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自殺について 人と動物の違い

今朝の産経ニュースの「主張」欄、これは他紙の社説に当たるものだが、タイトルが「大声で怒鳴られ、トイレで泣いた 福井の中2自殺、生徒を追い詰めて教師か」であった。
これは今年3月、福井県池田町の町立中学で当時14歳の2年男子生徒が校舎3階から飛び降り自殺したことについての主張。世間に広まり、半年を過ぎた今は口の端に登らなくなってきた事柄を改めて白日のもとに晒して読者の心に訴えている。それは半年の間じゅう、胸の内に充満し駆け巡っていた思いであることが行間ににじみ出ているものだった。教育とは無縁の、加害者としての教師に目を向けている。
私は下品ではしたない極右の産経新聞を軽蔑し、憎んでいるが、政治向きの記事を離れたところには読むべき記事は多い。自分の考え方の対極にある意見を聞き、読むことが何より大切だと思うので、産経も読売も真面目に読んでいる。

それはさておき、教師によるいじめについては、私は意見も経験も山ほど持っており、書きつくすことなど出来るものではない。簡単に結論を言うと、子の死を抱えて手記を書くよりは、教師を殺した方が母としては良かったと真面目に考えている。たとえ未遂に終わったとしても、あるいは教師殺人を全うして有罪になったとしても、我が子の死を抱える母よりは、母として満足だろうと考える。
人から犬へ、話題が飛びます。私は日々目にしてきた犬の中で、非常に短命だった犬を思い出す。育ち盛りの月齢で死んでしまった大型のコリーと小型犬のヨークシャー。コリーの飼い主は道に連れ出して長い毛を梳くのだが、わけもなしに殴るのだった。通りかかる私が目を覆うほどの凄まじさで殴った。ヨークシャーはリボンをつけて細かい足取りで元気よく散歩するのだが、いきなり道の真ん中に腰を落として糞をする。飼い主にはこれが我慢ならぬ行いであり、リードを高く掲げて犬を宙づりにしたまま、ここで糞をしろ、という場所まで提げて行くのだった。
犬なんて、こうしてやったって、わかりゃしないんです、と飼い主は言った。灯火が消えるように死んでしまったこの二頭の犬の死を自然死と言えるだろうか。殺されたのではないか。
人は、ここから落ちたら死ねるんだ、という知識を頭の中に持っている点だけが犬たちと異なるのであって、自殺を行使しようとして手足が動きだす以前に、すでに殺されてしまっているのだと私は思う。
コリーとヨークシャーだけを取り上げているのではない、動物たちすべてについてのことだけれど、仲間をじわじわと死に追い込むことを、動物たちはするだろうか。
14歳の男の子が、どれほど柔らかい、感じやすい心を持っているか。加えて彼らは、たどたどしいとさえ言えるほどの朴訥で稚拙な言葉しか、まだ授けられてはいないのだ。
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金魚草

去年の暮に、葵さんから貰った金魚草の種を蒔いたことを前に書いたが、その後の金魚草の姿について付け足します。
今回の台風の風が南に移ったとき、ひ弱な茎の金魚草が痛むだろうと支柱にまとめて縛りつけた。
咲いていた花は摘んで、切り花として部屋に入れた。10月末まで咲くとは思わなかった金魚草は、まだ蕾をつけている。
植木鉢を持ち上げたり運んだりは、高齢になると腰に悪いから花を育てるのはやめましょう、と植木鉢を処分してしまったのだけれど、
手のひらほどの土に芽を出した金魚草が膝丈ほどに茂り、金魚のような花びらの口をパクパクさせて、止めることなんかないよ、と言っている。

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汚濁の流れに沈む宝石

若い頃は新聞を2紙とっていて、日経新聞を夫が持って出勤し、一紙を私が読んでいた。
海外生活の時は新聞配達ではなく買いに出ていたが、情けないことに三面記事ばかりを追い、翌日の新聞になるのだった。
どうしてもっと勉強しなかったのだろうと悔やまれてならない。
今はネットと繋がっているおかげで国内外の新聞がよりどりみどり、各紙の社説を比較して読むことができる。コラムもたくさん読める。

お気に入りの新聞ばかり読んでいるとバランス感覚を損なうので満遍なく読むことにしているが、どの新聞社にも、まことに優れた人材が潜んでいることに気づいた。
読売新聞のコラムニストの静かな佇まいの発する光に宝石を見つけた思いがした。こう言う書き手がここにいるんだと思いつつ読む。
今朝の産経新聞の社説は、他紙が指摘しない点を堂々と述べていた。こんな書き手が、というか目を持っている人がここにいるんだと思った。
 紹介すると「政党は政見を同じくする集団でなければならない。直面する課題への解答を一致して公約に掲げなければ、政策の発信力は乏しい。ましてや受け皿は作れない。
       「排除の論理」が野党敗北の理由と言わんばかりの批判もある。理念や政策で政権を争う民主主義の本質を顧みない、筋違いの議論である。」
看板で中味を決めつけてはいけないと、改めて身仕舞を正した。
 



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10月23日に

知性欠如、良心不在、下卑た人格で人事権を武器に策略を弄する男が、再び国政を私物化することに決まった。
今回、沖縄県民が選んだ面々を見てください。県民の365日が凝縮した票に実体を感じた。新潟県も頑張っている様子が普段から伝わってくる。

それにひきかえ、なんと恥ずかしい神奈川県民であることか。
金銭授受疑惑で辞任した厚木の甘利明は、睡眠障害と申し立てて隠れていたが当選した。
郵政民営化でアメリカに日本の貯金を渡してしまった国賊の息子の、どこが取り柄でダントツ当選させたのか。
県内には厚木海軍飛行場、相模総合補給廠、キャンプ座間がある。これらのアメリカ軍事基地は、我が家の中に、家の人間が入れない部屋があるということだ。
おまけに北朝鮮が騒ぎ立てれば、軍用機が頭の上を飛び回る。艦載機の轟音を、単に轟音と聞いているのか。
こういう、環境にいながら、こういう、バカバカしい投票をしているのが、神奈川県民だ。

東京には、ものを言う気力も失せた。だいたい、地方出の腰掛け人種がほとんどで、田舎者ほどお洒落をしたり流行のものに染まり東京面をしているが、
彼らは東京を仕事場、使い捨ての場と心得ており、愛着もなければ礼節の持ち合わせもない。
田舎にいるときから礼節のれの字も知らないのだから持ちようもなかろうが、軽蔑の視線は感じないらしい。
わけもわからん輩が芸能人の人気投票との区別も知らずに投票している有様。
根拠のある情報をもとに勉強しよう、裁判官の、それぞれの判決を読んでみよう、と思い立つ人がいるだろうか? 
生まれがどこか、で選別しているのではない、内容が問題なので、特に長い物には巻かれろ式の思想を持つ奴が大嫌いだ。

友人に、本気で日本の行く末を案じている人がいる。
地方の人で、女学生の時に工場で勤労奉仕をしていた世代の人だ。
その娘さんが言ったそうだ、
「お母さんは、もう自分の老後だけを考えればいい! 日本の国がどうこう思う必要はない」。
この友人は、神社本庁という組織について疑問を持ち、問題提起を続けている。
娘さんに反対することになるが、友人を応援している。

神社本庁(日本会議)という組織は、7700万人を擁する宗教組織で、自民党と密接につながっていること、
創価学会は827万世帯を抱えて、選挙の時は総動員で公明党のために働いていること。
宗教と政治が近づいてはいけない。
今の日本の様相は、卑弥呼統治時代と比べてどうなのよ、と思うのですが。
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選挙結果が出る前に言いたい

あと何日か後に投票日。今回の選挙で私が注目したのは希望の党だった。これは小池百合子さんが立ち上げた新しい党だ。都知事の小池百合子さんは、抜群の表現力と群集心理の把握力を持つ保守系政治家。
極右かと思われる方向性には真っ向から反対なので、その点は別問題として、小池百合子さんによって大きく変わりつつある女性に対する男性の態度、評価に注目している。節目は、都知事選のときだった。
都知事選の時に石原慎太郎が言った、厚化粧のおばさん。その前の都知事選のときにも石原慎太郎は、立候補者の一人、樋口恵子さんに対して、おばさん、を連発していた。樋口さんの時は黙って耐えたのだった。黙って耐えていたのは樋口恵子さんではない、女性の有権者たちだ。
小池百合子さんが、前回と同じ立ち位置の、女性蔑視の慎太郎に厚化粧のおばさん、と言われた時は我慢しなかった。小池百合子さんがではない、女性の有権者たちが我慢しなかったのだ。いや、我慢しなかったというよりは、もう一歩進んで慎太郎を嘲笑ったのだった。
つまり私は、小池百合子さんについて云々しようとしているのではない、時代を生きる女性たちの感覚の変化を言いたいのです。この時私は感動した。変わったと思った。ここまできたなあ、と感じた。
経験、体力気力の充満している小池さんは昇竜の勢いを持って進み、それを見守る側、あるいは政治家たちも、小池さんが彼か、彼女かの区別を超えた実力ある一人の人物として受け取るようになっていったのを眺め、喜んだ。実力があれば、男女の区別は無用なんだという時代に入ったとは、なんと素晴らしいことだろう。

小池百合子さんが民進党合流に際し、全員無条件合流の気はないと明言した。それは強い意志を表す表現で、さらさらない、と言い切ったのだった。私はTVニュースでこのシーンを見たが明晰な表情だった。排除されたメンバーを見ると、はっきりとした選別ラインがあるのだった。もしも無条件全員集合と言っていたら私は小池百合子さんの評価を下げたろう、立派な決断だったと思う。
ところが、この時の「排除」を種として急速に風向きが変わり、希望の党は苦戦を強いられている。たぶん小池百合子さんは、これが政治ってものよと腹を据えて笑っているだろうが、私は笑えない。というか、二つの種に腹を立てている。
ひとつは、今が叩きどきだ、となった時に誰もかれもが、おばさんだ、魔女だ、と言いたい放題の女性蔑視の言葉をぶつける。許せない。実力があれば、男女の区別は無用なんだと喜んだのは、糠喜びだった。ちょっと弱みを捕まえると女性蔑視の性根が現れる。
もう一つは、排除という言葉に全てを乗せての非難。これはトリックだ、まやかしだ、と私は思う。選挙するということ自体が選別ではないのか。立候補者を選別すること自体、優しくない行為と言えないか? せっかく、その気になって立候補したのだから、候補者全員を当選ということにしてあげたらいいんじゃないの、と言いたいのか。小学校の徒競走で、手をつないでみんなで一等賞になりましょう、が、やさしさ、温かさのこもった良い社会だという人たちは、その通りだとうなづくのだろう。排除という言葉をプラカードにして、実は当然の行為をしている人物を叩きに叩く、これこそ悪意のこもったいじめそのものではないか。
小池百合子さんの言動を庇おうとする発言が見当たらない今、私は全く縁も関係もない外野人だが、この時点で叫ぶ。小池百合子さんは非難されるべきではない。彼女はまっとうだ。

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ライオンとクジラ対ネズミとイワシ

今朝の社説6紙のタイトルを並べると
読売新聞=政治姿勢 国民の疑念には真摯に答えよ
産経新聞=森友・加計問題 説明責任は選挙後も続く
日経新聞=与野党は同じ土俵で議論を
朝日新聞=衆院選 安保法と憲法9条 さらなる逸脱を許すのか
毎日新聞=日本の岐路 エネルギー政策 原発依存からの出口は
東京新聞=<衆院選>経済政策 思いつきノミクスでは
となっている。2本立ての社説を出している新聞がほとんどだが、選挙関連の方を拾った。

今回の衆院選では、この社説群のタイトルを見ても分かる通り、全紙が同じ方向を向いている。
これは、かつてないことだ。
前回の選挙の際、保守系メディアは、こぞって論点のすり替えを行った。NHKが、その先頭に立った。なので私は、同日に並んだ社説群を見て意外性を感じるとともに、改めて安倍政権の目に余る腐敗、乱脈ぶりを見た思いがした。
こんな政権は初めてだ、という声が政権に関わる人物たちからも複数聞こえていたのは宜なるかな、であった。
あまりにもあからさまな政権の私物化に、さすがの保守系も庇う言葉が見つからない。
しかし、TVメディアの言うことだが、現在の状況では与党が絶対優勢、過半数を獲得という。
これはどうしたことだろう?

今回の選挙結果がどう出るか。それは投票後に数字となって公表されるだろう。
民主主義の根幹である投票の結果を100%信ずることができなくなっている、という国民感覚は鋭い。しかしこの鋭いセンサーは、我が身を守り、危険なことは見ても見ないふりをする原初の生物的動きに反応し完結してしまう。
締め切られた投票箱が封印され、投票所から開票作業場に移動運搬される。時間的物理的に開票結果が出ることが不可能と思われる、この時間帯に「当確」の報道がでるということを不思議と感じない国民がいるだろうか。
投票票の一部が不正な操作を受けて消滅したり、改変されたりしているという風評に耳を貸さず、信じようともしない国民が、どれほどいるだろうか。
小さいものたち、弱いものたちのセンサーは、力を持つ大きなものたちとは比較にならないほどの鋭さを持つ。自然とは、もともとそういうものではないかしら。
ライオンとネズミ。クジラとイワシ。人間だって、このような自然界の生き物の一種なんだから。同じことをしているのよ、と私は感じている。
ネズミとイワシに、団結しよう、考えよう、抵抗しようと説いたって、それこそバカもの扱いをされるのがオチである。バカなことを言ってる暇があったら逃げなよ、と諭されるのではないか。
かくして夢の民主主義は包装紙だけを残して、私物化と独裁の快感を手にした下劣な品性の輩が居座ることになる。
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ICAN

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞受賞することになった。長年広島長崎の地で運動を続けてこられた多くの人たちが喜んでいる。
ノーベル賞の注目度は高いから、この受賞はとても大きな力になることと思う。アイキャンてな〜に? ユーキャン! ウィーキャン! みんなで核廃絶の声を挙げたい。
私としては核兵器と言わず、核廃絶として欲しいところだが。
先ごろ日本政府は、核兵器禁止条約に署名しなかった。アメリカの核の傘の下にいるために署名をためらい、アメリカの尻について同じ態度に出たのだろう。
台湾の人なんか、なんで日本は署名しないの? 一番先に反対するかと思ったのにと驚いているではないか。
これを機に、どうして日本は、という声が高まると方針を変えて署名するかもしれないが、それでよかったとは私は思わない。
自分の考え、主張を立てて、周囲がどうであろうと、これはこうだ、と胸を張って言うことができない、決めることができない日本。強いものに従い、多くの声に取り囲まれればそれに押されて従うという態度は、全然治っていないのだから。情けないクラゲスタイルではないか。日本の態度に例えられたらクラゲだって怒ると思う。
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選挙

衆議院解散。衆院選が10月10日公示、22日が投票日と決まった。国の政治を司る人々の頭、総理大臣を筆頭に多くの政治家は、国民の暮らしに意を注ぐことよりも、自分たちの為を思って国の舵取りをしている。アベという人は、渡さないと叫ぶ。真に迫って叫ぶ姿が、この先の何日間か続くだろう。
政権を渡さない、と叫ぶのは、彼がヒラの時から一貫していてブレない。野党に渡さないと叫んでいるのだなあ、と聞いていたが、そうではなかった。彼はこの家業を他人に渡すものか、と叫んでいるのだった。爺様の代からやってきて、身内の誰彼にいい目を見させ、ワーストレディは小料理屋だか飲み屋だかをやっている。ここで改めて見識がないとか、哲学を持っていないとか、良心があるのかとか、ふりがなを付けてもらわないで中学生レベルの漢字が読めるようにしろとか、文句を言う気はない。
消えてくれ、という思いの人たちの無言の圧力が一票というかたちとなって、その一票が生きて欲しい、と願うのみだ。
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メキシコ地震

メキシコ中部地域が19日の午後、M7.1の大地震に襲われた。少なくとも61人が死亡という報道、続いて149人の死亡が確認され、たちまち200人を越えたと報道される。阪神淡路大震災の時を思い出す。あの時はたまたま早朝にテレビをつけていて、その日は見続けたのだったが、当初亡くなった方は2名、と聞いた記憶がある。というのは、ああよかった、犠牲者が少なくてよかったなあ、とホッとしたのをはっきり覚えているからだ。大地震に出会ったことはないが、母から関東大震災の模様を聞いており、その時は猛烈大勢亡くなったというのだ。
亡くなった2名の方はお気の毒だが、2名で済んでよかったなと私は思った。NHKの男性アナウンサー、名前は知らないけれど顔は今でも浮かんでくるその人は、いっときも席を離れずに報道を続けてくれた。2時間3時間ではない、もーっと。トイレ大丈夫かな、誰か代わってあげられないかな、とそわそわしながらテレビの前から動けない。
そうして見るうちに、たちまち死者の数が増えていったのだった。6434名。この驚きは大きかった。衝撃だった。しかも、以後徐々に死んでゆく数はその何倍にもなったのだった。
メキシコの気の毒な崩壊現場の報道に接し、今はもう、最初の数を信ずるわけもなく、終わりの数の少ないことを祈るばかりだ。
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季節の橋を渡る

このまま秋になってしまうのか。落ち着かない夏、豪雨が各地を脅かし、41日ものあいだ雨天曇天が続いた東京地方だった、葉物の出来は悪く、果物の甘みは少ない。
久しぶりに現れた日差しは、しかし確実に秋の色を見せて、思い切りを促すかのように乾いている。
何よりも猫の富士の変わりようが季節の橋を渡りつつあることを知らせてくる。
寄り添って眠りにくる富士は、それが当たり前だという顔つきだが。
今日は薄手の丸座布団を作り、輪を作ってやり、首輪を3つ作った。古布を、かき集め縫い合わせる針仕事の指先が心を鎮め、湧き出す糸口を捕まえる。
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獲物を見せる富士

セミが鳴く。もしも夏に蝉の声がなかったら。味わいのない暑さだけが続く季節だろう。ニイニイゼミが鳴いて、アブラゼミ。そして法師蝉、ヒグラシと夏が動く。近くの三角公園を通り抜けると蝉の声に全身が包まれる。子供らが踏み固めた地面には無数の穴、七年の歳月を地下に生きた者たちの記念空間が見える。
富士と暮らすようになってから、こうした風景としての蝉が、思いもよらぬことに室内に現れるようになった。激しい羽音と鳴き声。蝉の、である。それが二階から降りてきて富士がくわえているアブラゼミを認めることになる。ヤダヤダ、どーしよー、と立ちすくむ。生き生きした目を真円に開いて見上げてくる富士が望んでいるのは、私の賞賛である。大変な我慢をして、えらいっ、と叫ぶ。よくやった、富士っ。獲物を見せに来て、期待通りに評価してもらって、富士は大満足の足取りだ。急に静かになったので、いつもと違うな、と見たら、ガラス戸越しにマルオに見せている。マルオは正座して真面目くさって見つめていたが、その様子には先輩風がありありと見えた。
どうか子孫を残した後に捕まった蝉でありますように、と願うのみだが、私の観察では、ほとんどすべてが交尾を終えた後の動作の鈍い蝉ではある。
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帰還

月末の予定が伸びて、印刷所渡しが今日になった。40年ぶりの長雨続きという、梅雨時と間違えそうな空模様の下、解放感に満ち満ちてこれ以上ない明るい気分。
週明けに校正刷ができるという嬉しさ。今日1日は頭の中を空っぽにして針仕事に手を出そう。
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大汗

大変だ。7月が半分過ぎてゆく。予定通りに進めようと頑張っているのに進むのは日数ばかりとは、大汗だ。
月末には、一旦帰宅します。これを区切っておけば暑さも忘れて仕事がはかどるだろう。
大変だ。7月が終わりに近づいた。クソ暑いが暑さなんざクソ食らえだ。しかし。
飲み明かした翌朝、横倒しの酒瓶から目を背け、うつ伏せの婆友をまたぎ損ない転げてのち再起、
コーヒー豆を挽く人生の味わい。
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葛きり

梅雨のうちとも思えぬ暑さ。葛きりを冷やして楽しんだ。蜜の小袋がセットになっている簡単なもの。食べ終わってから、なんかヘン、なんか違うなあと後味を吟味したが、全く自信がなくなっている昨今である。好物を味わっても、昔はもっと美味しかった、とか、こんなじゃない、とか感じてしまうのだ。これは自分の舌が変化したに違いないことで、文句を言っても仕方がない。
包装のポリ袋を片付けて、ふと裏面を読んだ。原料=こんにゃく。え”!である。葛きりはこんにゃくだったのか。100%こんにゃくだと!
なんと私はこんにゃくに甘い蜜をかけて食べたのだ。こんにゃくならこんにゃくと書け! 刺身こんにゃくは好きだけれど、葛だとごまかされて食べたとは興ざめも甚だしい。冷え切った怒りに沈んだ。
深夜になっても怒りは収まらず、友人にメールで訴えた。
彼女も最近、似たような経験をしていた。わらび餅の原料が100%タピオカだったそうだ。他の名前で言い切るところが不敵だ、とメールが返ってきた。
私たちはこのあと、片栗粉について語り合った。片栗粉の原料は馬鈴薯の澱粉で、本物のカタクリの根ではない。このことは以前から知っていた。カタクリは今、季節の花として鑑賞の対象であって、根を使って片栗粉を量産するほどはない。わらび餅も葛きりも、料理法だけ受け継がれて生産され、名前だけ付けているのかもしれない。探したらまだ出てきそうだ。しかし、今もしっかりと作っている吉野の本葛の味を思うと、うなだれるしかない。
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都議選

今回の都議選は、一見、自民党惨敗に見えるけれど、本質は自民党系列内のケンカに、どっちが勝ったかということではないのかしら。だって小池百合子さんはもともと極右で日本会議のメンバーに名を連ねていた人です。
すごいことは民進党が見るも無残なやせ細りようで、これは今までの野田何某以下一統の行いをたどってみれば当然の結果でしょう。その点、今回の選挙では、安倍政権を完全否定し、民進党を無視した都民の判断は、当を得ていると思います。共産党の躍進は当然で、もっと伸びてもよかった。
池上彰さんがテレビで公明党の高木陽介氏にインタビューをしていました。学会の人々の態度を数々の具体的な例をあげて指摘したのち、公明党は「与党でいたいんだなあ、という印象を受けますが」と問いかけましたが、高木という人は実に曖昧な表情で返事らしい返事をまともにしませんでした。
いつものことですが公明党は今回も過半数を確保するための重要な役割を担いました。我々がいなかったら過半数にならないでしょ、と強い側へひっつくのです。裏切りなどという人間らしい感覚は持ち合わせていません。彼らはまともに個々の思考力を持ってはいない、アンダーコントロール下に置かれた集団なのです。上からの指示があれば、この人はいい人ですから投票して、と遠隔地からでも再三頼んできます。洗脳されきった集団の票を集めてコウモリとして議席を確保する。今回の選挙でも都民ファーストはコウモリを利用したので、お互いに惹かれて一緒になったという、馬鹿馬鹿しい成り行きでしかない。くそくらえ、だ。
ところで池上彰さんは、昔NHKでニュースを読んでいた時期がありました。この人は、なんでこんなに情けなさそうな表情をしているんだろう、よほど意に染まない原稿を読まされているのかな、と感じていた、そういう人でした。ところが子供向きに時局を解説する役割に変わってから楽しそうな表情になりました。スンニ派とシーア派の違いなどを生き生きと説明しているので、本当は元気で明るい人なんだなと見直した。やがて独立してジャーナリストとして活躍するようになってから再び表情は変わり、背筋の伸びた強い意志が表情に表れた。自分の考えを自分の責任において発する覚悟と勢い、精神力が伝わってくる。そういう人になりました。今回、公明党の高木氏への質問は、公明党の本質をついたもので実に気持ち良いものでした。
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