文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

高齢者の務め その2

今日は8月6日。広島が一瞬にして壊滅した日だ。
この時期の日本各地の出来事を記憶している人たちは、プラスマイナスなしに、ありのままの記憶を次世代に手渡す役目を担っている。
年齢を重ね、経験したことを繰り返し語り続けるうちに人の心は変化し、経験したこと以上に大きく表現する場合が出てくる。あるいは、人から聞いた事柄を、自分の経験であるかのように語ることも出てくるとも聞いている。
しかし、これをやっていたら「藪の中」だ。後世の人々の役には立てない。
記憶は固定した岩のようなものではない、記憶は生身の人の心の中に息づいて、その人と共に暮らしているから、意図しなくても変化して行く場合が出てくることは、言い換えれば生きている証拠かもしれない。
最近、NHKの番組「ファミリーヒストリー」で、仲代達矢さんが都心で空襲を受け、焼夷弾の雨の下、手をつないだ見知らぬ少年が一瞬のうちに消え、仲代さんの手の中に、少年の腕だけが残った、という記憶を語られた。
そして付け加えられたのだ、最近です、このことを話し出したのは、と。
あまりの辛さに、70年もの間封印し、沈黙を守ってきている人がいる。というか、口にできない。語ってくれる人がいる一方、こうした人も多い。

残されている映像や文書をアンカーとして、できる限り多くの人々の中にしまいこまれているものを集めてまとめてゆくことが必要だと思う。
誰も主張しないが、日本の各地を、町村単位でもなんでも良いから区切り、その土地にいた人の記憶を記録していきたいと思う。
戦争の被害に遭った人の言葉だけでなく「遭わなかった経験」をも記録したいと思うのだ。
多分、空襲を知りません、家は焼けませんでした、飢えを感じませんでした、戦死した家族はいません、などという人々がいるはずだ。これが、とても大切な記録になるはず、と思っている。
在ったことだけを記すのではなく、存在しなかった、ということをも記してゆくことで、立体化するはずなのだ。
全国に点在する文芸同人誌は、こうした仕事に加わってもらえないだろうか。高齢化を嘆くことなく、むしろ高齢の同人だからこそできる働きをしていただきたいと思う。
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