April 2018
これが人間か
23-04-18-12:38-
『これが人間か』副題=アウシュヴィッツは終わらない SE QUESTO E UN UOMO 著者=プリーモ・レーヴィprimo Levi 訳=竹山博英(たけやま ひろひで) 発行=朝日新聞出版2017年 125X185mm 314頁 ¥1500 ISBN9784022630650
著者=1919年イタリア・トリーノ生まれ イタリア系ユダヤ人 化学を学ぶ。1944年2月アウシュヴィッツ強制収容所に送られてゴム研究所で働く。1945年1月末 ソ連軍により解放された。イタリアから650人がアウシュヴィッツに送られ、生還できたのは23人だったと言われる。帰国後塗料会社で働く。1987年自宅のあった集合住宅の4階から飛び降り死亡。
訳者=1948年東京生まれ 東京外国語大学大学院ロマンス系言語専攻 現在立命館大学名誉教授 若い頃にイタリアでレーヴィ氏の元へ繁く通い、その謦咳に接したという。
内容=1980年に朝日新聞社から刊行された『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版。原書は1947年にデ・シルヴァ社から刊行されたが、読者を得ることなく忘れられていた。強制収容所から自宅に帰着直後から、本書の執筆にとりかかったという。
巻頭にドイツ周辺の地図があり、ナチ統治下の主要強制収容所及び抹殺収容所、付属収容所、労働収容所の位置が示されている。一編の詩から始まる本文は、捕まえられて運ばれてゆくところから、飢えと渇き、寒さ、不潔さ、病気、そして死にゆく人々の日々が刻まれる。巻末に年表と竹山博英の解説。
本書は現在34ヶ国語に翻訳され、ル・モンドの「20世紀の100冊」、デイリー・テレグラフの「110冊の必読書」などに本書の名がある。レーヴィが世に知られるようになり、本書が読まれ始めたのは、彼の死後のことだった。
感想=刻み込むように記される収容所の様相。同時に彼が見つめるのは、追い込まれて変化してゆく囚われた人々の心の姿だ、自分自身の気持ちと行動の変化も含めて描かれる。その強靭な精神力には圧倒される。
ここには大げさな形容詞も感情の吐露もない。それゆえに読む側に食い込んでくる、これが人間のすることか、の思いである。人間が人間に、実際にしたことが文字として刻み込まれている。
ドイツ周辺の地図がある。黒丸が主要強制収容所・抹殺収容所、灰色丸が付属収容所と労働収容所だ。地図は、ほとんど黒と灰色の丸印で覆われている、その数を思い息を飲んだ。
生きながらえて収容所を出た人たちの中で、何人もの人が自殺している、と訳者が書いている。巻末の訳者、竹山博英氏の解説は、必見の部分である。
著者=1919年イタリア・トリーノ生まれ イタリア系ユダヤ人 化学を学ぶ。1944年2月アウシュヴィッツ強制収容所に送られてゴム研究所で働く。1945年1月末 ソ連軍により解放された。イタリアから650人がアウシュヴィッツに送られ、生還できたのは23人だったと言われる。帰国後塗料会社で働く。1987年自宅のあった集合住宅の4階から飛び降り死亡。
訳者=1948年東京生まれ 東京外国語大学大学院ロマンス系言語専攻 現在立命館大学名誉教授 若い頃にイタリアでレーヴィ氏の元へ繁く通い、その謦咳に接したという。
内容=1980年に朝日新聞社から刊行された『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版。原書は1947年にデ・シルヴァ社から刊行されたが、読者を得ることなく忘れられていた。強制収容所から自宅に帰着直後から、本書の執筆にとりかかったという。
巻頭にドイツ周辺の地図があり、ナチ統治下の主要強制収容所及び抹殺収容所、付属収容所、労働収容所の位置が示されている。一編の詩から始まる本文は、捕まえられて運ばれてゆくところから、飢えと渇き、寒さ、不潔さ、病気、そして死にゆく人々の日々が刻まれる。巻末に年表と竹山博英の解説。
本書は現在34ヶ国語に翻訳され、ル・モンドの「20世紀の100冊」、デイリー・テレグラフの「110冊の必読書」などに本書の名がある。レーヴィが世に知られるようになり、本書が読まれ始めたのは、彼の死後のことだった。
感想=刻み込むように記される収容所の様相。同時に彼が見つめるのは、追い込まれて変化してゆく囚われた人々の心の姿だ、自分自身の気持ちと行動の変化も含めて描かれる。その強靭な精神力には圧倒される。
ここには大げさな形容詞も感情の吐露もない。それゆえに読む側に食い込んでくる、これが人間のすることか、の思いである。人間が人間に、実際にしたことが文字として刻み込まれている。
ドイツ周辺の地図がある。黒丸が主要強制収容所・抹殺収容所、灰色丸が付属収容所と労働収容所だ。地図は、ほとんど黒と灰色の丸印で覆われている、その数を思い息を飲んだ。
生きながらえて収容所を出た人たちの中で、何人もの人が自殺している、と訳者が書いている。巻末の訳者、竹山博英氏の解説は、必見の部分である。
ストーカー
11-04-18-09:55-
『ストーカー』副題=「普通の人」がなぜ豹変するのか 著者=小早川明子(こばやかわ あきこ)発行=中央公論新社 2017年 中公新書ラクレ 214頁¥800 ISBN9784121506061
著者=1959年愛知県生まれ NPO法人「ヒューマニティ」理事長。ストーカー、DVなど、あらゆるハラスメント相談に対処している。1999年に活動開始以来、ストーキングの加害者500人以上のカウンセリングを行う。
内容=実例4件を挙げて解説。ストーカーの定義と危険度について、新しいタイプのストーカーたちについて、ストーカーをカウンセリングして見えてきた彼らの心の中、警察と法律の限界について、ストーキングは治療できるのか、という問題などが章ごとにまとめられている。最終章のタイトルは、「なぜ私は介入し続けるのか、元ストーカーに励まされて」という題で、著者が近々と読者に語りかけている。
巻末に、資料として「都道府県ストーカー問題解決支援センター 試案」と、補足として「医療保護入院」について、参考文献・資料が付いている。
感想=ストーカーなんて、自分には関係のない特殊なことなんだ、と思いこんでいた。事件が報じられると、ストーカーって怖いなあと感じる。それだけだった。
興味本位で開いた本だったが、これは正しい知識を皆が共有する必要がある、他人事ではないと、強く感じた。
著者の小早川さんは、かつてストーカーの被害に遭った経験があるそうだ。そうであったか、と読んでゆくうちに小早川さんは、自分自身の過去を振り返ってみているうちに、なんと自分がストーカーだったことがあったことに気づいた、と書いている。さらにその時、どうやって抜け出したかも思い出して記している。これは情報の搔き集めではない、著者の全てを投入して、裸の心で読者に話しかけている本だ。私は〜思います。と言い切る形で記す態度から、ストーカーから救いたい、加害者も被害者も救いたい、という著者の熱情が伝わってくる。責任を持った潔い発言態度に感動した。昨今、「〜ではなかろうか」「〜と思われる」みたいな歯切れの悪い書き方が目について気色悪い中、実に気持ち良い。
ストーカーを5つの類型に分けて解説、分析し、レベルを図解してあり、全体像が明確に把握できる。ストーカーとは安珍清姫のような、恋の想いが届かない相手を追いかける姿だと思っていたが、とんでもないことだった。恋愛だけではないのだという。親が子へ、子が親へのストーキングもあるという。先生と生徒、医者や弁護士、どこにでもありなのだった。さらに現在はSNSなど姿の見えない相手に対してもあるのだ。
しかも、ストーキングの核というか発芽可能な種子は、どんな人間でも心の奥底、意識下に眠っているものであり、ふとしたはずみで意識下において発芽し、意識下において発動する。ストーカーという表だった行為のエンジンとスターターは、なんと意識下にいるのだった。だからいくら止めようと意識上の気持ちが考えてもエンジンは止まらない。という風に私は理解した。
これは是非、ストーカーなんて他人事だ、と思っている「その他大勢」の方こそ知識と情報を持ち、助ける行為に踏み出すことができるようにすることが必要ではないか。
警察、NPO法人「ヒューマニティ」のような機関、精神科医などについても詳しく記されているので、助けを求めようとするとき、この本は役に立つ。
また、相手を傷つけないで、しかもはっきりと断る言葉の使い方が、実例で示されており、これはとても良かった。はっきりと伝えなければならない言葉、含めてはいけない表現などが、具体的に学べた。
拒絶型のストーカーには、弁護士もいるし、精神科医もいる。一方で、農業や漁業に従事している人に私は会ったことがありません、という小早川さんの言葉には考えさせられた。
著者=1959年愛知県生まれ NPO法人「ヒューマニティ」理事長。ストーカー、DVなど、あらゆるハラスメント相談に対処している。1999年に活動開始以来、ストーキングの加害者500人以上のカウンセリングを行う。
内容=実例4件を挙げて解説。ストーカーの定義と危険度について、新しいタイプのストーカーたちについて、ストーカーをカウンセリングして見えてきた彼らの心の中、警察と法律の限界について、ストーキングは治療できるのか、という問題などが章ごとにまとめられている。最終章のタイトルは、「なぜ私は介入し続けるのか、元ストーカーに励まされて」という題で、著者が近々と読者に語りかけている。
巻末に、資料として「都道府県ストーカー問題解決支援センター 試案」と、補足として「医療保護入院」について、参考文献・資料が付いている。
感想=ストーカーなんて、自分には関係のない特殊なことなんだ、と思いこんでいた。事件が報じられると、ストーカーって怖いなあと感じる。それだけだった。
興味本位で開いた本だったが、これは正しい知識を皆が共有する必要がある、他人事ではないと、強く感じた。
著者の小早川さんは、かつてストーカーの被害に遭った経験があるそうだ。そうであったか、と読んでゆくうちに小早川さんは、自分自身の過去を振り返ってみているうちに、なんと自分がストーカーだったことがあったことに気づいた、と書いている。さらにその時、どうやって抜け出したかも思い出して記している。これは情報の搔き集めではない、著者の全てを投入して、裸の心で読者に話しかけている本だ。私は〜思います。と言い切る形で記す態度から、ストーカーから救いたい、加害者も被害者も救いたい、という著者の熱情が伝わってくる。責任を持った潔い発言態度に感動した。昨今、「〜ではなかろうか」「〜と思われる」みたいな歯切れの悪い書き方が目について気色悪い中、実に気持ち良い。
ストーカーを5つの類型に分けて解説、分析し、レベルを図解してあり、全体像が明確に把握できる。ストーカーとは安珍清姫のような、恋の想いが届かない相手を追いかける姿だと思っていたが、とんでもないことだった。恋愛だけではないのだという。親が子へ、子が親へのストーキングもあるという。先生と生徒、医者や弁護士、どこにでもありなのだった。さらに現在はSNSなど姿の見えない相手に対してもあるのだ。
しかも、ストーキングの核というか発芽可能な種子は、どんな人間でも心の奥底、意識下に眠っているものであり、ふとしたはずみで意識下において発芽し、意識下において発動する。ストーカーという表だった行為のエンジンとスターターは、なんと意識下にいるのだった。だからいくら止めようと意識上の気持ちが考えてもエンジンは止まらない。という風に私は理解した。
これは是非、ストーカーなんて他人事だ、と思っている「その他大勢」の方こそ知識と情報を持ち、助ける行為に踏み出すことができるようにすることが必要ではないか。
警察、NPO法人「ヒューマニティ」のような機関、精神科医などについても詳しく記されているので、助けを求めようとするとき、この本は役に立つ。
また、相手を傷つけないで、しかもはっきりと断る言葉の使い方が、実例で示されており、これはとても良かった。はっきりと伝えなければならない言葉、含めてはいけない表現などが、具体的に学べた。
拒絶型のストーカーには、弁護士もいるし、精神科医もいる。一方で、農業や漁業に従事している人に私は会ったことがありません、という小早川さんの言葉には考えさせられた。