myExtraContent1
myExtraContent5

無礼は無礼だ

アメリカのシンガーソングライターのボブ・ディラン氏のノーベル賞受賞が決まった。アカデミーが授与の連絡を試みたが、本人と連絡が取れない状態のままだという。受賞決定後にコンサートを開いたが、賞について言及することはなかった。
際立った働きを成し遂げる人々の中には、独自の価値観を持って人生を作り上げ生きる人が多くいるから、「普通」「並」からはみ出していたとしても、それは十分許容されてしかるべきだと思う。
しかし、この世に生きる以上、欠くべきでないのが礼儀だ。簡単に言うと「挨拶」。
ボノボという、チンパンジー属の猿がいて研究が進んでいるが、群れの暮らしの中で、きちんと挨拶が交わされていることが観察されている。怠るとひどい目にあうそうだ。
人類が使う言葉は、社会生活に使う言葉と芸術に使う言葉が一見、渾然として分かち難く見える。ボブ・ディランが歌い聞かせて多くの人の心に届ける言葉と、アカデミーに挨拶する言葉は、別種の言葉だろう。アカデミーに返すべき言葉は、ボノボが使う言葉と同種のツールであって、芸術ではない。
賞が欲しくない人はいる。サルトルは断ったが、断りの手紙を出したそうだ。映画のアカデミー賞を受賞したマーロン・ブランドは、受けることは受けたが授賞式は欠席して代役を出した。
その賞、お断りしますが、仲良く付き合いましょうね、というときは礼を尽くすべきで、以後、お付き合いも断る、私の作品を見てくれるな、歌も聴いてくれるな、という希望であるなら、音信不通は、大きなメッセージだから納得できる。これを混同して気ままな態度であるならば、ボノボの風上にも置けない。ボブ・ディラン氏が、どっちかな、ということは、これからわかるだろう。
0 Comments

鳥取の地震

昨日の午後、鳥取県中部で震度6.6の地震が起きた。この土地の地震は余震が多いという。その通り、今朝のニュースでは、地震発生以来、今朝までに130回以上の余震があったと報道していた。大切な知人の誰彼を思い、落ち着かぬ。

それにつけても原発は日本列島を蝕む癌だ、進行性悪性腫瘍。
なぜ、反対する自治体は、安全が確認されないから、とか避難方法が万全ではないから、とか議論するのだろう。私には理解できない。あんなもの、なければ避難はありえないじゃないか。
今回の新潟県知事選挙では、新潟県民、一人一人の意識が結集した結果だった。一粒一粒は、まともなことを感じて考えているということが表に出たのだ。腐った知事が選出されていると、「上」と「上」の話し合いで「金」で動いてしまう。個人は無視だ。
膨大なお金は無駄な使い方をされて、関係する「上」たちは私腹を肥やすのである。
結果、得るものはなんだろう。補助金を浴びて食う親たちに育てられた子らは、親から何を学び取り成長するのだろう。どんな子どもたちが育つだろう。
こんな当たり前のことを知らない人はいないので、改めて書くことはないのだけれど、鳥取だって、あのように美しい海、美しい川筋、きれいな空気、自然の宝に満ち満ちているのに、島根県松江市の原発、愛媛県伊方原発がそばにあるのだ。伊方は離れている、などとのんきなことを思う人は、まさかいないだろう。
テレビのCMを見ると、あるいは娯楽番組では、これ以上あるか、と思うくらいのご馳走を食べる場面が出てくる。
元禄時代の再来ではないか、と暗い気分になるが、豪華な料理、贅沢を極めた食材。もてはやす人々。その裏側には原発が点在しており、地震ゼロの一週間があったかと問いたい。
 日本列島の海岸線を辿ることができない、ということを日本人は知っているのか。どう考えているのか。
なぜ海岸線を一回りできないか。それは原発プラントが海に開かれ、道路を遮断し、一般市民から隔絶した区域を作り上げているからだ。これは不自然で、不健康で、危険なことだ。
 これらのプラントからは、ものすごい熱が海水に放出され続けており、異常発生するクラゲやヒトデなどと関係があるのではないかと私は疑っている。太平洋はすでに汚染された。これが事実だ。
地震が起きるたびに私は、案ずる気持ちと抱き合わせに、原発に対する怒りが燃え上がる。
0 Comments

白柘榴

9月27日のこと、クール宅配便が届きました。小さな箱。送り主は山陰の文人。
いつもながらの達筆、流麗な手紙を添えて届けてくださった香りは金木犀。短くまとめた花束の切口が優しく湿らせてあり、生き生きとした黄金の花の香りが一気に部屋へ躍り出ました。お庭の一枝です。
金木犀の花束の下に座っていたのが、これもお庭の柘榴で、なんと白い粒の柘榴、私は生まれて初めて白柘榴を見ました。柘榴は、子供の頃に庭に植えられており、一つずつもらって箱ブランコに乗って食べていた思い出の実です。
白い実の柘榴は、ルビーのような柘榴とは対照的に静謐さを湛え、半透明の白い粒は水晶のような和の色合いです。
10月に入った今朝も金木犀は手製の小壺にいて、緑の枝葉を柘榴の実に添わせて、ちょっと描きたくなる佇まいです。
0 Comments

盛り土のこと

築地の移転先の環境について、すったもんだしている。盛り土があるの、ないのと騒いでいる。
勝手にしろ、と言いたい。だいたい、銀座の目抜き通り、歌舞伎座からちょっと歩いたところにある築地の市場だ、ずっと前から欲しくて、分捕りたくて、うずうずしていた妖怪たちがいたのだ。取り替えっこしましょ、と持ち出した場所は、ワケあり物件とも呼べない、最悪の土地ではないか。築地は小粒の庶民の寄り集まりだから、大企業妖怪には手もなくやられてしまうのだ。私は、業者さんたちが気の毒で、かわいそうで、悔しくて、地団駄を踏んでいる。
それはそれとして、盛り土を、私は「もりつち」と読みます。「もりど」なんて、重箱読みを思いつかない。
どうして、なぜ、ドイツもコイツも、「もりど」と発声するのか。もりつち、と言っている人がいない。こんなに気色の悪いことはない。日本は腐ってきていると思う。言葉から腐ってきている。
0 Comments

愛ちゃんの結婚

卓球選手の福原愛選手が結婚してメディアにお披露目した。お相手は台湾の卓球選手で、ともにオリンピックでも大活躍をした専門家同士の結婚。ピンポンと呼んでいたテーブルテニスを、ここまで広め、引き上げてくれたおかげで、物凄い試合を見ることができる。このお二人のお披露目の様子の好ましさに、幸せを祈る拍手を送った。周辺に見える様々な人たちのすべてが、心から祝い、喜んでいる空気が伝わってきて、さらによかった。台湾のファンたち、中国のファンたちの様子もわかり、ここにも明るく素直な笑顔があふれていた。なんと素晴らしいことだろう。角突き合わせている政治世界をよそに仲良くしている人々の代表選手だ。
0 Comments

夜明けの空

4時に起きて入浴し、2F庭へ出た。灰色の重い雲が東に湧き起こり、その下を北へ向かう薄雲が走る。西は一面の濃い灰色。カラスが一羽で南に行く。やがて鋭い裂け目が現れて今朝の太陽の在り処が知れた。
奄美に台風がいて、列島を北上している。照りつけたかと見れば俄かに大雨がくる、騒々しい日になりそうだ。
足元に黙んまり猫が正座し、私も黙って空を見る。一瞬前の空はなく、在り得ない姿かたちの新たな暗雲が沸き起こる。下界を見ず、空に目を放つと、そこには自然が生のまま動き回っている、太古から変わらぬ大地球大自然がある。
0 Comments

物価

物価に注目している。日常の食べ物の値段が上がっている。いつの間に、こんなに高くなったのかと思う。
税込99円だったものが134円プラス税、といった具合だ。私は安い物探しの底辺の消費者だ。
ほとんど値上がりしないものもある。例えば箱入りのお菓子類だが、箱が小さくなって内容量を減らしてある。あるいは一個ずつの包装にしてかさばらせて、数を減らしてある。値段は同じでも、体積・重量を減らしている。
目立たぬように、忍び足で近づくインフレだ。
民放のニュースは事件災害、ゴシップ専用チャンネル、NHKは政府の方針と足並みをそろえて放送しているから「デフレ対策は遅々として進んでいない」などと国民を意図的に騙す作戦をとっている。
目標の数値に届かない云々、などと拡めるから、信じて受け取る者がいたとしたら、そうか、今はまだデフレなんだな、と勘違いする。
私の視線は、日常の食品に焦点を当てている。食品の中で、際立って安いものがある。それは野菜だ。たいていの野菜が値上がりしている中で、山積みされて破格に安いものは種類ではない、産地だ。付け加える言葉はありません。
0 Comments

雨台風と猫

雨台風が去った。昨日の多摩川は穏やかだったが、馴染みの中洲は見えず、いつもの多摩川に戻るには、少し時間がかかりそうだ。あの荒れ狂った台風の最中に、魚たちはどうしていたことかと見下ろした。
今回の台風は、真っ最中が正午ごろだった。家中を点検していた時に富士が付いてきて、ベランダに出たいんだけど? と見上げてきた。んじゃ出てみようね。富士は台風を知らないのだ。喜んで外に出て行った。
激しい雨しぶきが富士の顔に当たった。跳ね返る水に出会ったのは初めてだった。まんまる目玉を目一杯に見開いて壁際の台に飛び上がり、背を壁に押し付けて正座、前足を揃えて引き寄せて固まってしまった。
抱きとったが、正座したままの姿勢が崩れない。まるで置物を運んでいるみたいに抱いて部屋に入れた。富士は二ヶ月児の頃に初めてアリに出会い、足の先を動き回る黒アリに目を見張ってじりじりと後すざりをしたことがあったけれど、今はもう、アリなんか目もくれない。こうして次第に経験を積んで行く猫でありました。
0 Comments

猫と蝉

法師蝉の声を聞くころになると、夏の終わりを待つ心となる。ミンミンゼミもよく鳴いている。都内ではミンミンゼミは聞いたことがなかった、私が子供の頃は。当地は戦時中に、学童疎開の児童を受け入れていた土地だから、まだ虫の種類も多く、ノネズミ、野ウサギもいる。今年は蝉が多い年で、柿の成り年でもあろうか。青い柿の実が色づく日を待ちかねている。風台風さえ来なければ豊作だ。
3歳になった富士は、ほとんど毎日、蝉を捕まえて部屋に持ち込む。昨晩、寝る前の戸締りをしていたら、玄関のスニーカーの縁にアブラゼミが止まっていた。台風の残雨の暗がりだが、三和土にいるよりもと表へ出した。
今朝は家中の雑巾がけをして、ソファーの下にミンミンゼミの死骸を発見、ホッとした。掃除機を使うより、そっと袋に入れる方が気が休まるのです。
三日ほど前に、ベランダがミンミン騒がしいから、やったな、と二階へ上がったら、案の定、富士が咥えて部屋に飛び込んできた。
アタシ、すごいでしょ? 大威張り、大喜びで、私に見せてくれる富士。えらいなあ。富士、すごいなあ!何度も褒める。大満足。猫は身体で表情を見せる。尾と耳の動かしよう、しなやかな胴体の微妙なうねりは、細やかな感情も、爆発的な激情も見せてくれる。
この夏、何十匹とはいかないが、十何匹は部屋に持ち込んだ。室内猫だから、蝉を捕まえるのは、もっぱらベランダだ。
私が出かけると、玄関の三和土にお気に入りのおもちゃを置いて帰りを待っていてくれるが、蝉の季節になってからは蝉が加わった。家具の隙間やソファーの下にしまっているのを出してくる。嬉しいけれど、あまり長くしまっていると衛生面で困ることが多々あるので回収する。掃除を終えて人心地がついた。
ベランダに出さなければ蝉ハントはない。でもせっかく猫に生まれたのだ、できるだけ多くの経験をさせてやりたい。
0 Comments

敗戦71年という節目

2016年8月15日の新聞社説のタイトルを並べてみる。
朝日新聞「日本の戦後71年 記憶を新時代へ渡す責任」
読売新聞「終戦の日 確かな「平和と繁栄」を築こう」
毎日新聞「終戦記念日 歴史に学ぶ力を蓄える」
日本経済新聞「71年目の夏 戦後はいつまで続くのか」
      「サービス業は異業種に学べ」
産経新聞「終戦の日 先人への礼欠かぬ和解を 「譲れぬ価値」再確認する時だ」
東京新聞「終戦の日 戦争は今も続いている」
それぞれの個性を出した、内容も推測できる見出しだ。多様な見方をのびのびと表現できることが何より良い社会だと思う。
今年はアメリカのオバマ大統領が広島を訪問、天皇がご自身の気持ちを国民に向かい述べられ、そして終戦記念日を迎えたという、ちょっといつもとは違う感じがある。
私は、地球人類の有り様が膨張から水平移動を経て下降線を描き始めた、まさに峠にいる時代だと感じている。根拠に乏しく、感じるとしか言えないが。
もう、繁栄を希求する環境ではない。金集めすることが普通の人々の幸福と重なることはない。金は納税と政府と戦争、そして金融・運搬機関のためにあるのだ。
こんなことは、私のような泡沫人間にも分かっていることだから、権力者が知らないはずがない。
船というものは、大型船であればあるだけ、方向転換が難しいのだという。戦時中に駆逐艦の船長をしていた叔父から聞いたことだが、とっさに避けよう、と必死になったところで車のハンドルを回すようにはいかず、急ブレーキも効かないのだそうだ。多分、国の運営も大型船のようなものなのだろう。あらら。これじゃ氷山にぶつかる、と眺めつつぶつかり沈没するのだろう。
じゃあ、どうしたらいい? 考えるのは楽しい。こうか、ああかと思案するクソ暑い日。
私は、ウンカのごとき大衆によって決まるんだと思う。権力者が握るハンドル、権力者が踏ん張るブレーキではないような気がする。
0 Comments

馬齢を重ね、犬死にする

私は、その日その日をただ、生きていたいとのみ念じつつ来たような気がする。いたずらに馬齢を重ね犬死にすると、この生き方を馬と犬に喩えては、あの聡明なまなざしの馬たち、熱い心の犬たちに申し訳がない。私、別名無額齋は、無額の人として八十年を越える年月を、今日の今も刻み続ける。
無額齋よりもあとに生まれて先に死んでしまう人たちを思う。なんという大いなる稔りを遺して逝ったことか、時の長さと人の重さは関係がない。
膵臓癌で九重親方が亡くなられた。無額齋が生まれてから20年後に、北海道松前に生を受けた少年は、相撲界に不朽の名を刻む大横綱となった。あの朝青龍が、自分にとって神様、と言い悲しみ、白鵬は千代の富士の相撲を目指し勉強したと語る。近くにいた人のみならず、場所、時を隔てた多くの人に及ぼすエネルギーは、この先も増すことはあっても決して衰えはしないだろう。世界中の各界にいる、このような永遠の人のお陰で人類は先へ進む。
同じ日に東京都知事選の結果が出たがニュース性もなく、発端も経過も結果も、あらゆる点において目を閉じ、耳を塞ぎたくなる姿だった。
0 Comments

扇風機を掃除した

毎日、扇風機を使う。この夏も大活躍だ。が、ふと見たら羽もカバーも埃だらけ。去年の夏の終わりにしまうとき、解体して洗うのを忘れたのだ。見つけてしまった以上、気持ちが許さなかった。予定が立て込んでいる日なのに、すべてを投げ打ち、ドライバーであちこちのビスを外して洗った。
透き通る4枚の羽。新品みたいに輝くグリル。夏を迎える気持ちが整った。
秋がきて、つるべ落としの夕暮れに、埃のついた扇風機が回っているのを見ると、ご苦労さま、一夏、よく頑張ってくれたわね。と声をかけてしまう。そんな日には扇風機の埃はお手柄に見えるのだ。でもこれから夏、というときに「ほこりまみれ」では、顔、洗ってこい! でありました。
0 Comments

日馬富士の優勝

何日も経ってしまったけれど、名古屋場所で日馬富士が優勝した。お目出度う、日馬富士関。変化をする、注文相撲をする、それで星をとる人、という印象を持っていた。横綱になるときは、本当に高いハードルを越えて綱を手にした。以後、全部を見ているわけではないけれど、まことに気持ちの良い正々堂々とした姿を見せている。普段は大学に籍を置いて勉強しているとも聞く。
モンゴル出身の力士たちの表情や佇まいを、もちろんTV画面だけしか見ていないけれど、日本画や、時代小説の挿絵にある武士そっくりだ、と感じる。日本人俳優が演ずる時代劇の人物は、現代っ子には見えるが、日本画家の描く侍とは似ても似つかぬ。和服の生地が、立ち居振る舞いに重すぎるからと軽く薄い繊維をつかい、動きは派手にできるらしいが、いくら力んだ表情を見せても張り子のトラ、見る根気がでない。
土俵に上がった白鵬の目つき、姿勢を見ると、これこそ日本古来の武士ではないかとさえ思われる。最近の場所の日馬富士は、その表情が、貴乃花に似ていてハッとする。ここ一番、時間いっぱいのときの姿は「悲」を含み、阿修羅像を見る思いだ。これが貴乃花と重なる。すくみあがる勝負の気迫が漲る。
0 Comments

都知事選と見識

アメリカでは共和党のトランプ氏が大統領選候補に指名された。まるで自国の出来事であるかのように騒ぎ立てる日本のメディアであり、そこには無責任さも見える。アメリカの報道も大揺れに揺れて騒ぎ立てているそうだが、その中でニューヨークタイムズだけは、毅然とした立ち位置で揺るぎないという。さすがのニューヨークタイムズ紙だと賞賛している評論を読んだ。
いま、東京都知事選挙、これも思わぬ出来事、飛び入りのように現れた選挙だが、あと数日で結果が出る。終盤に至り、各紙の報道のありようを見たところ、アメリカのニューヨークタイムズに匹敵する毅然とした態度で、片寄らない報道をしている新聞をみつけた。日本にも、こういう報道者が、記者が、ちゃんといるんだと胸を張る心地がした。よかったね、さすがの東京新聞!
0 Comments

朝顔が咲いた

朝顔の種を買い、植木鉢で育てた。早起きして4時、5時。梅雨時の朝は湿っぽく冷えている。朝顔の蕾は内に息を溜めた姿で動かない。いっせいに花開いたのは7時前だった。
むかし、夏休みに絵日記を書くという宿題があった。下駄ばきで庭に出て、花数を数えて描いた。大好きな遊びが、萎んだ花殻を集めて色水を作り、ガラスの空瓶にいれて売る色水屋さんごっこだった。戦争中でも、こんな楽しい時があったのだ。最悪の年月の中にも、美しい、あるいは楽しい時が織り込まれている。
何年か前にヘブンリーブル−という品種の朝顔を育てたのだが、これは11月まで咲き続ける逞しさ、夕方にも元気一杯な顔色で、葉が隠れるほどに花数が多かった。まさに空の青という印象だったが、朝顔のもつ儚さ、風情のない、一本調子の元気者だった。それ以来、ご無沙汰していた朝顔だったが、久しぶりに育てた朝顔は、伝統的な日本朝顔。濃紺に白い縁、深い紅色、縞入りの空色。デジカメのワンショットに収まってしまうくらいの花数、絵日記ならぬデジカメ日記になりそう。
0 Comments
myExtraContent7
myExtraContent8