文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
世相・主張 

実は私も

実は私も、そう思っていた。という人になりたくない

第二次世界大戦は193991日から194592日の6年間。世間風には1941128日の真珠湾攻撃の日から1945815日の4年間足らずの期間だった。もう一つの見方もある、それは満州事変(1931年)から始まったとする数え方で、これだと14年間となる。敗戦国日本の実感としては14年間だろう。
私にとって、この期間は永遠とも思える、とてつもない長い日々だった。この長い戦争の間の影響は、筆舌に尽くせるものではない。私という人間の人格形成に、この期間はがっちりと組み込まれており、外せるものではない。
この戦争が負け戦に終わった時、多くの日本人は言ったものだ、実は、日本は負けると思っていました、私も。
戦時中、日本人のほとんどは、そうは言わなかった、負ける、なんて言わないどころか、思ってもみなかった。それどころか負けたと知ったときでさえ悲涙にむせんだのだ。
軍国主義であった当時、負けるよ、などと発言したらただでは済まなかったろう。思っていても口をつぐんでいた人もいた。隣組の集まりで、それを口に出してしまったばかりに密告されて憲兵に捕まった人もいた。この話題は、のちに隣組の話の時にむし返すつもりです。
しかし、それにしても聞いていて気持ちの良いものではなかった。大声で鬼畜米英をやっつけろと叫んでいたにもかかわらず、実は、なんて言い出すありさまは醜かった。後出しじゃんけんのような発言だけはしたくない、と痛切に感じた。

今、私が感じていることを書きます。後になって「いやあ、実は私もね、日本はダメになるなって、思ってたんですよ」と言いたくない。
日本という国は、衰えてゆく方向を向いている。このままブレーキをかけなかったら、消滅はしないまでも底辺国となる。
こればかりは、ほらごらん、言った通りにダメになっちゃったでしょ、となりませんように、立派に立ち直ることを心底願っている。しかし今現在は、これじゃダメになるな、と感じている。

データや数字ではない、私よりも年下の日本人の多くが死んだ目をしているから感じる、絶望的な気配。
どうやったら立ち直ることができるかしら、暗澹とする。なんとか立ち直りたい。
こんな危機的な見方をするのは嫌だ。でも光が見えない。悪い気配が満ちてしまった。
安倍政権は、第二次だけでも78ヶ月続いた。この78ヶ月は、あの戦争の期間よりも長かったと感じる、そして、この国に与えた負の影響は、あの大戦よりも、はるかに根深く悪質なものだった。
国民から奪ったものが大きすぎた。希望・信頼・気概。これを失ってしまった。あの戦争の時と真逆だ、あの時は命と物を失った。残っていたのは希望だった。

今年に入り、特に5月ごろからは誰の目にも見えただろう、どんよりと光を失った目の安倍晋三が。周囲を囲む要人たちの、ねじれ、歪んだ表情が。
外交の安倍だと? 笑わせるな。バカ高い兵器を買わされ、大量のコーンを買わされ。言いなりになっていれば相手がご機嫌なのは当然だ。
北方領土も、やられっぱなしじゃないか。沖縄は、悲惨なまま放り出しているじゃないか。日本国民が拉致された。これを自国で解決できずに、どこぞのボスにお願いしただけだ、自分は衿にリボンのバッジをつけただけじゃないか。さらわれたものを取り返せないのは、簡単に言えば弱いからだ。
一つ一つ書き出すのも忌々しい。
安倍政権がしたことは、法律を、規則を、次々と我欲のままに変え、三権分立を破壊し、嘘を吐いて知らん顔、都合の悪いことは握りつぶす。
基本の教育をなおざりどころか腑抜けにし、国の土台である水、健康をも崩した。保健所の数を、どうして40%以上も削減したのか。減らさなかったら、今回のコロナ対策も、随分違ったものになっていたはずだ。
力こぶを入れたのは株価だけじゃないか。大企業優先、株価を守り、弱小大多数を踏みつぶした。
何よりも恐ろしいことは、この腐れ姿を国民に見せつけたことだ。白々と嘘を吐くライブを国民全体に、広く、日々、見せつけてきたのだ。
忖度とごますり、大樹の陰に巣食う集団が、桜、桜、と花見に浮かれている姿を、映像とともに嫌というほど見せつけた。あの映像の中に見た芸能人の誰彼の笑顔は、人々の記憶に焼き付いたことだろう!
今時、芸能人の数と893の数が同数になっていると聞いた。両者ともに(p音)に必要とされていると聞く。こうした風評が南風北風に乗って流れている。


結果、国を人を、信じることができない日本人を生み続けている。法律に頼っても守られないことを身体で学んでいる。
敗戦時の感慨、「軍国主義は終わった、負けたが戦争は終わった」のように、時代の区切りを今、強く感じている人々がどれほどいるだろう? それとも第3次安倍内閣が続くとでも?
腐れメディアの数取りに乗って、次は誰だ、と興味本位に眺めている、あるいは、どうでも良いと背を向けている。
あの戦争の悲惨な傷よりも、はるかに深刻な影響が、大切な若い人たちの心を、見えない霧のように覆い尽くしている気配が見えないか。
AI
は、気配を計測できるだろうか、言葉にもならぬ気配を。
敗戦の時は、想像を絶する死者、想像もできない飢餓、貧困からもたらされる病を抱えた人々が、老人も子供もすべてが、明日の日本を作ろうという気概と希望を持っていた。
安倍政権が2度目の放り出しをした今、さあ、希望を持って進もうと、誰が思うだろう? 
この大きな傷が見えていない、やわらかでおとなしい人々。
日本全体が深刻な、深い傷を負っていることを自覚できていない人々も、コロナのために夜遅くまで飲み会ができないことを残念に感じることはできる。
コロナで途絶えた収入の道が再び開けたら、自粛が緩んで夜遅くまで友達と会えたら、とりあえず目先の不満はなくなるだろう。
おぞましい安倍晋三と同じ眼の色を見せている静かな日本人たち。
一人ぼっちになりたくない、みんな一緒にいよう、やさしく、たがいに寄り添いましょう、そして? それだけだ。
私は不安だ、恐ろしい。

GO TO トラベル キャンペーン

Go To トラベル キャンペーンは、国内における観光などの需要を喚起して、新型コロナウイルス感染症の流行と、その流行による緊急事態宣言に伴う外出自粛と休業要請で疲弊した景気・経済を再興させることを目的とした、日本在住者の国内を対象とする日本政府による経済政策である。
これはウィキペディアによるGo To トラベルキャンペーンの定義です。東京が外されたとか、参加させて欲しいとか言われている観光お勧め運動。
年初以来、世界を席巻しているCOVID19の社会的影響で感じたことは、消費生活、特に外食関係と観光関係が受けている痛手の大きさでした。外食関係では、食べるということのほかに、社交の場を提供する要素が大きいので、その影響はものすごい。
観光は、大昔の「世界の七不思議」の時代から人々の生きがいと言ってもよい行為。日本語では七不思議と訳していますが、元々のギリシャ語では「眺めるべきもの」という意味だそうです。つまり観光地ベスト7といったところでしょう。
旅に出れば外食する。だから今回のキャンペーンは、お楽しみ消費を促す大きな政策。それは結構なことですが、実は私は、ほとんど関心がありません。
ここで取り上げたわけは言葉です。
政府の経済政策、政府が日本国民へ発した政策の言葉が、これです。GoもToも、日本語ではありません。英語です。しかも文字もアルファベットです。日本の文字ではありません。
トラベルとキャンペーンは、カタカナを用いています。しかし、トラベルtravelは英語で、日本語では旅行といいます。キャンペーンcampainも英語で、働きかけること、運動の意です。
トラベルとキャンペーンをカタカナにして、Go Toをカタカナにしなかった理由は何でしょうか。カタカナにするとゴートーではないですね、ゴー トゥーでしょうか。今時日本人は、toravel campain を、カタカナ通りの発音で使っていますから、カタカナで通用する。
しかしGoはともかくToは、トーとは発しない、英語読み通りのトゥーと発するのです。じゃあ、いっそのとこ英文字で、となった。このあたりに、このコピーの表記の根があるのではと推測するのですが、いかがなものでしょう。
Toの発音は、英語のままです。国の政府が、日本国民向けに出したとなると私は許せない。
通じやすければ、なんでもするのか。名詞が外来語として各国に入るのは止めようもありません。しかし言葉の本体は、国々がもつ大切なものであり、他国の言葉に置き換えるべきものとは思いません。
今まで、日本語で十分に伝わる言葉を外国語に置き換えて語ったり書いたりする人々を軽蔑してきましたが、今回のGo Toは、国が公に発した言葉ですから許せない。
国の言葉は大切な宝です。こういう、だらしないことをする政府を持つ日本は、必ず滅びる運命にあると、私は思います。
世界遺産だ富士山だと、在るものを大事にするばかりが日本を大切にすることにはならない、今私たちが日常使っている言葉こそ、細心の注意をもって扱い、大切に守らなければならない宝なのです。コロナウイルスどころの話じゃない。

コロナで思うこと その2

1945年に日本が戦争に負けた後、様々な論議が交わされた。なぜ負けたのか。当時私は10歳に満たない年頃であったから、論議に加わることはなかった、来客と父が交わす論議を傍で聞いていたにすぎない。
数々の原因が俎上に乗せられたが、今回のウィルス恐慌の渦中にいて思い起したことは言葉の問題だ。日本が負けた原因の一つに日本語がある、という論議を思い出した。日本語は、戦争に向いていない、といった意見もあったように覚えている。
命令する、伝令が伝言を伝える。戦争には的確な、ぶれない表現が必要なのだったなあ、と思い返す。
日本の兵隊さんたちは、日常語ではない、特殊な軍隊用語を使っていた。もしかしてあれは、揺るぎのない正確な表現を必要として、あるいは柔軟性のある日本語表現を堅牢な表現にするための補強だったのかしら、とも思う。
例えば今回のコロナ騒ぎの最中のこと、「不要不急の外出の自粛を要請」という表現は、受けた瞬間に、幾つもの問いを生む。何を持って不要とし、不急とするのか? 絶対に外出禁止ではないのですね? などと。
結果、各自の行動は、気分で左右されてゆく。結果、このメッセージは役立たずだということになる。日本語そのものが欠点を持っているのか、使う側に問題があるのか。
私は言葉に罪はない、使う側に問題があると考えている。言葉は生きている、日々年々変化している。今、日常に使っている日本語は、今現在生きている人々が作っている日本語だと思う。

地球温暖化

「神田川紀行」執筆のために神田川を取材したとき、両岸沿いに点在する遺跡を意識しながら歩いた。
今、これが頭にある。
遺跡として住居跡が残っているということは、その場所が安全な地帯であったという証拠になるのではないか。
遺跡は川の上流、中流域に点在していた。
下流になると遺跡は突然消えて、歴史の事跡看板が現れ、しかも非常に多い。
そして過密都市「江戸」の水害記録は下流域に集中していた。たかだか20キロの短く細い川だが、東京都になってからも幾度となく水が出ている。
私は、この水害記録を調べてみたいと思った。遺跡をつないだラインの川寄りの地帯が洪水域になっているのではないか? というのが私の仮説だ。
つまり遺跡よりも川から離れた土地に住めば安全なので、昔の人々の住居遺跡は、安全地帯のラインを示しているのではないか、と考えた次第。そして思った、遺跡や出土品は、単なる記録保存のものではない、いまも我々に語りかけてくれているんじゃないか?

東京都と神奈川県の境を流れる多摩川も今回の台風19号水害に襲われた。今回の出水に対して遺跡から声は上がらなかったのだろうか?
リバーサイドなんとか、という洒落た名前の高層マンションが、多摩川を見下ろす絶景の地に建てられて人気の的となっていた。
東京都側は上野毛、等々力、田園調布、久が原、矢口渡と羽田空港方面へ下る形で並ぶ名だたる住宅地、神奈川県側は人気の高い武蔵小杉を中心に河口近い川崎大師まで過密と言える住宅がひしめいている。
この川沿いに建築した高層マンションからは、公園のような河川敷に広がる緑、美しい波模様を見せて光る流れを眼下に楽しめるのである。
こうした建物の地下が浸水した、1Fが浸水した。
この上流の狛江では1974年に堤防決壊、民家19戸が流された。この時はもう、家が丸ごと多摩川を流されて下って行ったのであった。

この小さな日本列島は、本州中央を貫く険しい山岳地帯を抱えている。
日本国土のうち森林は66%、総人口およそ12625万人。この人びとが残り3分の1の土地にひしめいているのだ。過密状態であるのに、少子化を憂えて、もっと人口が増えたら良いと願っているのである。願う一方で、水害で命を失うのである。
これではいくら税金を増やしても焼け石に水ではない、大水に金である。
じゃあ、出水懸念地域に住むのをやめたらどうだ、という話になるが、それができたらいうことはない。崖っぷちだろうが、山懐だろうが、海辺、川べり、躊躇なく住まないと居所がないのが現実である。

神田川に戻ります。
あの、人工的な小さな川の岸辺近くに、有名な人たちの居住地があります。
お殿様たちの下屋敷跡など多々。見事に安全な場所を選んでいるのがわかります。見る人は見て選んでいる。選び取る力も持っていました。

今日の時点に立って改めて思うことは、すでに遺跡など役に立たないんじゃないか、という不安と恐れです。
来年も、今回の19号のような並外れた規模の台風が来るんじゃないか。今回だけの特別台風ではないんじゃないか。
そういう疑いの表情が、出会う人ごとに共通項として認められて不安を増幅させます。
顔を見合わせて囁く、地球温暖化? 海水の温度どう?

元号騒動

平成から令和へ。10連休と抱き合わせの改元行事がようやく下火になった。
小雨の降る灰色の朝のニュースは、仁徳天皇陵周辺が世界遺産にどうの、こうのである。
去年の試掘めいた行いは世界遺産を目指しての下準備であったのだろうか。ともあれ、百舌と呼ぼうと何と名付けようと、ほとんど解明されていない古代の巨大な墳墓である。
もう一つのニュースは亀卜である。改元行事の一つとして新規にウミガメを殺し、甲羅を剥ぎ取り、焼き焦がして亀裂を作り(国家の)将来を占うという行事である。
報道では国家の将来を占うとは、一言も言わない。占い師が何かを占う時は、必ず目的があるのだが、報道は、これを空欄にしている。バカバカしい報道。

つまり、何から何までバカバカしくて気分は灰色の小雨模様。
子どもの頃は、昭和何年生まれです、と言っていたが、やがて西暦を使うようになった。
郵便局や役所で記入する時に、平成何年かを確かめなければならない。憂鬱で面倒なことだと思う。
続けることについては、大賛成だ。大切に守り維持してゆく大切さは、どれほど強調しても足りないくらいだ。
天皇一統が末長く存続することも、どれほど強調しても足りない。けれども象徴という冠は外してしまう方が、天皇のためにも、国民のためにもなると思う。
この曖昧なものは、天皇を苦しめ、他力依存、無力無関心、右に左に靡き伏すアメーバ的日本国民の育成に力を貸す存在でしかない。

昨日は『平成史』という本を読んだ。この手のものを書物と呼べるのか、私にはわからない。
人気者の論客が対談をし、文字起こしをして手を入れて印刷製本、販売ルートに乗せる。
やあ、面白い。そうか、君たちもそう思ったか。え〜、なんだよ、それはないんじゃない?
ツッコミを入れながら拾い読み、読み飛ばし。
このご両人は当方の息子たちと同世代なので、子らの声を聞いているような感じだ、不意に懐かしくなった。
バラバラに帰宅した兄弟っ子が喋り続ける食卓。今日はカレー、昨日もカレーの、量ばかりの夕ご飯。
そうなんだ、今は、この子たちの世代が運転席にいるんだよ。こっちはもう、後部座席で。

平成から令和へ

月末からパソコンが壊れていて使えなかった。新聞の購読をしていないので、ニュースはテレビで見ていた。
大きなニュースは、4月1日に新しい元号が発表されたことだった。テレビ丸ごと大騒ぎだった。
昭和から平成へ改元の節は昭和天皇の容体報道が何日も続き、ご大喪へと日が進んで後の元号発表であった故に沈んだ空気に包まれていたし、数多続く宮中の行事の中の一つでもあった。
今回は、代替わりによる改元だから明るい大騒ぎだった。小渕さんの真似をして額入り二文字を掲げてみせた発表スタイルは、この先も定着しそうな勢いだ。
興奮の坩堝と化したTV局は、どのチャンネルに切り替えても違いがわからない有様。
号外に飛びかかる群衆、日の丸の小旗を振る人々、歓迎の笑顔が溢れた。ひとり残らず同じ方向を向き、同じ感情に包まれて高揚している映像。
その有様は、あまりにも同じ過ぎて、一方通行の道路を走っているような感覚に陥った。
こんなことってありえないというか不自然じゃないかと気持ちが引けた。
日本中が一色に染められていた時代を思い出した、一億一心。忌まわしい戦争中時代を。靡き伏しけん、草も木も。右向けーっ 右!

パソコンが回復した。頼りにしている二人の息子が寄ってたかって修復してくれた次第。
文句ばかり言っているが、実は助けてもらい、支えてもらいを繰り返しつつ生きのびている。できることは「ダメになっちゃった〜」と騒ぐことだけだ。
久々にネットサーフィンしてホッとした。
高嶺おろしに草も木も 靡き伏しけん大御世を、じゃなかった、意見異論、別論、多々溢れている。
これが普通だ、賛否両論あって自然なのだ。令和? いい字じゃないですか。なんか冷たい。変換すると0話が。昭和に重なる。などなど。
笑顔を拾い集めて放映時間を埋め尽くすことは報道ではない。報道者がこれをやったら、罪悪というより犯罪じゃないですか。
日本中が一色に染められていた時代を思い出した、ラジオだけで、おまけに民間放送がない時代を。新聞は裏表の2ページ、1枚の時代。
統制下の報道を浴びていた時代を、図らずもテレビニュースだけに依存して過ごしてみて思い出した。

横書きの日本語

ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)の小説『女王ロアーナ、神秘の炎』(La Misteriosa Fiamma Della Regina Loana)和田忠彦訳 岩波書店 2018年発行を読み始めたところだ。
『薔薇の名前』が映画化されて有名になった人で2016年に亡くなられたが、小説は、この世界的知識人の仕事の一端に過ぎない。
それはともかく、この訳本は横書きで左綴じだ。特に数字や英文字が多いわけではない。
文芸書は従来縦書きで右綴じ、つまり本を開いて右側から左手へ読み進むものというのが常識だが、この本は横書きだから左上から右下へと読む。
横書きの日本語の小説を、恐る恐る読み始めているところだが、これは良い、これで良い、という思いが湧いてきた。なんか嬉しくなってきた。
という次第で、昨日は図書館で子どもの絵本をつぶさに眺めてみた。文字の多寡にかかわらず、どの本も自由奔放で、思い思いの作り方をしている。横書きの物語なんて、たくさんある。
そういえば高校生の使う日本歴史の教科書も横書き左綴じだ。
私がキーボード操作で、横書きの画面で文章を書き始めてから何年になるだろう、何十年も経っている。十何年ではない。おかげで印刷した400字詰の原稿用紙が余ってしまい、雑記に使っても使い切れない有様だ。
横書きで奈良時代の平城京風景などを記し、これを縦書きに変換している。いったい誰のために、何のために縦書き変換をしているのだろう。縦書きの場合、年号などの数字が厄介なのだ。
書き手によっては、パソコンの画面を縦書きに設定して縦に入力している人もいる。もっとすごい人は、画面に原稿用紙のマス目を表示して、1文字、1文字、マス目に入れている。
さらに、もーっとすごい人は、今もって原稿用紙にペンで書いている。これでないと文章が違ってくるという。
こうなると味覚的感覚の世界だと思うので口を出さないが、世の中は前を向いて進んでゆく。
うちうちで好みのままに暮らすのは結構だが、せめて公文書は西暦にして、新聞も横書きにしてほしいと思う。

しつけ二題 の本番

今朝のブログで「教育勅語」を取り上げましたが、これはしつけ問題というより洗脳に類するものと言えそうです。実は生活の中の「しつけ」について言いたいことがあったのでした。
一つ。昨今、トランプ大統領のスタートにあたり、ワシントンをはじめ各地で、数々の催しが開かれました。高揚した雰囲気の場面がテレビに映ります。丸テーブルを数人が囲んでいる風景、トランプ大統領と夫人、安倍晋三総理大臣と夫人、ほかに男性も。何を話し合っているのかは分かりませんが、和やかな談笑風景です。
安倍晋三夫人の姿を見て、これは見苦しいなあ、みっともないなあと感じて眉をひそめ、トランプ夫人は、と見ると彼女は、背筋をすっきりと立てて顎を引き、微笑しています。これがまともでしょう。安倍夫人は背をまるめて顎を突き出していたのでした。この姿勢は、自宅のキッチンテーブルで寛いでいるスタイルではありませんか。公の場で見せる姿勢ではない。

もう一つは大昔の話。かつて、昭和天皇が皇太子時代にイギリスに行った時の話。
1921年3月3日、96年前の今日、皇太子裕仁親王は軍艦「香取」に乗船、旗艦「鹿島」を供奉艦として横浜港を出発、5月7日にイギリスのポーツマス軍港に到着した。
船旅しかない時代であった。まず沖縄県中城湾に到着。与那原、那覇、首里を訪れた。話が横に逸れるが、昭和天皇の沖縄訪問は、これが最初で最後であった。
香港、シンガポール、セイロン島のコロンボ、エジプトのポートサイド、イギリス領のジブラルタルなどでゴルフやオペラなどを楽しんだが、道中、西洋式のテーブルマナーの泥縄特訓を受けたという。全くの白紙状態だったらしい。およそ一ヶ月間をイギリスで過ごしてのち、フランス、ベルギー、オランダ、イタリヤなどをめぐり、9月3日に横浜港に入港した。
この話を私は父から聞いたのだが、天皇を天子様と呼ぶほどの天皇崇拝ぶりであった父は、残念そうに言った、「イギリスで、裕仁親王は貴族ではない、と笑われたんだそうだ」
「どうして?」と私。ちゃぶ台を囲んでの話である。
「首だけを回して後ろを見たんだと。貴族ってぇもんは」と東京弁である。「首だけ回しちゃいかん。回れ右をするもんだと」。我が事のように恥じ入っている。
テーブルマナーは頑張ったけれど、その他のマナーは白紙だったらしく、スコットランドの貴族、8代目アソール公爵に「しつけ」てもらったそうだ。私の推測だが、これが日本の皇室のマナーの基本になったのではないだろうか。今の私だったら、知らない外国の流儀を教えてもらうことは恥ではないわよ、と父に言うと思うのだ。

閑居して不善を為す、か

科学技術の進歩が社会を変えてゆくのを目の当たりに見ながら年月を重ねてきた世代です。高校時代にテレビはなかったし、国民学校時代は学校まで小一時間歩いて通いましたから足も強かった。それは疎開先、というよりも空襲で焼け出されたために、農家を借りて住んだためです。本格的な農家ではなくて、間取りが農家式の、トタン屋根のバラックでしたが。当時は、畑の畝に埋もれている母を呼ぶにも大声を出しましたが、今時大声を張り上げる必要は、どこにもありません。
大工さんは、重い角材を肩に乗せて平気だったし、力持ちだった。誰も彼も身体を使いました。
ところがそのうち私は計算がのろくなりました。暗算も面倒になりました。用事のために大声を出すこともなくなり、なんと畑の向こうよりも遙かに遠いところまで、電話が、そしてメールが届くようになりました。若い人たちはもっと凄くて、私の知らないスマホとか、ラインとか、説明して貰っても理解不能なものを器用に使いこなしているみたいです。大工さんはもう、のこぎりとかカンナではなくて、なんでも動力を使っています。大工さんと呼ぶよりも、技術屋さんです。
私は計算どころか、お料理も手が落ちました。簡単なので、買って済ませてしまうからです。かろうじて保っているのが針仕事ですが、これは手すさびです。着るものは買ってしまいます。
便利になったかわりに、私の能力としては、何が発達したのでしょう。機械ものの操作かな。それはあります。操作ができないと洗濯一つできませんから、幾つも憶えてきました。ときどき、器械に使われているような気さえします。だって従わないと動いてくれないのですから。
楽に手早くできるようになって、時間もあり、体力にも余裕が生まれました。気持ちにもゆとりが生まれたはずです。この大きなゆとりを用いて何をしているのでしょう。
2学期を前に自殺をした少年、連れ去られて惨殺された少年少女。大勢のゆとりの心は、幼い者を救う力になるはず、と思いませんか。

パリ新聞社襲撃事件

フランスの政治週刊誌「シャルリ・エプド」銃撃事件が、世界中の注目を集めている。1月11日にパリ中心部で開かれた反テロ集会に大勢の群衆が集まり、これまでに抗議デモに参加した人数は約370万人を超えた。これはフランス史上最大規模の抗議活動であると報じられている。イギリス、ドイツ、スペイン、イスラエル、パレスチナなど各国の首脳も参加していて、並んで腕を組んでいる写真も出た。群衆の中にはペンを持つ者、髪につけている者もみえて、テロに対する怒りと抗議が満ちあふれている。世界中が、これほど真剣になるのは、言論の自由を守りたいからにほかならない。言論・表現の自由を守る事は、いまの日本にとっても大きな関心事だ。他人事ではない。群衆の中に日本人はいたのだろうか。パリ在住の日本人は参加してくれたのだろうか。日本国内でも、もちろん各人の感想はあるだろう。遠くからでもよい、そうだ、そのとおりだと声を上げたい。私は、ペンクラブがいつ、どういう発言をするか注目している。
しかし日本の報道は、たとえば飛行機事故が起きたときなどには、事実の報道に加えて素早く、そのなかに「日本人はいませんでした」と言う。今回は「日本人はいませんでした」とも「いました」とも報道しない。言論の自由を暴力で脅かすことは、世界中の人々の関わる問題だから、他人事のような報道の仕方は逆に目立っている。
日本にデモがないか。あるのだが、まず余程のことでないと報道しない。デモによる抗議の内容、意志を、日本中に知らせたくないから沈黙している。隠しているな、と抗議されれば、紙面がない、時間がないと言い訳も見えている。自主規制、自粛という考え方は、際限もなく萎縮する方向へ落ち込んでゆく。臆病な態度だと思う。恥ずかしい事である。
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