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夢類日記 終了

12月が目の前に、もう迫ってきた。日本各地には数多の祭りがあり、それらは農耕社会の人々の、秋の実りへの感謝、地域を守ってくれる神々への感謝、そしてさらなる守護を祈念する催しだ。そして真冬に入り、お正月を迎える。
アメリカやカナダでは、同じ意味を持つ感謝祭が催される。この日は七面鳥の丸焼きを作り、秋の実りの数々を料理して飾り、家族が集い祝い楽しむ。どうして七面鳥なのかという理由は、聞いた話だがピルグリムがメイフラワーでやってきたとき、荒野のブッシュを駆けまわる、すごい面相の大きな鳥を見つけて捕まえて飢えをしのいだのが始まりだという。大きな木製のお皿の真ん中に丸々と太った大きな七面鳥の丸焼、その周りをマッシュポテトやトウモロコシや、いろんなご馳走で取り囲む。この日には、家を離れて暮らしている子たち、家族、みんな寄り集まって、とにかく食べる楽しみに浸る。アップルパイも焼いてある。
木製のお皿というか、七面鳥のためのプレートには、肉汁が流れるように細い溝が付いていて、端にはグレービーの溜まり場が丸く彫られている。
これらはすべて、その家のお母さんが料理する、だから子どもたちにとっては懐かしいふるさとの味、母の味だ。アメリカでは第4木曜日だから、今年は、明日の26日だ。

「早いけど」と言って長男がダンボール箱の大きいのを持ってきてくれた。今は、このようなご時世なので、家族が集まって食事を楽しむことはしません。長男は私のために感謝祭のご馳走を持ってきてくれたのだ。
クランベリージュースの3リットルボトル。冷凍の七面鳥しかなくてね、と言いながら次々に現れる七面鳥丸焼きの一部。スタッフィング、サツマイモ。彼は材料を調達して自分で焼いたのだった。クランベリーソースも持ってきてくれた。
スタッフィングにはカシューナッツ、セロリを使っていた。パプリカの輝くい色合い、しっとりと焼きあがったターキーの香りにめまいがした。これは、私のやり方そのものだった、パプリカを使うことも私のやり方だった。私のふるさとの味を、息子が作ってふるさとへ運んできてくれたのだ。
私には、東京都内という生まれ故郷と、新しい気質、文化に触れた2番目のふるさと、アメリカがある。これはアメリカ大陸の味だった。私がお隣やお向かいの奥さんたちから教えてもらい料理している時に、周りをうろちょろしていた子たちが、見て覚えていたのだ。まだ、背伸びして流しの中を覗くようなチビちゃんだったのに。次男が作るミートソースは絶品だし、いつの間にか、子たちは母の手を超えてしまった。母の味、ふるさとの味を、それぞれの手の中に育てて持っていた。ゆっくり食べてね、と帰って行く息子の車を見送った後、私は干し柿を思い出した。この日に手渡すために出来上がったばかりの干し柿を包んでおいたのだ。
もう、ダメだと思う。こう簡単に忘れ物をするようでは。これが初めてではない。自分自身に呆れている。真っ赤っかの夕焼け空は、明日の晴天を報せている。感謝、感謝の感謝祭は良い節目じゃないかな、この辺で夢類日記を終わりにしましょうと思い立った。
今まで読んでくださった日本列島各地の皆様に心の底から感謝します。どうもありがとうございました。
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波状攻撃を受ける人々

新型コロナウイルスは、当初より予測されていたように、波のように緩急をつけながら襲ってきている。今は第三波なのだという。寒さはウイルスの敵ではないらしく、夏よりも長生きするともいう。
日々の暮らしを守りつつも、守りきれずに仕事を失い、途方にくれる人々が次第に増えてゆく様相を、暗澹としつつ思いやるも、なす術もないのである。
私の母の母は28歳という若さで3人の幼児を残して亡くなった。肺炎にかかって突然亡くなってしまったと聞いていたが、スペイン風邪にかかったのではないか、そうに違いないと年代を指折り数え、思い起こしている。
疾風の如く襲いかかり、老いたもの、弱き者たちからなぎ倒してゆく様は、春一番と呼ばれる早春の疾風、木枯らしという初冬の強風に似ている。
山野の樹木たちにとっては、春一番も木枯らしも、枯れ枝や病葉を一掃してくれる益風でもあるのだが、疫病は、生き物すべてにとって恐怖で覆い尽くしつつ命を奪い去る害毒以外の何物でもない。
グスターフ・シュバープが記したギリシャ・ローマ神話の、ごく初めのあたりにゼウスが人間を作る話がある。最初に黄金で作った人間、黄金族は、穏やかに消滅し地上の守護神、正義の保護者となる。次にゼウスは銀で人間を作った。この銀族は傲慢で神を崇拝しなかったので滅ぼしたが、魔人として地上をさまよう許可を与えた。ゼウスが三番目に作ったのが銅製の人間で、これは巨大で残忍、暴力的で肉食を好んだ。当時は鉄がない時代であったから銅製の農具で畑を耕していたという。この恐るべき種族はゼウスによって滅ぼされたのではなかった、黒死病によって滅ぼされて冥府の闇に沈むのである。
世界中に散在する言い伝えの中に洪水伝説があり、そして疫病がある。原始、まだ文字もない時代から人のそばをうろついていたんだなあ、と改めて思う。
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コロナ暮らし その2

2月末以来だから、11月9日の今日までで、およそ8ヶ月になった。
なにそれ? で始まった知識面では、ほとんどゼロ状態から始まり進歩してきたと思う。発端の伝聞情報、報道も含めての各種情報は奔流のように流入する。しかしこれらはまさに浮かんで流れてくるものであり、根がなかった。現場に行って確かめる訳にはいかない代物だから、確実な方法はウイルス専門学者の著書を読むことだった。このラインは成功だった。むやみに恐れるものではなく、かといって侮れるような相手ではないことが身にしみた。ウイルスの歴史も学んだ。ここでは人類が微小微弱の新米に見えて愕然とした。ウイルスは地球上の大先輩だったのだ。
暮らしの面では、スタート時点では東日本大震災の時の経験から、何一つ新規に用意をしなくても50日は生活に困らないことがわかっていたので慌てる事もなく、悠々と引きこもりを始めた。ところが100日経っても続くのだった。3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月!
さあ、ここから新しい経験に入った。第一に困ったのが、図書館を利用できないことだった。仕方なく買うことにした。画面をクリックして発注。早い時は翌日に手に入る。電子書籍であれば、買った途端に読み始めることができる。これは快適、上々の天国気分。
衣食に関しての問題はなかった。衣類は手持ちのものが多すぎて、減らそうと努めているのだから買う必要はない。食は週に一回の生協の配達で十分だ。時折、地方の野菜農家の野菜や果物などを買うが、これも書籍同様に画面操作で終わる。宅配ボックスを設置しているのでクール便でない限り安心していられる。
これではCOVID19が完全に消滅したとしても、高齢者としては続けたほうが良い暮らし方だと思った。交通費はかからない、買い物の時間も必要ない、良いことづくめである。交流はメールが大活躍だ。こうなったら、何年でも続いて大丈夫。引きこもりなんかへっちゃらだ!

こうして日々が過ぎるうちに、歯医者の予約の日がやってきた。定期点検。点検のおかげで無事に過ごせているのだから是非とも行きたい。しかし私は人混みが怖くてバスに乗ることができない。もちろん電車にも乗れない。歯科医院にはバスと電車、両方に乗らなければ行かれないのだ。
息子が現れた。車で連れて行ってくれるという。息子夫婦は、私以上に衛生管理が徹底しているので安心できる。ありがたかった、めでたく歯医者に行くことができました。待合室からは雑誌や絵本が消えて、空気清浄機の大型のが入っていた。そして待っている人がいなかった。人の姿が見えないと、ほっとする。 私は人を怖れるようになっていた、潜伏期にも感染力があるという、ということは、道行く人々すべて、一人残らずシロではない、黒だと見なすべき存在なのだから。
帰り道に息子が言った、どこか行きたいところ、ある?
 思ってもみなかったことだった、どこかへ行く。どこか。そうだった、この8ヶ月の間、私にはどこか、という選択肢がなかったのだと気がついた、必要不可欠な衣食住、これは十分に足りている。手に入れる手段も十分にあった。しかし、そこからはみ出した何か、どこか。これがなかった。
気づいた途端、私は飢えを感じていた。「あのね、バラが見たいんだけど。秋のバラって、香りが通るのよ、良い香りなのよ」。
神代植物園に寄ってもらい、駐車場に車を止めて枯葉の舞う草地を散歩し、バラ園の中の小道を歩いた。バラが咲いていた、噴水の水が青い空に跳ね上がり、光っていた。噴水の中に立ったかのように、気持ちが潤った。
潤った気分で駐車場の車に戻った時、息子がため息まじりに言った、いや驚いた、あんなに人が出ているなんて。最近、人が怖くてね。
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独楽吟

「独楽吟」。これは(ひとりでたのしむうた)で「たのしみは」で始まり「……の時」で終わる短歌です。
独楽吟というものを私は知りませんでした。40年以上のあいだ中学高校で国語を教えていらした方で、今、大勢の人に独楽吟を広めて句集をつくる活動をしていられる、師匠であり、友人である方から教えていただきました。
子供でもできます、高齢者もできます、忙しい人でもできます。誰でも詠める短歌で、暮らしの中の楽しみを見つける歌。
楽しみは~~ の時。これだけ。ほかには何も規則はありません。
日常の暮らしの中で、ああ、ヤダヤダ、なんて呟きながら日が暮れるって、みじめじゃありません? 楽しいものに目を向けよう、こんな楽しみあったんだ、と発見することも楽しみです。たがいに詠み合えば、おたがいの楽しみも伝わってきます。


これは江戸時代の国学者、歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)が52首遺している歌です。こんな歌があります。
   たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどい  頭ならべて物をくふ時
これは、ごく普通にある家庭の風景でしょう? 平凡でしょう? 家族が一つテーブルを囲んでモグモグと一心に食べている。それだけのことを橘曙覧は、楽しみはと歌っています。
   
(でも、これって平凡だろうか? 当たり前のことだろうか? どこにでもあることだろうか? 今の私たちにとって ……

平成6年6月、当時の天皇皇后両陛下がご訪米の折、クリントン大統領の歓迎スピーチに、
   たのしみは朝起きいでて昨日まで  無かりし花の咲けるを見る時
という橘あけみの歌を引用されたことで、埋もれていた江戸の学者、橘曙覧が脚光を浴びたのだそうです。今では小学校の国語の教科書「言葉を選んで短歌を作ろう たのしみは」という、創造のセクションに出ています。(小学六年生国語教科書・光村図書)

最近の私は、楽しいこと見つけたよと一句詠むのが癖になってしまいました。どなたも気楽に楽しく一句詠んでみてください。
 楽しみは 昼過ぎ猫と散歩して 学校帰りの子らに会うとき 
ちなみに、猫は犬と違ってなかなか散歩しませんが、わが家の猫は朝夕の散歩が大好きで、散歩しよう、と声をかけるとドアに向かって走ってきます。犬と同じようにリードをつけます。
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子育て 親育て

育ててもらった、と親に感謝する子がいる。親を殺す子もいる。色とりどりの親子関係を並べ出したら紙幅は関係ないだろうが、スクロールしても続くだろう。それはのちの機会に譲るとして、誕生日にあたり、ぜひとも言いたいこととして、子が親を育てる場合を書きたい。
実は今日、私が在るのは、二人の子が育ててくれた故である。私が子どもに対してしたことと言ったら、お話にもならない日常の暮らしのことだけだ。それも穴ばかりで、手取り足とり伝えたわけではなかった。歯を磨く、といった毎日の習慣も、ろくに教えなかったと思う。しかし二人の息子は揃って見事に健康な歯の持ち主だ、なぜかというと、よい歯医者さんに出会ったので、私は先生に子供たちの歯を丸投げしたのだった。今も同じ歯科医院の、子供たちと同世代の若先生に診ていただいている。全てがこの調子で、学業はそれぞれの先生へ丸投げだ。母親がすることと言ったら、ご飯を作ることと掃除洗濯くらいのものだ。料理は子供の時から並んで流しに立っていた。火を扱うし、焼いたりこねたり、かき回したりは子らにとっては大きなお楽しみだ。泥んこ遊びも良いが、後で食べられるのだからやめられない。
教えるというよりも、一緒にやってきたのだし、伝える楽しさも大きかった。伝えてきたことの中で、最も大きいこと、それは第二次世界戦争の時の体験話だろうか。
一方、ふとした子どもの言葉をつかまえ、受け入れ、成長してきたのは私の方だった。なんで〜 どうして〜 で始まることが多い少年の思いは柔軟であり新鮮だった。私は目を見張るような驚きを持って聞き入り、時間をかけて咀嚼する。
子供たちがいることで消耗するのではない、手がかかるのではない、細い私の心が太く、強靭に育って行けたのは、まさしく子の力によるものだった。
今もかわらず対等に話してくれる息子たちの来訪を待ち構えていて、ためておいた幾つかの なんで〜 どうして〜 を訊ねる。私の問いに新鮮さはなく、重く硬い。どうして核兵器だけ反対なの? なんで核そのものを廃絶しないの? 
楽しみは どうして なんでと問い交わし 親子揃って考えるとき  次回へ続く
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85年を振り向けば

いつもは気にもしないことですが、お誕生日という節目にふと立ち止まった、あらためて身の周りを見まわした。
なんと綺麗な人たちに囲まれていることでしょう、私は。今は新型コロナウイルスのおかげで簡単には会えないけれど、同年齢の人たち、年上の方々、若い人々、皆とりどりの暮らしようだけど、仲良くしてくださる人たち、みんな美しい。
世の中にはいくらでもいる、おぞましい人々。私はいま85歳になったところだけれど、嘘つきやいじめっ子は80年以上前からすでに身の回りにいたのです。
そんな中で生きてきたいま、まああ! 私の周りはなんと美しい花の野でしょうか。咲いている花々は、どれも平凡という名の、見慣れた花です。特別に産出された珍奇な花ではありません。
仲が良いという花。本当のことを話すという花。あったかい花。愛の花。思いやりの花。花弁の、どこかが欠けていても生き生きしている花。
いつの間にか集まった平凡で、穏やかな花たち。はじめのうちは周囲に根を張ってきて、棘のある枝葉をのさばらせていた醜い花々、嘘つきの花、嫉妬の花、貪欲の花などは、虫に食われて消え去りました。無視という虫は益虫です。
そう、昨夜も仲良しの一人とメールでおしゃべりをしました。そのやり取りを少し、おすそ分けしましょう。
私が送ったメールは、今現在の自分の状況を知らせる内容です。「子供たちが非常に仲が良いこと。全員が同じ情報を共有していること。嘘をつく人がいないこと。ものや金銭面などで我欲を持つ者が皆無であること、などなど平凡なことです」
友人のコメント「これは平凡なことではない、と私は思ってしまいます。決して簡単なことではないと思うのです。情報を共有するためには、誤解を恐れずに言えば、同じくらいのレベルの教養が必要になると思います。同じ日本語を話していても、それを理解しあえているとは限らない」。
続いて愛情論になり、私のコメント「大事なことは愛情の偏りがない、これを家族全員がわかっていることが必要じゃないかと思っています」
これに対する友人のコメント「私には稀有のことにすら思えます。このことも、平凡だということも、泰子さんが長い時間をかけて育て上げてきたもので、どこにでも転がっているようなものでは決してありません」
思い出した、卒業式の後の、謝恩会での思い出、卒業する全員が一人づつ立って挨拶したときのこと、私は一言「平凡に生きたいと思います」と言った。皆、若々しくて夢いっぱいで華やかな夢を歌うように語っていた。
「それは、とても難しいことですよ」先生が耳打ちするように、隣でおっしゃったのを、思い出した。
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私の誕生日!

10月に生まれました。爽やかな秋、大好きな青空。今年のお誕生日は格別の、幸せ極まるお祝いをしてもらった、その日のうちに書くはずの日記は、その日だけではない、翌日も翌々日にも記せず、つまり感動と感謝と幸せ気分が続いていた故に、貧弱な文字には変換できませんでした。
息子がトランペットを演奏してくれました。得手ではないことを百も承知の上で、中年になってから学び始めたトランペット。ハッピーバースデーのヴァリエーション! じっと座って聴くことができなかった、ウロウロしてしまい、定まらぬ視線。
贈ってもらっている「お誕生日、おめでとう」のメロディー。バラ色の音色、クリーム色の音色。ラベンダーに、スカイブルーに変わる。
嬉しくて涙がこぼれそうになって、それがまた幸せなのでした。もう一人の息子が送ってくれた花かごに溢れる暖かな色の花々と溶け合う、極彩色の音の流れが部屋の中を踊る、それが目にも見えたのでした。
私は地に膝をつき、太陽に、そしてこの大地に、両腕を天に向けて指を開き、この幸せを頂いたことを感謝しています。こんな年齢になったのですから、身も蓋もなく喜んで感謝してもバチは当たりますまい。
気がつくとハッピーバースデー・バリエーションは終わっていて、LOVE を奏でてくれていました。
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コロナの影響、メダカにも

2月末から9月に入った今日まで、徹底的引きこもり生活をしてきた。
図書館へ行かず、スーパーにもいかない。生協と通販、基本的には非常時のための備蓄が活躍する日々であった。
それはともかく、朝から晩まで在宅であるために、結果としてメダカの世話が念入りになった。夏の終わりだ、これから木枯らしの季節が来るまでの間に、この夏に生まれたメダカたちの体力をつけてやらねばならない。
無事に冬を越して春を迎えますように。
ところが大変なことになった、増えすぎたのである、せいぜい500匹くらいだったのが、軽く3000匹を超えてしまった。もっといる。
ついに業務用の餌を買った。知らぬ間にメダカが人気者になっており、改良品種が次々に登場している。三色だったり、銀色やスケルトンもいる。
今まで粗食に耐えてきた我が家フツーのメダカたちが、卵をどんどん産む餌などをもらい、生育の早いという稚魚用の餌をもらい、というよりも通販で買おうとすると、どの餌も優れた効能を持っており、普通の餌などは売っていないのである。
色揚げと言われても、黒っぽいメダカたちが、この餌を食べてたってどうにもならないが、手に入る餌を与えてしまう。結果、猛烈大量に産卵し、大量の稚魚の面倒を見ることとなり、今は水面いっぱいのメダカにたじろいでいる有様だ。
赤ちゃんメダカの時から、「ぐんぐん育つ」と謳われている餌を食べ続けると、たしかに早く大きくなる。が、大勢の高校生メダカたちを前にして、不安がよぎる。これで大丈夫かな?
植物の場合は、これは良くない育て方なのだ。栄養たっぷり、至れり尽くせりで育てると、確かに柔らかく美しく育つが、根が浅くて風に倒れる。時々、水が欲しいっ という状態にしてやると、地中深く根を張ってゆくのだ。
来年はパンくずや、鰹節の粉などを食べさせよう、今までのように。
『自由と規律 イギリスの学校生活』池田潔著 の中で、寄宿舎で生活する少年たちの食事が詳しく出ていた。それは、非常な粗食であり、少量だった。これはわざと、そうしているのだった。
また、お寺の若き修行僧たちの食事も粗食だ。これらは、何か意味があることではないか。
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日めくりカレンダー

生まれて初めて日めくりカレンダーというものを使っている。
これ、使う? とお正月に子どもが見せてくれたのを、欲しいっ とねだってもらい、1日欠かさず1日一枚、めくってきた。
薄い紙の下辺に一行、格言というか、言い習わしている一言が記されている。たとえば「取らぬ狸の皮算用」「子をもって知る親の恩」など。
その一つに「言わぬは言うに勝る」というのがあった。つい、何日か前のことです。
この慣用句の意味するところは、あれこれ言葉を重ねるよりも、じーっと見つめて何も言わない方が、はるかに強く深く、自分の思いを相手に伝えることができるものだ、
というようなことだろうか。恋人同士だったら、目に浮かぶ光景。
でも。
「悪貨は良貨を駆逐する」という格言がある。関係なさそうなこの二つの格言を重ねてみた。
世の中の出来事を目にしながら、そして関係のないことではない政治の動向などについても、よく見ており、よく理解もしているにもかかわらず沈黙を守る人々は多い。
嘘をつき、横車を押し、欲望のままに法律をも歪める政治家を眺めていても沈黙を続ける人々が大勢いる。
市井に埋もれて暮らす無名の一個人が発言しても、何ほどの効果があろうか。むしろ個人としての発言は、マイナス要因として我が身に降りかかってくるだけではないか。だから黙っているのだ。
賢いゆえの沈黙だろう。諦めが根にあるかもしれない。これほど庶民がないがしろにされている政策の渦中で生きてゆくためには、自分で自分の身を守るしかない。止むに止まれぬ選択の沈黙。
結果、はびこるのは悪貨と言える我欲に満ちた政治家集団だ。護身の沈黙は無視され、むしろ不満はないのだと思われ、歪んだ政策が世にはびこる。
良識ある沈黙の集団の思いを集めたら、と夢を追おうとするが無残に暗転してしまう。
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今年のメダカ

今年のメダカ。メダカの季節が終わろうとしている。
ビオトープで越冬したメダカたちは、アライグマに襲われて半減し、ハシボソカラスに狙われて、さらに数を減らした。
その後産卵期を迎えたメダカたちを世話して、増やして育ててきた。折しも新型コロナウイルス来襲という大事件に遭遇して、引きこもりの日々となったために、卵も稚魚も、大人のメダカたちも手厚い世話を受けることとなった。
本来なら熱帯魚店の店頭で餌と産卵用のホテイアオイを買うところだけれど、引きこもっているので通販で手に入れた。ホテイアオイは、なんと北海道からの空輸であった。一緒にタニシも買った。
5月から始めて6月7月、そして8月が終わろうとしている。今年は1日も欠かさず目をかけてきたおかげで、メダカの親も子も、空前絶後の大家族となった。
養育用の小さな容器、私はプラスチックの書類用の引き出しを流用している、このナーサリーで中学3年か高校生程度に育ったメダカを、ビオトープに放してやる。
このとき数を、卒業生の数を数えて記録する。 日によって卒業生の数はまちまちで、6匹、12匹という日もあれば、145匹 207匹という日もあった。大人のメダカに混じっても、十分生きて行ける大きさの子メダカたちだ。
あまり小さいと、親メダカに食われてしまう場合が多い。そのために卵を取り分けて孵化させて育ててきた。
今朝、その合計卒業生数が2562匹となった。おめでとう、みんな猛烈元気。
はじめは2〜3ミリ、成魚でも3〜4センチのメダカだが、それぞれ一つの命、貴重な命を授かった生きものだ。ヒトだってメダカだって、2〜3ミリの時代があってはじめて、今がある。だから目を凝らして数える。
これから秋に向かい体を作り、越冬に耐える体を作っていく。よく見ると私が手をかけた子ではない、自然のままに生まれて生き抜いてきた小さな子が相当混じっている。
タニシは10匹買ったのだが、大豆粒くらいの子タニシが、あちこちにいた。


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『八月がくるたびに』

昨日、9日は長崎に原爆が投下された日だ。長男からのメールの中に、小学校の時の課題図書が『八月がくるたびに』だった、とあった。しまってあった子供向けの本を今、出してきて開いている。
おおえ ひで作、篠原勝之絵、以前にも読んでいるのに、なぜか初めて開くページに見えてくる。そして以前には素通りしていた文字が強い勢いで息づいていた。驚いてしまった。
選ばれた言葉は研ぎ澄まされた鑿で彫られたかのような魂がこもっていた。酷暑の空を見上げる、棟方志功の鑿の航跡が空中に浮かんで見えた。ひらがな90%の、やさしい言葉たちの鋭さ。

この本に記されている原爆は長崎。長崎にはプルトニウム原爆が落とされた。広島に落とされたのはウランだった。
あの日、B29がお日様に衝突したのかな? これは長崎の爆心地から少し離れたところの人たちの推測だった。
マンハッタン計画のもと、戦争終結間際に完成した原爆を実験だけで終わらせるのはもったいない、本番をやりたい、だったらウランだけでなく、もう一つのプルトニウム原爆の方も見てみたい。早くしないと戦争が終わっちゃう! 
こんな風なあわて方をしていた人たちがいたそうだ。
75年の間に1日、1日と歩みを進めてきた検証が、こんなところに来ている。さあ、どっちがほんとうかしら? それとも他の何か? 検証はさらに進んで行く。

私には二つ、手をつなぐ手がある。長崎とつなぐ手だ。
ひとつの手は林京子さん。この方は同人誌「文芸首都」同人だった。私は「文芸首都」の後裔同人誌にいたので先輩たちから林さんのエピソードを聞いて育ってきた。
林さんは原爆のことばっかり、と揶揄されることもあったと聞いているが、原爆一筋に定まる以前はいろいろなものも書いていらした。ごく初期の短編を読んで驚いた。磨けば光る小石だった。原爆のこと以外に、なんだって書けた方だ。
そういう方が一本に絞って力を込めたのが原爆だった。この方の作にたくさん触れたことを、ありがたいと思う。お目にかかったことがない先輩が手渡してくださったもの、ないはずがない。
もう一つは何年か前に長崎の平和公園を訪れた時に出会った人の手だ。爆心地、平和公園の階段下の坂道で出会った同じ年頃の女性。
指をさして、そこの、その辺、そこで主人の母と二人の妹が。そして私の、と続く「あの日」のこと。彼女の案内で丘を登り、マリアさまに祈りを捧げたこと。言い交わしたことは、今までほんとうに黙ってきたということだった。
今夜を一緒に過ごしましょう、話し合いましょうと約束して手を握り合った、今もこの手を離さないでいます。
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広島原爆忌

今日は広島平和記念日、広島原爆忌。75年経った。
忘れない、語り継ぐ、という意志と同時に、今現在の世界の問題として将来を見据えて思案する今日、6日。観念だけではなく日々の生活行動として、ひとつまみの小さなことでもいい、実践してゆきたい。
何の因果か、3.11 福島原発事故は日本で起きた。あれだけ酷い目に遭った日本が原発事故を起こしたのだ。
世界各地で原発事故が多発している、しかし日本では一度もない、という状態であっても誰も驚かないだろう、あれだけ広島が酷い目に遭ったのだから当然だと感じるだろう。
それが世界でいくつと起きていない原発事故が、よりによって被害国の日本で起きた。チェルノブイリ事故と同程度か、いや、それ以上だとさえ言われる大事故を日本人が起こしたのだ。自国の土地、海を汚染させた、この汚染はやがて地球を覆ってゆく。世界中の人々に対して言い訳が立たない。謝って済む問題ではない。薄めて見えなくなった、感じなくなった、で忘れてよい問題ではない。

「原子力の平和利用」という文言に同意して乗った日本が間違っていたと思っています。なぜ、どうして道を踏み外したのか、検証することを思いつきもせず、先へ先へと視線を走らせる態度は間違っていると思う。
たとえ国全体が貧乏しても、日本から原子力発電所をなくしてしまいたい。福島を中心として広がる汚染地域を忘れてはいけない。今も汚染されたままであることを肝に銘じてほしい。75日で消えるのは人の噂だけだ。
福島原発事故の影響を感じつつ生活することこそが、75年前の今日を忘れていないということの証明なのだと思っている。
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カメラの目

今年は、7月末の現在まで台風が一度も来ないという。最近続く集中豪雨は台風ではない。なんか地球の健康状態がおかしくなっている。検査しに病院へ行った方が良い状態だと思う。
ビオトープのヤゴたちは、いよいよ水中生活から空中生活へ入る時期が近づくと岸辺に寄りついてその時を待つ。なるべく晴れた日に飛び立ちたい。でも今年は雨のち曇り、のち雨みたいな日々が続いて気の毒だ。
快晴の日には、朝5時頃には飛び去っている。湿気が強い曇りの日には、合わさった4枚の羽を垂直に立てたままの姿で羽が乾くのを待っている。水平に広がるまで時間がかかる。8時、10時。とうとう昼過ぎまでかかって、ようやく飛び立つというトンボが増えた。
この、無防備な時間を無事に乗り切ることが、空中生活へ入ったトンボが受ける最初の試練だ。自分ではどうすることもできない、運を天に任せるほかはない。
外猫のマルオは、水面から30センチも離れていないところで羽化中の姿を見ても知らん顔だ。何事にも動じない年配だから安心していられるが、富士は好奇心の塊だから危ない。ミミズでも蜂でも手を出すから、夕方までは庭へ出さない。
珍しく水草の茎にとまって羽を広げているトンボがいたので、離れたところからズームで撮った。パソコンに入れて拡大してみたら、なんと奥の葉にもう1匹いた。2匹だったとは知らなかった。
カメラの目について、こんな時に思案する。ジャーナリストが取材記事を書く。こんな前置きを読むことがある。その時私はカメラを連れていた。つまり取材者が映像保存のために撮影の専門家を同伴して取材しているという姿だ。主体は文字表現をするジャーナリストだ。その従属物としての位置に映像を置いている。機材を扱うカメラマンに、どのような意味、価値を置いているのだろう。記事を書く人と撮影する人が違う場合は、連名作品となるのが自然ではないかしら。
1匹だと思って撮ったトンボが2匹いた。カメラを操作る私には見えなかった現実、事実が撮られていた。これは機械の力だ。私の眼力ではない。
一方、カメラを操る人が、これを見よう、ここを見ようという強い意志のもとに狙いを定めて撮った映像がある。これには、その人の魂がこもっている。風景写真を撮っても、そこに撮影者の人柄も見えてくるのである。どこに感動しつつ見つめているかも、伝わってくるのである。
今、薄い板っきれみたいなもので気軽に無数の写真が撮影されているが、どうなんだろう、安易に撮れるからこそ心込めて丁寧な一枚を、文字を書き綴るよりももっと深く、もっと細かく刻まれる映像に留めるようにしたいと思う。
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吉川弘文館の案内 その2

吉川弘文館が『戦争孤児たちの戦後史』を今月刊行開始する。総集編・西日本編・東日本と満州編の全3巻。戦乱期の子供たちに視線が注がれるまでに、これだけの年月がかかった。このことに深い感慨を覚える。
ぜひ、手に取ってゆっくり読もうと思う。いったい何歳くらいの人々が携わり、出来上がったものだろう、そのことにも大きな関心がある。この3巻の中で取り上げられているだろう子供たちには、生きていたとしても表現する力はあまり残されてはいないはずだ、私の年代だからわかる。
当時、まがりなりにも屋根の下にいて家族が揃っており、乏しくとも口に入るものにありつけていた私は、上野の地下道にいるという孤児たちのことを思っていた、布団の中で寝ると思いだした、食べると思わずにいられなかった。しかし上野の地下道の孤児たちの情報は、口伝えでのみ、聞こえてくるニュースだった。新聞もラジオも触れなかった。ただ一つ、夕方始まるラジオドラマ『鐘の鳴る丘』が、父さん母さんいないけど〜 という明るく元気な歌声とともに戦災孤児たちの今を伝えようとしていた。その内容は、噂の内容とは別世界に感じられた。噂は、子供同士の噂ではない、大人たちが話し合っているのを、傍に立っていて見上げて聞いていた、そういう噂話だった。
神奈川県海老名市の海老名市立図書館の郷土資料の棚で、戦災孤児たちの記述に初めて出会った。が、それだけだった。数多の書き手が童話などの形で発表をしているが、姿勢を正し、真っ向から全体を把握しようとする動きは、これが初めてではないだろうか。立派な企画だと思う。戦争を知らない世代の人たちが手がけてくれるとしたら、それはさらに素晴らしいことだと思う。なぜかというと、過去を探索し、継承してゆく力を見ることができる故である。
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吉川弘文館の案内 その1

吉川弘文館が年に一回送ってくれる残部僅少一覧と一緒に、新刊案内の数々が同封されていた。その中に『アイヌ語の世界』田村すゞ子著の新装普及版があった。ウポポイが開館したところだ、この不朽の名著が広まりますように。
夢類の工房を訪ねてくれる「僅少」訪問者の一人である太重斎氏、最近はコロナもあることで無沙汰が続いているが、氏は田村すゞ子先生のお弟子でもあって、夢類工房で流暢なアイヌ語をしゃべってくれたことがあった。何によらず、授かった才能というものはあるものだ、太重斎氏は新しい土地に半年も住むともう、現地語をしゃべっている。将棋の棋士たちが思春期以前にその才能を目覚めさせて開花する、これも授かった才能に違いなく、彼らは多分、数学者になっても大活躍したのではないだろうか。数学、音楽の世界の人たちは開花時期が早いような気がする。将棋もこの世界の仲間ではないかしらと思う。
翻って我が身ともなれば、座右の銘「待て、しかして希望せよ」の通り、花は咲く、花は咲く♪ 仏様のおっしゃる通り、優曇華の花だってきっと咲く! 将来を楽しみに生きましょう! 世の中は良くしたもので、遅咲きの花というものも、ちゃんとあるのである。
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