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壺猫

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8月15日

アブラゼミの鳴く暑い日。この日がくると、6日、9日、15日について思いをめぐらせる。広島原爆、長崎原爆そして終戦の3日である。今年のテレビの番組表を眺めたら、ほんの一握りの時間を追悼式に割り振り、あとは民放を含めて関連番組を2,3拾える程度だった。当然だ、式典に出席する人たちは高齢で、孫、曾孫の時代に移っているのだから。
曾孫たちの年齢のときに、私は「終戦」と呼ばれたこの日を迎えたのだ、長生きできたお陰で、次世代の世の中を見ることができている。私は、あの過去を固定した記憶として回想しているのではない。毎年、少しずつ歩み続けている回想である。育てている記憶。マンハッタン計画に参加した科学者たちは、この日のことを知ったとき、どこで何をしており、どう感じたか。当時の敵国の指導者たちの反応。湯川秀樹は何を感じたか。当時、30代だった亡父が絞り出すように言った言葉(分かってたんだ、日本でも分かってたんだよ、それがあることを)。
今夜、映画「硫黄島からの手紙」を放映するというので、録画予約をした。2006年パラマウント映画、クリント・イーストウッド&S.スピルバーグ&R.ロレンツ制作、監督はイーストウッド。硫黄島が戦場だったとき、その場にジョン・フォードがいた、撮影隊として。これも、育てている記憶の足取りで出会ったことだ。このときに培った力を駆使して作った映画が「駅馬車」である。映画館で座席から腰を浮かすようにして見入った私は、ジョン・ウェインの名は知っていたが、ジョン・フォードは視野の外だった。硫黄島と結びつくはずもなかった。育ててきた記憶を手に持って振り返ると、名画「駅馬車」を見る目が横に移動して、1945年公開の名画「天井桟敷の人々」へ行く。食うや食わずで、出征兵士たちが続々と「死んで帰ってくる」あの年に、フランスで制作公開された長尺の秀作である。私はクリント・イーストウッドをよい監督として見続けている。この人は、たゆまず先へ進もうと努力する人だ。自分自身のハートを見つめ、対象と直結し得たときに力を出し切って作り上げる。
誰しも、よき過去ばかりを蓄えているわけではない。ないが、その後の歩みこそ、その人、その国家の肖像となる。
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