文房 夢類
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文房 夢類

モノから見たアイヌ文化史

モノから見たアイヌ文化史』著者=関根達人(せきねたつと)発行=吉川弘文館2016年¥1900サイズ=19cm194頁ISBN978464208295
著者=1965年埼玉生まれ東北大学大学院中退。弘前大学人文社会・教育学系教授。同大学北日本考古学研究センター長。
内容=著者の博士論文である『中近世の蝦夷地と北方交易』(吉川弘文館2014)をベースにしている。この著作が第6回日本考古学協会賞・大賞に選ばれたことをきっかけに、一般向けに書き直したもの。モノを追うことで17世紀以前は記録がないアイヌ文化について調べてゆく。
感想=近年、アイヌ民族やアイヌ文化への関心が高まり、一般向けの出版物も増えた。が、そのほとんどは、明治以降の北海道開拓の中で培われてきたアイヌ史に対する反動から、ことさらにアイヌの人々の主体性や文化の独自性を強調して「日本史」や「日本文化」との差異が語られている。
著者が不満とするのはこの辺のことだ。私は、アメリカ先住民に関する書籍も同様の傾向を持っていると感じている。
文字を持たないアイヌ民族は、自分自身の手による記録を持たない。17世紀以降は和人による記録が、それ自体を目的としたものではないにしても、散見されるようになるのだが。故にモノがモノを言う世界なのだ。
「あとがき」に著者は、このような歴史研究の方法を刑事にたとえている。事情聴取、現場での聞き込み、現場検証、押収された物的証拠を吟味する鑑識など。読んでゆくと、まさに刑事さんだったので笑ってしまった。
アイヌが大好きだったガラス玉。中国人は玉(ぎょく)を珍重し、ガラス玉は代替品であった。中国のガラス玉をアイヌは愛した。また、それを真似た和人作のガラス玉も持っていた。しかし、それだけではなかった、ヴェネチアングラスも発見された。世界中のガラス玉が集まっていることがわかったという。
このガラス玉ひとつをとってみても、アイヌが日本だけではなく北のロシア、中国も日本経由だけでなく、内陸を通ってロシア経由で中国のモノがアイヌの手に渡っていることが見えてくる。
貝塚を発掘したら、米国製の金ボタンが見つかった。このあたりの探索になると面白くてやめられない。まさにブツが語るのだ。
時代を追って進む記述には、もちろんシャクシャインの事件も記されている。しかし著者は、松前藩とアイヌたちの、この抗争について「シャクシャインは謀略により殺された」と記すのみである。また納沙布岬に建つ記念碑についても、物足りぬほどに淡々と記している。
私は、このあたりの事件について様々な書き手の記録を読んできた故だろうか、事実のみを省略気味に記す行間に、弱者、後発者、文字を知らぬ者に対する虐待と収奪の理不尽さへの怒りが詰まっているように感じた。
著者の視野は広く、既成のアイヌ史の枠を超えて、アイヌ考古学と中世・近世考古学を融合させ、日本、中国、ロシアを丸ごとすくい取った中にアイヌ文化を置いてみせる。
この広域世界には、経済活動に伴うモノの動きがあり、日本製品の蝦夷地進出が、アイヌ民族の自律性を奪ってゆく姿、政治的な内国化に先立って、蝦夷地が日本国内経済圏に組み込まれてゆく姿が鮮やかに見えてくる。
改めてモノの怖さを思った。
また、アイヌが貨幣を信ずることができず、モノとの交換でなければ納得できなかった、その心の奥も、こうした研究の成果として理解し、読者に手渡してくれている。



語り遺す戦場のリアル

語り遺す戦場のリアル』著者=共同通信「戦争証言」取材班 発行=岩波書店 2016年¥660 94頁 21cm 岩波ブックレットNo.954 ISBN9784002709543
著者=20〜30代を中心に50人の記者が担当。代表者の阿部拓郎は1971年生まれ。日向一宇は1972年生まれの記者。
内容=取材当時76〜106歳の67人の体験者の言葉。
感想=「はじめに」として見開きで書かれている言葉が、取材を終えて胸に畳み込んだ67人の心を背負い、気迫と感激に満ちている。
戦後80年の節目には、もう話を聞くことはかなわない、という思いで取材した、と記している。
67人というと、当時の国民学校の1クラスの人数だ。老いた67人は普段、普通にご飯を食べたりお茶を飲んだりテレビに目をやったりして過ごしていることだろう。明日は整形外科に行く日だ、というような予定を口にしても、あの頃のことは自分自身にも見えない、聞こえない、金庫みたいな堅く重い箱の中に封印しているのではないか。私自身が76〜106の真ん中くらいにいる年齢なので、そう思うのである。
1971年生まれという若い記者さんが、突然目の前に現れたからといって、待ってました、と口を開いたとは思えない。戦争直後は、あれこれ頭を動かしている暇はなかった、10年経って、戦後じゃない、という人が現れ始めた時は、聞こえない顔をしていたものだ。思い出したくもなかった20年後も、30年後も沈黙だった。もしも尋ねられたとしても、多分ごまかしたことだろう、さあね、知らない、とか言って。
こうして長いあいだ心の地獄に潜んでいた「あの時」が取材記者の熱意によって開かれた。もしかすると、記者さんの熱意だけでなく、ここまでの時間が必要だったのかもしれない。
ようやく、今なら言えるかもしれない、そんな気持ちにようやくたどり着いた人もいるのではないか。
第1部は「海外の戦場で」第2部は「戦場となった日本」。
ここに、このような内容なのですよ、と記す力はない。耐えられない。
黙って読み終えて「もう、重い荷を降ろしても大丈夫なんだ」という安心感に包まれた。
真っ当に戦争と平和に向き合い、未来を愛する世代が後に続いているんだ、という安心感である。


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