文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

閑居して不善を為す、か

科学技術の進歩が社会を変えてゆくのを目の当たりに見ながら年月を重ねてきた世代です。高校時代にテレビはなかったし、国民学校時代は学校まで小一時間歩いて通いましたから足も強かった。それは疎開先、というよりも空襲で焼け出されたために、農家を借りて住んだためです。本格的な農家ではなくて、間取りが農家式の、トタン屋根のバラックでしたが。当時は、畑の畝に埋もれている母を呼ぶにも大声を出しましたが、今時大声を張り上げる必要は、どこにもありません。
大工さんは、重い角材を肩に乗せて平気だったし、力持ちだった。誰も彼も身体を使いました。
ところがそのうち私は計算がのろくなりました。暗算も面倒になりました。用事のために大声を出すこともなくなり、なんと畑の向こうよりも遙かに遠いところまで、電話が、そしてメールが届くようになりました。若い人たちはもっと凄くて、私の知らないスマホとか、ラインとか、説明して貰っても理解不能なものを器用に使いこなしているみたいです。大工さんはもう、のこぎりとかカンナではなくて、なんでも動力を使っています。大工さんと呼ぶよりも、技術屋さんです。
私は計算どころか、お料理も手が落ちました。簡単なので、買って済ませてしまうからです。かろうじて保っているのが針仕事ですが、これは手すさびです。着るものは買ってしまいます。
便利になったかわりに、私の能力としては、何が発達したのでしょう。機械ものの操作かな。それはあります。操作ができないと洗濯一つできませんから、幾つも憶えてきました。ときどき、器械に使われているような気さえします。だって従わないと動いてくれないのですから。
楽に手早くできるようになって、時間もあり、体力にも余裕が生まれました。気持ちにもゆとりが生まれたはずです。この大きなゆとりを用いて何をしているのでしょう。
2学期を前に自殺をした少年、連れ去られて惨殺された少年少女。大勢のゆとりの心は、幼い者を救う力になるはず、と思いませんか。
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