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再びメダカ

あまりにもショックが大きすぎて、その日のうちには何も言葉にできなかった。
書かなければならないものが山積しているが、その、どれにも気持ちが行かない。
打ちひしがれて台風10号の成り行きを眺めていた。さして大きくはない秋台風の余波、長引く小雨の続く昨日今日、部屋の模様替えなどに気を紛らわせたのちに書こうという気力を奮い起こしている。
メダカの事件である。相手はハシボソカラスである。

早春以来のひきこもりの日々の中で、欠かさず続けてきたのが散歩だった。
散歩は、猫の富士と共にする。というか富士のための散歩の時間だ。朝夕2回、1回につき約3,40分。
散歩よ、とリードを持つと玄関の三和土に走り降りてドアに向かってまちかまえる富士。
ハルターをつけて玄関前の道に出る。ここからが犬の散歩と異なる行動で、道の真ん中に正座して動かない。元野良猫、今は外猫として衣食住を見てもらっている老猫のマルオが庭から現れて、この散歩とも言えない状態に参加する。
自転車が走り去る、人が通る、もちろん犬の散歩が多い。毎日の出会いで慣れてしまった犬たちとの目線交流、いつも優しくしてくれる人に寄り付いて撫でて欲しいと催促する、こんなことが醍醐味らしい。
その間私は立ちん坊だ。が、思い直して家の前を行ったりきたり、自分のための運動をしている。
気持ちが良いのは早朝だ、つい先ごろまでは4時半から5時には道へ出ていた。
この時間帯にはコウモリが彼らの宿へ戻ってくる。明けつつある空に、細かい方向転換を繰り返しながら飛んできて、一瞬のちには暗い軒下へ消えてしまう。入れ替わるように飛ぶ黒い鳥はカラスで、これは直線飛行だ。
最近、この一帯に居ついているのはハシボソカラスで、彼らの声は濁ったガラガラ声だ。頑丈で太い嘴のハシブトカラスとは以前に付き合いがあり、彼らはよく通る澄んだ声の持ち主だった。

台風9号が近づく前の早朝のことだった、起き抜けにビオトープのメダカたちに餌をやり、3時間後に次の餌をやるために、夜じゅう被せておいた覆いをはずしたまま猫の散歩に出た。この時期にたくさん食べて体力をつけ、冬を越してもらいたい。
もう、ここまで来たらお分かりのことと思う、たった3時間と思って覆いをはずしていたために、カラスにメダカを食われてしまったのだ。
コウモリが吸い込まれるように定宿に消えたのと入れ替わりに現れたハシボソが、私の斜め前の電柱に来て声をあげた。その声は、仲間を呼ぶ声だった。おーい、おいで! そう言っていた。私はカラス語を幾つか知っているのでわかった、食べ物があるよと言っていた。
おかしいなあ、今日は水曜でしょ、ゴミ出しゼロの日じゃないの。ゴミ場所には何もないはずだと私は思った。
ここで気づくべきだったのだ、ゴミじゃなくてメダカを意味していると、ピンときてしかるべきだったのだ。
しかし私はコウモリが、たった1匹の寂しい暮らしだったコウモリが、この夏の間に4匹に増えたことが嬉しくて、観察の方向が偏ってしまっていた、私はカラスの声を聞き過ごした。

ビオトープの周りに白い糞が散らばっているのを目にした途端、全てを悟った。
メダカの姿は、なかった。雨水桶で育った700匹が参加したばかりで、数えただけでも3000匹をこえていたメダカたち。8割がたが今年生まれの子たちで、皆おっとりとして懐こく明るい。昨夕、新しい水を入れてやった時は喜んで、折重なり寄ってきて、浮草の上にまで乗り上がり遊んでいたのが、さざ波一つなかった。
しゃがんで待った。やがて浮かび上がる魚影、そのほとんどが野生に戻ったフナの色をしたメダカたちだった、明るい色のヒメダカたちが犠牲になった。残ってはいるが非常に少ない。ため息とともに立ち上がった時、メダカの姿は1匹も見えなかった、おっとりしていたメダカたちは、一回の襲撃で、物影に素早く反応して身を隠すタチを身につけていた。
悔しい。

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世界で最も影響力のある100人

アメリカの雑誌「TIME」は今日、「世界で最も影響力のある100人」を発表した。
世界の100人の中に、ジャーナリストの伊藤詩織さんとテニスの大坂なおみ選手が選ばれた。素晴らしいなあ! 嬉しいなあ!
TIME誌に掲載された伊藤詩織さんを紹介する文章は、東京大学名誉教授の上野千鶴子さんが書かれた。
上野千鶴子さんは紹介文の中で、こうつづった。「彼女は性被害を勇敢にも告発することで、日本人女性たちに変化をもたらしました」そして
「彼女は日本の女性たちにも#MeToo運動に加わることを後押しし、全国の女性たちが花を持って集まり、性被害の経験について語ることで、性暴力に抗議するフラワーデモにも火をつけました」。
これまでの上野千鶴子さんの努力、長いあいだ頑張ってくださって、この度は伊藤詩織さんを、このような言葉で世界に紹介してくださった。
上野千鶴子さんに拍手と感謝です。伊藤詩織さんの勇気ある行動が、日本の女性たちに、どれほどの勇気をもたらすか、これは計り知れないものがあります。
素敵だ、素晴らしいと感激したことは、このニュースの報道を、東京新聞では望月衣塑子記者が記名入りの記事で書き、毎日新聞では木許はるみ記者が、同じく記名入りで詳しく報道したことだ。
また、HUFFPOSTも坪池順・生田綾の両氏が詳細に報道。これらの記名入りの記事の魅力は、ものすごく大きい。勢いがあって、思いがこもっていて、堂々としている。筆者の思いがダイレクトに伝わってくる。受け止める嬉しさ。
大坂なおみ選手は、アメリカで広がっている警官による黒人への暴行に抗議する「Black Lives Matter」デモの発信を積極的に続けている。先ごろの全米オープンでは、犠牲になった黒人の名前をプリントしたマスクをして試合会場に現れ、優勝を果たした。
その時のコメントも、よかった。自分の立場でできることはなにかと、考えたのだと語った。
大坂なおみ選手は、まだ二十歳を過ぎたばかりの若人だ、しかし経験の多彩さ、味わってきた感情の重さ、深さは並ではなかろう。それに圧し潰されずに他者のために何ができるか、を自分で思案して実行する、そういう強靭な女性なのだ。
テニスの、あの強さだけではない、精神の清々しい強靭さに目を見張る思いがする。
上野千鶴子さん、伊藤詩織さん。そして大阪なおみさん。こうした勇敢で、他者への愛に溢れた女性たちが、次々に生まれるだろう。そう思うと日本に希望を持てる気がしてくる。
自分の立場でできることをしよう、上野千鶴子さんの思想に共感し、詩織さんを応援し、大阪なおみ選手の試合を応援しよう。
応援の心は、勇気を持って立ち上がった女性を、発言し行動した女性を守ることにつながるはずだ、コロナで引きこもっている者でさえも、想いを届けることはできるのだから。
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本能と感情VS理性

第3次安倍内閣ともいうべき形が現れた。感情を土台に据えている集団であり、率いる頭たちは安倍晋三にしても麻生太郎にしても、自分らと一般国民の間には、越えることを想定しない濠があることを前提としている。
彼らにとっての野党とは、元来主導権をとるはずのない集団であり、とることを許してはならない集団である。日本国の民主主義は見かけの上着と心得、彼らの肉体も精神も独裁者だ。これは奈良時代からこっち、変わらない。
勉強嫌いで本は読まない、といわれているこの二人は、元来が机上の勉強は必要ないと決めつけている。なぜなら代々継承してきている大量の知恵と感覚を家庭環境の中で吸収してきている故だ。それは民衆取扱書という取説だ。
国民という名の下に、ひとまとめにした群衆の、どこに砂糖を置けば集まってくるか、どこに水を流せば逃げ惑うかが、はっきり見えている人たちだ。
天平の昔からの体質を根強く残す人々、強いものに従うことに慣れている、静かでおとなしい人々、立ち上がってモノを言うと損をすると思い込んでいる人々、勤勉で我慢強い人々。最大の欠点は知ろうとする力を持たないことだ。
こんな我々、国民とか一般人とか呼ばれる我々はいま、令和という時の枠に収まっている。相変わらず「時」までも支配されて、明治、大正、昭和、平成と、時代の箱に囲われてきたことも、当たり前だと感じている、まるで四季のように。

アメリカのトランプ大統領は、泡沫候補と目された状態から、鯉の滝登りのように躍り出て大統領となり、破天荒な言動で民主党の面々を激怒させている。しかしこれは民主党VS共和党の対決には、ならないのではないか。
民主党は理性的な思考と判断で民主主義国家を運営しようと努力している。一方、共和党と呼ぶよりもトランプファミリーは、民衆に対して、人間の本能と感情に触れようとしているように見える。
これでは戦うフィールドが異質だからくいちがう。お互いが、敵のいないところに拳を振り上げている。この状態で民主主義方針のもとに選挙をしても、予想と結果は異なってくるのではないだろうか。なぜなら本能による決定には言葉は必要ないからだ。
アンケートなどに、どれほど言葉で反応しようとも、本能に働きかけられて本能で反応する場合には、言葉を飛び越えて本能的決定がなされるのではないか。よって結果はデータには現れないだろう。
あれ? これって日記じゃなくて壺猫の言葉かな?

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ナメクジの話

今年の初夏の頃から、ナメクジの大群を見るようになった。いつでも、どこにでもいるわけではない。隣家の塀に現れる。雨上がりの早朝に現れる。
コロナ騒ぎ真っ最中、ひきこもりの日々が始まったある朝、玄関前の掃き掃除をしようとして道に出たとき、ふと隣家の塀を見たら、無地だった塀が模様付きの塀に変わっていた。
それは高さが私の肩くらい、8〜9メートルほどの長さのコンクリート塀だ。
ところが塀の模様ではなかった、模様と見えたのはナメクジの大群だった。35ミリ程度の、ごく細いナメクジが、塀一面にびっしりとついていた。まだ5時前のことで、周囲の家も道路も静まっていた。
模様と見間違うくらいだから、一面についていたと言っても3、4センチの間隔を置いて並んでいたのだ、塀の上から下まで。のろのろしているナメクジが、よくまあ這ったもんだ。
これは、おぞましい光景だった。寒気を呼ぶ感覚があった。やがて日が昇りゴミ出しに出たときに、見たくもないが、つい横目で見てしまった。びっくりした。一歩進んで、もう一度見直した。
たしかにいたはずの、あの大群が消えていたのである。ただの1匹も残っていなかったのだ。
そこで私は考えた、あののろのろのナメクジが、揃って短時間で移動した。これほど不可解な現象は初めてだ、ナメクジが這う速度とは、いかなるものなのか。塀に現れた目的とは? 
考えたって、答えが出るはずもない、変ねえ! しかない。
この現象は、一度だけでは終わらなかった、ナメクジは繰り返し塀一面を覆い尽くし、やがて大群は、かき消すように消え去るのだった。塀の内側の草むらにこもるのだろうか。
友人にメールで訴えたところ、それは異常気象の影響でしょう、地球がおかしくなっている、という返事。地球規模の事件とも思えないのだが。
やがて酷暑の日が続くようになり、隣家の塀模様は消えた。が、ナメクジの一部が我が庭へ這いこみ、メダカの住処に浮かぶ布袋草の丸い葉に乗っているではないか。しかも成長したのだ、大きくなっていた。
水の上に浮かぶ布袋草の葉に、どのようにして飛び乗ったのだろう? ピンセットで捕獲し、ポリ袋に集めてゴミバケツに入れる。
大群ナメクジ大移動の謎、水上に浮かぶ葉に乗るナメクジの謎。何も解決しないまま、季節は移りゆく。
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コロナの影響、私にも

本気になると徹底してヤルのが癖なので、コロナ危険となった時点から徹底して引きこもった。この影響は如実に現れ、足が軟弱になってしまった。これは整形外科の先生のご指導で体操を始めたというか再開したので救われた。
この徹底引きこもりの暮らしぶりを見た我が子が、なんと巨大なポークローフを運んできてくれるようになったのだ。わが子は二人とも男の子だが、揃って料理上手、最近のこと、長男の方がスチコンという名の料理の新兵器を手に入れた。
このスチコンを使うとプロ級の焼き豚が出来上がる。スチコンという名の料理器具を見たことはないがプロ仕様の器械らしい。2キロ以上の焼き豚の塊の仕上がりは上々、絶妙な味わいである。
味をしめるという表現があるが、文字通りの有様で、コロナが去ってのちも期待してしまいそうだ。
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コロナの影響、メダカにも

2月末から9月に入った今日まで、徹底的引きこもり生活をしてきた。
図書館へ行かず、スーパーにもいかない。生協と通販、基本的には非常時のための備蓄が活躍する日々であった。
それはともかく、朝から晩まで在宅であるために、結果としてメダカの世話が念入りになった。夏の終わりだ、これから木枯らしの季節が来るまでの間に、この夏に生まれたメダカたちの体力をつけてやらねばならない。
無事に冬を越して春を迎えますように。
ところが大変なことになった、増えすぎたのである、せいぜい500匹くらいだったのが、軽く3000匹を超えてしまった。もっといる。
ついに業務用の餌を買った。知らぬ間にメダカが人気者になっており、改良品種が次々に登場している。三色だったり、銀色やスケルトンもいる。
今まで粗食に耐えてきた我が家フツーのメダカたちが、卵をどんどん産む餌などをもらい、生育の早いという稚魚用の餌をもらい、というよりも通販で買おうとすると、どの餌も優れた効能を持っており、普通の餌などは売っていないのである。
色揚げと言われても、黒っぽいメダカたちが、この餌を食べてたってどうにもならないが、手に入る餌を与えてしまう。結果、猛烈大量に産卵し、大量の稚魚の面倒を見ることとなり、今は水面いっぱいのメダカにたじろいでいる有様だ。
赤ちゃんメダカの時から、「ぐんぐん育つ」と謳われている餌を食べ続けると、たしかに早く大きくなる。が、大勢の高校生メダカたちを前にして、不安がよぎる。これで大丈夫かな?
植物の場合は、これは良くない育て方なのだ。栄養たっぷり、至れり尽くせりで育てると、確かに柔らかく美しく育つが、根が浅くて風に倒れる。時々、水が欲しいっ という状態にしてやると、地中深く根を張ってゆくのだ。
来年はパンくずや、鰹節の粉などを食べさせよう、今までのように。
『自由と規律 イギリスの学校生活』池田潔著 の中で、寄宿舎で生活する少年たちの食事が詳しく出ていた。それは、非常な粗食であり、少量だった。これはわざと、そうしているのだった。
また、お寺の若き修行僧たちの食事も粗食だ。これらは、何か意味があることではないか。
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日めくりカレンダー

生まれて初めて日めくりカレンダーというものを使っている。
これ、使う? とお正月に子どもが見せてくれたのを、欲しいっ と言ってもらい、1日欠かさず1日一枚、めくってきた。
薄い紙の下辺に一行、格言というか、言い習わしている一言が記されている。たとえば「取らぬ狸の皮算用」「子をもって知る親の恩」など。
その一つに「言わぬは言うに勝る」というのがあった。つい、何日か前のことです。
この慣用句の意味するところは、あれこれ言葉を重ねるよりも、じーっと見つめて何も言わない方が、はるかに強く深く、自分の思いを相手に伝えることができるものだ、
というようなことだろうか。恋人同士だったら、目に浮かぶ光景。
でも。
「悪貨は良貨を駆逐する」という格言がある。関係なさそうなこの二つの格言を重ねてみた。
世の中の出来事を目にしながら、そして関係のないことではない政治の動向などについても、よく見ており、よく理解もしているにもかかわらず沈黙を守る人々は多い。
嘘をつき、横車を押し、欲望のままに法律をも歪める政治家を眺めていても沈黙を続ける人々が大勢いる。
市井に埋もれて暮らす無名の一個人が発言しても、何ほどの効果があろうか。むしろ個人としての発言は、マイナス要因として我が身に降りかかってくるだけではないか。だから黙っているのだ。
賢いゆえの沈黙だろう。諦めが根にあるかもしれない。これほど庶民がないがしろにされている政策の渦中で生きてゆくためには、自分で自分の身を守るしかない。止むに止まれぬ選択の沈黙。
結果、はびこるのは悪貨と言える我欲に満ちた政治家集団だ。護身の沈黙は無視され、むしろ不満はないのだと思われ、歪んだ政策が世にはびこる。
良識ある沈黙の集団の思いを集めたら、と夢を追おうとするが無残に暗転してしまう。
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今年のメダカ

今年のメダカ。メダカの季節が終わろうとしている。
ビオトープで越冬したメダカたちは、アライグマに襲われて半減し、ハシボソカラスに狙われて、さらに数を減らした。
その後産卵期を迎えたメダカたちを世話して、増やして育ててきた。折しも新型コロナウイルス来襲という大事件に遭遇して、引きこもりの日々となったために、卵も稚魚も、大人のメダカたちも手厚い世話を受けることとなった。
本来なら熱帯魚店の店頭で餌と産卵用のホテイアオイを買うところだけれど、引きこもっているので通販で手に入れた。ホテイアオイは、なんと北海道からの空輸であった。一緒にタニシも買った。
5月から始めて6月7月、そして8月が終わろうとしている。今年は1日も欠かさず目をかけてきたおかげで、メダカの親も子も、空前絶後の大家族となった。
養育用の小さな容器、私はプラスチックの書類用の引き出しを流用している、このナーサリーで中学3年か高校生程度に育ったメダカを、ビオトープに放してやる。
このとき数を、卒業生の数を数えて記録する。 日によって卒業生の数はまちまちで、6匹、12匹という日もあれば、145匹 207匹という日もあった。大人のメダカに混じっても、十分生きて行ける大きさの子メダカたちだ。
あまり小さいと、親メダカに食われてしまう場合が多い。そのために卵を取り分けて孵化させて育ててきた。
今朝、その合計卒業生数が2562匹となった。おめでとう、みんな猛烈元気。
はじめは2〜3ミリ、成魚でも3〜4センチのメダカだが、それぞれ一つの命、貴重な命を授かった生きものだ。ヒトだってメダカだって、2〜3ミリの時代があってはじめて、今がある。だから目を凝らして数える。
これから秋に向かい体を作り、越冬に耐える体を作っていく。よく見ると私が手をかけた子ではない、自然のままに生まれて生き抜いてきた小さな子が相当混じっている。
タニシは10匹買ったのだが、大豆粒くらいの子タニシが、あちこちにいた。


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『八月がくるたびに』

昨日、9日は長崎に原爆が投下された日だ。長男からのメールの中に、小学校の時の課題図書が『八月がくるたびに』だった、とあった。しまってあった子供向けの本を今、出してきて開いている。
おおえ ひで作、篠原勝之絵、以前にも読んでいるのに、なぜか初めて開くページに見えてくる。そして以前には素通りしていた文字が強い勢いで息づいていた。驚いてしまった。
選ばれた言葉は研ぎ澄まされた鑿で彫られたかのような魂がこもっていた。酷暑の空を見上げる、棟方志功の鑿の航跡が空中に浮かんで見えた。ひらがな90%の、やさしい言葉たちの鋭さ。

この本に記されている原爆は長崎。長崎にはプルトニウム原爆が落とされた。広島に落とされたのはウランだった。
あの日、B29がお日様に衝突したのかな? これは長崎の爆心地から少し離れたところの人たちの推測だった。
マンハッタン計画のもと、戦争終結間際に完成した原爆を実験だけで終わらせるのはもったいない、本番をやりたい、だったらウランだけでなく、もう一つのプルトニウム原爆の方も見てみたい。早くしないと戦争が終わっちゃう! 
こんな風なあわて方をしていた人たちがいたそうだ。
75年の間に1日、1日と歩みを進めてきた検証が、こんなところに来ている。さあ、どっちがほんとうかしら? それとも他の何か? 検証はさらに進んで行く。

私には二つ、手をつなぐ手がある。長崎とつなぐ手だ。
ひとつの手は林京子さん。この方は同人誌「文芸首都」同人だった。私は「文芸首都」の後裔同人誌にいたので先輩たちから林さんのエピソードを聞いて育ってきた。
林さんは原爆のことばっかり、と揶揄されることもあったと聞いているが、原爆一筋に定まる以前はいろいろなものも書いていらした。ごく初期の短編を読んで驚いた。磨けば光る小石だった。原爆のこと以外に、なんだって書けた方だ。
そういう方が一本に絞って力を込めたのが原爆だった。この方の作にたくさん触れたことを、ありがたいと思う。お目にかかったことがない先輩が手渡してくださったもの、ないはずがない。
もう一つは何年か前に長崎の平和公園を訪れた時に出会った人の手だ。爆心地、平和公園の階段下の坂道で出会った同じ年頃の女性。
指をさして、そこの、その辺、そこで主人の母と二人の妹が。そして私の、と続く「あの日」のこと。彼女の案内で丘を登り、マリアさまに祈りを捧げたこと。言い交わしたことは、今までほんとうに黙ってきたということだった。
今夜を一緒に過ごしましょう、話し合いましょうと約束して手を握り合った、今もこの手を離さないでいます。
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広島原爆忌

今日は広島平和記念日、広島原爆忌。75年経った。
忘れない、語り継ぐ、という意志と同時に、今現在の世界の問題として将来を見据えて思案する今日、6日。観念だけではなく日々の生活行動として、ひとつまみの小さなことでもいい、実践してゆきたい。
何の因果か、3.11 福島原発事故は日本で起きた。あれだけ酷い目に遭った日本が原発事故を起こしたのだ。
世界各地で原発事故が多発している、しかし日本では一度もない、という状態であっても誰も驚かないだろう、あれだけ広島が酷い目に遭ったのだから当然だと感じるだろう。
それが世界でいくつと起きていない原発事故が、よりによって被害国の日本で起きた。チェルノブイリ事故と同程度か、いや、それ以上だとさえ言われる大事故を日本人が起こしたのだ。自国の土地、海を汚染させた、この汚染はやがて地球を覆ってゆく。世界中の人々に対して言い訳が立たない。謝って済む問題ではない。薄めて見えなくなった、感じなくなった、で忘れてよい問題ではない。

「原子力の平和利用」という文言に同意して乗った日本が間違っていたと思っています。なぜ、どうして道を踏み外したのか、検証することを思いつきもせず、先へ先へと視線を走らせる態度は間違っていると思う。
たとえ国全体が貧乏しても、日本から原子力発電所をなくしてしまいたい。福島を中心として広がる汚染地域を忘れてはいけない。今も汚染されたままであることを肝に銘じてほしい。75日で消えるのは人の噂だけだ。
福島原発事故の影響を感じつつ生活することこそが、75年前の今日を忘れていないということの証明なのだと思っている。
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カメラの目

今年は、7月末の現在まで台風が一度も来ないという。最近続く集中豪雨は台風ではない。なんか地球の健康状態がおかしくなっている。検査しに病院へ行った方が良い状態だと思う。
ビオトープのヤゴたちは、いよいよ水中生活から空中生活へ入る時期が近づくと岸辺に寄りついてその時を待つ。なるべく晴れた日に飛び立ちたい。でも今年は雨のち曇り、のち雨みたいな日々が続いて気の毒だ。
快晴の日には、朝5時頃には飛び去っている。湿気が強い曇りの日には、合わさった4枚の羽を垂直に立てたままの姿で羽が乾くのを待っている。水平に広がるまで時間がかかる。8時、10時。とうとう昼過ぎまでかかって、ようやく飛び立つというトンボが増えた。
この、無防備な時間を無事に乗り切ることが、空中生活へ入ったトンボが受ける最初の試練だ。自分ではどうすることもできない、運を天に任せるほかはない。
外猫のマルオは、水面から30センチも離れていないところで羽化中の姿を見ても知らん顔だ。何事にも動じない年配だから安心していられるが、富士は好奇心の塊だから危ない。ミミズでも蜂でも手を出すから、夕方までは庭へ出さない。
珍しく水草の茎にとまって羽を広げているトンボがいたので、離れたところからズームで撮った。パソコンに入れて拡大してみたら、なんと奥の葉にもう1匹いた。2匹だったとは知らなかった。
カメラの目について、こんな時に思案する。ジャーナリストが取材記事を書く。こんな前置きを読むことがある。その時私はカメラを連れていた。つまり取材者が映像保存のために撮影の専門家を同伴して取材しているという姿だ。主体は文字表現をするジャーナリストだ。その従属物としての位置に映像を置いている。機材を扱うカメラマンに、どのような意味、価値を置いているのだろう。記事を書く人と撮影する人が違う場合は、連名作品となるのが自然ではないかしら。
1匹だと思って撮ったトンボが2匹いた。カメラを操作る私には見えなかった現実、事実が撮られていた。これは機械の力だ。私の眼力ではない。
一方、カメラを操る人が、これを見よう、ここを見ようという強い意志のもとに狙いを定めて撮った映像がある。これには、その人の魂がこもっている。風景写真を撮っても、そこに撮影者の人柄も見えてくるのである。どこに感動しつつ見つめているかも、伝わってくるのである。
今、薄い板っきれみたいなもので気軽に無数の写真が撮影されているが、どうなんだろう、安易に撮れるからこそ心込めて丁寧な一枚を、文字を書き綴るよりももっと深く、もっと細かく刻まれる映像に留めるようにしたいと思う。
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吉川弘文館の案内 その2

吉川弘文館が『戦争孤児たちの戦後史』を今月刊行開始する。総集編・西日本編・東日本と満州編の全3巻。戦乱期の子供たちに視線が注がれるまでに、これだけの年月がかかった。このことに深い感慨を覚える。
ぜひ、手に取ってゆっくり読もうと思う。いったい何歳くらいの人々が携わり、出来上がったものだろう、そのことにも大きな関心がある。この3巻の中で取り上げられているだろう子供たちには、生きていたとしても表現する力はあまり残されてはいないはずだ、私の年代だからわかる。
当時、まがりなりにも屋根の下にいて家族が揃っており、乏しくとも口に入るものにありつけていた私は、上野の地下道にいるという孤児たちのことを思っていた、布団の中で寝ると思いだした、食べると思わずにいられなかった。しかし上野の地下道の孤児たちの情報は、口伝えでのみ、聞こえてくるニュースだった。新聞もラジオも触れなかった。ただ一つ、夕方始まるラジオドラマ『鐘の鳴る丘』が、父さん母さんいないけど〜 という明るく元気な歌声とともに戦災孤児たちの今を伝えようとしていた。その内容は、噂の内容とは別世界に感じられた。噂は、子供同士の噂ではない、大人たちが話し合っているのを、傍に立っていて見上げて聞いていた、そういう噂話だった。
神奈川県海老名市の海老名市立図書館の郷土資料の棚で、戦災孤児たちの記述に初めて出会った。が、それだけだった。数多の書き手が童話などの形で発表をしているが、姿勢を正し、真っ向から全体を把握しようとする動きは、これが初めてではないだろうか。立派な企画だと思う。戦争を知らない世代の人たちが手がけてくれるとしたら、それはさらに素晴らしいことだと思う。なぜかというと、過去を探索し、継承してゆく力を見ることができる故である。
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吉川弘文館の案内 その1

吉川弘文館が年に一回送ってくれる残部僅少一覧と一緒に、新刊案内の数々が同封されていた。その中に『アイヌ語の世界』田村すゞ子著の新装普及版があった。ウポポイが開館したところだ、この不朽の名著が広まりますように。
夢類の工房を訪ねてくれる「僅少」訪問者の一人である太重斎氏、最近はコロナもあることで無沙汰が続いているが、氏は田村すゞ子先生のお弟子でもあって、夢類工房で流暢なアイヌ語をしゃべってくれたことがあった。何によらず、授かった才能というものはあるものだ、太重斎氏は新しい土地に半年も住むともう、現地語をしゃべっている。将棋の棋士たちが思春期以前にその才能を目覚めさせて開花する、これも授かった才能に違いなく、彼らは多分、数学者になっても大活躍したのではないだろうか。数学、音楽の世界の人たちは開花時期が早いような気がする。将棋もこの世界の仲間ではないかしらと思う。
翻って我が身ともなれば、座右の銘「待て、しかして希望せよ」の通り、花は咲く、花は咲く♪ 仏様のおっしゃる通り、優曇華の花だってきっと咲く! 将来を楽しみに生きましょう! 世の中は良くしたもので、遅咲きの花というものも、ちゃんとあるのである。
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寄せては返す波のような

COVID19が今、第二波となって立ち現れた。疲弊しきった、どんよりとした目の首相、別のことで頭がいっぱいみたいな副首相、うんざりだ、やってらんないや、といった面持ちの幹事長。
日本列島が疫病に襲われるのは、初めてのことではないはず。大陸から九州経由で奈良へ、京都へと押し寄せてきた疫病は数知れずあった。藤原四兄弟が次々に四人とも亡くなった原因は、天然痘に感染したからだった。先祖代々、伝えられる知恵というものはないのだろうか? あるはずだ、と私は思っている。古代、天然痘が大陸から九州に上陸して奈良地方も襲われたとき、多くの人々が死に、政界の中心人物である藤原四兄弟も次々に罹患して、四人とも命を落としたのに、その兄妹である光明子だけが、なぜ無事だったのだろう? 歴史には結果のみが記されているが、密かな知恵があったと私は思っている。 
お寺や神社は、疫病退散のお札を売るほかに、伝承などの記録を保存しているのではないか? そのような記録の中に、いつの時代にも通用する知恵が眠っていないだろうか? 最新型の戦略機器、検査方式や対応ワクチンを作り出すことなどと並行して、疫病に襲われた場合の、それぞれの土地の人々の動きの性向分析や、群集心理などの吟味と対応が必要だと思うのだが、対処している国、あるいは自治体はあるのだろうか。これは地球上の各地、それぞれの土地によって大きく違うだろう、その土地ごとに何百年も積み重ねて保存している知恵が、ないはずがない。これらを発掘吟味して活用すべきではないだろうか。
何かあるに違いない。それなのに、昨日の数字に今日、反応する。その危機感を感情で振り回し、目先のものに素早く反応し左右されて、即、結果を欲しがっているように見える。
ウイルスには人間が決めた東京都、神奈川県、千葉県といった行政の囲いはなく、人という乗り物を欲しがっているのだから、とても原始的な動きなんだと思う。人間が、自分たちが作り上げた法律やら何やらの枠に縛られた中でウイルスに立ち向かおうとしていることは、自ら戦いにハンデをつけているようなものではないだろうか。昔の人々は、良い薬もワクチンもなかったのだから、もっと恐ろしく感じたことだろう。その人々が絞り出しただろう知恵とは? 何かあったはずだと思う。
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豪雨

豪雨の被害が重く覆いかぶさる。ようやっと、建てた家なんです、50年前に。80歳の女性が言う。ボートが来るまで生きてたんです、ボートに乗せるまでは。こもごも語る救われた老人2人。兄が弟に電話で言った、冷静に聞け。母ちゃんが流された。
朝一番のテレビを、中腰になったまま見つめる。いきなり緊急警報のけたたましい響き。地震速報画面に切り替わった。
一方、新型コロナウイルスは勢いを緩めない。首都圏では、すでに第二波に入っているように、私には感じられる。東京という区切りは、すでに無意味だ、千葉、埼玉、神奈川と4つまとめて首都圏ではないか。
こんな事態の時に、メダカなんぞと言っていられるものじゃない。
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