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壺猫

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世相・主張 

地球温暖化

「神田川紀行」執筆のために神田川を取材したとき、両岸沿いに点在する遺跡を意識しながら歩いた。
今、これが頭にある。
遺跡として住居跡が残っているということは、その場所が安全な地帯であったという証拠になるのではないか。
遺跡は川の上流、中流域に点在していた。
下流になると遺跡は突然消えて、歴史の事跡看板が現れ、しかも非常に多い。
そして過密都市「江戸」の水害記録は下流域に集中していた。たかだか20キロの短く細い川だが、東京都になってからも幾度となく水が出ている。
私は、この水害記録を調べてみたいと思った。遺跡をつないだラインの川寄りの地帯が洪水域になっているのではないか? というのが私の仮説だ。
つまり遺跡よりも川から離れた土地に住めば安全なので、昔の人々の住居遺跡は、安全地帯のラインを示しているのではないか、と考えた次第。そして思った、遺跡や出土品は、単なる記録保存のものではない、いまも我々に語りかけてくれているんじゃないか?

東京都と神奈川県の境を流れる多摩川も今回の台風19号水害に襲われた。今回の出水に対して遺跡から声は上がらなかったのだろうか?
リバーサイドなんとか、という洒落た名前の高層マンションが、多摩川を見下ろす絶景の地に建てられて人気の的となっていた。
東京都側は上野毛、等々力、田園調布、久が原、矢口渡と羽田空港方面へ下る形で並ぶ名だたる住宅地、神奈川県側は人気の高い武蔵小杉を中心に河口近い川崎大師まで過密と言える住宅がひしめいている。
この川沿いに建築した高層マンションからは、公園のような河川敷に広がる緑、美しい波模様を見せて光る流れを眼下に楽しめるのである。
こうした建物の地下が浸水した、1Fが浸水した。
この上流の狛江では1974年に堤防決壊、民家19戸が流された。この時はもう、家が丸ごと多摩川を流されて下って行ったのであった。

この小さな日本列島は、本州中央を貫く険しい山岳地帯を抱えている。
日本国土のうち森林は66%、総人口およそ12625万人。この人びとが残り3分の1の土地にひしめいているのだ。過密状態であるのに、少子化を憂えて、もっと人口が増えたら良いと願っているのである。願う一方で、水害で命を失うのである。
これではいくら税金を増やしても焼け石に水ではない、大水に金である。
じゃあ、出水懸念地域に住むのをやめたらどうだ、という話になるが、それができたらいうことはない。崖っぷちだろうが、山懐だろうが、海辺、川べり、躊躇なく住まないと居所がないのが現実である。

神田川に戻ります。
あの、人工的な小さな川の岸辺近くに、有名な人たちの居住地があります。
お殿様たちの下屋敷跡など多々。見事に安全な場所を選んでいるのがわかります。見る人は見て選んでいる。選び取る力も持っていました。

今日の時点に立って改めて思うことは、すでに遺跡など役に立たないんじゃないか、という不安と恐れです。
来年も、今回の19号のような並外れた規模の台風が来るんじゃないか。今回だけの特別台風ではないんじゃないか。
そういう疑いの表情が、出会う人ごとに共通項として認められて不安を増幅させます。
顔を見合わせて囁く、地球温暖化? 海水の温度どう?

元号騒動

平成から令和へ。10連休と抱き合わせの改元行事がようやく下火になった。
小雨の降る灰色の朝のニュースは、仁徳天皇陵周辺が世界遺産にどうの、こうのである。
去年の試掘めいた行いは世界遺産を目指しての下準備であったのだろうか。ともあれ、百舌と呼ぼうと何と名付けようと、ほとんど解明されていない古代の巨大な墳墓である。
もう一つのニュースは亀卜である。改元行事の一つとして新規にウミガメを殺し、甲羅を剥ぎ取り、焼き焦がして亀裂を作り(国家の)将来を占うという行事である。
報道では国家の将来を占うとは、一言も言わない。占い師が何かを占う時は、必ず目的があるのだが、報道は、これを空欄にしている。バカバカしい報道。

つまり、何から何までバカバカしくて気分は灰色の小雨模様。
子どもの頃は、昭和何年生まれです、と言っていたが、やがて西暦を使うようになった。
郵便局や役所で記入する時に、平成何年かを確かめなければならない。憂鬱で面倒なことだと思う。
続けることについては、大賛成だ。大切に守り維持してゆく大切さは、どれほど強調しても足りないくらいだ。
天皇一統が末長く存続することも、どれほど強調しても足りない。けれども象徴という冠は外してしまう方が、天皇のためにも、国民のためにもなると思う。
この曖昧なものは、天皇を苦しめ、他力依存、無力無関心、右に左に靡き伏すアメーバ的日本国民の育成に力を貸す存在でしかない。

昨日は『平成史』という本を読んだ。この手のものを書物と呼べるのか、私にはわからない。
人気者の論客が対談をし、文字起こしをして手を入れて印刷製本、販売ルートに乗せる。
やあ、面白い。そうか、君たちもそう思ったか。え〜、なんだよ、それはないんじゃない?
ツッコミを入れながら拾い読み、読み飛ばし。
このご両人は当方の息子たちと同世代なので、子らの声を聞いているような感じだ、不意に懐かしくなった。
バラバラに帰宅した兄弟っ子が喋り続ける食卓。今日はカレー、昨日もカレーの、量ばかりの夕ご飯。
そうなんだ、今は、この子たちの世代が運転席にいるんだよ。こっちはもう、後部座席で。

平成から令和へ

月末からパソコンが壊れていて使えなかった。新聞の購読をしていないので、ニュースはテレビで見ていた。
大きなニュースは、4月1日に新しい元号が発表されたことだった。テレビ丸ごと大騒ぎだった。
昭和から平成へ改元の節は昭和天皇の容体報道が何日も続き、ご大喪へと日が進んで後の元号発表であった故に沈んだ空気に包まれていたし、数多続く宮中の行事の中の一つでもあった。
今回は、代替わりによる改元だから明るい大騒ぎだった。小渕さんの真似をして額入り二文字を掲げてみせた発表スタイルは、この先も定着しそうな勢いだ。
興奮の坩堝と化したTV局は、どのチャンネルに切り替えても違いがわからない有様。
号外に飛びかかる群衆、日の丸の小旗を振る人々、歓迎の笑顔が溢れた。ひとり残らず同じ方向を向き、同じ感情に包まれて高揚している映像。
その有様は、あまりにも同じ過ぎて、一方通行の道路を走っているような感覚に陥った。
こんなことってありえないというか不自然じゃないかと気持ちが引けた。
日本中が一色に染められていた時代を思い出した、一億一心。忌まわしい戦争中時代を。靡き伏しけん、草も木も。右向けーっ 右!

パソコンが回復した。頼りにしている二人の息子が寄ってたかって修復してくれた次第。
文句ばかり言っているが、実は助けてもらい、支えてもらいを繰り返しつつ生きのびている。できることは「ダメになっちゃった〜」と騒ぐことだけだ。
久々にネットサーフィンしてホッとした。
高嶺おろしに草も木も 靡き伏しけん大御世を、じゃなかった、意見異論、別論、多々溢れている。
これが普通だ、賛否両論あって自然なのだ。令和? いい字じゃないですか。なんか冷たい。変換すると0話が。昭和に重なる。などなど。
笑顔を拾い集めて放映時間を埋め尽くすことは報道ではない。報道者がこれをやったら、罪悪というより犯罪じゃないですか。
日本中が一色に染められていた時代を思い出した、ラジオだけで、おまけに民間放送がない時代を。新聞は裏表の2ページ、1枚の時代。
統制下の報道を浴びていた時代を、図らずもテレビニュースだけに依存して過ごしてみて思い出した。

横書きの日本語

ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)の小説『女王ロアーナ、神秘の炎』(La Misteriosa Fiamma Della Regina Loana)和田忠彦訳 岩波書店 2018年発行を読み始めたところだ。
『薔薇の名前』が映画化されて有名になった人で2016年に亡くなられたが、小説は、この世界的知識人の仕事の一端に過ぎない。
それはともかく、この訳本は横書きで左綴じだ。特に数字や英文字が多いわけではない。
文芸書は従来縦書きで右綴じ、つまり本を開いて右側から左手へ読み進むものというのが常識だが、この本は横書きだから左上から右下へと読む。
横書きの日本語の小説を、恐る恐る読み始めているところだが、これは良い、これで良い、という思いが湧いてきた。なんか嬉しくなってきた。
という次第で、昨日は図書館で子どもの絵本をつぶさに眺めてみた。文字の多寡にかかわらず、どの本も自由奔放で、思い思いの作り方をしている。横書きの物語なんて、たくさんある。
そういえば高校生の使う日本歴史の教科書も横書き左綴じだ。
私がキーボード操作で、横書きの画面で文章を書き始めてから何年になるだろう、何十年も経っている。十何年ではない。おかげで印刷した400字詰の原稿用紙が余ってしまい、雑記に使っても使い切れない有様だ。
横書きで奈良時代の平城京風景などを記し、これを縦書きに変換している。いったい誰のために、何のために縦書き変換をしているのだろう。縦書きの場合、年号などの数字が厄介なのだ。
書き手によっては、パソコンの画面を縦書きに設定して縦に入力している人もいる。もっとすごい人は、画面に原稿用紙のマス目を表示して、1文字、1文字、マス目に入れている。
さらに、もーっとすごい人は、今もって原稿用紙にペンで書いている。これでないと文章が違ってくるという。
こうなると味覚的感覚の世界だと思うので口を出さないが、世の中は前を向いて進んでゆく。
うちうちで好みのままに暮らすのは結構だが、せめて公文書は西暦にして、新聞も横書きにしてほしいと思う。

しつけ二題 の本番

今朝のブログで「教育勅語」を取り上げましたが、これはしつけ問題というより洗脳に類するものと言えそうです。実は生活の中の「しつけ」について言いたいことがあったのでした。
一つ。昨今、トランプ大統領のスタートにあたり、ワシントンをはじめ各地で、数々の催しが開かれました。高揚した雰囲気の場面がテレビに映ります。丸テーブルを数人が囲んでいる風景、トランプ大統領と夫人、安倍晋三総理大臣と夫人、ほかに男性も。何を話し合っているのかは分かりませんが、和やかな談笑風景です。
安倍晋三夫人の姿を見て、これは見苦しいなあ、みっともないなあと感じて眉をひそめ、トランプ夫人は、と見ると彼女は、背筋をすっきりと立てて顎を引き、微笑しています。これがまともでしょう。安倍夫人は背をまるめて顎を突き出していたのでした。この姿勢は、自宅のキッチンテーブルで寛いでいるスタイルではありませんか。公の場で見せる姿勢ではない。

もう一つは大昔の話。かつて、昭和天皇が皇太子時代にイギリスに行った時の話。
1921年3月3日、96年前の今日、皇太子裕仁親王は軍艦「香取」に乗船、旗艦「鹿島」を供奉艦として横浜港を出発、5月7日にイギリスのポーツマス軍港に到着した。
船旅しかない時代であった。まず沖縄県中城湾に到着。与那原、那覇、首里を訪れた。話が横に逸れるが、昭和天皇の沖縄訪問は、これが最初で最後であった。
香港、シンガポール、セイロン島のコロンボ、エジプトのポートサイド、イギリス領のジブラルタルなどでゴルフやオペラなどを楽しんだが、道中、西洋式のテーブルマナーの泥縄特訓を受けたという。全くの白紙状態だったらしい。およそ一ヶ月間をイギリスで過ごしてのち、フランス、ベルギー、オランダ、イタリヤなどをめぐり、9月3日に横浜港に入港した。
この話を私は父から聞いたのだが、天皇を天子様と呼ぶほどの天皇崇拝ぶりであった父は、残念そうに言った、「イギリスで、裕仁親王は貴族ではない、と笑われたんだそうだ」
「どうして?」と私。ちゃぶ台を囲んでの話である。
「首だけを回して後ろを見たんだと。貴族ってぇもんは」と東京弁である。「首だけ回しちゃいかん。回れ右をするもんだと」。我が事のように恥じ入っている。
テーブルマナーは頑張ったけれど、その他のマナーは白紙だったらしく、スコットランドの貴族、8代目アソール公爵に「しつけ」てもらったそうだ。私の推測だが、これが日本の皇室のマナーの基本になったのではないだろうか。今の私だったら、知らない外国の流儀を教えてもらうことは恥ではないわよ、と父に言うと思うのだ。

閑居して不善を為す、か

科学技術の進歩が社会を変えてゆくのを目の当たりに見ながら年月を重ねてきた世代です。高校時代にテレビはなかったし、国民学校時代は学校まで小一時間歩いて通いましたから足も強かった。それは疎開先、というよりも空襲で焼け出されたために、農家を借りて住んだためです。本格的な農家ではなくて、間取りが農家式の、トタン屋根のバラックでしたが。当時は、畑の畝に埋もれている母を呼ぶにも大声を出しましたが、今時大声を張り上げる必要は、どこにもありません。
大工さんは、重い角材を肩に乗せて平気だったし、力持ちだった。誰も彼も身体を使いました。
ところがそのうち私は計算がのろくなりました。暗算も面倒になりました。用事のために大声を出すこともなくなり、なんと畑の向こうよりも遙かに遠いところまで、電話が、そしてメールが届くようになりました。若い人たちはもっと凄くて、私の知らないスマホとか、ラインとか、説明して貰っても理解不能なものを器用に使いこなしているみたいです。大工さんはもう、のこぎりとかカンナではなくて、なんでも動力を使っています。大工さんと呼ぶよりも、技術屋さんです。
私は計算どころか、お料理も手が落ちました。簡単なので、買って済ませてしまうからです。かろうじて保っているのが針仕事ですが、これは手すさびです。着るものは買ってしまいます。
便利になったかわりに、私の能力としては、何が発達したのでしょう。機械ものの操作かな。それはあります。操作ができないと洗濯一つできませんから、幾つも憶えてきました。ときどき、器械に使われているような気さえします。だって従わないと動いてくれないのですから。
楽に手早くできるようになって、時間もあり、体力にも余裕が生まれました。気持ちにもゆとりが生まれたはずです。この大きなゆとりを用いて何をしているのでしょう。
2学期を前に自殺をした少年、連れ去られて惨殺された少年少女。大勢のゆとりの心は、幼い者を救う力になるはず、と思いませんか。

パリ新聞社襲撃事件

フランスの政治週刊誌「シャルリ・エプド」銃撃事件が、世界中の注目を集めている。1月11日にパリ中心部で開かれた反テロ集会に大勢の群衆が集まり、これまでに抗議デモに参加した人数は約370万人を超えた。これはフランス史上最大規模の抗議活動であると報じられている。イギリス、ドイツ、スペイン、イスラエル、パレスチナなど各国の首脳も参加していて、並んで腕を組んでいる写真も出た。群衆の中にはペンを持つ者、髪につけている者もみえて、テロに対する怒りと抗議が満ちあふれている。世界中が、これほど真剣になるのは、言論の自由を守りたいからにほかならない。言論・表現の自由を守る事は、いまの日本にとっても大きな関心事だ。他人事ではない。群衆の中に日本人はいたのだろうか。パリ在住の日本人は参加してくれたのだろうか。日本国内でも、もちろん各人の感想はあるだろう。遠くからでもよい、そうだ、そのとおりだと声を上げたい。私は、ペンクラブがいつ、どういう発言をするか注目している。
しかし日本の報道は、たとえば飛行機事故が起きたときなどには、事実の報道に加えて素早く、そのなかに「日本人はいませんでした」と言う。今回は「日本人はいませんでした」とも「いました」とも報道しない。言論の自由を暴力で脅かすことは、世界中の人々の関わる問題だから、他人事のような報道の仕方は逆に目立っている。
日本にデモがないか。あるのだが、まず余程のことでないと報道しない。デモによる抗議の内容、意志を、日本中に知らせたくないから沈黙している。隠しているな、と抗議されれば、紙面がない、時間がないと言い訳も見えている。自主規制、自粛という考え方は、際限もなく萎縮する方向へ落ち込んでゆく。臆病な態度だと思う。恥ずかしい事である。
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