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ライオンとクジラ対ネズミとイワシ

今朝の社説6紙のタイトルを並べると
読売新聞=政治姿勢 国民の疑念には真摯に答えよ
産経新聞=森友・加計問題 説明責任は選挙後も続く
日経新聞=与野党は同じ土俵で議論を
朝日新聞=衆院選 安保法と憲法9条 さらなる逸脱を許すのか
毎日新聞=日本の岐路 エネルギー政策 原発依存からの出口は
東京新聞=<衆院選>経済政策 思いつきノミクスでは
となっている。2本立ての社説を出している新聞がほとんどだが、選挙関連の方を拾った。

今回の衆院選では、この社説群のタイトルを見ても分かる通り、全紙が同じ方向を向いている。
これは、かつてないことだ。
前回の選挙の際、保守系メディアは、こぞって論点のすり替えを行った。NHKが、その先頭に立った。なので私は、同日に並んだ社説群を見て意外性を感じるとともに、改めて安倍政権の目に余る腐敗、乱脈ぶりを見た思いがした。
こんな政権は初めてだ、という声が政権に関わる人物たちからも複数聞こえていたのは宜なるかな、であった。
あまりにもあからさまな政権の私物化に、さすがの保守系も庇う言葉が見つからない。
しかし、TVメディアの言うことだが、現在の状況では与党が絶対優勢、過半数を獲得という。
これはどうしたことだろう?

今回の選挙結果がどう出るか。それは投票後に数字となって公表されるだろう。
民主主義の根幹である投票の結果を100%信ずることができなくなっている、という国民感覚は鋭い。しかしこの鋭いセンサーは、我が身を守り、危険なことは見ても見ないふりをする原初の生物的動きに反応し完結してしまう。
締め切られた投票箱が封印され、投票所から開票作業場に移動運搬される。時間的物理的に開票結果が出ることが不可能と思われる、この時間帯に「当確」の報道がでるということを不思議と感じない国民がいるだろうか。
投票票の一部が不正な操作を受けて消滅したり、改変されたりしているという風評に耳を貸さず、信じようともしない国民が、どれほどいるだろうか。
小さいものたち、弱いものたちのセンサーは、力を持つ大きなものたちとは比較にならないほどの鋭さを持つ。自然とは、もともとそういうものではないかしら。
ライオンとネズミ。クジラとイワシ。人間だって、このような自然界の生き物の一種なんだから。同じことをしているのよ、と私は感じている。
ネズミとイワシに、団結しよう、考えよう、抵抗しようと説いたって、それこそバカもの扱いをされるのがオチである。バカなことを言ってる暇があったら逃げなよ、と諭されるのではないか。
かくして夢の民主主義は包装紙だけを残して、私物化と独裁の快感を手にした下劣な品性の輩が居座ることになる。
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ICAN

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞受賞することになった。長年広島長崎の地で運動を続けてこられた多くの人たちが喜んでいる。
ノーベル賞の注目度は高いから、この受賞はとても大きな力になることと思う。アイキャンてな〜に? ユーキャン! ウィーキャン! みんなで核廃絶の声を挙げたい。
私としては核兵器と言わず、核廃絶として欲しいところだが。
先ごろ日本政府は、核兵器禁止条約に署名しなかった。アメリカの核の傘の下にいるために署名をためらい、アメリカの尻について同じ態度に出たのだろう。
台湾の人なんか、なんで日本は署名しないの? 一番先に反対するかと思ったのにと驚いているではないか。
これを機に、どうして日本は、という声が高まると方針を変えて署名するかもしれないが、それでよかったとは私は思わない。
自分の考え、主張を立てて、周囲がどうであろうと、これはこうだ、と胸を張って言うことができない、決めることができない日本。強いものに従い、多くの声に取り囲まれればそれに押されて従うという態度は、全然治っていないのだから。情けないクラゲスタイルではないか。日本の態度に例えられたらクラゲだって怒ると思う。
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選挙

衆議院解散。衆院選が10月10日公示、22日が投票日と決まった。国の政治を司る人々の頭、総理大臣を筆頭に多くの政治家は、国民の暮らしに意を注ぐことよりも、自分たちの為を思って国の舵取りをしている。アベという人は、渡さないと叫ぶ。真に迫って叫ぶ姿が、この先の何日間か続くだろう。
政権を渡さない、と叫ぶのは、彼がヒラの時から一貫していてブレない。野党に渡さないと叫んでいるのだなあ、と聞いていたが、そうではなかった。彼はこの家業を他人に渡すものか、と叫んでいるのだった。爺様の代からやってきて、身内の誰彼にいい目を見させ、ワーストレディは小料理屋だか飲み屋だかをやっている。ここで改めて見識がないとか、哲学を持っていないとか、良心があるのかとか、ふりがなを付けてもらわないで中学生レベルの漢字が読めるようにしろとか、文句を言う気はない。
消えてくれ、という思いの人たちの無言の圧力が一票というかたちとなって、その一票が生きて欲しい、と願うのみだ。
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メキシコ地震

メキシコ中部地域が19日の午後、M7.1の大地震に襲われた。少なくとも61人が死亡という報道、続いて149人の死亡が確認され、たちまち200人を越えたと報道される。阪神淡路大震災の時を思い出す。あの時はたまたま早朝にテレビをつけていて、その日は見続けたのだったが、当初亡くなった方は2名、と聞いた記憶がある。というのは、ああよかった、犠牲者が少なくてよかったなあ、とホッとしたのをはっきり覚えているからだ。大地震に出会ったことはないが、母から関東大震災の模様を聞いており、その時は猛烈大勢亡くなったというのだ。
亡くなった2名の方はお気の毒だが、2名で済んでよかったなと私は思った。NHKの男性アナウンサー、名前は知らないけれど顔は今でも浮かんでくるその人は、いっときも席を離れずに報道を続けてくれた。2時間3時間ではない、もーっと。トイレ大丈夫かな、誰か代わってあげられないかな、とそわそわしながらテレビの前から動けない。
そうして見るうちに、たちまち死者の数が増えていったのだった。6434名。この驚きは大きかった。衝撃だった。しかも、以後徐々に死んでゆく数はその何倍にもなったのだった。
メキシコの気の毒な崩壊現場の報道に接し、今はもう、最初の数を信ずるわけもなく、終わりの数の少ないことを祈るばかりだ。
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季節の橋を渡る

このまま秋になってしまうのか。落ち着かない夏、豪雨が各地を脅かし、41日ものあいだ雨天曇天が続いた東京地方だった、葉物の出来は悪く、果物の甘みは少ない。
久しぶりに現れた日差しは、しかし確実に秋の色を見せて、思い切りを促すかのように乾いている。
何よりも猫の富士の変わりようが季節の橋を渡りつつあることを知らせてくる。
寄り添って眠りにくる富士は、それが当たり前だという顔つきだが。
今日は薄手の丸座布団を作り、輪を作ってやり、首輪を3つ作った。古布を、かき集め縫い合わせる針仕事の指先が心を鎮め、湧き出す糸口を捕まえる。
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獲物を見せる富士

セミが鳴く。もしも夏に蝉の声がなかったら。味わいのない暑さだけが続く季節だろう。ニイニイゼミが鳴いて、アブラゼミ。そして法師蝉、ヒグラシと夏が動く。近くの三角公園を通り抜けると蝉の声に全身が包まれる。子供らが踏み固めた地面には無数の穴、七年の歳月を地下に生きた者たちの記念空間が見える。
富士と暮らすようになってから、こうした風景としての蝉が、思いもよらぬことに室内に現れるようになった。激しい羽音と鳴き声。蝉の、である。それが二階から降りてきて富士がくわえているアブラゼミを認めることになる。ヤダヤダ、どーしよー、と立ちすくむ。生き生きした目を真円に開いて見上げてくる富士が望んでいるのは、私の賞賛である。大変な我慢をして、えらいっ、と叫ぶ。よくやった、富士っ。獲物を見せに来て、期待通りに評価してもらって、富士は大満足の足取りだ。急に静かになったので、いつもと違うな、と見たら、ガラス戸越しにマルオに見せている。マルオは正座して真面目くさって見つめていたが、その様子には先輩風がありありと見えた。
どうか子孫を残した後に捕まった蝉でありますように、と願うのみだが、私の観察では、ほとんどすべてが交尾を終えた後の動作の鈍い蝉ではある。
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帰還

月末の予定が伸びて、印刷所渡しが今日になった。40年ぶりの長雨続きという、梅雨時と間違えそうな空模様の下、解放感に満ち満ちてこれ以上ない明るい気分。
週明けに校正刷ができるという嬉しさ。今日1日は頭の中を空っぽにして針仕事に手を出そう。
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大汗

大変だ。7月が半分過ぎてゆく。予定通りに進めようと頑張っているのに進むのは日数ばかりとは、大汗だ。
月末には、一旦帰宅します。これを区切っておけば暑さも忘れて仕事がはかどるだろう。
大変だ。7月が終わりに近づいた。クソ暑いが暑さなんざクソ食らえだ。しかし。
飲み明かした翌朝、横倒しの酒瓶から目を背け、うつ伏せの婆友をまたぎ損ない転げてのち再起、
コーヒー豆を挽く人生の味わい。
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葛きり

梅雨のうちとも思えぬ暑さ。葛きりを冷やして楽しんだ。蜜の小袋がセットになっている簡単なもの。食べ終わってから、なんかヘン、なんか違うなあと後味を吟味したが、全く自信がなくなっている昨今である。好物を味わっても、昔はもっと美味しかった、とか、こんなじゃない、とか感じてしまうのだ。これは自分の舌が変化したに違いないことで、文句を言っても仕方がない。
包装のポリ袋を片付けて、ふと裏面を読んだ。原料=こんにゃく。え”!である。葛きりはこんにゃくだったのか。100%こんにゃくだと!
なんと私はこんにゃくに甘い蜜をかけて食べたのだ。こんにゃくならこんにゃくと書け! 刺身こんにゃくは好きだけれど、葛だとごまかされて食べたとは興ざめも甚だしい。冷え切った怒りに沈んだ。
深夜になっても怒りは収まらず、友人にメールで訴えた。
彼女も最近、似たような経験をしていた。わらび餅の原料が100%タピオカだったそうだ。他の名前で言い切るところが不敵だ、とメールが返ってきた。
私たちはこのあと、片栗粉について語り合った。片栗粉の原料は馬鈴薯の澱粉で、本物のカタクリの根ではない。このことは以前から知っていた。カタクリは今、季節の花として鑑賞の対象であって、根を使って片栗粉を量産するほどはない。わらび餅も葛きりも、料理法だけ受け継がれて生産され、名前だけ付けているのかもしれない。探したらまだ出てきそうだ。しかし、今もしっかりと作っている吉野の本葛の味を思うと、うなだれるしかない。
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都議選

今回の都議選は、一見、自民党惨敗に見えるけれど、本質は自民党系列内のケンカに、どっちが勝ったかということではないのかしら。だって小池百合子さんはもともと極右で日本会議のメンバーに名を連ねていた人です。
すごいことは民進党が見るも無残なやせ細りようで、これは今までの野田何某以下一統の行いをたどってみれば当然の結果でしょう。その点、今回の選挙では、安倍政権を完全否定し、民進党を無視した都民の判断は、当を得ていると思います。共産党の躍進は当然で、もっと伸びてもよかった。
池上彰さんがテレビで公明党の高木陽介氏にインタビューをしていました。学会の人々の態度を数々の具体的な例をあげて指摘したのち、公明党は「与党でいたいんだなあ、という印象を受けますが」と問いかけましたが、高木という人は実に曖昧な表情で返事らしい返事をまともにしませんでした。
いつものことですが公明党は今回も過半数を確保するための重要な役割を担いました。我々がいなかったら過半数にならないでしょ、と強い側へひっつくのです。裏切りなどという人間らしい感覚は持ち合わせていません。彼らはまともに個々の思考力を持ってはいない、アンダーコントロール下に置かれた集団なのです。上からの指示があれば、この人はいい人ですから投票して、と遠隔地からでも再三頼んできます。洗脳されきった集団の票を集めてコウモリとして議席を確保する。今回の選挙でも都民ファーストはコウモリを利用したので、お互いに惹かれて一緒になったという、馬鹿馬鹿しい成り行きでしかない。くそくらえ、だ。
ところで池上彰さんは、昔NHKでニュースを読んでいた時期がありました。この人は、なんでこんなに情けなさそうな表情をしているんだろう、よほど意に染まない原稿を読まされているのかな、と感じていた、そういう人でした。ところが子供向きに時局を解説する役割に変わってから楽しそうな表情になりました。スンニ派とシーア派の違いなどを生き生きと説明しているので、本当は元気で明るい人なんだなと見直した。やがて独立してジャーナリストとして活躍するようになってから再び表情は変わり、背筋の伸びた強い意志が表情に表れた。自分の考えを自分の責任において発する覚悟と勢い、精神力が伝わってくる。そういう人になりました。今回、公明党の高木氏への質問は、公明党の本質をついたもので実に気持ち良いものでした。
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6月15日共謀罪可決

共謀罪が強行採決された。しかも中間報告という、寡聞にして知らぬ方法を用いての採決であったという。日本ペンクラブだけではない、国際ペンクラブも当然と言える意見を出してきた。このニュースに接することがわかっていた今朝は、猛烈な怒りを覚えるかと予想していたが、炊事をしながら横目にニュースを見て、茶番だという感想だけが表立った。
どの組織の中にも優れた人格、見識、能力を持つ人がいる。大きな組織となればなるほど、善人悪人、清濁、無能などを含有しているから、一概に貶めることはできないけれど、近過去の流れをなぞり、その流れの先端に、この共謀罪採決の様相を置いてみると、日本の近未来のありようが暗く沈んで見えてくる。正しいことを主張する静かな人は圧殺され、沈黙に追いやられ、我欲に満ちた不見識、無教養な荒くれた者が大切な国を左右しようとしている。
単に、私の感覚だけのことだが、与党の大群の中で正論を抱えながら沈黙する弱きものはさておき、野党内に巣食う隠れ与党とも言える、与党と気脈を通ずる獅子身中の虫がいる、これが一掃されたら少なくともまともな攻防、国民の目に見える攻防となっただろうと感じた。私は悪人の下位に卑怯人を置きます。
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5月25日

今日は5月25日だ。そうして卓上のデジタル時計が午後9時57分を表示している、もう58分に変わった。3月11日の東北の大津波に遭った人たちの心に、3月11日という日がどれ程深く刻み込まれているかということを、私は今日の、この時間に同感している。と書いたところで、ほとんどの日本人には通じないのではないか。
私は1945年の今の時間に、東京山手一帯がB29爆撃機による焼夷弾攻撃を受けていた、その夜を思い出している。72年前という大昔だ、その夜の私は9歳だったが、まるで昨夜の出来事のように詳しく繰り広げて見せることができる、誰に? 自分に。その2ヶ月前の3月10日の下町の大空襲では、約十万人が殺された。生き残った人たちのほとんどが100歳を過ぎる年頃だから思い出す人の数が減り、9歳だった私でさえも80代になった。
だから、6年前に大津波にさらわれてしまった肉親、仲間を持つ津波に遭った人たちは、この先、十倍以上の年月を経ても、昨日の午後のように大津波が繰り広げられる同月同日同時刻、そこに今もいる自分を味わうことなしには、生きていられないことがわかると思う。そうして福島原発の被害を被っている人たちにとっては、今現在継続中の深刻極まりない災害である。それも人災なのだ、しかも敵国の空襲ではない自国の政府が加害者だ。
今年のこの日に改めて思ったことは、気温の違いだ。当時は栄養状態が悪かったから寒がりだったのかもしれない、焼ける住宅地の間を逃げる時に、何枚も重ね着をして、その上にオーバーを着ていた。頭には綿入れの防空頭巾を被り肩まで覆っていた。今年の今日は、駅の改札を出入りする人たちがTシャツで歩いていた。気候が変わってきているように肌が感じる今宵である。さすがに夜更けてきた今、Tシャツの上に長袖を羽織っているが。

津波や火山の噴火などの自然災害は防ぐことはできないかもしれないが、人を救うことはできるはずだ。一方、戦争は人災以外の何物でもない。
72年前の深夜に、台風以上の渦巻く強風、炎が風の形をして吹きつける往来にいたことを思いだしながら、同時にラジオ放送の嘘、隠し事が甦った。つい先ほどの夕方に見ていたテレビの嘘と隠し事と、72年前のラジオ放送と、どっちがどっちだったのか区別がつかないほどに、そっくりであることに背筋が寒くなった。めざましい科学の進歩と暮らしの変化がある一方、信じられないほど変わらず、進歩のない政治の世界。
NHKは、共謀罪衆議院強行採決の国会中継をせずに大相撲を放映した。ニュースの時間に、本日可決したと報道した。国連人権理事会の特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏が安倍首相あてに送った書簡で共謀罪法案の問題点を詳しく指摘、懸念を示していたニュースは、付け足しのものとした。この、注目すべき書簡がもたらされたのは18日で、強行採決、可決させた23日より以前からネットでは訳文を読むことができたし勿論原文も公開されていた。どうして報道されないのか、という声も上がっていた。採決前に報道できたし、すべきであったものを、事後に形ばかり付け加えるやり方は汚いし軽蔑ものだ。これは一事が万事で、今に始まった事ではないから、今更メディアを信用するものはいないだろうが、安倍政権の悪辣さ、メディアの追従振りは目に余る。一党独裁、メディア追従の汚染日本の先に見えるものは国の腐敗である。巻き戻された72年前が見えるだけである。昔話をして懐かしんでいるのではない、私は今の話をしている。ついでに繰り返すが、オリンピックは遅くはない、部分辞退したら良い。一国で荷わずとも良いのではないか。炎天下プラス汚染地を恐れ、たじろぐ世界中の人々がホッとするだろう。豊洲か築地かの市場問題は、築地を動く必要はない。歌舞伎座からちょっと歩いたところにある目ぬきの土地を利用したいという目的を持つ者ども、金目の土地の略奪者に、屁理屈で押し切られることはない。
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新聞

最近、変わったなあと思うのは、駅売りの新聞量がとても減っていて、おまけにタブロイド版がほとんどに見える。一般紙は形ばかりの場所をもらっている有様だ。
世の中の大きな変化は、政治のあれこれより、科学の進歩に依りますですなあ、と新聞たちが呟いているような気がする。日本だけではない、世界中の新聞が部数を減らしているという。
何もかもが、かまぼこ板よりも薄い、小さな板きれに出てくる画面から調達できてしまう。道に迷うこともなくなった。板きれを見れば、そこを右折、直進、と見せてくれる。たまに号外をばらまいているが、板きれの方が早いし、その後のニュースだってわかるのだ。
ネットには「新聞社説一覧」というサイトがあり、毎日、朝日、日経、産経、東京(中日)、読売の社説のタイトルを並べている。読みたい社説をクリックすれば読める。
タイトルだけを見ても、各社の意見がわかる。その日だけでなく、遡って読むこともできる。
読まない新聞の使い道も減ってきた。新聞紙に包んで、とか古新聞を使って云々とか、便利に使っていたが、今は使わない。なんだってポリ袋に入れてしまう。
ハッハ! 特定の新聞を名指しして、熟読してくれ、などとほざかれたってなあ。
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猫と風

春。梅が終わり染井吉野から枝垂れ桜、八重桜と華やかさが増してゆくとき、鳥の動きも活発になる。寒いあいだ部屋に閉じ込められていた富士猫は、窓辺に寄って小鳥の動きを追う。思わず頬ひげが前倒しになり、激しく歯噛みをする。これは意識的にやっているのではなく、狩猟本能だと聞いた。
一緒に庭に出る。富士は後足で立ちあがり、両手でモンシロチョウを挟みとろうと無我夢中になる。高々とジャンプしてひっくり返る。自分の体を使えば、なんだってできるんだという、若猫の溌剌とした意欲が見て取れる。実際、すごい運動能力だ。
ブロックの角やフェンスの縁など、自由な猫たちが通った跡を嗅ぎつけて仔細に調べる。口の中の嗅覚器官も使うので口は半開き、目はうつろ。無念無想の面持ちで情報を取る。どれほど大量、多種類の情報を得ているのか想像もできない猫たちの広い世界。この時富士は私の存在を忘れ、猫たちの社会に入り込んでいる。
その傍らで私も鼻を使う。風の匂い、雨を含む匂いをつかもうとする。風上に向かい、雨が来ると呟いた師匠を思い出している、とうに亡くなった近所の農家の主だ。
次第に風がはっきりしてきた。気がつくとドアの前に座った富士が私を見上げている。風よ、いやよ、と言っている。どんなに面白いことがあっても、風が吹くと逃げ出す猫富士でした。
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猫の留守番

猫に留守番をしてもらうことは度々ある。正確に言うと、出かける時に一緒に連れて行かない、家にとどまってもらうということだ。
犬は、しっかりと留守番してくれる。留守中に訪問者があると満足の行く対応をしてくれるのである。
犬は孤独に弱い、非常に弱い、極めて弱い。どれほど強調しても足りないくらいに、一緒にいたがる心を持っている。
これに引きかえ猫は孤独に強い。というか一人っきり、が普通の状態なのだ。留守中、私のために何もしない。いつも通りに過ごすだけである。
お留守番お願いね、と言って玄関を出るのだが、私はいきなり出るわけではない。支度をして、戸締りをして出かける。私がジャケットを着たり、帽子を頭に乗せたり、リュックを背負う動作を、富士は正座して見守っている。富士は、私の表情を見ているのではない、私の動き、身体全体を観察している。その目つきは観察そのもので、冷静、正確な視線である。
自分の判断で、これから留守番だとつかんでいるから、富士ちゃんお留守番よ、と声をかけるころには、もう目の前から消えている。さっさと居心地のよい場所へ行ってしまい、私を見送るという気はないのである。
家を出てから忘れ物をしたことに気づくことがある。
しまった、財布を忘れた、というようなことは滅多にないが、たいていはハンカチをもう一枚、とか、傘を持った方がいいかな? とかはいつものことだ。
引き返してドアを開ける。帰った! 嬉しいっ! 富士が跳んで出てくる。薄情っぽかった奴が、帰った時は大歓迎する。
富士には、忘れ物を取りに戻ったことが、どうしても理解できない。また出かけてしまうなんて、とうなだれて悲しむのだ。
がっかりさせたくなくて、あれ持った、これ持った、と点検して出かける。それでも忘れ物をした時は我慢する。
誰かと一緒に暮らすということは、こんな気遣いも必要になるけれど悪いことではない。
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