文房 夢類
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壺猫

文房 夢類
世相 

パンの感触

パン屋さんがたくさんある。
あんぱん、メロンパン、カレーパン。新作の人気パンも色とりどり。店の看板パンもある。
見た目も魅力いっぱいで、しかも美味しい。
好きなパンを持ち寄って、スープとサラダ、コーヒーのおしゃべりランチは手軽で気軽、すごく楽しい。

最近感じていることだけれど、この菓子パン類に限らず、食パンも、なんか、何かが変わってしまった気がしている。
口当たりが良くて、ふわっと軽く、いくつでも食べられる。お腹にズシリと来ないパン。
穀物を粉にして、こねて丸めて焼いていた時代から、完全に制御された工程を流れて末端消費者へ届けられる時代に移ったので、
その過程では消費以前に必要とされる加工と添加、つまり保存のためとか発色のためとかが数多あり、これも日々研究更新されているに違いない。
だいぶ前から末端消費食品の価格の値上がりが密かに続いてきており、最近ようやく、値上がりが顔を隠さずに現れ始めたところだ。
例えばパッケージを小型化して価格を据え置く方法などが多用されてきていたが、私の邪推だろうが、消費量を増やそうとしているような感じを受ける。
コクのない、お腹にたまった感じの少ない、見た目は大きくて派手なデザインで、実際にすごく美味しい菓子パン。
100円だったパンを134円にするだけでなく、3個買おうか、と迷うところを5個食べたい、とお腹に言わせる作り方をしているんじゃないか。
食べて美味しく、見た目も楽しい。もっと食べても大丈夫。お腹にはまだまだ入ります。
パン屋さんに並ぶ行列を眺めて、こんなことを腹に蓄えているのは、なあ〜

季節の食べもの

駅前にある地元農家の野菜売り場に筍が山積みされた。採りたての、まだ土が湿っている筍は軽トラからおろしたばかりだ。
スーパーではそらまめ、セリ、新玉ねぎなどが並んで、眺めた時点ですでに嬉しさいっぱいになってしまう。
生きている楽しさは、好きな食べ物と共にあり。
幸せな食べ物は、やはり季節と結びついている野菜と果物ではないか。真夏のトマト、きゅうり。そしてスイカ。秋に実る柿と梨。特別の珍味というものは、誰彼と楽しむ材料としては良いのかもしれない、ひとりしみじみ珍味を味わう、なんて絵にもならない。
どこにでもある、土から生まれる平凡な菜っ葉が幸せ感を運んできてくれる。
でもまだ、今は四月なのだ、筍が出回るのは自然だけれど、どうして今頃キュウリが山積みなのか。なんでナスが本日の特売なのか。四つ割のかぼちゃが並ぶのか。頑固なことを言うようだが、何年たっても私は慣れない、違和感がある。
もう、旬のキュウリもナスもない。にんじん、大根、じゃがいもと一緒で、いつも並んでいる。レタスやもやしと一緒だ。かぼちゃやオクラなんて年中輸入されている。だから季節の野菜を楽しむのも、楽じゃないのだ。うっかりしていると楽しみ損ねてしまう。
量産できない、あるいは工場生産できない、需要が少ない、そのような片隅に置かれているものたちだけが、季節を運んでくれる。
「今日だけ来たのよ」「来週は、もう会えないかも」そらまめさんとセリさんが話しあっているような気がして両方とも買って帰った。
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