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壺猫

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もしかして妄想か

だいたい、私は白昼夢+妄想人間だから、まともな人は笑って聞き流してくれる。聞き流されても尽きないのが、わが戯言である。
さて今日は、中国が何故焚書坑儒をしたか、改めて考えてみた。書物を焼き捨てるということは、いかに書物に価値を置いていたかの証明である。中国人は、数千年の昔より、書に記されたことを真実、事実と認定してきたし、今だって同じだ。中国が共産主義国家に変貌したとき、私は驚愕したが、別に驚くことはなかったのだ。主義も方便であり、肝心な中華思想は揺るぎない。こんな中国を唖然として見ていたが、実は日本国も千年の昔と本質は同じなんだ、と気がついた。これが私の妄想部分である。
中国のように数千年と言えないところが情けない、たったの千年だ。千年昔も天皇がいたが、当時の天皇と今の天皇も似たり寄ったりである。つまり周囲に必要と感じる面々がいるから消えない、それだけのことだ。たまに誤解する天皇がいて騒動を起こしたが、それは文字通り騒動でしかなかったと思わないか。信長秀吉の時代にしても、天下を取ることが彼らの夢であり欲望だった。御維新だの、民主主義国家だの題目を並べたって、地震が起きようが津波が来ようが、天下取りの精神は変わらないのが、日本の頭たちだ。ひょっとして、まだ花押、やってるんじゃないの? 何年か前に、某大臣がにこにこして、考案した新”花押”を記している映像を見ましたけど。繰り返しになるが、自分の満足のために天下を取りたいのだ。決して国民のために働きたいのではない。安倍さんは、自分の家名を重んじているのだし、麻生さんも同じだ。麻生さんが「しもじもの皆さん!」と呼びかけて演説を始めたというのは本音だったのだ。こういう意識で国の舵取りをやっている。靖国に参拝がどうこう言っているけれど、心の底から手を合わせているのは先祖代々の墓だけなんじゃないか。平和だ、国民だ、と称えるのはお題目にすぎない。選挙だ、民主主義だと「しもじも」は真面目な顔をして言うが、民主主義があるなんて思っているのだろうか。あ、行かないでください、お茶いかが。
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