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壺猫

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貧乏と貧乏人

熊谷守一の随筆を手元に置いている。山頭火は、全集をひとまとめにして読了したところなので、この方の片々がまなかいに漂っている。女性では森鴎外のお嬢さんの森茉莉を思い出す。この三人を並べて絵にしたら、貧乏群像画になるかもしれない。
しかし熊谷守一は、事業家で地主の、裕福な家庭の生まれ、山頭火は、大地主、種田家の長男、森茉莉は、鴎外の愛娘。シモキタの三婆の一婆として安アパートの廊下の突き当たりにある共同水道の流しで、ほうれん草を洗って食べていたマリー。
この種族は、どれほど貧乏しても「貧乏人」にはなれない。恬淡とし、堂々とし、高貴で誇り高く、基本の礼節を肌身として生きている。
今時代のメディアに出るような人物を引き合いに出してみると、たとえば鳩山由紀夫さん。褒める人あり貶す人ありの人物だが、こんな陰口も聞こえる、「あんなに金持ちなのに細かいんだ」。これは鳩山さんが裕福な家庭に育った、それも良い育て方をして貰ったことの証しだろうと私は推測している。
地下足袋の底のゴムの製造販売をしていた鳩山家は、時代が移り、地下足袋が売れなくなった。切羽詰まって自動車のタイヤに目を向けて転向した。結果が良かったから今があるわけで、知恵を絞って働いて手に入れたお金であるからこそ、節約を重んじ、無駄をしない態度が身についている。本当の意味のお金持ちといえる。
大金持ちなんだから、もっとバラまいてもいいじゃないか、誰彼に景気よくおごってもいいじゃないかと感じる人は、金持ちの日常を知らない「貧乏人」という人種だ。貧乏人ほど、日常生活で無駄をし、物を粗雑に扱うのである。
山頭火は、山道を独り歩いた、日本の山中は清冽な水の宝庫そのもの。飲み歩く。里に下りて宿に泊まる。宿の誰かが水道の水を出しっ放しにして雑用をしているのをみて、本気で立腹している。勿体ない、彼奴はダメだ、と書いている。
先頃、都知事の席を追われた人は、「二流のビジネスホテルに泊まれますか。恥ずかしいでしょう」と言った。この時の顔つきをまじまじと見たが、心の底から、そう思っているように感じて驚いた。この人は、ほんとうの「貧乏人」なのだった。贅沢な暮らしをしていても、土台が貧乏人であると抜け出せるものではない。
だいたい、貧乏人は物事をお金で解決しようとする。心の問題までも、お金で購おうとするのである。お金の価値を限定的にとらえている相手は、心底の謝罪を欲しているときにお金を出されると激怒するものである。貧乏人には、これがわからない。
しかしまぁ、これを言ったら世の中オシマイですね。だって見てみて欲しい。買、売、購、財、貨、貸、貰、資、賜、賭、贈、贅、贋、賞、賊……、みんな貝がついているではないか。貝殻をお金として使っていた大昔から誰もが承知している99対1の人間模様だ。




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