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猫の液状化

2017年のイグノーベル賞で、日本のチャタテムシ研究の専門家、北大の吉澤和徳准教授が生物学賞を受賞したニュースに、天地逆転の感を深くした。ムシのメスがオス、オスがメスの形をしているのを発見したというのである。わが家の庭に自生している浦島草、これが雌雄異株なのだが、時に雌株が雄に、雄株が雌に性転換することを知り、世の中わからないものだなあと慨嘆していた矢先であったので興味津々だ。他の受賞研究も見よう、まさに不確実性の時代ではないか。
2017年度物理学賞を受賞したのはフランス、パリ第7大学のマーク・アントワン・ファルダン先生で、受賞研究は流体動力学を使い、猫は固体であると同時に液体であるという説で受賞。多数の証拠写真は段ボール箱をはじめ、ガラス瓶、丼など様々な小さな器に収まっている猫たちだ。
これはまさに猫の液状化現象を捉えたもので、猫は、人の手によって押し込まれたのではない、自分から進んで入り込み、器の形に従い水のごとく収まっているのである。
さて話はここからで、猫の液状化現象は、器入りの姿は微笑ましいが、時に困ることもあるという、私と富士の場合だ。富士は犬のリードとハルターをつけて毎朝散歩をする。ところが気が小さい怖がり屋で、見慣れない大きな車や見知らぬ人が近づいたときなど、ほとんどパニック状態になってしまう。とにかく逃げ出して安全な我が家へ逃げ込みたい。この時につないでいるリードもハルターも、全く役に立たなくなってしまうのだ。あっという間に「縄抜け」して裸状態になり駈け去ってしまう。自己判断第一で私を無視して行動する。多分猫の持つ習性だろう、富士だけではなく、どの猫も似た行動をとるのではないか。犬のように人と気持ちを合わせてくれない。
忍者の「縄抜けの術」では関節を外すと聞くが、富士は一瞬のうちに(液状化して)抜け出してしまうのだ。じゃあ、普段の散歩の時のリードは一体なんなのよ、と思ってしまう。富士にしてみれば手をつないだ程度のことらしい。私は物理的に富士の体を確保できていると思い込んでいたが、このことから猫液状化は事実であると断言できます。


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富士の誕生日

まさか、この私が飼うとは夢にも思わなかった猫がやってきて丸5年になった。昨日が富士の5歳の誕生日だった。
ということは、私も5つ歳を重ねたのだなあ。5年前はまだ70代だったのだなあ、などと富士のことより自分の年齢の刻みに思いが行ってしまう。
5歳の富士は、いまが盛りの健康体だ。跳び上がりたいところへ軽々と浮かび上がるかのように跳躍するだけでなく、幼いときと違って目計りも確実になっている。猫族の肢体の美しさは、犬とはまた違う楽しみで、遊ぶ姿、眠る姿ともに魅力がある。
こんなことより、最も興味深い進歩は、学習能力と記憶力ではないだろうか。
いまどきの人間は、恐ろしい速さで記憶する能力を器械に委ねつつある。
ついこの間まで、私の年代の人たちのあいだでは、デジカメって外来種なの? と囁き合ったものだ。デジタルカメラそのものを見たことがない上に、デジカメと省略した言い方が広がっているので、デジという名の亀の一種だと思っていたのだ。今では古いものも新しいものも、知らない物事はない、ググったら出てるわよ、なんて喜んでいる。
この進歩の足取りには加速度がついている。記憶する必要がなくなったことを実感できる故である。これに加えて元来内蔵している「忘れる力」も働くのだ。
古くから持っている「忘れる力」とは、嫌だったことや、世間の出来事を忘れる力のことだ。3.11後の放射能の拡散状況、その影響についての関心。森友・加計問題。熊本の大地震も、霧島の新燃岳の噴火も、地元の人以外はたちまち念頭を離れてゆく。
これではいったい、私たちの脳みそには何が残るのかしら?
富士は、違う。あらゆることを記憶すること、これが自分の命に直結していることを知っている。覚えたら一生忘れない。
富士だけではない、自由猫のマルオも、他の猫たちのみならず、犬も馬もあらゆる動物たちは自分自身の記憶力が、食べ物を得ることと同列に大切なのではないだろうか。自分の記憶以外の場所から、何も引き出せないのだから。
動物の物語には、どこそこ山の大熊、大鹿は頭が良い、ずる賢くて出し抜かれた、などと書かれているが、記憶力が良い個体だからこそ生き延びているのだと思う。
5年間の間に富士は、たくさんのことを見聞きし、経験し、その全てを覚えてきた。私も協力して彼女の経験を増やそうと、大雪の中に出してやり、大風のベランダに身をさらし、大雨の時にドアから連れ出したりもした。毎朝の散歩をねだる時に、雨よ、と言ってドアを開けると納得する。散歩から帰りたくなった私が、お家に帰ろう、と囁くと向きを変えて戻る。お留守番してね、という必要はほとんどない。着替えたり帽子をかぶったり、鍵を持ったりする仕草を見ていてわかってしまう。
猫は、せいぜい5キロ程度で小型犬ほどの体格だし、四つ足だから、ほとんど見下ろして付き合っているのだけれど、気持ちは同じ目線で付き合っている。違う部分は多いけれど、気持ちの部分は重なっているので、人と付き合うのと富士と付き合うのとは、区別をしていない。
二、三日前につまづいて転んだ私が、痛かったなあとしょんぼりしていたら、富士が二階へ上がっていった。猫は自分本位だし、犬のように甘えたりしないから、居心地の良い場所に落ち着いたのだろうと思ったのだが違った。すぐに降りてきて、くわえてきたフクロウのおもちゃを私のお尻にくっつけて置いた。このおもちゃは生まれてはじめてもらったお宝で、一番のお気に入りなのだ。大層なものではない、手製のタオル地のフクロウ。
富士が、お見舞いしてくれたんだ、とわかった時、なんと嬉しかったことか。ありがとう、の印にキーボードの横に、しばらく置いておいた。これが犬の千早相手だったら、千早の首に抱きついてありがとう、を連発するところだが、富士との付き合いでは、私が大切にしている場所にフクロウを持って行った、これを富士に見届けてもらうことが最大のありがとうなのだ。お互い、相手のやり方を取り入れながら、ありがとう、ありがとうの付き合いができるようになった5年目であります。

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今どきの赤ちゃん

ベビーカーに乗っている赤ちゃんの話。赤ちゃんと言っても2歳前後に見える女の子だったが、夕方のバスに乗ってきた。お母さんはバスが動き出す前からスマホに目が吸着しており、私は向かい側の「思いやりシート」に腰掛けて、ベビーカーに収まっている可愛らしい赤ちゃんを眺めるともなく目を向けていた。
やがて赤ちゃんが両足を突っ張った、次に頭を反らせた。みるみる難しい表情になり身体中をくねらせてもがきはじめたが、お母さんはスマホに見入っている。行くな〜、と見ていると予想通り、赤ちゃんがギュワア〜と大声をあげた、顔じゅうが涙ビシャビシャになる、2声目はさらに大きい。
するとお母さんは、いや、このママはとても綺麗な女性で、キラキラしたネイルがすごく美しいのだ。このママは、泣きだした我が子に目を落とした瞬間、すぐにスマホの操作に戻り、忙しくネイルの先を動かしたと思ったら、泣きわめく赤ちゃんの手に自分のスマホを握らせたのだ。赤ちゃんは握ったスマホの画面に目を向け、すぐに泣き止み、そして。目を丸くしてみている私は、唖然として口を開けてしまったのだが、もう一方の手指を使ってスマホを操作し始めたのだ。もちろん、泣くことなど忘れ去っている。お母さんは窓の外に目を放ち、のんびりした表情だった。私は考え込んでしまった、年をとってボケてきて赤ん坊の月齢を読み損なったのではないか。赤ちゃんと見えたのは間違いで、4、5歳児だったのでは? まさかそれはない。1歳半といっても通るような本物の赤ん坊だったのだ。
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浦島草

今年も浦島草の花が咲いた。手のひらの一回りも大きな葉を一枚だけ広げて、その下に咲く花は茶紫色の筒型で「大型の仏炎苞に包まれた肉穂花序」という表現をするが、これでは、何のことやらわからない。これはサトイモ科の植物で、同じくサトイモ科の水芭蕉とよく似た花の形、といったほうがわかるかもしれない。ラッパ状に上を向いた筒の先が細く長い糸のように伸びている、これが浦島太郎の持っていた釣竿の釣り糸に例えられて、浦島の名前をもらっている。
花屋さんで売られている花ではない、私は貰ったのでもなく、買ったのでもない、庭に自然に生えていたので見守っている。秋に朱色の実をつけるが、これはトウモロコシのような実のつき方をする。全く実のつかない年もある。
この植物の持つ特徴は、性転換をすることだ。小さいときにオスでいて、大きくなってくるとメスに変わったりする。無性のこともあるというが、眺めても私の目では判然としない。
もう一つの特徴は、ちょっとひどいなあ、と思うようなものだ。メスの花が受精しようという段になる、そこへオスの花の花粉をいっぱいつけた虫、虫はキノコバエというハエなのだが、これが飛んできて筒型のメス花の中に入り、受精が完了する。
さあ、めでたしめでたしで終わると思うでしょう。ところがキノコバエは花から出られずに死んでしまうのだ。入ったら最後、出られない仕組みになっている。私は、これはひどいなあと思う。出してあげたって良いではないか。閉じ込めてしまう理由を想像するに、トウモロコシの実のようにたくさんの粒が結実する植物だから、念入りに虫が飛び回り受精させようとして軟禁するのではないだろうか。いや、軟禁というより命の限り励めということだ。想像を逞しくして行けば行くほど、恐怖、残酷のメスと言わざるをえない。
この実は地に散ると芽を出すが、丸2年後に発芽する。サトイモのように、親芋の周りに小芋がたくさんつくので、小芋を分けて増やす方が簡単だ。増えすぎてあっちにもこっちにも芽が出ているが、花が咲くまでに成長するには数年かかるように思う。
浦島草とそっくりの姿で釣り糸がない種類はマムシグサと呼ばれて、山道でよく見かける。マムシというよりもコブラが鎌首を持ち上げて、こっちを見つめているといった感じの花だ。これは猛烈な毒草で、里芋みたいだな、と芋を食べると死ぬこともある。
浦島草もマムシグサと同じサポニンという成分を持っていて、口に入れてみた人の話では、マムシグサのレベルではない激痛が口内いっぱいになるそうで、飲み込んだら死ぬに決まっているだろうが、呑み込める代物ではないそうだ。
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デモ

昨日、4月14日に、全国20ヶ所を超える場所でデモが行われた、と今朝のニュースで知った。安倍内閣を批判否定する集会。
ネットの動画を拡大して見つめた。青葉若葉に囲まれる背景は国会議事堂前である。主催者の発表によると、この場所だけで述べ5万人だという。
マイクを握る若者の発言が聞こえ、メディアのマイクに応える人の言葉もはっきりと伝わってきた。
この、臨場感溢れる画面が、なんとしたことだろう、みるみるモノクロに落ちてゆき、私は息を呑む。

モノクロ画面は、こげ茶色と灰色の大集団に変わり、かけ声が湧き出した。広場の地面は見えない。デモの集団で隙間もない。デモには指導者がいると見えて、そのかけ声に合わせて一斉に声をあげながら西口広場をうねり巡る。
そうだ、ここは国会議事堂前ではない、東京・新宿の西口広場だ。大ガードが見え、手前の青梅街道に都電が見えた。新宿〜荻窪間を走る都電だ。
私は、この路面電車に乗って家へ帰る途中で、中学生になってまだ一月余りの5月のことだった。
日本は「大日本帝国」から「日本」になって、というか戦争に負けて丸裸にされて、軍国主義から民主主義という、アメリカからもらったモノに変えられて、デモという新体験を試みていた。
当時の私は、プラカードという名前を知らなかったが、棒をつけた白い紙には吉田茂(今の麻生太郎の祖父)首相の似顔絵が墨で描かれていた。打倒!の文字だけの板も担がれて進む。
吉田茂とはワンマンと呼ばれた総理大臣で、神奈川の大磯に住んでおり、自宅から国会議事堂までの道路を優先的に整備し、弾丸道路と呼ばれる立派な道路を国の車で往復しているということを新聞で読んで知っていた。
うねり進む人々は男たちだった。彼らは統制がとれて隊列を作っていた。いったい私は、どこからこの光景を見つめていたのだろう。
赤坂見附の方角から終点の新宿まで都電できて、乗り換えるために大ガードまで歩いてきたのだが、70年後の今となっては、まるで宙に浮いて俯瞰していたかのような記憶である。
このデモの後、しばらくして行われた大掛かりなデモで、参加者の樺美智子さんが死んだ。驚いた、女性が参加していたことに心を打たれた。
この時の記憶では男性だけのデモで、皆灰色か茶色だった。大きな声で叫んでいたが、それはリーダーのかけ声に合わせた統制のとれた叫びだった。誰も彼もが無表情で、まっすぐ前か、下を向いていた。
当時の新宿西口は、差掛け小屋の闇店が並び、樹木はなかったから一面のモノクロ世界だったのだが、にもかかわらず熱気というか、憤懣というのか、不穏な圧力がこもる場所だった。
ただでさえ危ない空氣の西口で、この夕方、さらなる猛烈な熱気、気持ちの高揚を浴びた私は動けなくなってしまった。
1945年に戦争に負けた日本が民主主義の国に変わり2年目、封建的という言葉が石飛礫のように「古い人たち」に投げつけられていた時代だ、日本は新しくなる、という感激と高揚が中学一年生にまで及んでいた。
どれだけ見つめていたのだろう、帰宅した時は日が暮れており、家には怒り狂った父親が待ち構えており、脇目も振らずに下校しなかった私はさんざん叱られて泣き続けたのだった。

「戦争はいや」「安倍やめろ」「ウソをつくな」「なめんな」「恥を知れ」「昭恵出てこい」「安倍を倒せ」「集団自衛権法制化阻止」「改ざん内閣」「アベ政治を許さない」「さよなら晋三」「まともな政治を」「責任取れ」
まああ。「Don’t tell lies」「Your silence will not protect you」「REVEAL IT ALL」など英文もある。
これが、いま今日のデモの姿だ。
一番の衝撃は、一人ひとりが自分の意思で集まってきているということだ。年齢も様々。子供連れもいるし高齢者もいる。
最前列の横棒を握り、列を作ってうねる組織の人々ではなかった。みんなバラバラに、ワイワイと集まってきているのだった。
掲げるメッセージは大きさも色も、表現も多種多様、どれも自分たちの内側から湧き出してきた言葉に違いないと感じた。
胸がいっぱいになった。70年間は無駄に過ぎてこなかった。
「誠」という魂、「誠実」という土台が欠落している安倍晋三と以下同類の政治家たちは足踏みして進歩しないが、国民は一歩一歩と進んできたんだよ、この感激は感激だ。


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機転を利かせては如何

舞鶴市の市長さんが、大相撲の春巡業の土俵上で挨拶をしている最中に倒れた。病院へ搬送され、くも膜下出血とわかり手当をして一命を取り留めた。
大勢の人の注目を集めている最中の出来事で、素早い対応により助かり、めでたいことこのうえない。
高齢になって突然の発作に襲われるのが不安で仕方がない人は、一人歩きを避けた方が良いかもしれない。また、一人で歩くときは、散歩も含めて、人通りのある道を選ぶことも知恵の一つかもしれない。
発見すれば人は、反射的に助けようと気持ちが動くのが普通だと思う。人っ子一人いないところで倒れて発見されなかったらおしまいだ。
市長さんが倒れたときは、反射的に動いた人たちがいて、すごいことに、その中に看護師もいた。応急処置に抜かりはない。なんと心強いことだったろう。
笑ってしまうのが、看護師が女性であったために、土俵から降りて欲しいと行司さんが放送したとかで、女性差別と伝統をめぐり、さまざまな人たちが騒がしく意見を述べている今日この頃である。
若い行司さんだという話だから、言いつけ通りにするのは素直な反応で、責められる筋合いはないだろう。
もしも私が関係者だったら、専門職の人か否かで判別しました。え〜、あの方は女性だったのですか? そりゃ、気づきませんでしたと答えるだろう。
どうして土俵に上がった救援者を性別で区分けしてみたのだろう? 機転を利かせてはいかがでしょう。
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先輩はやっぱり先輩だ!

近所で建築中だった共同住宅が概ね完成した。隅から隅まで輝いている。富士と散歩に出たら、勘の良いマルオ、外猫のマルオがどこからともなく現れた。一緒に朝日が射す道路に立ったら、マルオが先に立って新築の建物に向かっていき、富士がマルオに続いた。
びっくりした。なぜかというと、怖がり屋の富士は知らない場所へ行くのは大嫌いで、無理に抱いて連れて行こうとすると、身をよじって腕からすり抜けて逃げてしまう。無理無理に抱きしめるとガタガタ震える。それが、どうしたことかマルオについて行くではないか。
マルオは真新しい建物の角、雨樋の根元などを巡り歩き、耳の後ろから首筋にかけて執拗にこすりつけては進む。ははあ、臭い付けをしているな? 新しい場所を自分のテリトリーにしようとしているんだ、と私は察して富士のリードを握ってついて行く。というのは、富士はマルオの仕草をそっくり真似て、同じことをしながらついて行くのだ。建物を回り、臭い付けが終わったマルオは駐車場に出ると、いきなり寝転がり、さらに四つ足を上に上げて身をよじり出した。続いてきた富士は並んで転がり、サル真似ではないネコ真似をしている。
マルオは、すでにテリトリーを確保していたのではないか。今朝は富士のために回ってくれたのではないか。マルオは何も知らない富士に、新しいテリトリーの確保をやって見せてくれたのだなあ、と思った。良い先輩に恵まれて富士は良かったね、と嬉しい。富士も、先輩の動きを見習う力を持っていたのだから立派だ。
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蟻地獄

ソメイヨシノが満開、球根の草花が足元に咲き誇り、春に埋もれた。先立って咲いた彼岸桜、レンギョウ、ボケから、息つくまもない花の日々である。
ここ2、3年のことだが、通りかかるたびにチェックしている虫がいる。気候が良くなりアリも歩き回っているので、昨日立ち寄った。それは大きな建物の軒下の乾いた場所で、本来は草花でも植えておこうかと用意したのだろうが、乾いた土だけの細長い場所になっている。見届けたい虫はアリジゴク。この土の中に住んでいる。
いたいた、いました。蟻地獄が見事なすり鉢を作っていた。厳冬期は気配も感じられなかったが、見渡したところ15個はあった。直径数センチのロト状の穴の底に、アリジゴクという小さな虫が1匹ずつ隠れているはずだ。
見渡したところ砂のように細かい土でできたすり鉢だけで、虫の姿は気配もないが、黒アリがせわしなく歩き回っていた。
ところが思いもかけないことに作業中のアリジゴクがいて、彼はすり鉢の斜面をらせん状に巡りながら穴の形を整えようとしていた。捕食するところはよく見かけるのだが、すり鉢を作る場面に出会ったのは初めてだ。期待以上の場面に出会った嬉しさは、ちょっと言葉にならないくらいのときめきである。腰を据えて作業を見物。
アリジゴクは、ウスバカゲロウの幼虫だ。カゲロウは、儚いものの代名詞で、あっという間に命を終えると言うが、ウスバカゲロウは違う。肉食で1月は生きる。幼虫のアリジゴクは、英名をアリライオンといい、まさにアリにとっては恐ろしいライオンのような存在である。
10ミリ前後と見えるアリジゴク君は、勢いよく斜面を巡る。後ろ向きに進んで行くが、体は砂の中、見えるのは頭についている巨大なハサミだけだ。ハサミの長さは3ミリか4ミリだが、体のサイズが10ミリだから大きいと言って良いと思う。後すざりで見えていないだろうに穴の形は真円で歪みがない。斜面だから土塊が次々と転がり落ちてくる。彼は塊をハサミで掴み取り、外へ放り出す。これをやるためには土塊が見えなければならないわけで、後すざりは合理的だと思った。直径数ミリの土塊も放り出し、穴から7、8センチは飛ばす。小さなものやダンゴムシの殻などは10センチ以上も飛ばす。残るのはコナのように細かい土砂だけだ。完成し満足した彼は、ロト状の底に身を沈めてしまった。
そこでアリを捕まえて、穴の中に落とすのが、私という悪者である。
「それはもう、あなた。あれじゃあ蟻地獄ですよ。もがけばもがくほど、はまってしまうんです」
こんな例え方をして、声を潜めて噂をする。そんな小説を読んだことがあるかもしれない。万が一にも経験はしたくない場面だが、蟻地獄はコレをやって成長してゆくのだ。落ちたアリは、当然這い上がろうと努力の限りをつくす。それを察知した蟻地獄は、砂つぶてをアリの足元にぶつけてゆく。パッパッとぶつけるから斜面は崩れてゆく。アリの足は、さらに斜面の砂つぶを転がし、次第に穴の底へと落ちてゆく。アリジコグは、作業に用いた大きなハサミでアリを挟み、土中に引きずり込む。
終わりだ。アリはアリジゴクが注入する消化力のある毒液で溶かされ吸い取られてしまう。この毒液はフグ毒の130倍といわれる。ダンゴムシも、良くはまってしまうから相当大きなものも餌食になる。
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余寒

お彼岸が近づいた。武蔵野の冬は乾燥し、春先の強風に悩まされる。この時期に、春の到来を知らせてくれるのは雨である。花や木の芽がと思うでしょうが、それは昔の話。今時代は人工的な装飾品的耐寒草花が出まわり、季節の便りになり難い。12月、1月、2月だって、道路際に置いたプランターに赤や黄色や派手な花が置いてある。育てているのではない、買ってきて置いているだけの消耗品。私は、これはあまりにも花に気の毒すぎて出来ないので我が家周りはまだ殺風景だ。
変わらぬのは雨である。春雨、小雨。まだ水が上がらないうちにと、気になっていた一本のサツキを植え替えておいた。このサツキの根が嬉しがっているでしょうと雨を喜ぶ。先日の大雨では息を潜めていた壺のメダカたちが、密やかな雨脚に呼ばれるようにして水面に上がってきました。
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大雨

昨夜のこと、日本列島の太平洋側に大雨が降った。前もって予報が出ていたので雨水桶を洗い、空にして庭周りを掃除した。
雨上がりの朝、鶴見川では遊水池が満杯となって洪水を防いだというニュースを見て大よろこび、遊水池は近所にもいくつもあるが、これほど満ち満ちて働いている様子を見たのは初めてだった。
朝食もそこそこに腕まくりで庭に出て、前から狙っていた汚れたタイルのところを亀の子束子で洗い流した。と、こう書くと、いかにも働き者のように見えるかもしれないが、実は反対の省エネ大好き人間。一年に何回とない大雨を狙って掃除をするのが楽しみなのでありました。逆に、濡れ落ち葉には触らない。乾燥し切った時に、それも大風の吹いた後に、すっかり風が止んでから掃き掃除をする。こういうのが年寄りの知恵というか、生きゆく技というものでありましょうね。
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残酷な報道者

北島三郎さんが朝のテレビに出ていた。ろくに歌を知らない私でも知っている「さぶちゃん」という愛称で親しまれてきた有名な歌手。
たくさんの報道陣に囲まれて、突然亡くなってしまった51歳の息子さんについて記者会見を開いているのだった。
子に先立たれた親に、いったい何人出会ってきたことだろう。ついこのあいだの3.11の大津波では、どれだけの親たちが子を失ったことだろう。娘を失った友だちの言葉、この苦しみと悲しみは墓場に行くまで。持っていくしかない。
(亡くなられた息子さんに)なんと言葉をかけてあげたいですか? とマイクを向ける人の背を、私は視た。
三脚を立ててカメラを向ける男の一人を、私は注視した。この人は食べているのか、ガムを噛んでいるのか、くつろいで口を動かしながらファインダーに目を当てていた。
亡くなってしまった息子さんより若いような、この報道の人たちに対して、苦悶の表情を手で覆うこともせずに、絞り出すように答えながら、このつとめから放たれる時を待っている北島三郎さんに涙した。これは残酷な仕打ちだ。
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オリンピックが終わった

平昌オリンピック2018が終わった。今回は複合集会だった。
米韓北の政治的動向を注視する日本からの視線が、会場を覆っていた。もう一つは、38度線で分断された一つの民族の苦悩を生々しく感じた。個人資格でしか参加できなかった選手たちの背負う国の姿も思われた。
これらは目に見えないけれど、金銀銅の輝く栄光の背景に、何層もの垂れ幕となって広がっていた。
一方、勝者と敗者の称え合う姿、勝者が真っ先に口にする感謝の表現など、必死の競技の周辺に溢れる輝く人間性を見せてもらった。この、良き姿に大きな喜びと感動を受けたオリンピックだった。
暗雲のごとき暗さと汚れを醸し出す垂れ幕は、こうした各国の選手たち、参加者たち、観戦者たちの熱く純粋な息遣いによって、彩雲のような幕に変わるのではないかしら。
もしも、そういう息吹を持つ集まりであるならば、オリンピックよ、永遠に続いて欲しい。

もう一つ。まだ30代の頃に、トロントのテレビでカーリングを見た。その頃の選手たちは、本物の箒(ホウキ)で掃いていたのだ。このゲームを知らなかった私は、氷の上にゴミが落ちているんだろうと思っていたのだ。
今回、カーリングを見てびっくりした。ホウキはスポンジ付きモップのようなものに変わっていた。さらにこの、寒い地方のゲームが、いつの間にか世界的競技となっており、日本の女子チーム、LS北見が銅メダルに輝いたのだ。すごかったなあ!
みんな仲良しで、明るくて、頑張り屋。北海道、北見だ。
もう一つ。命令されて行う応援と、心底湧き上がる思いで応援が噴き上がるのと、その違いが動く見本として並べられた。

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ビオトープのメダカ

昨夏、庭の隅に作った畳1畳ほどのビオトープに、仔メダカを入れたまま冬を越そうとした。メダカの親たちは2つの常滑焼の壺にいて、この壺は片口まで土に埋まり、さらに壺中の半分は土と砂を入れてある。メダカは土が好きで、潜って冬を越す。仔たちを壺に入れることも考えたが、これは考えるまでもなくやめた。その訳は、親メダカの餌になってしまうのがわかっているから。
ビオトープの深さは3センチで、本来なら泥が底にある自然の水たまりのはずだけれど、手製のビオだから底面は防水性セメントにしてある。
土木工事大好きなのだけれど、車を降りた時点で大工婆と土木婆は断念せざるをえないと気落ちしていた。資材を買い、運ぶ手段がないからだ。しかし世の中は良くしたもので、ネット発注で即配達してくれる店が現れたのである。防水、速乾、なんでもござれである。というわけで前にも増して気が大きくなった。
この冬は、なぜか特別寒かった。こんな冬は滅多にあるものではない。雨樋の下に水桶を置いて雨水を貯めているのだが、これが凍った。いつもの冬なら、指で突けば割れるものが動かない。それで柄杓で叩いた。なんと柄杓が割れてしまい、氷はビクともしなかったのだ。割れた柄杓を手に、ハッとしてビオトープに駆けつけた、のではない、どっこいしょ、よいとこしょと、滑って転ばぬように移動したのであったが、案の定、凍結していた。ああ。
しかし私は安心していた。というのは三分の一くらいは上に覆いをかけていたからだ。ところが、である。覆いの下も凍っていた。「カエルの足跡」と呼んでいる水草の丸い葉が氷の中にはまって動かない。
手をつき膝をつき、氷の中を仔細に見て回った。わかったことは、3センチの深さ全部が凍りついたことだ。15ミリから30ミリサイズのメダカたちは。
この大事件があったのは、今から何日も前のことである。以来今日まで私は、毎日新しい水を注ぎ、なんと餌まで振り入れて膝をついた。昼の気温が10度を超えた昨日は、親メダカが水面に出てきていた。ダメだった仔メダカたち。
宙を睨んで決心した、この春、もう一度工事をするぞ。しかし自然とはなんだろう? アマゾン原産だという「カエルの足跡」は生きていた。緑色の丸い葉っぱが光っている。
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我が身さへこそ

遊(あそ)びをせんとや生(う)まれけむ、戯(たはぶ)れせんとや生(む)まれけん、遊ぶ子供(こども)の聲(こゑ)聞(き)けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ
これは『梁塵秘抄』の巻第二にある句で、人間て、遊び戯れようとして、この世に生まれたのかしら。遊びに夢中になっている子たちの、よく通る声を耳にすると、私のような者でさえも手足が自然と動き出すようで、気持ちが浮き立ってワクワクするわ。というような意味。
この句を思い出した昨日。
折しも平昌五輪の男子フィギュアスケートで羽生結弦選手が金メダルを獲得、2連覇を果たして世界中から賞賛の拍手を浴びた。出身地の仙台からは、あの大震災を共有、乗り越えてきたことへの同感と感謝が広がった。暖かな部屋で見物するだけの私も、怪我を克服してきた強靭さに驚嘆、プルシェンコ選手以来の美しい動きに、それこそ我が身さへこそ動がるれだった。
同じ日に、将棋では藤井聡太五段が公式戦で羽生善治竜王と対局し勝利。同日の午後には決勝戦で優勝、六段に昇段した。たったの15歳半の、慎ましやかな少年である。この二人の稀代の天才から伝わってくるものは、良き人柄、好ましい性質である。
一生をかけて命がけでやっていることの本質は「遊び」の世界のものであるかと天を仰ぐ。改めて『梁塵秘抄』を開いた。
国民には嘘を言い、はぐらかし、党内政治にうつつを抜かす我が国の政治屋たち、あるいは学校をマシンガンで襲う者、核兵器を生産し続ける国。核兵器を持つな、捨てろと強要する自国には核兵器完備の国。
いつも怒りで「動がるれ」の私だが、昨日は楽しかった、今日も余韻を楽しむ明るい日です。
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カランコエ

カランコエという妙な名の花を5鉢育てている。小さな4片の花は赤、橙、黄、白があって葉も花も多肉植物ではないかと思うのだが分厚い。マダガスカル、南アフリカ、東南アジアに分布していると聞く。寒さに弱いですよ、水のやりすぎに注意、と言われて守ってきた。真冬に咲くので窓辺が賑やかで気分が明るくなる。
花言葉が良い。「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」「おおらかな心」。
先週のこと、夕方にならないうちに帰宅できると踏んで、5つの鉢を軒下に出して日に当たってもらうことにした。晴れて風のない日だった。
ここまでは良かった、帰宅したのも4時前だった。それも問題なかった。この後が問題だった。カランコエを部屋の外に出していたことを忘れきって寝てしまったのだ。あんまりではないか。なんで忘れたのか全くわからない。
翌朝のこと、いつも通りに5時前に起きた時、思いもよらぬ異変に遭遇した。流しの水が出ない、凍っていた。風呂場の水道を調べたところ、こちらはパネルに白い炎の絵が出ていた。点火して作動している時は赤い炎の絵が出るが、白い炎の絵は初めてだ。取説を見たら白炎は自動凍結防止装置稼働のマークだった。これに感動し、台所の自然解凍を待って1日が始まった、零下何度だかの、とんでもない低温の朝だった。
カランコエを思い出したのはもう、昼過ぎだった。みんな萎れていた。満開の花はうなだれ、葉も鉢の外に垂れていた。翌日、その翌日、いくら待っても立ち直らない。
諦めるしかない葉と小枝を取り払い、水をあげていると思われる幹を残して今、ガラス戸の内側に並んでいる。出てくれ、芽。何が何でも助けるぞ、とじっと目を注ぐ。
諦めて捨ててしまい、買ってくればその日から賑わうけれどそれは道ではない、この、カランコエたちに生き返って欲しいの一心である。守るよ、とカランコエに言ったら、それは私の花言葉ですよ、というだろうな。

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