文房 夢類
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文房 夢類
February 2016

東京が壊滅する日

東京が壊滅する日』副題=フクシマと日本の運命 著者=広瀬隆(ひろせ たかし)発行=ダイヤモンド社2015年¥1600 350頁19cm ISBN9784478066768
著者=1943年東京生まれ ノンフィクション作家。1971年のスリーマイル島原子力発電所事故以来、反原発の声を上げ続けている。
内容=日本人の体内で内部被曝の影響が長期間をかけて進行し続けている現実に目を向ける。政府・東電などの情報隠蔽行為とその害について。自然界の地形が及ぼす影響について。ウラン産業と原爆が関係組織にもたらす巨額について。産業界のおぞましい人体実験について。ソ連とアメリカの水面下の癒着について。巨悪の本丸IAEAの正体とは。日本の原発から全世界へ流出する原爆の材料について。これらについて、マンハッタン計画が誕生した頃からの歩みを辿りつつ、現実を直視している。
感想=特定秘密保護法が、フクシマ、原発問題に深く関与し、最も知る必要がある国民に目隠しをする法律となっているのだ、と改めて深刻な危険を感じた。3・11以来、勉強を続けてきたゆえに、本書には周知の事柄も含まれている。が、これらは繰り返し語る必要がある。広瀬氏はいま現在の日本列島を基点として、全世界の過去から現在までを検証、未来を見通そうとしている。その視野は広く深い。222頁に「ここからが本書の重要な点である」と太字で記している。この第7章から終わりまでは目が離せない。読むにつれて沸々と怒りが湧く。広瀬氏が全身の力を傾けて、普通の人々を案じている、その気迫が伝わってくる。
さあ、これからどうなるんだ、日本は、世界は?
下り道しか見えてこない、暗澹とする。逃げるか? 黙るか?目を背けるか?
凶悪犯人が町の中で暴力を振るっているのをみつけたときに、一般人がどうしたらよいか、という本を読んだことがある。決して単独で止めに入ってはいけない。かといって逃げてはいけない。じゃあ、どうすればよいか。それは、武器を持たず、腕力もない普通の人たちが皆で遠巻きにして指さし、非難の声をあげることだと書いてあった。銃社会のアメリカの本だ。
いま、私たちの先頭に立って声を挙げてくれているひとりが、広瀬隆だ。まわりに集まり、指をさし、非難し続けようと思う。そうしないと日本政府は、10年後20年後30年後にガンを発症する人たちを、関係ない、と無視するに違いない。ひとりひとりの怒りは微力なものだが、散逸させ、埋もれさせてはいけないと、つくづく感じた。

植物は知性をもっている

植物は知性をもっている』副題=20の感覚で思考する生命システム原題=VERDE BRILLANTE 著者=Stefano Mancusoステファノ・マンク-ゾ &Alessandra Violaアレッサンドラ・ヴィオラ 訳=久保耕司 (くぼ・こうじ)発行2015年NHK出版 ISBN9784140816912
著者=S.Mancuso イタリア・フィレンツェ大学農学部教授2012年の「私たちの生活を変えるにちがいない20人のイタリア人」のひとりに選ばれた。
A.Viola 科学ジャーナリスト
内容=人間を常識の基礎に置いて扱ってきた植物を、このワクを取り払った科学的に観察、考察する。植物が持つ能力が、どれほどのものかが示されてゆくが、それは驚異的なものだった。植物が五感どころか、ヒトが持たないセンサーをも備えている驚異的な生き物であることが示される。植物の根が音を振動としてとらえていること、磁場・圧力・重力・温度・湿度・光・酸素、二酸化炭素の有無などから化学物質や有毒物質(重金属)の有無も検知できていることを知ると唖然とするばかりだ。地球を支配し、はびこっているのはヒトだと思っていたが、王者は植物だった。しかも人間が知っている植物種は全体の5〜10%にすぎず、このわずかな種の中から医薬品の全成分の95%が抽出されているという。
あまりの奥深さに気が遠くなりそうになったが、まずは、手近な植木からつきあい方を変えようと思った。

ボタン穴から見た戦争

ボタン穴から見た戦争Последние свидетели 1985 著者=スベトラーナ・アレクシエービッチSvetlana Alexievich 訳=三浦みどり 発行=群像社 2000 ISBN905821797 P3042000
著者=『チェルノブイリの祈り』参考
内容=3歳から11歳の白ロシアの子供たちが1985年、彼らの記憶を語る。
感想=1941年に戦争が始まったとき、ほんの子供だった101人の人たちが今、生き延びていて、アレクシェーヴィチに、子供の時に刻まれた傷を見せた。いまは、さまざまな職に就いている人たちだ。
著者の「はじめに」の一節を紹介します。
「誰がこの本の主人公なのか、という質問にはこう答えましょう。[焼き尽くされ、一斉射撃を浴びた子供時代、爆弾や弾丸、飢餓や恐怖、父親を失うことによっても、死に追いやられたあの子供時代です]と。参考までに白ロシアの孤児院には1945年には2万6千人の孤児がいました。別の数字もあります。第二次世界大戦で1300万人の子供が死んでいます。そのうち何人がロシアの子供たちで何人が白ロシアの子供たちか、ポーランドの子供やフランスの子供は何人だったか、誰が言えるでしょう? 世界の住人である子供たちが亡くなったのです」
映像として音声として、脳の奥底に刻まれている戦争のことは、滅多なことでは他者に洩らすことはない、のではない、言えないのだ。言葉になんか出来はしないのだ。閉じ込められている恐怖、苦悩、目の前の死として見た母の姿をどうやっていま現在の、戦争のセの字も思わない平和な笑顔たちの前に披露できるだろう? 
アレクシェーヴィチは、この固い扉を、どうやって叩き、開いて貰えたのだろう? このことに驚嘆した。
お母さんとお姉さんが乗った列車が動き出した、走り出した、ちいさなワーリャは矢車草の花を摘んでいて乗り遅れた。追う、走る、この子の髪は白髪になった。このエピソード「私たちで生き証人は終わりです」で、この本は終わる。原題は『最後の生き証人』

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