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壺猫

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世相・主張 

しつけ二題 の本番

今朝のブログで「教育勅語」を取り上げましたが、これはしつけ問題というより洗脳に類するものと言えそうです。実は生活の中の「しつけ」について言いたいことがあったのでした。
一つ。昨今、トランプ大統領のスタートにあたり、ワシントンをはじめ各地で、数々の催しが開かれました。高揚した雰囲気の場面がテレビに映ります。丸テーブルを数人が囲んでいる風景、トランプ大統領と夫人、安倍晋三総理大臣と夫人、ほかに男性も。何を話し合っているのかは分かりませんが、和やかな談笑風景です。
安倍晋三夫人の姿を見て、これは見苦しいなあ、みっともないなあと感じて眉をひそめ、トランプ夫人は、と見ると彼女は、背筋をすっきりと立てて顎を引き、微笑しています。これがまともでしょう。安倍夫人は背をまるめて顎を突き出していたのでした。この姿勢は、自宅のキッチンテーブルで寛いでいるスタイルではありませんか。公の場で見せる姿勢ではない。

もう一つは大昔の話。かつて、昭和天皇が皇太子時代にイギリスに行った時の話。
1921年3月3日、96年前の今日、皇太子裕仁親王は軍艦「香取」に乗船、旗艦「鹿島」を供奉艦として横浜港を出発、5月7日にイギリスのポーツマス軍港に到着した。
船旅しかない時代であった。まず沖縄県中城湾に到着。与那原、那覇、首里を訪れた。話が横に逸れるが、昭和天皇の沖縄訪問は、これが最初で最後であった。
香港、シンガポール、セイロン島のコロンボ、エジプトのポートサイド、イギリス領のジブラルタルなどでゴルフやオペラなどを楽しんだが、道中、西洋式のテーブルマナーの泥縄特訓を受けたという。全くの白紙状態だったらしい。およそ一ヶ月間をイギリスで過ごしてのち、フランス、ベルギー、オランダ、イタリヤなどをめぐり、9月3日に横浜港に入港した。
この話を私は父から聞いたのだが、天皇を天子様と呼ぶほどの天皇崇拝ぶりであった父は、残念そうに言った、「イギリスで、裕仁親王は貴族ではない、と笑われたんだそうだ」
「どうして?」と私。ちゃぶ台を囲んでの話である。
「首だけを回して後ろを見たんだと。貴族ってぇもんは」と東京弁である。「首だけ回しちゃいかん。回れ右をするもんだと」。我が事のように恥じ入っている。
テーブルマナーは頑張ったけれど、その他のマナーは白紙だったらしく、スコットランドの貴族、8代目アソール公爵に「しつけ」てもらったそうだ。私の推測だが、これが日本の皇室のマナーの基本になったのではないだろうか。今の私だったら、知らない外国の流儀を教えてもらうことは恥ではないわよ、と父に言うと思うのだ。

閑居して不善を為す、か

科学技術の進歩が社会を変えてゆくのを目の当たりに見ながら年月を重ねてきた世代です。高校時代にテレビはなかったし、国民学校時代は学校まで小一時間歩いて通いましたから足も強かった。それは疎開先、というよりも空襲で焼け出されたために、農家を借りて住んだためです。本格的な農家ではなくて、間取りが農家式の、トタン屋根のバラックでしたが。当時は、畑の畝に埋もれている母を呼ぶにも大声を出しましたが、今時大声を張り上げる必要は、どこにもありません。
大工さんは、重い角材を肩に乗せて平気だったし、力持ちだった。誰も彼も身体を使いました。
ところがそのうち私は計算がのろくなりました。暗算も面倒になりました。用事のために大声を出すこともなくなり、なんと畑の向こうよりも遙かに遠いところまで、電話が、そしてメールが届くようになりました。若い人たちはもっと凄くて、私の知らないスマホとか、ラインとか、説明して貰っても理解不能なものを器用に使いこなしているみたいです。大工さんはもう、のこぎりとかカンナではなくて、なんでも動力を使っています。大工さんと呼ぶよりも、技術屋さんです。
私は計算どころか、お料理も手が落ちました。簡単なので、買って済ませてしまうからです。かろうじて保っているのが針仕事ですが、これは手すさびです。着るものは買ってしまいます。
便利になったかわりに、私の能力としては、何が発達したのでしょう。機械ものの操作かな。それはあります。操作ができないと洗濯一つできませんから、幾つも憶えてきました。ときどき、器械に使われているような気さえします。だって従わないと動いてくれないのですから。
楽に手早くできるようになって、時間もあり、体力にも余裕が生まれました。気持ちにもゆとりが生まれたはずです。この大きなゆとりを用いて何をしているのでしょう。
2学期を前に自殺をした少年、連れ去られて惨殺された少年少女。大勢のゆとりの心は、幼い者を救う力になるはず、と思いませんか。

パリ新聞社襲撃事件

フランスの政治週刊誌「シャルリ・エプド」銃撃事件が、世界中の注目を集めている。1月11日にパリ中心部で開かれた反テロ集会に大勢の群衆が集まり、これまでに抗議デモに参加した人数は約370万人を超えた。これはフランス史上最大規模の抗議活動であると報じられている。イギリス、ドイツ、スペイン、イスラエル、パレスチナなど各国の首脳も参加していて、並んで腕を組んでいる写真も出た。群衆の中にはペンを持つ者、髪につけている者もみえて、テロに対する怒りと抗議が満ちあふれている。世界中が、これほど真剣になるのは、言論の自由を守りたいからにほかならない。言論・表現の自由を守る事は、いまの日本にとっても大きな関心事だ。他人事ではない。群衆の中に日本人はいたのだろうか。パリ在住の日本人は参加してくれたのだろうか。日本国内でも、もちろん各人の感想はあるだろう。遠くからでもよい、そうだ、そのとおりだと声を上げたい。私は、ペンクラブがいつ、どういう発言をするか注目している。
しかし日本の報道は、たとえば飛行機事故が起きたときなどには、事実の報道に加えて素早く、そのなかに「日本人はいませんでした」と言う。今回は「日本人はいませんでした」とも「いました」とも報道しない。言論の自由を暴力で脅かすことは、世界中の人々の関わる問題だから、他人事のような報道の仕方は逆に目立っている。
日本にデモがないか。あるのだが、まず余程のことでないと報道しない。デモによる抗議の内容、意志を、日本中に知らせたくないから沈黙している。隠しているな、と抗議されれば、紙面がない、時間がないと言い訳も見えている。自主規制、自粛という考え方は、際限もなく萎縮する方向へ落ち込んでゆく。臆病な態度だと思う。恥ずかしい事である。
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