やっぱりメダカ
15-07-20 11:38 更新
メダカに話を戻そう。メダカの話は宇宙である、哲学である、社会問題であります。
人間の年齢でいうと15〜6歳の子供らを、社会生活をしている大人の中に放り込む。
少年少女メダカたちにしてみれば、事前の説明がないどころか、生まれて初めて網に追いかけられて捕まり、混乱状態の直後に、見たことも聞いたこともない場所、魚であるから水場に放り出されるのだ。大ショックのはずです。
呼吸ができた、水があった、体が自由になった。ここから始まる新天地。ここで一生を送ることになる運命とは、私は知っているけれど、彼等は知らない。
が、3分もしないうちに臆する気配もなく、泳ぎ進んで行くチビたち。人間のように部屋や道があるわけではない、水が広がっているだけだから進みたい方向は自身で決めるしかない。
大人メダカたちは自然のままに振る舞っている。5ミリ以下だったらボウフラを見つけた時同様、丸呑みだ。我が子かもしれない、などとは夢にも思わない。
しかしボウフラよりも水平移動が巧みなチビは命がけで逃げる。逃げる餌を追うよりも、私が天上から撒く人工飼料の方が美味しいし、水面に浮かんでいて食べやすいから餌の方に引き寄せられる大人メダカは、無理にチビを食べることはしない。
美味しい餌を十分に貰えるビオトープの中だからチビたちは生き延びることができる。そこで同類が群れを作る。大人たちの群れ状態を真似するのだろうか、自然に群れを作るのか、わからない。
ビオトープは人工的な環境だが、決して安全な場所とは言えない。先日もカラスに狙われ、事もあろうにアライグマにもやられたと見えて、大量のメダカが犠牲になってしまった。敵は水中にもいる。稚魚にとってボウフラは危険だ、ボウフラはメダカの稚魚を食べてしまう。大人メダカたちは、トンボの幼虫、ヤゴの餌食となる。うかうかしていられない世界である。その生き残りだから逃げる隠れる、を体得しきっている。私にも馴れない。足音を感知するともう消えている、水面に目を凝らしても何もいない状態だ。
アワビ、サザエの貝殻、塩ビ菅の筒、釜飯の釜、植木鉢、水草、枯葉、泥の中、そんなものの陰に隠れて動かない。まだ、何も知らないチビ達だけが、のほほんと遊びまわっている。学習するまでは、完全に無防備状態だ。
この小さなメダカ社会の中で、高齢魚は群れから離れて水の動きの少ない場所を選んでじっとしているのがわかる。もう、群れる気がない。平均寿命が3年だから、あっという間にシニアになる。時には体の不自由なメダカが産まれて育つ。一番はっきりわかるのが背骨の異常で、これは泳ぎにくそうだ。
群れについていけない、遅れる。誰も振り向かない。しかし天上から食べ物が降ってくるので、暮らしている。長寿にもなる。
誰も助けようとはしない代わりに、いじめもしない。できることをしてたらいいんじゃないの、といった感じで同類だけが群れている。彼らは突っ走ってみたり、思いついたゲームをしたり楽しむのに忙しい。遊ぶメダカを、私は初めて見た。空の植木鉢が底に沈めてある。水面すれすれに鉢の縁がある。その中に身を翻して飛び込む。底の穴の、わずかな隙間を抜けて外に出る。行列を作って水面すれすれの植木鉢の縁から飛び込み、穴から抜け出してくる。これを、まああ、飽きもせずに行列を作って繰り返すのだ。渓流の鮎は、元気よくジャンプするが、メダカもジャンプできるのだった。それと水温が25度以上ともなれば産卵という、大仕事があるのだ、毎朝。5月半ば頃から秋風が吹くまで。
チビ達の群れに加わることなく、単独で大人メダカの群れに寄って行き、大人の群れに参加しようとするチビが、たまにいる。どうして思いつくのか、わからない。自発的に入って行く。大人たちは、いたわることも、いじめることもしない。
メダカたちが、この水の中でヤゴに狙われずに、カラスにやられずに、大雨の時には流されないようになどと身を守りながら真剣に生きているのが伝わってくる。楽しみながら暮らしているのも伝わってくる。彼らは身を守ることに対して真剣だ、足音に敏感、鳥の翼の影に反応する、ヤゴから身をかわす。
しかし、彼らが知らないことが、いくつもある。なぜ天上から美味しい食べ物が定期的に降ってくるのか。なぜ、閉ざされた水なのか、川と繋がっていないのはなぜか。メダカは、なぜと思わない。
人間のことを思う。なぜ、と思わない人間のことを、思う。
人間の年齢でいうと15〜6歳の子供らを、社会生活をしている大人の中に放り込む。
少年少女メダカたちにしてみれば、事前の説明がないどころか、生まれて初めて網に追いかけられて捕まり、混乱状態の直後に、見たことも聞いたこともない場所、魚であるから水場に放り出されるのだ。大ショックのはずです。
呼吸ができた、水があった、体が自由になった。ここから始まる新天地。ここで一生を送ることになる運命とは、私は知っているけれど、彼等は知らない。
が、3分もしないうちに臆する気配もなく、泳ぎ進んで行くチビたち。人間のように部屋や道があるわけではない、水が広がっているだけだから進みたい方向は自身で決めるしかない。
大人メダカたちは自然のままに振る舞っている。5ミリ以下だったらボウフラを見つけた時同様、丸呑みだ。我が子かもしれない、などとは夢にも思わない。
しかしボウフラよりも水平移動が巧みなチビは命がけで逃げる。逃げる餌を追うよりも、私が天上から撒く人工飼料の方が美味しいし、水面に浮かんでいて食べやすいから餌の方に引き寄せられる大人メダカは、無理にチビを食べることはしない。
美味しい餌を十分に貰えるビオトープの中だからチビたちは生き延びることができる。そこで同類が群れを作る。大人たちの群れ状態を真似するのだろうか、自然に群れを作るのか、わからない。
ビオトープは人工的な環境だが、決して安全な場所とは言えない。先日もカラスに狙われ、事もあろうにアライグマにもやられたと見えて、大量のメダカが犠牲になってしまった。敵は水中にもいる。稚魚にとってボウフラは危険だ、ボウフラはメダカの稚魚を食べてしまう。大人メダカたちは、トンボの幼虫、ヤゴの餌食となる。うかうかしていられない世界である。その生き残りだから逃げる隠れる、を体得しきっている。私にも馴れない。足音を感知するともう消えている、水面に目を凝らしても何もいない状態だ。
アワビ、サザエの貝殻、塩ビ菅の筒、釜飯の釜、植木鉢、水草、枯葉、泥の中、そんなものの陰に隠れて動かない。まだ、何も知らないチビ達だけが、のほほんと遊びまわっている。学習するまでは、完全に無防備状態だ。
この小さなメダカ社会の中で、高齢魚は群れから離れて水の動きの少ない場所を選んでじっとしているのがわかる。もう、群れる気がない。平均寿命が3年だから、あっという間にシニアになる。時には体の不自由なメダカが産まれて育つ。一番はっきりわかるのが背骨の異常で、これは泳ぎにくそうだ。
群れについていけない、遅れる。誰も振り向かない。しかし天上から食べ物が降ってくるので、暮らしている。長寿にもなる。
誰も助けようとはしない代わりに、いじめもしない。できることをしてたらいいんじゃないの、といった感じで同類だけが群れている。彼らは突っ走ってみたり、思いついたゲームをしたり楽しむのに忙しい。遊ぶメダカを、私は初めて見た。空の植木鉢が底に沈めてある。水面すれすれに鉢の縁がある。その中に身を翻して飛び込む。底の穴の、わずかな隙間を抜けて外に出る。行列を作って水面すれすれの植木鉢の縁から飛び込み、穴から抜け出してくる。これを、まああ、飽きもせずに行列を作って繰り返すのだ。渓流の鮎は、元気よくジャンプするが、メダカもジャンプできるのだった。それと水温が25度以上ともなれば産卵という、大仕事があるのだ、毎朝。5月半ば頃から秋風が吹くまで。
チビ達の群れに加わることなく、単独で大人メダカの群れに寄って行き、大人の群れに参加しようとするチビが、たまにいる。どうして思いつくのか、わからない。自発的に入って行く。大人たちは、いたわることも、いじめることもしない。
メダカたちが、この水の中でヤゴに狙われずに、カラスにやられずに、大雨の時には流されないようになどと身を守りながら真剣に生きているのが伝わってくる。楽しみながら暮らしているのも伝わってくる。彼らは身を守ることに対して真剣だ、足音に敏感、鳥の翼の影に反応する、ヤゴから身をかわす。
しかし、彼らが知らないことが、いくつもある。なぜ天上から美味しい食べ物が定期的に降ってくるのか。なぜ、閉ざされた水なのか、川と繋がっていないのはなぜか。メダカは、なぜと思わない。
人間のことを思う。なぜ、と思わない人間のことを、思う。