文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

高齢者の務め その1

長寿。一昔前は還暦まで生きたら大満足の長寿だった。不思議なことに、さらに遡る大昔から、90歳を超す大長寿の人はいたが、非常に稀だった。
日清日露の戦争から太平洋戦争の時代に入ってからは、自然が与えてくれた寿命を全うする人が急激に減っていった。
戦争を止めてから、医学の発達と相まって私たちの健康は守られ促進され、寿命も飛躍的に伸びている。長寿社会、などと言われるようにもなった。
でもでも、全員揃って長寿ではないのだ、どれほど手を尽くしても助からない命は多いし、不慮の死の報せに胸潰れるのである。
今、自分が思いもよらぬことに80歳をこえて生きていることを意外に感じ驚きを持って受け止めているが、同年輩の人々を見渡すと、
健康体が続くように頭と体の体操をし、体に良いと言われるものを食べる、などの防御と保持に努める姿が目に入る。
それは良い、とても良いことだが、この点に全精力を傾けて日を過ごし、満足しているように見受けられるが、それで? という物足りなさはないのだろうか。 
もっとも世間のアンケートなどでは、せいぜい70歳代までのデータを取っており、80以上は視野に入れていないので、70歳代までが対象なのかもしれない。

しかし、80代の人間も、今現在生きているのである。なんとかケアの親切な方々がドアチャイムを鳴らし、お元気ですか? お変わりありませんか? と尋ねて下さる、
つまり、おい、大丈夫か? 生きてるな? ということなのだが、この親切心に対し、ありがとうございます、おかげさまでと、頭をさげる、
これだけで生きていることになるのだろうか? 後続の人々のために何かできるのではないか。
漫然と、自分の体を明日に繋げることだけのために生きているとは、つまらなくないか? 物足りなくないか? 恥と思わないか?
このことを考えていこうと思う。
今日は、ここまでだ、1日にできる仕事量が、目に見えて減っている。現実は厳しい。午後ともなれば午睡なしには続かない。
この、力のなさを認めた上で、高齢であるがゆえに言える事を発信したい。
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