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壺猫

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高齢者の務め 最終回

最終回は迷惑について。
まじめな善意の人で、心優しい高齢者、もちろん暴力を振るったり、盗みをしたりなど夢に見たこともない人だ。良いものをたくさん持っている、このような高齢者に限って、真剣な面持ちでいう、「迷惑をかけたくない」。
こんな風に言う、ただね、私はね、周りに迷惑をかけたくないんですよ。ええ。それだけです。
聞き入る相手は高齢者だ。高齢者同士の「うなづき話」であり若いもんに向かって話しているわけではない。
こうした良識ある高齢者が、実は若いもんに迷惑をかける場合を見てみたい。
高齢者が元気だと言っても、使い込んできた身体はガタが来ており、修繕しながらの元気ではある。
修繕をしつつ暮らしているが認知症ではないし、その気配もない。判断力は十分にあり手厳しい社会批判もする。しっかりしていることは、自分も周囲の人たちも皆が認めている。
このような高齢者が、最低最悪の迷惑をかけることがある。これが私が最終回に言いたいことです。

自動車運転免許を返した。だいぶ前から夜間に見えにくくなっていたし、視野狭窄は自覚していた。事故もせずに無事に車を降りることができて良かったと思っている。
ここで言いたいことは、車を降りても、日常生活で視野狭窄は続いている、ということだ。
たとえば電話を切るとき、以前は相手が切る音を確かめてから切っていた、それができなくなっている。自分の都合だけが眼前に広がり、その処理だけで手一杯なのだ。
気持ちのゆとりが消えていることに気づいていない。続けて、待てなくなっている。食事の時間、約束の時間。判断力は十分にあるので、気持ちが急くのを我慢する。この努力が並大抵ではない苦労だ。車じゃないのだから、ハイビームにして圧力をかけるわけにいかない。
誰ともしゃべらない日が増えた。年々、親しい友人が逝く。そんな時に、ゆったりと向き合ってくれて、こまごまと話す昔話を逐一聞き取ってくれる近所の人などがいたらもう、疲れきるまで独演会をやって幸せいっぱいになる。
こうして自分の周辺の昔語りをしてやがて、一生を終えることになるのだが、ぶちまけてはいけない家庭の事情までも喋ってしまう高齢者は少なくない。その後を生きてゆく次世代が被る迷惑は、一通りではないのである。
独演会の当人は寂しいし、聞いてもらえる嬉しさはあり、自分の先は長くないとも思うと、しゃべりたくなってしまうらしい。一方、聞く側は耳をダンボ耳にして聞き入り忘れない。忘れないだけでは済まない、必ず近隣の誰彼にしゃべるのである。これほどの迷惑があるだろうか。
こういう場合もある。高齢者に複数の家族がいる場合、高齢者と接する態度はいろいろになるのが自然だろう。ここで高齢者が、家族、あるいは近い親戚の誰彼の一人に向かい、ほかに誰もいないシーンでいう、一番よくしてくれるお前にこれを渡したい。
渡したいものがバナナかメロンならともかく、土地だったり預金だったりする。
土地や預金がない高齢者なら迷惑をかけないか、というとそうはならない。ほかに誰もいないシーンでいう、誰ちゃんは来るたびに、ン万円くれる。
あればあるなりに、なければ、ないなりに、操作しているつもりはないのだろうが、結果として複雑不快な騒動を巻き起こす。本人は下の世話をしてもらったわけじゃないから、迷惑をかけずにいるつもりなのだろうが、私は、このような高齢者が、最も罪深い迷惑者だと思うのだ。
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