May 2020
自由と規律
14-05-20-12:50-
『自由と規律』副題=イギリスの学校生活 著者=池田 潔(いけだ きよし)発行=岩波書店1949年11月第1刷 岩波新書(青版)171頁2018年2月 第109刷発行¥720 ISBN978400412141
著者=1903-1990 リース・スクール卒業 ケムブリッヂ大学卒業 ハイデルベルク大学に在籍した。英文学・英語学。著書=『よき時代のよき大学』『歩道のない道』『第三の随筆』『砂にかかれた文字』『少数派より』『学生を思う』以上6書は、現在ほとんど市場に出ない。ISBNなし。
これはイギリスの学校生活を記述した本には違いない。
日本から一人の少年が船でイギリスへ、そして入学して過ごした昔の日々が語られるのである。
イギリスを知る人も訪れたことのない人も、その詳しい朝夕の学校生活とイギリス人の気風を知ることになる。
その粗食ぶりとスポーツを常に、全員が行う、しかも団体競技が重んじられる。
最後までゆっくりと、時には繰り返しながら読み終わった時に、本書の核心部分が目の前に大きく開かれる。
それは、自由とはどういうものであるか。自由を持つということの意味。あわせて規律がどれほど大切なものかが、見事に見えてくるのである。
読み終わり、本を閉じた時に、この本の題名、自由と規律に、深く納得する。
名著として名高い所以が、ここにある。
自由自由と軽く言うが、自由を手にすることの意味を、改めて考えることができる。
手元に置きたいと買ったが、第109刷。これだけ読む人がいるということから、日本の将来を信じて良いのではという思いがした。
内容の一部分を紹介する。
前慶応義塾長小泉信三博士は、昭和23年8月15日東京毎日新聞掲載の論文「自由と訓練」の中で、イギリスのパブリック・スクールのこのような生活について次の見解を述べていられる。
「生徒は多く裕福な家の子弟であるから右のような欠乏が経済的必要から来たものでないことは明かである。食物量の制限は思春期の少年の飽食を不可とする考慮に出たといふ説もきいたことがある。何れにしても何事も少年等のほしいままにはさせぬことは、自由を尊ぶイギリスの学校としてわれわれの意外とすべきもの多い。しかし、ここに長い年月の経験と考慮とが費やされてゐることを思はねばなるまい」
「かく厳格なる教育が、それによって期するところは何であるか。それは正邪の観念を明にし、正を正とし邪を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養ひ、各人がかかる勇気を持つところにそこに始めて真の自由の保障がある所以を教えることに在ると思ふ。」P88
もう一つの紹介は、オリンピックについて。
オリムピック競技に対してさえ、一般人はわが国の半分の熱意ももっていないし、新聞でも、せいぜい二段くらいのスペースしか割いていない。嘗てわが国民の一部に示された、不均衡に冷静を逸したオリムピック熱も反省されてよいのではないか。現地では選手と在留同胞が勝っては泣き負けては泣き、故国ではラジオとニュース映画でアナウンサー吠え聴衆喚き、国家の存亡をその勝敗に賭したかのような醜態を演じた事実は、結局、わが国民のもつ劣等意識によるものであり、事物の重要性を正当に識別する力を欠いていることを示すに外ならない。P146
著者=1903-1990 リース・スクール卒業 ケムブリッヂ大学卒業 ハイデルベルク大学に在籍した。英文学・英語学。著書=『よき時代のよき大学』『歩道のない道』『第三の随筆』『砂にかかれた文字』『少数派より』『学生を思う』以上6書は、現在ほとんど市場に出ない。ISBNなし。
これはイギリスの学校生活を記述した本には違いない。
日本から一人の少年が船でイギリスへ、そして入学して過ごした昔の日々が語られるのである。
イギリスを知る人も訪れたことのない人も、その詳しい朝夕の学校生活とイギリス人の気風を知ることになる。
その粗食ぶりとスポーツを常に、全員が行う、しかも団体競技が重んじられる。
最後までゆっくりと、時には繰り返しながら読み終わった時に、本書の核心部分が目の前に大きく開かれる。
それは、自由とはどういうものであるか。自由を持つということの意味。あわせて規律がどれほど大切なものかが、見事に見えてくるのである。
読み終わり、本を閉じた時に、この本の題名、自由と規律に、深く納得する。
名著として名高い所以が、ここにある。
自由自由と軽く言うが、自由を手にすることの意味を、改めて考えることができる。
手元に置きたいと買ったが、第109刷。これだけ読む人がいるということから、日本の将来を信じて良いのではという思いがした。
内容の一部分を紹介する。
前慶応義塾長小泉信三博士は、昭和23年8月15日東京毎日新聞掲載の論文「自由と訓練」の中で、イギリスのパブリック・スクールのこのような生活について次の見解を述べていられる。
「生徒は多く裕福な家の子弟であるから右のような欠乏が経済的必要から来たものでないことは明かである。食物量の制限は思春期の少年の飽食を不可とする考慮に出たといふ説もきいたことがある。何れにしても何事も少年等のほしいままにはさせぬことは、自由を尊ぶイギリスの学校としてわれわれの意外とすべきもの多い。しかし、ここに長い年月の経験と考慮とが費やされてゐることを思はねばなるまい」
「かく厳格なる教育が、それによって期するところは何であるか。それは正邪の観念を明にし、正を正とし邪を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養ひ、各人がかかる勇気を持つところにそこに始めて真の自由の保障がある所以を教えることに在ると思ふ。」P88
もう一つの紹介は、オリンピックについて。
オリムピック競技に対してさえ、一般人はわが国の半分の熱意ももっていないし、新聞でも、せいぜい二段くらいのスペースしか割いていない。嘗てわが国民の一部に示された、不均衡に冷静を逸したオリムピック熱も反省されてよいのではないか。現地では選手と在留同胞が勝っては泣き負けては泣き、故国ではラジオとニュース映画でアナウンサー吠え聴衆喚き、国家の存亡をその勝敗に賭したかのような醜態を演じた事実は、結局、わが国民のもつ劣等意識によるものであり、事物の重要性を正当に識別する力を欠いていることを示すに外ならない。P146
「怪異」の政治社会学
14-05-20-10:07-
『「怪異」の政治社会学』副題=室町人の思考をさぐる 著者=高谷知佳(たかたに ちか)発行=講談社2016年 講談社選書メチエ 626 サイズ=19cm 270頁 ¥1750 ISBN978406258629
著者=1980年奈良県生まれ 京都大学法学部卒 同大学大学院法学研究科准教授 法制史 著書『中世の法秩序と都市社会』
内容=応仁の乱など戦乱下の京都で怨霊などの怪異がどのように扱われ、変化していったかを検証。
感想=だいぶ前に、資料の一環として買っていたもの。1980年代の人が書いている点に注目して開いた。カタカナ表現に注目する。目次を眺めると「勧進のプラスとマイナス」「システムの破綻」などカタカナが見える。本文のページにもカタカナが見える。イメージ、ミスリード、プロセス、パニック。レベルと書いたりレヴェルと書いたりもしている。
ネットワーク、バックアップ、オーバーヒート、ステレオタイプ、メカニズム。探すには及ばない、ふんだんに転がっている。
欠点とみなしてあげつらっているわけではない。著者が室町人に対して向けたと同じ眼差しを著者の記述に向けている。著者の脳内感覚として、すでにイメージはイメージでしかなく、イメージでなくてはならず、パニックという言葉は日本では言い表すことが難しい感覚として定着しているように感じた。
ここには、単に日本語をカタカナ言葉に置き換えただけではない内容の変質が見られる。街で見かける2000年代生まれの日本人たちが、異星人と映ってくる一瞬の感覚にたじろぐ思いをする。なぜだろうと思っていたが、数年前のこの著作にすでに染み渡っていたと知った。
著者=1980年奈良県生まれ 京都大学法学部卒 同大学大学院法学研究科准教授 法制史 著書『中世の法秩序と都市社会』
内容=応仁の乱など戦乱下の京都で怨霊などの怪異がどのように扱われ、変化していったかを検証。
感想=だいぶ前に、資料の一環として買っていたもの。1980年代の人が書いている点に注目して開いた。カタカナ表現に注目する。目次を眺めると「勧進のプラスとマイナス」「システムの破綻」などカタカナが見える。本文のページにもカタカナが見える。イメージ、ミスリード、プロセス、パニック。レベルと書いたりレヴェルと書いたりもしている。
ネットワーク、バックアップ、オーバーヒート、ステレオタイプ、メカニズム。探すには及ばない、ふんだんに転がっている。
欠点とみなしてあげつらっているわけではない。著者が室町人に対して向けたと同じ眼差しを著者の記述に向けている。著者の脳内感覚として、すでにイメージはイメージでしかなく、イメージでなくてはならず、パニックという言葉は日本では言い表すことが難しい感覚として定着しているように感じた。
ここには、単に日本語をカタカナ言葉に置き換えただけではない内容の変質が見られる。街で見かける2000年代生まれの日本人たちが、異星人と映ってくる一瞬の感覚にたじろぐ思いをする。なぜだろうと思っていたが、数年前のこの著作にすでに染み渡っていたと知った。
「深層」カルロス・ゴーンとの対話
07-05-20-12:02-
『「深層」カルロス・ゴーンとの対話-起訴されれば99%超が有罪になる国で-』発行=小学館2020年 319頁 サイズ=19cm ¥1700 ISBN9784093887656
著者=郷原信郎 (ごうはら のぶお)1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。著書に「検察の正義」「「法令遵守」が日本を滅ぼす」「思考停止社会」など多数。
内容=カルロス・ゴーン氏は、2019年12月に、元特捜検事で、事件当初からこの事件の不当性を主張していた郷原信郎氏のインタビューに応じ、10時間以上にわたって真相を話していた。郷原氏は出国後もレバノンとのテレビ電話で取材を重ね、日産、検察、日本政府の事件への関与について、解説、分析、検証する。新聞記事を始め人物名も明確に挙げて明らかにしている。
目次に続き、主な関係者の一覧・ゴーン事件人物相関図が出ている。
感想=2019年の11月から複数回にわたりインタビューをしていた郷原氏が、最後にゴーン氏と会ったのは12月27日だったという。大晦日に「私は今、レバノンにいる」というニュース。郷原氏は驚いた、とは書いていない、いったい何が起きているのか理解できなかった。とプロローグに書いている。自分自身に対しても緻密で正確で、正直な人だ。いわゆる「ゴーン事件」に私は関心を寄せて、メディアの情報、コメンテーターの文章などの主だったものを集めていた。このファイルをもとに読んでゆく。
なぜ強い関心を寄せたかというわけは、村木厚子事件、佐藤栄佐久事件など、以前の重大事件もフォローしてきている中で、ますます日本の「お上」が疑わしく、正しくなく、いつ何時、無罪の人間を有罪にされるかわかったもんじゃない存在として認めざるをえない段階にあったからだ。無罪であるのに、自白を強要され、周辺の人々も自白を強要されて嘘の自白をしてゆく。そして自殺者を出すのだった、「お上」が。長い年月の末に、ようやく無罪の判決をもらっても、すでに人生のほとんどが潰され切っているのだった。個人的に、誰一人として知らないが、このような悲惨な犠牲者を生み出す「お上」が恐ろしかったし、許せなかった。
この事件もまた、と先入観を持ったために、関心を寄せたのではなかった。突然の劇的な逮捕が目を引いたからだった。それもプライベートジェット機で空港に着いた、その機内での逮捕劇だった。逮捕する側も、される側も、相当長い時間を機内で過ごしたと報道された。縦に並んで飛行機に向かう姿を、何回も眺めた。こんなやり方って、初めて見たと思った。
空港逮捕シーンは、前に一度見ていた。伊藤詩織さん事件だ。飛行機から降り立った犯人を、逮捕状を用意して待ち構えていた「お上」は、犯人を眺めながら見送った。犯人は市中に消えた。びっくりだ。逮捕直前に、逮捕するな、と「お上」の上司「お上」から命令がきたためだった。今回は見逃さずに積極的に捕まえるんだな、と私は感じた。
そのすぐ後で、日産の西川社長が車に乗り込みかけた姿勢で報道の人たちに向かって答えているシーンが映し出された。この西川社長の姿と表情を見、言葉を聞いた瞬間、私は強い疑念を持って情報を集め始めたのだった。
社内の重要人物が逮捕されたのだ、恥であり、深刻な事態だ。しかし西川社長の動きは柔らかく、姿勢は崩れていた。答える表情は軽やかで嬉しそうだった。体内から笑いが溢れてくるような目の細めようで答えていた。
映像文化がしみわたり、だいぶ経つのである。芸人さんが本心とは裏腹な演技顔を提供しても、軽々と見通せるだけの見力をつけてきている一般人だ。誤魔化せるものではない。特に、西川氏やゴーン氏あたりの年齢層を若造と見ることができる年齢層の目からは逃れられはしない。
さあ、どこまでやるか。と私は思った、それも今回は外国の目が注がれるはずだった。
しかし、メディアによってゴーン氏は強欲ゴーンと決めつけられ、その贅沢さと費やすお金の多さから、大悪人として祭り上げられていった。
コメンテーターの中に郷原信郎氏もいたが、バッシングを受ける数が並ではなかった。同感の声が消されるほどだった。ゴーンは悪人でなければ大衆は面白くなかった。巨額のお金と贅沢に対して大衆は嫉妬し、嫉妬を悪とすり替えて、引き摺り下ろしたがっていた。すでに、お金と贅沢自体が罪なのだった。
何が罪なのかは、すでにどうでもよくなっていた。というか、最初から何の罪なのか、何もわからなかったのだ。殺人事件ならわかる。しかし、社内の書類のあれこれでは、理解の外である。私のファイルは量が増えたが、この肝心のことについては、わけがわからないままだった。
ここまでが前置きだ。
読み始めて私は、絶句した。何だって? 機内で逮捕されたのではなかった、というのだ。
このくだりを読んでみてほしい。
映像を信じた私は大間抜けだった。あの、プライベートジェット機へ向かって歩く男たちの姿は、関係もない人々の別のシーンであり、朝日新聞は、承知で騙したのだ。ウソ報道をしたのだ。
しかもフォローした記事で、機内ではだいぶ時間がかかったとも書いたのだ。これらは全部、ウソだった。
郷原氏によるインタビューの中でゴーン氏は、日産は潰れる、とその年まで予言しているが、私は朝日新聞はすでに死んだも同然と言いたい。
さて、本書は難しい。読み通すために大分の時間をかけた。その理由は、前半部分の専門知識を要する内容のところだ。おまけに法務大臣、東京高検検事、次席検事、東京地検、特捜、特捜部検事などなど、字面を目に見てはいても、理解できていないのである。これらを頭に入れ確かめた上で、第5章以下へ進んでゆく。
郷原氏は、いずれにも肩入れをしていない。緻密に正確に、事実を伝えているだけだ。
読み終わって、法律とはなんだろうと改めて考えた。
人質司法は、法律という枠とは関係なく、本当の悪だ。人としての、大きな悪だ。
ゴーン氏は、本当の悪から脱出を試み、成功したのだ。発信力のある映画を製作し、日本でも公開してほしい。
著者=郷原信郎 (ごうはら のぶお)1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。著書に「検察の正義」「「法令遵守」が日本を滅ぼす」「思考停止社会」など多数。
内容=カルロス・ゴーン氏は、2019年12月に、元特捜検事で、事件当初からこの事件の不当性を主張していた郷原信郎氏のインタビューに応じ、10時間以上にわたって真相を話していた。郷原氏は出国後もレバノンとのテレビ電話で取材を重ね、日産、検察、日本政府の事件への関与について、解説、分析、検証する。新聞記事を始め人物名も明確に挙げて明らかにしている。
目次に続き、主な関係者の一覧・ゴーン事件人物相関図が出ている。
感想=2019年の11月から複数回にわたりインタビューをしていた郷原氏が、最後にゴーン氏と会ったのは12月27日だったという。大晦日に「私は今、レバノンにいる」というニュース。郷原氏は驚いた、とは書いていない、いったい何が起きているのか理解できなかった。とプロローグに書いている。自分自身に対しても緻密で正確で、正直な人だ。いわゆる「ゴーン事件」に私は関心を寄せて、メディアの情報、コメンテーターの文章などの主だったものを集めていた。このファイルをもとに読んでゆく。
なぜ強い関心を寄せたかというわけは、村木厚子事件、佐藤栄佐久事件など、以前の重大事件もフォローしてきている中で、ますます日本の「お上」が疑わしく、正しくなく、いつ何時、無罪の人間を有罪にされるかわかったもんじゃない存在として認めざるをえない段階にあったからだ。無罪であるのに、自白を強要され、周辺の人々も自白を強要されて嘘の自白をしてゆく。そして自殺者を出すのだった、「お上」が。長い年月の末に、ようやく無罪の判決をもらっても、すでに人生のほとんどが潰され切っているのだった。個人的に、誰一人として知らないが、このような悲惨な犠牲者を生み出す「お上」が恐ろしかったし、許せなかった。
この事件もまた、と先入観を持ったために、関心を寄せたのではなかった。突然の劇的な逮捕が目を引いたからだった。それもプライベートジェット機で空港に着いた、その機内での逮捕劇だった。逮捕する側も、される側も、相当長い時間を機内で過ごしたと報道された。縦に並んで飛行機に向かう姿を、何回も眺めた。こんなやり方って、初めて見たと思った。
空港逮捕シーンは、前に一度見ていた。伊藤詩織さん事件だ。飛行機から降り立った犯人を、逮捕状を用意して待ち構えていた「お上」は、犯人を眺めながら見送った。犯人は市中に消えた。びっくりだ。逮捕直前に、逮捕するな、と「お上」の上司「お上」から命令がきたためだった。今回は見逃さずに積極的に捕まえるんだな、と私は感じた。
そのすぐ後で、日産の西川社長が車に乗り込みかけた姿勢で報道の人たちに向かって答えているシーンが映し出された。この西川社長の姿と表情を見、言葉を聞いた瞬間、私は強い疑念を持って情報を集め始めたのだった。
社内の重要人物が逮捕されたのだ、恥であり、深刻な事態だ。しかし西川社長の動きは柔らかく、姿勢は崩れていた。答える表情は軽やかで嬉しそうだった。体内から笑いが溢れてくるような目の細めようで答えていた。
映像文化がしみわたり、だいぶ経つのである。芸人さんが本心とは裏腹な演技顔を提供しても、軽々と見通せるだけの見力をつけてきている一般人だ。誤魔化せるものではない。特に、西川氏やゴーン氏あたりの年齢層を若造と見ることができる年齢層の目からは逃れられはしない。
さあ、どこまでやるか。と私は思った、それも今回は外国の目が注がれるはずだった。
しかし、メディアによってゴーン氏は強欲ゴーンと決めつけられ、その贅沢さと費やすお金の多さから、大悪人として祭り上げられていった。
コメンテーターの中に郷原信郎氏もいたが、バッシングを受ける数が並ではなかった。同感の声が消されるほどだった。ゴーンは悪人でなければ大衆は面白くなかった。巨額のお金と贅沢に対して大衆は嫉妬し、嫉妬を悪とすり替えて、引き摺り下ろしたがっていた。すでに、お金と贅沢自体が罪なのだった。
何が罪なのかは、すでにどうでもよくなっていた。というか、最初から何の罪なのか、何もわからなかったのだ。殺人事件ならわかる。しかし、社内の書類のあれこれでは、理解の外である。私のファイルは量が増えたが、この肝心のことについては、わけがわからないままだった。
ここまでが前置きだ。
読み始めて私は、絶句した。何だって? 機内で逮捕されたのではなかった、というのだ。
このくだりを読んでみてほしい。
映像を信じた私は大間抜けだった。あの、プライベートジェット機へ向かって歩く男たちの姿は、関係もない人々の別のシーンであり、朝日新聞は、承知で騙したのだ。ウソ報道をしたのだ。
しかもフォローした記事で、機内ではだいぶ時間がかかったとも書いたのだ。これらは全部、ウソだった。
郷原氏によるインタビューの中でゴーン氏は、日産は潰れる、とその年まで予言しているが、私は朝日新聞はすでに死んだも同然と言いたい。
さて、本書は難しい。読み通すために大分の時間をかけた。その理由は、前半部分の専門知識を要する内容のところだ。おまけに法務大臣、東京高検検事、次席検事、東京地検、特捜、特捜部検事などなど、字面を目に見てはいても、理解できていないのである。これらを頭に入れ確かめた上で、第5章以下へ進んでゆく。
郷原氏は、いずれにも肩入れをしていない。緻密に正確に、事実を伝えているだけだ。
読み終わって、法律とはなんだろうと改めて考えた。
人質司法は、法律という枠とは関係なく、本当の悪だ。人としての、大きな悪だ。
ゴーン氏は、本当の悪から脱出を試み、成功したのだ。発信力のある映画を製作し、日本でも公開してほしい。