文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
August 2016

天皇・すめろぎ・すめらみこと

三島由紀夫が「などて天皇は人間(ひと)となりたまひし」と書いた、これを「すめらみこと」と覚えていたが、調べてみると「すめろぎ」と出ている。これは両方とも天皇を意味するが、「すめろぎ」は一般的な天皇の意、「すめらみこと」は今上天皇を指すと思っていた。実際、三島由紀夫は、昭和天皇に向けて発した言葉であろうと思うので、やはり「すめらみこと」の方がしっくりするのではないか。
今回、今上天皇の「お気持ち」なる言葉を聴いている最中に、突然、三島が書いたこの言葉が湧き上がってきた。この瞬間まで私は、三島由紀夫って、何言ってんのよと思っていたのだ、いろいろな意味合いで。二・二六事件に入れ込み、昔を今になすよしもがな、の気分なんでしょ、と揶揄してもいた。
私の天皇観は、小誌「夢類」の読者はご存知と思うが、ひとことで言えば、象徴削除。皇室消滅不問。博物館的存在として大切にしましょう、というものである。理由は、自立型日本人の成長にある。
しかし今回私は、天皇の思うところを聴き、その思考ルートを辿りつつ、仰け反る思いで呟いた、「などてすめらみことは神となりたまはずや」。
 私が国文科で学んでいた時の主任教授岩田九郎先生は、中等科時代の三島由紀夫に国語を教えていらした。三島由紀夫が世に出てからも、岩田先生は教え子を見守り続けていらした。立ち話だったと思うが、三島が『金閣寺』を発表した時に岩田先生は、(彼は)まだ、まだまだですね。とおっしゃった。どういうものか私は、敬愛する師との思い出が「立ち話」のシーンが多い。そして教室で学んだことよりも強く心に刻まれている。先生は遠くを見る目をしていらした。三島由紀夫の父君とも交流のあった先生だ。栴檀の薫りを放つ教え子が若木の内に込めていた精髄を、誰よりもご存知でいらしただろう。
はたしていま岩田先生が、明仁殿下が今上天皇となられてお言葉を発せられるご様子をご覧になられたとしたら、なんとおっしゃるであろうと思い、そして私は、いま思うところを師に訴え語りたいのである。もしも事、極まった場合、天皇と三種の神器の、どちらを救いますか? との問いに対し、三島由紀夫と同じように私は、迷わず三種の神器を守りますと、語りたいのである。



都知事選について尻馬

鳥越俊太郎さんが立候補したいきさつは知らないが、癌と闘い、命を長らえることができた、残された命、というよりも少しおまけに貰った命と感じていられるだろう、そのことは同じ境遇の人々だったら身にしみてわかるにちがいない。少し貰った大切な時間をつかい、東京をよくしたい。我欲で立候補しているのではない人だ、とは一目で分かった。老人問題、子育て支援もさることながら、彼だけが主張していたのは脱原発の方向性だった。これを東京都の問題ではないだろうが、とあざ笑う人が大勢いた。
冗談じゃない。日本各地を旅してみて欲しい。山また山。また山。その隙間にわずかな集落。産するもののない、温泉もない、宿もない、きれいな小川が流れるだけの寒村で、私は何度も聞かされたものだ、「見てみぃ。これぁ東京へ行くんだ」。
鉄塔と高圧線。山を越えて連綿と続く送電線は、東京の命綱である。
東京は、東京だけで東京をやっているのではない。他県のお陰で生きている部分が沢山ある、他県に迷惑をかけている部分だってあるのだ。そのひとつが原発だ。遠路はるばる送電すると相当なロスが出る、それでも遠路はるばる運ぶのは、東京で使う電力を都内で生産したくないからだ。身勝手な話だ。鳥越さんの視野は広く、温かい心がこもっていた。都民にはそれが見えなかったし、聞こえもしなかった。
折しもアメリカで大統領選をやっている。ヒラリー・クリントンと激しく争っていたバーニー・サンダースは、共和党との接戦にあたり、クリントンの応援演説をした。竹を割ったようなと喩えたい、清々しい、強靱な気性が見えて思わず拍手だ。いまは何が大切か、をわきまえている。それに引き替え、宇都宮健児は鳥越俊太郎を応援しなかった。たくさんの言い訳をしていた。色々あるのは当然だ。私が注目したのは、彼の言葉ではなくて彼の笑顔だ。すべての人の怒りの表情は似ているが、笑う表情はさまざまで、ここに人柄が出る。
彼の主張、思想に強く共感していたが、あいまいな笑顔をみて大失望した。なーんだ、小池と同じじゃないか、都知事になりたかった、それだけの人だったんだとわかった。小池百合子は「登頂」という目的を果たした。あとは旗を貰ったり撮影したりして、下山するだけの人。東京なんてどうだっていいのだ。軽蔑されて然るべきなのは、ほかならぬ都民だ。民度の低い、低脳、腐れ都民だ。

毎年、年の初めに、その年のテーマ文字を決めている。今年は勇。反論を慮り、発言を控えることをせず、勇を鼓して思うところを書く、という気持ちから選んだ。来年のことを半年も前から言うと、鬼もどう笑ったものか困るかもしれないが、来年のテーマ文字を選びました。「聲」。これは声の旧字です。「字統」(白川静)をみると、旧字の上半分は磬石(けいせき・楽器)を鼓(う)つ形。これに、その音を聴く意をもって、声を示す、とあります。
これは、今回の都知事選に立候補された鳥越俊太郎さんが演説の中で、声を聴くこと、人の声に耳を傾けることを大切にする、と仰っていらしたのを聴いていて、そうか、声って耳で聴くんだわ、声の旧字を見たらわかるわ、ちゃんと耳がついてる、と思ったのだ。
書くことは大切だが、書かれたものを読み取る力も大切。思うがままに喋りまくるのもよかろうが、人の声に耳を傾けて真意を聞き取る丁寧さと誠意も求められる。続けて鳥越さんの話題へ。
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