文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

これからの報道

人間社会を進歩させる動力は、政治力ではなくて科学力だと私は考えている。科学の発達と戦争は車の両輪のようにして前進し続けてきた、一段落すると一般の生活を潤すのである。原発は、平和利用という看板を先に掲げてみせた最初のヤツで、こんな大犯罪はない。この話は、また別の項目でしつこく続けることにして、いま考えているのは、カメラと報道についてである。
カメラは、撮影者が見たい対象にレンズを向ける。報道の場合も、いつ、何を、どの角度から見せるかは、ひとえに報道者にかかっている。この段階ですでに決定的な選択がなされている。当然のことだが、これは今までの話である。これからは変わると私は期待している。
先日、太重斉がメールで写真を送ってくれた。この写真はパノラマであった。マウスのポイントを動かすと、写真は360度上下左右、自在に移動し、まるでその写真の中に自分が立っているかのように見えるのだ。室内を撮影すれば、その部屋の中にいるかのように見える。カナダの友人もパノラマの風景写真を送ってくれた。みたい方向へポイントを動かせば、まるでカナダの原野に立つ心地がする。
このカメラを国会に据えては如何。常時見せる。テレビで受ける側は、自分が見たい議員へポイントを持って行けばよい。手元が見たければズームすればよい。
既に定位置のライブカメラはあるのだ、今回の大雪でもライブカメラをネットで見ることで、私は大垂水峠の雪の状況をつぶさに知ることができた。役に立つのである。国会中継でも、記者会見でも、小賢しい意思を含んだカメラアングルなど邪魔なのだ、パノラマ、ぐるぐる回しのカメラを据えてくれた方が気持ちがすっきりする。
いまの報道は、言葉では、形容詞・副詞の微妙な使い方で情報を操作し、カメラ目線も際限なく操作している。すでに信用を落として久しいメディアの人間力をカットして、かわりに器械で機械的に報道してほしい。

宗教法人への課税

今の世の中は、ずいぶん進んでいると思う一方、千年の昔とほとんど変わらない部分も持っているのだ、と感じる。日本の人口は、約1億2千万人、宗教法人が、それぞれの信者数を発表している、その合計は2億2千万人を超える。掛け持ち信者がいるだろうし、水増し発表もあるに違いない。それはともかく盛況である。人口の倍近い信者数とは恐れ入ったものだ。私の知人のあいだにも、「あんた、教祖にならないか」「まわりで盛り上げるから」といった冗談半分の企画もあった。儲け話である。
奈良時代に、ぞろぞろと真昼間に道を行き来している坊主が大勢いたと記されている。生きるに苦労多かった一般人は、男も女も坊主、尼になりたがったという。正式に認められる僧侶は、試験を受けて合格する必要があった。戒壇院が、その試験場であった。しかし自称坊主も、とがめられる事もなく生きて行かれた。私度僧といって、お坊さんの姿をすれば、即お坊さん、尼さんである。空海も、はじめは私度僧だったので、まじめな勉強家もいたわけではある。人気があった理由は非課税だったから。
いまでも、宗教法人には課税されない。私には、免税される理由が分からない。一般並に課税してやって欲しい。
宗教の人たちは、それなりに立派なことを言うのだから、非課税はふさわしくありません、税金を納めたい。という発言があってもよさそうなものだが、聞いた事がない。
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