々と建てられているという。多数の写真が出ているが、カラーで、大判で見たかった。
カスピ海沿岸の海洋公園に建つ絨毯博物館は、巨大なぐるぐる巻きの絨毯だ!
思わず読みふけっていたら、ザハ・ハディド氏の、ありえないような曲線集合体の複合施設があった。ザハさん。そうだった、彼女が東京新国立競技場のデザインを提供されたのだった。あれを見たときは、なんという形かしらと呆れたのだったが、アゼルバイジャンに建つザハさんの作品建築は、想像を絶するものである。これに比べたら、日本向けのデザインなどは大人しいものだ。もっと活躍していただきたかった、としみじみ思う、なんという勇気と想像力を持った作家だろう。私は、建築家という職業ほどヒトと密着している仕事はないとさえ思う。建築家は哲学者でもあるとも思う。私はガウディを信奉しているので、女性建築家、ザハさんをもっと応援したかった。私はザハさんの建築を眺めるために、アゼルバイジャンに行きたい。
ここまできたら止められなくなり、文学のページへ飛び、オイル、国際関係へ、民族へと結局全部読む羽目になった。
名前について詳しく書かれていて、男性の名前、女性の名、政治の移り変わりで名付け方が変化するなど、思わぬところで、土地の人たちに直接出会ったような、興味と親しみを感じた。
ザハさんにも会えたし、リンゴが富士と呼ばれていることも分かった。
この本のおかげで良い旅をしたことを感謝しますが、実際に行きたくなってしまうところが、このシリーズの毒です。

出版の魂

出版の魂』副題=新潮社をつくった男・佐藤義亮 著者=高橋秀晴 発行=牧野出版2010年 サイズ=20cm 237頁¥1900 ISBN9784895001298
著者=たかはし ひではる 1957年秋田市生まれ 早稲田大学卒業 上越教育大学大学院修了。現在秋田県立大学教授。著書に『七つの心象/近代作家とふるさと秋田』(秋田魁新報社)など多数。
装丁・題字=緒方修一「装丁家・緒方修一のオフィシャルサイト」があるので、お訪ねいただきたい。人物紹介は、このサイトに出ているプロフィールを丸写しした。
装丁家。アートディレクター。OLDNEWS Co.代表。1963年福岡県柳川市生まれ。新潮社装丁室を経て独立。これまで沢木耕太郎、宮部みゆき、宮本輝の書籍、小学校の国語の教科書(光村図書)、「百年文庫」(ポプラ社)、「エクスリブリス」(白水社)、「ロアルド・ダール」(評論社)などのシリーズ作品、月刊誌「小説すばる」(集英社)、「本」(講談社)などを手がける。その他、映画「カンゾー先生」のタイトル文字、雑誌「coyote」のロゴデザインなどがある。1994年ドイツの「世界で最も美しい本コンクール」で銅賞受賞。文星芸術大学非常勤講師、造本装丁コンクール審査員。
以上で人物紹介終わり。本書のタイトルの文字に惹かれたので調べたのだが、新潮社に縁のある方であった。
内容=本書は「秋田魁新報」学芸欄連載「出版報国男子の本懐/「新潮」創業の佐藤義亮」(2008年1月〜2009年3月)に加筆・修正したものである。と巻末に記されている。著者略歴も本書の奥付による。
巻末に人名索引・事項索引・佐藤義亮略年譜と主要参考文献あり。
副題にある通り、出版社・新潮社の創業者、佐藤義亮(さとう ぎりょう)の生い立ちから終焉までを辿った書である。佐藤義亮という人・「新声」発行・出版へ・新潮社の出発・展開と結実の五章編成。
本書は牧野出版から出版している。牧野出版社社長の佐久間憲一氏は1957年生まれ、1982年新潮社に入社、「フォーカス」編集担当、「新潮OH!文庫」編集長などを経て、ポプラ社で一般書の編集、Webマガジン「ポプラビーチ」編集を経て牧野出版代表取締役。
この方も装丁の緒方修一氏も新潮社に縁があり、著者は佐藤義亮と同郷の秋田生まれという縁がある。
あとがきの最後の三行を紹介します。
 執筆に当たっては、新潮社、新潮社記念文学館、秋田魁新報社、秋田県立大学図書館から、支援と協力を頂いた。そして、牧野出版の佐久間憲一社長の情熱的な勧めと上野裕子編集長の的確な助言なしには本書は成らなかった。深謝申し上げる。 紹介以上。
秋田の荒物屋の四男として生まれた男の子が、やがて東京に出てきて本の一本道を辿り進むのである。雪の国秋田。小学四年生までで十分だ、それ以上学校へ行くと生意気になると言われた時代であり、土地柄だった。この一歩から記す佐藤義亮の一生を、著者は、誠実に根気よく辿りつつ、本人の言った言葉、書いた文章をふんだんに挿入して伝えてゆく。それゆえに佐藤義亮の、まさに謦咳に接する思いの生まれる書物である。
この少年は、家業が嫌で、遠い都会に出て行ったのではなかった。荒物屋さんを経営して暮らした父、為吉は書を読むことを好んだ人だった。だから、この子の資質を見て漢籍、かな遣いなどの習得へ導いた。土台には、この父がいるのであった。この根本の部分を踏まえて進めて行く新潮社誕生、発展の姿は、どのページを開いても心打たれるものが溢れている。得てして伝記といえども著者が前面に進み出て云々するものだが、ここに著者の姿は見えない。それでいながら、なんとも暖かく親しく、敬愛に満ち満ちた空気が書物全体から香り立つのである。なんだろうこれは、と装丁家を調べ、出版社を調べた次第。
新潮文庫を立ち上げた、その第一冊目が川端康成の『
雪国』だったという。雪の国の書である、どこもかしこも、心がこもっている。著者の高橋秀晴氏のあとがきで「深謝申し上げる」と、結んでいる。私は、これが好きだ。よくあるではありませんか、お礼を申し上げたいっていう言い方。言いたい、っていうの? 今言ってるわけじゃないのよね? いつ言うのよ。となるのだけど。

映画 グラントリノ

今回は、映画を取り上げます。
グラン・トリノ GRAN TORINO
監督=Clint Eastwood
制作=Clint Eastwood  BILL gerber   Robert Lorenz
脚本=Nick Schenk
原案=Dave Johanson  Nick Schenk
主役=Clint Eastwood
Trey
役として Scott Eastwood Clint Eastwoodの一番下の息子
音楽=Kyle Eastwood  Clint Eastwoodの一番上の息子
Michael Stevens
 Jamie Culum
2008
12月 Warner Bros.Pictures 制作国=USA 116分 英語 

ストーリーに感想を交えて=
 長年勤めたフォードの工場を引退し、妻に先立たれたウォルト・コワルスキーは、二人の息子夫婦と孫に感情を逆なでされて苦々しい。犬のデイジーとだけ仲良くして独り住い。
朝鮮戦争の帰還兵である彼は、戦場で人を殺した重い記憶が胸底に沈んでいる。意固地な老人は、このままでは死ぬに死にきれない罪の重圧を、どう解決して良いのか自分でもわからない。愛し、頼りにしてきた妻でさえも、夫の苦しみを取り払ってやることができずに、懺悔して、の言葉を神父に託して死んでいったのだ。その神父ときたら神学校出の若造で、教科書通りのセリフでしつこく彼につきまとう。これも苛立ちの種だ。

高齢にはなったが、一人暮らしで困る種などあるものか。芝生の手入れ、愛車の手入れも完璧だ。
この素晴らしい車が、タイトルにあるグラントリノ。
主人公がお宝にしているのは
72年型で、画期的なモデルチェンジ、魅力のフロントフェイスが度々登場する。
腹立たしいことは、隣家に居ついたアジアの原住民、モン族の一家だ。
彼らは、この辺りの白人はみんな、アタシらを嫌って引っ越したのにアンタだけ引っ越さないんだね、みたいな目で、この老人を眺めている。
この大嫌いな一家との偶発的接触から、やがて彼はここに死にゆく安らぎの小道を発見する。見かけは、彼がモン族一家の中のパッとしない若者を助ける、教える形だが、実はその行為が彼を救いの道へ導いてゆく。
この老人のよりどころ、つまり日常生活での頼りとするものは銃である。
怪しいぞ、と気配を感じた瞬間、腕を伸ばして掴むのが銃である。ここに登場する銃が
M1 Garandだ。
セミオートマチックのミリタリーライフル。 30口径。朝鮮・ヴェトナムの戦闘で使用。単にM1と呼ばれる。
おお。すごい銃だ、これがガンロッカーに格納されていなくて、手の届くところにあるのだ。これがアメリカだ。
グラントリノとともに、
M1はラストシーンでも活躍する。この活躍こそ、この作の目玉といってよい、幻の登場シーンだ。監督の、銃に対する現在の精神だと思う。
つい惹句を弄し仔細を語らないのは、観ていただきたいが故に、露わにすることを惜しんでいるのである。
一昔前のクリント・イーストウッドだったら!
彼は堂々自力解決、胸のすくような形でラストシーンをやりおおせていたのだ、しかし。
今、この老人は、最後の最後を、あまり好きではない警察の力を借りる判断をする。耐え忍んで警察の力に委ねるのだ。
人は、どんなに力んでも自分一人で死ぬわけにいかないんだ、という、強き男として認めたくないが受け入れるしかない苦渋をも滲ませる。
本作には、キリスト教、神と罪についての理解が必要不可欠。
主人公の精神的クライマックスである(若造の神父に、老人が懺悔をする)シーンは、キリスト教を知る人々に、どれほど強い感動をもたらすことだろう。異郷の輩、私でさえも胸が締め付けられる。

描きにくい強き男の終末期を、これほどまでに描きおおせたとは、敬服するしかない。
選びぬかれた小さなエピソードシーンの数々は、脚本を書くにあたり、人物設定の際の主人公や神父の人種設定をはじめ、周到な計算が尽くされていることが、ひしひしと伝わってくる。
それぞれ独立して活躍中の息子さん二人が協力、参加していることも良いかな、であった。
これは、彼が
78歳の時の作品で、この後「ハドソン川の奇跡」2010年・「1517分パリ行き」2018年を作っている。1930年生まれですから、すごいことです。

核戦争の瀬戸際で

核戦争の瀬戸際で』My Journey at the Nuclear Brink 著者=William.J.perry ウィリアム・ペリー 訳=松谷基和(まつたに・もとかず)発行=東京堂出版2018-01サイズ=128X187mm 320頁 ¥2500 ISBN9784490209785
著者=1927年アメリカ・ペンシルベニア出身 第二次世界大戦後に米国陸軍の一員として東京・沖縄に滞在。沖縄本島北部の地図作成に携わった。復員後にスタンフォード大学・大学院修士課程(数学)を卒業。ペンシルベニア州立大学博士課程(数学)終了。1964年、防衛関連企業ESLを創業。1977年、カーター政権の国防次官(研究・エンジニアリング担当)に就任。1993年、クリントン政権の国防副長官、’94年、国防長官。妻と5人の子供がいる。退任後も、「核なき世界」を実現するために活動を続けている。
内容=自伝。この自伝は、初めの一行目から全ページを通じて「核兵器による破滅」について、全世界の一般の人たちの認識を高めようという強い願いを込めつつ書いている。
感想=
ペリーさんは、2017年、90歳の時に、この本を書いています。評判の高い本で、多くの国々で翻訳され、日本では今年1月に発行されました。
浦賀に「黒船」がやってきた、あのとき黒船を率いて来航したペリー提督、この人は5代前の伯父さんだそうです。
そしてこのペリーさんは、経歴にあるように、大学に入る前の青年時代に終戦直後の1945年に沖縄に派遣され、広島、東京、沖縄と、戦争の傷跡生々しい姿を目にしたと言います。この時の衝撃が非常なものであり、ページのあちこちに、日本の悲惨な姿を思い返しては記し、核は、絶対に使ってはならない、と強調しています。朝鮮戦争の時にマッカーサーが核兵器を使うという提案をしたことを阻止した出来事も記されています。このくだりを読み、そうなのか、マッカーサーはもちろん、原爆の被害地を訪れたことと想像しますが、原子爆弾を次の戦争でも使おうと考えた人だったのだなあ、そういう感性の人も人間なのだなあ、と思いました。
戦争が終わってからスタンフォード大学に入り勉強し、やがて国防次官、国防長官と歩みを進める自分史の足取りを記すと同時に、当時の軍事世界の足取りを辿って行きます。
そこには歴史が動く瞬間の現場に居合わせた人物だからこそ描くことのできる迫真の場面が登場して、思わず身を乗り出してしまう空気に満ちています。例えばゴルバチョフ失脚の件は興味深い、描きようによっては一大ドラマでしょう。しかし彼のスタンスは人間関係の駆け引きなどには向けられず、常に本質を見極めようとする骨太の精神に貫かれているように感じます。
歯に絹を着せず、これは評価する、これは間違っていた、とはっきり書いているところには、自身の言葉に責任を持つ潔さと靭さがあります。
ペリーさんの2度目の沖縄訪問は1996年、海兵隊員が沖縄の少女をレイプした事件への対応のためでした。詳しい記述の後に「私はこの問題で最も影響を受けている人々に直接会ってみたかった。米軍のリーダーや、日本の政治家の助言に従って判断することは避けたかった」と書いていて、誠実さが伺われます。
25章を書き終えて、26章が終章、このタイトルが「日本ーー私の人生を変えた国」。
最後に沖縄を訪れたのは2017年。この本を書き終える直前です。ペリーさんは90歳になっても、極東の日本の、沖縄を気にかけてくれていて飛行機に乗って飛んできたのです。私たち日本人は、どれほど沖縄の心を思いつついるでしょうか。
最新の状況は、と見るに「その後まったく何の行動もとられておらず、基地周辺の住民との摩擦についても、1996年以降、ますます深刻になっていることを知り、非常に心苦しく思った」と記しているのを読んで、私は単に尊敬の念を深くするだけではなく、魂の部分に据えられている宗教的精神を思わないわけにはいきません。ペリーさんがどのような宗教を信じているのか、何もないのか、全く知りませんが、信仰のあるなしに関わらず、神と呼ぶかなんと呼ぶかはともかく、神の手に触れれつつ生きる人のように感じます。
ここには、日本についての記述を取り上げましたが、他の国々についても同様の目配りと、核なき世界への努力を続けてきたことがわかります。
核兵器による破滅の危険度は、今現在が最も高まっているという事実を受け取りたくない、知りたくない、目先の「見た目の平和」という心地よい風呂に温まっていればいいんだ、という人々の意識をどうにかして高めたい思いが溢れています。
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