August 2021
戦争孤児たちの戦後史
22-08-21-08:50-
『戦争孤児たちの戦後史』全3巻1_総集編 2_西日本編 3_東日本・満州編 編者=浅井春夫(あさい はるお)・川満 彰(かわみつ あきら)・平井美津子(ひらい みつこ)・本庄 豊(ほんじょう ゆたか)・水野貴代志(みずの きよし) 発行=吉川弘文館 2020年 ¥@2200 ISBN9784642068574
総集編 執筆者 浅井春夫・片岡志保(かたおか しほ)・山田勝美(やまだ かつみ)・艮 香織(うしとら かおり)・藤井常文(ふじい つねぶみ)・本庄豊・金田茉莉(かねだ まり)・川満彰・上田誠二(うえだ せいじ)・水野貴代志・平井美津子・結城俊哉(ゆうき としや)・石原昌家(いしはら まさいえ)・酒本知美(さかもと ともみ)
内容=「戦争孤児たちの戦後史研究会」という会が2016年11月に発足、3年数ヶ月間の集団的研究の成果として、3巻にまとめて発行した。「刊行のことば」には、これまで用いられてきた「戦災孤児」を「戦争孤児」といい改めて、戦争政策による犠牲者であるという本質を表す用語として使った、とある。
戦後、長い闇の中にあった戦争孤児問題に、ごく最近になってのことだが、注目が集まり、書籍が刊行され始めた。本書は、これまでの戦争孤児研究の到達点と課題を整理して、今後の研究を展開する転換点にしたいという意欲を持っている。この先、本格的な研究が展開されることを望んでの、出発点として記されたもの。
感想=ついに水面に現われたか、という待ち望んでいた本格的な研究だ。これから丁寧にゆっくり読んでゆく。感想を追加してゆく形で進めるつもり。執筆者たちは、敗戦後に生まれ育った人たちがほとんどだ。このことも興味ある点の一つ。私は、あの、上野の地下道に集まった子たちと同世代だ。当時は情報が少なく、むしろ口伝えに広まってくる「噂」が重要な情報だった。悲惨な食糧難の東京暮らしの中で、両親のいることのありがたさを思い、同時に、あの子達はどうしているだろうと気がかりだった気持ちは今も抱えているのだから、この研究を手掛けて下さった方々に対して、とにかく感謝が先に立っている。
第1章の冒頭で、編者の浅井春夫氏(1951年生まれ・日本福祉大学大学院社会福祉学研究科博士課程前期終了・立教大学名誉教授)が書いていることが、まず目に入った。
それは「聞き取り調査」をしている時に、体験者が記憶の底にしまってある’痛み’に、無自覚なままに土足で踏み入れてしまうことがあった。私たちが踏み込めない、踏み込んではいけない戦争孤児たちの戦後史を肌で感じることが幾度となくあった。という述懐である。
総集編執筆の14名の方々が皆、真摯な心で、工夫を凝らしながら、埋もれている記憶を発掘し、後世に役立てようとしている様子が伝わってくる。
しかし、この力作を読みながら、改めて物語の力を噛み締めている。「物」が語る力。物に依って物に触れながら言葉で語られる内容の、力強さを思う。「物」には、文字も含まれる、手書きの文字には、記されている内容の他に、感情、体調など様々なものが含まれている。書いた人の性質もわかる。
もう一つ、わが事として思うことは、記憶ほど流動的なものはない、記憶ほど変化するものはない、記憶ほど我が身をかばうものはない、ということだ。辛い人生航路であればあるほど、自分が自分をいたわりたいという気持ちがあるものだ。いたわる方法のなかで最も効果のあるものは、忘れてしまうことだ、封印することだ、あるいは、作った過去を事実と思い込むことだ。戦争の渦中ではなく、平和な社会の片隅でも、自分だけが被った悲惨な出来事に対して無数の人たちが知らずに行ってきている、これは解毒剤だ。
他者の深い傷跡を見せて欲しい、語って欲しいと願う者は、通り一遍の量産品を見せられて終わるか、撥ねつけられて退散するかだろう。この解毒剤を常用している者達から、いったい、どれほどの事実を引き出せるのか。さらに言うと、自分自身に対しても蓋をしている過去の記憶というものは、溶解し、消滅したわけではない、厳然として身の内にとどまっているわけで、それは、ある時、突然不用意に目の前にやってきた現実の一場面とショートして火花を散らせ、一瞬の内に合体して実体として見えてしまう。再現されるとすれば、唯一このような場面であり、本人にも、どうすることもできない事故のような形で現れるのだと思う。他人のテクニックなどによって開かれる扉ではない。
総集編 執筆者 浅井春夫・片岡志保(かたおか しほ)・山田勝美(やまだ かつみ)・艮 香織(うしとら かおり)・藤井常文(ふじい つねぶみ)・本庄豊・金田茉莉(かねだ まり)・川満彰・上田誠二(うえだ せいじ)・水野貴代志・平井美津子・結城俊哉(ゆうき としや)・石原昌家(いしはら まさいえ)・酒本知美(さかもと ともみ)
内容=「戦争孤児たちの戦後史研究会」という会が2016年11月に発足、3年数ヶ月間の集団的研究の成果として、3巻にまとめて発行した。「刊行のことば」には、これまで用いられてきた「戦災孤児」を「戦争孤児」といい改めて、戦争政策による犠牲者であるという本質を表す用語として使った、とある。
戦後、長い闇の中にあった戦争孤児問題に、ごく最近になってのことだが、注目が集まり、書籍が刊行され始めた。本書は、これまでの戦争孤児研究の到達点と課題を整理して、今後の研究を展開する転換点にしたいという意欲を持っている。この先、本格的な研究が展開されることを望んでの、出発点として記されたもの。
感想=ついに水面に現われたか、という待ち望んでいた本格的な研究だ。これから丁寧にゆっくり読んでゆく。感想を追加してゆく形で進めるつもり。執筆者たちは、敗戦後に生まれ育った人たちがほとんどだ。このことも興味ある点の一つ。私は、あの、上野の地下道に集まった子たちと同世代だ。当時は情報が少なく、むしろ口伝えに広まってくる「噂」が重要な情報だった。悲惨な食糧難の東京暮らしの中で、両親のいることのありがたさを思い、同時に、あの子達はどうしているだろうと気がかりだった気持ちは今も抱えているのだから、この研究を手掛けて下さった方々に対して、とにかく感謝が先に立っている。
第1章の冒頭で、編者の浅井春夫氏(1951年生まれ・日本福祉大学大学院社会福祉学研究科博士課程前期終了・立教大学名誉教授)が書いていることが、まず目に入った。
それは「聞き取り調査」をしている時に、体験者が記憶の底にしまってある’痛み’に、無自覚なままに土足で踏み入れてしまうことがあった。私たちが踏み込めない、踏み込んではいけない戦争孤児たちの戦後史を肌で感じることが幾度となくあった。という述懐である。
総集編執筆の14名の方々が皆、真摯な心で、工夫を凝らしながら、埋もれている記憶を発掘し、後世に役立てようとしている様子が伝わってくる。
しかし、この力作を読みながら、改めて物語の力を噛み締めている。「物」が語る力。物に依って物に触れながら言葉で語られる内容の、力強さを思う。「物」には、文字も含まれる、手書きの文字には、記されている内容の他に、感情、体調など様々なものが含まれている。書いた人の性質もわかる。
もう一つ、わが事として思うことは、記憶ほど流動的なものはない、記憶ほど変化するものはない、記憶ほど我が身をかばうものはない、ということだ。辛い人生航路であればあるほど、自分が自分をいたわりたいという気持ちがあるものだ。いたわる方法のなかで最も効果のあるものは、忘れてしまうことだ、封印することだ、あるいは、作った過去を事実と思い込むことだ。戦争の渦中ではなく、平和な社会の片隅でも、自分だけが被った悲惨な出来事に対して無数の人たちが知らずに行ってきている、これは解毒剤だ。
他者の深い傷跡を見せて欲しい、語って欲しいと願う者は、通り一遍の量産品を見せられて終わるか、撥ねつけられて退散するかだろう。この解毒剤を常用している者達から、いったい、どれほどの事実を引き出せるのか。さらに言うと、自分自身に対しても蓋をしている過去の記憶というものは、溶解し、消滅したわけではない、厳然として身の内にとどまっているわけで、それは、ある時、突然不用意に目の前にやってきた現実の一場面とショートして火花を散らせ、一瞬の内に合体して実体として見えてしまう。再現されるとすれば、唯一このような場面であり、本人にも、どうすることもできない事故のような形で現れるのだと思う。他人のテクニックなどによって開かれる扉ではない。