September 2015
戦争のからくり
20-09-15-14:21-
『戦争のからくり』副題=チョムスキーが語る・ヒロシマからドローン兵器の時代まで 原題=On Western Terrorism From Hiroshima to Drone warfare 著者=N・チョムスキー、A・ヴルチュク 訳=本橋哲也 発行=平凡社2015年 128X187mm P230 ¥1700 ISBN9784582703290
著者=ノーム・チョムスキーAvram Noam Chomsky 1928年アメリカ・ペンシルヴァニア生まれ 哲学者、言語学者、言語哲学者、社会哲学者、論理学者。マサチューセッツ工科大学名誉教授。
アンドレ・ヴルチュクAndre Vltchek 1963年ソヴィエト連邦 レニングラード生まれ アメリカ合衆国市民権所有。調査報道ジャーナリスト、映像作家。本書にはないが日本取材と写真多数あり。
内容=事実と情報のあいだをめぐる対談、2013年発行の全訳。話題は西側先進国がいままでに行った暴虐行為について。その事実が、いかに隠避され、あるいは歪曲され広められてきたかについて。最後に、現在の我々の選択肢は「絶望し、最悪の状態を助長すること」と「諦めない。よくなるようにしたいから、やってみよう」の2つしかない、と結論づけている。巻末に年表と索引
感想=親子ほど年の離れたふたりの対談。これまでにもチョムスキーは大勢の人と対談し、インタビューに答えてきた。この対談は2年前に行われたものだけれど、ただいまの日本人にとっての必読書だと思う。二人の対話に耳を傾けると、四次元空間の自国の現在地を思い知らされる。
副題にある「ヒロシマとドローン」は、ほとんど話題に上がらないから、この部分に期待をかけて読むと当てが外れる。また日本そのものについては、日本の読者が期待するほど話題にはあがらない。せいぜいヴルチュクが「CIAのエージェントで日本の巨大メディア・読売グループのボスだった、正力松太郎のような人間を作ったのでしたね」と言うと、チョムスキーが「さらにアメリカは日本の戦争犯罪人たちも復活させた。こういうことが世界中で起こったのです」と続けるという具合だ。
この部分などは、その犯罪人の一人が岸信介であり、その孫が、と思いを巡らせることができる読者には興味津々の部分だろう。岸信介が、あるいは正力が命乞いの代償として、なにをアメリカに約束したか、ということなどは、もしかするとチョムスキーやヴルチュクよりも、日本の読者の方が詳しいのではないか。
なぜマッカーサーが首にされたかも語られる。彼が本心から日本に民主主義を植え付けようとしているのを知ったアメリカ本国が、慌てて首にしたのだった。日本に限らず、お題目以上の民主主義は許さない、というアメリカ帝国主義が、こうした二人の問答から浮き彫りにされてゆく。
洗練された新帝国主義、植民地支配を見破り、それに屈することのない政治家たちは、罠にはめられ、あるいは自国の政治家と国民によって叩かれ排斥されるように仕組まれ、成功してきたアメリカの戦略が、読み進む読者の胸の内に映像化して甦ることだろう。
原題「西洋のテロリズムについて」のとおり、話題の主役はアメリカと西欧諸国の暴挙。これらは簒奪国として吟味され、彼ら以外の国々、世界中の後進国を私物化し、分捕りあいをしてきた過去が語られる、のではない、現実が提示されている。反省はなく、形を変えるのみである。
昔風の植民地支配は、古くさいので取りやめにしたが、形を変えた実質植民地支配を、手を替え品を替え、くりだして収奪しつつあるのがアメリカであり、フランスを始めとする西欧諸国であることが、二人の対話から浮かび上がってくる。フランスの外人部隊のしている殺戮行為には鳥肌がたつ。
なによりも感動したことは、チョムスキー、ヴルチュク両人は、驚くべきタフさで世界中を訪れ、土地と人に深く接してきていることだ。チョムスキーは、一般家庭のただ二人だけを相手に語ることもし、大きな講演もする。ヴルチュクは戦争、紛争を取材しており、掴まり拷問に掛けられたこともある。強靱な精神力と、あらゆる人々への愛情、これがお二人の共通するところと感じた。
著者=ノーム・チョムスキーAvram Noam Chomsky 1928年アメリカ・ペンシルヴァニア生まれ 哲学者、言語学者、言語哲学者、社会哲学者、論理学者。マサチューセッツ工科大学名誉教授。
アンドレ・ヴルチュクAndre Vltchek 1963年ソヴィエト連邦 レニングラード生まれ アメリカ合衆国市民権所有。調査報道ジャーナリスト、映像作家。本書にはないが日本取材と写真多数あり。
内容=事実と情報のあいだをめぐる対談、2013年発行の全訳。話題は西側先進国がいままでに行った暴虐行為について。その事実が、いかに隠避され、あるいは歪曲され広められてきたかについて。最後に、現在の我々の選択肢は「絶望し、最悪の状態を助長すること」と「諦めない。よくなるようにしたいから、やってみよう」の2つしかない、と結論づけている。巻末に年表と索引
感想=親子ほど年の離れたふたりの対談。これまでにもチョムスキーは大勢の人と対談し、インタビューに答えてきた。この対談は2年前に行われたものだけれど、ただいまの日本人にとっての必読書だと思う。二人の対話に耳を傾けると、四次元空間の自国の現在地を思い知らされる。
副題にある「ヒロシマとドローン」は、ほとんど話題に上がらないから、この部分に期待をかけて読むと当てが外れる。また日本そのものについては、日本の読者が期待するほど話題にはあがらない。せいぜいヴルチュクが「CIAのエージェントで日本の巨大メディア・読売グループのボスだった、正力松太郎のような人間を作ったのでしたね」と言うと、チョムスキーが「さらにアメリカは日本の戦争犯罪人たちも復活させた。こういうことが世界中で起こったのです」と続けるという具合だ。
この部分などは、その犯罪人の一人が岸信介であり、その孫が、と思いを巡らせることができる読者には興味津々の部分だろう。岸信介が、あるいは正力が命乞いの代償として、なにをアメリカに約束したか、ということなどは、もしかするとチョムスキーやヴルチュクよりも、日本の読者の方が詳しいのではないか。
なぜマッカーサーが首にされたかも語られる。彼が本心から日本に民主主義を植え付けようとしているのを知ったアメリカ本国が、慌てて首にしたのだった。日本に限らず、お題目以上の民主主義は許さない、というアメリカ帝国主義が、こうした二人の問答から浮き彫りにされてゆく。
洗練された新帝国主義、植民地支配を見破り、それに屈することのない政治家たちは、罠にはめられ、あるいは自国の政治家と国民によって叩かれ排斥されるように仕組まれ、成功してきたアメリカの戦略が、読み進む読者の胸の内に映像化して甦ることだろう。
原題「西洋のテロリズムについて」のとおり、話題の主役はアメリカと西欧諸国の暴挙。これらは簒奪国として吟味され、彼ら以外の国々、世界中の後進国を私物化し、分捕りあいをしてきた過去が語られる、のではない、現実が提示されている。反省はなく、形を変えるのみである。
昔風の植民地支配は、古くさいので取りやめにしたが、形を変えた実質植民地支配を、手を替え品を替え、くりだして収奪しつつあるのがアメリカであり、フランスを始めとする西欧諸国であることが、二人の対話から浮かび上がってくる。フランスの外人部隊のしている殺戮行為には鳥肌がたつ。
なによりも感動したことは、チョムスキー、ヴルチュク両人は、驚くべきタフさで世界中を訪れ、土地と人に深く接してきていることだ。チョムスキーは、一般家庭のただ二人だけを相手に語ることもし、大きな講演もする。ヴルチュクは戦争、紛争を取材しており、掴まり拷問に掛けられたこともある。強靱な精神力と、あらゆる人々への愛情、これがお二人の共通するところと感じた。
めぐみと私の35年
12-09-15-14:06-
『めぐみと私の35年』著者=横田早紀江 発行=新潮社2012年 192頁 128X187mm ISBN9784103327615 ¥1200
著者=よこた・さきえ 1936年京都府生まれ 1962年滋さんと結婚、64年にめぐみさん、4年後に男の双子を恵まれ、銀行勤務の夫の転勤で国内各地に住んだ。横田さん一家が新潟に住んでいた1977年、当時13歳のめぐみさんが失踪。手がかりなく20年。1997年に北朝鮮に拉致されたと判明。1997年から2007年まで「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の代表を務めた滋さんと共に、現在も拉致被害者を奪還すべく活動している。
内容=早紀江さんの子ども時代、結婚と子たちの誕生。晩ご飯を一所懸命作る、明るく元気な普通のおかあさんだった日々が語られる。そしてめぐみさんが消えた日から、この生活が消えて煩悶の20年が刻まれる。想像もしなかった拉致。すでに我々が知っている事、はじめて知らされることが織り込まれる。
感想=横田さん一家が闇の中で苦しんでいた20年間を、私は知らずに過ごしていた。表に現れたのは、20年後だったのだ。政府の対応、北朝鮮の反応、それらを期待を込めて追ってきたが、20年後から現在まで、もう18年になるが変化はない。38年間の苦しみの、幾ばくかでも分かち合いたいと湧き出る気持ちと共に、怒りが噴出した。
政府の交渉の、自己保全に終始する本質、一般市民のなかから発生する悪質な行為、著名運動を無視するどころか、ボードを叩き落としたという通行人。これらに暗澹とした。
表紙はモノクロ写真の集合、幼いめぐみ、中学生のめぐみ、父に抱かれためぐみ、母と肩を寄せ合うめぐみ。ときどき読み進むページから表紙に戻ると涙が溢れる。その写真はどれも、あまりにも普通の、ありきたりの家族のアルバムだ。
部活からの帰り道の中学生が、あと1分でただいま、という地点で拉致された。普通の家族は破壊され、苦悩地獄から抜け出ることができない現在である。
去年の晩夏にジャマイカに旅行したとき、カリブ海の歴史を勉強した。同時にボブ・マーリーという歌手とその唄に出会った。
結論を言うと、めぐみさんに対して北朝鮮がした行為は、アフリカから有無を言わさず拉致して売り飛ばし、買った者によって奴隷として使役させられた、あの奴隷行為と寸分の違いもないのである。奴隷船に連れ込まれた現地人たちは、弱い者は死に、生きながらえた者は売られた。決してアフリカへ帰ることはなかった。めぐみさんは、掴まえられて舟底に閉じ込められたとき、おかあさん、と繰り返して泣き、爪を立てて足掻いたという。拉致した工作員は40時間もの間少女を閉じ込めた。アフリカの惨劇と重なる拉致行為そのものだ。
ボブ・マーリーはジャマイカで生まれ、その母もジャマイカの人だ。しかし彼は歌う、アフリカへ、アフリカへ帰りたい、母なるアフリカ。
世代を重ねても、いまだに恋い焦がれる故郷の地である。
人間が普通に暮らす、それを毀しにかかる拉致行為は、世界中から一掃しなければならないと思わないか。横田さんご夫妻を助け、軸にして、私は世界中が協力できないか、それには何をしたらよいのか、考えているのだけれど……。
編集者の、胸一杯の愛情、心のこもった編集に拍手を送ります。
著者=よこた・さきえ 1936年京都府生まれ 1962年滋さんと結婚、64年にめぐみさん、4年後に男の双子を恵まれ、銀行勤務の夫の転勤で国内各地に住んだ。横田さん一家が新潟に住んでいた1977年、当時13歳のめぐみさんが失踪。手がかりなく20年。1997年に北朝鮮に拉致されたと判明。1997年から2007年まで「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の代表を務めた滋さんと共に、現在も拉致被害者を奪還すべく活動している。
内容=早紀江さんの子ども時代、結婚と子たちの誕生。晩ご飯を一所懸命作る、明るく元気な普通のおかあさんだった日々が語られる。そしてめぐみさんが消えた日から、この生活が消えて煩悶の20年が刻まれる。想像もしなかった拉致。すでに我々が知っている事、はじめて知らされることが織り込まれる。
感想=横田さん一家が闇の中で苦しんでいた20年間を、私は知らずに過ごしていた。表に現れたのは、20年後だったのだ。政府の対応、北朝鮮の反応、それらを期待を込めて追ってきたが、20年後から現在まで、もう18年になるが変化はない。38年間の苦しみの、幾ばくかでも分かち合いたいと湧き出る気持ちと共に、怒りが噴出した。
政府の交渉の、自己保全に終始する本質、一般市民のなかから発生する悪質な行為、著名運動を無視するどころか、ボードを叩き落としたという通行人。これらに暗澹とした。
表紙はモノクロ写真の集合、幼いめぐみ、中学生のめぐみ、父に抱かれためぐみ、母と肩を寄せ合うめぐみ。ときどき読み進むページから表紙に戻ると涙が溢れる。その写真はどれも、あまりにも普通の、ありきたりの家族のアルバムだ。
部活からの帰り道の中学生が、あと1分でただいま、という地点で拉致された。普通の家族は破壊され、苦悩地獄から抜け出ることができない現在である。
去年の晩夏にジャマイカに旅行したとき、カリブ海の歴史を勉強した。同時にボブ・マーリーという歌手とその唄に出会った。
結論を言うと、めぐみさんに対して北朝鮮がした行為は、アフリカから有無を言わさず拉致して売り飛ばし、買った者によって奴隷として使役させられた、あの奴隷行為と寸分の違いもないのである。奴隷船に連れ込まれた現地人たちは、弱い者は死に、生きながらえた者は売られた。決してアフリカへ帰ることはなかった。めぐみさんは、掴まえられて舟底に閉じ込められたとき、おかあさん、と繰り返して泣き、爪を立てて足掻いたという。拉致した工作員は40時間もの間少女を閉じ込めた。アフリカの惨劇と重なる拉致行為そのものだ。
ボブ・マーリーはジャマイカで生まれ、その母もジャマイカの人だ。しかし彼は歌う、アフリカへ、アフリカへ帰りたい、母なるアフリカ。
世代を重ねても、いまだに恋い焦がれる故郷の地である。
人間が普通に暮らす、それを毀しにかかる拉致行為は、世界中から一掃しなければならないと思わないか。横田さんご夫妻を助け、軸にして、私は世界中が協力できないか、それには何をしたらよいのか、考えているのだけれど……。
編集者の、胸一杯の愛情、心のこもった編集に拍手を送ります。