文房 夢類
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壺猫

文房 夢類

いじめについて、再び

 去年の2月に「差別といじめ」について書いたが、この先も続くだろう問題について再び考える。最近、いじめられて自殺した中学生のニュースをきっかけにして、さまざまな対処法が考え出されている。しかし、大人を見よ、と私は言いたい。社会に出て働き、家に帰れば子どもがいる、そういう社会人としての大人たちが、社会生活の場で何をしているか、振り返って欲しい。お手本になれるかどうか。
 野党、自民党の総裁選挙があった。石破さんという人は、党内派閥を否定する考えの人である。派閥を形成し運営してきた長老たちは彼をつぶそうとして何をしたか。いじめたのである。いったん腹痛で責任放棄した人物を引っ張り出して派閥票を入れた。派閥を持たず、実力一本で地方票を大量に獲得した石破さんを無視できずに幹事長に決めたが、副幹事長には彼にブレーキをかける人物を置いた。これを政治と表現することで納得するのは当事者だけだろう。汚いいじめである。大阪で維新の会を発足させようとしている人について、メディアは連日報道する。まだ党として生まれていない卵である。一方、国民の生活が第一、という党については、次回選挙では100人を越す候補者を立てる計画が進んでいるにもかかわらず、まったく報道しない。メディアは中学生たちの言うシカトをした。報道の基本を破り、国民を裏切っている。組織はさておき、個人として胸に手を当てて考えたとき、我が子に堂々と言える行いか? これが社会人のすることか? なぜ、シカトするかというと「国民の生活」の党は、メディアの腐れ体質にメスを入れようとしており、また、その力も持っている、と恐れる故である。成人した大人たちが、本番の社会生活の中で汚い「いじめ行為」を続けながら、どうして子どもたちのいじめを非難できるのだろう? 育ち盛りの命は、すべてを見、聞き、感じて吸収してゆく。空の青さが湖に映るように、美しい社会人の行為は、子どもたちに反映するだろう。子どもたちのいじめは、大人の行為を映しているのだ。
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