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福島原発の闇

『福島原発の闇』ー 原発下請け労働者の現実 ー 堀江邦夫 文 水木しげる 絵 朝日出版社 2011.8発行 ISBN 978-4-023309807 ¥1000 210mmX150mm 94頁 堀江邦夫 1948年東京生まれ 記録作家 同人誌「沖縄を記録する」主幹 水木しげる  1922年鳥取県育ち 代表作『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』など多数
内容は、堀江氏が、身分を隠して原発のプラントで働いていた1年間を、水木しげるがイラストを描き、まとめたもの。下請け労働者の普段の姿である。
本書は、2011年発行だが、実際に書かれた時期は1978年で、当時は売れなかったというよりも、発行も困難なほど原発に批判的な表現は潰されていた。
著者は、福島第一原発の管理区域内で、3ヶ月の重傷を負う。二号機のタービン建屋内だった。しかし、重症であろうと体に放射性物質がついているかぎりは、絶対に外に出してもらえない。元請け会社の所長は言った、労災の申請は勘弁して欲しい。理由は東電の無事故発表に傷がつくから。
イラストを依頼された水木は、原発を取り巻く状況を把握して、こう言ったという、まるで戦場のようですな。
ジャーナリストに、こんな勇敢、果敢な人がいた。本書の内容には息が止まる思い。イラストには、命を蹂躙される悲しみ、あの戦場の怒りの記憶が、いいしれぬ迫力となって噴出する。水木には、『娘に語る お父さんの戦記』など、おばけ話のほかに多数の著作がある。
あとがきにかえて、として著者が書いている部分を要約する。原発推進は国策である、との錦の御旗のもと、原発賛美の広告が華々しく新聞雑誌の頁を飾るなか、原発=電力会社にとって都合の良い記事だけが続々と掲載されるようになり、一方、原発の危険性や問題点を扱った記事については、大手メディアでは、タブー扱い、急速に姿を消して行った。私自身、原発を取材して記事を書いたものの、掲載してくれる媒体がなかなか見つからず、女性ヌードグラビア誌やなどで細々と発表していたのが実情です。今回の原発事故をきっかけに、私は原発について不勉強であった事を、きわめて強く後悔、反省したが、故意に隠蔽され、一般に報せまいとしていた事もわかってきた。大東亜戦争時代の帝国陸軍を、今の政府、東電らは、どう感じているのだろう。同じではないか。

福島の原発事故をめぐって

『福島の原発事故をめぐって』副題=いくつか学び考えたこと 山本義隆(やまもと よしたか)著 みすず書房 2011年8月発行 ISBN 978-4-622-07644-5 ¥1000 187mmX128mm 104頁
著者は1941年大阪生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同大学院博士課程中退。現在駿台予備校勤務。著書多数。
内容は、たった100ページ、天地の空き、行間もゆとりを取り、読み易く、文字数は少ない。しかし、どのページも読み流せる内容ではない。
目次を紹介しよう。1、日本における原発開発の深層底流(原子力平和利用の虚妄 学者サイドの反応 その後のこと)2、技術と労働の面から見て(原子力発電の未熟について 原子力発電の隘路 原発稼働の実態 原発の事故について 基本的な問題)3、科学技術幻想とその破綻(16世紀文化革命 科学技術の出現 科学技術幻想の肥大化とその行く末 国家主導科学の誕生 原発ファシズム)
3.11 直後のショックと興奮状態が沈殿してきているいま、日本に原発の種が蒔かれた発端から見つめ直し、感情を入れないで実態を直視し、さらに行く先を見ようとする視力を感じ取った。東京大学工学部に原子力工学科が誕生したいきさつと、内部の様相。ウラン鉱石採掘の時点から、使用済み核燃料の最終処理までの全課程で放射性物質の放出は防ぎ得ないこと。USAニューメキシコ洲、ユタ州では、放置された鉱滓によって先住民が犠牲となっていたこと。日本では、1955年に鳥取県と岡山県の県境にある人形峠でウランが発見されたが、低品質だったために廃坑になった。しかし大量の土砂が放射能を出し続けたために訴訟となり、日本原子力開発機構(動燃)は、とくに放射線量の高い残土290立方メートルを、ユタ州の先住民居住区に搬出したと。日本人が、ガンに苦しむ先住民の居留地に!!!
私は、息を詰めてサスペンスを読む、フィクションと知りながらドキドキして読む。しかし、この100ページは事実である。私は、悶絶しながら読み進んだ。
終盤に、こう書いてある。「強力な中央官庁と巨大な地域独占企業の二人三脚による(中略)原子力開発への突進は、ほとんど暴走状態。税金を用いた多額の交付金によって地方議会を切り崩し、地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、優遇されている電力会社は、潤沢な宣伝費用でマスコミを抱き込み、頻繁に生じている事故や不具合を隠蔽し、安全宣伝を繰り返し、寄付講座という形でのボス教授の支配の続く大学研究室をまるごと買収し、地元、マスコミ、学会から批判者を排除して翼賛体勢を作り上げて行ったやり方は、原発ファシズムともいうべき様相を呈している」。
この100ページは、いかなるホラーよりも、サスペンスよりも恐ろしい。実際、先に取り上げた『知事抹殺』の著者、佐藤栄佐久氏のような、とことん抵抗する気骨の人物は、でっち上げの逮捕、有罪にしたのである。これが21世紀の、いまは平和だから、といって安楽に暮らしている場所で起きている現実なのだ。ここに紹介した、わずかの文章は、原文のままではない、要約であるから、ぜひぜひ、読んでいただきたい。時間軸と平面と、広い視野に立って、わずかな、静かな言葉で「考えたこと」を記している。
不思議と言うべきか、当然というのが妥当なのか、飽食に明け暮れ、ブランド品に目を奪われる一方で人々は、最近はテレビをバカにし、新聞を読まず、マスコミをマスゴミと罵る流れにある。これが社会の腐敗を意味していることを知らなければならない。買収され切っているマスコミは、一言もないだろう。傷ついた肉体は回復できる。しかし腐敗した肉体は、切り捨てるか死ぬしかないのだ。

動物の解放

『動物の解放』(ANIMAL LIBERATION) 改訂版  ピーター・シンガー (PETER SINGER) 著 戸田清 訳 人文書院 2011年発行 ISBN 978-4-409030783 ¥4400 210mm X 148mm 402頁
これは改訂版で、初版本は『技術と人間』1988年。巻末に文献5頁。
著者は、1946年オーストラリア生まれ。哲学者、倫理学者。本書は、彼の著作の中でもっとも大きな影響を与え続けている本で、動物の持つ権利について主張している。「ザ・ニューヨーカー」誌は、彼を最も影響力のある現代の哲学者と呼び、「タイム」誌は、彼を世界の最も影響力のある100人の一人に選んでいる。
内容は、ヒトが、ヒト以外の動物を、どのように扱うべきか、という問題について考えを進めている。人間が、人間の利益のために動物が本来彼ら自身のものとして所有するのが当然である利益と権利を奪う態度を「種差別」とみて非難している。とくに動物の扱いの中でも、動物実験の実態、工場畜産の現状、絶え間ない大量殺戮のありさまなどを読むと、今、この瞬間に立ち止まり、根本的に考え方を見直すべきだという、深刻な思いに駆られる。彼自身は30年間に渡りベジタリアンだという。
外国の事情は知らないが、日本の法律では、動物を「もの」として扱っている。だから交通事故に遭っても「物損」でしかないし、マイクロチップの会社も、命ある者に対する心情は、まったく見られない。これでよいのか、よいわけがない。「種差別」について、一人でも多くの人が考えてもらいたいと願う。

火山と地震の国に暮らす

『火山と地震の国に暮らす』鎌田浩毅(かまた ひろき) 著  岩波書店 2011年7月7日発行 ISBN978-4-00-005210-8C0044 ¥1900E サイズ128cmX187cm  索引つき 188ページ
著者は1955年東京都生まれ。東京大学地学科卒業、現在京都大学大学院 人間・環境学研究科教授 理学博士  HP :http://www.gaia.h.kyoto-u.ac.jp/~kamata/
帯に、地球学者の熱い思いを込めたエッセイとある。私は、はじめから終わりまで熟読した。火山学の専門家が一般の生活者に向けて高度な部分をも含ませながら、受け入れ易いかたちで火山について知らせてくれる。目次は、科学を減災に活かす。火山と地震の国に暮らす。科学の方法。「伝える」から「伝わる」へ。市民のための科学。の5本。
内容は、日本の火山の歴史と研究者たちの働き、今回の地震、そして展望と続く。今回の地震は気象庁によって「東北地方太平洋沖地震」と命名された。「東日本大震災」という呼び方は、人が被害に遭う「震災」に対して政府が名付けた名であり、自然現象としての「地震」には、地震情報を管理する気象庁が、このように名付けている。このことを私は、知りませんでした。
地震学者たちは、次の巨大地震は2030年代には起きると予測、著者も2040年までには、確実に起きると考えている。しかし、月日まではわからないという。ここまで分かる、これは分からぬ、とはっきり書いてくれる学者の明快さが快い。本書で著者がくりかえし述懐していることは、学者が研究に没頭する一方、いかにその稔りの果実を普通の人たちと分かち合うか。伝える努力をすることもまた、学者の大きな勤めだろうということだ。こうした果実を手にしたのが北海道有珠山の噴火で、一人の犠牲者も出さなかった。
有珠山噴火の際の住民の動きを知った富士山麓、河口湖周辺では、これを機会に、住民にハザードマップを公開して避難の手だても考えることとなったのだ。このことは、本書の内容にはない余分なことだが、それまでの河口湖では、下手に富士山噴火を話題にすると観光にさしさわる。寝た子を起こさないで欲しい、と主張して伏せて来た経過がある。
学者の研究が有珠山を救い、さらに波紋はひろがって河口湖を改心させるに及んだのを、私は目の当たりに見て感動した。
コラムが2つある。1つ目が中村一明教授について。中村一明著『火山とプレートテクトニクス』(東京大学出版会)の紹介。2つ目が加藤周一について。ここでも『羊の歌』『続 羊の歌』を紹介している。

明治四十年大水害実記

『明治四十年大水害実記』 副題 武田千代三郎知事の追想記  武田千代三郎 著 長田組土木株式会社 平成13年 発行  88ページ サイズ=148 X 210  ISBNなし 非売品
慶応3年1867年生まれ、明治38年1906年に山梨県知事であった武田千代三郎が、明治40年に石和地方を中心に襲った大水害を追想している本。この大水害は、山梨県災害史のなかでも例を見ない大水害だった。原文は漢文体。これを現代語訳にして1冊の本にするきっかけを作ったのが、発行者の長田氏を初めとする旧制山梨高校の同級生たちだった。同級生の一人である郵便局長さんが、たまたま土地の禅寺を訪れた折りに和尚さまから見せてもらったのが、4000字ほどの漢文だった。長田組の社長になっていた同級生をはじめ、皆が集まり、県の教育委員会、郷土研究会などの方々の協力を得て、非売品として発行した。私は、1冊の書物を世に押し出したいという熱意に、心底感動した。報せたい、読んでみてくれ、の純粋な一心の結晶である。私は、この無名の書物と山梨県山中湖村にある図書館で出会った。
内容の一端を紹介しよう。石和で、1本の柿の木に96人の人々が取りついて3日間絶食のまま助けを待った、そのあいだに樹上で、ひとり出産したという。また、対岸に取り残されたまま、三日三晩飲まず食わずの人々に、水と食料が届いた事を知らせるために、障子に大きな文字で「米キタ」と墨書、後ろでたき火をして文字を浮き上がらせて、遠くから読めるようにしたという。通信手段がなかった当時の苦労と工夫が生き生きと記されている。大水襲来の数日前に、石和税務署の新築工事が完成していた。堅固な土台の強固な作りだったという。署長夫妻をはじめ、多くの人がこの建物を頼って避難した。しかし、宙を向いて流され、粉々に破壊されてしまった。一方、粗末な家々は残った。それは、水を熟知している老人たちの家で、あらかじめ壁を取り払い、床を外して洪水を受け入れていた、流れが去ったのちに修復するのだと言う。
40年43年と続けて襲われた大水害の経験から県民は、水害は山の荒廃によりもたらされる。山林の育成、保護のために、御料林の還付を、と願い出て、44年に還付された。
武田信玄は、隣国の敵を怖れることはなかったが、国内の水害を警戒し、油断をしなかったと言う。彼は堤防を築き、石を積み、竹を植えるなどしたが、人と人の結束が最も大切、と説いた。また、洪水のあと、修復するだけで終わりとせず、常に防水の技術を訓練させていた。備えについては、現代の人は、信玄に遥かに及ばない、と、武田千代三郎知事は記している。
今年2011年の台風12号では、全国で100人を超える犠牲者が出て、被害は甚大、いまも堰留湖に悩まされている。本書の4285文字をあらためて熟読してほしいと思った。

中国の核実験

『中国の核実験』高田 純の放射線防護学入門シリーズ 副題 シルクロードで発生した地表核爆発災害 高田 純 著 医療科学社 2008年7月 発行 ISBN 978-4-86003-390-3 C3047 ¥1200E
著者は、札幌医学大学教授 理学博士 医学部物理学教室 大学院医学研究科 放射線防護学 本書は、56ページの小冊子のような小粒の本。
中国は、第三者調査に対して現地を公開せず、公式に実験事実、周辺影響を開示していない。このために調査は困難を極めるのだが、著者は、隣接するカザフスタン調査の時のデータをもとに、この調査結果を発表した。私は、何年か前にケイと旅をしたタクラマカン砂漠周辺で、現地ガイドさんが、いとも簡単に、ここでは飲んでもいけない、食べてもいけない、と説明するのを、上の空で、というか、他人事のように聞き流した。が、本書を読むと、あれが何を意味していたか、が歴然として愕然とした。
日本人観光客に人気のある「さまよえる湖」ロプノール。シルクロードのハイライトスポット。ここが核実験の場所だ。読み進むうちに血の気が引いて行く。
英国では、1998年にドキュメンタリー「Death on the Silk Road」を制作、欧州諸国をはじめ83カ国で放送、ローリー・ペック賞受賞。が、日本ではみることがなかった。これは、シルクロードで中国が行った核実験による悲惨な死がテーマである。
中国は、シルクロードでメガトン級の地表核爆発を3回行ったのだ。この実験によるウイグルの急性死亡者は19万人以上、日本への影響の程度、範囲も、本書に発表されている。本書には、ただの一行、一言も感情的な言葉は使われていない。あくまでも、調査の結果報告である。しかし、私は、致死レベルA区域でのシミュレーションに書かれている「急性死亡した羊飼い」が、ゼロ地点から40キロ風下で遭難、10分で意識不明、1時間で中枢神経死、の有様を読み悶絶した。どうして勉強を怠っていたのだろう、後悔している。

知事抹殺

『知事抹殺』副題 つくられた福島県汚職事件 佐藤栄佐久 著 平凡社 2009年9月 発行 ISBN 978-4-582-82454-4 C0095 ¥1600E サイズ 128 X 187  344ページ
著者は、1939年福島県郡山市生まれ。1983年自由民主党公認で参議院選挙当選、1988年、福島県知事。4回連続当選し、長期にわたり知事を務めた。が2006年に、汚職事件の嫌疑をかけられ辞職、のち収賄容疑で逮捕された。
本書は、著者が郡山に生まれてから今日までの歩みを克明に綴っている。そのなかでの彼の主張は「無実」の一言である。彼自身の無実だけを主張しているのではない、むしろ、周囲の人たちまでもが巻き込まれて、自殺に追い込まれ、自殺を企てた後に、いまもなお意識が戻らない人がいる、そういう多くの「殺された仲間」を抱えての主張である。
私は、冒頭にある「墓碑標」の話に強い衝撃を受けた。墓碑標という、聞いたことのないものが何か、読んでみていただきたい。一昨年、会津に行ったとき、悔しそうに話してくれた女性、ひと冬10万円はかかるんですよ、雪に! そのことも思った。
本書の読みどころはふたつある。一つが原発問題。もうひとつが、検察の捜査と取り調べの問題。著者は、自由民主党から出ていて、原発にも反対していない。彼がひたすら励んで来たことは県民の生活を守るための働きだった。だから、知事になってから、県民のために、まじめに福島原発の勉強をはじめている。自身の足取りを記すうちに、それは自然と記されて行く。原発に関する知識が増えて行く知事。そのあいだにも、事故が起きる、隠蔽する、また事故が起きる、さらに「もんじゅ」の事件も知った、その成り行きを知事は、県民の立場から見つめる。そして悟ったことは、原発は決して消えない、消せない火だ、人が扱える代物ではない、ということだった。しかも県民のためにはならず、東電と国のためだけに存在するものだと理解した段階で「まちがえるな! 敵は国だ!」と声を上げて原発反対の立場を明確にしたのだ。逮捕の動きが発生したのは、この直後のことである。
原発の問題と並ぶ、もう一つの問題は、検察による拷問のことである。どこにも拷問の文字はないが、これは捜査ではなく、取り調べでもなく、まちがいなく拷問である。火攻め水攻めばかりが拷問ではない、むしろ現代にそれはない。標的にした人間の特質を見て、いちばん弱いところを突く。この場合は、人情に厚い性質を利用されて、周囲の人物を痛めつける手でやられたのだろう。

出版と社会

『出版と社会』 著者 小尾俊人(おび としと)発行 幻戯書房 2007年9月 ISBN 978-4-901998-28-4 C0095 ¥9500E 198mm x 210mm 656ページ
著者は、1922年、長野県生まれ。敗戦後、山崎六郎、清水丈男とともに「みすず書房」を創業。以来、編集責任者を45年つとめ、1990年に退職した。『本が生まれるまで』ほか、著書、編著多数。2011年8月15日 没 86歳
本書は、退職後にまとめた大著。「出版クラブだより」に連載されたものを元にして加筆、写真図版などを加えたものである。私からの眺めでは、歴史の場面だが、編集者として、出来事と関わり、事件と並走し、同じ部屋で見聞きした45年間を回想し、たくさんの資料を提供しつつ記している。振り返る彼にとっては、束の間の半世紀であり、過去ではない、常に現在であったろう。
冒頭に「関東大震災(大正十二年)がもたらしたこと」という題で26ページにわたり記している。が、やはり編集者だ、そのとき講談社の野間清治は。そのとき丸善の顧問であった内田魯庵が、なんと書いたか、と立ち位置と視線は見事に決まっている。当時「婦人公論」の編集長だった嶋中雄作が、震災の1月後に書いた文を紹介している。
「社会主義者が幾年もかかって未だ成し遂げなかった平等を、自然はわけもなくやってしまった。金持も貧乏人も、大臣も馬丁も、学者も愚者も‥‥(中略)そのどこに区別があったというのだ。新聞が正規に発行されていたなら、あれほどの流言飛語が行われはしなかったろうし、可哀想な人間をあれほど苛めなくても済んだであろうに」
いま、東日本大震災の最中であり、小尾氏は、その直中の8月、それも15日という日に亡くなられたのだ。大震災から大震災までを生きた編集人。本書は、昭和の出版史として、研究者にとって貴重な史料であることは確実だが、登場する人々が躍動するさまを読んでいると、興味津々で時を忘れる。が、決してゴシップ集ではない、至る所に著者の高い見識、編集に対する自負、謙虚な人柄が伺われる重い書物である。

Newton ニュートン 2011.6

「ニュートン」 2011年6月号 ニュートンプレス 毎月7日発行   編集人 水谷 仁  発行人 高森圭介 ¥1000  275mm X 210mm  P146

大特集 原発と大震災
表紙の文字      脅威のM9、悪夢のツナミ  すでにチェルノブイリ級のレベル7  福島原発
           不気味にひかえる 首都圏、東海、東南海、南海   超巨大地震        110 ページ緊急総特集

特集の内容は,大きく四つに分かれている。1、東日本大地震 詳報 2、巨大地震はこうしておきた 3、福島原発事故の分析 4、次にひかえる超巨大地震
大判で,カラー印刷が鮮明。図版が分かり易い。まったく知識のない私が見ても、吸収、納得、把握できる。
正確、豊富な知識、情報を土台として、一般読者に向けて平易、簡潔、明快に解説、提示してくれている。とくに福島原発について、私は本誌を底本として日々の情報に接してきた。非常に良心的な内容。
もっとも心を動かされたのは、P10,11 見開き2ページにわたるNewton 編集長 水谷 仁の巻頭言「緊急特集号によせて」であった。巻頭言としては、異例の長さであるが、読み応えのある内容である。
水谷編集長が冒頭で述べる、「いささかなりとも地球科学を学んだ私は、このような大きな災害をもたらした自然現象の発生をなぜ、あらかじめ人々に伝えられなかったのか、なぜ必要な防災組織をつくりあげられなかったのか、深い悔恨の思いにとらえられている」続いて「理論的にありえる失敗は、かならずおこる」。「どうして、日本にもマグニチュード9以上の地震がおこりえる、ともっと大きな声を発しなかったのか? これが地球科学者としての私の悔恨の大きな理由である。」と述べる。
この深い悔恨の上に立って水谷編集長は希望する。日本の人々よ、学ぼう。我々は随時報告する。科学する力が、まだ日本人ひとりひとりの身となり肉となっていない。正しい科学的能力を涵養することこそ、将来の日本には大切だ。報道される内容を正しく判断できる力も求められている。

巻頭言の内容の真髄を披露したのは、本誌をまだ読んでいない方へお報せしたい故である。この心が読者に通じて、第4章の「次にひかえる超巨大地震」を開いてくださることを心より願う。この真剣、真摯な送り手に対し、受け手の読者もまた、それぞれの年齢、境遇において、一所懸命に受け止めて、学ぶ必要があるのだ。

内容とは別に、小説書きの身として、どうしても言いたいことがある。
この巻頭言は、よい日本語であります。美しい日本語です。力強さを持っています。素直に、まっすぐ読み手の心に、水谷編集長の思いが流れ入ります。こういう言葉が、日本語です。
どこが? と疑問に思う人がいるかもしれない。どこにも、立派な言い回しがあるわけではない、普通の、いつも皆が使い慣れている普段着の言葉だけが、普段のたたずまいでならんでいるだけではないか。
その通りなのだ、皆が普段、使い慣れている平易な言葉で、これだけの大きなことを、科学者の深い思いを伝えてくれているのだ。これこそが、人格であり、精神力というものだ。

見てください、聞いてください、最近の立派な地位にいる人々の言葉を。「しっかりとやる」「きっちりとやる」「しゅくしゅくとやる」
内容がスカスカだから、力を入れたいのだろうが、どれほど「しっかりと」と言ったって、空疎な寒風が吹き抜けるだけだ。
もうひとつ、どこかの字引から拾って来た聞き慣れない熟語をはめ込んで、恰好をつけた気になっているヤツ、誰かが使っていた文句を、「これだっ」と利用するヤツ。死んでしまえ、と罵りたい気持ちだ。
もうひとつ、メディアも弛んでいる。怠けている。怠惰である。逃げている。口を開けば「迫ります」という。迫ってくれなくてよいから、ごまかしは言うな、と言いたい。

レ・ミゼラブル

レ・ミゼラブル』(LES MISERABLES )三巻 ヴィクトル・ユゴー(VICTOR HUGO)著 豊嶋與志雄 訳 新潮社 1927年 非売品
 著者=1802年フランス東部生まれ ロマン派の詩人・小説家
 中学一年生のときに読んで以来、書棚から動かなかった本である。可憐なコゼット。執拗な追っ手、警察のジャヴェル。可哀想なジャン・ヴァル・ジャン。そして恐ろしい地下水道。
 中学生のときの読みかたは、主要人物の行く末を追うことにのみ熱心であり、ユゴーの主張の部分にくると、飛ばして先を急いだのを覚えている。のちに、映画「第三の男」のパリの地下道の場面が、本書の地下水道からイメージされたものだと聞いたが、再読することはなかった。今回、六十年ぶりに開き、時間をかけてつぶさに読んだ。
 合わせてユゴーの『私の見聞録』も読んだので、この長編小説にちりばめられている数々のエピソードの幾つかは、ユゴーが出会った出来事であったり、実際経験した事柄であったことを知った。左、参考。

『私の見聞録』歴史の証言として  稲垣直樹訳 潮出版社 1991年 発行 ISBN 4-267-01269-5 C0095  P1600E
 ジャン・ヴァル・ジャンは、自分のためではなく、姉の子どもたちのために一片のパンに手を伸ばしたのだった。その後の逃亡のために、一生、警察に追われるのだが、作家が新しい人物を作りだし、彼の人生を歩ませるとき、ここまで苦難の道を用意するだろうか、と私は畏怖の念を持った。私には、ユゴーのようなこらえ性はない、と思った。道半ばで、幸せになって貰いたくなるだろう、と思った。
 この感想は、クリスチャンではない、日本人の私の感想である。 しかし、ユゴーのみならず、キリスト教世界の作家たち、音楽家、画家、すべての芸術家の作品は、作品の上位に神が位置する。神の下に人も、作品もあるのだ。このことを悟らないと、中学生時代の私程度にしか、作品を理解できないことになる。いまどきの映画でも同じだ。GODという言葉、意識の含まれていない作品はないのではないか。
 ユゴーは、神さまから授かった人物を、神さまに見守られながら文字にしていったように思う。このことが、今回はじめて理解できた。
 キリスト教を土台に据えてみると、ジャン・ヴァル・ジャンは殉教の人、十九世紀のキリストに見えてくる。森羅万象の罪の浄化を担っている。浄化に向かう苦難の道ゆえにこそ、中途半端な苦難ではないのである。
 追っ手、ジャヴェルの精神は、日本を含めて、今も昔も、あまねくゆきわたる検察の精神である。法律に忠実に、そして上司の意に添うことを唯一の大目的として結果を求める。
 彼にとっての犯人は、生身の人間(家族もいる、生い立ちの歴史を持つ)ではなく、目的物に過ぎない。自分自身の頭で考えたり、心で受け止めたりすることを知らない恐怖のロボットがジャヴェルである。 青年から壮年へ、そして老年へと移りゆく長い物語の道中を、両者は悲惨、凄絶な逃亡と追跡を繰り返す。そして遂に対決の時がやってくる。ユゴーは、ジャヴェルの最期のときに、彼に血の通う、人の心を返した。
 かつて飛ばし読みをした部分は、若年時には耐え難いものだったが、実は読み応えのある重厚な思想が詰まっている部分であり、この部分こそユゴーという大山脈のなかの鉱脈であった。
 たとえば、教育について
 無学の人々にはあたう限り多くのことを教えねばいけない。無料の教育を与えないのは社会の罪である。社会は自ら創りだした闇の責を負うべきである。心の内に影多ければ、罪はそこに行わるる。罪人は罪を犯した者ではなく、影を作った者である。
 死刑について。
 死は、神の手にのみ在るものである。如何なる権利を持って人はこの測り知るべからざるものに手を触れるのか?
 偏見について
 盗賊や殺人者をも怖れてはいけない。それらは外部の危険で小さなものである。 我々は、我々自身を怖れなければならない。偏見は盗賊である。悪徳は殺人者である。大きな危険は、我々の内部にある。我々の頭や財布を脅かすものは何でもない。我々の心霊を脅かすもののことだけを考えればよいのだ。

 報道のためのツールが、ペン一本であった時代に生きた作家ユゴーの手にかかったワーテルローの戦場場面には迫真の現実感があり、どの軍が何色の軍服を着ているかもはっきりと見え、喚声の声、どよめきも聞こえてくる凄まじさである。
『私の見聞録』に、バルザックの部屋を訪う場面があるが、まるでカメラで舐め尽くしたかのような精密描写である。 思索の人でもあったが、報道記者としても抜群の腕前だった、心温かき天才である。

『流れの法則』を科学する 

『流れの法則』を科学する  副題 数式なしで見える流体力学 シリーズ 知りたい! サイエンス 伊藤慎一郎(いとう・しんいちろう)著 白鳥  敬(しらとり たかし)著
              技術評論社2009年発行 1580円     ISBN 978-4-7741-3927-2
 著者=伊藤慎一郎=1956年生まれ。 生物流体力学、スポーツ流体力学専門。 工学院大学工学部機械工学科教授。
 著者=白鳥 敬=1953年生まれ 近代文学専攻・科学技術分野を対象として執筆。航空級無線通信士。
 空を飛ぶ鳥、ミジンコといった生物の世界から、スポーツ、バーベキューの煙の流れまで、世界は流体力学で溢れている。
 身近な流体力学現象を、数式を使わずに紐解く。 読みやすい、わかりやすい。
 その理由は、著者が二人存在する故だろう。
 著者その一は本書の内容を受けもつ伊藤慎一郎。 著者その二はサイエンスライターの白鳥  敬。
 お箸は一本では食べられない、二本あってはじめて食事ができる。流体力学のようなややこしい分野、しかし生活にぴたり張りついている不思議なものを伝えてもらうには、サイエンスライターと呼ばれるプロの手が必要だ、と痛感した。
 これこそ、二人の著者あってはじめて素人の胃の腑に収まる美味なる一皿となった見本だと思う。
 たとえば、バーベキューの煙が、なぜか自分の方に流れてくる。だれしも気のせいだろうと我慢していただろう。しかし事実だった。そのわけが、実は流体力学によって解明される、と書いてある。
 なんで重い飛行機が浮くのか。アゲハチョウの羽根のシッポが、どういう役目をしているのか。あの余計な飾りにしか見えない形に、ちゃんとした存在理由があった。ゴルフボールの凸凹の理由。競泳水着と流体力学。などなど、どの項目も目が離せない。
 女子フィギュアスケートのコスチュームにも流体力学的配慮が必要なんじゃないか。フリル山盛りの首まわりや、胸元に溢れる立体的な飾りは視覚的にも重く、空気抵抗ありだなあ、という印象を持ちながら見るので、マイナスであってもプラスには働かない、などと尻馬に乗って考えた。

裏切り

『裏切り』(SVEK)カリン・アルヴテーゲン(KARIN  ALVTEGEN)著  柳沢由実子訳 小学館 2006年発行 695円 ISBN4-09-4054630  小学館文庫
 著者=いま北欧で注目を集めるミステリ作家。

 結婚して十五年の夫婦のサイコサスペンス。スウェーデンの家庭生活風景が興味深い。
 主人公エーヴァの住む地域が工事中。それは地域共同暖房のパイプとブロードバンドを引くための工事である。ストーリー展開と直接関係のないエーヴァの述懐が著者の思いと重なるかのように述べられている。
「彼女は通りの両側に立っている二十世紀の初頭に建てられた古い家々を見上げた。この地域の、この区域は、一軒一軒の家が小さめの領主の家のような構えだ。彼女たちの住んでいる区域とはちがう。そこの家々はもっと小さい。ふつうの勤め人が買えるように初めて売られた土地だった。百年。百年の間にどれほどの変化があったのだろう? 家だけでなく、社会でこの百年間で変わらなかったものがあるだろうか? 自動車、飛行機、電話、コンピューター、労働市場、男女の役割、価値観、信仰。まさに変化の世紀だった。
 さらに加えて、人間がおこなったもっとも残虐な狂気の戦争の時代。彼女はふだんからよく自分の祖父母の時代と比較する。彼らはたくさんのことを経験させられてきたはず。新しいことを身につけ、学び、変化に順応せざるをえなかったはずだ。彼らほど多くの進歩と変化を経験した年代が、いままであったろうか? すべてが変わった。思うに、変化しなかったのは一つしかない。変化しなかった、のではなく、変化しないことが望まれる、と言うほうが正しいかもしれないが。それは家族。そして一生続く結婚。
 だが結婚はもはや、男女それぞれにかけがえのない役割を課した共同体ではなくなった。お互いに頼り合う、相互依存の関係ではなくなった。男も女もいまではそれぞれが経済的独立性をもつように教育され、そのように社会で働いて自分の分を稼ぎ出す。結婚を選ぶ唯一の理由は、経済のためではなく、愛情のためなのだ。エーヴァは、もしかすると、結婚が機能しない理由はそれなのかもしれないと思った。」
 この <結婚が機能しない理由> という部分に注目して、取り上げた。

骨から見た日本人

『骨から見た日本人』 古病理学が語る歴史 鈴木隆雄(すずき・たかお)著 講談社 2010年発行 1000円 ISBN 978-4-06-291978-4  学術文庫
 著者=1951年生まれ。札幌医科大学卒業。東京大学大学院博士課程修了。現在国立長寿医療センター研究所所長。
 何章かとりあげて紹介する。
 
「花を供えたはじめ」
 イラク北部、クルジスタン地方のシャニダール洞窟遺跡から、1953年~60年にかけて、ハーバード大学のソレッキらにより、男女子ども合わせて九体の遺骨が発掘された。
 九体の中の第四号人骨は野の花に埋もれていた。ムスカリ、アザミ、タチアオイ、ノボロギク、ルピナス、ヤグルマソウなど。おそらく、花の季節に死亡したシャニダール四号人は、周囲の人々が摘み集めた花に囲まれ、丁重に埋葬されたのであろう。六万年前のことだ。
 縄文人も花を供えていたという。死者に花を供える心。その発想が伝搬ではなく、自然発生であることに、人が授かった人の心を感じる。

「岩場からの転落か」
 福島県相馬郡の三貫地貝塚から出土した百体を超える人骨のなかに、大腿骨骨折の例が発見された。この個体では、骨折後良好な経過を辿り、骨折後数十年生存していた症例とみなされた。
 縄文人の平均推定年齢は短い。ゼロ歳の平均寿命(余命)男女とも、一四・六才。長寿の人との差が大きいことに驚く。

「闘いのはじまり」
 闘いの始まりは、農耕がはじまった弥生時代だとする定説がある。土地の奪い合いなどが、闘いの原因となったであろうと言う推察からきている。戦闘によって奪取すべき富の偏在と蓄積、社会統制と分配の組織化が、闘いへと発展していったであろう、という。
 しかし、骨を見るとちがった、縄文時代の骨に、石の鏃を打ち込まれたあとがある。縄文人も戦っていたのだ。人の遺伝子には、殺人衝動が組み込まれていたのか。ヒト以外の動物に同種間での殺し合いがあるのだろうか。食べるために殺すのと、殺すことを目的にするのとはちがう。

「古人骨にみられる先天異常」
 頭蓋の先天異常に、唇裂・口蓋裂が知られている。現代でも1500~5000人の出生に一人という、比較的高い頻度の異常である。
 縄文時代の土偶や土器人面把手に、上唇裂(兎唇)を表現したと思われるもののあることは、よく知られている。口唇裂の者は、その奇異な発声という特性から、カミの声を伝える媒介者としての役割を担い、これが呪術師的能力を持つ者へと転化していった、という説がある。先天異常の人は、周囲の仲間がその特性を差別するのではなく、認めることで居場所を得て生ていたのかもしれない。

「身障者の介護」
 北海道西南部の洞爺湖町高砂貝塚から一キロほどのところにある入江貝塚は、縄文時代前期末葉から中期、さらに後期までを含む貝塚である。ここから発掘された後期の個体「入江9号」の推定年齢は、十代後半から二十代前後である。その四肢は極度に細く、幼少期に麻痺したまま、長い間寝たきりであったと推定できる個体だった。脳性麻痺、脊髄の変成疾患、進行性筋ジストロフィー、あるいはポリオか。咀嚼筋も萎縮した痕跡があるので、筋ジストロフィーが強く疑われる。
 このような大きな障害があり、成人するまでの長い間を寝たきりでいた当例は、縄文時代にも、周囲の厚い保護と介助を必要とした身体障害者を受け入れていたことを立証している。
 原始社会とみなされている縄文時代の、障害者とその介護に対する精神構造を知る上で、手足の萎えた入江9号は、貴重な証人である、と書かれている。
 死者に花を供える。人殺しをする。健康管理をし、長生き努力をする。そして弱い者を助ける。これが人なのだ。
 人は善悪両面を持つ。一時代をひとまとめにはできない。これらの両面が古代から発掘された骨によって動かぬ証拠として語られたとき、古代先祖人がいっそう身近に引き寄せられて心が安んじる。

孤独なボウリング

『孤独なボウリング 米国コミュニティの崩壊と再生』(BOWLING ALONE)著者 ロバート・D・パットナム(ROBERT D.PUTNAM)発行 柏書房 2006年 ISBN4-7601-2903-0 C0036 ¥6800E 148X210 P692
著者は、1941年NY生まれ。現在ハーバード大学教授。比較政治学ほか広範な領域で多数の著書、論文を発表。邦訳書に『サミット』『哲学する民主主義』がある。
内容は、いままでのアメリカを支えてきた市民的つながりが減少している。これは、いつ、どこで、なぜ起こったのかを検証。後半の約200頁は、資料・図表・参照文献の出典、索引に当てられている。アメリカの近過去から現在にいたる市民生活者の意識と行動を、膨大な資料をもとに洗い出してみせる。
この本を読みたいと思った理由は、日本の各地域の自治会への疑問があったからだ。現象を拾い上げてみると、これは日本各地で起きている現象ではないか、と感じられるものがたくさんある。家族揃って食事をする回数の減少、結婚しない一人暮らしの増加。見るスポーツに人気があり、身体を動かすのはジムで、ひとりで行う。かろうじてボウリングが残っていると、著者は語る。それも、リーグボウリングをするのは減っている。ここでもひとりなのだ。ひとりで、自分のために時間を使う。インターネット、ペットと過ごすなど、我がことのようではないか。

しかし、日本と比べると、ひとつ違いがあった。それは、アメリカの市民生活の行動が自然発生的であること、これに比べて日本の場合は、もちろん自然発生的な部分はあるのだけれど、それ以前に「上」から指令されて作った組織が基礎になっていること、ここが違うと思った。江戸時代まで遡らなくても、戦争中は政府から「隣組」を作るように指令され、歌まで作って参加した。
(♪とんとん、とんからりと隣組 格子を開ければ顔馴染み ♪ 回してちょうだい回覧板 助けられたり助けたり♪)
これに参加しなかったら、配給を受けるにも、情報を受けるにも、何もできなかった。それだけではなく束縛も強かった。互いを監視して、無言、有言の束縛を互いに課した。その後、分譲地に住宅がひしめくようになったが、ここでも自治会が結成されて、公報の類いも自治会を通じて配られるし、国勢調査の際の末端組織となって働きもする、国の便利屋さんみたいな部分を持ち現在に至っている。この自治会がいま、変わってきている。個人情報に関して神経を使うようになったからだろうか、回覧板に自治会員の死亡通知を載せなくなった。回覧板を回す回数が激減した。報せる内容がないのである。集合住宅も増えた。入居する人たちは自治会など関係ない。したがって自治会員は減って行く。家の修理や改築の際、隣近所に「ご迷惑をかけます、これこれ、しかじか」とゴミ捨ての朝に挨拶する、そんな光景はいつのまにか見かけなくなった。タオル1本持った業者が挨拶にまわるのである。

ここで終わるはずの感想は、昨夏、新潟県湯沢町に住んだために、まったく別の視野が開けたので付け加えたい。夢類20号で湯沢便りを書くつもりだけれど、魚沼地区をはじめ、山間部の各地域では、自治会にあたる組織がなかったら暮らせないのだと実感した。農作業や祭りもあろう。しかし、なによりも豪雪地帯で生きて行くためには、気を合わせ、力を合わせ、日取りを合わせ、時刻を合わせ、雪に備え、雪のウチに籠る、お互いの前世までも知り尽くしているような間柄となって、共に生き抜いて行くのである。ここでは、私がほざくような理屈は無用なのだ。大自然と直結している生活には、アメリカの近過去、日本の近過去、これらを超えた原初の「ひとのつながり」がある。いま、この姿を見つめることが、近未来へつながるのではないか、と思った。

戦後思潮

『戦後思潮 知識人たちの肖像』著者 粕谷一希(かすや かずき)  発行 藤原書店 2008年 ISBN 978-4-89434-653-6 C0030 ¥3200E 148x198 P400
著者は1930年東京生まれ。「中央公論」編集長をはじめ、編集、出版事業に関わる。現在は評論家。著書『中央公論社と私』『河合栄治郎ー闘う自由主義者とその系譜』『作家が死ぬと時代が変わる』など多数。
本書は30年前に書かれたものの復刊。見開き2頁で1回分の連載だった戦後思想史を12章にまとめたもの。復刊の言を、御厨貴が書いている。「ここに出てくるような知識人の書物を新古典と言っています。いわゆる古典ではないが、すぐに消え行く新刊書でもない。平成生まれの若者に対しては、この新古典の読み方を考えていかなくてはいけない」
私は意外に感じた。戦後を生きて今に至る者たち、ここに出てくる知識人と並走して現在に至る読書人たちのために書かれたか、と読んだのだった。近過去をまとめてみれば、このようであるか、という思想の流れが見える。高村光太郎、川端康成、小林秀雄、近衛文麿、石原莞爾、吉田茂、三木清、南原繁、太宰治……。索引があるが、天空の星のように並んでいる。
この精力的な編集者の目には凄さがあり鋭くもあり、そして言うに言われぬ含みを持つ。
嬉しかったのは、小泉信三の著書のうち『海軍大尉小泉信吉』をとりあげて名著とし、その節度ある姿勢の影に秘めた息子への愛情に、打たれぬ読者はいない、と書いていることだ。父性は、ここにあった。その後、父性はながいあいだ喪失した。
本書は読書人にお勧めの1冊であるが、若い人たちに開いてもらいたい本がたくさん織り込まれている。しかし、粕谷さんは個性が強いので、見方が個性的に過ぎるきらいがあり、多読をしてきた読者には、その点が面白いのだが、無垢の若者には、もっと無色の紹介文のほうが望ましいと思う。
もうひとつ、まあ、なんと男性ばかりが並んでいることか、と気がつきました。サブタイトルの中に、中野重治の下に宮本百合子の名を見つけただけ。無理に拾い上げて数合わせをしてもらっても、それは無意味なことであり、実際に少ないのだから、これが現実、これがありのままの姿なのである。もともと日本人は、男女の上下を作らないできたはず、縄文の昔は、そのようであったにちがいない、というのが私の見方なので、素直に、自然に、このような姿なんだと思っている。よい作品があれば、女が書こうが男が書こうが大切に扱うことは『源氏物語』をみればわかることだ。

多様化世界

『多様化世界 生命と技術と政治』(INFINITE IN ALL DIRECTIONS )著者 フリーマン・ダイソン(FREEMAN J DYSON)発行 みすず書房 ISBN4-622-04976-7 C1040 ¥3600E 鎮目恭夫 訳
著者は、1923年イギリス生まれ。理論物理学者。宇宙物理学者。プリンストン高等学術研究所名誉教授。朝永、シュウィンガー、ファインマンの量子電磁力学の等価の証明で知られる。純粋物理学研究のほか、地球外知的文明、原子炉設計、核軍縮問題などの研究も続けている。一方、哲学、宗教、芸術などへの深い造詣に裏打ちされた思考は,叡智に満ちている。

ダイソンの著作を読むのは3冊目。あとの2冊は『宇宙をかき乱すべきか』『ガイアの素顔 科学・人類・宇宙をめぐる29章』。
どれも、何度も読み返したい名著、魅惑の書物である。この、知の巨人のどこを、どのくらい理解したのか、私は。それはたぶん、オオハクチョウが飛び立った湖の岸辺に寄り、純白の羽を1本拾い上げて思いを馳せる、ハクチョウの消えた空の青さ。その程度のものにちがいない。

しかし、読み始めたら止まらない。ワクワクする、ドキドキする。溜息が出る。ふと本を閉じて、自分の世界に入り込む。自分だけの自分の世界とみたものは宇宙であったり、神々の世界であったりするとき、ダイソンの著作のなかにいる自分を発見する。
本書では、英国の大物理学者スティーブン・ホーキングについて語っている部分が印象に残った。
「彼は、一種の筋萎縮症にかかっており、車椅子でなければ動けないし、しゃべることができない。彼に初めて会った人は、そういう哀れな状況にある人間を見て衝撃を受けるだろう。しかし、彼と話し始めて数分もすれば、たちまち彼の精神力の強さを知り、同情心はふっとんでしまう。彼の病気のことなど忘れてしまい、魅力に取り付かれてしまうだろう」。
本書は、限りなく詩に近い。

電磁波の何が問題か

『電磁波の何が問題か』副題 どうする基地局・携帯電話・変電所・過敏症 著者 大久保貞利(おおくぼ さだとし)発行 緑風出版 2010 年ISBN978-4-8461-1015-4C0054 ¥2000E 128x187 P221
著者は1949年生まれ。電磁波問題市民研究会事務局長。カネミ油症被害者支援センター共同代表。
私は、この本を図書館で借りたので、図書館のホームページ内の本書の抄録を、ここに、そのまま転記する。
「電磁波問題を最新のデータに基づき、詳しく且つ具体的に紹介。特に基地局問題を徹底的に明らかにする。また電磁波問題における市民運動のノウハウ、必勝法も解説」
私はアマチュア無線をしていて、クラブのコールサインを持っている。いまはお休みをしているけれど、無線をする人たちの間では、電磁波が健康に及ぼす影響の有無、多寡といった問題が話題になる。だからずっと関心を持っていたので、本のタイトルと発行年の新しさを見て予約して借りた。この問題を風説に流されて判断したくなかった。専門家の意見を参考にしたいと思うのである。先に紹介した「よい煙わるい煙を科学する」は、信頼して読み進み、しかも私にも理解できる明確、簡潔、平易な説明で、内容は高度であった。
ところで、本書の目次と、本文の各所を散見した私は、即座に返却と決めた。きっと、信頼するに足る内容も含まれているのだろう、しかし。時間をかけて読んだ末に風説まみれになるのはごめんだ、と判断した。見出しのいくつかを拾ってみた。「あなたの近くに基地局が建つ、さあどうする?」「景観問題 いきなりニョキッと基地局が建って気持ちがいいはずがない」「10年以上携帯電話を使うと脳腫瘍リスク増大」「リスクを小さくみせるカラクリ」
本文内には、ドイツの医師100人が、云々。欧州では 3人のうち2人が云々。住民たちの不安は云々。
図書館が、いかに貸本屋的存在に成り下がっているとしても、このようなモノを書架に並べてはいけないと、私は思います。いけない理由は、出所不明の情緒的情報の記述がある、という一点である。この一点が、一カ所あるだけで充分アウトだ。腹を立てるのは身体に悪いと我慢するけれど、最近、腹が立って致し方ない。この本だけではない、政治家が言う、「国民、みんなが思っている!」
冗談じゃない、国民をダシにしてくれるな、と言いたい。国民が、という枕詞を置けば、大いばりだと思っているらしい。
政治家が妄言を弄するから、こうやって「主婦が」「住民が」と枕詞をつける輩がでるのだ。昔はキツネがトラの威を借るものだったが、昨今は国民や住民の威を借るのである。いい加減にしてくれ。幼稚園児が、ママに訴える、「だって、
みんなが持ってるんだもん」

よい煙わるい煙を科学する

『よい煙わるい煙を科学する 人と煙の長いつきあい』著者 谷田貝光克 (やたがい みつよし)発行 中経出版 2002年978-4806-116950¥1300198x138
著者は1943年生まれ、東京大学大学院農学生命科学研究所農学国際専攻教授。長年の研究成果をふまえて、煙の正体をガス状物質も含めて解説。
専門家が、素人向けに書いてくれた専門書は、簡潔で要点をつかみ、わかりやすい。すらすらと読み進むことができるのは、上質の文章であるゆえである。
なぜ、文学者ではない人が、読みやすく、頭に入りやすい、上質の文章を書けるかというと、それは語る内容を熟知している故である。
私が上質の文章と認める文というのは、なにを伝えようとしているのか、はっきり分かることが第一だ。
で、結局何が言いたいの? というような文章を書いたり、話したりする人は、自分でも分かっていないか、あるいはごまかそうとしているにちがいない。
ところで、本の題名を見て読もう、と思った動機は、煙って、すべて悪者なのかしら、少し健康によい煙もあるんじゃないの? という疑問を持っていたためだった。
読後、納得したことは、肺によい煙はない、ということだった。さらに驚いたことは、タバコを吸う人よりも、周辺にいて、タバコの火の先から出る煙を直接吸ってしまう場合の方が何倍も被害が大きいということだった。これはひどい話です。
ただ、煙が良い効果をもたらす場合はある。それはよい香りが気持ちを和らげたり、寛ぎをもたらしたりする場合だ。お線香の煙も、気持ちを鎮めるスギの葉などが配合されていて、理にかなっているという。悲しみ苦しんで仏壇に向かい、お線香に火をつけると、拝む人の心が煙によって静まるのだなあ、と私は納得した。
歴史の方面からお線香の効用を考えると、このような解釈は出てこない。古代人は、煙が天に向かって立ちのぼり、天空にまします神々へ祈りを届けてくれるのだと信じていた、となる。また、足利尊氏は大会議を開くとき、衆議一決、それも尊氏の思う壺の一決を目論むとき、香を焚いたという記録がある。結果を出したいのだ、なんとしてでも。そういう心境になったときに唐天竺の秘薬を焚きたいと思ったのではないか。正倉院に収蔵されている沈香を、信長が削り取って用いたことは有名な話だ。
ここから先は私の空想だが、伽羅木が倒れて土中に長く埋まり、樹脂部分が固い塊となって発掘される。これが黄熟香、沈香と呼ばれて珍重されたのだが、はたしていにしえの指導者、権力者が欲し、用いたのは、この香木だけだったろうか。そのほかに大麻や、芥子の実から抽出する類の禁断の煙があったのではなかろうか。煙の流れるさきを追い見つめるのは愉しい。

独身者の住まい

『独身者の住まい』 著者 竹山 聖(たけやま せい)発行 廣済堂出版 2002年 ISBN4-331-50910-9 C0052 ¥1500E 128x187 P304

著者は1954年大阪生まれ建築家。作品は「Blue screen house 自邸」「周東町パストラルホール」「山本寛斎本社ビル」など 1992年から京都大学助教授
およそ10年前に書かれた本。最近注目されている「お一人様」向けの内容ではない。独身者の定義からして、著者の思う独身者は、一種独特な像である。
目次を拾ってみよう。1 歴史がかわる 2 精神的独身者の時代 3 在庫としての独身者 4 アンチファミリー 5 ひとり住まいのメリット
6 ニセモノの街 7 データが示す未来 8 自由の領分 9設計をとおして学んだこと 10 住まいは整地である。 以上のあと、巻末に独身者の住まいの十か条や、図版、京都大学の竹山スタジオなどがある。
のびのびと書いたエッセイ集。映画の話になり、世相の話題に飛び、しかし常に建築に舞い戻る。基盤が建築に置かれているので、安心してつきあい、ほかの話題につき合っていてもやっぱり著者とともに考えを深めるのは、住まいについてである。それも独身者の住まい限定。
連れ合いに先立たれ、息子、娘は家を出て暮らし、ひとりぼっちになってしまったひとり暮らしではありません。能動的独身者が、ここで想定されている対象であって、心身ともに独立した人間、しかも孤立とは無縁な人間の住まいなので、むきだしになるのは、そこに住む人の個性だろう。
いま、私の家の周辺で起きている現象は、空き部屋になった子供部屋が物置部屋と化し、ほとんど風も通さない暗い部屋となっている家々。ふだん使っているのは、お勝手とリビング、慣れた寝る場所。トイレと風呂場。これは、どうみても楽しくないなあ。もったいないし。
高速回転で変化する現在の状況の中にいて、このようなタイプの独身者は、多くはないがかならず、つぎつぎに生まれるだろう。核家族が、日本のごく一般的な姿なんだ、ととらえて信じているのが、大手の建築会社であって、それはいまも売れ続けているけれど、終わりが見えてきているんじゃないか。この本は、10年も前に、このことを指摘している。自分でしかあり得ない自分が、自分らしく自由にいられる場をつくろう。これは言うのは簡単だけれど、実は簡単にできることではなくて、まずは独立した精神の人間あってこその論議でしょう。

狛犬事典

『狛犬事典』 著者 上杉千郷(うえすぎ ちさと) 発行 戒光祥出版 2001年 ISBN4-900901-20-2 CO571 ¥5000E P368   148 ×210

著者は、大正12年生まれ、岐阜県の神社社家19代目。現在、学校法人皇学館理事長。狛犬の研究・収集家。岐阜県下呂温泉に狛犬博物館などを作った。
狛犬を撮影したことから興味がわいて、図書館で借りた。著者は、各地の狛犬を年月をかけて訪ねている。収集は、探し求めるよりも集まってきた狛犬が多いそうだ。
シルクロードを通って日本にやってきたライオンが獅子となる。獅子は唐獅子から、狛犬へ変貌して行く。沖縄のシーサーも、獅子である。順を追って読むのも、拾い読みも楽しい。ときどきコラムのページがあって面白い。
コラムから少し紹介を。
靖国神社の参道に、中国移住者が奉納した獅子像がある。これは両方とも口を開けている。阿吽になっていないので、空いた口が塞がらない。と冗談を言っている。
別のコラムでは、「カッパ狛犬」が出ている。これは遠野市の常堅寺にいる狛犬。頭のてっぺんが皿になっていて水がたまっている。近くにあるカッパ渕に、実際、カッパがいて、お寺が火事になったとき、カッパたちが渕から飛び出してきて、皿の水を飛ばして火を消したそうだ。
事典だけれど、面白い。狛犬と獅子は平安時代には区別していたが、今は獅子なのか、イヌなのかさえも、定かではない。実際、私もシーサーはS音からしても獅子だろうと思っていたが、狛犬は、両方ともイヌだと思い込んでいた。
とりあえず、カッパ狛犬に会いにいきましょう。

ガウディの伝言

『ガウディの伝言』  著者 外尾悦郎 発行 光文社 光文社新書 2006年  ISBN 4-334-03364-4 CO271 ¥950E

 外尾悦郎(そとおえつろう)1953年生。1978年以来、スペイン、バルセロナ市のサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の彫刻を担当。2000年に15体の天使像を完成させた。これによって、サグラダ・ファミリア「生誕の門」が完成し、2005年に世界文化遺産に登録された。
 この本は、石の彫刻をしたい、という発心から、なぜかファミリアに行き着き、いまもここにいて石に埋まっている外尾氏が、落ち着いた美しい日本語で伝えてくれるガウディ、ファミリア、その仲間たちの話である。前に読んだ『ガウディ その建築への招待』の写真と合わせ読むことで、さらに興味は増し、理解が深まった。
観光客の行列に加わり、ファミリアの階段を踏み上がっていた何年か前、実は、私は何も分からなかった。屑タイルをかき集めてベタベタと貼付けた異様な構造物。ありえないような曲線で形作られているバカでかいモノ。こんなクニャクニャした形で、よくもまあ倒れないもんだわ。未完成ですってよ、という、無知、貧弱きわまりない末端観光客だった。それなのに、度々思い出してしまう「あの建物」。なぜか気になって仕方がない、ひっかかる気持ちが、この2冊を開かせた。そして、心底感動しています。
 昨年から考えてきたことのひとつ、神がすべての上にまします、というキリスト教、イスラム教、ユダヤ教(この親類たち)の根本を理解しないことには始まらないのだ、ということが首肯され、納得がいった。外尾氏も入信されている。それでこそ、なのだった。そしてクニャクニャは、実は直線なのだった。

 生涯独身だったガウディは、晩年ファミリアに住み込んで制作に没頭していた。74歳になろうとするある日、40年来歩き慣れた道路を横断しようとして、路面電車にはねられて重体となり亡くなった。駆け寄った人々が病院へ運ぼうとしたが、あまりにも貧しい身なりをしていたために、4台ものタクシーが乗車拒否をしたと伝えられている。弟子たちが探しまわり、身元不詳のままサンタ・クルス病院の大部屋にガウディを見つけた時は深夜になっていた。2日後の葬儀では大群衆が集まったという。


ところどころに光る言葉。
 ものをつくる人間をダメにする確実な方法は、全体を考えさせず、細かい作業をひたすら義務としてやらせることです。そうするともう、現場での新しい発想が生まれてこなくなるだけでなく、いかに手を抜くかということばかり考える人が現れ……

 サグラダ・ファミリアのような場所で彫刻家として仕事をしていると、どうしても、人間の幸せとは何だろうということを考えざるを得ないんですが、それは一つには、どれだけ何かを愛し、その自分でないもののために生きられているかということではないかと思います。自分というのは、他があって初めて存在するものです。その他を利用し、自分の名誉や財産のためだけに生きようとしている人は、どこまで行っても満たされず、精神的に痩せ細っていくものでしょう。そうではなく、他のために生き、それによって自分も満たされるということ。そういう関係のなかにこそ、人間が求めるべき幸せがあるような気がします。



武術「奥義」の科学

『武術「奥義」の科学』 最強の身体技法  著者 吉富康郎 講談社 発行 新書判 ISBN978-4-06-257688-8 c0240 ¥860E

著者は中部大学工学部教授。1944年生。力学を人体に応用して、格闘技などの研究をするバイオメカニクスの専門家。テレビ出演も多い。
二言目には、究極の奥義を繰り出させて、主人公を活躍させるストーリーを書く人がいて、ついに私は、その方を「究極の奥義氏」と呼ぶことになった。それで、ひとつ奥義の奥義を覗いてみようという気になって読んだ。
ところが、トルクがどうとか、矢印、記号などがふんだんに使われている図もあり、すべてを理解するには、私の能力は不足なのだった。致し方なく、つまみ食い。
わかったことは、薬指という指が、なんと重要なものであるか、ということだった。
実は、私はピアノを弾くときに薬指の力が弱くて難渋していた。5本の指の力は、それぞれに違いがあって、薬指が落ちこぼれ指だというのが私の結論だった。さらに、怪我をしたとき5本の指は、それぞれに違う反応を示し、薬指について言えば、この指が最も痛みを強く感じるのだった。このことは、私はよく怪我を、大きな怪我をするので実感している。
さて、ところが、本書でわかったことは、なんと、この落ちこぼれ指が大切な働きをしているというではないか。
ほんの少し、ご紹介しますと、
「刀(の柄)を握るとき、力を入れるのは薬指と小指の2本で、とりわけ薬指に力をかける。親指と人差し指は、軽く添える程度で中指は軽く握る。この刀の握りかたは「手の内」といい、日本刀の操作の基本となる」。
そして、薬指はあまり意識しないが、ものを握る、たとえば中華鍋を扱うとき、もっとも大きな力を出しているのは、この薬指であり、荷物を手に提げるときも、薬指を中心に第3〜5指だけで十分だそうです。

ガウディ  その建築への招待

『ガウディ その建築への招待』  本文著者 JUAN-EDUARDO CIRLOT 写真 PERE VIVAS / RICARD PLA  発行 TRIANGLE POSTALS 2002年 192ページ 140mm ×140mm

シルロット(1916〜73)は、芸術評論家、詩人。本書には、ANTONI GAUDIの全作品が出ている。
サグラダ・ファミリア贖罪寺院(Temple Expiatori de la Sagrada Familia)は、ガウディが1914年から亡くなる直前まで没頭していた未完成の大殿堂。彼は1926年、74歳のときに路面電車にはねられて、この怪我がもとで亡くなった。初期の作品から順に眺める全作品から、最後の作品、そして電車にはねられたことも含めて、すべてが彼であると思った。この本を手に、バルセロナに行きたい。

貧困の放置は罪なのか

『貧困の放置は罪なのか』 副題 グローバルな正義とコスモポリタニズム  著者 伊藤恭彦  ISBN978-4-409-24089-2 C1036 ¥ 3200E 2010.5 人文書院 発行

タイトルを見たとき、この本の主張は、放置は罪ではない、と言うものだろう、と思って開いた。が、正反対であった。著者の主張は、貧困を撲滅するための富裕国の責任を明らかにして、誰もが貧困から解放され、人間的な生活を送れる地球を実現するようなグローバルな枠組みを構想する点にある。
対象と目した読者は、どの辺にあるのか。研究成果を1冊にまとめて発表したような印象を受けた。私は、貧困の人、すべてを援助するやり方に対し、自助努力を最大限にしてからにするのが望ましいと考えている。
映像で見る限りの情報がほとんどではあるが、 地球上のどの国であれ、救助される側に対して、私はもどかしさ、いらだち、不満を感じる。惨めったらしくうずくまる前に、することがあろうが! と思ってしまうのだ。これは、私が戦争のときに東京で生活していた記憶から、どうしても湧き出る思いである。
沖縄では、沖縄の民間人を含めた数多く、いや数えきれないほどの死体を、戦勝国はブルドーザーで処理したのだ。それでも、沖縄の人々は、涙顔でうずくまることはなかった。かわりに、今日現在まで、下火になることのない怒りが噴出しているのだ。

古代蝦夷を考える

『古代蝦夷を考える』   2011.01.16

著者 高橋富雄   吉川弘文館 発行  歴史文化セレクション  1991年発行の復刊  ISBN978-4-642-06364-7 C1321 ¥2300E
蝦夷とは? 呼び方はエゾ、エミシ、エビスのどれが妥当か。著者は古代東北史の第一人者。古代蝦夷を勉強する基礎となる本。 
吉川弘文館が刊行する図書を、私は信頼している。
4世紀、5世紀以来の東北地方で、地名、名前の呼び方が変遷して行くのですが、これを辿ることによって、渡来人がどのような地位にいたか、などが浮かび上がってくる点に注目して読んだ。
買いたい、手元に置きたい、と誘われる心地になる反面、本が増えるのが困る、の気持ちもあって、図書館で、いつでも借りられるから大丈夫、というところに落ち着きました。

 
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