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猫と風

春。梅が終わり染井吉野から枝垂れ桜、八重桜と華やかさが増してゆくとき、鳥の動きも活発になる。寒いあいだ部屋に閉じ込められていた富士猫は、窓辺に寄って小鳥の動きを追う。思わず頬ひげが前倒しになり、激しく歯噛みをする。これは意識的にやっているのではなく、狩猟本能だと聞いた。
一緒に庭に出る。富士は後足で立ちあがり、両手でモンシロチョウを挟みとろうと無我夢中になる。高々とジャンプしてひっくり返る。自分の体を使えば、なんだってできるんだという、若猫の溌剌とした意欲が見て取れる。実際、すごい運動能力だ。
ブロックの角やフェンスの縁など、自由な猫たちが通った跡を嗅ぎつけて仔細に調べる。口の中の嗅覚器官も使うので口は半開き、目はうつろ。無念無想の面持ちで情報を取る。どれほど大量、多種類の情報を得ているのか想像もできない猫たちの広い世界。この時富士は私の存在を忘れ、猫たちの社会に入り込んでいる。
その傍らで私も鼻を使う。風の匂い、雨を含む匂いをつかもうとする。風上に向かい、雨が来ると呟いた師匠を思い出している、とうに亡くなった近所の農家の主だ。
次第に風がはっきりしてきた。気がつくとドアの前に座った富士が私を見上げている。風よ、いやよ、と言っている。どんなに面白いことがあっても、風が吹くと逃げ出す猫富士でした。
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猫の留守番

猫に留守番をしてもらうことは度々ある。正確に言うと、出かける時に一緒に連れて行かない、家にとどまってもらうということだ。
犬は、しっかりと留守番してくれる。留守中に訪問者があると満足の行く対応をしてくれるのである。
犬は孤独に弱い、非常に弱い、極めて弱い。どれほど強調しても足りないくらいに、一緒にいたがる心を持っている。
これに引きかえ猫は孤独に強い。というか一人っきり、が普通の状態なのだ。留守中、私のために何もしない。いつも通りに過ごすだけである。
お留守番お願いね、と言って玄関を出るのだが、私はいきなり出るわけではない。支度をして、戸締りをして出かける。私がジャケットを着たり、帽子を頭に乗せたり、リュックを背負う動作を、富士は正座して見守っている。富士は、私の表情を見ているのではない、私の動き、身体全体を観察している。その目つきは観察そのもので、冷静、正確な視線である。
自分の判断で、これから留守番だとつかんでいるから、富士ちゃんお留守番よ、と声をかけるころには、もう目の前から消えている。さっさと居心地のよい場所へ行ってしまい、私を見送るという気はないのである。
家を出てから忘れ物をしたことに気づくことがある。
しまった、財布を忘れた、というようなことは滅多にないが、たいていはハンカチをもう一枚、とか、傘を持った方がいいかな? とかはいつものことだ。
引き返してドアを開ける。帰った! 嬉しいっ! 富士が跳んで出てくる。薄情っぽかった奴が、帰った時は大歓迎する。
富士には、忘れ物を取りに戻ったことが、どうしても理解できない。また出かけてしまうなんて、とうなだれて悲しむのだ。
がっかりさせたくなくて、あれ持った、これ持った、と点検して出かける。それでも忘れ物をした時は我慢する。
誰かと一緒に暮らすということは、こんな気遣いも必要になるけれど悪いことではない。
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猫と付き合う日々

富士猫と付き合い始めてから、猫という生き物についてたくさん発見をし続けている。犬との付き合いが長かったせいで、犬と付き合っているつもりになってしまい、富士を困らせたり、富士が犬的になってくれたりしながら楽しい暮らしである。
呼べば瞬時に私を見て尾を振る、あるいは目を細めて口を開き、ニコニコと視線を合わせてくれる、これが犬。ところが富士猫を呼んでも、チラとも振り向かない。聞こえているのかいないのか、無視している、と感じたのは初めのうちだった。今は違う。呼ぶと知らん顔で窓の外を眺めているが、な〜に? としっぽで返事を返しているのが見える。
猫の言葉の中で大きな比重を占めるのが尾言葉だ。富士の尾は非常に、と言って良いほど長い。尾の長い猫は動きが活発だと言われるがその通りで、立っている私の背に飛び乗ってくる。分別がついたので、電灯の笠に飛びついてブランコをすることはやめたが、床を歩くよりテーブルから窓へ、デスクへと部屋の中間地帯を跳んで移動している。
尾の言葉を読めるようになってから、富士との付き合いが深くなった。喜怒哀楽のほとんどを、尾から受け取ることができる。
尾の短い猫はどうだろう? 外猫のマルオは、名前の由来通り尾が短い。丸く見えるが実は生まれつき鍵の手に曲がっている短い尾なのでかわいそう。それでも尾を使って誠一杯の気持ちを伝えてくる。富士のように尾の先だけを微妙に動かして見せることが不可能な分、左右に振って見せる。これはまるで犬そっくりだ。
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どら焼きおじさん

香織さんの家の庭に一本の柿の木があることは知っていた。それは実生の柿で、たわわに実をつけるようになったが渋柿だった。継木、少なくとも継ぎ枝をしたら甘柿が実るから、ぜひ、やってごらんなさいと勧めたが、生返事をしている。柿の季節がきたとき私は言った、じゃあ干し柿にするといいわ。彼女は言った、どら焼きになっちゃった。
通りかかるおじさんが柿の熟し具合を観察していて、もいで行くのだそうだ、無断で。呆れた、なんて人でしょう。で、どら焼きを沢山くれるんですよ、だからウチではどら焼きおじさんて言ってます。
夫は、食うより眺めが好きだというのだそうだ。
先日のこと、どら焼きおじさんが、冷凍のたい焼きとコロッケを持ってきたという。生協で買いすぎちゃったから、といったそうだ。両親、兄弟のいない一人暮らしの人だから、そういうこともあるだろうと思ったのだが、おじさんは入院したのだった。香織さんは、お見舞いに二度行った、三度目のとき病院の人が「お帰りになられました」と頭を下げたという。まだ若い香織さんには、それが亡くなられた方への病院の挨拶だと、すぐに悟ることができなかった。いちばん悲しんだのは、どら焼きおじさんと名づけた夫だと話してくれた。
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人寄せ桜

昨日の東京は雨だった。桜の開花宣言は今日に持ち越されるかと予想したが、昨日、開花宣言が出た。
隅田川の河岸をはじめ、東京の桜の名所は川べりが多い。堤の桜は自然に生えたのではない、植えたのである。なぜ川の堤に植えたかというと、堤を固めるためだった。堤防を作って終わりにはしない、始終見守ろうと考えた。
江戸時代のあれこれ文章によると、花見に人が集まるだろう、ぞろぞろと堤を歩くだろう。これで堤が踏み固められるだろう。そういう思惑であったという。
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6年目の3.11

今日は東日本大震災・福島原発事故から6年目の311日。日本が戦争に負けて国中が疲弊しきった1945年から10年経った時に「もはや戦後ではない」という声が上がったのを覚えている。そして1964年に東京オリンピックが開催されたときには、戦争のことを口にするものはいなかったように思う。
さて、3.11から10年後に人々はなんというだろう。20年後にはフクシマ原発のことを口にするものがいない世の中になるだろうか。その時わたしは、この世にいないだろう。
阪神淡路大震災から22年が経った。あの時被災地にふたりの友達がいた。兵庫県芦屋市と神戸市東灘区。東灘区の友人は全壊した自宅から箕面市に自主避難した。ワンルームマンションを借りたが、そこは夫婦だけで一杯、子どもとはバラバラの暮らしを余儀なくされた。芦屋の友人の家も全壊したが、夫が不自由な体であるために指定された避難先、小学校へ行かれず、自宅の庭に潰れずに残った小屋にいた。子どもらはバラバラだ。二人とも暴風雨に痛めつけられた草木そのものだった。翌年、芦屋の友人は夫を失った。そして2年後に東灘区に戻った友人が夫と死に別れた。そして自分も癌で倒れた。去年の秋、このふた組の夫婦の、最後の一人が亡くなった。80歳を前にして。とことん頑張ったのだ。夫婦揃って自分の力を信じる頑張り屋であったがゆえに、頑張って我慢をし尽くしたに違いない。あの地震が命を縮めた、私はそう確信している。
戦争の最中、7人家族だった私の生家は、敗戦後1年足らずで5人に減っていた。祖母と赤子が命を縮めたのだった。
芦屋の友人が亡くなる3ヶ月前のこと、電話をかけてくれた。彼女は言った、もう話題にならないわ。じゃなくて話に出さないの。見違えるように綺麗になったし。でも本当はね、何にも変わってないの。同じなのよ、あの日から。
阪神淡路の被災者が、何人も東日本大震災の被災者たちに救援の心を届けたと聞いている。私は、彼女の心の叫びを抱きしめた、100日後に旅立つとも知らないで。
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三寒四温

今日は3月3日、桃の節句、ひな祭りです。乾燥していた東京、神奈川、千葉、埼玉は久々のお湿りでほっと一息、気持ちも和みます。友人よりの便りに、若い人から聞いた「三寒四温」の解釈が書かれていました。それは三日寒さが続き、4日暖かい日が来る、徐々に春に向かう有様とは別物で、3月まで寒く、4月から暖かい、というものです。
これは面白い、確かに関東の南側では当たっていると言えるでしょう。カナダ、トロントの友人の便りでは、極寒の日々が続いている様子が語られます。定めし四寒五温でしょう。青森も北海道も四寒五温だろうなあと、各地の知人を思い浮かべつつ、お雛様にひなあられ。
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視覚障害者情報文化センター

先日、合同庁舎へ出かけた時、偶々「川崎市視覚障害者情報文化センター」の催しをしていた。川崎市には以前から「盲人図書館」があり、これを発展させて幅広い情報提供をすることにしたのがこの施設で、2014年に開設した。展示されている補助用品のほとんどが、少し視力のある人たちのための道具だった。一通り見学して終わるつもりだったのが、山ほどの話を伺うことができて感激した。
予想外だったことは、点字を使う人が視覚障害者の10%程度だということだった。なぜか、ではどのように対処しているか、を学ぶことができた。
映画を観る視覚障害者のために、映像部分を説明する音声を付け加えてあるのを見せていただいた。数は、まだ限られていて「ローマの休日」が展示されていた。
「こんな古い映画を少し、ですが」と白杖を手にして説明してくださる会場の方がおっしゃった。「これ、とっても役に立ちますね」と私は言った。思い出の映画の話題が出たとき一緒に話せるわ。名画は一度見て終わりじゃない、後々の話題ですもの。私たちは意気投合して長い立ち話をした。
1月に開かれたイベントの話を聞かせてくださった。それは武蔵野美術大学で音響文化論を教えていられる佐々木幸弥さんが講師として蓄音機の話をされたそうだが、佐々木先生ご自身も弱視だとのこと。伺った中で印象的だったことは、エジソンが蓄音機を発明した翌年に「蓄音機の未来」という題でアメリカの雑誌に投稿した記事の内容だ。この記事の中でエジソンは、蓄音機のメリットとして、音楽鑑賞よりも先に「視覚障害者の読書」を挙げていたそうだ。140年も前に、エジソンは蓄音機が視覚障害者の読書に果たす役割を願っていたのだ。今、視覚障害者はデジタル録音読書ができるようになった。エジソンは大喜びしていることだろう。そうだったの、エジソンさんて、そういう方だったのね、と私は心に滲みました。
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春一番

今日、春一番が吹いた。去年の春一番は、はっきりしない微風のようだったが、今年の風は強風警報が出た大型だった。気温が20度に上がったので上着を脱いでいる人が大勢いた。黒アリが2匹、忙しそうに足元を横切って行くのを見つけて、なんかウキウキした気分が沸いた。1、2月を無駄に費やしてしまったので、気分を入れ替えて起動したい。バラの芽が動き出した。手入れをすべき寒中にできなかったので、謝りながら面倒を見ている。関東地方の冬とは、なんと短いことだろう、つかの間の寒中だ。
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大間原発

昨日15日に青森県大間町で任期満了に伴う町長選挙が行われて町長が決まった。大間原発建設を推進する意見の現職、金沢満春氏(66)が当選した。4選目。原発依存からの脱却・建設反対を主張した候補者たちは落選した。
ここ大間町は「大間まぐろ」で有名な青森県の突端にある小さな町、フェリーに乗るために度々訪れたが閑散とした地域だ。大間まぐろと言っても、それだけで町全体が豊かになるほどのものであるはずがない。
電源開発、Jパワーは、ここに目をつけて原発プラント「大間原発」を建設している。だいたい、今回の選挙で当選者の得票は2081票、落選した野崎氏は1523票。これで投票率が80%近いのだから町の規模が見えるだろう。
この小さな町の人々に、金に糸目をつけずに、どころではない、太いホースで注ぎ込むように金を投入して「推進賛成」に投票させ、町長自ら建設に協力して行くことに決まった。
安全第一が貫かれたとしよう。雇用も増えたとしよう。人も集まり、新しい建物も増えて暮らしが豊かになったとしよう。
原発プラントは、人の寿命よりも良きにつけ悪しきにつけ長命でしかいられないのだ。人間は、次世代へ次世代へと生まれ繋いでゆく生き物だ。次世代は親を見ながら、周辺の大人を手本にしながら、社会の水の中で育ってゆく。賛成です、とうなづいただけで手に受けた金で生きている大人たちしか知らない子どもたち。いったい、年長者から何を学ぶのだろう。どんな社会人に育つのだろう。
小さな大間町の出来事は日本全国の大きな問題そのものだと思う。「命を大切に」「やさしさ」という言葉が氾濫している。これさえ口にすれば「痛みの分かるいい人」らしい。
本当に次世代を慈しむつもりだったら、生命力を育て、鍛えることが本筋ではないか。
原発は次世代の生命力の衰えを推進するものなんだと、わかってもらいたい。今の我慢、今の工夫が生命力を育てると思うのだけどなあ。
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新年

明けましておめでとうございます
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無礼は無礼だ

アメリカのシンガーソングライターのボブ・ディラン氏のノーベル賞受賞が決まった。アカデミーが授与の連絡を試みたが、本人と連絡が取れない状態のままだという。受賞決定後にコンサートを開いたが、賞について言及することはなかった。
際立った働きを成し遂げる人々の中には、独自の価値観を持って人生を作り上げ生きる人が多くいるから、「普通」「並」からはみ出していたとしても、それは十分許容されてしかるべきだと思う。
しかし、この世に生きる以上、欠くべきでないのが礼儀だ。簡単に言うと「挨拶」。
ボノボという、チンパンジー属の猿がいて研究が進んでいるが、群れの暮らしの中で、きちんと挨拶が交わされていることが観察されている。怠るとひどい目にあうそうだ。
人類が使う言葉は、社会生活に使う言葉と芸術に使う言葉が一見、渾然として分かち難く見える。ボブ・ディランが歌い聞かせて多くの人の心に届ける言葉と、アカデミーに挨拶する言葉は、別種の言葉だろう。アカデミーに返すべき言葉は、ボノボが使う言葉と同種のツールであって、芸術ではない。
賞が欲しくない人はいる。サルトルは断ったが、断りの手紙を出したそうだ。映画のアカデミー賞を受賞したマーロン・ブランドは、受けることは受けたが授賞式は欠席して代役を出した。
その賞、お断りしますが、仲良く付き合いましょうね、というときは礼を尽くすべきで、以後、お付き合いも断る、私の作品を見てくれるな、歌も聴いてくれるな、という希望であるなら、音信不通は、大きなメッセージだから納得できる。これを混同して気ままな態度であるならば、ボノボの風上にも置けない。ボブ・ディラン氏が、どっちかなということは、これからわかるだろう。

以上を書いたのは2016-10-24だった。
その後2016-12-10にノーベル賞授賞式が開かれてボブ・ディラン氏は欠席した。しかしスウェーデン・アカデミーは、彼からメッセージを受け取り、アメリカ合衆国のスウェーデン駐在大使、アジタ・ラジ氏が代読した。スピーチに替わる手紙の文章は、原文と日本語にも翻訳されて人々に届けられた。
それは誠実に丁寧にしたためられた、彼が心の底から思っていることがら、とてもたいせつにしている彼の考えで埋まっていた。とりわけシェークスピアに関する彼の思いは、輝き眩しく、世上に通用するボノボ言葉から再び詩人の言葉へと飛翔してゆくかに見えた。
ボブ・ディラン氏は、受賞の知らせを受けた時から、この手紙を書こうと決めるときまでの間、一所懸命にボノボの言葉を思い出そうとしていたんだ、と思った。彼は、生まれてからずっと、たぶん眠っている夢の中でさえも、わが身の声で歌い続ける鳥の人なのだった。よかったね。鳥は鳥かごに入れようとしないほうが良い。みんな、耳をすませて聞き入りましょう。
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鳥取の地震

昨日の午後、鳥取県中部で震度6.6の地震が起きた。この土地の地震は余震が多いという。その通り、今朝のニュースでは、地震発生以来、今朝までに130回以上の余震があったと報道していた。大切な知人の誰彼を思い、落ち着かぬ。

それにつけても原発は日本列島を蝕む癌だ、進行性悪性腫瘍。
なぜ、反対する自治体は、安全が確認されないから、とか避難方法が万全ではないから、とか議論するのだろう。私には理解できない。あんなもの、なければ避難はありえないじゃないか。
今回の新潟県知事選挙では、新潟県民、一人一人の意識が結集した結果だった。一粒一粒は、まともなことを感じて考えているということが表に出たのだ。腐った知事が選出されていると、「上」と「上」の話し合いで「金」で動いてしまう。個人は無視だ。
膨大なお金は無駄な使い方をされて、関係する「上」たちは私腹を肥やすのである。
結果、得るものはなんだろう。補助金を浴びて食う親たちに育てられた子らは、親から何を学び取り成長するのだろう。どんな子どもたちが育つだろう。
こんな当たり前のことを知らない人はいないので、改めて書くことはないのだけれど、鳥取だって、あのように美しい海、美しい川筋、きれいな空気、自然の宝に満ち満ちているのに、島根県松江市の原発、愛媛県伊方原発がそばにあるのだ。伊方は離れている、などとのんきなことを思う人は、まさかいないだろう。
テレビのCMを見ると、あるいは娯楽番組では、これ以上あるか、と思うくらいのご馳走を食べる場面が出てくる。
元禄時代の再来ではないか、と暗い気分になるが、豪華な料理、贅沢を極めた食材。もてはやす人々。その裏側には原発が点在しており、地震ゼロの一週間があったかと問いたい。
 日本列島の海岸線を辿ることができない、ということを日本人は知っているのか。どう考えているのか。
なぜ海岸線を一回りできないか。それは原発プラントが海に開かれ、道路を遮断し、一般市民から隔絶した区域を作り上げているからだ。これは不自然で、不健康で、危険なことだ。
 これらのプラントからは、ものすごい熱が海水に放出され続けており、異常発生するクラゲやヒトデなどと関係があるのではないかと私は疑っている。太平洋はすでに汚染された。これが事実だ。
地震が起きるたびに私は、案ずる気持ちと抱き合わせに、原発に対する怒りが燃え上がる。
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白柘榴

9月27日のこと、クール宅配便が届きました。小さな箱。送り主は山陰の文人。
いつもながらの達筆、流麗な手紙を添えて届けてくださった香りは金木犀。短くまとめた花束の切口が優しく湿らせてあり、生き生きとした黄金の花の香りが一気に部屋へ躍り出ました。お庭の一枝です。
金木犀の花束の下に座っていたのが、これもお庭の柘榴で、なんと白い粒の柘榴、私は生まれて初めて白柘榴を見ました。柘榴は、子供の頃に庭に植えられており、一つずつもらって箱ブランコに乗って食べていた思い出の実です。
白い実の柘榴は、ルビーのような柘榴とは対照的に静謐さを湛え、半透明の白い粒は水晶のような和の色合いです。
10月に入った今朝も金木犀は手製の小壺にいて、緑の枝葉を柘榴の実に添わせて、ちょっと描きたくなる佇まいです。
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盛り土のこと

築地の移転先の環境について、すったもんだしている。盛り土があるの、ないのと騒いでいる。
勝手にしろ、と言いたい。だいたい、銀座の目抜き通り、歌舞伎座からちょっと歩いたところにある築地の市場だ、ずっと前から欲しくて、分捕りたくて、うずうずしていた妖怪たちがいたのだ。取り替えっこしましょ、と持ち出した場所は、ワケあり物件とも呼べない、最悪の土地ではないか。築地は小粒の庶民の寄り集まりだから、大企業妖怪には手もなくやられてしまうのだ。私は、業者さんたちが気の毒で、かわいそうで、悔しくて、地団駄を踏んでいる。
それはそれとして、盛り土を、私は「もりつち」と読みます。「もりど」なんて、重箱読みを思いつかない。
どうして、なぜ、ドイツもコイツも、「もりど」と発声するのか。もりつち、と言っている人がいない。こんなに気色の悪いことはない。日本は腐ってきていると思う。言葉から腐ってきている。
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