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雪の日に家出猫

3月の終わりに来て雪が積もった。この冬の初雪ではないが、はじめての雪らしい雪の日になった。
外猫のマルオは千早のために作った犬小屋、千早ハウスに入って22時間持続のホッカイロを入れてもらって、この冬を過ごしてきた。ハウスの中に猫輪っかを入れて、その中に入り、ガラス戸越しに私のいるリビングを眺めて過ごしている。
正午前後は雪が降りしきり、フェンスの上などは10センチほども積もった、と見たらマルオがいなかった。この雪の中を、どこへと思ったが、次に気づいた夕方にもいなかった。朝夕に富士と一緒の時間にご飯を食べるのだが、いない。
待つ。富士も待っていた。初めのうちは、そのうち来るでしょう、と思い、次第に、どうしたのかしら、となり、暗くなってきた時は、雪の道を行ったり来たりしながら小さな声で、マルオ? マルオ? と呼びかけながら歩いた。
この老いた雄猫は、このあたりで生まれ、生き延びてきた野良猫だ。なんとか一生を全うさせてやりたいと思って衣食住の世話をしている。親も兄弟も知らず、周囲にいる数多の人間は友好的ではない社会に、たった一人で生きているのだ。
はじめは、引っ掻く、噛み付く、しかできなかった荒々しい雄猫が、次第に手から食べることを覚え、抱かれるようになり、呼べば走り寄るようになり、今は毎朝顔を拭き、ブラシをかけてもらうのを待ち構えているようになった。
それが、出て行った、それも雪の日に。
メールで騒ぎ立て、夜更かしをして表を眺めるが気配もない。二次災害は笑い者になるだけだから動くのは諦めて、ついに「まじない」に頼ることにした。
まじないとは、ここに掲げる歌を紙に書いて、戸口に貼るというものだ。それも、上の句だけを書いて貼る。めでたくまじないが効いて猫が戻った時には、すぐに下の句を書き加えて謝し、この紙を燃やす、というものである。
  立ち別れいなばの山の峰に生ふる 松とし聞かば今帰り来む 
今朝、マルオは千早ハウスの中の猫輪っかの中にいた。無事で、無傷だった。
いそいそと下の句を書いて燃やした。終わってみれば、なんか私が遊ばれているようなものだった。
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新型コロナウィルスとマスク

よんどころない用事で駅前まで行った。約2キロの道のりを歩いて往復した。バスに乗れば楽だし早いが新型コロナに限らず、あらゆる感染を回避するために冬場は歩くことが多い。
歩いている人は、たまにいる。土地柄もあるのだろう、車を利用している。私は春風の中をマスクをしないで歩いたが、人の気配もない道をマスクをして歩いている。なんか変な感じ。
配達の車や福祉関係の車の人は、必要不可欠だが、高齢者が一人で運転し、誰かを乗せているわけでもないのにマスクをしている。なんで? と思ってしまう。
駅前の信号まできた時に、信号待ちの間にマスクをした。どこから集まったのか、数人、十数人が信号待ちをしていて、向こう側からもやってくる。ここから先はマスクスタイルだ。
マスクが予防の役に立たないと知って使用しなかったが、今月に入ってからは、必ずマスクをしている。その理由は、マスクをしていれば他者を感染させる機会が減るからだ。
万一、自分自身が自覚のない保菌者であったとしたら、周囲の人に被害が及ぶ。人ごみの中でマスクをしない人が向こうからやってきたら、その人が大声で話していたら、人は感染を恐れて不安になるだろう。
人々の不安をかきたてないために必要だと思った次第。
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お彼岸

年に二度あるお彼岸の、春彼岸のほうが心待ちにされる。寒いと言いながら確実に暖かいほうへ顔を向けている日々。
黄色いラッパ水仙が満開、その足元が一面に緑色、これは青じその双葉。去年の秋に実を結び散るに任せていた種が、一斉に芽を出した。
如雨露で水をまいて土を湿らせておいてから間引いた。
一昔前に家庭菜園をしていた時、師匠から教わったことの一つに、抜き取るのは雨の後、という教えがあり、それを今も実行している。
雑草を抜き取るのも、菜の間引きも同じことで、カラカラに乾燥している土の時に引き抜くと、周囲もひっくり返ってしまう。
間引いた芽はサラダの上に散らしました。
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入浴中の読書

湯船に温まりながら本を読む。これを是非、してみたいと願うようになったきっかけが二つある。一つは、実際に家庭の風呂で本を読むのが楽しみだ、という人の話を聞いたこと。もう一つは図書館の本に、非常にしばしば「水濡れ」本があることだ。
これはお風呂に入りながら読んだに違いないと想像し、入浴読書人は相当いるのではないかと思ったのだ。
私は長風呂が好きだから、本を読みながら小一時間も湯の中にたゆたっていたらもう、天にも昇る心地になるでしょう。が、実際に書物を浴室に持ち込む気にはなれなかった。湯の中に落とすことはないとしても、確実に強い湿気を紙が吸収する。これをしたら本がかわいそうすぎる。
と右往左往している時に、アマゾンの電子ブック、Kindleの第10世代が発売になった。これが防水機能付きと知った瞬間、身を乗り出し、買った。中1日置いて手元に来た10世代kindle paperwhiteを持って、いそいそと入浴。
こうなると何のための風呂かわからない。本を読むために風呂に入ったようなものである。浴室に入るなり湯船に飛び込んで開いた。
夢類さん、とKindleが呼びかけてくれた。もちろん文字で、である。「あなたは第2番目のKindleでXXX頁まで読んでいます。この頁へジャンプしますか?」OK 。第3番目の新顔にジャンプ。いそいそと読みかけの本の続きを読んだ。
うっかり湯船に落としても大丈夫なのである。もうもうと立ち込める湯気に囲まれていても平気なのである。何しろIPX8だ。防水等級IPX8とは、0から8までの9段階のうちのレベル8で、水面下での使用可能。具体的に言うと、深さ2mの水中に60分おいても大丈夫という能力。画面の明るさは程よく調節されており、湯気の中でも楽に読める。フォントもサイズも調節できるので紙の本よりも自分の状態に合わせてくれる。
やがて私は、焼酎のお湯割のグラスを片手にkindleを開き、湯の中で時を忘れるようになった。至福の時間の具現だ!
こうして何ヶ月かを楽しく過ごしてきた、そして今夜。雛祭りの宵のお風呂に私は、kindleを持たずに入った。ほどよい温かさの湯。身体中が緩み温まり関節がほどけてゆく、使いすぎの眼の芯もゆるんで、脳みそまでもが、ほんわかしてきた。
なんということだろう、この何ヶ月間かの間、長湯をしながら温かいお湯を感じていなかったのだろうか、久しぶりの入浴のような気がしている。
濡れた指先で画面の左下をタップする。次ページが現れる、読む。この繰り返しだった。集中して読めば読むほど、本の内容に引き込まれれば引き込まれるほど、身体の存在を忘れるのだった。小一時間入っていても、あっという間だった。温まったという感覚は、なかった。
温かい湯に浸るためだけにお風呂に入った雛祭りの今宵、久しぶりに長湯をしたなあ、と満ち足りて上がったが、一時間どころか、30分足らずだった。

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今日は何の日

2月26日は2・26。建国の日よりも深く記憶している。大雪だった昭和11年。
今年はまだ、雪らしい雪も見ずに雛飾りをした昨日。そして今日もまた、新型コロナウィルス蔓延の情報が世界を駆け巡る。
先週だったか、関東に春一番が吹き荒れた。毎春、色々な意味で注目される春一番は、どこ吹く風と受け流された今年、渦巻きめぐる風はコロナ怖しの臆病風である。
これはパンデミックかしら、と思う。しかしその前に、これだけの情報社会であるにもかかわらず、あるいは情報過多社会であるがゆえに、確実な根をもつ情報がない。
恐ろしいのはコロナではない、信ずるに足る情報が得られないことだ。
日本の政府、官邸というべきか、これが国民に直裁な情報を出さない。本当のことを知らせるとパニックになるから、と忖度しているのか。
あるいは、罹患者と死者の増加はオリンピックを控えて、国際社会への印象がマイナスに働くのではないかと憶測し、数字を操作するのか。あるいは検査キットの不足を理由に挙げて罹患の認定自体を、意図的に遅らせているのか。
このような足のない幽霊さながらのフェイクニュース風が春一番からバトンタッチされて吹き荒れる。隣町までコロナが来たと恐れる。
日頃、信頼されている政府であれば、誰が耳を傾けるだろう。バカなことを言うもんじゃない。安倍晋三がついている。そう言って笑い飛ばすだろう、が。いったい、どこのどいつが安倍晋三や麻生太郎を信用するだろう。
日頃、国会で姿勢を崩し、ニタニタ笑いをし、ヤジを飛ばす総理、つき放題に嘘をつく総理。忖度御輿に乗って憲法改正を主張する国難メーカー。
思案することは、ウィルス予防とやらに効き目もへったくれもないマスクを買おうとすることではない、この政治の網目からいかにして逃れるかということだ。
人殺しも泥棒も悪だ、罪だ。これは天地が見ている。しかし、ある時代の誰かが決めたルールを破ったからといって、命がけのものであれば天も地も守ってくれる。
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常夜灯

先頃から24時間営業のコンビニの営業時間を短縮するという話題が出ている。賛否両論、双方ともにうなづける理由がたくさんあるようだが、私は交番との関係を思っている。
最近、目に見えて交番の数が減ってきている。自然に消滅するわけではない、減らす方針だから減るのである。
たとえば神奈川県警では、2020年度から10年間で県内470カ所ある交番を約400交番に減らす計画がまとまった。しかし交番勤務の人数は減らさない方針だという。
減らす理由は、いつもいない交番という状態をなくして、一交番当たりの体制を充実させる方針のためだそうだ。
わかるなあ、と思う。警官だって危険な目に遭う。いや一般人より確率が高いだろうことは容易に想像できる世の中だ。
それは充分にうなづけるが、結果として交番の数が減るのである、今よりも、もーっと減るのである。交番が「すぐそこ」には見当たらなくなる。探すよりも本署に駆け込んだ方が早くなるかも。
今までだって多いとは言えなかった交番の代わりに明るさを提供してくれてきたのがコンビニだった。コンビニなら「すぐそこ」にみつかる。

午前1時から午前3時は人の動きは少ない。車の動きが一瞬、ふっと止まる時間帯が午前3時。コンビニは、この時間帯にも年中毎日、明かりを分け与えてくれてきた。町々の常夜灯。
この常夜灯が人々に、どれほど大きな安心をもたらしてくれてきたことか。安らかに眠る人々は気づかないだろうが、防犯の第一は明るくすること、なのだ。
「すぐそこ」にある交番は、明るく在ることで防犯の最初の一歩を確保してくれていた。これが減りつつある流れの中で、意図しなかっただろうが24時間営業のコンビニが助けてくれてきた。
実はもう一つ、24時間電灯をつけているところがある。これは公衆電話ボックスだが、すでに探すのも一苦労。使い方を知らない年代が増えているから、これも、もっと減るだろう。
個人住宅が設置する防犯灯は、検知したときだけ点灯して消える機能のものが多い。
交番が減り電話ボックスも減り、24時間営業の店舗も減ってゆく町は、獰猛な肉食魚がうごめく深海のようになるかもしれない。かもじゃない、なるはずだ。
人間という動物は恐怖に駆られて逃げるときに光に向かう習性を持つ。闇に向かって逃げるのはミミズだ。常夜灯は、だからあったのだ、昔から。
こんなことを案ずるのは、車の一人旅で、灯りを慕い駐車した午前3時を思いだす故だろう。
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年の初めに

明けましておめでとうございます
今年は座りの良い数字の年となりました。揺らぐことなく、堂々粛々と進みませう。
アッハッハ!
なんと除夜の鐘がかき消されましたよ。たしかにゴーン! と鳴り響いたのですが、それはお寺の鐘の音ではなかった。
Carlos Ghosn、カタカナにするとゴーンさんが打ち鳴らした音響で、一週間経っても鳴り止まず、明日にはレバノンに高飛びした本人の口からメッセージが発せられるという有様。

これは脇へ置いておき、年末年始を忙しく、賑やかに過ごすことができました。
それぞれに家庭を築き上げて社会で活躍を続ける子たちが会いに来てくれて、話を聞かせてくれる正月。
一番なりたかったもの、お婆さん(お祖母さんではない)になれた、と言っても許される年齢に達して満足気に丸まっている寒の入りです。

懲りもせず意欲を燃やしているのが夢類の発行で、できることなら今年から、改めて年2回に分けて出そうと考えています。
あまりページ数が増えるとレターパックが使えなくなって郵送に費用がかかることと、年一回では旧聞に属する内容が増えてしまう故です。
困ったことは好転しますように、良いことは続きますように。
世界の中心はともかく、隅っこの人々が笑顔で暮らせますように!
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年女・イノシシ婆「2019年のまとめ」

其1
意外や意外。当然と言えば当然。
「夢類」次号27号の発刊がなかったこと。
その原因は、イノシシ婆の高齢化だと思う。
でも、異常大型台風と暑さも原因だとも、思う。
年を経たものから順に消滅して行く現象は自然で、喜ばしいことだから文句はない。
この順序が狂うことは、あってはならないことで、これは、悲しいことなのだ。
病気、事故、事件、災害、そして戦争……。

異常気象を誰もが体感する状態になっている今、本気で我らの星、地球の健診をして治療しなければ。すでに手遅れに近いのでは?
油田は、みーんな閉鎖したらいいんじゃない?
炭田も、みーんな蓋してしまったらいいわ。
困るでしょ、困ったら、科学者が新しい道を開拓します。
有線が消滅したらいいなあ、と夢見ています。
東京電力はアコギだ、あれだけ原発で汚染しながら、電線で大儲けしてシラっとしている。潰れてしまえ!

其2
年号が、天皇の代替わりによって改められた年だった。
改元が極めて重要な節目であることは重々理解しているが、天皇一族にとっての出来事でしかない。天皇一族と、天皇ファンが使えばよろしかろう。
私は、これを公文書に用いることは反対だ。世界で通じない「常識」に囚われる日本は嫌い。
言い出すときりがないが、日本だけに通じる「日本の常識」が、あまりにも多すぎる「化石国」。

其3
伊藤詩織事件
日本の一女性が、顔を上げ、実名を掲げて強姦被害を訴えた。年末に至り、民事訴訟で完全勝訴した。
詳細は省略するが、単純な強姦事件ではない、パワハラも含んでいる。寄ってたかって応援しても、泣き寝入りしかないと思わせる要素がたくさん絡んでいた。
感動の1
これが世界中の耳目を集めていること、世界中の目が集まっていることが、今年の最大のニュースだ。
一人の女性の行動が、世界中の関心を集めている。これが今の地球だ。そう、地球は一つ!
感動の2
強姦事件に注目して応援するのは、若い女性だけか。この問題が並行して水面上に浮き上がってきている。このことも、今年の大きな出来事だと思う。
この事件に深い関心を寄せて応援する人々が、いわゆる女性だけではないこと。男性の多くが応援していること。
国籍のいかんにかかわらず、大昔からの大きな問題であるがゆえに、注目の視線は熱い。
中国では、日本が強姦罪を規定する法律を110年も改正せずに使っている、などと日本歴史まで勉強して論議している。
そして高齢の人間が、忌まわしい過去を踏まえた怒りの目を凝らし、息を詰めて成り行きを見つめ、この勇気ある行動に敬意を払い応援している。
感動の3
一方、女性の側にも非があるのでは? などと浅い関心の元に突き放す発言も見られる。
こうした「古来の常識」を用いる人は、一部の男性だけではない、日本の女性の中にはたくさんいる。
ここで、女性のくせに、どうして女性を応援しないのか、という非難は当たらない、と私は思っている。つまり、見かけの性差は本質とは関係がないということだ。
男性と結婚するし、子を産むこともするが、精神は男性そのもの、という女性がいる。男性にも、妻子はいるが本質的に女性の心の人間もいるということだ。
同性婚が認められるなど、従来の固定観念から解き放たれつつある時代に入った。
世の中は、女だから、男だから、の論理が通用しなくなっている、このことに、私は感動している。
来年以降の希望になるが、数や統計で物事を決め付けるのはやめたらどう? と言いたい。
たとえば、議員の中で男女の割合がどのくらいかを見て、女性差別の有無に結びつけるなどは、表面的な見方で愚かしいということだ。
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中曽根さんが亡くなられた

戦後の総理大臣の一人、中曽根康弘さんが101歳で亡くなられた。何の病で、とは語らない報道。報道だけではない、すべての人々が同じ思いだろう。
私が中曽根さんの名前を覚えたのはNHKラジオ番組「街頭録音」の時間でだった。中学生の頃に聞いていたが、長寿番組だったから高校生の頃も聞いていたかもしれない。
東京の街かどに立つ政治家と、街の普通の人々が議論を戦わせる番組だった。その政治家側の人の中に、度々現れ、ひときわ明快で、順序立てた論理と、はっきりとした大声の男性がいた。
この人が現れると一所懸命に耳を傾け、そのうちに名前を覚えたのだ。中曽根康弘という名前だった。多分、30歳前後の頃だったろう。
一生、政の世界で力を尽くされた方だ。拍手で送ろう。拍手に混じり鞭音も聞こえるが、これこそ、ご本人が言うところの歴史の法廷で被告席に立ってもらうということでしょうか。
追記 12月8日に書き足そうとしている。15歳前後だった「街頭録音」時代を振り返っている。当時の中曽根さんは、街頭録音の場で弁舌力を鍛えていたに違いない。彼の爽やかで明快な、淀みのない発言は、まさしく論戦だった。
論法の手順が、私の父親のものと同じだった、と今は言葉としてつかむことができる。それは当時の知識人が持つ、論敵を論じ倒すという目的に向かって進める意識だ。議論を始めたら、自分が勝たなければ気が済まないのである。
たとえばカラスがワンと鳴くと論じ始めたならば、事実はどうであれ相手を論じ倒す。その場で相手が反駁できず、屈服することが勝利の印となる。
何年か経ち、今度は自分の立場がカラスはカーと鳴くという論陣に与していたならば、ここでも晴れやかに論じ倒すのである。遊びならともかく、実生活でこれをやられたらたまらない。胸中の反駁心は消えるどころか増す一方である。
国のため、会社のため、家族のためだと心底信じ切っている善意の指導者がこれを用いたときの足跡と、周辺に及ぼした影響を辿ってみようではないか。雪隠詰めにあった相手は反駁不能なのである。
アフガニスタンで弱きもの、小さき人々のために力を尽くした中村哲さん、身体のすべて、時間の全てを投入され、コツコツと水と緑を手渡し続けてきた中村哲さんがテロの銃弾に倒れた。
言葉に頼らぬ行動の力に目がくらむ思いがする。心から中村哲医師の死を悼む。彼は死んだのか? 死んではいない。12月4日以後も、今までにも増す輝きを放ちながら皆の心に生き続ける。
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今秋の気温は

早朝の気温、つまり1日のうちで最も気温が低くなる時間帯の気温が、ようやく5℃に近づいてきた。
季節が移る時、去年の今頃は? と振り返るが、10年前は、50年前、100年前は? とは振り返りたくとも手がかりがなかった。
今は違う、googleに地域名と「初霜」と入れてクリック、瞬間現れた初霜一覧表には、1876年(明治10年)から今年までの初霜と終霜の年月日が出ていた。気象庁天気相談所作成の優れものである。
去年の東京の初霜は12月16日と出ている。12月に入っての初霜が記録されているのは、21世紀に入ってからは19年間のうちで16回、残る3回は1月に初霜を観測していることがわかった。
ところが1876年(明治10年)から1940年までの64年間を見ると12月に初霜の年は皆無で、ほとんどは11月で、それも初旬が多い。20%程度が10月の初霜だった。
実はビオトープに浮かんでいるホテイモという水草が、今も青々としているので、おかしいなあ、普通だったら枯れているはずなのに、と思って調べた次第。
気のせいではなく、年々、気温は上がってきているのだった。

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菊の季節

菊の季節がやってきた。台風で横倒しにされたままの姿で頭をもたげて咲いた小菊が笑っている。
「笑う」を「咲く」としても同じ顔。咲くも「わらう」と読める文字だから、今書いた一行を「頭をもたげて笑っている小菊が」としても同じ意味合いなのではないかしら。

昨日は神保町に行った。明治大学で開かれている公開講座の一つを聴講するためで、一コマ90分を50人前後の聴講者とともに教室で過ごした。
この5回シリーズの「神保町150年ものがたり」に出席している理由は、企画した講師の先生方と親しい先輩の身代わりなので、自分の希望で出席しているわけではない。
最前列に陣取っていると、後ろの席の女性が言った、目が悪いので、こうして前の席にいるんですよ。あら、私は耳なのよ。
高齢者の多い講座は、熱心さではない、必要性から席を選んでいる。
先輩は、出席したくてたまらないのだが、不如意な膝のために足止めを食らっているのである。

家を出る前に、というより早朝の座禅が終わり「みんな」に新しい水を捧げ、供花の水を取り替え手を合わせる、その時に伝える、
「今日は、どこそこに行きます。一緒に行きましょう」
日によっては「窓ガラスと網戸を綺麗にします。一緒に働きましょう」
目が不自由、耳が不自由。体が見えなくなったのも、不自由の一種。
あの世に去った人たちは、こっちが覚えていて話しかけ、相談事を持ちかけなどしている間は、共に生きている。
人たち、と書いたが実は、人間だけではない、犬も猫も、付き合った相手は皆一緒、分け隔ては一切ない。

駿河台に出て靖国通りを新宿へ向かって歩いた。俎橋を渡り、靖国神社を右手に九段坂を越える。
この先に新宿歴史博物館があるのだが、一口坂で16時を過ぎてしまい断念、市ヶ谷から地下鉄で帰宅した。
おかげで朝寝坊をして太陽が昇ってからの座禅となった。太陽は、驚くべき速さで南に移動しつつあった。
庭に出て小菊を手折り、部屋に招き入れる。金気を嫌う菊にハサミは使わない、手折られて菊は、かすかな香りとともに咲う。
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月の季節

荒天が続いたにもかかわらず月の姿の切れ味の良いことは格別で、三日月の凄みに触れることができた。
夜明け前の無風の2階庭で座禅。濃紺の天に光る星数が、この秋にきて確かに多い。
犬猫の加齢速度は、人間の年齢に換算すると、年に4歳年をとってゆく計算になるという。それは春夏秋冬それぞれに1歳ずつ年をとるということだ。
生後1年で人間の18歳と同じレベルになる猫、その後は人が年に1歳加齢するところを4歳年をとってゆく。
5歳半になった富士は、この計算で行くと人間の38歳ということになる。知識は増えて判断力もつき、身体は敏捷で柔軟、健康そのもので食べる楽しみに浸っている。
それでは人間は365日で必ず1歳加齢するのだろうか? 最近、そうじゃないような気がしている。
80歳台に乗ってから加齢に加速度がついてきたように感じている。この感覚は、果たして私だけのものだろうか。
1年に1歳ではなく、富士猫のように春に1歳、夏に1歳……。
生き物の測り方は、寿命に限らず、物差しや時計では間尺が合わないのでは?
今夜も明日も晴れるという、真夏の4時の暗さが、今の5時過ぎと同じだ、冬至の頃には6時過ぎて夜が明ける。
天体も生き物も、動き巡るゆえに安定していられる、独楽のように。
3年の寿命をもらっているメダカたちが命の循環を如実に見せてくれるお陰もあり、人の寿命も個人で完結するものではない循環の生命の一環だと実感できることはありがたい。
座禅の間は息に随うのみで思うことをしないが、日に一回でも座禅をすると、まるでパソコンに再起動をかけたように脳内に爽やかな風が吹き入り活性化する。
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即位礼正殿の儀 感想

2019年10月22日午後1時より天皇即位の儀式「即位礼正殿の儀」が行われ、テレビの中継を見終わったところです。その直後の感想で、他の人々の感想は知りません。
天皇は正面を向いて直立しておられた。しかし頭が傾いていた。背骨から頭頂へ、一本筋が通っていなかった。体幹を鍛える運動をし、備えて欲しかった。
もう一つ感じたことは、御言葉の中に「寄り添いながら」とあった。これは以前にも使っていらした表現であり、一般人が日頃言い習わしている流行の「言い回し」である。
この瞬間だけのための、天皇しか思いつくことのできない深い表現を絞り出して欲しかった。
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禅寺丸が倒れた

昨日、新百合ケ丘駅前にある麻生区合同庁舎へ行った。正面広場の一角に植え込みがあり、ここに「麻生区の木」の肩書きをもらっている「禅寺丸柿」という種類の柿の木が植えられている。その由来を記した碑も作られた。ちなみに麻生区の花は百合です。
びっくりした、大切な禅寺丸が根こそぎ倒れているではないか。すでに葉は水気を失い、枝から離れる力もない。むき出しになった樹の根が痛々しい。濡れた土が周りに盛り上がり、風除けの太い支柱も横倒しだ。この樹は山の一本杉のような場所に植えられたものではない。区役所と図書館を結ぶ陸橋のそばの回り階段を背負う場所であるから安全地帯のはずだ。

こんなところを烈風が襲うとは。風は通り道を持っている、と私は感じていて、私の住居のある一帯は、不運なことに北面の丘陵地帯から吹き下ろす北風が大手を振って通り抜ける。しかし駅前は違うはずだ。しかも今回の台風の風向きは東、南、そして西へと移動している。なぜ禅寺丸が支柱もろとも倒れるに至ったのか。根の具合を見たところ、老木ではあったが。
駅の周辺は近年、高層ビルが次々に建てられて、まるで都心のオフィス街のようにも見えるほどだ。以前は見上げる高さに思えた合同庁舎が目立たなくなった。川崎市の副都心と呼ばれる身分になったことでもあり、立派だなあと感じてきた、が。ちょっと待ってください。
駅前のショッピング街で知り合いに会った時、いい交わす挨拶が変わってきていた。「もーう、ひどい風」「ビル風って、ね〜」
ビルの建つ地帯に入ると、いきなり強風が吹きわたっているのだ。高層ビル群は空気の流れを変えた。禅寺丸柿は、新しい流れの風を受けたのではないだろうか。

この話題は、これで終わりですが、風から高層ビルに話題を移します。
今年の台風15号、19号で、停電した高層ビルの苦労が露わになった。停電と同時に断水してしまう。トイレの度に階段を上り下り。深夜のトイレはどうよ?
それはさておき、この高層ビルに住んでいる友人がいる。駅近の超人気ビルだ。私の家まで車で来てくれていたのがバスで来たので、車検? と尋ねたらやめた、という。
地下駐車場に入れていた車が、湿気でダメになってしまったそうだ。たまに使うだけだったから、と言っていた。
高温多湿の日本では、戸建て住宅でも湿気の対策では、誰しもあの手、この手であるから無理もないことです。


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ノーベル賞発表

昨日、10日の宵にノーベル文学賞の発表があるというのでテレビをつけていた。前日の19時前後に化学賞の発表があった時に速報のテロップが流れたので、10日もテロップが出るでしょうと期待したのだった。
が、なかったのでネットニュースを見たら既に発表されていた。
なぜ化学賞と文学賞では
報道の扱いが違ったのか。それは日本人の受賞の有無にあるのではないか? 文学賞は他国の人物であったのでニュース性がなかったということではないのか。

では、化学賞のニュースを新聞社がどのように伝えたか。以下は受賞第一報を伝えた各紙のサイトを観察したものである。
読売新聞=
リチウムイオン電池を開発した旭化成の吉野彰・名誉フェロー(71)ら3人に授与すると発表した。
日本経済新聞=旭化成の吉野彰名誉フェローに。
東京新聞=旭化成名誉フェローで名城大学教授の吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した。
毎日新聞=旭化成の吉野彰名誉フェロー(71)▽米テキサス大のジョン・グッドイナフ教授(97)▽米ニューヨーク州立大ビンガムトン校のスタンレー・ウィッチンガム教授ーの3氏に授与すると発表した。
朝日新聞=リチウムイオン電池の開発で、旭化成名誉フェローの吉野彰(あきら)氏(71)や英オックスフォード大教授だったジョン・グッドイナフ氏(97)らに贈ると発表した。
産経新聞=リチウムイオン電池を発明した旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した。他の受賞者は米テキサス大のジョン・グッドイナフ教授(97)、
米ニューヨーク州立大ビンガムトン校特別栄誉教授のスタンリー・ウィッティンガム氏(77)。
CNN=
リチウムイオン電池を開発した業績により、米テキサス大学オースティン校のジョン・グッドイナフ教授、米ニューヨーク州立大学ビンガムトン校のマイケル・スタンリー・ウィッティンガム教授、旭化成の吉野彰・名誉フェローの3氏が受賞した。
ロイター=スマートフォンなどに使用されているリチウムイオン電池を開発したとして、旭化成の吉野彰氏ら3人に授与すると発表した。3氏の並ぶ写真(撮影者著名入り)にキャプションとして3氏を紹介している。
ニューヨークタイムズ=社会面ではなくScience面で報道。
John B. Goodenough, M. Stanley Whittingham and Akira Yoshino were recognized for research that has “laid the foundation of a wireless, fossil fuel-free society.”

科学欄で紹介したNYタイムズは見識のある落ち着いた態度だ。
驚いたことは産経新聞が、きちんと3氏の名を挙げていること。政治的な報道となると、それなりの色がある新聞だが、しっかりとした人物が存在することがわかる。
もう一つは朝日新聞で、中途半端な内容、肩書きも妙な具合になっていることに暗澹とした。重ねて言うが第一報である。下準備と即応性が問われる。ひずみが露呈する場面。

日本だけを見ている日本の各新聞。ということは日本だけを見つめ、日本が勝ったり、受賞したりすると手を叩いて大喜びする読者が満足するように書いているのだろう。
きっと、オリンピックでも同様の醜態が、醜態とも感じることなく演じられるのではないか。逃げ出したい心境。
日本は成人ではない。万年ガキで、成長しない。
政治を司る人々も、報道に携わる人々も、それぞれ自分たちの立場や身の上のことばかり考えて、国民の成長、進歩を促すような行動をとらない。
欲しいものを欲しいと言って騒ぎ立てるガキ国民は、自分自身を自分が育てることを思わない、だから万年ガキです。
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