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中曽根さんが亡くなられた

戦後の総理大臣の一人、中曽根康弘さんが101歳で亡くなられた。何の病で、とは語らない報道。報道だけではない、すべての人々が同じ思いだろう。
私が中曽根さんの名前を覚えたのはNHKラジオ番組「街頭録音」の時間でだった。中学生の頃に聞いていたが、長寿番組だったから高校生の頃も聞いていたかもしれない。
東京の街かどに立つ政治家と、街の普通の人々が議論を戦わせる番組だった。その政治家側の人の中に、度々現れ、ひときわ明快で、順序立てた論理と、はっきりとした大声の男性がいた。
この人が現れると一所懸命に耳を傾け、そのうちに名前を覚えたのだ。中曽根康弘という名前だった。多分、30歳前後の頃だったろう。
一生、政の世界で力を尽くされた方だ。拍手で送ろう。拍手に混じり鞭音も聞こえるが、これこそ、ご本人が言うところの歴史の法廷で被告席に立ってもらうということでしょうか。
追記 12月8日に書き足そうとしている。15歳前後だった「街頭録音」時代を振り返っている。当時の中曽根さんは、街頭録音の場で弁舌力を鍛えていたに違いない。彼の爽やかで明快な、淀みのない発言は、まさしく論戦だった。
論法の手順が、私の父親のものと同じだった、と今は言葉としてつかむことができる。それは当時の知識人が持つ、論敵を論じ倒すという目的に向かって進める意識だ。議論を始めたら、自分が勝たなければ気が済まないのである。
たとえばカラスがワンと鳴くと論じ始めたならば、事実はどうであれ相手を論じ倒す。その場で相手が反駁できず、屈服することが勝利の印となる。
何年か経ち、今度は自分の立場がカラスはカーと鳴くという論陣に与していたならば、ここでも晴れやかに論じ倒すのである。遊びならともかく、実生活でこれをやられたらたまらない。胸中の反駁心は消えるどころか増す一方である。
国のため、会社のため、家族のためだと心底信じ切っている善意の指導者がこれを用いたときの足跡と、周辺に及ぼした影響を辿ってみようではないか。雪隠詰めにあった相手は反駁不能なのである。
アフガニスタンで弱きもの、小さき人々のために力を尽くした中村哲さん、身体のすべて、時間の全てを投入され、コツコツと水と緑を手渡し続けてきた中村哲さんがテロの銃弾に倒れた。
言葉に頼らぬ行動の力に目がくらむ思いがする。心から中村哲医師の死を悼む。彼は死んだのか? 死んではいない。12月4日以後も、今までにも増す輝きを放ちながら皆の心に生き続ける。
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今秋の気温は

早朝の気温、つまり1日のうちで最も気温が低くなる時間帯の気温が、ようやく5℃に近づいてきた。
季節が移る時、去年の今頃は? と振り返るが、10年前は、50年前、100年前は? とは振り返りたくとも手がかりがなかった。
今は違う、googleに地域名と「初霜」と入れてクリック、瞬間現れた初霜一覧表には、1876年(明治10年)から今年までの初霜と終霜の年月日が出ていた。気象庁天気相談所作成の優れものである。
去年の東京の初霜は12月16日と出ている。12月に入っての初霜が記録されているのは、21世紀に入ってからは19年間のうちで16回、残る3回は1月に初霜を観測していることがわかった。
ところが1876年(明治10年)から1940年までの64年間を見ると12月に初霜の年は皆無で、ほとんどは11月で、それも初旬が多い。20%程度が10月の初霜だった。
実はビオトープに浮かんでいるホテイモという水草が、今も青々としているので、おかしいなあ、普通だったら枯れているはずなのに、と思って調べた次第。
気のせいではなく、年々、気温は上がってきているのだった。

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菊の季節

菊の季節がやってきた。台風で横倒しにされたままの姿で頭をもたげて咲いた小菊が笑っている。
「笑う」を「咲く」としても同じ顔。咲くも「わらう」と読める文字だから、今書いた一行を「頭をもたげて笑っている小菊が」としても同じ意味合いなのではないかしら。

昨日は神保町に行った。明治大学で開かれている公開講座の一つを聴講するためで、一コマ90分を50人前後の聴講者とともに教室で過ごした。
この5回シリーズの「神保町150年ものがたり」に出席している理由は、企画した講師の先生方と親しい先輩の身代わりなので、自分の希望で出席しているわけではない。
最前列に陣取っていると、後ろの席の女性が言った、目が悪いので、こうして前の席にいるんですよ。あら、私は耳なのよ。
高齢者の多い講座は、熱心さではない、必要性から席を選んでいる。
先輩は、出席したくてたまらないのだが、不如意な膝のために足止めを食らっているのである。

家を出る前に、というより早朝の座禅が終わり「みんな」に新しい水を捧げ、供花の水を取り替え手を合わせる、その時に伝える、
「今日は、どこそこに行きます。一緒に行きましょう」
日によっては「窓ガラスと網戸を綺麗にします。一緒に働きましょう」
目が不自由、耳が不自由。体が見えなくなったのも、不自由の一種。
あの世に去った人たちは、こっちが覚えていて話しかけ、相談事を持ちかけなどしている間は、共に生きている。
人たち、と書いたが実は、人間だけではない、犬も猫も、付き合った相手は皆一緒、分け隔ては一切ない。

駿河台に出て靖国通りを新宿へ向かって歩いた。俎橋を渡り、靖国神社を右手に九段坂を越える。
この先に新宿歴史博物館があるのだが、一口坂で16時を過ぎてしまい断念、市ヶ谷から地下鉄で帰宅した。
おかげで朝寝坊をして太陽が昇ってからの座禅となった。太陽は、驚くべき速さで南に移動しつつあった。
庭に出て小菊を手折り、部屋に招き入れる。金気を嫌う菊にハサミは使わない、手折られて菊は、かすかな香りとともに咲う。
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月の季節

荒天が続いたにもかかわらず月の姿の切れ味の良いことは格別で、三日月の凄みに触れることができた。
夜明け前の無風の2階庭で座禅。濃紺の天に光る星数が、この秋にきて確かに多い。
犬猫の加齢速度は、人間の年齢に換算すると、年に4歳年をとってゆく計算になるという。それは春夏秋冬それぞれに1歳ずつ年をとるということだ。
生後1年で人間の18歳と同じレベルになる猫、その後は人が年に1歳加齢するところを4歳年をとってゆく。
5歳半になった富士は、この計算で行くと人間の38歳ということになる。知識は増えて判断力もつき、身体は敏捷で柔軟、健康そのもので食べる楽しみに浸っている。
それでは人間は365日で必ず1歳加齢するのだろうか? 最近、そうじゃないような気がしている。
80歳台に乗ってから加齢に加速度がついてきたように感じている。この感覚は、果たして私だけのものだろうか。
1年に1歳ではなく、富士猫のように春に1歳、夏に1歳……。
生き物の測り方は、寿命に限らず、物差しや時計では間尺が合わないのでは?
今夜も明日も晴れるという、真夏の4時の暗さが、今の5時過ぎと同じだ、冬至の頃には6時過ぎて夜が明ける。
天体も生き物も、動き巡るゆえに安定していられる、独楽のように。
3年の寿命をもらっているメダカたちが命の循環を如実に見せてくれるお陰もあり、人の寿命も個人で完結するものではない循環の生命の一環だと実感できることはありがたい。
座禅の間は息に随うのみで思うことをしないが、日に一回でも座禅をすると、まるでパソコンに再起動をかけたように脳内に爽やかな風が吹き入り活性化する。
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即位礼正殿の儀 感想

2019年10月22日午後1時より天皇即位の儀式「即位礼正殿の儀」が行われ、テレビの中継を見終わったところです。その直後の感想で、他の人々の感想は知りません。
天皇は正面を向いて直立しておられた。しかし頭が傾いていた。背骨から頭頂へ、一本筋が通っていなかった。体幹を鍛える運動をし、備えて欲しかった。
もう一つ感じたことは、御言葉の中に「寄り添いながら」とあった。これは以前にも使っていらした表現であり、一般人が日頃言い習わしている流行の「言い回し」である。
この瞬間だけのための、天皇しか思いつくことのできない深い表現を絞り出して欲しかった。
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禅寺丸が倒れた

昨日、新百合ケ丘駅前にある麻生区合同庁舎へ行った。正面広場の一角に植え込みがあり、ここに「麻生区の木」の肩書きをもらっている「禅寺丸柿」という種類の柿の木が植えられている。その由来を記した碑も作られた。ちなみに麻生区の花は百合です。
びっくりした、大切な禅寺丸が根こそぎ倒れているではないか。すでに葉は水気を失い、枝から離れる力もない。むき出しになった樹の根が痛々しい。濡れた土が周りに盛り上がり、風除けの太い支柱も横倒しだ。この樹は山の一本杉のような場所に植えられたものではない。区役所と図書館を結ぶ陸橋のそばの回り階段を背負う場所であるから安全地帯のはずだ。

こんなところを烈風が襲うとは。風は通り道を持っている、と私は感じていて、私の住居のある一帯は、不運なことに北面の丘陵地帯から吹き下ろす北風が大手を振って通り抜ける。しかし駅前は違うはずだ。しかも今回の台風の風向きは東、南、そして西へと移動している。なぜ禅寺丸が支柱もろとも倒れるに至ったのか。根の具合を見たところ、老木ではあったが。
駅の周辺は近年、高層ビルが次々に建てられて、まるで都心のオフィス街のようにも見えるほどだ。以前は見上げる高さに思えた合同庁舎が目立たなくなった。川崎市の副都心と呼ばれる身分になったことでもあり、立派だなあと感じてきた、が。ちょっと待ってください。
駅前のショッピング街で知り合いに会った時、いい交わす挨拶が変わってきていた。「もーう、ひどい風」「ビル風って、ね〜」
ビルの建つ地帯に入ると、いきなり強風が吹きわたっているのだ。高層ビル群は空気の流れを変えた。禅寺丸柿は、新しい流れの風を受けたのではないだろうか。

この話題は、これで終わりですが、風から高層ビルに話題を移します。
今年の台風15号、19号で、停電した高層ビルの苦労が露わになった。停電と同時に断水してしまう。トイレの度に階段を上り下り。深夜のトイレはどうよ?
それはさておき、この高層ビルに住んでいる友人がいる。駅近の超人気ビルだ。私の家まで車で来てくれていたのがバスで来たので、車検? と尋ねたらやめた、という。
地下駐車場に入れていた車が、湿気でダメになってしまったそうだ。たまに使うだけだったから、と言っていた。
高温多湿の日本では、戸建て住宅でも湿気の対策では、誰しもあの手、この手であるから無理もないことです。


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ノーベル賞発表

昨日、10日の宵にノーベル文学賞の発表があるというのでテレビをつけていた。前日の19時前後に化学賞の発表があった時に速報のテロップが流れたので、10日もテロップが出るでしょうと期待したのだった。
が、なかったのでネットニュースを見たら既に発表されていた。
なぜ化学賞と文学賞では
報道の扱いが違ったのか。それは日本人の受賞の有無にあるのではないか? 文学賞は他国の人物であったのでニュース性がなかったということではないのか。

では、化学賞のニュースを新聞社がどのように伝えたか。以下は受賞第一報を伝えた各紙のサイトを観察したものである。
読売新聞=
リチウムイオン電池を開発した旭化成の吉野彰・名誉フェロー(71)ら3人に授与すると発表した。
日本経済新聞=旭化成の吉野彰名誉フェローに。
東京新聞=旭化成名誉フェローで名城大学教授の吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した。
毎日新聞=旭化成の吉野彰名誉フェロー(71)▽米テキサス大のジョン・グッドイナフ教授(97)▽米ニューヨーク州立大ビンガムトン校のスタンレー・ウィッチンガム教授ーの3氏に授与すると発表した。
朝日新聞=リチウムイオン電池の開発で、旭化成名誉フェローの吉野彰(あきら)氏(71)や英オックスフォード大教授だったジョン・グッドイナフ氏(97)らに贈ると発表した。
産経新聞=リチウムイオン電池を発明した旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した。他の受賞者は米テキサス大のジョン・グッドイナフ教授(97)、
米ニューヨーク州立大ビンガムトン校特別栄誉教授のスタンリー・ウィッティンガム氏(77)。
CNN=
リチウムイオン電池を開発した業績により、米テキサス大学オースティン校のジョン・グッドイナフ教授、米ニューヨーク州立大学ビンガムトン校のマイケル・スタンリー・ウィッティンガム教授、旭化成の吉野彰・名誉フェローの3氏が受賞した。
ロイター=スマートフォンなどに使用されているリチウムイオン電池を開発したとして、旭化成の吉野彰氏ら3人に授与すると発表した。3氏の並ぶ写真(撮影者著名入り)にキャプションとして3氏を紹介している。
ニューヨークタイムズ=社会面ではなくScience面で報道。
John B. Goodenough, M. Stanley Whittingham and Akira Yoshino were recognized for research that has “laid the foundation of a wireless, fossil fuel-free society.”

科学欄で紹介したNYタイムズは見識のある落ち着いた態度だ。
驚いたことは産経新聞が、きちんと3氏の名を挙げていること。政治的な報道となると、それなりの色がある新聞だが、しっかりとした人物が存在することがわかる。
もう一つは朝日新聞で、中途半端な内容、肩書きも妙な具合になっていることに暗澹とした。重ねて言うが第一報である。下準備と即応性が問われる。ひずみが露呈する場面。

日本だけを見ている日本の各新聞。ということは日本だけを見つめ、日本が勝ったり、受賞したりすると手を叩いて大喜びする読者が満足するように書いているのだろう。
きっと、オリンピックでも同様の醜態が、醜態とも感じることなく演じられるのではないか。逃げ出したい心境。
日本は成人ではない。万年ガキで、成長しない。
政治を司る人々も、報道に携わる人々も、それぞれ自分たちの立場や身の上のことばかり考えて、国民の成長、進歩を促すような行動をとらない。
欲しいものを欲しいと言って騒ぎ立てるガキ国民は、自分自身を自分が育てることを思わない、だから万年ガキです。
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消費税

真夏の時期から、消費税が上がると大騒ぎをして、9月はコレでもちきりみたいだ。店内で食べたら何%で、持ち帰ったらどうとやらと大騒ぎをして見せている。
誰が、何のために騒いで見せているのか。誰が、誰と結託して騒いで見せているのか。
見せられる側は何回見ても、ややこしくて何が何やらさっぱりわからない。
一番わからない点は、消費税により増税した分のお金を、例えば福祉に充当します、などという、充当の内訳がわからない。
今までA円が福祉関係に当てられたとしよう。増税分をB円とすると、A+B円になるのだろうか。それなら潤うことでしょう。
しかし、国の予算全体の中にB円を入れて、福祉関係の予算には他を勘案した数字を入れるとなると、単なる一般増税と変わりがないことになるのでは?
この辺りの詳しいことがさっぱりわからない。透明感がない。ごまかされているような気がしてならない。
金銭授受疑惑後、睡眠障害と称して雲隠れし、話題に上らなくなった頃に役職に就いて活躍している政治家もいるし、例の森加計問題は、ごまかされたままだ。
何でもごまかすから、消費税の使い道は最初から信用していない。
ところで消費税そのものに反対なので、対策を考えている。消費しないという道はいかが。「買わない」という選択。
最近増えているのが「新しく服を買わない」主義。あら、私もよ、と言い交わしている。
若い人には無理なことだが、高齢になれば在庫は豊富。断捨離なんてもったいないことを考えずに使いこなせば良い。買わなければ0%です。
高齢者は、この先どんどん増えるから、買わない方針の人も増えるでしょう。
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増えたコウモリ

朝立ち、夕立ち。雨が降るわけではない、朝夕、猫の富士を散歩に連れ出して立ちん坊をしている。
これが犬だったら、跳び跳ねるような気持ちが溢れて笑顔いっぱい、先に立って歩く。千早はどこまでも歩いた。
ところがお富士さんは違う。ガレージで正座し、やがて横になり伸びをし、道の真ん中に進み出た、と思うとまた正座。
そこへマルオが現れる、マルオも同様の佇まいである。動かない。
こうして15分、30分を過ごす。猫散歩というよりも猫立ち。朝立って夕方また立ちん坊。
風が吹く雲が行く。虫が飛ぶ鳥も飛ぶ。時に車が通り人が行き来する。それを網戸越しではない、身近に感じながら座る。
歩いたら私の運動になるのにと思いながら立っているが、姿勢を整えて立つことも座禅か、と気づいてからは立つ時間を大切にするようになった。
薄暮の道際に立っていたら、コウモリが頭の上に来た。鳥の飛び方と違って、こまめに方向転換を繰り返すのですぐわかる。
たった1匹いたのが死んでしまい、もう二度と現れないだろうと悲しがっていたコウモリだ。わ、わっ! 3匹も飛んでいる。
よかったなあ! 市民農園の上を飛び回って餌をとり、我が家の近くに来て寝る。
あまりにも嬉しかったので、この人なら追いかけまわさないだろうという人を選んで知らせた。びっくり。そして笑顔になってくれた。
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内なる治癒力

内なる治癒力』とは、本の題名。1990年創元社発行のTHE HEALER WITHIN の訳本で、著者はハーバード大学の精神科の先生たち。
体というものは自発的に治ろうとするのだなあ、ということを書こうとして突然、思い出した本の名だった。この本の内容は忘れきっている。読んだには違いない。
不経済にもほどがあるというもので、せっかく読んだ内容を忘れてしまう。ま、食べ物だって大半は放出してしまうのだから理にかなっているのだろう、気にしない、気にしない。
30年も昔の本を思い出したきっかけは、医者にかからず治癒した事例が二つ重なったことだった。
ひとつは、当ブログにも書いたことだが、9月の初めに庭で転び、膝を痛めた予後のことだ。しゃがめない、足を引きずって歩く。そんな日々が続いていた。
なるべく使わないようにして、でも少しは使って暮らすうちに、次第に2、3キロ歩いても平気になってきた。やがて、この2、3日は膝をついて雑巾がけができるようになった。
あらら、治っちゃった、と思った。
もう一つはマルオの皮膚病が治ったことだ。
外猫のマルオは下腹全体が丸裸、赤裸。つまり何かの故障で毛が生えない。暇さえあればお腹を舐めている。気づいてから4年くらいになるが、この夏に突然、一気に快癒。
純白のおなか。こんなに綺麗だったのか、と驚くほど綺麗な毛並みに目を見張った。
薬をつけてやったわけでもない、何もしなかった。もちろん病院とは無縁であった。
ただ、毎朝、毎日、毎夕、声をかけて触ってやり、十分に食べさせ、寝場所を確保してやり、ブラシングを続けてきた。ブラッシングは、衣食住の衣の部分だろうか。
マルオの場合は、自分の内側から治癒力を立ち上げたんだと思う。
私の場合は、無理に使わないようにした、というだけのことだったが、膝の気持ちになったことで膝が治る気になったのだろう。
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糸トンボ

去年の秋、庭の隅に1匹の糸トンボをみつけた。イトトンボとは、体長が約30ミリ〜35ミリの小さなトンボだ。
このトンボが大好きで、庭に見つけた時は来年、産卵の時期に来て欲しいと祈る気持ちだった。
今月に入って台風の直前、ビオトープの水位を下げておこうと柄杓で水を掻い出していたとき、柄杓の中に初めて見る小虫をみつけた。
灰色の細い虫で、尻尾が3本ついている、全長7、8ミリ。これはイトトンボのヤゴ。初めて目にした虫だったが、目に入った瞬間にコレだ、と判った。
先月、図書館から借りて読んだトンボの本のおかげだった。なんと傍のブロック塀に、美しいアオイトトンボが止まっている。
たくさん育ちますように。薄緑の水を柄杓にすくっては、何も生き物がいない、と確かめてからマスに流す。時間も手間も半端でなくかかるが、これも楽しみの枠内だ。
ビオトープで自然を、と始めたが、実態は手間暇をかけ続けている有様だ。
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台風15号

小型で強い台風が来る、という天気情報のもと、待ち受けた台風が去ってから今日で何日経ったことか。
当初、台風の目は東京・神奈川方面を見ていたが千葉を視野に捉えて房総半島を襲った。ことなく去るはずと思いこんでいたのは私だけではなく、報道方面も同様だったのではないか。
15号がとんでもない被害をもたらし続けていることにびっくりしたのは一昨日の夜だった。慌てて友達の住む地域の状況を把握し、深夜にアマゾン経由で救援品を送った。
宅配便はクール便は受け付けず、一般品のみ受けるが遅延するという。一昔前だったら車で飛んで行っていたのに、と地団駄を踏む。
なんと、今しがた携帯から当方の固定電話へ入ってきたともだちの声。一声聞いただけで、健康で意気盛んであると掴めた。
彼女は戸建て住宅に住んでおり、以前に住んでいた14階建てのマンションにいるともだちの救援をしているという。
充電に行かなければならない携帯だから、ここまででおしまいにしたが、同じ断水でも、高層ビルでは階段を上らなければならず、その苦労は並大抵ではないだろう。
手紙書くよ、と受話器を置いてから、しみじみと嬉しかった。
自分がうんと困ってるのに、もっと困っている仲間を助けようとしている、私のともだち、だ。
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朝の座禅

東の空に向かい、戸外で座禅。
実際は座禅の真似事である。お寺の座禅で用いる長いお線香ではない、14.5cmの短いお線香が燃え尽きるまでの、ほんの40分足らず。
はじめは座っていたが、先月初めに転んで膝を痛めたために腰かけ座禅である。
椅子座禅という腰かけスタイルがお寺で取り入れられて久しい。この椅子座禅を真似して、庭先のコンテナに腰掛けている。
転んだのは夏の初め頃のことで、ビオトープで冬越しをしたヤゴたちが羽化してトンボになる、この変身劇が深夜から未明にかけて行われるために、抜足さし足で庭に出たときのことだった。
何かの弾みとか、押されたとかではない、寝ぼけていて倒れたのだからロクでもない話だ。
これを節目に腰掛け座禅にしたら楽で、膝の痛みが消えても止められなくなった。
発心してからまだ、100日足らずであるから続くかどうか、我がことながら信用できないが、今のところは1日として欠かしたことがないという驚きの夏だった。
太陽が顔をだす地点は100日の間に少しずつ南へ移動し続けて、今月の秋分の日に定点に来るはず。それを楽しみにしている。
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市民農園

近くに市民農園がある。細かく区画を作り、2年刻みで貸し出している。約10平方で、1年につき8000円。抽選で借りるという。
2年間楽しんで去った人の後に、改めて新しい人がやってきて野菜などを育てるのだが、まずは耕して石灰、肥料を投入。期待する稔りは、とうもろこし、ナス、トマトなどが多い。
この市民農園ができる以前のこと、農家から直接借りた土地で野菜を作っていた時期があった。
この時は朝から夕方まで、畑に入り浸っていた。借りた畑も広かった。そして何かお礼はしていたとは思うけれど、只で使わせてもらっていた畑だった。
農家の人が文字通りの師匠だったので、毎日が発見と感激に包まれていた。鍬を担いで畑に通うのが嬉しかった。
当時、高齢だった師匠から学んだことは、師匠亡きいまも生きている。野菜作りを離れても暮らしに生きている。
いま、8月が終わり9月に入り、市民農園のフェンス沿いの雑草が大繁茂している。潤沢な肥料の余波だろうか、信じられないほどの育ちようだ。
ああしたら、こうすれば、とか、つい思ってしまうが。
師匠ほどの高齢になった私は、自分の持ち物を人に手渡すことができない。伝えたいのに。社交的な性質でないからだろうか?
しかし私の師匠はぶっきらぼうで、口が重く、たいてい下を向いている人だった。
たまに長話をしてくれるときは、遥かに見える丹沢の山並みに目を放って独り言のようだった。
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線香花火大会

昨夜は夢類の工房で線香花火大会を開催した。これは大げさな表現であって、ほんの4人が夕食に集まってくれた、食後の花火だった。年齢が年齢なのでドタキャンが二人も出たが、一同、動じない。またやればいいわよ、である。
夜更けとはいかないが、夕食後の8時すぎになって始めた線香花火は室内で、だった。庭で催したいが、頼みのトンボは寝ているらしく蚊がいるのだ。おまけに多少風も吹くので室内となった。
電灯を消し、大きめの水盤に水を張り、その上での花火である。
話はここからで、用意した線香花火は2種類あり、ひとつは従来のもので束になって売られている馴染みの線香花火。もう一つが大会の目玉ともいうべき線香花火で、これは立派な箱入りであります。
この線香花火は、この日のために花火専門店で求めてきた「牡丹桜」という名の線香花火で、皆の前で封を切った。私も初めて手に入れたものであるから、さあ、どんな花火なのか全員が見守るという次第だった。
まずは普通のをやってから、と相談がまとまり、見慣れた線香花火が花開いた。水盤の上なので水に映り、倍の輝き。何年ぶりかしらねえ、と一同ため息。
さて、箱から取り出した逸品は、普通のものが1束¥000であるのに比べて、1箱¥0000と桁が違う。が、みかけは細い。箱には「日本煙火協会」の「規格証」が付いている。それによると薬量 約0.1g(1本あたり)ということだ。
息を詰めて見守る花火は、かすかな炸裂音を立てて花開いた。直径数センチの花、2、3センチの花、これが次々に開いてゆくのだが、中心から15センチは離れたところで開く。普通の花火は火の玉の周りで花火になるから、ここが大きく違うところか。
最後の火の玉が枝垂れ桜のように、柳の葉のように、流れ落ちるところまで、息を詰めて見守った。箱の中には全部で20本。一人が4回。束の間の花の宴だった。
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