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これが自然界かと

昨夜来の雨が上がり、力のある朝日が射した。用意しておいた3個のバケツに雨水が溢れている。福島の空から運ばれてくる重苦しい黒灰色のわだかまりは、もうなくなっている。
この水は蒸留水と言っても良い、良い水なのでメダカの水槽の水に使うつもり。
ぱっと見た目にも、減ってしまった私の可愛い、大事なメダカたちだが、いいもんね、これから9月までに、どんどん卵を産んでもらうもんね。
緋メダカもたくさんいるけれど、原種に近いフナのような色のメダカたち。最近の豪華絢爛なメダカではないけれど、だからこそかけがえのない自然色のメダカたちだ。
それが、盗まれ続けていたのだ。あまりにもショックが大きすぎて、自分自身に伝えることもできなかった。
しかし今朝は、気を取り直している。イザナギも言い返したではないか、千人の命を奪うなら、われは千五百の産屋を建てよう。
大切な命を奪われた時の発想とは、これか、と体感した。怒りと悲しみを込めて、まず声に出したのが「どんどん生んでもらうもんね!」だった。

何があったか。
ざっと見たところ、タモでひとすくいしたら100や200は軽く入る程度に泳いでいた。浅いビオトープのメダカたちだ。
毎朝、ヤゴが這い出してトンボになって発って行く、小さな平和な場所だった。
ある朝、布袋草がコンクリートの上にあった。メダカは、この浮き草の根に産卵し、夜は根の間に入って眠る。
なんか、不穏な感じがした。多摩川の河川敷にアライグマがいる映像を見たばかりだ。金網で蓋を作った。アライグマは夜行性だから、夕方に蓋をした。
間もなくの朝、金網の上に糞があった。糞は犬猫の大きさと形状だが、金網の上とは犬猫の態度とは考えられない。
早速MAMAL FINDER というハンドブックを見た。これはアメリカの本で、動物の骨、足跡、糞などから種類を特定しようという少年少女向きのもの。
あった、ありました。まさしくラクーン、アライグマの糞であった。よかった、これで防げた。
しかし、メダカは減り続けた。なんで? と不安になる。また減っている。目に見えて減ってゆく。タモでひとすくいしたら10匹も入らないだろう。
わからない、金網で隅々まで覆ってあるからアライグマが手を出せるはずはなかった。朝、金網を外し、夕方に覆う日々が続いた。
おとといの夕、最後の餌やり時間だった、ビオトープの縁から一羽のカラスが、庭の真ん中へ向かって歩いてきた。マルオがいるのに? とマルオを見たら老齢の彼は眠っている。
で、カラスに目を転じた瞬間、息が止まった、カラスがくちばしを左右にしごいたのだ、手近の棒に。やられた、カラスだったか。
私はカラスと仲良くしていた時期があるので、くちばしをしごく動作が食後の身だしなみであることを知っている。
もう、許せなかった。だからと言って、カラスを吊るし首にするわけにもいかない。
昼間に金網を取り払っておいてやらないと、水際の虫たちが産卵できない。トンボたちには気の毒だけれど、昼間も金網をかぶせておくことにした。
ヤゴはメダカの天敵だが、両方いて欲しい。ボウフラの駆除にはメダカが欠かせない。う〜〜ん! 思わず唸ってしまう。
ヤゴ、メダカ、カラス、アライグマ、ボウフラ。そして私だって自然界の中の生き物なんだから。
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梅雨の朝

今朝も、ということは昨日の朝も、だったけれど、ヤゴがトンボになりました。石庭の天井にシートを張ったおかげもあり、濡れない場所で見事なトンボになり、飛び立つ気配はありません。
朝起きて庭を見渡し、変身したばかりのトンボが目に入る、そのままガラス戸をしめて邪魔をしないことにしている。
幸い、高齢猫のマルオは見向きもしませんから安全です。室内暮らしの富士は、私の1日が始まったと見るや、お腹すいたにゃあ! 
食べ終わる、トイレに行く。動きも、排泄も、健康だな、と確認してから、自分の朝食と進むのが順序。
ところが、わがままな富士猫は、散歩に出ようにゃあ、出たいにゃあ、早く出ようにゃあ、と追いかけて回り、足元に纏わりつく。
転んだら大変、抱き上げて玄関から出て表を見せました。フクロウみたいな目つきで雨脚を見つめている富士猫。
足元に下ろしてやったら、踵を返して家に入り、階段を駆け上がって行きました。お気に入りの場所で昼まで寝るつもりらしい。
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稲穂が芽を出した!

これから梅雨入りだという季節に、暮れの話題。年末近くなると酉の市が開かれる。私は新宿の花園神社の市に行くのだが、夜の混雑となると二の足を踏むようになった。最近の数年間はご無沙汰している。
酉の市では、まずお参りして、社務所でお札と一本の稲穂が付いている熊手を買う。何はともあれ、賑やかな酉の市の楽しみは、この後に始まるのだ。
この、稲穂が付いている小さな熊手を、お守りとして部屋に掲げている。今年5月の半ば過ぎに、この熊手たちを整理、稲穂を外して籾粒に分けた。これを蒔いたのである。
数年前の籾、10年以上前の籾。思いの外たくさんの粒が集まって、一列に蒔いた。
お札は神社に納めるのが普通の方法だが、それでは稲穂は焼かれてしまう。もしかして生きているか、と思って熊手とお札は焼き、稲は土に入れたのだ。
このコロナ禍の最中、湿った土から細い緑が一筋、立ち上がった。二本になった。二本の緑の針は、編棒くらいの太さになってきた。
私はシンクロナイズドスイミングの、華麗な演技を見ているような気持ちになった。湿った土の中の、大勢の稲籾が力をまとめて、代表者を空中に押し出したんだ、と思った。
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アベノマスクの配達

一昨日の夕方、例のマスクのパックが郵便受けに入っていた。思いつきで何百億円か費やして配ろうとしている、いわゆるアベノマスクだ。
誰が配達したかというと、郵便屋さんと呼び習わしている郵便配達員だ。
この際、言いたいことが3つある。
一つは、コロナ禍で各所に負担がかかっている時に、意味不明のマスクを配達させて郵便局に負担をかける政府の鈍感+残酷さを軽蔑するということ。
二つ目は、私の居住地域に隣接する郵便局内に感染者が出た時のことだ。局が閉鎖された。余波は周辺に及び、普通郵便の配達が遅滞した。初めのうちは22万通の滞留が、たちまち37万通も山積したのだった。
気の毒なことだ、誰しもいたわりの気持ちで見守った。
しかし急を要する通信が必要だった私と都内に住む仲間は窮余の策として速達便を使った。書留と速達便は、別扱いで配達してくれたからだった。
夢類制作の途中、速達便のお世話になって凌ぎ、助けられた。ありがたいことだった。
その後も配達状況は混乱し、荷重労働が続いていたに違いない、「いつもの時間」に配達ができず、夕方6時半を過ぎた頃になって郵便受けに入れてくれる、そういう日々が続いた。
労らなければいけないのだ、受ける一方で、要求する一方ではいけないのだ。過労は感染を呼ぶと思わないか? 配達員をいたわりたい思いが溢れた。
昨日今日になって、ようやく普段のリズムが戻ってきた。軌道に乗り始めたとしたら嬉しい、ホッとする。
三つ目は、コロナ騒動とは関わりのない、郵便配達員と受ける側の問題だ。
私の住んでいる地域は丘陵地帯で、道路から階段を上がった上に家屋があるところが非常に多い。道路際に郵便受けを設置してくれたら、郵便配達員が、どれほど助かるだろう!
20段以上も駆けあがり、一枚のハガキをドア横の郵便受けに入れて駆けおりる。これは見るに堪えない有様だ、労ってほしい、やめてもらいたい。
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コロナ禍と学校教育

赤ちゃんから大学生まで全員がいま、コロナ禍の影響を強く受けている。健気に知恵を振り絞って工夫をする。
育ちつつある側、育てる側の両方とも真剣で必死だ。不安いっぱいの胸を抱えて今日の、今を頑張っている教育現場の苦心は並大抵ではない。
その様子を引きこもり状態で見守り、応援し賞賛し、不安にも思う日々の私。座して思うのみであるから、せめて思い出話をしましょう。

真珠湾攻撃で日本国民は総立ちになった。大東亜戦争が始まった、必勝当然! 小学校は国民学校と呼び名を変え、子供らは銃後を守る少国民という、晴れがましい存在となった。
それは一瞬の高揚感だった、やがて子供たちの気持ちも落ち込んでゆく。
今回、店の棚からマスクの箱が消えて、空っぽの棚がテレビに映ったが、あの戦争の時は、あらゆる棚が空っぽになった。こうなると教育どころか、食べることしか頭にない。
ところが市街地の人たちが飢えに苦しんでいた時、田畑のある地域の人たちは飢えを知らなかった。同じ日本列島の中で、である。飢えも空襲も知らない人たちが大勢いたのだ!
話はここからだ。ここまでは、よくある昔話。
3年生1学期から4年生の夏休みの終わり頃までを、ほとんど学校に通うことなく過ごしていた私は、ついに4年生の2学期から田舎の学校へ通学することとなった。
父が先に小学校へ赴き、校長先生と話し合って帰ってきた。自転車を降りた父を道端で迎えて、その場の立ち話で聞いた話を覚えている。
日本中の学校が、と父は言った。学力が2年、遅れてるんだそうだ。つまり4年生の学童の学力が2年生並みに下がったということだ。
食料では地域差が出たが、教育では地域差はなかったことになるわけだと、今は考えられるが、当時は聞き入る一方だった。
実際、転校生として入った学校では、復員したばかりだという担任の先生は病気で休みだったから、顔は知らない。校庭で全校生徒の朝礼があり、教室で遊んで喧嘩して、いじめられて、最後に掃除で終わりだった。
細やかな心のケア、休校で影響を受けた学習の指導。外国の学校の様子もわかるし情報交換もできて、世界中が一つになって教育できる。これが今の姿だ。
それでは今の私は、ひどい目にあったなあ、今の子供たちは恵まれているなあ、羨ましいなあ、と思っているだろうか。
ごく親しい、同時代の書き手の仲間とうなづき会い、しみじみと言い交わす、われわれは良い時代に生まれ育ちましたなあ。
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トンボ、空へ!

昨日は発送仕事の大団円を迎え、意気高揚して上機嫌で寝てしまった。9時に寝たのである。意気盛んになったら眠れるはずもない、枕に頭がついたかつかないうちに、もう熟睡したのだから意気は消滅していたに違いない。
要は満足したから眠ってしまったのだろう。
当然のことながら3時に目が覚めてしまった。じっとしている義理もないわけで、朝湯に入って岡本綺堂を読む。改めてすごい人だなあと思う。綺堂は英語が読めたし、漢文は、もちろん通暁していた。
その上で和文を縦横に駆使する腕力は並大抵ではない。朝湯の湯船に顎まで使って旗本の三男坊の行状を味わい、はた、と膝は打たなかったが、首肯するところがあった。
ビオトープから立ち上がるコンクリートの壁に、羽を左右に伸ばしてトンボがいた。おめでとう!
ヤゴの姿の黒い抜け殻に掴まって、左右に伸ばした透明な羽が、ようやく射してきた朝日にきらめく。おめでとう!
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タニシ、ごめんね

新型コロナ騒動のために引きこもり生活が続く。この季節にはホームセンターと行き来して、何やら作ったり、工事をしたりする。
ホームセンターでは、わずかの金魚とメダカも売っていて、ホテイアオイなどの水草も置いている。
ホテイアオイの冬越しができないので、毎春買っているが、今年はホームセンターに行かれない。仕方なく通販で買うことにした。
ホテイアオイの株を5つ、タニシも売っていたので、タニシを10匹注文した。あっという間に空輸便で飛んできたタニシをビオトープに入れた。
10匹に、1匹おまけが付いて11匹のタニシがきたのだが、石ころを入れたみたいに水底に転がっていて動かない。見ていても動く気配もないので関心がなくなってしまった。
2、3日して思い出したので見たら、3匹が死んでしまい、中の1匹は貝殻だけになっていた。かわいそうに。ところが残りの8匹が見当たらない。動いたのだろうか。
タニシは、ほとんどジッと動かないタチではないのか。この日は、とうとう発見できずに諦めた。
そして今日。いたのである。最初に入れた場所から1メートル以上離れた泥と苔の中を、ツノを出し、小さな貝殻を揺らしながら進んでいた。呆れた、タニシって、こんなに移動できるんだ。知らなかった!
一箇所にジッとして動かず、引越しも旅もしない人のことを私は、タニシのようにジッとして、と悪口を言った覚えがある。
タニシ、ごめんね。思わず口に出して謝った。もっとも、謝りながら笑っていたのだが。
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新型コロナの災厄から得た個人的経験

武漢から発した新型のウイルスが豪華客船に乗って横浜港についた頃、最初にしたことが図書館の予約本の取り消しだった。カードを持っている図書館が5館、そのうちの2館に予約を入れていた。
借りていた本が7冊あり、これは十日のうちに返せば良いと予定していたが、covid19は、その余裕を与えなかった、返しそびれて私は家に閉じこもることとなった。
東京都の図書館と川崎市の図書館が全館閉鎖されたのは、その後1ヶ月も後のことだったから返しに行くことはできたのだろうが、怖がりのために動けない。図書館も、期限過ぎても構わない、家に置いておくようにとホームページで知らせてくれているので安心した。
これまで年間平均して3〜400冊読んでいる中で、9割程度が図書館本だった。これが今年の3月以降、突然ゼロになった。
話はここからで、なぜ本を買うのかというと読みたいと願うからで、しかも手元に置きたい本だからだ。そのほかに、急ぎ読む必要があるので買う本も加わるが。
必要に迫られて読む本は、すぐに役目を終えるが、一番大切な、ゆっくり読みたい本は、そのうち読もうと後まわしにする。
その結果、開かれることなく書架にひしめく数多の本に加わることになる。3月4月5月。
この大切な本たちの扉が開かれてゆく。若葉緑の5月に、扉のうちから瑞々しい言葉が溢れる。
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出稿の後

小誌「夢類」第27号の版下を渡し、校了し、出来上がりを待つ間の日々は、開放感と嬉しさに満ちている。以前は、この空き時間を旅に使っていたが、今は車を降りたし、今年はコロナウイルスの災いで自宅蟄居が続く事態だから動かない。
玄関前のペンキが剥げている部分を塗り直すつもりだったのを、今日の午後に手をつけた。洗い流したので、明日はプライマーをスプレーしようと思う。去年の今頃、塀のペンキ塗りの時にプライマーを使ってみて、その効果にびっくりした。一カ所も剥げないで綺麗。
今度は面積が狭いから簡単なスプレー缶を買った。こんな手作業をすることを書くことに織り込んで行くのは、私の性に合っていて一挙両得の感じがある。
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一兎を追おう

covid-19が拡散しつつある。昨年11月ごろ密かに発芽した、もうすぐ半年になる。個々の防御努力が第一であることは言うまでもないが、各国の旗振り役の人々が大勢を左右する。どうかぜひ、コロナウイルス犯だけを追いかけて逮捕して欲しい。単純明快に一兎を追って欲しい。
表向きは
covid-19を狙っているように見せかけながら、二兎、三兎を気にして動いているように見受ける。これでは長引く。この態度であると、治る病気も治らない。受験しても落ちる。
どれほど現金で補助したとしても、市民たちが自分自身で稼ぐ金には及ばない。一日一刻も早く、安心して働けるように
covid-19兎を捉えることが政治家たちの使命ではないか。それをオリンピックを気にし、次期選挙を気にし、他国のせいにする国、自国は潔白だとムキになる国、騒ぎの最中にロケットを飛ばすものあり、肝心の兎はそっちのけに見える。勝手にしたら? と言いたい。
この調子だと、地獄に落とされて針の山、血の池地獄を彷徨いながらも、目先の喧嘩相手と取っ組み合いをするんじゃないかしら。
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今世紀最大のウイルス禍

中国・武漢から始まり、世界中を襲いつつある新型コロナウイルス。この災いが、どうか今世紀最大で最後の禍となり、以後は、このような事態が再び起こらないことを祈り、望んでいる。
この禍を、世界各地がそれぞれのお国ぶりで知恵を出し、初期段階で消火に成功するように学びますように!
悪いことばかりではないでしょう、どこかの国でワクチンが出来たら世界中に伝えてくれるはず。国境を越えて仲良くすることを、この機会に身につけるのはいかが?
言い終わらないうちから、単純なことを言うな、と馬鹿にする声が聞こえてきそうだ。
では現実に、何を見て、どう対処しようとしているか、私は。
厚生労働省が出している「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」2月25日 を読むと、発端のクルーズ船の時から繰り返されていることが、ここでも書かれている。
「感染の不安から適切な相談をせずに医療機関を受診することや感染しやすい環境に行くことを避けていただくようお願いする。」
では、どうしろというのか。それはこのように書かれている。
風邪の症状や37.5℃以上の発熱が4日以上続いている場合、強いだるさや息苦しさがある場合は、まず、指定機関云々へ電話せよというのである。
ただし高齢者は4日待たずに2日で良いという。いきなり医者に行かずに保健所へ連絡し、保健所の判断が出たら、それに従い、次の段階へ進めというのである。
厚生労働省の、この通達を見た途端、反射的に頭に浮かんだのは落語の「寿限無」だった。とんでもなく長い名前をもらった子供が、井戸に落ちた、助けを呼ぼうと走り回るうちに、長い名前を繰り返して手遅れになるという話だ。
体調に不安を感じて2日間も待つのか、あれこれ持病を抱える高齢者が。お役所仕事で有名な保健所に電話して、どうなるものかは、寿限無以上だ。さて、そこからどれほどの時間ではない、日数を費やして次に回していただくのか。
厚生労働省の意図がどこにあるにせよ、この危機に対して国は、このような姿勢で臨む気だな、と悟った瞬間、私は科学者からの情報だけに頼ることに決めた。
寿限無の名付け親のお坊さまは、子どもの長寿と幸福を願って名づけをしました。しかし日本という国は、国民の健康と幸福を第一に願って、このような方針を出したのだろうか? 
今回のような、あるものは命を失い、あるものは職を失う、危急存亡の事態に立ち向かう場合、マスクだけに気を取られていては手遅れだ。
国の通達から身をかわしながら、科学者の知識に頼り、自力で身を守ることで切り抜けようと思う。悪く思うな、これは第二次世界大戦をくぐり抜けてきたおかげで手に入れた知恵であります。
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雪の日に家出猫

3月の終わりに来て雪が積もった。この冬の初雪ではないが、はじめての雪らしい雪の日になった。
外猫のマルオは千早のために作った犬小屋、千早ハウスに入って22時間持続のホッカイロを入れてもらって、この冬を過ごしてきた。ハウスの中に猫輪っかを入れて、その中に入り、ガラス戸越しに私のいるリビングを眺めて過ごしている。
正午前後は雪が降りしきり、フェンスの上などは10センチほども積もった、と見たらマルオがいなかった。この雪の中を、どこへと思ったが、次に気づいた夕方にもいなかった。朝夕に富士と一緒の時間にご飯を食べるのだが、いない。
待つ。富士も待っていた。初めのうちは、そのうち来るでしょう、と思い、次第に、どうしたのかしら、となり、暗くなってきた時は、雪の道を行ったり来たりしながら小さな声で、マルオ? マルオ? と呼びかけながら歩いた。
この老いた雄猫は、このあたりで生まれ、生き延びてきた野良猫だ。なんとか一生を全うさせてやりたいと思って衣食住の世話をしている。親も兄弟も知らず、周囲にいる数多の人間は友好的ではない社会に、たった一人で生きているのだ。
はじめは、引っ掻く、噛み付く、しかできなかった荒々しい雄猫が、次第に手から食べることを覚え、抱かれるようになり、呼べば走り寄るようになり、今は毎朝顔を拭き、ブラシをかけてもらうのを待ち構えているようになった。
それが、出て行った、それも雪の日に。
メールで騒ぎ立て、夜更かしをして表を眺めるが気配もない。二次災害は笑い者になるだけだから動くのは諦めて、ついに「まじない」に頼ることにした。
まじないとは、ここに掲げる歌を紙に書いて、戸口に貼るというものだ。それも、上の句だけを書いて貼る。めでたくまじないが効いて猫が戻った時には、すぐに下の句を書き加えて謝し、この紙を燃やす、というものである。
  立ち別れいなばの山の峰に生ふる 松とし聞かば今帰り来む 
今朝、マルオは千早ハウスの中の猫輪っかの中にいた。無事で、無傷だった。
いそいそと下の句を書いて燃やした。終わってみれば、なんか私が遊ばれているようなものだった。
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新型コロナウィルスとマスク

よんどころない用事で駅前まで行った。約2キロの道のりを歩いて往復した。バスに乗れば楽だし早いが新型コロナに限らず、あらゆる感染を回避するために冬場は歩くことが多い。
歩いている人は、たまにいる。土地柄もあるのだろう、車を利用している。私は春風の中をマスクをしないで歩いたが、人の気配もない道をマスクをして歩いている。なんか変な感じ。
配達の車や福祉関係の車の人は、必要不可欠だが、高齢者が一人で運転し、誰かを乗せているわけでもないのにマスクをしている。なんで? と思ってしまう。
駅前の信号まできた時に、信号待ちの間にマスクをした。どこから集まったのか、数人、十数人が信号待ちをしていて、向こう側からもやってくる。ここから先はマスクスタイルだ。
マスクが予防の役に立たないと知って使用しなかったが、今月に入ってからは、必ずマスクをしている。その理由は、マスクをしていれば他者を感染させる機会が減るからだ。
万一、自分自身が自覚のない保菌者であったとしたら、周囲の人に被害が及ぶ。人ごみの中でマスクをしない人が向こうからやってきたら、その人が大声で話していたら、人は感染を恐れて不安になるだろう。
人々の不安をかきたてないために必要だと思った次第。
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お彼岸

年に二度あるお彼岸の、春彼岸のほうが心待ちにされる。寒いと言いながら確実に暖かいほうへ顔を向けている日々。
黄色いラッパ水仙が満開、その足元が一面に緑色、これは青じその双葉。去年の秋に実を結び散るに任せていた種が、一斉に芽を出した。
如雨露で水をまいて土を湿らせておいてから間引いた。
一昔前に家庭菜園をしていた時、師匠から教わったことの一つに、抜き取るのは雨の後、という教えがあり、それを今も実行している。
雑草を抜き取るのも、菜の間引きも同じことで、カラカラに乾燥している土の時に引き抜くと、周囲もひっくり返ってしまう。
間引いた芽はサラダの上に散らしました。
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入浴中の読書

湯船に温まりながら本を読む。これを是非、してみたいと願うようになったきっかけが二つある。一つは、実際に家庭の風呂で本を読むのが楽しみだ、という人の話を聞いたこと。もう一つは図書館の本に、非常にしばしば「水濡れ」本があることだ。
これはお風呂に入りながら読んだに違いないと想像し、入浴読書人は相当いるのではないかと思ったのだ。
私は長風呂が好きだから、本を読みながら小一時間も湯の中にたゆたっていたらもう、天にも昇る心地になるでしょう。が、実際に書物を浴室に持ち込む気にはなれなかった。湯の中に落とすことはないとしても、確実に強い湿気を紙が吸収する。これをしたら本がかわいそうすぎる。
と右往左往している時に、アマゾンの電子ブック、Kindleの第10世代が発売になった。これが防水機能付きと知った瞬間、身を乗り出し、買った。中1日置いて手元に来た10世代kindle paperwhiteを持って、いそいそと入浴。
こうなると何のための風呂かわからない。本を読むために風呂に入ったようなものである。浴室に入るなり湯船に飛び込んで開いた。
夢類さん、とKindleが呼びかけてくれた。もちろん文字で、である。「あなたは第2番目のKindleでXXX頁まで読んでいます。この頁へジャンプしますか?」OK 。第3番目の新顔にジャンプ。いそいそと読みかけの本の続きを読んだ。
うっかり湯船に落としても大丈夫なのである。もうもうと立ち込める湯気に囲まれていても平気なのである。何しろIPX8だ。防水等級IPX8とは、0から8までの9段階のうちのレベル8で、水面下での使用可能。具体的に言うと、深さ2mの水中に60分おいても大丈夫という能力。画面の明るさは程よく調節されており、湯気の中でも楽に読める。フォントもサイズも調節できるので紙の本よりも自分の状態に合わせてくれる。
やがて私は、焼酎のお湯割のグラスを片手にkindleを開き、湯の中で時を忘れるようになった。至福の時間の具現だ!
こうして何ヶ月かを楽しく過ごしてきた、そして今夜。雛祭りの宵のお風呂に私は、kindleを持たずに入った。ほどよい温かさの湯。身体中が緩み温まり関節がほどけてゆく、使いすぎの眼の芯もゆるんで、脳みそまでもが、ほんわかしてきた。
なんということだろう、この何ヶ月間かの間、長湯をしながら温かいお湯を感じていなかったのだろうか、久しぶりの入浴のような気がしている。
濡れた指先で画面の左下をタップする。次ページが現れる、読む。この繰り返しだった。集中して読めば読むほど、本の内容に引き込まれれば引き込まれるほど、身体の存在を忘れるのだった。小一時間入っていても、あっという間だった。温まったという感覚は、なかった。
温かい湯に浸るためだけにお風呂に入った雛祭りの今宵、久しぶりに長湯をしたなあ、と満ち足りて上がったが、一時間どころか、30分足らずだった。

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