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今夏のメダカ

5月から欠かさず世話をしてきたメダカたちは、立秋以降、落ち着きを取り戻した。産卵は峠を越え、春一番に生まれた子たちが成魚となった。
大人メダカたちは肥満体を持て余し気味にしながら穏やかに群れている。
単独でいるのは老齢メダカで、誰もいない隅っこの水面近くに漂い、流れてきた餌を欲しくもなさそうに口に入れてみたりしている。群れて泳ぐのは飽きた、という顔つきだ。
昨日は、子育て水槽で中学レベルに育った子メダカも合流させた、寒くなるまでに大人になってくれるだろう。
大人たちと一緒では、萎縮して育たないかな? と心配なメダカもいるが、むしろ背伸びするくらいの環境に入れてやった方が、勢いの良い丈夫なメダカに育ってゆく場合の方が、圧倒的に多い。
赤ちゃんメダカは5ミリ前後の微小な時から、この子は育つ、とはっきり見て取れる。姿ではない、動きである。
生まれた途端から、先祖返りしたメダカは黒く、ヒメダカは薄い色をしているし、活発な子は針の先ほどの時代から目立って活発だ。
たまに、背骨が湾曲しているような子も生まれるが、どうすることもできないから、皆と同じに育ててゆく。大きくなっても泳ぎは遅いが、仲間たちも本人(魚)も、障害に気づかず、違いも知らず無関心だ。
この子は泳ぎにくそうだな、と見つめているのは私だけだ。
雄メダカだが、ものすごい速さで突っ走る子が育った。目にも止まらない速さで1メートル以上、突進する。浮き餌を食べている群れの中に飛び込んで行く。
ぶつかったら危ないじゃないか。と案ずるがぶつかったことはないし、反応するメダカもいない。どこへ行こうという気もないらしく、ひたすら玉突きの玉のような暴走をくりかえす。
周りのメダカたちは迷惑だろうな、とハラハラするのは私だけだ。
法師蝉の声だ、飛び交っていたシオカラトンボたちはどこへ行ってしまったのか。夏が仕舞いに近づいた。
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続・不甲斐ない奴

展覧会に限らない、合法的態度を基本とした上でのことだが、自分自身が思案の末に行う方針は、堂々、晴れ晴れとした精神と態度で貫徹するのが良い。
私の場合は文芸個人誌を定期刊行しており、基本的に自分の作品だけを掲載するけれども、時には依頼して原稿をいただくことがあり、また掲載希望の方もいられる。
大歓迎だが内容を拝見した上で、諾否を決めている。基準は、完全に私の好みであり、偏見そのものの線引きだ。たとえ、作者が汗水垂らして10年かけた作品だ、と言っても、私が嫌な時はダメである。
例を挙げると、卑猥な描写のあるものはダメ。顔見知りの個人を誹謗中傷するものもダメだ。もっとあるが、これは私自身の偏見そのものであります、という理由をもって断ることを方針としている。
名古屋だかどこだかの展覧会で、ギャアギャア賑やかなことだが、主催者の腹がすわっていれば問題はないでしょうに。
最近は、差別だなんだと、正義の大看板を背負ったような物言いがはびこり、それに屈従する組織なども出て、不甲斐ないことだと思う。
たとえば私立大学で、男性の学生だけを入学させたいと考えが決まったならば、男の学校、と看板を出せばよろしい。女性だけを受け入れたければ、ウチは女子大です、とすればよろしかろう。
これは、差別とは全く関係のない、単なる好みであります。
伸び伸びと持論を持つことのできる社会と、差別のない社会は、車の両輪のようなものではないか。
だいたい、多くの日本人は自分の意見を口にせず、まずは周囲を見回し、他人の表情を伺い、流れを伺ってのちに無難な方へ決めようという、まことに情けない、主体性皆無の者共だ。

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立秋

立秋とか彼岸、中秋の名月。
こんな節目の呼び方が好きだ。自然に添い、自然を愛で畏れ、常に自然に気持ちを寄せて暮らす生き方が良い。
35℃だって言うけど、もっとあったと思う、などと言い交わす昨日今日だが、それでも立秋という節目が嬉しい。
はっきりと日差しが斜めに傾いて、部屋へ差し込んできた、太陽の動きが目に見える。
5月から始めた座禅が、1日も欠かさず続いている。
実はお線香を一箱買ってしまい、これに500本のお線香が入っているのだ、一日も欠かさず日に一回座禅修行をしたとして5月から500日。
生きていたとして、の話だが、来年の立秋に、箱のお線香の残りは何本だろう?
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メダカ熱死

昨日は暑かった。連日暑いが、特に暑かった。午前中から昼過ぎにかけて外出、帰りのバスの中で頭上から注がれる冷気にホッとしながら庭のメダカを案じた。
今年は子メダカのいる壺の周りに緑がなく、炎天にさらされているので日覆いをかけているのだが、覆いを忘れて出かけてしまったのだ。
玄関に入る前に壺に向かう、あ、ああーっ! 横倒しになった子メダカが浮いている。
指を入れたら水は、湯だった。38度前後と感じる。傍らの水槽の水を足して水温を下げようとしたが水槽の水も同じか、それ以上の高温だ。
水槽の水は水道水を紫外線にさらしてカルキ抜きをしているメダカ用の水だが使えないので生の水道水で水温を下げた。
幸い全滅には至らず、10%程度が犠牲になり、あとは助かった。小・中学生メダカたち、ごめんなさい。
壺茹でになってしまった。
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8月6日

今日は8月6日。2、3日前からニュースで、広島平和記念資料館の展示方法を変えるという話題が出ていた。一新する理由は、若い世代に理解できるような展示方法にするためだという。
このニュースを見て思ったことは、それはそうだろう、あのとき10歳前後の子供だった世代が今、80歳半ばを超えているのだから、あれは遠い昔のこと、無理もないということだった。
今朝、googleに「8月6日」と入れて検索してみた。ヒットした順を挙げる。
一番目から花火大会・8月6日生まれの有名人・8月6日生まれ・星座・イベント・誕生花、と順に出てきて、一番最後に広島とあった。広島が最後で、その下はない。
こういうことなんだ。今日はどこで花火が打ち上げられるのかな、とgoogleの検索結果を見ている人たちの中に、最後に「広島」と出てるけど、これってなんなんだ? と思う人がいて不思議はない。
自分自身の記憶を辿ってみても、今の若者たちの感覚は不思議でもなんでもない。まして非難など出来るものではない。
太平洋戦争のことを大東亜戦争と言い習わしていた七十数年前、まだ本土が空襲に襲われる前、十分に戦時中ではあったが、子供たちにとっての戦争とは、海の向こうで兵隊さんがやっていること、という認識だった。
大人たちは、そうはいかない、息子は出征するわ、食料は配給制度でひもじくなるわ、何か喋ったら差し障るから黙るようになるわ。灰色の日々である。
こんな時期に祖母が日露戦争の時の話をしてくれた。戦争って恐ろしいんだよ。そう言って日露戦争の時に歌われた「戦友」という歌を歌ってくれた。悲しい旋律の、心に染み入る歌だった。
祖母の思いは私には届かず、お気に入りの歌の一つとなっただけだった。
これが戦争なんだ、と肌身に染みたのが東京山之手大空襲の夜のことで、それから約3ヶ月後の8月6日、広島に「新型爆弾投下」(当時は原子爆弾というものを知らなかった)が伝えられたとき初めて、目の前にないものを目に浮かべることができて、生々しい恐怖に包まれた。
じゃあ、どうしたもんだろう?
地球まるごとの歴史を学ぶ事だろう。一国の歴史を読んでも役に立たない、自国をかばうから。地球まるごと、古代から今現在までを知りましょう。
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不甲斐ない奴

尊敬する芸術家、吉留 要さんの持論で、実行していたことがある。それは自分の作品の横に立ち、鑑賞する人と会話をすることだ。
吉留 要さんは、日本国内での知名度はないが、世界規模で評価されてきた抽象画家、つい先ごろ亡くなられたが、折につけて立ち上がる彼の言葉は、今も吉留さんが生き続けていることを証明している。
自分が創った作品の横に立ち、鑑賞してくれる人の感想を生で受け取り、その場で応えることができる、こんな素晴らしい交流は望めないことだ。
だって、ピカソの作品「ゲルニカ」の前に立ち、横に佇むピカソさんと話し合うなんて不可能なのだ、現役の作家の作品に限り可能な宝物の時間だと思う。
吉留さんがニューヨークで開いた個展の会場で、超大型画面の抽象画を鑑賞していた人から、この絵の、この部分が気に入った、ここだけ切り取って売ってくれ、と言われたそうだ。
先ごろ国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、企画展「表現の不自由展・その後」の中止が決まった。企画を立ててから企画展が開かれるまでの間に、素人じゃあるまいし見通しが付いていたろうに。
で、開催してから3日坊主、謝罪して逃げ出すとは、なんと不甲斐ない奴だろう! ああ、みっともない。意気地なし!
なぜ、会場で罵声を浴び続け、袋叩きを受け続けようとしなかったのだ? テロが恐ろしい? 迷惑がかかる? そんなの、言い訳にしか聞こえないわ。
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ウチの子たちが

今年の雨季は長く、稲や果樹など案じつつ7月下旬まで来てしまったが、ようやく西から梅雨明けの報せが入るようになった。
今週末の台風が無事に通り過ぎたら、関東地方もいよいよかんかん照りの真夏になるだろう。
久しぶりの晴天、読みさしの本を持って庭のベンチブランコに出た。
わずかに揺れるブランコの腕木にトンボがとまった。
薄青い尾が伸びて、水平に開いた羽の縁が陽にきらめく。私が獲ろうとしないので手の届く距離に止まっている。
ビオトープから生まれ出たトンボだから、いわばウチの子だ。
2、30匹は巣立っただろうか、そのうちの何匹かが目に入る。じっと止まっているトンボは、時折急発進して飛びまわり、同じ場所に戻ってくる。
これを繰り返すのは、見つけた小虫を捉えているためだ。
このトンボのおかげで、蚊に刺されることがなくなった。ブランコに揺られていても蚊に喰われない。
トンボがガードマンになってくれている、と気づいて思わずにっこり、こういうのを破顔一笑というのでしょうか。
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高校生メダカ

気がついたら3週間も経っていた。この間、怠けていたかというと、そうではない。
メダカの世話に専念していた。針の先ほどの赤ちゃんメダカが次々に孵化して、幾つもの浅いパッドで育ちつつある。日に少なくとも数回は餌やりをしなければならず、これは今朝も終えた作業だ。
餌をやると同時に、汚れる水の管理が欠かせない。むしろ、この方が難しい。が、楽しい。
何が楽しいかって、メガネをかけて虫眼鏡をかざして見つめる小さな卵の中の目玉、これに心臓があって脈打ち、やがて孵化して針先サイズの魚となって泳ぎまわり、日に日に育ってゆくさまを見つめる、命が生まれ育つ様を見つめているんだという実感が、こちらのハートに響くのがたまらない。
もう30年以上も飼い続けている緋メダカだが、親が子になり孫になり、代々続いてきているものだ。
最初は全部緋メダカだったが、代を重ねるにつれて源に帰るのだろうか、フナのような濃い灰色のメダカが増えた。
畳1畳ほどのビオトープに大人メダカがいて、赤ちゃんメダカは生まれた時期により、それぞれの飼育容器にいるが、5月に孵化した一番手が高校生程度の大きさに育った。
もう、梅干しの壺では窮屈になってきたので、よく育った子を選んでビオトープに移した。
これはもう、転校生が新しい教室に入るようなものだから、見守るこっちは親の気分だ。
まずは全員が食事前の、空腹な早朝に、そっと入れてやる。8匹の高校生、今までは大きな顔をして小柄な仲間を蹴散らしていた連中だが、想像もできない広さに怖気づいて固まっている。群れを、作っている。
大人たちは卵を腹につけているものも多数いて、私の足音を感知して遠くへ逃げている。誰もいない片隅に入れられた8匹は、次第に中央へと進み始め、大人たちは足音が消えたので広がり始め、ついに顔をあわせるときがきた。
あれほど威張って大きな態度だった高校生メダカ8匹は、倍もあろうかと見える大人たちの大群を前に、完全にたじろいだ。
楽しいのは、こういう有様を眺めるときだ。緊張している高校生に出会った大人たちは、気づいて、わかっているのに無関心な態度だ。これが針のように小さな子を入れたら、空腹であれば食べてしまう。
食べる気が起きない程度のサイズになって初めて一緒に暮らせるというわけだ。ここで餌を撒いてやる。一斉に餌に群がる全員。めでたし。
次からは、新入りは先輩高校生にくっついて群れを作るので、一番手よりは楽に参加できる。今年生まれのメダカは今年生まれで群れるから、これからは毎日少しずつ参加させてゆくことになる。
これから元気に泳いで体力を作り、冬に備えて行くことになる。
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トンボ、空へ

去年完成したビオトープが安定した姿を見せはじめた。
アワビの貝殻や、石ころ、タイルで作ったトンネル、お土産の釜飯のお釜を横向きに置いたものなど、メダカのお家をたくさん作って冬を越した。
冬の間に助かるでしょうと用意したのだが、今も隠れ家として便利に使われている。
ところがこれも良し悪しで、餌をやり、眺めようと寄って行くと、足音を察知して矢のように素早く隠れてしまう。彼らは耳で聞くのではない、胴体の側線で感知する。
畳1畳程度の浅い水にいるメダカは、水槽のメダカとは別種のメダカになってしまった。とにかく群れる、早い、隠れる、慣れない。可愛さなんて、ない。
底に敷いた砂の上に、冬の間に堆積した枯葉やゴミに混じって、脱皮したヤゴの抜け殻がたくさん漂っているのを見つけた。
トンボの幼虫ヤゴは、何度も脱皮を繰り返して成虫になる。越冬した大きなヤゴもたくさんいて、寒さには、猛烈強い。
このヤゴは、メダカにとって天敵と言われるほど獰猛な肉食系だから、メダカは命がけで暮らしている。
ビオトープにした以上、小型ながらも弱肉強食の自然界が形成されたのだから、見守る側は、我慢しなければならない場面に出会うことは避けられない。
ボウフラなんて、食われてしまって皆無だし、メダカの卵が孵化しても、親メダカは平然と食べてしまうし、ヤゴは想像もできないほどの速さでメダカを捕食する。
けしからん、とヤゴを撲滅したらビオトープは成り立たない。対抗手段はメダカの卵を保護して数を増やすことか、と思案する。
こうした日々が続き、やがてヤゴが、濃灰色の6本足の怪獣風の虫が、水から這い出て羽化する季節になった。
トンボは夜中から明け方にかけて羽化し、朝日を受けて羽がきらめく。晴れて微風がある恵まれた日に旅立つトンボは幸せだ。朝6時には青空へ飛び立ってゆく。梅雨時の曇りの日には、羽が伸びて乾くまでに相当時間がかかり、8時過ぎまで動けない。
トンボの一生の中で最も無防備な羽化のあいだ、高齢の猫、マルオは無関心だから安心していられるが、好奇心いっぱいの富士に見つかったら最後だ。9月のお彼岸の頃までは、空へ旅立つトンボたちを見届けてから富士を庭に出してやることになる。
やがてトンボは蚊などの小虫を捕食して、産卵のために水辺に戻ってくるが、空へ出発したトンボたちは、のびのびとして安全かというと、ここもまた緊張の世界だ。
蚊にとっては恐ろしいトンボだが、鳥たちにとっては、格好の餌食だ。
生き物が生き延びて、さらに次世代を作るということが、どれほど大変なことか。並大抵ではない、気が遠くなるほど大変なことなのだ。
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入園→入学→入センター

4月の新学期から2ヶ月が過ぎて、昨日は梅雨入りした。
幼稚園児も小学生も中高校生たちも、すでに「新」から脱け出て、今が当然といった表情だ。
最近は4月に限らないが、入所する新入りの人たちがいる。デイケアセンターに通う高齢の市民たち。
介護ホームのように入所したきりになるのではなくて、毎週日時を決めて通うシステムだから、どちらかというと登校する子たちと似ていると言える。
私は、高齢者のデイケアセンターに興味津々なのだが、まだ見学したことがない。
よく知っている知人たちの話では、通うようになると変わりますよ、とのことで、見学では見えないそうだ。

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ムラサキツユクサ

緑の季節。紫陽花が見頃を迎え、立葵が咲き始める梅雨の時期に入った。
ムラサキツユクサも咲いている。この花は花壇に植えることもあり、道端のような、さりげないところにも咲く身近な花で、ツユクサとともに朝開き、夕べには閉じる1日花だ。
このムラサキツユクサは、放射能の影響により花の色が変わるという。これは3.11の後しばらくしてから知ったことだ。
本来は濃い青色の花びらだが汚染された土地では、花びらの色がピンクに変わるので、土壌汚染のバロメーターになるという。
これは聞いた話なので調べてみたところ、確かに書かれてもいるが出所が明らかではない。自分では確かめるすべもない、あくまでも「伝え聞いた話」なのだ。
それでも、つい花の色が気になって去年も今年も撮影しては、撮影地を記録している。
はっきりとした三角形の群青色の花の中心に黄色い蕊が映える美しい花。
これは事実だろうか、風評か。
観察するに花の色は年々色褪せて、今年、市民農園のほとりに群れ咲くムラサキツユクサの花びらは、雨に濡れた桜の花びらのような淡色である。
風に乗って運ばれる噂を信じることは危険なことだ。別の場所では昔ながらの花色もあるのだ。
出所の確かな情報を得ようと吟味を重ねる昨今、道端から無心に見上げてくる花に耳を寄せる、聞かせてくれるだろうか、花の声を。
今は見えないものを見なければならず、大合唱に消される小さな声に耳を傾けなければならない時代。
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富士が5歳に

猫の富士が5歳になった。掌に収まる子猫だったのが5キロの重さ、人間の年齢に換算すると約36歳。
30代といえば人生真っ盛り。分別もあり体力もある。幸い怪我も病気もなく、のびのびと猫生を謳歌している。
短毛で尾の長い猫は活発だという。この特徴を知ったのは、すでに何枚かの瀬戸物を割られ、壁の額に飛びつかれ、ペンダントライトにぶら下がって揺れているのを見上げた後だった。
しつけと称して、このような行為を罰する人もいるようだが、まずは観察。
犬のほうが話が通ずるという思い込みがあるものだから、犬、それも亡き千早と比べてしまい、ついに観察の期間が5年間に及んでしまった。
人間同様、猫も持って生まれた性格があるので、姿かたちを知るように、内面もつかむことが付き合いの第一歩で、5年経ってようやく、お互いが解り合えた感じがする。
富士はこっちの都合で左右されるのが嫌い、納得して自分から動きたいたちなんだ、とわかった。
だからハルターをつけて近所を散歩していて、帰ろうか、と声をかけると、帰る気になっている時は家の方に向きを変える。まだ散歩していたい時は、もっと、というそぶりをしてみせる。
こちらのいうことを理解しているが、言うとおりにするかどうかは自分が決めたい。
無理に抱き上げると体の奥で沸騰するような音を立てて怒っているのが伝わってくる。
猫は喜んでいるときにゴロゴロいうが、怒っているときもゴロゴロいう。これはまさにハラワタが煮えくり返っている、という感じを受ける。
人間も怒り心頭のときに、お腹をゴロゴロしたらどんなものだろう、あ、本当に怒ってる、と伝わるかもしれない。空腹と誤解されるかな。
千早が私の心と心を合わせる喜びをもっていたのに比べると、富士は、常に自分は自分だから、気心が知れてしまうと、同居していて疲れない相手と言えるだろう。
富士は我が家を自分のテリトリーと認識しているので、常に外回りに警戒心を働かせ、怠らない。
吠えて知らせてくれる千早がいた時は心底安心していたが、富士との暮らしでは、こればかりは期待できないと最初から諦めていた。猫は吠えないから。
が、犬よりも聴力に優れていると言われるネコ族だ、わずかな音に対して鋭く反応する、しかし決して声は出さない。
待ち伏せ式の狩猟方法を持つネコ族は、緊張するといっそう音を消そうとする。代わりに微妙な変化を見せるのは、その姿、毛並みだ。
富士の姿を見ることで、外の気配を素早く感知することができるとわかった時は嬉しかった。
ガレージに車が入る、インターフォンの前に人が立つ、これより以前に察知できて体全体が変化する。
という次第で、最近の富士は防犯猫として頼りにされるようになっています。
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ふるさとを見下ろす

五月晴れの朝、新宿方面へ行く用事のついでに都庁展望室へ寄った。
いつでも来られると思ううちに、一度も行ったことがない、となりそうなので思い立った。
新宿駅から動く歩道に乗り、決して歩かず、並行して歩く人々や店を見物する。まるでお上りさんだが、この界隈の変化は見ものであるというわけだ。
都庁に入ると、いきなり長い行列が伸びていた。観察するにガイジンの群れのようである、しかしこれが目的の展望台への行列だったのだ。
HPで調べてこなかったので仕方がない、並んでいる人に声をかけたら40分待ちだという。
やがて正午を過ぎてしまい、都庁で働く人々が昼食のために出てきた、これを眺めるのも興味深いことで、都庁で働きたいと希望して働いている人々の特徴を集約してみる。
浮いてしまう人種は、最初から参加をやめたほうが良いのだ、集団には参加する前に自分自身を見極めないと苦しむことになる。相手の組織がいけないのではない、自分自身の性根から浮遊した希望を持つことが間違いなのだ。

12人乗り2基のエレベーターが45階の展望室までピストン輸送をしていた。
エレベーターに乗る前に荷物のセキュリティ検査があり、これはいつも行われているものであるか、それともトランプ大統領来日に備えてのことかはわからない。
展望室のガラス越しに見物した。地上202メートルからの眺めは、期待通りの五月晴れ、素晴らしいものだった。はるか遠くに富士山、丹沢山系。目の下には高層ビルが林立して、それぞれデザインを誇るかのようだ。
スカイツリーが見えた、特徴のある網目模様のモード学園、新宿センタービル、KDDI、国立競技場、明治神宮、オペラシティ。あれも見えた、これも知ってる。
右往左往して大喜びだが、外国から訪れた人々は、それそれの建物と結びつく糸口がないから全体を眺めて、すぐに終わりだ。
年配の男性が背後から英語で話しかけてくれたので振り向いたらボランティアの人だった。
ボランティアの味はいかがですか。
展望室へ上がるためには40分も待つが、いったん上がってしまえば好きなだけいられるという。話しているうちに仲間のボランティアの人も寄ってきて楽しい輪ができた。
みなさん70代だという、月に1回来る人、2回の人と、いろいろで、他の日は地域の子どもたちの世話をしている人もいた。
この展望室にくる8割の人が外国からの観光の人だそうで、日に3000人。若い時に海外で仕事をしてきた経験を生かして、この展望室に来ているのですよ、とも話してくださった。
最近はQRコードで詳細な情報を読み取ることができるために、ここは「忙しくない」そうだ。いやもう地元は忙しくて、と初耳な話も聞かせてもらった。

ひとしきりして再び見下ろす新宿。あっちの方向に淀橋浄水場があった、その向こうが柏木の淀橋病院。今は東京医大というけれど。
ここで、あたしの子どもが生まれたんだ。その先、成子坂の方へ歩いていったところで生まれたんだ、私は。
高層ビル群が霞んできて灰色一面の焼野原が浮き上がり、それもたちまち消えて木造平屋の家々が並ぶ、地形が露わに見える武蔵野の台地が地平線の果てまで伸びていった。
ふるさとを見下ろす空は五月晴れ

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認知症を減らすこと

認知症を減らすには、の話題。
統計を取り、何年先に認知症患者がどのくらい増えるかを予想。増加を防ぎ、罹患率を下げようと努めている様子が、日々のニュースから伝わってくる。
ボケ予防としてパズルをしたり、野菜の名を思い出せる限り書き出したりの工夫。
高齢者たち自身も、いやあ、ボケ防止と思って歩いてますわ、などと挨拶代わりにボケを使っている。
自動車運転免許更新手続きの一環として、高齢者講習が義務付けられている。運動機能検査などある中に、認知機能の検査もある。
その検査方法は、時計の文字盤を描き、時刻を長針短針で示すものなどいくつかある。
記憶力テストでは、何枚かのパネルに数種類のもの、たとえば野菜、動物、道具類などの絵が並ぶ。
これを次々に眺め記憶し、ややあってのちにパネルの絵を思い出せるだけ思い出して書きつらねるという検査である。
このテストを喜寿の頃にやったのが最後だが、終わって講習所を出ようとした時に講習所の人に呼び止められ、全問正解、順序まで正確だった、と驚かれた。
あらまあ。これは頭が良いわけではない、だいたい、バナナ、ハサミ、ラクダ、自転車。こんな風に並んでいるものをどんどん覚えられるわけがないのである。
人間、無意味なことに力を出せるようには作られていないのである。記憶するために記憶するなんてバカバカしいじゃない。
批判、反発、炎上を覚悟でいうと、高齢化とともに進むボケは自然現象であり、もう頭を使いたくなくなっているのではないか。
無意味になっているのだと思う。思い煩うことから解放されたいのである。楽になりたいのである。まだらボケなんて天国じゃないか。

先の話題に戻ると私の方法は、すぐさま物語を作り、モノをはめ込んでゆく。たとえばバナナをハサミで切ったらラクダった。というように。
途中で物語が途切れては続かない、最後まで繋がる物語にしてゆくことがコツ。
いくらパズルをやっても、指の運動をしても、野菜の名前を思い出しても、認知症を防ぐことはできないのではないか、と思う。
このように愚考を重ねている折しも、『老いと記憶』副題=加齢で得るもの、失うもの 増本康平著 を読んだ。読書評に書きます。
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高原書店、閉店

今朝、と言っても昼寄りの、10時を過ぎている今、地方版ニュースで高原書店が一昨日の5月8日に閉店したと知った。
東京都町田市のJR・小田急線の町田駅にほど近いところにある古書店で、1974年に開業した。
細々とした開店当初から表現したいことを持っている古書店だった。40年を超える付き合いになる。
が、最近はご無沙汰していたのだ。なぜかというと車を降りたことが原因。車で気軽に行けていたのが、バスだ、電車だ、駅から歩く、というわけで足が遠のいていた。
もう2つ原因がある。
1つはネット検索で日本国内の登録古書店から希望の資料が発掘できることで、もちろん、この中に高原書店も入っていた。
2つ目はkindleで、深夜、突然読みたくなった時でも、即、買い、瞬時に読めること。
しかしネットでは、高原書店は検索の上位に出てくるので、元気にやっているなあ、と安らかな心地でいたのだ。
社長の部屋でお茶をご馳走になっていると、受注本の発送に忙しい様子が見て取れたから本物の破産らしい様子に衝撃を受けている。
小誌「夢類」でも取材させていただき、取り上げたことがあった。
この書店は、創業時から一貫して発信する姿を続けてきていた。子供たちへ読み聞かせ、大人たちへ朗読会。
陽子社長と親しい役者さんたちが協力、出演してくれる、身近で新鮮な舞台。
こういうことを無料で行い続けてきたのだ。
このお店でバイトをしていた三浦しおんさんが直木賞を受賞した時、陽子さんは身をよじって喜んだ。
立て込んでいるだろうが、ちょっと行かねばならぬ。前にも破産寸前まで詰まったことは、あったのだ。

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