文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

地下鉄サリン事件

1995年の3月20日、地下鉄サリン事件が起きた。私は予備知識が全くなく、弁護士一家殺害事件との関連さえも知らなかったから、非常に驚いた。この日、東京築地の聖路加国際病院では、突然の事件に素早い対応をした。受付や待合のためのホール全体を、瞬時に野戦病院のような救急病室に一変させたことは、常に非常時を心に置いていた故にできたことだろう。日頃は奉仕する曜日が決まっているボランティアの人たちも、自発的に各地から集結して医師、看護師を助けて働いた。この病院は、院内にキリスト教の教会堂を持っている。キリスト教の精神が自発的にわき出るように現れて多くの人々を助けたのであった。
この事件で明るみに出たオウム真理教という組織は、目を覆うばかりの酷たらしい加害の団体であった。教祖と名乗る男は、当初偽薬を売り、掴まった経歴からして、元来偽者なのだ。宗教は、単なる衣である。空虚な核に依存性のある弱者が蝟集して膨張した集団は、このあと瓦解するのだが、私は、この事件を過去の特異な事件として見てはいない。形を変えて、いつも、そこいらへんにある現象なのだと感じている。
ある政党があって、選挙が近くなると関連の基盤宗教の信者が夢中になる。信者は、普段買わない店にも行き、買物をして候補者を盛り立てようと宣伝する。遠く離れた土地から電話をくれて、お宅の選挙区の誰それは、とても良い人だから投票してくれ、とせがむ。見たことも会ったこともない、調べたこともない候補者の名は、上のほうから教えて貰ったのだ。なんで、そんな会に入信したかと問うと、病気を治して貰ったから、などという答えが多い。日常生活では常識のある人が、会の上の方からの声を耳に入れた途端、我を失うのである。店の者に馬鹿にされても気がつかない。盲目になっている。面と向かって悪口を言われた時だけは反応して、執拗に恨み、仇をする。政党は、こうした人々の票を集めて不気味なコウモリのように政治世界に羽ばたいている。
本物の宗教と、別の目的を内蔵する団体とを見分ける力を持ちたい。オウム関連の事件の犠牲者のためにも過去の事件として終わらせず活かさなければならない。

世間知らず

乗り慣れぬ乗り合い車に乗る日々である。乗り合いバス、乗り合い電車。乗り合わせた人々を眺める。人々の姿が珍しくてしかたがない。あらゆるものが新鮮だ。
自分で運転していると、車の動きには注意を払うが、人間の服装や人相などは見ていない。だから服装はとくに興味津々で見つめてしまう。
学校の下校時間にバスに乗り合わせた。まだ黄色い声の少年たち。可愛いなあ。ウチの子、ついこの間、こんな年頃だったなあ。が、? と見直した。なんとネクタイをしているではないか。なに? ネクタイ? がきっちょである。ブレザーというのか、胸ポケットにワッペンみたいのがついている上着を着ている。グレイのズボン。まあ、かっこいいこと。何日かして、別のルートのバスに乗った。こんどのガキどもはダブルのジャケットだった。サイドベンツだ。合わせるボトムはグレンチェックみたいな品の良い柄物。ネクタイには細いえんじ色のストライプ。靴は黒革のスリップオン。
いつだったか、ニュースに「いじめ」事件がでており、ネクタイで締め上げた、と出ていたのを思い出した。読んだときは、どうしてネクタイが小道具に使われているのか理解できなかったのだが、なるほど、こういう子らが、こういう身なりをして学校に通っているのだ、とようやく納得した次第。
そこで女の子たちをそれとなく眺めると、どうやら制服は1種類ではなさそうで、いくつかの組み合わせができるように各種取りそろえてあるような気配を感じた。私は一枚のジャンパースカートで中学高校の六年間を過ごしたが、夜に寝押しをして、朝に畳の目の跡がついているのを着るのが習慣だった。背が伸びると裾上げを下ろして長くした。乗り合い車の中は、本を読むどころではない。
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