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おめでとう、沖縄!

もう、ダメかと思っていた沖縄知事選だった。自民・公明などの推薦を受けた候補は象で、翁長前知事の意志を継いで立った候補は蟻だと言われた選挙だった。象と蟻の戦い。
蟻さんは金は無し、人も少ない。宣伝の仕方も運営も稚拙だった。一方の象さんは大金を投入し、人寄せパンダも度々駆けつけ、候補者の不都合な経歴は隠し、相手のデマを流すなどやりたい放題だった。勝つためには金に糸目をつけなかったし、ずるい、悪いと承知の上で、ためらうことなく押し通す強引さだった。とにかく勝ちを取りたいのだった。
それでも沖縄の人たちは蟻さんを選んだ。翁長さんの魂が応援してくれたんだと思う。当選して、玉城デニーさんと仲間たちが笑い、踊った。
本土に住む私たちは、沖縄のために何ができるだろう? 
口を出してはいけないような、関係もないのにと遠慮する一方、そうじゃない、これは日本の核心の部分の出来事なんだ、それが沖縄という場所にあるんだ、沖縄のためにじゃない、沖縄の問題こそ、日本全体にとっての一番大事な問題なんだと強く意識してしまう。
この投票を見守った全国の人たちは、事実を知ることを心がけ、気持ちで応援するしかないが、この気持ちというものは無力に見えるかもしれないけれど、多分、巨大な海鳴りとなり山鳴りとなり、沖縄を包み、日本を守るだろう。
私はテレビの前で、当選を喜ぶ人たちに合わせて踊った。この手ぶり、高々と腕を挙げて掌で舞う踊りを、私は以前に踊った記憶がある。身体が、記憶していた。
そうだった、ユンタだ、踊ったのはオキナワの踊りだ。何十年か前のことになるけれど、近所の仲良しグループが集まって踊ったのだった。
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自民党総裁選

自民党総裁選が昨日、20日に投開票されて、安倍晋三首相(63)総裁が連続三選と決まった。このままで行くと安倍晋三という蔑むに値する人物は2021年9月まで嫌でも目につくのだ。
元来、総裁は再選までの規約であったものを、安倍晋三のゴリ押しで三選オーケーとしたものだ。この時、相当の反対意見があったが押し切ったと記憶している。
が、メディアはこのことを忘れたのか、気にしないのか、蒸し返すのはバカだと思っているのか言及しない。当然のように、三選、三選と言っている。
安倍晋三は、云々をデンデンと読むバカである。しかし我欲のためには、このような用意周到な下準備をし、台頭する者を叩き潰し、三権分立を根こそぎひっくり返すことをしてきた人だ。
9.11。3.11。地球全体が折り目節目に差し掛かっている。民主主義が言葉だけになって、実質が変質してきただけでなく、独裁へ向ける熱い視線が生まれていないだろうか。
アメリカ合衆国大統領 トランプ、ロシア連邦大統領 プーチン、中華人民共和国 国家主席 習近平、朝鮮民主主義人民共和国 最高指導者 金正恩。
彼は、このような人たちを眺め、羨ましく思っているのだろうな、と思う。
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踏まれたり蹴られたり

台風21号が日本列島を通って行った。関西国際空港で風速58.1mを記録したという。これは観測史上最大風速だそうだ。
岬で記録的数字が出たのではなかった、空港だったことにびっくりした。室戸岬の最大瞬間風速は55.3m。亡くなった人が11人にもなった。
台風に踏みつけにされた日本列島。
ちぎれ雲の残る青空の下、気持ちよく洗濯の朝。
の、つもりが早暁3時、北海道で大地震だ。全域停電、斜面崩落、市街地、交通、すべて大被害。
踏まれるわ、蹴られるわの災害列島、日本。

高齢女性の貧困問題が、捨て置けない状態になっている。
前々から樋口恵子さんが口を酸っぱくして警告してきた通り、手に職を持たない、専業主婦の、そして共通することは、とても我慢強い女性たちが、いま貰っている長寿という贈物。
経済力がなくて社会保障が乏しくて、長寿という贈り物だけをもらう女性たちが、その贈り物は、欲しくありませんと呟いている。
北海道の大地震を気にしながら、こんな記事を読んでいる。
他人事として読んでいるのではない、わが事として読みながら、この日本列島で、踏みつけにされてきたいろんなものに思いを巡らせている。

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8月末の田んぼ

今日は36度を超えるという予報だ。全国の天気情報を眺めた。新潟は県内あまねく雷注意報が出ている。毎日雷が心配だったなあ、と湯沢で暮らした日々を思った。
いまごろは一面の田んぼが黄金色に輝き始めているだろう。収穫の時を見計らう農家の人たちが期待を込めて見守っているだろう。
新潟県内では、魚沼地方のお米が有名だし、とても美味しい。魚沼産として出荷しているので、全国どこでも買うことができる。しかし魚沼の中でも南魚沼地方のお米が、とくに美味しい。さらに南魚沼地域内では塩沢米が最高だ。
土地のスーパーのお米売り場では、ご飯の試食をさせてくれる。土地の人たちは試食してみてお米を選ぶのである。直径2センチほどのご飯玉を並べてあり、食べ比べて選ぶのだが、私には差がわからない。土地の人たちの舌は、お米の味に非常に敏感だ。
塩沢という地域は限られたところだから、生産されるお米の量には限りがある。なかなか手に入らない。
しかし新幹線の停車駅、越後湯沢駅の構内の店で食べることができるので、興味のある方はぜひ、湯沢で塩沢米を味わっていただきたい。周辺では、特に塩沢米を使っていると表示している店もある。
私が、ほとんど毎朝通い、稲の成長を見守ったのが塩沢の田だった。冬は一面の雪原になるが5月から半年間の変化はめまぐるしく、目を見張るばかりだが、ひとつ、私は大きな勘違いをしていた。
それは田んぼの小さな流れにはドジョウがいて、カエルがいて、タニシやいろいろな虫たちがいて、メダカだって泳いでいるんだという田園風景を思い描いていたこと。これが違った。
ひとくちでいうと、稲田は戸外の大工場だった。魚野川から大口径のパイプで導入する水は、ハンドル操作で自在に調節されていた。生き物の姿は、カメラを持って突っ立っている私だけだった。
水の管理、病害虫からの防御だけではなかった、政治的にがんじがらめに管理されて身動きもできない現場の人々の姿が、素人の、外来者の、都会者の私にも見えた。
いま、私はビオトープを作って喜んでいるが、ビオトープの本家、田んぼからはすでに失われている姿なのだ。
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台風とメダカ

来るぞ、来るぞと天気情報が報せる、そして台風がやってくる。今年は軽いものも合わせて3回あった。豪雨と強風に見舞われた地域には申し訳ないが、屋根が飛んだり床が浮くような被害はない。
初回と2回目まではビオトープに覆いをかけて、まだ小学生サイズも沢山いるメダカたちが雨に流されないように守った。
一昨日は3回目だった。台風の切れ端と見える低い灰色の雲が南から北へ走る。今夜が豪雨と確かめてから、お気に入りのパターン、アイスバーを持って湯船に首まで浸かって湯眠りを楽しんだ。
この歳になって、賢しら顏の医者の言うことなんか聞いてたまるか。湯船の湯眠りほど心地よいものはないのである。しかも片手にチョコアイスです。
が、ハッと気づいて愕然とした、ビオトープに覆いをかけることを忘れていた。水位を下げることも忘れていた。どうする? 諦めなさいよ、と自分に言い聞かせる。

朝、恐る恐るメダカを見に出た。澄み切って底まで透明になったビオトープの水面に、きらめく針のようなメダカ達が群れていた。5ミリほどの幼稚園児も、元気だった。
喜びがあふれたが、流されたのもいるに違いない、とマスを調べて回ったが1匹も見えないから、ほとんどのメダカが流されなかったのだ。よかったな!
春から観察してきたが、小さな入れ物でも育つが、広い場所で育てると運動量が桁違いだ。赤ん坊から大人メダカまで一緒にいると、小さな者は命がけで逃げなければ食われてしまう。
実際、食われてしまう数は多いが、生き残ったメダカは強靭な者が揃っている。
壺のメダカは、静かに向きを変えるくらいで泳がない。というか泳げない。居ながらにして餌を食べているから、幼稚園児を追いかけて取って食う必要もない。
だから小さい者も、弱い者も、みんな育って大人になれます。
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引きこもりになった暑さ

一昔前は30度になった、と大騒ぎしたような気がする。去年は猛暑だった。40度になったところが暑さの名所になったし。
そして今年の暑さは去年以上だと思う。異常な暑さだ。
でもでも、不思議だと思いませんか? ためらわずにエアコンを使用して熱中症を防ぎましょう、室内で熱中症になることが多い。などと注意を促しているが、電力不足だ、という声は聞かない。あれほど原発がなかったら日本の電力は持たないのだ、原発か必要だと言っていたのにおかしな話だ。
話が逸れてしまった、話したいことは図書館のことです。
この暑さ。図書館へ行く元気がでない。私が行く図書館の一つは、10時から17時で、かんかん照りの真っ最中にだけ開いている。借りている本の延期貸し出しをネットから行い、家にじっとしていた。何しろ片道4000歩歩くのである。これが運動になるから続けているが、この暑さでは無理というものだ。台風のおかげで一息したので出かけた。
カードを出して予約本をと頼んだら、期日過ぎたので、ないです、という。たしかに取り置き期間は7日だけれど、8日目だからと期待したがダメだった。がっかりしたが、来られなかった私がいけないのだから仕方がない。
ダラけた足取りで帰る道々、百合の花があっちの庭にもこっちの植え込みにも咲いていた。純白の百合が発光しているかのように濃い緑の間から浮き立って見える。夕方が近づくと光を増す白百合の花。
百合のお花見ができて往復8000歩。よかったじゃないの。よかったわ。でも予約が何人もいる人気の本じゃなくて、書庫から出してきてくれた古本だから、もうちょっと待っていてくれてもよかったんじゃないかなあ。甘ったれるな。規則は規則です。そういうもんかなあ。そりゃそうです。じゃないと世の中続きませんよ。個人の意見を尋ねられると、はっきりしたことを言いたがらない、曖昧な答えをする人が、決められた規則があるとなると、すごく強くなって硬くなって、おっかないのよね。それって、ありますよね。そういう時って、こっちの目をまともに見ないでしょ。なんか書類に目を落としたりしてるよ。歩きながらのひとり問答で、帰りの4000歩が400くらいに短くなった。
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土用の丑の日

今年の土用の丑の日は、7月20日と8月1日。世の中に、こんなにたくさんうなぎがいるのか、と思うほどにスーパーにウナギの蒲焼が並ぶ。日本全国の店に溢れているに違いない。生活協同組合に加盟しているので週一回の注文と配達がある。土用の丑の日の前、クリスマスの前、お正月の前などには、あらかじめ予約をするシステムになっていて、この夏もうなぎの予約注文用紙が入っていた。注文して生協に協力したいけれど、最近は気持ちにブレーキがかかっている。思わず「生協でうなぎを扱うの、やめない? 猛烈減ってるのよ」と配達の青年に言ってしまった。そんなこと言われたって、困っちゃう配達係だ。おすすめの商品を、1品でも多く注文してもらうことが配達係としては大事なことなのだから。それはわかっているけれど、生活協同組合としての思想というと大げさだけれど、やっぱり思想だ、これを持ってもらいたいものだと願うのである。
せめて雑談の時などに、会員からこんなこと言われた、などと話題に出たりして、皆が考えるようになっていったらいいなあと願う。喜んで食べる人がいるから売る、控える人が増えて売れなくなったら、ウナギの稚魚を獲り漁る欲も薄らぐだろう。需要を減らすことが、ウナギを絶滅から守る第一歩だと思う。ウナギの産卵地帯がどこか、生育過程はどのようなものであるかなどは目下解明中で、はっきりわかっていない。養殖ウナギは、幼魚を捕まえてきて餌をやって太らせて売っているのだから、成魚を獲るか、稚魚を獲るかの違いだけなんだと思う。一人一人が、日常の暮らしの中で、ほんのちょっと立ち止まって、うなぎの未来を考えてもらいたいと思うのですけれどね〜。
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この暑さ

年をとるにつれ、感覚も鈍り感じなくなるという。それでは私は若いのでありましょうか。敏感なのでしょうか。
暑くてたまらん。この夏は、というか7月も下旬に入ったが初旬から一本調子の高温で、これを暑い、暑いと感じるのであります。
夜中に喉が渇き麦茶を飲む。電灯をつけずに手探りで掴めるところにボトルを置いて寝る。魔法瓶を使っていたが、開け口を探すのに手間取るので、単純なネジ式キャップのボトルに替えた。
一晩で700gもの水分が体から蒸発するのだそうだ。寝る前に350くらい、真夜中に300程度、起き抜けに500cc。これでもトイレに行かないでいるのだから、生き物が生きてゆくために、どれほどの水が必要かということだ。
4時起きして、まずは飲んでからゆっくりと右往左往し、やがて富士と道へ出るのが日課となっている。そこへマルオが加わる。マルオも幾つかのサインを覚えてくれて飼い猫同然となってしまった。
メダカの水に指先を入れる。朝は、ぬるいが日中は湯気が出そうに熱くなってしまう。日覆いをかけてやり、薄緑色の水を草花、植木に与えて減らし、前日にカルキ抜きをした水道水を加える。
昨冬は水底まで凍結してメダカ全滅の大惨事であったので、今夏は湯の池で茹だってしまった大惨事、となりたくないので必死の努力を重ねている。
今朝、トンボが羽化し、一仕事を終えた時には透明な翅を煌めかせて飛び立った。ウチのヤゴの、旅立ちの日。
彼らが念入りに水面に産み落とす卵のほとんどはメダカたちの好餌であるから、ヤゴに育つのはごくわずかだ。メダカはヤゴの卵を食べ、ヤゴはメダカを食べ、自然界は巡る。
水生昆虫のほとんどは翅を持っていて飛来できるので、アメンボ、来ないかなあ。ミズスマシ、こいこい。マツモムシ来てちょうだいと願っている。もしかするとトンボも水生昆虫の仲間に入るのかもしれない。
近くに水場があれば、たちまちきてくれるだろうが、すっかり造成されきってしまった地帯だ、小さなビオトープを見つけてくれるアメンボはいるだろうか。
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羽化

夏至を過ぎると日差しが変わる。秋の虫が鳴き始める前にセミの季節が来る。早朝の富士の散歩に出たら茂みの奥から一声、キリギリスが鳴いた。
今夏は暑い。去年より暑さが厳しように感じられ、しかも一本調子に暑い日が続いている。これには良いこともあり、今年のメダカはよく育っている。
春一番、5月生まれの赤ちゃんたちがもう、一人前の大人になって、いつ産卵してもおかしくないほどの体型に育った。
ようやく念願のビオトープが安定、底の砂と水草も落ち着いて、藻の間には今朝生まれたかのような赤ちゃんメダカが固まっている。この稚魚たちは、この春生まれの若メダカの子かもしれない。
大人メダカは、卵であれ稚魚であれ、自分たちの子孫と知ってか知らずか食べてしまう。だから繁殖させるには幾つもの水槽に分けて飼育しなければならないのだけれど、ビオトープは自然体が目的なので成り行きに任せている。
成り行きとはいえ、水の管理と餌やりはするので、放置しているわけではない。膝をついて水面に顔を寄せてみていると、稚魚は藻の間に集まって、広い場所へ出ていかないことがわかった。また、元気者たちは障害物のない広場を群れを作って泳ぎまわり楽しそうだ。
ここにはすでにトンボが飛来して盛んに産卵している。やがて水面に産んだ卵が孵化してヤゴになり冬越しをするはずだ。メダカを飼育する人たちは、ヤゴをメダカの天敵と言って目の敵にする。獰猛な肉食系のヤゴは水底を這って暮らすのだが、素早い。メダカがどれほど被害にあうか、大変な数になると思う。それでも、これがビオトープという小さな自然の姿なのだから、ヤゴも、そのまま生活している。
毎年、何匹かのヤゴが、夜明け前に水を出て草の茎や、ブロックなど、選んだ場所で羽化する。日が出る頃には輝くトンボとなり、小さな壺の水から大きな空へ飛び立ってゆく。

だらだらと話が長くなったが、羽化でききれずに死んだヤゴを見つけた。なぜ。20年、30年やってきているが初めて見た異変だ。ゴールを見つめながら走ってきて転倒したような。トンボの羽化は今ではない、6月初旬の出来事だったが、だれかに伝えることも、する気になれないで陰鬱に抱えていた。
アブラゼミの声は、まだ耳にしないが、これからがセミの季節。お向かいさんの家のガレージに転がっていたセミの抜け殻に富士がじゃれついて遊んだ。ところが庭に、羽化できずに死んでいるセミを見つけた。突然、去年の夏を思い出した、去年も羽化できなかったセミを見ていたことを。去年が最初だった、それ以前は、こんな不発羽化は見たこともなかった。それが、今夏また起きている。何か原因があるに違いないと思うのです。
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劣化一筋の政治家

今月26日のこと、自民党の二階俊博幹事長は、東京都内で行われた政治評論家との対談で、少子化問題について次のような発言をした。
「戦中、戦後の食うや食わずの時代も、子どもを産んだら大変だから産まないようにしようと言った人はいない。この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないか、誇れるんじゃないかと勝手なことを自分で考える(人がいる)」。
また、生活水準についても「食べるに困るようなうちは今はない。こんな素晴らしい幸せな国はない」と指摘した。
私は手製のうちわを使っている。これに、発憤忘食 楽以忘憂 不知老之将至 と下手くそな筆で書いた。これは論語の中の一節で、疑問に思うことがあったら寝食を忘れて研究するがよい、というような意味なのだろうが、私の解釈は、まことに自分本位なものであり、立腹すると食事どきになったことにも気づかない、という意味にとっている。何気ない一言に立腹するのである。カンカンに腹が立ってしまうのである。今、二階幹事長に腹を立てていて収まらない。
二階幹事長の女性観について云々の問題ではない。彼の、この発言はジェンダーのフィールドで批判が出るかもしれないが、私の立腹はそこにはない。男女格差の問題では、二階幹事長が何をほざこうが、それ以前に日本は、144ヶ国のなかで114位というランクに位置しているのだ。何がって、男女格差のレベルが、である。G7(主要7国)の中では今年もまた最下位だ。この数字は「世界経済フォーラム」の今年度の報告書による。
二階幹事長の発言から滲み出るもの、それは彼の無知、不勉強だ。政治家の風上にも置けない。それどころではない、人として認めるわけにもいかんのである。
戦中、大日本帝国の政府は、国民に命令したのだ、母たちよ、産めよ、増やせよ。多産の母は褒められた。いったい何のために、こんなキャンペーンを張ったか? 国のため、とかいうもの。二階幹事長が抱く欲望と、そっくり同じものだ。
当時、東京都で生活していた私は、どれほどの食糧難だったか、ひもじい思いをしていたかが骨身にしみている。女たちは、ひもじくて瘦せおとろえていても、その自分の体を損なっても、子を産んだ。産まざるをえなかったのだ、なぜなら人為的に妊娠を左右できなかったのだから。今時代は「子を作る」という言い方をするが、当時は恵まれるものであり、成り行きに任せるしかなかった。どれほど子を望んでも恵まれない場合も多い。欲しいのに生まれない人を石女(うまずめ)と呼び捨てて、これを離婚の原因とすることが社会に通用した。身体に不安を抱える人にとって、妊娠は命に関わる恐怖であった。もう、欲しくないと悲鳴をあげても、次々に生まれてしまうのを、どうすることもできなかったのだ。
二階幹事長は、ついこの間の、このことさえも知らないのか? 学ばなかったのか? 忘れたのか? つまりは他人事なんだろう。そうでなければ、これほど無知蒙昧な勝手なことをほざけるわけがない。
今時代に、子を作れないと言っている人は多い。それは自分自身の老後さえも、先細りの年金を思い、今の政治状態を眺めれば危うくて心細くてたまらないのだ。一昔前は、貧乏人の子沢山と言って、経済的に苦しい家庭ほど子を頼りにした。子を働かせるからであった。しかし今は、AIに取って替わられてしまう職種がどんどん増えるのである。子を沢山産んでも、親の口を潤してはくれないのである。いったい政治家は何を考えているのだろう。
もう一つ、「食べるに困るようなうちはない」と二階幹事長は言った。子供の貧困率を、日本の現状を、どう捉えているのだろう。上野公園の一角で、なんと大勢の人々がその日、一回のゴハンを待っていることか。たがいに言葉をかわすこともなく、ひっそりと集まり来たり、草地に尻を下ろして膝を抱える、慈善団体の車が来るのを根気よく待つのである。イエス様の教えを我慢強く聞く、その後に配られる食物のために。私は腹が立って仕方がない。何か楽以忘憂の種を見つけなければ身がもたない。
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7月23日

7月23日、沖縄の慰霊の日。太平洋戦争末期の地上戦で犠牲となった人々を悼む日。平和記念公園で開かれた沖縄全戦歿者追悼式のスピーチを、今年は格別の思いで聞いた。
先月のことだったが、長年お付き合いをいただいている桑原重美氏から、沖縄の学童疎開当時を取材、制作、NHKで放映された氏の作品をDVDに変換してお贈りいただいたことから、当時の沖縄の学童たちについての資料を読み続けていたからだった。桑原氏は、私と同時代の方であるから現在はNHKを退職されて独自の活動に専念されているカメラマンで、執筆された著書も多い。対象との対峙の姿勢など学ぶところが尽きない。戦争末期の学童疎開は、私自身の経験と重なることから他人事とは感じられない出来事だ、沖縄の当時の様相に分け入るにつれて万感の思いが湧き溢れて言葉を失う。
この日の翁長沖縄県知事は、ステージ2の膵臓癌で闘病中のところを「平和宣言」で力を込めて言葉を渡してくれた。70年間が折りたたまれて今現在の平和公園に在るかのような思いが流れる。術後の知事の衰えた姿に衝撃を受けたが、またそれゆえに強靭な精神、沖縄への熱い愛を受け取り心底感動した。さらに続いて港川中学校3年生の相良倫子さんが「私は、生きている」という自作の詩を謳った。長い詩を、はっきりと顔を上げて朗唱したので、朗読したのではない。
やがて安倍晋三の出番となって壇上で言葉を発したが、紙に目を落として読み続け、たまに顔を上げるが一節を記憶でききれないので、ほとんど読み上げる格好になってしまう。自分自身の中から生まれた文章ではないから、機械的に口を動かしているのである。このような式典で彼が読み上げるものは、仄聞するに例年のパターンが出来ており、幾つかの語を入れ替える程度だという。しかもルビ付だという。言葉は、言外の性根までも伝えてしまう。
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猫の液状化

2017年のイグノーベル賞で、日本のチャタテムシ研究の専門家、北大の吉澤和徳准教授が生物学賞を受賞したニュースに、天地逆転の感を深くした。ムシのメスがオス、オスがメスの形をしているのを発見したというのである。わが家の庭に自生している浦島草、これが雌雄異株なのだが、時に雌株が雄に、雄株が雌に性転換することを知り、世の中わからないものだなあと慨嘆していた矢先であったので興味津々だ。他の受賞研究も見よう、まさに不確実性の時代ではないか。
2017年度物理学賞を受賞したのはフランス、パリ第7大学のマーク・アントワン・ファルダン先生で、受賞研究は流体動力学を使い、猫は固体であると同時に液体であるという説で受賞。多数の証拠写真は段ボール箱をはじめ、ガラス瓶、丼など様々な小さな器に収まっている猫たちだ。
これはまさに猫の液状化現象を捉えたもので、猫は、人の手によって押し込まれたのではない、自分から進んで入り込み、器の形に従い水のごとく収まっているのである。
さて話はここからで、猫の液状化現象は、器入りの姿は微笑ましいが、時に困ることもあるという、私と富士の場合だ。富士は犬のリードとハルターをつけて毎朝散歩をする。ところが気が小さい怖がり屋で、見慣れない大きな車や見知らぬ人が近づいたときなど、ほとんどパニック状態になってしまう。とにかく逃げ出して安全な我が家へ逃げ込みたい。この時につないでいるリードもハルターも、全く役に立たなくなってしまうのだ。あっという間に「縄抜け」して裸状態になり駈け去ってしまう。自己判断第一で私を無視して行動する。多分猫の持つ習性だろう、富士だけではなく、どの猫も似た行動をとるのではないか。犬のように人と気持ちを合わせてくれない。
忍者の「縄抜けの術」では関節を外すと聞くが、富士は一瞬のうちに(液状化して)抜け出してしまうのだ。じゃあ、普段の散歩の時のリードは一体なんなのよ、と思ってしまう。富士にしてみれば手をつないだ程度のことらしい。私は物理的に富士の体を確保できていると思い込んでいたが、このことから猫液状化は事実であると断言できます。


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富士の誕生日

まさか、この私が飼うとは夢にも思わなかった猫がやってきて丸5年になった。昨日が富士の5歳の誕生日だった。
ということは、私も5つ歳を重ねたのだなあ。5年前はまだ70代だったのだなあ、などと富士のことより自分の年齢の刻みに思いが行ってしまう。
5歳の富士は、いまが盛りの健康体だ。跳び上がりたいところへ軽々と浮かび上がるかのように跳躍するだけでなく、幼いときと違って目計りも確実になっている。猫族の肢体の美しさは、犬とはまた違う楽しみで、遊ぶ姿、眠る姿ともに魅力がある。
こんなことより、最も興味深い進歩は、学習能力と記憶力ではないだろうか。
いまどきの人間は、恐ろしい速さで記憶する能力を器械に委ねつつある。
ついこの間まで、私の年代の人たちのあいだでは、デジカメって外来種なの? と囁き合ったものだ。デジタルカメラそのものを見たことがない上に、デジカメと省略した言い方が広がっているので、デジという名の亀の一種だと思っていたのだ。今では古いものも新しいものも、知らない物事はない、ググったら出てるわよ、なんて喜んでいる。
この進歩の足取りには加速度がついている。記憶する必要がなくなったことを実感できる故である。これに加えて元来内蔵している「忘れる力」も働くのだ。
古くから持っている「忘れる力」とは、嫌だったことや、世間の出来事を忘れる力のことだ。3.11後の放射能の拡散状況、その影響についての関心。森友・加計問題。熊本の大地震も、霧島の新燃岳の噴火も、地元の人以外はたちまち念頭を離れてゆく。
これではいったい、私たちの脳みそには何が残るのかしら?
富士は、違う。あらゆることを記憶すること、これが自分の命に直結していることを知っている。覚えたら一生忘れない。
富士だけではない、自由猫のマルオも、他の猫たちのみならず、犬も馬もあらゆる動物たちは自分自身の記憶力が、食べ物を得ることと同列に大切なのではないだろうか。自分の記憶以外の場所から、何も引き出せないのだから。
動物の物語には、どこそこ山の大熊、大鹿は頭が良い、ずる賢くて出し抜かれた、などと書かれているが、記憶力が良い個体だからこそ生き延びているのだと思う。
5年間の間に富士は、たくさんのことを見聞きし、経験し、その全てを覚えてきた。私も協力して彼女の経験を増やそうと、大雪の中に出してやり、大風のベランダに身をさらし、大雨の時にドアから連れ出したりもした。毎朝の散歩をねだる時に、雨よ、と言ってドアを開けると納得する。散歩から帰りたくなった私が、お家に帰ろう、と囁くと向きを変えて戻る。お留守番してね、という必要はほとんどない。着替えたり帽子をかぶったり、鍵を持ったりする仕草を見ていてわかってしまう。
猫は、せいぜい5キロ程度で小型犬ほどの体格だし、四つ足だから、ほとんど見下ろして付き合っているのだけれど、気持ちは同じ目線で付き合っている。違う部分は多いけれど、気持ちの部分は重なっているので、人と付き合うのと富士と付き合うのとは、区別をしていない。
二、三日前につまづいて転んだ私が、痛かったなあとしょんぼりしていたら、富士が二階へ上がっていった。猫は自分本位だし、犬のように甘えたりしないから、居心地の良い場所に落ち着いたのだろうと思ったのだが違った。すぐに降りてきて、くわえてきたフクロウのおもちゃを私のお尻にくっつけて置いた。このおもちゃは生まれてはじめてもらったお宝で、一番のお気に入りなのだ。大層なものではない、手製のタオル地のフクロウ。
富士が、お見舞いしてくれたんだ、とわかった時、なんと嬉しかったことか。ありがとう、の印にキーボードの横に、しばらく置いておいた。これが犬の千早相手だったら、千早の首に抱きついてありがとう、を連発するところだが、富士との付き合いでは、私が大切にしている場所にフクロウを持って行った、これを富士に見届けてもらうことが最大のありがとうなのだ。お互い、相手のやり方を取り入れながら、ありがとう、ありがとうの付き合いができるようになった5年目であります。

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今どきの赤ちゃん

ベビーカーに乗っている赤ちゃんの話。赤ちゃんと言っても2歳前後に見える女の子だったが、夕方のバスに乗ってきた。お母さんはバスが動き出す前からスマホに目が吸着しており、私は向かい側の「思いやりシート」に腰掛けて、ベビーカーに収まっている可愛らしい赤ちゃんを眺めるともなく目を向けていた。
やがて赤ちゃんが両足を突っ張った、次に頭を反らせた。みるみる難しい表情になり身体中をくねらせてもがきはじめたが、お母さんはスマホに見入っている。行くな〜、と見ていると予想通り、赤ちゃんがギュワア〜と大声をあげた、顔じゅうが涙ビシャビシャになる、2声目はさらに大きい。
するとお母さんは、いや、このママはとても綺麗な女性で、キラキラしたネイルがすごく美しいのだ。このママは、泣きだした我が子に目を落とした瞬間、すぐにスマホの操作に戻り、忙しくネイルの先を動かしたと思ったら、泣きわめく赤ちゃんの手に自分のスマホを握らせたのだ。赤ちゃんは握ったスマホの画面に目を向け、すぐに泣き止み、そして。目を丸くしてみている私は、唖然として口を開けてしまったのだが、もう一方の手指を使ってスマホを操作し始めたのだ。もちろん、泣くことなど忘れ去っている。お母さんは窓の外に目を放ち、のんびりした表情だった。私は考え込んでしまった、年をとってボケてきて赤ん坊の月齢を読み損なったのではないか。赤ちゃんと見えたのは間違いで、4、5歳児だったのでは? まさかそれはない。1歳半といっても通るような本物の赤ん坊だったのだ。
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浦島草

今年も浦島草の花が咲いた。手のひらの一回りも大きな葉を一枚だけ広げて、その下に咲く花は茶紫色の筒型で「大型の仏炎苞に包まれた肉穂花序」という表現をするが、これでは、何のことやらわからない。これはサトイモ科の植物で、同じくサトイモ科の水芭蕉とよく似た花の形、といったほうがわかるかもしれない。ラッパ状に上を向いた筒の先が細く長い糸のように伸びている、これが浦島太郎の持っていた釣竿の釣り糸に例えられて、浦島の名前をもらっている。
花屋さんで売られている花ではない、私は貰ったのでもなく、買ったのでもない、庭に自然に生えていたので見守っている。秋に朱色の実をつけるが、これはトウモロコシのような実のつき方をする。全く実のつかない年もある。
この植物の持つ特徴は、性転換をすることだ。小さいときにオスでいて、大きくなってくるとメスに変わったりする。無性のこともあるというが、眺めても私の目では判然としない。
もう一つの特徴は、ちょっとひどいなあ、と思うようなものだ。メスの花が受精しようという段になる、そこへオスの花の花粉をいっぱいつけた虫、虫はキノコバエというハエなのだが、これが飛んできて筒型のメス花の中に入り、受精が完了する。
さあ、めでたしめでたしで終わると思うでしょう。ところがキノコバエは花から出られずに死んでしまうのだ。入ったら最後、出られない仕組みになっている。私は、これはひどいなあと思う。出してあげたって良いではないか。閉じ込めてしまう理由を想像するに、トウモロコシの実のようにたくさんの粒が結実する植物だから、念入りに虫が飛び回り受精させようとして軟禁するのではないだろうか。いや、軟禁というより命の限り励めということだ。想像を逞しくして行けば行くほど、恐怖、残酷のメスと言わざるをえない。
この実は地に散ると芽を出すが、丸2年後に発芽する。サトイモのように、親芋の周りに小芋がたくさんつくので、小芋を分けて増やす方が簡単だ。増えすぎてあっちにもこっちにも芽が出ているが、花が咲くまでに成長するには数年かかるように思う。
浦島草とそっくりの姿で釣り糸がない種類はマムシグサと呼ばれて、山道でよく見かける。マムシというよりもコブラが鎌首を持ち上げて、こっちを見つめているといった感じの花だ。これは猛烈な毒草で、里芋みたいだな、と芋を食べると死ぬこともある。
浦島草もマムシグサと同じサポニンという成分を持っていて、口に入れてみた人の話では、マムシグサのレベルではない激痛が口内いっぱいになるそうで、飲み込んだら死ぬに決まっているだろうが、呑み込める代物ではないそうだ。
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