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デモ

昨日、4月14日に、全国20ヶ所を超える場所でデモが行われた、と今朝のニュースで知った。安倍内閣を批判否定する集会。
ネットの動画を拡大して見つめた。青葉若葉に囲まれる背景は国会議事堂前である。主催者の発表によると、この場所だけで述べ5万人だという。
マイクを握る若者の発言が聞こえ、メディアのマイクに応える人の言葉もはっきりと伝わってきた。
この、臨場感溢れる画面が、なんとしたことだろう、みるみるモノクロに落ちてゆき、私は息を呑む。

モノクロ画面は、こげ茶色と灰色の大集団に変わり、かけ声が湧き出した。広場の地面は見えない。デモの集団で隙間もない。デモには指導者がいると見えて、そのかけ声に合わせて一斉に声をあげながら西口広場をうねり巡る。
そうだ、ここは国会議事堂前ではない、東京・新宿の西口広場だ。大ガードが見え、手前の青梅街道に都電が見えた。新宿〜荻窪間を走る都電だ。
私は、この路面電車に乗って家へ帰る途中で、中学生になってまだ一月余りの5月のことだった。
当時の私は、プラカードという名前を知らなかったが、棒をつけた白い紙には吉田茂(今の麻生太郎の祖父)首相の似顔絵が墨で描かれていた。打倒!の文字だけの板も担がれて進む。
吉田茂とはワンマンと呼ばれた総理大臣で、神奈川の大磯に住んでおり、自宅から国会議事堂までの道路を優先的に整備し、弾丸道路と呼ばれる立派な道路を国の車で往復しているということを新聞で読んで知っていた。
うねり進む人々は、男たちだった。彼らは統制がとれて隊列を作っていた。いったい私は、どこからこの光景を見つめていたのだろう。
赤坂見附の方角から終点の新宿まで都電できて、乗り換えるために大ガードまで歩いてきたのだが、70年後の今となっては、まるで宙に浮いて俯瞰していたかのような記憶である。
このデモの後、しばらくして行われた大掛かりなデモで、参加者の樺美智子さんが死んだ。驚いた、女性が参加していたことに心を打たれた。
この時の記憶では男性だけのデモで、皆灰色か茶色だった。大きな声で叫んでいたが、それはリーダーのかけ声に合わせた統制のとれた叫びだった。誰も彼もが無表情で、まっすぐ前か、下を向いていた。
当時の新宿西口は、差掛け小屋の闇店が並び、樹木はなかったから一面のモノクロ世界だったのだが、にもかかわらず熱気というか、憤懣というのか、不穏な圧力がこもる場所だった。
この夕方、さらなる猛烈な熱気、気持ちの高揚を浴びた私は動けなくなってしまった。
1945年に戦争に負けた日本が民主主義の国に変わり2年目、封建的という言葉が石飛礫のように「古い人」に投げつけられていた時代だ、日本は新しくなる、という感激と高揚が中学一年生にまで及んでいた。
どれだけ見つめていたのだろう、帰宅した時は日が暮れており、家には怒り狂った父親が待ち構えており、脇目も振らずに下校しなかった私はさんざん叱られて泣き続けたのだった。

「戦争はいや」「安倍やめろ」「ウソをつくな」「なめんな」「恥を知れ」「昭恵出てこい」「安倍を倒せ」「集団自衛権法制化阻止」「改ざん内閣」「アベ政治を許さない」「さよなら晋三」「まともな政治を」「責任取れ」
まああ。「Don’t tell lies」「Your silence will not protect you」「REVEAL IT ALL」など英文もある。
一番の衝撃は、一人ひとりが自分の意思で集まってきているということだ。年齢も様々。子供連れもいるし高齢者もいる。
最前列の横棒を握り、列を作ってうねる組織の人々ではなかった。みんなバラバラに、ワイワイと集まってきているのだった。
掲げるメッセージは大きさも色も、表現も多種多様、どれも自分たちの内側から湧き出してきた言葉に違いないと感じた。
胸がいっぱいになった。70年間は無駄に過ぎてこなかった。
「誠」という魂、「誠実」という土台が欠落している安倍晋三と以下同類の政治家たちは足踏みして進歩しないが、国民は一歩一歩と進んできたんだよ、この感激で涙した。


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機転を利かせては如何

舞鶴市の市長さんが、大相撲の春巡業の土俵上で挨拶をしている最中に倒れた。病院へ搬送され、くも膜下出血とわかり手当をして一命を取り留めた。
大勢の人の注目を集めている最中の出来事で、素早い対応により助かり、めでたいことこのうえない。
高齢になって突然の発作に襲われるのが不安で仕方がない人は、一人歩きを避けた方が良いかもしれない。また、一人で歩くときは、散歩も含めて、人通りのある道を選ぶことも知恵の一つかもしれない。
発見すれば人は、反射的に助けようと気持ちが動くのが普通だと思う。人っ子一人いないところで倒れて発見されなかったらおしまいだ。
市長さんが倒れたときは、反射的に動いた人たちがいて、すごいことに、その中に看護師もいた。応急処置に抜かりはない。なんと心強いことだったろう。
笑ってしまうのが、看護師が女性であったために、土俵から降りて欲しいと行司さんが放送したとかで、女性差別と伝統をめぐり、さまざまな人たちが騒がしく意見を述べている今日この頃である。
若い行司さんだという話だから、言いつけ通りにするのは素直な反応で、責められる筋合いはないだろう。
もしも私が関係者だったら、専門職の人か否かで判別しました。え〜、あの方は女性だったのですか? そりゃ、気づきませんでしたと答えるだろう。
どうして土俵に上がった救援者を性別で区分けしてみたのだろう? 機転を利かせてはいかがでしょう。
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先輩はやっぱり先輩だ!

近所で建築中だった共同住宅が概ね完成した。隅から隅まで輝いている。富士と散歩に出たら、勘の良いマルオ、外猫のマルオがどこからともなく現れた。一緒に朝日が射す道路に立ったら、マルオが先に立って新築の建物に向かっていき、富士がマルオに続いた。
びっくりした。なぜかというと、怖がり屋の富士は知らない場所へ行くのは大嫌いで、無理に抱いて連れて行こうとすると、身をよじって腕からすり抜けて逃げてしまう。無理無理に抱きしめるとガタガタ震える。それが、どうしたことかマルオについて行くではないか。
マルオは真新しい建物の角、雨樋の根元などを巡り歩き、耳の後ろから首筋にかけて執拗にこすりつけては進む。ははあ、臭い付けをしているな? 新しい場所を自分のテリトリーにしようとしているんだ、と私は察して富士のリードを握ってついて行く。というのは、富士はマルオの仕草をそっくり真似て、同じことをしながらついて行くのだ。建物を回り、臭い付けが終わったマルオは駐車場に出ると、いきなり寝転がり、さらに四つ足を上に上げて身をよじり出した。続いてきた富士は並んで転がり、サル真似ではないネコ真似をしている。
マルオは、すでにテリトリーを確保していたのではないか。今朝は富士のために回ってくれたのではないか。マルオは何も知らない富士に、新しいテリトリーの確保をやって見せてくれたのだなあ、と思った。良い先輩に恵まれて富士は良かったね、と嬉しい。富士も、先輩の動きを見習う力を持っていたのだから立派だ。
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蟻地獄

ソメイヨシノが満開、球根の草花が足元に咲き誇り、春に埋もれた。先立って咲いた彼岸桜、レンギョウ、ボケから、息つくまもない花の日々である。
ここ2、3年のことだが、通りかかるたびにチェックしている虫がいる。気候が良くなりアリも歩き回っているので、昨日立ち寄った。それは大きな建物の軒下の乾いた場所で、本来は草花でも植えておこうかと用意したのだろうが、乾いた土だけの細長い場所になっている。見届けたい虫はアリジゴク。この土の中に住んでいる。
いたいた、いました。蟻地獄が見事なすり鉢を作っていた。厳冬期は気配も感じられなかったが、見渡したところ15個はあった。直径数センチのロト状の穴の底に、アリジゴクという小さな虫が1匹ずつ隠れているはずだ。
見渡したところ砂のように細かい土でできたすり鉢だけで、虫の姿は気配もないが、黒アリがせわしなく歩き回っていた。
ところが思いもかけないことに作業中のアリジゴクがいて、彼はすり鉢の斜面をらせん状に巡りながら穴の形を整えようとしていた。捕食するところはよく見かけるのだが、すり鉢を作る場面に出会ったのは初めてだ。期待以上の場面に出会った嬉しさは、ちょっと言葉にならないくらいのときめきである。腰を据えて作業を見物。
アリジゴクは、ウスバカゲロウの幼虫だ。カゲロウは、儚いものの代名詞で、あっという間に命を終えると言うが、ウスバカゲロウは違う。肉食で1月は生きる。幼虫のアリジゴクは、英名をアリライオンといい、まさにアリにとっては恐ろしいライオンのような存在である。
10ミリ前後と見えるアリジゴク君は、勢いよく斜面を巡る。後ろ向きに進んで行くが、体は砂の中、見えるのは頭についている巨大なハサミだけだ。ハサミの長さは3ミリか4ミリだが、体のサイズが10ミリだから大きいと言って良いと思う。後すざりで見えていないだろうに穴の形は真円で歪みがない。斜面だから土塊が次々と転がり落ちてくる。彼は塊をハサミで掴み取り、外へ放り出す。これをやるためには土塊が見えなければならないわけで、後すざりは合理的だと思った。直径数ミリの土塊も放り出し、穴から7、8センチは飛ばす。小さなものやダンゴムシの殻などは10センチ以上も飛ばす。残るのはコナのように細かい土砂だけだ。完成し満足した彼は、ロト状の底に身を沈めてしまった。
そこでアリを捕まえて、穴の中に落とすのが、私という悪者である。
「それはもう、あなた。あれじゃあ蟻地獄ですよ。もがけばもがくほど、はまってしまうんです」
こんな例え方をして、声を潜めて噂をする。そんな小説を読んだことがあるかもしれない。万が一にも経験はしたくない場面だが、蟻地獄はコレをやって成長してゆくのだ。落ちたアリは、当然這い上がろうと努力の限りをつくす。それを察知した蟻地獄は、砂つぶてをアリの足元にぶつけてゆく。パッパッとぶつけるから斜面は崩れてゆく。アリの足は、さらに斜面の砂つぶを転がし、次第に穴の底へと落ちてゆく。アリジコグは、作業に用いた大きなハサミでアリを挟み、土中に引きずり込む。
終わりだ。アリはアリジゴクが注入する消化力のある毒液で溶かされ吸い取られてしまう。この毒液はフグ毒の130倍といわれる。ダンゴムシも、良くはまってしまうから相当大きなものも餌食になる。
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余寒

お彼岸が近づいた。武蔵野の冬は乾燥し、春先の強風に悩まされる。この時期に、春の到来を知らせてくれるのは雨である。花や木の芽がと思うでしょうが、それは昔の話。今時代は人工的な装飾品的耐寒草花が出まわり、季節の便りになり難い。12月、1月、2月だって、道路際に置いたプランターに赤や黄色や派手な花が置いてある。育てているのではない、買ってきて置いているだけの消耗品。私は、これはあまりにも花に気の毒すぎて出来ないので我が家周りはまだ殺風景だ。
変わらぬのは雨である。春雨、小雨。まだ水が上がらないうちにと、気になっていた一本のサツキを植え替えておいた。このサツキの根が嬉しがっているでしょうと雨を喜ぶ。先日の大雨では息を潜めていた壺のメダカたちが、密やかな雨脚に呼ばれるようにして水面に上がってきました。
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大雨

昨夜のこと、日本列島の太平洋側に大雨が降った。前もって予報が出ていたので雨水桶を洗い、空にして庭周りを掃除した。
雨上がりの朝、鶴見川では遊水池が満杯となって洪水を防いだというニュースを見て大よろこび、遊水池は近所にもいくつもあるが、これほど満ち満ちて働いている様子を見たのは初めてだった。
朝食もそこそこに腕まくりで庭に出て、前から狙っていた汚れたタイルのところを亀の子束子で洗い流した。と、こう書くと、いかにも働き者のように見えるかもしれないが、実は反対の省エネ大好き人間。一年に何回とない大雨を狙って掃除をするのが楽しみなのでありました。逆に、濡れ落ち葉には触らない。乾燥し切った時に、それも大風の吹いた後に、すっかり風が止んでから掃き掃除をする。こういうのが年寄りの知恵というか、生きゆく技というものでありましょうね。
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残酷な報道者

北島三郎さんが朝のテレビに出ていた。ろくに歌を知らない私でも知っている「さぶちゃん」という愛称で親しまれてきた有名な歌手。
たくさんの報道陣に囲まれて、突然亡くなってしまった51歳の息子さんについて記者会見を開いているのだった。
子に先立たれた親に、いったい何人出会ってきたことだろう。ついこのあいだの3.11の大津波では、どれだけの親たちが子を失ったことだろう。娘を失った友だちの言葉、この苦しみと悲しみは墓場に行くまで。持っていくしかない。
(亡くなられた息子さんに)なんと言葉をかけてあげたいですか? とマイクを向ける人の背を、私は視た。
三脚を立ててカメラを向ける男の一人を、私は注視した。この人は食べているのか、ガムを噛んでいるのか、くつろいで口を動かしながらファインダーに目を当てていた。
亡くなってしまった息子さんより若いような、この報道の人たちに対して、苦悶の表情を手で覆うこともせずに、絞り出すように答えながら、このつとめから放たれる時を待っている北島三郎さんに涙した。これは残酷な仕打ちだ。
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オリンピックが終わった

平昌オリンピック2018が終わった。今回は複合集会だった。
米韓北の政治的動向を注視する日本からの視線が、会場を覆っていた。もう一つは、38度線で分断された一つの民族の苦悩を生々しく感じた。個人資格でしか参加できなかった選手たちの背負う国の姿も思われた。
これらは目に見えないけれど、金銀銅の輝く栄光の背景に、何層もの垂れ幕となって広がっていた。
一方、勝者と敗者の称え合う姿、勝者が真っ先に口にする感謝の表現など、必死の競技の周辺に溢れる輝く人間性を見せてもらった。この、良き姿に大きな喜びと感動を受けたオリンピックだった。
暗雲のごとき暗さと汚れを醸し出す垂れ幕は、こうした各国の選手たち、参加者たち、観戦者たちの熱く純粋な息遣いによって、彩雲のような幕に変わるのではないかしら。
もしも、そういう息吹を持つ集まりであるならば、オリンピックよ、永遠に続いて欲しい。

もう一つ。まだ30代の頃に、トロントのテレビでカーリングを見た。その頃の選手たちは、本物の箒(ホウキ)で掃いていたのだ。このゲームを知らなかった私は、氷の上にゴミが落ちているんだろうと思っていたのだ。
今回、カーリングを見てびっくりした。ホウキはスポンジ付きモップのようなものに変わっていた。さらにこの、寒い地方のゲームが、いつの間にか世界的競技となっており、日本の女子チーム、LS北見が銅メダルに輝いたのだ。すごかったなあ!
みんな仲良しで、明るくて、頑張り屋。北海道、北見だ。
もう一つ。命令されて行う応援と、心底湧き上がる思いで応援が噴き上がるのと、その違いが動く見本として並べられた。

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ビオトープのメダカ

昨夏、庭の隅に作った畳1畳ほどのビオトープに、仔メダカを入れたまま冬を越そうとした。メダカの親たちは2つの常滑焼の壺にいて、この壺は片口まで土に埋まり、さらに壺中の半分は土と砂を入れてある。メダカは土が好きで、潜って冬を越す。仔たちを壺に入れることも考えたが、これは考えるまでもなくやめた。その訳は、親メダカの餌になってしまうのがわかっているから。
ビオトープの深さは3センチで、本来なら泥が底にある自然の水たまりのはずだけれど、手製のビオだから底面は防水性セメントにしてある。
土木工事大好きなのだけれど、車を降りた時点で大工婆と土木婆は断念せざるをえないと気落ちしていた。資材を買い、運ぶ手段がないからだ。しかし世の中は良くしたもので、ネット発注で即配達してくれる店が現れたのである。防水、速乾、なんでもござれである。というわけで前にも増して気が大きくなった。
この冬は、なぜか特別寒かった。こんな冬は滅多にあるものではない。雨樋の下に水桶を置いて雨水を貯めているのだが、これが凍った。いつもの冬なら、指で突けば割れるものが動かない。それで柄杓で叩いた。なんと柄杓が割れてしまい、氷はビクともしなかったのだ。割れた柄杓を手に、ハッとしてビオトープに駆けつけた、のではない、どっこいしょ、よいとこしょと、滑って転ばぬように移動したのであったが、案の定、凍結していた。ああ。
しかし私は安心していた。というのは三分の一くらいは上に覆いをかけていたからだ。ところが、である。覆いの下も凍っていた。「カエルの足跡」と呼んでいる水草の丸い葉が氷の中にはまって動かない。
手をつき膝をつき、氷の中を仔細に見て回った。わかったことは、3センチの深さ全部が凍りついたことだ。15ミリから30ミリサイズのメダカたちは。
この大事件があったのは、今から何日も前のことである。以来今日まで私は、毎日新しい水を注ぎ、なんと餌まで振り入れて膝をついた。昼の気温が10度を超えた昨日は、親メダカが水面に出てきていた。ダメだった仔メダカたち。
宙を睨んで決心した、この春、もう一度工事をするぞ。しかし自然とはなんだろう? アマゾン原産だという「カエルの足跡」は生きていた。緑色の丸い葉っぱが光っている。
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我が身さへこそ

遊(あそ)びをせんとや生(う)まれけむ、戯(たはぶ)れせんとや生(む)まれけん、遊ぶ子供(こども)の聲(こゑ)聞(き)けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ
これは『梁塵秘抄』の巻第二にある句で、人間て、遊び戯れようとして、この世に生まれたのかしら。遊びに夢中になっている子たちの、よく通る声を耳にすると、私のような者でさえも手足が自然と動き出すようで、気持ちが浮き立ってワクワクするわ。というような意味。
この句を思い出した昨日。
折しも平昌五輪の男子フィギュアスケートで羽生結弦選手が金メダルを獲得、2連覇を果たして世界中から賞賛の拍手を浴びた。出身地の仙台からは、あの大震災を共有、乗り越えてきたことへの同感と感謝が広がった。暖かな部屋で見物するだけの私も、怪我を克服してきた強靭さに驚嘆、プルシェンコ選手以来の美しい動きに、それこそ我が身さへこそ動がるれだった。
同じ日に、将棋では藤井聡太五段が公式戦で羽生善治竜王と対局し勝利。同日の午後には決勝戦で優勝、六段に昇段した。たったの15歳半の、慎ましやかな少年である。この二人の稀代の天才から伝わってくるものは、良き人柄、好ましい性質である。
一生をかけて命がけでやっていることの本質は「遊び」の世界のものであるかと天を仰ぐ。改めて『梁塵秘抄』を開いた。
国民には嘘を言い、はぐらかし、党内政治にうつつを抜かす我が国の政治屋たち、あるいは学校をマシンガンで襲う者、核兵器を生産し続ける国。核兵器を持つな、捨てろと強要する自国には核兵器完備の国。
いつも怒りで「動がるれ」の私だが、昨日は楽しかった、今日も余韻を楽しむ明るい日です。
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カランコエ

カランコエという妙な名の花を5鉢育てている。小さな4片の花は赤、橙、黄、白があって葉も花も多肉植物ではないかと思うのだが分厚い。マダガスカル、南アフリカ、東南アジアに分布していると聞く。寒さに弱いですよ、水のやりすぎに注意、と言われて守ってきた。真冬に咲くので窓辺が賑やかで気分が明るくなる。
花言葉が良い。「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」「おおらかな心」。
先週のこと、夕方にならないうちに帰宅できると踏んで、5つの鉢を軒下に出して日に当たってもらうことにした。晴れて風のない日だった。
ここまでは良かった、帰宅したのも4時前だった。それも問題なかった。この後が問題だった。カランコエを部屋の外に出していたことを忘れきって寝てしまったのだ。あんまりではないか。なんで忘れたのか全くわからない。
翌朝のこと、いつも通りに5時前に起きた時、思いもよらぬ異変に遭遇した。流しの水が出ない、凍っていた。風呂場の水道を調べたところ、こちらはパネルに白い炎の絵が出ていた。点火して作動している時は赤い炎の絵が出るが、白い炎の絵は初めてだ。取説を見たら白炎は自動凍結防止装置稼働のマークだった。これに感動し、台所の自然解凍を待って1日が始まった、零下何度だかの、とんでもない低温の朝だった。
カランコエを思い出したのはもう、昼過ぎだった。みんな萎れていた。満開の花はうなだれ、葉も鉢の外に垂れていた。翌日、その翌日、いくら待っても立ち直らない。
諦めるしかない葉と小枝を取り払い、水をあげていると思われる幹を残して今、ガラス戸の内側に並んでいる。出てくれ、芽。何が何でも助けるぞ、とじっと目を注ぐ。
諦めて捨ててしまい、買ってくればその日から賑わうけれどそれは道ではない、この、カランコエたちに生き返って欲しいの一心である。守るよ、とカランコエに言ったら、それは私の花言葉ですよ、というだろうな。

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石牟礼道子さん

石牟礼道子さんが亡くなられた。90歳。熊本県天草で生まれて一生の間、不知火の海を愛し、水俣病を常に現在の位置にとどめてきてくれた。
画家・吉留 要の画業を追いかけて過ごした昨年、その道筋で石牟礼道子さんが積み重ねていらした仕事に接したのだった。膨大な水俣関係の著作は、ひたすら読みすすむうちに読経かと取り違え、ついには読経と重なったのであった。
子供向けの絵本に描かれる不知火の海は美しく、例えようもない慈しみに満ちている。石牟礼道子さんの絵本は丸木位里・俊子夫妻の絵と合体し、夫妻の家を故郷とする画家、吉留要の画業へと解き放たれて外国へと拡散した。
私はただ、ひたすら追い追いして、感嘆するばかりであった。
石牟礼道子全集に収められた初期の小品を読んだ。まだ若い頃の、処女作と呼ぶよりは習作であったが、その頃彼女はまだ水俣と出会わず、詩を好み文字を書くことを喜ぶのみの少女だったと推測するが、その文章は将来の大きさを含む、才能豊かな驚くべきものだった。これに驚嘆しつつ私は、彼女がこの才能を一途に水俣に注ぎきったことを、亡くなられた今に及び、改めて噛み締めている。できることではない。
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猫の春

猫っかわいがりをしている富士は、わがままで自分本位、食いしん坊の甘ったれお嬢ちゃん。何をしても、何もしなくても、おお、よしよし。わああ、可愛いーにゃー、と言われている。
外猫のマルオは男の子で、富士が生まれる前から庭に来ているのだからもう、人間にしたら還暦近いのではないか。衣食住とトイレを見てやっているが、もともと自由猫なので、彼なりの活動をして過ごしている。
食住はともかく、衣について何をしているか、というとブラシをかけている。これをすると野良ではない、世話をしてもらっている猫だと遠目にも知れるのである。むやみに叩かれないようにとの配慮。
先週のこと、マルオが横っ面を血だらけにして朝帰りをした。猫パンチを食らったのだ。女かショバ争いだ。抱いてやり話しかけてやると、獰猛な顔でうっとりしている。綺麗にしてやり食べさせた。
その翌朝、ヒヨドリを持ってきた。ま、昨今は人間にも、贈り物をするときに、相手の好みを想像し選ぶ人もいる一方、あたしってコレ好きなもんで。などという人もいるから、マルオを批判するわけにはいかない。
どう? 気に入ってくれた? と得意気である。ありがと、というしかない。
満足げなマルオは私の足周りを8の字に回る。と、斜め前の家から茶トラの猫が現れた。若い雄猫、新顔。と、マルオが私から離れた。ゆっくりと向かう姿は凄みがある。
低く構えて踏み出す足、両肩の筋肉が盛り上がり、もりもりと音が聞こえそうだ。ガレージの陰に消えた2匹。
なるほど、逃げる時は腰から逃げるんだな。若猫は腰が引けて、見合った瞬間から負けてたなあ。そこへマルオが戻ってきた。言うほどのことでは、という目つきだった。
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年の初めの挨拶を

今頃になって、ではあるけれど、年の初めの一言を書かないと今年が始まらない気分なので遅ればせながら書きます。
今年、掲げる文字は「壁」。
一年のあいだ、折に触れ思い出す字として、毎年選んでいます。
去年の字は「聲」でした。聲を振り返ると〜
声を発するという行為は同時に、聞くことでもあるのだという、旧字「聲」に含まれる耳という部分に注意を向けた一年でした。
発信することと同じ重さを持って、受けることに意を用いることで平衡を保つことができる。
むしろ耳を傾けることを優先してのちに発言するくらいの方が良いのではないか。
昨今の政治屋たち、特に安倍晋三と麻生太郎両人は、国民の声に耳を傾けるどころか払いのける仕草で無視し、自己欲望最優先の言いたい放題と下品なニヤニヤ笑いで国会を汚染した。
この両人は、聲という文字を読むことも書くこともできないのではないか。
私は恥ずかしい。世界の国々、人々に対して、きまりが悪くていたたまれない。
どこの国にだって低劣な人間はいるものだ、しかし。それが総理大臣などをやっているのを許している我々だと見られることがたまらないのだ。
この文字は、今年も引きずっていくつもりです。



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立春

今日は立春。冬から春へ向かう峠に立ったところでしょうか。
昨年10月26日にブログをアップしてから今まで、沈黙を続けていた壺猫でしたが再開の運びとなりました。
沈黙せざるをえなかった原因は、私がパソコンを壊したからでした。
壺猫のファン、太重斎氏が設えてくれた真新しい器械を壊滅に陥れた原因は結局不明でしたが、私の勘では、つまりパソコンを信じ、愛するあまりに人間と付き合う態度で接した私の態度によるものであったに違いないと考えています。
今回、遠路修復に駆けつけてくれた太重斎氏と、接続を推奨する新器機を携えて、これまた駆けつけてくれた久井氏の御両人によって、めでたく立ち直った次第です。
今年も何卒よろしくお願い申し上げます。
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