文房 夢類
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文房 夢類

ヨコハマ買い出し紀行

ヨコハマ買い出し紀行』全10巻著者=芦奈野ひとし発行=講談社2009年〜2010年サイズ=128X182mm@¥638ISBN9784063106718
著者=あしなのひとし1963年生まれ神奈川県横須賀出身漫画家。本作が四季賞受賞、デビューした。12年間にわたり連載し、2006年に完結。代表作。
内容=神奈川県横須賀あたりを舞台とした近未来。温暖化の影響だろうか、横須賀は海の底に沈み、見渡す限り廃墟と化している。かわいい女の子、アルファは、ポツンと一軒あるコーヒーショップで、たった一人で店番をしている。オーナーは見えない。客は1週間に一人、あるかないか。スクーターを持っていて、買い物に行ったりする。近所の爺さんがやってきたりする。町は場面に現れないが、まだ多少の人々は生活しているらしい。ガソリンもあるし、爺さんは軽トラを持っている。
肝心なことは、主人公アルファさんがアンドロイドであることだ。人間と見分けがつかない、豊かな感情を持っている。しかし歳をとることのない機械だ。 A7量産試作機M2の3体のうちの「ひとり」。
感想=かつて整備された高速道路や高層建築は、いまや全く使われていない。道路の隙間から雑草が伸びて、海面は今も上昇を続けている。時々崖が崩れて海に沈む。まるで音のない世界に見えるが、それは逆に、今、我々がいかに雑多な人工の音にまみれて生活しているかを思い知らされる。人工の音がない。聞こえるのは侵食されつつある崖の崩落の音。風の流れる音。
ほとんど客のないコーヒーショップに現れる人やアンドロイドとアルファの物語。近未来かと見ているとジュラ紀の飛竜のようなものも現れる。また幻想のようにミサゴという名の美女の妖怪が現れる。飛ぶ魚を操る男が現れる。アルファさんは、オーナーが残していった月琴を弾く。絵が綺麗だ。
内容を伝えたいが、ない。切れ切れの場面に横浜界隈の年寄りの言葉と、若い娘のアルファの言葉が重なり合い、柔らかい感情がたゆたう。ここには対立や敵対がない。あるのは、ゆっくりと流れる「時」。徐々に海面が増えてゆく。
これは若い人のデビュー作で、同時に彼の代表作だ。
漫画家としてやっていきたいが先は闇。そういう状態の時に、自分が育ち、今も住んでいる横須賀を舞台として描いた近未来、そして孤独な自分の姿を、週に一人くらいしか客の来ない喫茶店の店員、アルファさんに重ねた作品である。アルファさんが食べる必要がないアンドロイドだ、という設定は、もしかすると作者は食べるだけは食べていける境遇だったのではないか。例えば親がかりだったとか。
横須賀は、この仮構世界では海底に没している。描かれる都市廃墟、それは道路が主なものだが、生々しい現実感を漂わせている。そしてアルファさんを取り巻く緩慢な時の流れ。これが受け取れることで、傑作と言っていいと思う。作者の心象風景かと見えて、迫ってくる力がある。
今文芸同人誌で書いている人たちには「思い」はあっても、架空世界を構築する体力も能力もない。まして架空世界に必死の自己を投入した人物を立ち上げるだけの技量がないばかりか、目指そうとする意欲もない。「思い」だけが浮遊霊のように頁間を漂う。
せめて技術を磨けと言っても、ふん、俺は俺の好きなようにするだけさ、と嘯くばかりである。
やはり、当然の現象である。遠い先のことだろうが、漫画がノーベル賞級に育つことは目に見えている。
漫画同人誌の大群衆がビッグサイトに集まる一方、閑古鳥の声すら聞こえぬ文芸同人誌は、これは私の願いが入るのだが、大きな使命、第二次世界大戦の経験者として文章化する使命、これを抱えていながら、ツールを揃え、ツールを磨く、そして駆使する。このことに限りなく怠慢だと思う。
文芸同人誌よ、消え失せろ。アルファさんのような店だが、それでも私の店は続ける。

チロヌップのきつね

チロヌップのきつね』著者=たかはしひろゆき発行=金の星社1972年サイズ=24cm48頁ISBN9784323002316¥1296 
著者=高橋宏幸1923~2010秋田県出身。児童文学者・挿絵画家。小峰書店初代編集長・日本児童文芸家協会理事長を務めた。
内容=北海道地方の小島に棲むきつねの母子と、夏の間だけ昆布取りに来る老夫婦との関わりと密猟の罠の物語。
全国学校図書館協議会選定必読図書。少し詳しく書くと、北の小島に昆布取りに通う老夫婦が、迷い子狐と思い舟に乗せて連れ帰り可愛がる。次の季節に、赤いリボンを結んで島に戻してやると、子狐は母の元へ帰った。戦争が始まり、島に兵隊が上陸する。鉄砲の音がする。狐たちは逃げ惑い父狐は帰ってこなかった。残された母子の狐。子狐が罠にかかってしまう。母狐が餌を運んで養う。やがて戦争が終わり、老夫婦が島に来てみると罠のそばに子狐に結んでやった赤いリボンのような花が咲いていた。
感想=この絵本の見返しに、著者が、こう書いている。「この作品は、著者の戦時中の強烈な実体験を元に書いた創作である。単に狐の親子の愛情の強さだけでなく、さらに深く、大きなものを汲み取ってもらいたい」。
非常に評価の高い絵本。金の星社は、私が大好きな出版社だ。
昆布を広げて干す風景、寒風の原野。見事な絵である。狐の姿態の美しいこと、可愛いこと。素晴らしい絵本だ。
著者が青年兵として、この島のモデルとなった島へきた時に見た風景が心に焼きつき、後年、狐を主人公に作り上げたという、その思いが伝わってきた。実際、その島にはお地蔵さんが立っていたそうだ。
罠にかかった子狐を養う母狐、死んだ狐に対する哀れさが読むものの心を打つ。
ところで、この絵本は狐に服を着せて、人間の言葉を喋らせる造りではない。自然の中の、ありのままの老夫婦、野生の狐、姿は見えないが戦時中の兵士である。
私は、こうした作品の場合、天然自然を歪めてはいけないと考える。老夫婦が、迷子と思った子狐を小舟に乗せて連れ帰り、面倒を見て次の季節に赤いリボンを首輪にして再び島に戻してやっている。その時、子が母のところへ走って行くのだ。野生動物が、人のにおいの染み込んだ子を受け入れるだろうか。有り得ない話だ。子供向けであるからこそ、まっとうな作りにすべきだ。
狐と兵隊の関係がわからない。軍の命令で上陸した兵隊たちは、なぜ発砲するのだろう。演習なのか、敵がいるのか不明だ。兵隊の姿を察知した狐たちが、へんなにおい、にんげんのにおいだ! と警戒の声を上げている。老夫婦の臭いが染み付いた子狐を受け入れ、一方、このように警戒するのか。矛盾している。
罠にかかった狐の悲劇。では罠を仕掛けたのは誰か。解説では、この島では密猟者が罠猟をしているとあるが、毛皮を目的とする密猟者が仕掛けた罠を放置するはずがない。あっちにも、こっちにも矛盾が見られる。お地蔵様が描かれているが、一言もない。年配の読者は、地藏菩薩の由来を放置できない。絵本は、かならず大人の目にも触れるのだ。
首に結んだ赤いリボンが、涙を誘う小道具に使われているが、これも問題がある。ひっかかって危険だから、猫の首輪も、引いたら外れるフックがあるし、外猫には首輪をつけるな、と言われている。
これは破綻した失敗作ということにならないか。創作するということは、事実を超えた真実を伝えようとする行為だ。事実から飛翔して真実を目指す。思い切った創作は素晴らしいが、動かしてはならない自然は大切にしたい。
狐の習性を無視し、赤いリボンで涙を要求し、兵隊の存在を不明瞭なものとし、直視すべき密猟者は影も形もない有様だ。宙に浮いた地蔵様は立ち往生だ。
本書は子供に読ませるのではなく、創作を学ぶ場合のテキストとして使うと有益だと思った。
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