文房 夢類
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文房 夢類

ラスト・マタギ

ラスト・マタギ』副題=志田忠義・98歳の生活と意見 著者=志田忠義(しだただよし)発行=角川書店2014年 20cm 204頁¥1500 ISBN9784041015186
著者=1916年山形県生まれ。子供の頃から山に入り、15歳のときに、はじめてクマを撃つ。3度の招集の後、戦後は磐梯朝日国立公園の朝日地区の管理人や、朝日連峰の遭難救助隊、地元のブナ林を守る活動などに尽力。勲六等単光旭日章受賞。
内容=狩猟、釣り、朝日連峰の姿。招集されて中国へ。徐州周辺の戦闘の模様、復員して再び故郷の山へ。やがて遭難救助や、生まれ故郷の大井沢の環境に思いが及んでゆく98年を振り返り、折々に記した膨大な原稿を、角川の編集部が整理、編集してまとめた本。
感想=表紙が、野生猿と著者が抱き合う写真だったから、猿との思い出が主体かと思ったがサルは「はじめに」に出ただけだった。が、そのエピソードは強く印象に残り、読了後、すべてをこの猿が語っているとも感じられた。
紹介すると、小学校の校庭で子どもたちが騒いでいる、著者がみると1匹の野生猿が校舎周辺を歩いていた。椅子に腰掛けて呼んでみたら膝に乗ってきた。軽く叩いてやったら平気な顔で毛繕いをしている。他の人が手を出したら怒った。やがて林へ去った。という話だ。不思議でも何でもない、分かる話だがメッタにないことだ。マタギ猟の姿が生き生きと描かれている。若者を育てつつ、年寄りをいたわりつつ、土地の男たちが力と知恵を結集して狩りをする姿は印象深い。この先、マタギ猟が受け継がれてゆくか、それは考えるまでもなく消滅するだろう。いまはまだ、各地山中の高齢者のあいだに抱えられているが、若い世代が引き継ぐことは、たとえ望んだとしても不可能ではないか。それは、マタギ猟が共同作業であることと、銃砲所持などのハードルを越えなければならず、保険加入など、経済的にも負担が大きいからだ。それよりなにより、第一に挙げなければならないことは、自然に対する、野生動物に対する、私たちの考え方が1900年初頭の頃から一変していることだ。
著者の少年時代から招集されるまでの朝日連峰でのクマ狩りの思い出話は、いまの感覚で読んでゆくと、(どうして、そんなに殺してしまうの?)という辛さが先に立ってしまう。50頭仕留めてきた、と略歴にある。誰それはクマを何頭仕留めた、などと自慢しあう猟師たちは、その昔、カリブ族が人狩りをして頭蓋骨を飾り立てていたのと大同小異に感じられる。当時は、クマ、テン、ウサギなどの皮を売り、肉を食べて生きるしかなかった、そのことを理解しつつも、もう終わりにしてほしい、と言う気持ちが溢れてしまう。魚も同様だ。どうして食べきれないほど獲りつくしてしまったのか。『北越雪譜』にも、そっくり同じことが描かれていて、獲れるだけ獲り尽くしてゆく人たちがいたのだ。
戦後、復員して山へ戻った著者の元へ、案内を乞う人々が集まるようになる。外国から来た人に、ヤマメの釣り場を案内し、大漁となった、そのとき外国の男が、食べる分だけを取り分けて、あとは全部川に放すのを見た。志田さんの気持ちが動く、変わる。やがてブナを保護したい気持ちが溢れるまでの日々は感動を呼ぶ。最後に遭難者との関わりが記されている。山に入る人たちは、とくにこの部分を読んで欲しいと思った。

真贋のカチマケ 鑑定士の仕事

真贋のカチマケ』副題=鑑定士の仕事 著者=中島誠之助(なかじま せいのすけ)発行=二見書房 2015年 20cm 493頁 ¥2700 ISBN9784576141633
著者=1938年東京生まれ 戸栗美術館理事。生活雑器であった古伊万里磁器の魅力を見出し、広めた。テレビ番組「なんでも鑑定団!」にレギュラー出演。
内容=骨董の楽しみかた、掘り出し物の見つけかたなどを楽しく語る。
感想=縁あって所有している物を鑑定して貰い、金額を知る、これを遊びとして見せている番組をみて、鑑定士・中島誠之助さんを知った。私は、物の値段にこだわる価値観とは別世界にいるので、お金に換算することには興味がない。ないけれど鑑定する方々の目を見ることが楽しみだし、勉強になるので好きな番組だ。
この番組の中で「焼き物」を鑑定するのが中島さん。本書では、お馴染みの口調で、本物の心を広げて見せてくれる。東京ッ子の気っぷの良さ、歯切れの良さが心地よい。幼いときに両親を失い、並ではない少年時代から今日までを、さらっと後ろ手に隠して語らず、これから骨董と付き合いたい人たちに向けて、愛情をこめて伝えてくれる極意。偽物を掴まされた失敗談、「育てる」と称して偽物を作る一流の腕前の専門家たちの話。約500頁の内容は、隅から隅まで面白い。
 ただ、最後の章には、焼き物の視点から辿る中国と日本の歴史が書かれている。その先には西欧の焼き物史の展望がある。この勉強ぶりは並ではない。この土台があってはじめてつきあえる「焼き物」なのだと身にしみる部分である。
 ひとつの茶碗を掌に思いを馳せる。戦災ですべてを焼き払われて、もらい物や木の枝の箸で暮らしていたとき、思いもかけず焼け跡の土の下から掘り出した無傷の子供茶碗。これはひーばあさんがね、と伝えられていったら意味があるんじゃないか、と思ったりしながら読んだ。
 中島誠之助さんは書いている、偽物は、見た瞬間に何とも言えないイヤな感じがする。
 そうだろうな、と思う。人間だって同じだろう、「本物に間違いないですね」と会った瞬間に感じられる人間。本物人間になること、本物を見る力のある者になること、これは一朝一夕にはいきそうもない。年を経たからといって備わるものではなさそうだ。
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